第522回・納屋橋

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名古屋の中心街に大正の面影を残す橋がこの納屋橋。
現在の橋は昭和56年(1981)に架け替えられたものであるが、一部旧橋の部材も再利用して、欄干や照明灯、アーチ型の飾り桁などに、大正2年(1913)に架けられた旧橋の姿を引き継いでいる。

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納屋橋は、慶長15年(1610)に最初の橋が架けられたと伝わる、名古屋でも指折りの由緒ある橋。
徳川家康の名古屋城築城によって、それまで尾張国の中心であった清洲から街ぐるみ移転させる「清洲越し」で、現在の名古屋の街の原型が造られた時期である。

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大正2年に華麗な鉄石混用の橋に架け替えられると、たちまち名古屋名所として市民の評判となった。

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旧納屋橋の写真は、公益社団法人土木学会の「土木学会図書館 戦前土木絵葉書ライブラリ」で閲覧可能である。
http://library.jsce.or.jp/Image_DB/card/01_image_list23.html

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華麗な欄干は鋳鉄製で、大正2年当時のものを修復して再利用している。

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欄干中央の円形に張り出した部分の両脇には、尾張の三傑、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の家紋をあしらっている。

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拡大。
欄干製作を請け負ったのは名古屋市内にあった中島鉄工所の中島彦作という人であるが、こちらのサイトに詳しい。http://network2010.org/article/1118

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また円形張り出し部分の中央には、堀川を開削した福島正則の紋所があしらってある。

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石の親柱と照明燈は昭和56年の架け替えの際、新たに復元されたものである。

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納屋橋の周囲に残る歴史ある建物。
橋の袂に建つ洋風建築は、以前取り上げた旧加藤商会ビル

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欄干の先に見える日本家屋は、明治17年に建てられたという建物を、今も鶏料理専門の料亭として使用している「鳥久」

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旧橋の橋台は御影石と煉瓦で作られていた。現在は石張りになっている。

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アーチ型の飾り桁は、現在の橋の構造上は不要であったが旧橋の姿を踏襲するため、同じ形のものを新たに造って取り付けたものである。

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ライトアップされた夜の納屋橋。
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第521回・横浜市開港記念会館(旧開港記念横濱會舘)

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横浜の大正建築の代表格と言えるのが、「ジャックの塔」の名で知られる横浜市開港記念会館。
大正6年(1917)竣工の赤煉瓦建築。国指定重要文化財。

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この建物が建っている場所はかつて横浜における日本人貿易商の拠点であり、横浜市民の集会所のような役割を果たしていた横浜町会所(明治7年竣工、同39年失火焼失)の跡地である。その後間もない明治42年、横浜は開港50年を迎えたことから記念事業として、新たな会館の建設が計画される。

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新たな「開港記念横濱會舘」の建設に際しては、設計は懸賞募集で決められることとなり、東京市技師・福田重義による当選案を原案に横浜市技師の山田七五郎が実施設計を行い、大正3年起工、同6年に竣工した。

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横浜の中心街一帯が壊滅した関東大震災では、開港記念横濱會舘の建物は地震には耐えたものの、その後発生した大火で壁体を残して全焼してしまった。その後大正15年(昭和元年)に復旧工事起工、翌昭和2年に完成する。
なお復旧工事の設計は、新築時と同じく山田七五郎が手掛けている。

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震災復旧工事に際しては、屋根が鉄筋コンクリートの陸屋根に改められていたが、昭和末年に、山田七五郎の下で復旧工事を担当した木村龍雄技師の親族から、創建時及び復旧時の図面等が横浜市に寄贈されたことをきっかけに、外観は大正6年創建当初の姿に復元されることとなり、平成元年に復元工事が完成した。

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「ジャック」と称される時計塔。

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神奈川県庁舎の「キング」、横浜税関の「クイーン」と共に、いわゆる横浜三塔のひとつ。

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スレート及び銅版葺きの屋根、手摺、煉瓦壁のうち上部の円形の部分などが、平成元年の工事で復元された部分。

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窓ガラスは昭和53年の改修工事で、一部を除き一枚ガラスのアルミサッシに交換されている。
アルミサッシの使用は機能上致し方ないとしても、現代的な一枚ガラスの建具は建物に調和するとは言えないので、将来交換が望まれるところである。

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八角形のドームを持つ部分は貴賓用玄関及び貴賓室。
設計原案では円筒形だったが、実施設計に際し八角形に改められた。

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正面。設計原案では上部に大きなドーム屋根を載せていたが、実施設計ではやや小規模なマンサード屋根に改められている。

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本町通りに面した側面玄関の上部には、旧名称の「開港記念横濱會舘」の文字が右書きで残されている。

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正面・側面にある玄関上部の大きな2つのアーチ形窓のみ、昭和2年復旧工事の際のスチールサッシが保存されている。

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玄関ホール内部。

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内装は昭和2年復旧工事のときのものが保存されている。
大正6年創建当初に比べると、各部屋ともかなり簡素なものとなっている。

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ホール。
横浜市開港記念会館は、現在も横浜市中区の公会堂として現役で使われている。

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ギャラリー部分を支えている、薄緑色に塗られた鋳鉄製の柱は、大正6年の創建当初から変わらず残されている数少ない部分。

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震災復旧工事に際しては、内部を鉄筋コンクリートで補強している。
補強で付加した梁も写真のように美しい曲線を描き、見事なデザインを見せる。

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二階階段ホールは半円アーチが美しい。

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二階階段ホールの天井の漆喰装飾。
同じく見事な漆喰装飾の天井を持つ福井の旧森田銀行本店も同じ山田七五郎設計。

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階段室の窓。

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正面玄関上部の巨大な半円アーチ窓からは、神奈川県庁が見える。

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塔屋に登る螺旋階段。

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横浜市開港記念会館の内部の見どころのひとつは館内を彩るステンドグラス。

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渡し船、駕籠など開港当時の交通手段をモチーフにしている。この絵柄のステンドグラスは創建当初から同じ部屋にあったが焼失したため、復旧に際しては形や細部を多少改変の上、再製作された。

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横浜市章と鳳凰をあしらったこのステンドグラスは、震災復旧に際して新たに入れられたもの。

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貴賓用階段室に入れられているステンドグラス。
ペリーが乗るポーハッタン号入港の様子を描いたもの。

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拡大。
これは震災前のものを規模・意匠共に、ほぼ同一のものを再制作したようである。

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ライトアップされる「ジャックの塔」

第520回・文目堂

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今回は大阪市中央区安堂寺町に残る、昭和5年(1930)建造の三階建商家。昭和初期の大阪町家の特徴を備えると同時に、一部を洋館風にした外観が特徴の建物である。明治以降の伝統的建築は、商家、邸宅を問わず、何らかの形で和と洋の並置が見られるものであるが、このような商家と洋館の組み合わせというのは珍しい。

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安堂寺町・龍造寺町周辺は戦災を免れた場所が多く、現在も長屋や町家が多く残っているが、最近はビルやマンションに取って代わられつつある状況である。この建物は当初、メリヤス問屋として建てられ近年までは富士鋼球(株)大阪営業所として使われていた。

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現在は内部を改装して蕎麦店「文目堂」として使われている。外観は入口廻りを除き、旧状をよく残している。黒漆喰塗の外壁や銅版貼りの重厚な箱軒は、大正から昭和初期に建てられた大阪町家の特徴で、同時期の建物でも京都などでは少なく、大阪に多い。

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市区改正による「軒切り」と称された道路拡幅が頻繁に行われた当時の大阪市内では、狭められた敷地の有効利用を目的とした三階建への改築が盛んに行われた。

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うだつには色モルタルによる装飾が施されている。
うだつは元々は防火壁としての機能を目的に立てられていたが、時代が下がると装飾的な要素が強くなっていった。

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しかしこのような洋風とも和風ともつかない形は珍しいと思う。

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一階店の間の脇には洋風の応接間を設け、室内だけではなく外観も洋風で仕上げている。
和風の商家に洋館がめり込んだような形をしている。このような商家は非常に珍しいのではないかと思う。

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同じ大阪は伝法に残る、旧鴻池組本店のように伝統的な町家の横に洋館を建てた例はあるが、大概は、北浜の適塾(旧緒方洪庵住宅)のような、外観は江戸時代以来の伝統的な造りで統一して内部の一室を洋風としている。

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ところでこの欄間のステンドグラス、外壁に貼りつけたような形になっており、内部からは見ることができない。

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内部も応接間が旧状を残すほか、二階座敷も質の高い造りであるようだ。
ユニークな昭和初期の大阪町家の一例として、是非保存して頂きたい建物である。

(参考)「大阪府の近代和風建築 大阪府近代和風建築総合調查報告書」大阪府教育委員会 平成12年刊

第519回・旧東京商科大学(一橋大学)校舎群その2(兼松講堂・図書館)

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前回に引き続き、東京国立にある旧東京商科大学(一橋大学)の校舎群。
今回は一橋大学のシンボル的存在になっている写真の兼松講堂、及び図書館を紹介させて頂く。

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兼松講堂は国立キャンパスの中では最初に建てられ、昭和2年(1927)に竣工。
設計は伊東忠太。

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神戸に本社を持つ貿易商社・兼松商店(現・兼松)が創業者・兼松房治郎の遺志に基づき、工費として拠出した寄付金をもとに建設されたためである。なお兼松商店は、神戸商科大学(現・神戸大学)にも多額の寄付をしており、神戸大学には現在も兼松商店の寄付で建った建物が現存する。

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当時の大学キャンパスは東京帝国大学慶応義塾など、多くがゴシック様式を採用していた中でロマネスク様式を選択したのは異色とも言える。

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一橋大学の広報誌で藤森照信氏が兼松講堂の様式や装飾の特徴について解説されている。こちらをご参照頂きたい。
http://www.hit-u.ac.jp/hq/vol001/pdf/001-02.pdf

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他兼松講堂の歴史や、平成15年から行われた改修工事についての詳細も、以下の各号にて紹介されている。
http://www.hit-u.ac.jp/hq/vol002/pdf/002-03.pdf
http://www.hit-u.ac.jp/hq/vol003/pdf/003-02.pdf
http://www.hit-u.ac.jp/hq/vol004/pdf/004-02.pdf

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伊東忠太ならではの不気味な装飾が建物の随所にちりばめられている。

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兼松講堂は音響に優れておりコンサート会場としても評判が高いそうである。

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扉。

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なお建設工費を拠出した兼松商店の本店は、当時神戸市海岸通にあったが、建物は現在も海岸ビルヂングとして現存しており、以前取り上げているのでご参照頂きたい。

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側面。

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大小の半円アーチが連なるのがロマネスク様式の特徴。

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側面入口。

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ここにも得体の知れない動物が。

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一橋大学の国立キャンパスは国立市民の憩いの場でもある。
美しい建物群と庭園は散歩に好適。

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兼松講堂から前回取り上げた本館に向かうと、途中に現れる日時計。

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日時計は細長い池に面しており、池の先には時計塔を戴く図書館の姿がある。

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昭和5年(1930)、伊東忠太・文部省建築課設計で竣工。
施工は兼松講堂のみ竹中工務店、それ以外の図書館や本館等は飛島組(現・飛島建設)による。

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現在は図書館としての中心機能は新しい建物に移転しており、現在は「時計台棟」として、図書館の付属施設的な施設になっているようである。

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前回取り上げた東本館と二階窓の意匠は同一であることが分かる。
図書館は東本館と異なり、その上にはさらにステンドグラスを嵌めた半円形の小窓が連なっている。

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図書館の中心機能が移転した現在も閲覧室などは使われているようである。

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入口の上部で吠える怪獣が二匹。

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アーチの奥に見える入口扉。

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ここにも動物か植物か、境目不明の生物がうようよ。

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講堂とはまた異なる重厚な趣の扉。

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内部から。

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閲覧室入口欄間のステンドグラス。フクロウがいる。
以前取り上げた兵庫県の芦屋警察署では、フクロウの装飾は夜警の意味があったが、ここでは「知恵の象徴」としての意味を持つ。

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図書館背面。突き当たりは階段室なので窓が斜めに配されている。

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背面出入り口。

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旧東京商科大学(一橋大学)校舎群 おわり

今後も各地の大学キャンパスに残る近代建築を紹介して行きたいと思う。

第518回・旧東京商科大学(一橋大学)校舎群その1(東本館・本館・旧門衛所)

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一橋大学の国立キャンパスは、前身の東京商科大学の施設として昭和の初めに建てられた校舎群が今も現役で使われており、うち何棟かは国の登録有形文化財にもなっている。今回は旧東京商科大学の校舎群を2回に分けて取り上げたい。

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国立キャンパスは、国立駅前から伸びる道路を間に挟んで東西に分けられている。戦前建築は西側に集中しており、東側では写真の東本館だけが、戦前から建っていた建物である。

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昭和4年(1929)竣工。商学専門部本館として建てられた。

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旧東京商科大学が国立にキャンパスを構えるきっかけになったのは、大正12年の関東大震災で東京一ツ橋にあった校舎が壊滅的被害を蒙ったことによる。

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西武鉄道の創業者として知られる堤康次郎が、学園都市開発の一環として東京商科大学を同地に誘致した。
なお国立の地名は、この界隈が国分寺と立川の間に位置したことから、当時新しく作られた地名である。

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このとき整備された旧東京商科大学の校舎群はロマネスク様式で統一され、細部意匠もロマネスク建築特有の不可思議な動物等の装飾がみられる。

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玄関キーストーンの人面(鬼面?)装飾。
竣工年である「1929」の文字が見える。

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国立キャンパスの施設は伊東忠太と文部省建築課の設計によるものである。

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東本館は登録有形文化財になっている。

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道路を隔てて西側のキャンパスへ入ると、写真の本館をはじめロマネスク様式の美しい校舎群が現れる。

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この建物は登録有形文化財ではない。現在の使われ方を見る限り大丈夫とは思うのだが、将来の改築対象となっていないかどうか、ちょっと不安になる。

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横長の東本館に対し、縦長の外観を持つ本館。

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車寄せ。

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伊東忠太設計の建物に特有の、不気味な動物や怪物が、ロマネスク様式の装飾の中に織り込まれている。

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これは獅子頭か。

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本館の側面にはテラスが設けられている。

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植え込み越しに見た本館遠景。

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ロマネスク様式で統一された施設群の中で唯一の例外、旧門衛所。
童話的といおうか、ロマンチックな趣の山小屋風。これは登録有形文化財。

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昭和6年(1931)竣工。この建物には伊東忠太は関与していないと思われる。

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腰壁には校舎の外壁と同じ色のスクラッチタイルが矢筈状に貼られている。

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側面には赤い門燈を備えた車庫状の出入り口がある。
自衛消防のポンプでも置いていたのかも知れない。

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もう片方の側面にはベイウインドウがある。

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引き続き、国立キャンパスのシンボル、兼松講堂と図書館を紹介させて頂く予定。

次回につづく。

第517回・旧横浜市外電話局

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旧横浜市外電話局は昭和4年(1929)竣工で、横浜における震災復興建築群のひとつである。
建物の一角にさりげなくはめ込まれた時計がチャームポイント。

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現在は隣接する旧横浜商工奨励館(同じ昭和4年竣工)と共に、建物の大半を保存した上で、新たに建てられた高層棟と一体化している。旧横浜市外電話局の部分は現在、横浜都市発展記念館として利用されている。

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横浜都市発展記念館は近代横浜の歩みを紹介しているほか、関連するテーマで種々の企画展が催されており、近代建築関連の展示も時折行われている。
http://www.tohatsu.city.yokohama.jp/

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右手前が旧横浜商工奨励館。

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外壁は紫がかった茶褐色のタイル張り。

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背面から。

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階段室の窓。

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新築工事中に関東大震災に遭遇、外郭まで出来ていたものの全焼したため、取り壊して設計からやり直し、現在の建物になった。設計は逓信省営繕課。

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さて、冒頭の写真の時計だが、

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一階、玄関側外壁の隅にある。

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神戸・塩屋の旧ジョネス邸が存続の危機

今回はいつもと異なる記事ですが、どうか御容赦願います。

弊ブログ第127回(平成22年6月18日付)で紹介した神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸が目下存続の危機にあることが分かりました。

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神戸新聞の報道(平成25年1月23日付)
「大正時代に建築され、神戸市垂水区の塩屋地区を代表する洋館旧ジョネス邸件の売却話が持ち上がり、開発業者がマンション開発を視野に調整を進めている。和洋折衷の意匠が随所に取り入れられた同邸は、外国人の別荘地だった塩屋のたたずまいを残し、兵庫県の近代化遺産に選定された名建築。地元住民や研究者らは保存を呼び掛けている。(大月美佳)
 旧ジョネス邸は木造鉄筋コンクリート造りの2階建て。1919(大正8)年に英国人貿易商フレデリック・モリス・ジョネス氏が私邸として建築した。オーストラリア国立大学の田村恵子客員研究員によると、元は約400メートル東に建てられ、太平洋戦争中にジョネス氏の顧問弁護士だった山田作之助さん(故人)に売却されたという。
 塩屋地区では旧国鉄の拡幅工事に伴い、海岸沿いの洋館の多くが解体されたが、同邸は山田さんの強い意向で63(昭和38)年に現在地に移築された。山田さんは、同邸周辺でのマンション建設反対運動の旗振り役でもあった。
 旧ジョネス邸を調査した神戸芸術工科大の坂本勝比古名誉教授(建築史)によると、屋根には欄干が設置され、形状も反りがあるなど和風建築の技術が施されているのが特徴的。内装は直線を生かした斬新なデザインで「和の要素を加味した意匠が独特で貴重な洋館。塩屋の海岸沿いの景観にとっても重要な意味がある」と話す。
 売却話が地元に伝わったのは昨年10月ごろ。地元住民でつくる「塩屋まちづくり推進会」は「古くからの記憶をとどめるかけがえのない地域資源。残してほしい」と保存を求める嘆願書を所有者に送付。地元の建築家らも塩屋のまちづくりの取り組みや、歴史的建築物の改修事例を紹介する資料を送った。
 また神戸市文化財課は「塩屋を代表する歴史的建造物」として、所有者に申し入れて調査を行っている。しかし、建物などの購入は財政的に難しいという。
 ジョネス氏の長男森井英孝さん(75)=西宮市=は「祖父、父と暮らした私の生家で、価値も認められてきた建物なので残念だが、仕方がない」と話している。
 一方、開発業者は「購入を前提に手続きを進め、マンション開発を検討している」とし、所有者の男性(東京都)は「個人財産なのでコメントは控える」と話す。」
(以上、引用終了)

 ブログ管理人が調べたところによると、旧ジョネス邸の二代目所有者であった山田作之助氏は、神戸地裁・最高裁判事も務めた方で、旧神戸地方裁判所庁舎の保存を主張されるなど、近代洋風建築の保存について相当見識のあった方のようです。だからこそ自邸も移築までして保存されたのでしょう。
 マンション開発反対の旗振り役であった方の邸宅が、マンション開発の犠牲になろうとしているのは皮肉としか言いようがありません。
 旧ジョネス邸の建つ神戸市垂水区塩屋には、いずれも弊ブログで紹介した、同様に取り壊しの危機にあったものを地元の方の篤志で購入、保存されることになった旧グッゲンハイム邸、最近結婚式場として再生された旧ジェームス邸、修復が進められている尖塔のある洋館など、取り壊しの危機を免れ、再生されつつある運の強い建物が多く存在します。旧国鉄の拡幅、阪神大震災といずれの危機も乗り越えた旧ジョネス邸に、再び強運が訪れることを願うばかりです。

塩屋は海と山に挟まれた中に、古い素敵な家が点在し、落ち着いた雰囲気があり、ブログ管理人は訪れる度にいつも非常に魅力的な町だと感じていました。旧ジョネス邸については地元でも憂慮される方は多くおられるようです。
http://shioyamachisui.blog57.fc2.com/blog-entry-82.html

この塩屋の町の良さが損なわれないためにも、旧ジョネス邸の存続を祈念するものです。

最後に以下、弊ブログ第127回(平成22年6月18日付)記事を再掲します。

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神戸の西郊・塩屋に残る洋館のひとつ。英国人ジョネス氏の邸宅として大正8年(1919)に建てられた。
弊ブログ第120回で取り上げた旧グッゲンハイム邸の近くにあり、山陽本線を挟んで200米程度しか離れていない。

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現在はJR山陽本線塩屋駅前の海岸べりに建っているが元々は現在地より500米程東側にあった。

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昭和38年に山揚本線の拡幅により現在地に移築された。現在は山田氏邸となっている。

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反りのある屋根や付け柱の柱頭など、中国風や日本風が入り混じった意匠の洋館である。
内装も外観同様、洋風と和風が混じったものらしい。

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玄関ポーチ。近年まで和風の欄干が上部にあったが今は無い。

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よく見ると両側の付柱に欄干の痕跡が見える。

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神戸の西郊、須磨・塩屋・垂水・舞子の海岸べりにはかつて内外人の別荘として建てられた凝った造りの洋館・日本家屋が多数あったが、現在ではこの旧ジョネス邸を含め数件程度を残すのみである。

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近年は傷みが激しくなっており将来が案じられるが、残って欲しい洋館である。

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JR塩屋駅のホームから撮影。

第516回・大丸百貨店心斎橋店

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大阪を代表する老舗百貨店である大丸の心斎橋店本館は、現存する百貨店建築の中でも、最もすばらしいものと言ってよいと思う。米国人建築家ヴォーリズの設計による重厚かつ華麗な内外装が特徴。

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大丸心斎橋店本館は、江戸時代から商店街として栄えていた心斎橋筋と、昭和12年に拡幅工事が完成した御堂筋に挟まれた区画に建っている。大正14年(1925)に心斎橋筋側、昭和8年(1933)に御堂筋側が完成し全館完成に至った。写真は御堂筋側からみた全景。

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かつては隣接するモダンデザインのそごう百貨店(昭和10年竣工、村野藤吾設計)と共に心斎橋に偉観を誇っていた。今は大丸だけが変わらない姿を止める。

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大丸は享保2年(1717)に京都で創業、同11年には大坂心斎橋に進出、現在はこの心斎橋店が本店である。  その後明治末から大正にかけて、大丸創業家である下村家の当主・11代目下村正太郎(1883~1944)によって、東京の三越、名古屋の松坂屋に続き、旧来の呉服店から西欧式のデパートメントストアへの転身に成功する。

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設計者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)はこの心斎橋店のほか、京都店の設計も行っている。(昭和3年竣工)この建物も現存するが、残念ながら正面は大幅な改装を受け当初の面影はない。側面と内装の一部に往時の形を残すだけである。また下村家の邸宅も設計している(大丸ヴィラとして現存する)

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他にも神戸では、同じくヴォーリズ設計による旧紐育ナショナルシティ銀行神戸支店の建物を改装して神戸店の店舗の一部として活用している。(以前の記事もご参照頂きたい)

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心斎橋店の外観は、御堂筋側と心斎橋筋側で外観が大きく異なる。写真右奥、外壁の石張り部分の高さが異なるのが分かる。

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心斎橋に面した側は大正14年の竣工。御堂筋側に比べるとシンプルな外観である。
ただし現在はアーケードで3階より上は見えない。

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但し玄関だけは一転して、華麗な孔雀の巨大なレリーフが目を引く。

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孔雀は大丸のシンボルとして使われている。

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昭和20年3月の大阪大空襲では周囲は火の海となり、大丸も上層階の内部が焼失する。隣接するそごう百貨店は被災を免れたが敗戦後これが却って災いとなったのか、米軍に接収される。接収を免れた大丸は戦後建物を修復、百貨店としていち早く再開することができた。

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平成に入り、両百貨店の建物は再び明暗を分ける。経営破綻したそごうは再建に際し本店の改築を決定、近代建築史上の傑作とされた建物は跡形もなく消えた。しかし新店舗竣工後もその効果は一過性に過ぎず、そごうは心斎橋本店を閉鎖、現在建物は大丸の別館となっている。

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御堂筋に面した側の玄関は、心斎橋筋側とは全く異なる趣を見せている。1930年代の最先端の建築デザインであるアールデコの装飾が濃密に施されている。

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ワシとペリカン。

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ワシの下のレリーフ。
こちらにも孔雀がいた。

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ブロンズ製のランタン。

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石のランタン。ネオゴシック様式。

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3階から6階までの外壁は茶褐色のスクラッチタイルを貼って重厚に仕上げる。
窓と窓の間は市松模様にタイルを貼っており、芸が細かい。

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切紙細工のような装飾。

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美しい幾何学装飾の世界。

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黒塗りの重厚な正面扉の内部は金色。

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風除室の天井にも広がる幾何学装飾。

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写真撮影ができないので写真は無いが、内部は一階を中心に華麗な空間が広がる。
今はないが、かつては東京の三越本店のような壮大な吹き抜けのホールもあった。

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大丸は歴史的建造物である心斎橋店について、建物を積極的に宣伝している。
大丸心斎橋店のホームページ

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ゆくゆくは高島屋日本橋店のように、重要文化財に指定されるとよいのだが。

第515回・旧高嶋平介邸(甲南漬資料館)

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神戸市東灘区、阪神新在家駅の近くに残る昭和5年(1930)竣工の邸宅。
当地で甲南漬の製造販売を行う、高嶋平介商店の社長自邸兼帳場として建てられた。

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資料館に展示されている本宅建設工事中の古写真。左手前の建物は本店、右手前は敷地内で営んでいた郵便局。初代高嶋平介は明治3年に当地で焼酎の製造を始め、その後味醂の醸造に続き、明治37年からは甲南漬の製造販売を行っている。現在残る建物は二代目高嶋平介によって建てられた。

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同じく資料館に展示されている、高嶋平介商店鳥瞰図。
伝統的な商家の造りの本店と蔵の奥にはモダンな鉄筋コンクリート造の本宅、その横には書院座敷を備えていた。その後昭和末期より本店の建物は甲南漬資料館として改装・公開されていた。

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平成7年の阪神大震災では、本宅以外の建物は全て失われてしまった。
倒壊した旧本店から取り出した資料を旧本宅に移して甲南漬資料館は翌年再開、現在は旧本店等の跡地に食事処や売店を建設し「こうべ甲南武庫の郷」となっている。なお、旧本宅は平成22年に国登録有形文化財となった。

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外観を最も印象付けるのがパラボラアーチを描く塔屋。ドイツで興った表現主義建築の影響が表れている。

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設計は神戸市の初代営繕課長を務め、その後設計事務所を開いていた清水栄二(1895~1964)。
神戸市内には旧高嶋邸のほか、御影公会堂や旧神戸市生糸検査所庁舎など、同氏の設計による建物が今も残っている。

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三角形に張り出した窓は、階段室の窓である。

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外観は全体にわたって水平線を強調している。神戸市内に残る近代の邸宅建築では珍しいモダンデザインの邸宅である。

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特徴的な庇を持つ玄関。

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玄関内部の噴泉。

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噴泉の吐き出し口。

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噴泉前の色鮮やかなモザイクタイル。

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玄関ホールと廊下を仕切るアールデコ風の飾り格子。

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廊下。

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建物北側にある階段。階段は玄関ホールにもあり、こちらは来客用と思われるので写真の階段は家族用、または使用人用と思われる。

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階段親柱は外観塔屋と同じくパラボラアーチが見られる。

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玄関脇にある応接間の暖炉。
ここにもアールデコの飾り格子が見られる。

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暖炉上部の鏡飾り。

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応接間の照明。

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応接間は濃密な意匠に加え、家具調度に至るまで昭和初期の雰囲気を良く残しており、建築好きには最も見応えのある部屋。

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客用浴室もバスタブ等古いものが残されている。

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日本座敷もある。別棟になっていた書院座敷は震災で倒潰してしまったが、本宅にくっつくような形で作られていた三間続きの座敷は倒潰を免れ、現在は食事処「平介茶屋」として活用されている。

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床の間。

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縁側。

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旧高嶋邸の周囲で往時の姿を残しているのは座敷に面した庭園だけである。
手前が旧書院跡。現在は平介茶屋の厨房として使われている建物が建てられている。

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震災の被害が甚だしかったこの界隈において、旧高嶋邸は以前紹介した旧木村酒造と並び、この界隈での醸造業の歴史を伝える数少ない建物である。

第514回・旧大阪毎日新聞京都支局(1928ビル)

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京都・三条通に現存する近代建築でこれまで紹介したものは銀行や郵便局、保険会社であったが、三条通は戦前、新聞社も多く存在した。今回紹介する建物は大阪毎日新聞(現毎日新聞)の京都支局として、昭和3年(1928)に建てられた。

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遠景。現在の三条通はファッションビルなどが多く建ち並び、いつ行っても人通りが多い。

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全景。設計は当時、京都帝大建築学科主任教授であった武田五一。

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平成11年まで毎日新聞京都支局として使われていたが、現在は建築家の若林広幸氏が毎日新聞社より建物を購入、自らの設計事務所を置くと同時にテナントビルとして使用されている。

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大阪毎日新聞社の社章をあしらった星形の飾り窓。

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バルコニーの形状も同じ発想に基づくものと思われる。

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側面の通用口。

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小さな円形窓。

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毎日支局時代から演劇公演や講演会等、広く市民に利用され親しまれてきた3階のホールは、現在もイベント用に貸し出されている。

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現在も新聞社であった頃と同様、多くの人が出入りしている。

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京都市登録有形文化財に登録されている。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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