第574回・清洲橋

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前回紹介した永代橋の上流にある清洲橋は、力強い印象を与える永代橋とは対照的な、優美なデザインの吊り橋である。永代橋が「帝都東京の門」と称されたのに対し、清洲橋は「震災復興の華」と称された。昭和3年(1928)の竣工。国指定重要文化財。

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江戸時代からの歴史がある永代橋とは異なり、清洲橋は震災復興事業で初めて架けられた橋である。
名称は公募により、両岸の地名(深川区清住町・日本橋区中洲町)から一字づつ取って付けられた。

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東京市復興局が施工主体となり鈴木精一設計、また永代橋と同様にデザイン面で建築家の山口文象が設計に関与している。

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隅田川の震災復興橋梁の多くはドイツの橋梁を手本にしたと言われており、清洲橋については当時ドイツのケルンにあった(第二次大戦で破壊され今はない)ヒンデンブルク橋がモデルであると言われている。

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優美な橋と言われる清洲橋も、近くで見ると武骨で迫力がある。

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特徴的な照明塔。架橋当初の古写真を見ると現在のものとは異なるので、時期は不明だが架橋後の改造によるものと思われる。

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現在の照明は、歩道側と車道側で位置を上下にずらしているが、架橋当初は並行に並べられていたようである。

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堂々とした門のようなアーチ。

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現在では見られない、古い土木構造物ならではの夥しい数のリベット。

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清洲橋は永代橋と同じく、土木学会から平成12年に「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定、また東京都からの東京都選定歴史的建造物選定を経て、平成19年に国から重要文化財に指定されている。
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第573回・永代橋

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東京の隅田川には、関東大震災後の復興事業の一環として大正末から昭和初期に架けられた橋が、現在もその大半が現役である。そのうち3つの橋が国指定重要文化財となっており、中でも最も古いのは大正15年(1926)に竣工した永代橋である。

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永代橋は元禄11年(1698)に、徳川幕府五代将軍・徳川綱吉が五十歳を迎えたことを祝って架けられたとされる。忠臣蔵で知られる赤穂浪士一行が、吉良上野介の首級を挙げて渡った橋である。

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明治に入ると両国橋や新大橋など他の橋と同様に鋼鉄製の橋が架けられるが、この時の橋は床面は木材を張っていたため、大正12年の関東大震災に伴う大火では、橋が炎上して多くの市民が犠牲になった。

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震災の翌年に復興工事に着手、昭和改元直前の大正15年12月20日、震災復興事業による橋梁の第一号として竣工する。

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設計は帝都復興院で復興事業の指揮を執っていた田中豊(1888~1964)が原案を作成している。田中は近代日本の橋梁史上最も著名な橋梁技術者とされる人物。現在も土木学会では、優れた特色を備えた橋梁を顕彰する「田中賞」にその名を残している。

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なお、橋梁のデザインに際して田中豊は、当時逓信省に在籍していた山田守と山口文象など、建築家も加えている。
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随所に見られる特徴的な照明は、建築家の手によるデザインなのかも知れない。

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永代橋は、土木学会からは平成12年に「第一回土木学会選奨土木遺産」に選定されている。

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東京都からは東京都選定歴史的建造物、そして平成19年に国から重要文化財に指定されている。(国重要文化財指定に伴い、東京都選定歴史的建造物の選定は解除された)

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次回は、同じく国指定重要文化財で、永代橋の上流に架かる清洲橋を紹介させて頂く予定。

第572回・聖パウロカトリック教会

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軽井沢町の聖パウロカトリック教会は、昭和10年(1935)に英国人のワード神父によって設立された。現在も現役の教会であるが、観光スポットとしても軽井沢でも指折りの存在になっている。

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旧軽井沢銀座から少し横道に入った場所にある。
設計は、以前紹介した日光・中禅寺湖畔の旧イタリア大使館別荘も設計した、アントニン・レーモンド(1888~1976)。

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レーモンドの出身地は東欧のチェコであるが、その隣国であるスロバキアの山岳地帯の教会堂建築が本教会のデザインの基になっているという。

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そこに加え、一階の深く張り出した庇など、日本の気候風土に合わせたレーモンド独自の工夫が見られる。

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藤森照信氏が自著で「オデンのような」と評した塔。(「信州の西洋館」平成7年 信濃毎日新聞社)

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確かに塔のてっぺんは、串に刺さったおでん。

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軽井沢の地を好んだ堀辰雄や川端康成の小説にも、この教会は登場しているという。

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木造の内部空間がすばらしい。

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パイプオルガンが備えられている入口側を望む。

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結婚式の場としても人気が高い。歌手の吉田拓郎をはじめ有名人の挙式も多い。

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窓のすりガラスの意匠。

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天井の木組み。

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天井から下がる灯具。

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挙式、礼拝が行われていない時は自由に見学できる。

第571回・旧英国総領事館(横浜開港資料館旧館)

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昭和6年(1931)に建てられ、同47年まで在横浜英国総領事館として使われていた建物。
現在は横浜開港資料館旧館となっている。横浜市指定有形文化財。

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「キングの塔」で知られる神奈川県庁本庁舎の向かいに、控え目な感じで建っている旧英国総領事館。

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設計は英国工務省。建設資材も英国から取り寄せたものが使われているという。
細かく区切られた、白塗りの窓サッシが美しい。

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設計は英国人であるが、施工は日本人が手掛けているという。

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海岸通に面した正面。現在は前に新館が建っているので、中庭に面したような形になっているが、本来はこちらが正面であった。

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全体的に英国らしい、質実簡素な印象の建物だが、正面玄関まわりは凝った造りになっている。

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この地は、かつて嘉永7年(1854)に日米和親条約が締結された場所である。その後英国総領事館の敷地となったが関東大震災で倒壊。再建されたのが現在残る建物である。

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現在は神奈川県庁に面した側が正面に見えるが、こちらは通用口。

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内部も床や壁のタイル等旧状をよく残している。

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現在この建物に入っている横浜開港資料館では、開港後の横浜の歴史資料を収集・公開している。

第570回・片倉館

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長野県諏訪市の諏訪湖東岸にある温泉施設「片倉館」は、昭和3年(1928)に当諏訪湖周辺を本拠に製糸事業を営み、片倉財閥を築いた二代目片倉兼太郎(1863~1934)が片倉製糸の創立50周年記念事業に、従業員及び地域住民のための福利厚生施設として、私財を投じて建てたものである。国指定重要文化財。

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館内に展示されている、創建間もない昭和初期の古写真。右の塔のある建物が浴場、左手の建物が畳敷きの大広間などを備えた会館。両者は渡廊下で連結されている。

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諏訪湖上からみた片倉館。上の写真と同じく、片倉館の中に展示されている昭和初期の古写真。

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諏訪湖畔から望む現在の片倉館。
設計は、台湾総督府営繕課で台中州庁専売局庁舎など台湾の主な公共建築を設計した森山松之助(1869~1949)。

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片倉館に隣接して建っていた片倉家別邸の洋館及び日本座敷は、現在諏訪湖ホテルの一部(迎賓館)として保存再利用されている。片倉館と同じく森山松之助の設計により、昭和3年に竣工。

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同じく片倉館に隣接して建っている旧懐古館。片倉館の付属施設として、片倉製糸によって昭和18年(1943)に建てられ、蚕糸業の歴史に関わる展示などを行っていた。現在は諏訪市美術館となっている。
旧片倉家別邸・旧懐古館は共に国登録有形文化財となっている。

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会館棟正面。

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外観とは裏腹に内部は殆どが畳敷きの和室になっている。構造も木造。

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車寄せ。

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会館正面のレリーフ。鳩がいる。

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会館の内部には和洋2タイプの個室、及び大広間がある。
利用者の娯楽や休憩、文化事業の場として、創建当初から現在に至るまで使われている。

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浴場棟。こちらは鉄筋コンクリート造。

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浴場棟正面のレリーフ装飾。

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階段室の窓。

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尖塔と大きな切妻屋根が特徴。湖畔に映る姿を強く意識してデザインされたようである。

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内部。
格調高い造りに似合わず(?)、湯上がり客の為の飲料ケースや衣料の吊るし売りがあったりして、気取らない雰囲気の入浴施設となっている。

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階段室。

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内側からみた階段室の窓。

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浴場棟二階の休憩室は食事処になっており、食事だけの利用もできる。

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休憩室の柱の装飾。

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製糸業が廃れた現在、会社従業員の福利厚生施設としての役目は終えたが、片倉館は現在も地元住民に親しまれているほか、日帰り入浴専用の温泉施設として諏訪湖周辺の観光名所のひとつになっている。

第569回・東華菜館(旧矢尾政レストラン)

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京都・四條大橋の袂に、先日紹介した南座と鴨川を挟んで向かい合って建つクリーム色の洋館がある。
現在は中華料理店「東華菜館」の本店として使われているが、元々は「矢尾政」という名のビアレストランである。大正15年(1926)の竣工。

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当初この建物に入っていたレストラン「矢尾政」は、明治時代に京都市内で創業した料理店で、明治末からは西洋料理を扱っていた。

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二代目店主の浅井安次郎氏は、明治末期より各地でビアホールが人気を博していたことから新しいビアレストランの建設を計画し、大正15年に現在の建物が完成、店は評判になりビアホールは繁盛したという。

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昭和16年に日本が大東亜戦争に突入し、食糧事情の悪化が深刻になった戦争末期には各地のデパートやビアホールが雑炊食堂に変わり、高級料理店などは全て休業を命じられるようになる。そのような状況下、矢尾政レストランも店舗の存続が困難になり、店は閉鎖された。

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終戦後間もない昭和20年の暮れに、浅井氏の友人で建物を託されていた中国人料理人・于永善氏により、現在の中華料理店「東華菜館」が創業、現在に至る。

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建物の設計は、関西を中心に活躍していた米国人建築家のW・M・ヴォーリズ(1880~1964)。

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住宅や教会、教育施設の設計が多いヴォーリズの建築の中では、商業建築は珍しい。同じくヴォーリズ設計の商業建築である大阪の大丸心斎橋店と同様、内外装には濃厚な装飾が施されている。

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スペイン風を基調に、過剰気味な装飾が施されたスパニッシュバロック様式。
スパニッシュ様式の建築はこの時期の邸宅などに多く見られるが、スパニッシュバロックは珍しい。

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高瀬川側に面した背面。

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エレベーターの機械室を利用して設けられている塔屋。基壇部分にエレベーターの機械を納めているという。

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モザイクタイルで彩った小ドームを戴く。モザイクタイルで飾ったドームは、静岡市庁舎など他のスペイン風建築でも見られる。

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正面玄関まわりはテラコッタで賑やかに飾っている。

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レストランであるためか、山羊の頭に魚やホタテ貝などの動物の装飾が組み入れられている。また玄関内部の風除室上部には、一対のタコがレリーフとなっている。

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東華菜館で有名なのが、現役で人を乗せて稼働するものとしては日本最古とされているエレベーター。大正13年(1924)米国OTIS社製で、運転手が操作して昇降させる手動式。

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4階客席。もとは宴会場として作られた大広間。

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照明器具が中華風に変わっている点を除けば、天井や壁の装飾は創建時と殆ど変わらない。

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窓からは南座の大屋根が見える。

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(参考)
東華菜館ホームページ「東華菜館の歴史」

第568回・旧日本勧業銀行松本支店

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長野県松本市の旧日本勧業銀行松本支店は、昭和12年(1937)竣工。
長野県内に現存する戦前の銀行建築の代表格と言える存在。国登録有形文化財。

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竣工当初の姿。上部は現在よりも装飾的であったことが分かる。
設計は日本勧業銀行営繕課。

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現存する旧日本勧業銀行の店舗は弊ブログで以前取り上げた旧本店(現在は千葉市稲毛区に移築)、及び徳島支店、そして台湾の旧台北支店ぐらいで、その数は多くない。

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銀行店舗としては、その後第一勧業銀行松本支店、みずほ銀行松本支店と名称を変えつつ平成15年まで使用されていた。

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店舗統合により土地建物は売却されることとなり、建物は存続の危機を迎えるが保存を求める市民も多かったという。

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最終的には建物はレストラン兼結婚式場の一部として、補強改修の上保存活用されることとなった。平成19年には国登録有形文化財となっている。

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建物を最も特徴づけている、放物線を描いた窓。

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国宝・松本城へ至る道沿いに建つ。

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目立つ建物ではないが、品格が漂う建物である。

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近年の金融機関再編等による店舗統廃合の中で、前回の旧十六銀行徹明支店と同様に取り壊しを免れ、新たな用途を得て再利用された、実に幸運な建物と言える。

第567回・旧十六銀行徹明支店(旧岐阜貯蓄銀行本店)

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岐阜市の中心街に残る数少ない近代建築のひとつがこの旧十六銀行徹明支店。
昭和12年(1937)の竣工。

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設計は大正から昭和初年にかけて第一銀行建築課長として第一銀行本支店の設計を行った西村好時(1886~1961)とされる。第一銀行退職後自らの設計事務所(西村建築事務所)を開いていた時期の作品。施工は竹中工務店。

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建物の前を横切るアーケードについて景観面だけから言えば、以前弊ブログで紹介した浜松市の静岡銀行浜松営業部のように、撤去したほうがよいと思う。(そもそも、このような歩道のアーケードは無いとそんなに不便を生じるのかという疑問はある)

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独立後の西村好時設計による同時期の銀行建築では、台湾の台湾銀行本店などが現存する。
(弊ブログ第533回「台湾の日本統治時代建築(台北編)」で紹介)

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当初この建物を建てた岐阜貯蓄銀行は、以前別記事で参照させて頂いた「銀行変遷史データベース」によれば、明治28年に設立、戦時下の昭和18年に十六銀行に吸収合併されたとある。

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明治10年創立の十六銀行は、岐阜県下最大の地方銀行で、創業以来同一屋号で営業を続ける銀行としては新潟県の第四銀行に次いで古い歴史を有する銀行である。

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以前取り上げた旧久保田外科医院と同様、岐阜市都市景観重要建築物に指定されている。

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銀行店舗としての役目は終えており、平成19年から「じゅうろくてつめいギャラリー」として再利用・解放されている。

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比較的簡素な外観に対し、内部は精緻な装飾のある吹き抜けの天井など、華やかな空間が広がっている。

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銀行店舗の統廃合により、全国各地で銀行店舗の近代建築が解体される事例が多く見られる中で、銀行所有のまま別用途での保全・再利用を図る例は極めて珍しい。高く評価されてよいのではないだろうか。

第566回・旧渡邉千秋邸

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長野県茅野市の蓼科高原山中、蓼科湖を望む場所に建つ明治の洋館。
明治・大正期の官僚・政治家で、宮内大臣などを務めた渡邉千秋(1843~1921)伯爵の邸宅として明治38年(1905)に東京・高輪に建てられた。昭和37年に洋館部分のみ現在地に移築されている。

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旧渡邉千秋邸洋館は、ホテルや企業の保養施設が点在する蓼科高原でも外れと言ってよい奥地にひっそりと建っている。舗装もされていない山中の細い道をしばらく行くと、華麗な洋館が突然現れる。

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高輪にあった当時、洋館は広大な日本館に隣接して建っており、日常生活は全て日本館で営まれていた。洋館は外国人の賓客を招いてのパーティーなど接客専用の建物で、年に数回使う程度であったという。

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戦後、旧渡邉邸の敷地を取得したトヨタ自動車によって洋館のみ現在地に移築、現在までトヨタ記念館として保存している。

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創建当初、左手には壁・天井が総ガラス張りの温室があったが、移築時には既に現存していなかったようである。
温室が描かれた立面図が現存しており、東京都立図書館のホームページで紹介されている。

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渡邉千秋伯爵の生誕地は、蓼科高原から程近い諏訪藩(現長野県岡谷市)である。
但し蓼科高原に旧渡邉邸洋館が移築されたのは、トヨタが蓼科高原の開発に深く関わっていたためで、単なる偶然であったようである。

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洋館の設計は木子幸三郎(1874~1941)。
木子家は代々宮中出入りの棟梁を務めており、父は宮内省内匠寮技師で明治宮殿などを手掛けた木子清敬、また弟は旧久松定謨伯爵邸(萬翠荘)や、愛媛県庁などを設計した木子七郎。

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木子幸三郎は住友財閥の建築部門である住友臨時建築部を経たのち、明治から大正にかけての間宮内省に奉職、高輪プリンスホテルとして今も現存する旧竹田宮邸洋館など、皇室関係の建物を多く手掛けている。

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階段室のステンドグラス。ステンドグラスは階段室を始め各所に用いられており、最初期の日本人制作によるステンドグラスとして知られている。

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現存するハーフチンバースタイルの洋館では、外観・内装ともに最も濃密な意匠が施されており、価値が高い貴重な建築物である。

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なお残念ながら一般公開はしていないので、敷地外から眺めるだけである。

第565回・旧川崎銀行千葉支店

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千葉市の中心街に残る数少ない近代建造物である旧川崎銀行千葉支店は、中央区役所と千葉市美術館が入居している建物に覆われるような形で保存されている。岩手県の中尊寺金色堂と同じく「鞘堂」方式で近代建造物の保存を図った珍しい事例と言える。

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中央区役所・千葉市美術館の全景。平成7年(1995)の竣工。
一見すると、全くの現代建築である。

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下層部の列柱の間を見ると、古典様式の銀行建築が内包されていることが分かる。

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昭和2年(1927)に竣工した旧川崎銀行千葉支店である。
先代の建物が関東大震災で焼失したため再建されたもので、設計は横浜の旧川崎銀行横浜支店や、大阪の旧川崎貯蓄銀行福島出張所など、川崎財閥の建築を多く手掛けた矢部又吉と推測されている。

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千葉市の中心街に残る極めて数少ない近代建築であり、千葉市指定有形文化財となっている。

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正面玄関上部に残る旧川崎銀行のマーク。温泉マークではない。

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獅子の取っ手が付いた正面玄関の鉄扉。

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昭和18年に川崎銀行が三菱銀行に吸収された後は、三菱銀行千葉支店として昭和46年まで使用されていた。
その後千葉市が取得、平成2年まで中央地区市民センターとして使われていた。

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中央区役所と千葉市美術館を新築するに際し検討が重ねられた結果、全国的にも珍しい鞘堂方式での保存が為されることになった。

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この方法では外観はほとんど見えなくなるが、内部空間はそのままの形で、復元や再現ではない、本物を残すことができる。

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2層吹き抜けの旧営業室は細部まで装飾が施されており、格調高く仕上げられている。

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ブロンズでできたギャラリーの柵や円柱の柱頭飾りは、戦時中の金属回収で失われていたので、保存工事に際して復元されたもの。

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彫刻を施した持ち送り。

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床のモザイクタイル。

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扉や窓枠など建具類も古いものがよく残されている。

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現在、この旧営業室は「さや堂ホール」として各種催事に利用されている。

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外壁だけの保存や移築保存、一旦解体した上での復元保存などと同様、このような形の保存も諸々意見のあるところとは思うが、建物自体は本来の場所で、完全な形で保存されていることは喜ばしいことである。
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