第505回・東京国立博物館本館(旧東京帝室博物館)

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上野公園に残る近代建築群のひとつがこの旧東京帝室博物館本館。現在は東京国立博物館本館となっているこの建物は、近代和風建築の傑作のひとつと言える。昭和12年(1937)竣工。

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この地にはもともと英国人建築家J・コンドル設計で明治14年に竣工した煉瓦造二階建の旧本館が建っていたが、関東大震災で破損、修復も検討されたが改築されることとなり、昭和12年に竣工、翌13年に開館したのが現在の本館である。

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なお、新本館が竣工するまで帝室博物館の展示は、隣接して建っており震災では破損を免れた表慶館が使用されていた。

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設計は公募で選ばれた渡辺仁の案をもとに、宮内省内匠寮が実施設計を行い、大林組の施工で建設された。

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反りのある屋根や正面の破風は渡辺仁の原案にはなく、宮内省内匠寮によって付加されたものである。

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鉄筋コンクリートによる和風表現の建築としては、数ある近代和風建築の中でも以前紹介した明治神宮宝物殿と並ぶ名建築であると思う。

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外壁は両端の一部を白色タイル貼りとする以外は、全て花崗岩で仕上げられている。

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鬼瓦は大阪の綿業會舘談話室タイル他、多くの名建築を飾るタイルや屋根瓦を造った池田泰山が制作に携わっている。

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正面玄関。

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玄関を入ると正面に現れる大階段。

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階段室を見上げる。

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階段室の照明。

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大階段踊り場の壁面に据え付けられた大時計。

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階段室のステンドグラス。

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階段室の格天井。

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全館にわたりトップライトの天窓と壁の窓から採光する構造になっている。ただし建設当時は、自然光は展示品に悪影響を与えるという考え方は一般的ではなかった。人工照明が主流の今日では展示室の窓はすべて塞がれている。

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右手の扉は貴賓室。時々一般公開されているようである。

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窓のシャッターがいつも閉ざされているのは、先述の通り展示室に自然光を入れないようにしているためである。

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近代和風建築として優れたデザインであるのみならず、当時の博物館建築として最高の設備と技術が投入されている点などが評価され、平成13年(2001)には国の重要文化財に指定されている。

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明治以降の建築の近代化と伝統様式が結合した成果のひとつであり、誇るべき名建築のひとつである。

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本年も弊ブログを御覧頂きありがとうございました。
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第504回 (記事削除)

本記事に取り上げていた建物については、現状についてある御意見を頂きました。検討させて頂きました結果、当該建物は現状では公開するのは不適切と判断しましたので、削除させて頂きます。

第503回・旧函館区公会堂

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日本各地に建てられた洋風建築の中でも、際立って派手な色彩が特徴である旧函館区公会堂は、明治43年(1910)に竣工した。函館を代表する洋風建築のひとつである。国指定重要文化財。

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明治40年に発生した大火により、函館の西部市街地一帯は焼失した。その際この地にあった町会所と同じ敷地内にあった商業会議所も共に焼失する。その後、跡地に両者を一体化した公会堂の建設が区民有志により計画される。

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建設費用の調達は難航するものの、函館随一の豪商・初代相馬哲平が自らも自宅と店舗を焼失した中にも関わらず五万円の資金を提供、これに区民の寄付金や町会所の火災保険金を充てて、総工費約五万八千円で現在の建物が竣工する。

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なお、相馬哲平は公会堂の目と鼻の先に邸宅を構えており、大火では土蔵一棟を残して焼失したが、公会堂とほぼ同時期に再建を果たしている。(現存。一般公開されており以前紹介した→旧相馬哲平邸の記事参照

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竣工の翌年、明治44年の皇太子殿下行啓に際しては宿所として使用された。長らく公会堂として使われるが、戦後の一時期は海難審判庁が入居していたこともある。昭和29年の洞爺丸事故の海難審判はこの建物で行われた。

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北海道指定有形文化財を経て、昭和49年に写真の本館が国指定重要文化財となる。

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昭和55年には隣接する付属棟も国重要文化財に追加指定される。
その後大規模な修復工事が実施され、外壁の色も創建当初の色彩に戻された。

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区公会堂は、これも以前紹介した旧北海道庁函館支庁の建物を見下ろす位置に建っている。

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昭和58年から歴史的建造物としての一般公開が始まり、現在に至る。

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壁の色は3回にわたって変更されており、かつては黄土色やピンク色に塗られていた時期もあった。

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旧函館区公会堂の建物は、公会堂としての用途の他、商業会議所も一階に入居していた。またホテル営業も計画され、そのための部屋や設備が用意されたが実現はしなかった。

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一階大食堂。洞爺丸事故の海難審判はこの部屋で行われた。
奥は球戯室(ビリヤード室)と小食堂。

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大食堂の暖炉。

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一階背面は硝子戸を建てこんだ縁側になっている。

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背面外観。

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二階大広間。函館市民の集会の場として使われた他、舞踏会や音楽発表会などにも使われた。
この部屋は現在もコンサートホールとして使われている。

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大広間シャンデリア台座の漆喰装飾。

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大広間の天井はカマボコ状のヴォールト天井。

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二階に設けられた貴賓室。
明治44年に皇太子(後の大正天皇)、大正11年に摂政宮(後の昭和天皇)、平成元年に今上天皇をお迎えした部屋である。

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旧函館区公会堂では、貴賓室を始め各室に当時の家具が復元整備されている。

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貴賓室は御座所・御寝室・予備室の3室で構成されている。
写真は御座所。

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貴賓室御座所の暖炉。

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二階バルコニー出入口の建具は、ちょっと中華風。

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二階バルコニー。大広間につながっている。

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二階バルコニー柱頭

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バルコニーからは函館市街と函館港が一望できる。

第502回・生駒ビルヂング(旧生駒時計店)

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大阪の堺筋沿いには戦前の名建築がいくつか残っており、今迄も高麗橋野村ビル旧三井銀行大阪証券取引所等を紹介してきたが、今回の旧生駒時計店もそのひとつである。国登録有形文化財。

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生駒時計店は明治初期から大阪で時計の輸入・販売を行っていた、老舗の時計・貴金属商である。

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平野町2丁目の堺筋に面した地に昭和5年(1930)、現在の建物を店舗として建設した。設計は、大阪市柴島浄水場ポンプ場の設計などで知られる宗兵蔵率いる宗建築事務所による。

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宗建築事務所に当時在籍していた大倉三郎が原案を作成、脇永一雄が実施設計を行っている。なお原案作成者の大倉三郎は京都を中心に活動した建築家で、京都工芸繊維大学の学長も務めた人物である。

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角地に建つ建物にも関わらず、時計塔を建物の端に控え目に立てている。

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時計塔の真下の窓飾りや円形窓は、時計の振り子のような形。

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スクラッチタイルとテラコッタで飾られた外壁。

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二階窓台のワシの石像。

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街路を見下ろしている。

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味わい深い外壁。

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堺筋に現存する近代建築の中でも旧生駒時計店は、旧松坂屋大阪店(現高島屋東別館)と並び、濃密な装飾が特徴であると言える。

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生駒の「生」の文字をあしらった装飾。

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写真の一番下に映るテラコッタ製パネルには、建築年である「1930」の文字が見える。

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所有者の生駒時計店は近年建物の補強改修を行い、現在は店舗を別の建物に移してこの建物はレンタルオフィスとして活用されている。

第501回・国会議事堂(旧帝国議会議事堂)その2

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前回に続き国会議事堂。今回は内部。
中央玄関から入り、大階段を登った先が中央広間である。

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中央広間は塔屋の真下に当たる。天井までの高さは約33メートル。法隆寺五重塔が丁度入る高さであるという。

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天井及び高窓にはステンドグラスを入れる。議事堂内のステンドグラスも全て国産である。

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中央広間の四隅に設けられた台座のうち、三方にはそれぞれ伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が建てられている。あと一つは台座のみで銅像はない。政治は常に未完のものであるから敢て四方全てに銅像はは置かない、などと、理由については諸説あるようである。

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中央広間の壁や柱に用いられているのは沖縄県産の珊瑚石灰石である。
大阪の綿業会館などに用いられている、イタリア産大理石のトラバーチンのような石材を求めてこの石材が採用されたとも言われている。

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中央広間天井のステンドグラス。自然光ではなく照明によるものなので、通常は暗い。前回記したとおり特別国会開会に際しての天皇陛下御臨席など、中央広間が使用されるときのみ光が入る。

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中央広間の奥に現れるのが、天皇陛下と皇室関係者専用の階段。旧帝国議会当時の表記に従えば、帝室用階段。現在は中央階段と称しているようである。

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円筒形になっている旧帝室用階段の天井。

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階段を登った先には(無論、一般参観者がこの階段は登ることはできない)御休所の前に出る。
御休所とは天皇陛下の控室で、かつては便殿と称した。御休所は当時の建築・工芸の粋を結集した、議事堂内では最も華麗な部屋である。

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旧帝室用階段から中央広間の方角を望む。
正面突き当りは中央広間に面したバルコニーで、某党の某女性議員がファッション雑誌の写真撮影を行った場所だったと思う。まあ、どうでもいい話であるが。

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旧貴族院議場、即ち現在の参議院議場である。

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議場正面。
議長席の後ろに玉座(天皇陛下が臨席される御席)がある。

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全面ステンドグラスを張りつめた議場の天井。

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大臣室前広間。ここで用いられている大理石は朝鮮半島から切り出されたもの。

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大臣室。ニュースでもよく映るのがこの部屋。

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大臣室に隣接する総理大臣室。これらの部屋は西側テラスに面している。

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議事堂内の火災報知器は、戦前のものが現役で使われている。

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国会中継でおなじみ、委員会室。衆参両院に同じ造りの部屋がある。

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衆議院議長応接室の暖炉。

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衆議院議場。
議場正面には玉座がない点を除けば、両院共に議場の規模・仕様は共通している。

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階段室内部。

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階段は帝室階段が最も立派に作られているが、議員用の階段も大理石の円柱を立て、天井にはステンドグラスを嵌めている。

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議員用エレベーター。内部の機械は交換されていると思うが、扉や階数表示は昭和11年以来変わっていないと思われる。

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議員階段室天井のステンドグラス。

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中央広間欄間のステンドグラス。
国会議事堂のステンドグラスは、戦前の建築では最大規模である。

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中央広間天井のステンドグラス。
参議院ホームページでは、国会議事堂の建設材料で国産品を採用出来なかったものとして、ドアノブ・郵便投函筒(メールシューター)と共にステンドグラスも外国製との解説があるが、これは正しくない。

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原材料の色硝子は外国製であろうが(今日もそれは変わらないようである)、ステンドグラス自体はデザイン・制作共に全て日本人の手になる。したがってこの解説は如何なものかと思う。
写真は御休所前の天井。

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参議院議場天井のステンドグラス細部。

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明後日26日は特別国会が召集され、この中央広間が開かれる。

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首相指名選挙が行われ、新しい首相が指名される。

第500回・国会議事堂(旧帝国議会議事堂)その1

(おかげさまで第500回目の記事となりました。弊ブログを御覧頂いている皆様に厚く御礼申し上げます。)

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500回目の今回は、先日の総選挙による政権交代を受けて最近ニュースに頻繁に登場する建物、即ち国会議事堂の建物を2回に分けて紹介しようと思う。

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近年改修工事が行われ、外壁の洗浄が行われたことにより見違えるように綺麗になった国会議事堂。
写真は2年前、議会開設120年記念で一般公開されたときに撮影したものである。

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国会議事堂、旧帝国議会議事堂の竣工は昭和11年(1936)であるが、第一回帝国議会が開かれたのは、議事堂竣工より約半世紀前、明治23年(1890)のことである。現議事堂竣工までの46年間は、現在経済産業省庁舎がある場所に建てられた仮設の議事堂が使われていた。

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その間、仮議院の建物は二度(明治24年、大正14年)火災で焼失したため、3代の変遷を重ねている。仮議院の建物は、参議院ホームページのほか、国土交通省官庁営繕部のホームページでも当時の写真が見られる。

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本格的な議事堂の建設に着工出来たのは、帝国議会開設から30年後のことであった。
大正7年に実施された設計競技において選ばれた原案をもとに、矢橋賢吉、大熊喜邦らが率いる大蔵省臨時議院建築局によって、現在見られる姿が実施設計として出来上がり、大正9年に着工する。

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大正12年の関東大震災では、当時大手町にあった大蔵省庁舎が焼失、設計図や構造計算書、設計施工のため長年に亘って収集された資料類は、僅かに持ち出せた一部の書類を除き全てが焼失してしまった。その後設計図等を改めて書き直すなど、工事の進捗に多大な影響を与えたが、工事現場の被害は殆ど無かった。

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昭和2年4月に上棟式が行われたが、その後も工事の進捗は国の財政状況などに左右され、竣工は着工から17年目の昭和11年11月であった。それから10年後、敗戦による連合軍占領下の昭和21年に帝国議会は56年の歴史に幕を閉じた。そして翌年の現憲法施行によって国会となる。

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正面玄関、車寄上部の鳳凰に唐草と盾をあしらったレリーフは七個の花崗岩を継ぎ合せて造ったもの。

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色調から、屋根も含めて全て石で覆われているようにも見えるが、中央塔屋部分の屋根はテラコッタで葺かれている。塔屋の頂部までの高さは約66メートルあり、建物としては当時日本一の高さであった。なお第二位は三越本店、第三位は京都の東寺五重塔であった。

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議事堂の構造は鉄骨鉄筋コンクリート造、外装には花崗岩を積み上げている。施工はまず外装材となる石を積み上げて、これをそのまま型枠としてコンクリートを打つという工法が採られたという。

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外壁に用いられた石材は、一階の腰積部を山口県の黒髪島産、二階より上部の外壁全体は広島県の倉橋島産の花崗岩で仕上げられた。その他建材は全て国内及び台湾・朝鮮・樺太・満州の各地から調達された。

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衆議院玄関。

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衆議院玄関車寄の円柱。

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縦長の窓がある部分は階段室。

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階段室の窓上部の装飾。

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西側(背面)からみた衆議院外観。二階が議員食堂である。

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正面玄関の裏側に当たる西側中央部にはテラスが設けられている。

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中庭。この写真を撮った2年前はまだ中庭の壁面まで改修工事が終わっていなかったが、現在はきれいになっていると思う。中庭は衆参両院にそれぞれある。

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中庭の池の中にあるのは空調の換気口。

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西側には平屋の付属棟があり、見学者用の土産物店などはこの中にある。

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中央塔屋の内部は吹き抜けになっており、天皇陛下をお迎えする時、衆議院議員総選挙、参議院議員通常選挙の後に召集される国会に議員が初登院する時、外国の国賓を招待した時したにしか開かれない中央玄関がある。

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来週26日には新首相指名のための特別国会が召集されるので、当日はこの扉が開かれる。

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一般見学者がこの玄関へ入れる機会は極めて少ないが、あと8年後には議会開設130年を迎えるので、そのときはまた一般公開が行われると思われる。

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中央玄関入口とその上部のレリーフ。
入口を固めるのは東京美術学校(現東京藝術大学)の制作になるブロンズ製玄関扉。

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中央玄関内部には、今は採掘されていない国産大理石が大量に使われている。壁面は徳島県産、床は茨城・埼玉・山口県産である。

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赤絨毯が敷かれた正面大階段は、茨城県産の白大理石でできている。

次回につづく。

第499回・茨城県石岡市の看板建築群

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茨城県南部にある石岡市の中心街には、昭和初年に建てられた看板建築と称される商家の建物がまとまって残されている場所がある。まとまって残されていることも貴重であるが、特筆すべきはこれらの建物は多くが国登録有形文化財となっている。

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看板建築が並び立つ石岡市国府3丁目界隈の眺め。
石岡市の看板建築群は、石岡市の観光案内でも紹介されている。

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看板建築とは、関東大震災後の復興途上の東京で、主に中小商店の店舗兼住宅において現れた建築様式である。

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従前の商家の造りと異なり、建物の正面を平坦な壁面にして、そこに銅版やモルタルを用いて和洋を問わず自由なデザインが施しているのが特徴である。

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看板建築は昭和初年には関東地方を中心に東京から各地に広がった。現在でも川越や佐原など、関東近郊の中小都市でも看板建築をみることができる。

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以前取り上げた佐原の蜷川家具店も、看板建築のひとつと言える。また関東だけではなく東北や東海地方でも見られる。しかし近畿より西ではあまり見られないようである。

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看板建築の特徴として、装飾が施されているのは正面外壁だけで、側面に回ればこれといった装飾はほとんどない。

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正面と側面の落差が激しい。

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もっとも表立たない面は全く装飾を施さないのは、大企業の事務所ビルでも普通にあったことで特段珍しいことではない。

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石岡では昭和4年3月14日の大火で中心街が焼失、その復興途上で多くの看板建築が建てられた。写真は昭和3年(1928)竣工の平松理容店。大火前に建てられており、石岡では最初期の看板建築。

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看板建築は国府3丁目に集中して建っている。大火の翌年、昭和5年(1930)にこの地区で最初に竣工し、復興建築の先がけとなったのが写真の十七屋履物店。色モルタルで飾り立てた壁面が特徴。

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十七屋履物店に隣接し、同じ昭和5年竣工の久松商店。こちらは銅版を貼りつめた外壁が特徴。銅版貼りは
近年の改修で復元されたものなので色は赤銅色をしている。当初化粧品店・雑貨店として建てられた。

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ギリシャ神殿風の正面外壁が特徴のすがや。昭和5年頃に雑貨店として建てられ、現在は化粧品店。
この界隈の看板建築の代表格のひとつである。

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古典的な洋風建築の装飾をまとったすがやに比べると、モダンなアールデコ風の装飾が施されているのがこちらの森戸文四郎商店。やはり昭和5年頃の建築。もとは飼料店で現在は生花店。

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この建物は二戸一の貸店舗として昭和5年ごろ建てられた。当初から貸店舗として建てられ残っているのはこの建物だけであるという。

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現在は片方に喫茶店・四季が入っている。以上6棟の看板建築は国登録有形文化財となっている。

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貸店舗として建てられた建物だが、背後につながる路地の入口が設けられているのも珍しい。ところで写真のとおり、隣接の建物が取り壊された際に継ぎ目が無残に破壊されたようである。登録有形文化財の扱いとしては甚だ乱暴な扱いと言わざるを得ない。

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登録有形文化財になっていないが、現存する看板建築は他にもある。
左手の玉川屋は銅版貼りの看板建築。右手の建物は鉄板かトタン貼りだろうか。

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看板建築発祥の地・東京では玉川屋のような銅版貼り仕上げのものが多いが、ここ石岡では、人造石による石造り風のものが多いのが特徴である。

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人造石はモルタルに石の粉末を混ぜるなどした材料を用いて、木造建築を石造のように見せることができる。

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戦前の洋館ではよくみられる技法であり、現在でも大阪・堺の旧是枝近有邸など、各地に多く残されている。

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人造石による外壁は、大工よりも左官職人の腕前が反映される。コテひとつで様々な形を作り出すのであるから凄いものである。

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昭和4年の大火で焼け残った建物も現存する。
写真の丁子屋は現存する唯一の大火の生き残りで、現在は石岡市の観光施設として公開されている。

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なお、大火後全ての建物が看板建築になった訳ではなく伝統的な商家のスタイルで再建されたものもある。
写真の福島屋砂糖店は昭和6年(1931)の竣工。構造は木造だが外壁は伝統的な黒漆喰塗ではなくコンクリートで仕上げ、上から黒色塗装を施したものである。

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細かく割りつけた硝子戸など、建具に趣向を凝らした栗山呉服店は昭和7年(1932)頃の建築。

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数寄屋風の外観が珍しい、きそば東京庵も昭和7年頃の建築。以上4棟は全て国登録有形文化財。
伝統的な外観の商家も、看板建築と共に歴史的な街並みを構成するものとして保全が図られている。

第498回・東武浅草駅ビル

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赤煉瓦建築の東京駅の復原工事がこの秋完成し、話題になっているが、東京ではもうひとつ復原工事が行われた駅がある。それが今回取り上げる、昭和6年(1931)に関東初の百貨店(浅草松屋)併設のターミナルビルとして開業した東武浅草駅である。

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浅草界隈に残る数少ない戦前建築である、以前取り上げた神谷バーと東武浅草駅。いずれも昭和20年の東京大空襲で被災している。空襲で内部を焼失した浅草駅ビルは、外装も昭和49年の改装工事でアルミパネルで全館が覆われ、今回の改修工事まで当初の面影は残されていなかった。

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しかし平成23年より行われていた改修工事でアルミパネルを撤去、もとの姿が蘇ることになった。そして今年5月に外観の改修工事が終了、この秋には耐震補強や内部改修も終わり、工事は無事完成した。

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外壁と同様覆い隠されていた時計塔も復活。昭和20年の東京大空襲で被災以来失われていた大時計も新たに取り付けられた。

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極めて長大な外観が特徴の浅草駅ビル。3階に東武浅草駅のホームが内蔵されている。
設計は鉄道省出身の建築家・久野節(1882~1962)。

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浅草駅ビルより早く改修工事が行われた大阪の南海ビルディングの設計者でもあり、長大な外観を持つ点では共通している。

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背面から見ると3階から線路が高架橋に続いているのが分かる。

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半円窓の補強用と思われる鉄骨は今回の改修で取り付けられたものと思われる。車輪のような意匠で面白いと思う。

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なお、当初は3階の半円窓は全てこのような形であったようである。

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先述の通り東京大空襲で内部を焼失しているが、階段に創建時以来残されている部分がある。
人造石研ぎ出しの階段手摺りと、手摺に等間隔で置かれた妙な形の装飾。

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何とも得体の知れない、不思議な形の装飾。

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南海ビル、東武浅草駅ビルと続けて保存改修工事が施されたのは何とも喜ばしく有難いことである。
願わくば、同じ久野節設計でかつての浅草駅ビル同様旧い外観が新建材で覆われてしまっている、神戸の三宮阪神ビル(そごう神戸店)も、往年の姿を取り戻してくれないだろうか。

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浅草駅ビルは端から見るとかなり迫力がある。
古い写真を見ると、周囲に高層建築が無かった創建当時はすぐそばの隅田川にその威容を映していたようである。

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銀座の時計塔として知られる和光(旧服部時計店)のように、東武浅草駅ビルも浅草の時計塔として今後定着して欲しい。

第497回・旧イタリア大使館別荘

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明治から昭和戦前にかけて国際的な避暑地として繁栄した日光の歴史を伝える建物のひとつである。
中禅寺湖畔に昭和3年(1928)、イタリア大使館の別荘として建てられた。
現在は栃木県の所有となり、「イタリア大使館別荘記念公園」として公開されている。国登録有形文化財。

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中禅寺湖畔にはイタリアの他、各国大使館が軒を並べていた。現在もイタリアの他、イギリス、ベルギー、フランス各国の大使館別荘が並んでいる。但しイギリスは既に閉鎖され土地建物は栃木県が取得し、今後イタリア同様整備・公開されるようである。ベルギーとフランスは今も現役の大使館別荘である。

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設計は当時日本で活動していた外国人建築家の一人であるアントニン・レーモンド(1888~1976)による。

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大使館の別荘であるが、主に利用するのは大使とその家族であったという。
平成9年まで、歴代のイタリア大使によって使われていた。

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先述のとおり現在、旧英国大使館別荘の整備公開が検討されているが、公開されている日光周辺の外国大使館の別荘としては唯一の存在である。

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杉皮と竹を用いた外壁。

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玄関ポーチまわり。

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玄関。

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一階は書斎・居間・食堂が続き間になっている。

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居間から玄関を望む。

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書斎・居間・食堂は中禅寺湖を一望できる広縁につながっている。

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書斎。

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食堂。

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食堂暖炉。暖炉はいずれも自然石を積み上げたもの。

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大使館別荘時代の家具調度が再現されている。

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広縁。館内のソファは見学者が自由にくつろげるようになっている。

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2階は寝室などのプライベート空間。

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敷地内にはもう1棟建物がある。
大使館別荘は本邸と副邸で構成されており、今迄紹介してきた建物が本邸、写真の建物は副邸。

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副邸の暖炉。規模は小さいが意匠は本邸と同様の造り。

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副邸の広縁。

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本邸広縁から望む中禅寺湖の眺め。

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同じく、冬間近の景色。

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晩秋の別荘。

第496回・旧森田銀行本店

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九頭竜川の河口に位置する福井県坂井市三国町は、古くより港町として繁栄した土地である。今回紹介するのはその三国町に残る、大正9年(1920)に建てられた旧森田銀行本店。国登録有形文化財。

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三国町の旧市街には古い街並みが今も残る。

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福井県下では現存最古の鉄筋コンクリート造建築。全国的に見ても鉄筋コンクリート造建築としては初期のものである。

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一階側面の張り出した部分は旧金庫室。一部を残して撤去されている。

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設計者は当時横浜市技師であった山田七五郎。旧長崎県庁舎(明治44、昭和20年原爆投下による火災で焼失)や横浜市開港記念会館(大正6、国指定重要文化財)の設計者として知られる。

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この地で古くから北前船による廻船業を営んでいた森田家は、明治27年(1894)に森田銀行を開業する。銀行はその後第二次大戦に際し、戦時下の国策により福井銀行と合併する。旧本店の建物はその後平成の初めまで福井銀行三国支店として使われていた。

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平成6年に旧三国町(現坂井市)が取得、詳細な調査のあと修復復元が行われた。
工事終了後一般公開され、現在に至る。

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正面軒上の飾り壺なども修復に際して復元されたもの。

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外壁は大正時代の洋風建築に多く見られる焦茶色のタイル貼り。

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現存する同時期の地方銀行の本店では、埼玉の旧武毛銀行旧八十五銀行等がある。

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内部は吹き抜けの営業室がある。

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営業室天井の漆喰装飾は一番のみどころ。

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カウンターも当初からのものが残る。
7メートルの長さをもつケヤキの一枚板が用いられている。

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客溜りの暖炉。

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一見本物の大理石に見える右手の装飾柱は、漆喰で大理石状に仕上げたもの。

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旧営業室は催事用スペースとしても貸し出されている。

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営業室内側の暖炉。客溜りのものと意匠は同じだが、こちらは幅が細く若干スマートな印象。

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奥にある重役室。本店なので頭取室ではないかとも思うのだが、頭取室は別棟にでもあったのだろうか。
造りつけ戸棚の七宝焼の装飾を施した引手や、棚内側に貼られた布地、カーテンボックスの象嵌細工など見どころが多い。

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重役室の角にも暖炉がある。

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緑色と灰色の二種類の大理石を使った重厚なデザインの暖炉。

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かつて存在した別棟への出入り口と思われる部分。
別棟には宿直室や食堂、便所等があった。現在は福井銀行三国支店の新しい店舗が建っている。

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階段。親柱には渦巻状の装飾。

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二階の会議室。腰壁、暖炉など明るい色調で仕上げられている。床は寄木細工で、壁や暖炉上部には象嵌細工が施されている。テーブルと椅子は創建当初から使われていたもの。

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会議室の暖炉。重役室とは違い白大理石を使って軽快な印象。

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営業室の吹き抜け廻りにはギャラリーを巡らせる。

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再度、営業室天井。

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圧巻。

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規模は小さいが、見どころに富んだ中身の濃い建物である。

第495回・神戸市中央区諏訪山の洋館付住宅

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前回取り上げた横浜の旧柳下邸と似たような、小高い丘に建つ洋館付き和風住宅が神戸にもある。

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こちらは旧柳下邸と異なり現役の個人住宅で、国や自治体の文化財指定・登録は受けていないので名称は伏せておく。

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日本家屋と土蔵、洋館で構成されている。

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この住宅が建っている諏訪山は、異人館街である北野町の西外れで、兵庫県庁からさらに山手へ上った場所にある。

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現住はされていないのか、老朽が進んでいる印象を受けるのが気になる。

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兵庫県より「ひょうごの近代住宅100選」のひとつに選ばれており、今後保全されていくことが望まれる住宅である。

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洋館の外観は、ハーフチンバーの外壁とオレンジ色のフランス瓦が特徴である。

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高台に緑に囲まれた目立つ外観の洋館を持つ点では旧柳下邸と共通するが、洋館・日本家屋共に総二階建である点は旧柳下邸と異なる。

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建設時期は旧柳下邸と同様大正中期ぐらいだろうか。
屋根の形や瓦の色は、宝塚雲雀丘の正司家住宅と似ている。

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阪神大震災を生き延びた建物であり、今後も健在であって欲しい家のひとつである。

第494回・旧柳下家住宅

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横浜市磯子区にある大正時代の洋館付和風住宅。
関東大震災で一部損壊しながらも、その後戦災も免れ今日まで生きながらえた希少な近代和風建築。
現在は横浜市が取得の上整備・公開している。横浜市指定有形文化財。

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JR根岸駅から程近い、閑静な住宅街の一角に建つ旧柳下邸。
小高い丘の上で、緑に包まれて佇む。

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柳下家は明治初頭より金属の輸入業を営み、横浜でも有数の商人であったという。平成8年までこの住宅は柳下家の住居として使用されていた。

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平屋の日本家屋と二階建の洋館・土蔵で構成される。とりわけ洋館は高地に建っていることもあり一際目立ち、この地域のランドマークになっているようである。

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洋館の背後は和風の縁側になっている。

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洋館裏の土蔵。

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洋館脇にある表玄関。内玄関が別にあり、普段は使わない来客用の玄関である。

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日本家屋は東西に分かれた二棟を短い渡廊下で繋ぐような造りになっている。
洋館と土蔵、来客用座敷がある東側の棟と、茶の間、家族用居室がある西側の棟に分かれている。

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内玄関の近くにある、コンクリート製の防火用水槽。戦時中に造られたものであろう。
今も残るのは珍しい。

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西棟の茶の間。

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名古屋の橦木館(旧井元家住宅)と同様、昭和の雰囲気が味わえる。

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湯殿の五右衛門風呂。

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湯殿の天井は折り上げ格天井。中央部には湯気抜きが設けられている。

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湯殿前の脱衣室天井は細い丸太を放射状に配する。

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東側の棟は仏間と客間、洋間で構成されている。

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贅沢な材木を使い、かつ意匠を凝らした客座敷。

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客座敷横の縁側。突き当りの階段は洋館の二階へ行くためのもの。

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土蔵の蔵前。氷冷蔵庫など大正から昭和期の生活用具が展示されている。

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土蔵脇の客用便所。手洗いも凝った造り。

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洋館一階の客間。上げ下げ窓、漆喰塗りの天井を持ち洋風に造られているが、一方で床は畳敷き、壁には和風の造りつけの棚があったりして奇妙な雰囲気の洋間。

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同上、照明。

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二階の洋室。机が置かれ、主人の書斎に使われていたようである。

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同上、照明。台座には一階とは異なる意匠の漆喰飾りがある。

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二階洋室にはアルコーブ(小さなくぼみ状の空間)が設けられ、こちらの天井にも漆喰による装飾が施されている。

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現在は「根岸なつかし公園 旧柳下邸」として公開・活用されている。
http://members2.jcom.home.ne.jp/ne-yagishitatei/index.html

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第493回・福久屋石黒傳六商店・旧石黒ファーマシー

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古い町家や近代洋風建築が点在する金沢市尾張町において、江戸末期の商家の一角に昭和初期のビルディングが並立して残る面白い建物がある。加賀藩時代から続く薬種商・福久屋石黒傳六商店と、昭和初期にその分店として建てられた旧石黒ファーマシーである。

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尾張町界隈は以前取り上げた旧三田商店旧村松商店旧高岡銀行など近代建築の他、町家も多く残されている。
金沢市の指定保存建造物にも指定されている福久屋石黒傳六商店は、幕末に当たる嘉永5年(1852)に建てられたことが当家に残る普請帳から判明している。

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石黒傳六家は現在の当主で20代目となるという歴史ある家。
建物は今も現役の薬局である。

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歴史を感じさせる薬商の看板。

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古風な看板兼用の照明。もとはガス燈だったのかも知れない。

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建物はもとは間口が13間あったが、大正末年に18代目石黒傳六により、写真右手の平屋建て部分のうち3間分を取り払い、跡地にはモダンなビルディングを建てた。

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京都帝国大学教授であった武田五一の設計、清水組の施工で鉄筋コンクリート造4階建、昭和2年(1927)に竣工した石黒ファーマシービル。

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一階を石黒ファーマシーと称するドラッグストア、上階にはダンスホールなどが置かれる一方で、同じく上階に設けられた広間には檜舞台を設け、能囃子など伝統芸能行事が開催されるなど、モダンと伝統が同居していた。

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現在はドラッグストアのあった1階にコンビニエンスストアが入っているほか、改装が目立つ。
側面の窓の下には装飾が施されているが、正面にも同じものがあったのかも知れない。

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重厚な商家と昭和初期のモダン建築と、これからも両者一体で保存・使用され続けて欲しいものである。

第492回・旧東京音楽学校奏楽堂

※作成段階の記事が公開されておりました。大変失礼致しました。

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東京・上野公園の一角に保存・公開されている旧東京音楽学校奏楽堂。
東京音楽学校は現在の東京芸術大学音楽学部の前身である。旧所在地に近い上野公園で今も音楽ホールとして使われている。国指定重要文化財。

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文部省技師の山口半六と久留正道の設計で、明治23年(1890)に竣工した。
同じ設計者による建物では金沢の旧第四高等学校本館などが現存する。

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昭和47年に、老朽化の進んだ建物は東京藝術大学構内から明治村へ移築保存することが一時は決まったが、卒業生である黛敏郎、芥川也寸志などの音楽家、日本建築学会、市民有志が現地での保存を求め反対運動を行い、東京藝大とは目と鼻の先にある上野公園内へ移築保存されることとなった。

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移築に際しては、失われていた正面の破風飾りなどが復元された。

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なお、明治村ではこの建物を引き受けるため用意した敷地は後年、旧芝川家住宅の移築保存用地として使われている。

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昭和58年に台東区へ譲渡、翌年上野公園内の現在地へ移築、昭和63年に国指定需要文化財となった。

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玄関。

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建物の中央部分に音楽ホールを設け、両翼に教室などを配置する構成になっている。
なお、移築に際しては両翼部は切り縮められている。

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階段室。

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奏楽堂内部。
天井をカマボコ状のヴォールト天井にするほか、壁面に大鋸屑や藁を詰めた層を設け遮音や音響を考慮した設計が為されている。

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換気口の装飾やカーテンレールなどは、明治の建築にふさわしい装飾が施されている。

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持ち送りの装飾。

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演壇のパイプオルガンは、紀州徳川家の徳川頼貞侯爵が自邸内にあったものを関東大震災後、寄贈したもの。

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現在は東京藝術大学音楽学部の学生によるコンサートなどが定期的に催されている。

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第491回・旧村川別荘

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現在は東京への通勤圏として発展している千葉県の我孫子は、明治から昭和戦前にかけて、手賀沼周辺を中心に実業家や学者、文人の別荘が多く設けられた。今回取り上げる旧村川別荘もそのひとつで、西洋史学者で東京帝国大学教授の村川堅固(1875~1946)が営んだ別荘である。現在は我孫子市が所有管理・公開している。

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旧村川別荘の周辺は竹藪と雑木林に囲まれ、往時の面影を残す。水戸街道の宿場町であった我孫子に別荘が多く設けられた理由は、豊かな自然や手賀沼の眺望のほか、常磐線の開通により東京市内から鉄道で一時間程度で到着できるなど交通の便が良くなった事も理由である。

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村川堅固は大正10年、取り壊し予定であった我孫子本陣の離れ座敷を譲り受け、手賀沼を望む小高い丘に移築して自らの別荘とした。

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その後昭和3年には新館を増築し、休日などは東京帝大に近い本郷西片町の自宅から市電・常磐線を使って別荘に通う生活を楽しんだ。

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村川堅固の死後、別荘は子息で西洋史学者・東大教授の村川堅太郎(1907~1991)に引き継がれるが、平成に入り堅太郎氏の死後、大蔵省に相続税として物納されたため、別荘は存続の危機に立つ。しかし関係者の努力が実を結んで平成13年に我孫子市が購入して現在に至る。

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元我孫子宿本陣の離れである、母屋の座敷床の間。

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書院窓の建具は凝った造りである。

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反りのある銅版葺き屋根が特徴的な新館。
村川堅固は大正14年に古墳発掘調査の視察のため、当時日本領土であった朝鮮・平壌を訪れている。
反りのある屋根などは、そのとき見た朝鮮の建物を意識したものであるという。

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傾斜地に建つ新館は、基礎を当時最新の工法であった鉄筋コンクリート造りとしている。

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外壁や戸袋には竹を装飾的にあしらっている。

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新館玄関まわり。

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内部は3室あるが、いずれも床は寄木張りの洋室である。建具は洋風のドアと和風の引き戸が併存する。
和風・洋風・朝鮮風を折衷したユニークな住宅である。

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かつて母屋と新館の間に置かれていた常夜燈。
我孫子界隈に電気が通じるのは昭和に入ってからで、夜は漆黒の闇となるため設置していたという。

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手賀沼側の部屋は眺望を確保するため、大きく窓を開けている。

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現在は樹木が生い茂り、その先にも建物が立ち並ぶが、かつては手賀沼を一望できたものと思われる。

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奥にある書斎兼寝室。青色の漆喰を塗って落ち着いた雰囲気を出す。
かつては椅子と寝台が置かれていた。

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以前も別記事で触れたが、個人所有の文化遺産の相続を阻害する相続税制度は、国家が伝統文化の破壊に手を貸しているに等しい。旧村川別荘のように公共所有となって保存されるのは、条件に恵まれた一部の例外に過ぎない。

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この度の総選挙では、我が国の伝統や歴史を尊重する政権の成立を期待したいが、この忌まわしい税制が建築に限らず伝統文化の破壊に手を貸す悪しき制度と認識している政治家は、果たして居るのだろうか。

第490回・旧大和田銀行本店(敦賀市立博物館)

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敦賀市を代表する近代建築である旧大和田銀行本店。
敦賀の大商人。大和田荘七が設立した大和田銀行の本店として、昭和2年(1927)竣工した。
現在は敦賀市立博物館となっている。敦賀市指定有形文化財。

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敦賀港の近くに建つ旧大和田銀行本店。敦賀市は戦災で市街の大半が焼失してしまったため、先日紹介した旧紐育スタンダード石油會社倉庫と並ぶ数少ない近代建築物である。

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設計は京都帝国大学に在籍、営繕課長等を務めた永瀬狂三(1877~1955)、施工は清水組(現清水建設)による。

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裏手には昭和2年まで使われていた、初代本店の建物も現存する。現在はみなとつるが山車会館別館として使われている。

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初代と二代目の本店建物が並んで残るのは珍しい。
初代建物は、木造の町家に正面だけ洋風の外壁を建てたものであることが分かる。

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銀行本店として使われた他、地階には京都都ホテル直営のレストランがあり、2階には貴賓室を設けて敦賀を訪れる貴賓接待に使えるようになっていた。そして3階には舞台付きの公会堂が設けられ、敦賀市民のための施設として開放されていたという。

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また屋上はビヤガーデンとして開放されていたという。
3階建てだが天井が非常に高いので、普通の建物の5階分はあるこの建物は、当時敦賀市内では随一の高層建築物であったと思われる。

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南側の正面玄関。銀行営業室の入口と思われる。

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庇の持ち送りは特異な意匠。

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東側の側面玄関。地階、2~3階への出入り口はこちらに設けられていたものと思われる。

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側面玄関は持ち送りなど、正面とは少し異なる意匠とする。

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全体を石造り風に仕上げた重厚な外壁。

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随所に見られる星形の装飾は、大和田銀行のマーク。

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防火用鉄扉も創建当初からのものと思われる。
内部には当初のエレベーターも残されているという。

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塔屋。簡素な意匠が施されている金属製の手摺なども当初から残るものではないかと思う。

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背面。暖房ボイラー用と思われる大きな煙突がある。

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側面玄関の横に建つ、大和田銀行創設者・大和田荘七(1857~1947)の石像。

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敦賀市立博物館は建物の修復工事の為、今年7月に一時閉館した。
現在は工事に向けた準備が進められている。修復に際しては旧大和田銀行の内装が復原される予定である。

(追記)
その後、修復事業が完了し平成27年(2015)7月より、公開が再開されました。また、敦賀市指定文化財を経て平成22年には福井県指定文化財となっておりましたが、平成28年(2016)10月21日に国の重要文化財に指定される見込みとなりました。

平成28年10月30日付弊ブログ記事では修復後の姿を公開しております。
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