神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸保存活動にご協力ください(記事更新)

先日紹介した神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸(大正8年築)の保存運動について改めて一人でも多くの方に知って頂きたく、記事更新の上再掲いたします。

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保存運動に携わっておられる方より以下のコメントを頂戴いたしました。

「藁にもすがる・・・・そんな気持ちで書かせていただいております。
兵庫県神戸市塩屋には、 かつては海沿いにいくつかの異人館がありました。しかし現在は、旧ジョネス邸を残すのみとなっております。
このジョネス邸が、 存亡の危機にあります。(業者はあと1ヶ月という)
マンション業者が、この歴史的にも価値のある屋敷を潰し、高層マンションへ立替えようと計画しております。
昨夜、 保存を訴える塩屋町と穴吹興産との話し合いがありました。
歴史的価値など何になる、”すべては金のため” と言われているように私には聞こえました。
募金活動や、ジョネス邸を維持しながら活用いただける企業等などを探そうとしている矢先、、
1週間後にはモデルルームを作るという穴吹興産は、 広く世間が知り、 保存の火が広がる前に、
ブルドーザーを入れてしまおうとしているのでしょう。 
海とジョネス邸の風景は、 塩屋の住民のみならず、 須磨から明石へと続く、西神戸を巡る旅人の、記憶に残る館であると思います。
全国の古い洋館を愛する方々に、 この事実を知っていただきたいのです。 
”潰してしまえば、 もう何も残りません。”」


旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会 ホームページ
http://jones-shioya.tumblr.com/about_us

同ホームページ内 ジョネス邸内部写真
http://jones-shioya.tumblr.com/photo

保存を求める署名
http://jones-shioya.tumblr.com/signature


時間はありませんが、まだ可能性はあります。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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第592回・旧シェー邸(北野物語館)

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前回に引き続き、神戸市が所有する異人館。
阪神大震災で取り壊されるところを神戸市が取得、現在地に移築したもの。平成21年からはスターバックスコーヒーに貸与されている。国登録有形文文化財。

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明治40年(1907)に米国人M・J・シェー氏の住宅として建てられたという。

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平成7年の阪神大震災で被災するまでは、神戸の有名なパン屋である「フロインドリーブ」の経営者一家の住居になっていた。

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被災後、神戸市が移築を前提に建物の寄贈を受け、解体して部材を保管していたが平成13年にもとの場所から300メートルほど西の現在地に再建された。

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前回紹介した旧ドレウェル邸(ラインの館)の2階には、旧シェー邸の移築に関する資料が展示されている。
写真のような、外壁の色の変遷を示す資料もあった。創建から昭和35年(1960)まではパステル系の塗装で統一されていたことが分かる。

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旧シェー邸に限らず、北野町界隈の異人館は色々な色彩で塗り替えを重ねている。このように変遷が一目で分かる資料は興味深い。

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窓は創建当初は他の異人館と同様上げ下げ窓であったのが、後年の改造で上下2段に分けた引き戸に改変されている。移築に際しても窓は改造後のものとなっている。

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ベイウインドウは一階だけ張り出した形式。二階には二階部分だけが張りだした窓(オーリウェルウィンドウ)があるが、こちらは隣接の建物に面しており、街路からは見づらい。

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サンルーム兼用のベランダ。

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ベランダの真下は玄関ポーチになっている。

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側面。

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背面。

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旧ドレウェル邸でも見られるが、窓の上には細かいギザギザ状の飾りを施した小さな庇がある。

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手軽に喫茶店として利用できる異人館として、観光客を集めている。

第591回・旧ドレウェル邸(ラインの館)

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以前弊ブログにて取り上げた旧トーマス邸(風見鶏の館)旧シャープ邸(萌黄の館)と同じく、神戸市が所有・公開する異人館。大正4年(1915)にフランス人のドレウェル夫人の住居として建てられた。

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異人館を囲う塀として最も一般的であったとされる、ペンキ塗りの木の柵。

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建て主のドレウェル夫人は明治初年の来日当初は大阪に住んでおり、明治9年に大阪造幣寮の御雇外国人であったイタリア人マンチーニ氏と結婚している。

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しかしその後マンチーニ氏と死別したため、再婚してドレウェル夫人となった。
その後長らく神戸に住む。

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この館を建てた時には、来日から半世紀近く経っていたという。

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ドレウェル夫人の後は長らくドイツ人の住居として使われていたという。神戸市が昭和50年代に購入・修理して公開している。

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「ラインの館」の名称は一般公募によるもので、外壁の下見板のラインが鮮明であることから名づけられた。ドイツの地名とは無関係。

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下見板張りペンキ塗りの外壁、鎧戸付きのベイウインドウ、硝子戸を建てこんだベランダ、日本瓦葺きの屋根など、北野町界隈の一般的な異人館の特徴を一通り備えている。

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神戸市所有の異人館では唯一、無料公開されている。

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内部は観光客のための休憩所になっているほか、異人館や神戸関連の資料が展示されている。

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部屋毎に暖炉を備えている。

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階段の親柱と手摺。

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二階階段ホール。

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二階の一室の暖炉。

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硝子戸を入れてサンルームを兼ねた二階ベランダ。

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二階ベランダからは異人館越しに神戸市街が見える。

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明治期に建てられたものが多い神戸の異人館では、比較的新しい年代の建物である。

第590回・タイ王国大使公邸(旧濱口吉右衛門邸)

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東京都品川区上大崎にあるタイ王国大使公邸は、元々は和歌山出身の実業家・十代目濱口吉右衛門(1883~1946)の邸宅として昭和9年(1934)に建てられたものである。昭和18年(1943)にタイ王国大使館となり、現在は大使公邸として使われている。

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和歌山・有田の旧家である濱口一族は、千葉の銚子における醤油醸造等で財を成した家である。濱口吉右衛門は東濱口家の十代目当主である。

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昭和6年に十代目吉右衛門は、電力王として知られる福澤桃介所有の土地を購入、横浜郵船ビルなどの設計で知られる和田顕順(1889~1977)の設計、清水組(現清水建設)の施工で、自邸の建設を開始する。

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昭和7年に着工、2年後の昭和9年に竣工。
建設に際しては、建材や家具調度には美術に造詣の深かったという十代目吉右衛門によって選ばれた、上質の輸入品がふんだんに取り入れられている。

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十代目吉右衛門の姪の一人には、のちに満州国皇帝溥儀の実弟・溥傑夫人となる嵯峨浩(愛新覚羅浩 1914~1987)がいる。

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濱口家で養育を受けた嵯峨浩は、この邸で溥傑と見合いを行い、新婚生活も一時ここで送ったという。
そのため現在も、このとき使われていた中国式の家具調度類が残されている。

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なお、溥傑・浩夫妻がこの邸で過ごしたのは、以前取り上げた千葉市稲毛海岸の家に住む前後のことと思われる。
(弊ブログ第542回記事・愛新覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ)

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大東亜戦争下の昭和18年、タイ王国のディレーク・チャイヤナーム駐日大使が100万円で濱口吉右衛門より購入、タイ王国大使館となる。

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このとき家具調度類も邸宅と共に引き継がれたようである。外国大使館に譲渡したのは戦局の悪化に伴い、当時既に予測されていた米軍の空襲から守るためであったとも考えられる。

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戦災も免れ、昭和27年には隣接して別館を増築、大使館を別館に移して旧濱口邸は大使公邸として使用され、現在に至る。なお大使館は現在建て替え中である。

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現代的なコンクリート打ち放しの新大使館の横で、大使公邸は変わらない佇まいを残している。

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タイ王国大使館のホームページにて大使公邸は詳細に紹介されており、庭園側の外観や、重厚華麗な室内の写真を見ることができる。(本文記事も同ホームページの解説を参考にさせて頂いた)

在京タイ王国大使館 タイ王国大使公邸の紹介ページ

第589回・山縣有朋記念館(旧山縣有朋別邸洋館)

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現在栃木県の矢板市で保存されているこの洋館は、元老・山縣有朋(1838~1922)が神奈川県の小田原に設けた別邸「古希庵」内に建っていた。平安神宮や築地本願寺の設計で知られる伊東忠太の設計で明治42年(1909)竣工。大正12年の関東大震災で倒壊するが、翌年現在地に移転修築され現在に至る。

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庭造りを趣味とした山縣有朋は、京都の庭師・小川治兵衛と京都の無鄰菴など、数多くの名園を生み出したことでも知られる。小田原の別邸である「古希庵」は最後に造った別邸である。大正11年に山縣有朋はここで85歳で生涯を閉じた。

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右手のクリーム色の洋館は、昭和2年に増築された新館。左手が明治42年竣工の小田原から移築された洋館。

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洋館は上下4間のこじんまりした簡素なもの。庭園にはこだわった山縣だが、住居にはこだわらなかったという。

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平成2年から「山縣有朋記念館」として公開されている。
内部も外観同様、ごく簡素なものであるが、二階の応接間には当時使われていた家具調度類がカーテンや絨毯に至るまでよく残されている。

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残念ながら撮影禁止のため、内部は紹介できない。

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外観の見どころは玄関まわりに施されたアールヌーボーの装飾。
扉の下部及び欄間には山縣のイニシャル「A・Y」と漢字の「山」をアレンジした装飾が施されている。

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扉の円の中に施された花の装飾は山縣家の家紋に因むものらしい。

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記念館にはこのベランダから入る。

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新館は2階のみ記念館の展示室として公開されている。一階は現在も林業を営む山縣家の事務所として使用されており、非公開。

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新館も内外共にごく簡素な造りの洋館であるが、小鳥と花をあしらった上品な図柄の階段室ステンドグラスや、中国風の卍飾りを施した階段手摺が見どころ。

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平成2年に栃木県の有形文化財に指定されている。

第588回・京都市美術館

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京都市の岡崎公園にある京都市美術館は、東京府美術館(現東京都美術館)に次ぐ日本で二番目の大規模公立美術館として設立され、昭和8年(1933)に開館した。開館当初から変わらない佇まいで、今年開館80周年を迎えた。

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昭和3年に京都で行われた昭和天皇即位御大典の記念事業として美術館が設立されることとなった。
そのため、当初の名称は「大礼記念京都美術館」であった。

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戦時中まで帝展をはじめとして、常設展や特別展、市展が開催された。

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敗戦後は昭和27年まで米軍に接収される。接収解除後現在の名称に変更された。
戦後は外国美術の展覧会も頻繁に催され、現在に至る。

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昭和初期に多く建てられた、洋風の躯体に和風の屋根を持った帝冠様式建築のひとつである。

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美術館本館の設計者は前田健二郎。弊ブログにて取り上げた同一設計者による建築としては、個人邸の美術品収蔵庫であった三重県津市の千歳文庫がある

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前に建てられた掲示板も本館と同じ意匠で統一されている。

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和風意匠が施された玄関扉。

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内部はイタリア産大理石を多用した華麗な造りになっている。

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正面の大階段。

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玄関ホールのステンドグラス。

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外観と同様、基本的な造りは西洋建築であるが細部意匠は和風で統一されている。

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階段室は二層吹き抜けになっている。

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広々とした二階ホールはステンドグラスを嵌め込んだ格天井が美しい。

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二階ホール格天井のステンドグラス詳細。

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中庭に面した半円形の階段室。

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戦前に建てられた大規模公立美術館の建物では、先述の東京府美術館は現存しないが、この京都市美術館と少し遅れて建てられた大阪市立美術館(昭和11年)が健在である。

第587回・神戸回教寺院(神戸ムスリムモスク)

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神戸の異人館街の一角、神戸市中央区中山手通にある神戸回教寺院(神戸ムスリムモスク)は、日本で最初に建てられたモスクとされている。昭和10年(1935)竣工。

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大正末期から第二次大戦前まで日本で活動していたチェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガー(1885~1969)の設計。

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大ドームが縞模様を描いているのは、銅板が部分的に葺き替えられたためである。

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第一次大戦後、神戸在住のイスラム教徒が増加したことからモスク建設の動きが起こり、昭和に入ると計画は具現化する。建設資金は在神インド人、トルコ人、タタール人、シリア人らが拠出した。

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昭和9年、行政による建設の認可が下りると、施工を請け負った竹中工務店によって工事に着手、翌昭和10年に竣工した。献堂式の後は、近くのトーア・ホテルで神戸市長や各国領事を来賓に招き祝賀会が開かれたという。

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大東亜戦争下には海軍に接収されている。そして戦争末期、神戸に対する最初の大規模爆撃となった昭和20年3月17日の空襲では、周囲の異人館など多くの家屋が焼失するが回教寺院は焼失を免れた。

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平成7年の阪神大震災では、同じ山手界隈に建ち、戦災にも生き残った神戸栄光教会や中山手カトリック教会などの宗教施設が大破、取り壊しを余儀なくされたが、回教寺院は震災でも生き残った。

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今では神戸市内に残る数少ない、戦前建築の宗教施設である。

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Wikipediaの解説にもあるが、建物の前を電線が入り組んで走り、周囲の景観は悪い。

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神戸回教寺院は、明治以来国際色豊かであった神戸の歴史の証人とも言える存在である。

第586回・島津創業記念資料館

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京都市中京区木屋町二条にある島津創業記念資料館は、京都に本社を置く島津製作所が創業100周年に当たる昭和50年(1975)に、旧本店であり創業者である島津源蔵の住居であった建物を改装して開館したものである。

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現在残る建物は明治21年(1888)及び明治27年(1894)の建設で、国の登録有形文化財である。
大正8年(1919)まで本店として使われていた。

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資料館内に展示されている本店として使われていた当時の写真。手前の二棟が現在残る建物。
一番奥の建物が創業当初の建物であるが、本店移転後の大正9年に取り壊されたとのことである。

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現在の姿。二階の外壁は後年に改装されたことが分かる。

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明治27年にに商品陳列室及び住居として建てられた部分。

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明治21年に店舗兼商品陳列室として建てられた部分。

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島津製作所創業の地である木屋町二条は、明治の初め新政府によって設置された舎密局など、欧米の最新技術を導入した実験所や工場などが置かれ、京都における近代科学発祥の地である。

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記念館の入口。
なお建物内部は、住居の一部以外は外観からは想像できないくらい現代的に改装されている。

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こちらも館内に展示されている古写真。商品陳列室棟の二階の外壁が現在と同じ形になっている他、上部にステンドグラスを入れたショーウインドウがあったことが分かる。

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同じ角度から見た現在の姿。ステンドグラスは現在もそのまま残されている。

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内部から見たステンドグラス。

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資料館の解説版によると、このステンドグラスが入れられたのは明治27年の創建当初か、大正4年(1915)の大正天皇即位の御大典のときと考えられているという。

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制作者は、日本におけるステンドグラス制作の祖である宇野澤辰雄(1894~1910)によるとの伝えがあるようだ。(但し大正の御大典の時に入れられていたのであれば、宇野澤辰雄は既に死去しているのでこの説はありえない)

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ステンドグラスの図柄には、桜の花と葉で「日本」の文字が隠されているとのことだが・・・・

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内部は全面的に改装されているが、一部昔の姿でそのまま残されているのが島津源蔵の居室。

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建物の紹介ばかりしたが、展示も大変充実している企業博物館である。
入館料も300円と安い。

島津創業記念資料館ホームページ
http://www.shimadzu.co.jp/visionary/memorial-hall/information/

第585回・旧松方正義別邸「萬歳閣」

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栃木県の那須野ヶ原は明治以降、新政府の要人達によって農地または牧場として開発が進められた。
そのひとつが、近代日本の財政基盤を築いた元老として知られる松方正義(1835~1924)によって拓かれた千本松農場である。その一角には松方の別邸として建てられた洋館が今も残されている。

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農場は昭和初年に松方家の手を離れ、現在は千本松牧場として那須の観光名所のひとつになっている。

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但し洋館は今も松方家の別邸として現役で使われている。

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建物の由来が記された解説版も置かれている。解説版の古写真を見ると奥に洋館が見える。
農場では羊の放牧を行っていたため、羊の群れが写っている。

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洋館は明治36年(1903)に建てられた。背後にはかつて日本館があったらしいが、現在は新しい建物に建て替えられている。

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一階の外壁を石積みとして重厚さを醸し出している反面、車寄せは細い鉄柱で支える軽快なデザインとしている。

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「萬歳閣(ばんざいかく)」の由来は、日露戦争中の明治37年9月、塩原の御用邸から松方別邸を訪問されていた東宮殿下(のちの大正天皇)と共に日本軍による遼陽陥落の報に接し、一同が万歳を唱え、祝杯を挙げたことによるという。

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南面は1・2階共に硝子戸を入れたベランダ兼サンルームとする。

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新緑との取り合わせもいいが、紅葉の時期もすばらしいようだ。

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那須周辺で現存する明治政府要人の別邸では、松方別邸の他に、以前紹介した旧青木周蔵別邸などがある。

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現役の別荘なので敷地内への立ち入りは出来ないが、前の道路から柵越しに外観は見学できる。

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第584回・旧長野地方裁判所松本支部庁舎

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旧長野地方裁判所松本支部庁舎は、現存する数少ない、明治期建設で和風意匠の裁判所庁舎である。
赤煉瓦の正門との取り合わせが美しいこの庁舎は、長野県の県宝に指定されている。

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現在は松本市の郊外に移築保存されている旧長野地方裁判所松本支部庁舎。

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長野地方裁判所松本支部庁舎は、明治41年(1908)に松本城二の丸御殿跡に建てられた。
昭和50年に役目を終え取り壊しが決定するが、市民による保存運動の結果、昭和57年に現在地への移築保存が実現した。

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移築費用の4割は保存を望む市民の寄付で賄われたという。

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昭和60年に庁舎が県宝に指定され、平成22年には庁舎と同時に移築されていた煉瓦造の門と塀、木造の掲示板も県宝に追加指定されている。

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戦前の裁判所庁舎は、東京に置かれた大審院(現在の最高裁)、また大阪や横浜、神戸など主要都市の控訴院(現在の高裁)・地方裁判所庁舎は洋風建築であったが、その他の控訴院・地方裁判所の庁舎はは和風木造が主であった。(弊ブログ第300回・旧名古屋控訴院庁舎の記事もご参照頂きたい)

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外観は和風意匠を採るが、赤煉瓦の門と塀を持ち、庁舎も左右対称の外観や伝統建築には存在しない洋館風の屋根窓を付けるなど、洋風の味付けが濃い和風建築と言える。

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平成13年まで財団法人日本司法博物館が司法博物館として運営していたが、同法人の解散により、松本市が取得して再整備、翌14年より松本市立博物館分館「松本市歴史の里」として再出発した。

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庁舎の中央、正面玄関には車寄せを張り出す。

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窓はすべて和風の引き戸になっているが、正面玄関の扉は洋風の開き戸になっている。

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玄関内部。受付の小窓が見える。

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小規模だが玄関の正面には階段を配して、威厳を強調する。

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玄関天井の照明台座と換気口。換気口のデザインは桜を象っている。

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地裁支部法廷。庁舎正面向かって左側に地裁支部法廷、右側に区裁判所(帝国憲法下の司法制度において軽微な事件の第一審を取り扱った裁判所)法廷を配していた。

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地裁支部法廷脇の通路。

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庁舎の中央を横切る廊下。

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旧応接室。隣接して会議室・判事室があった。
床はリノリウム(天然素材で作られた床材で、塩化ビニルに取って代わられるまでは床材の主流であった)貼りである。

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区裁判所法廷。
法廷などの主要室の天井は全て格天井になっている。

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地方の和風裁判所庁舎で今も現存するのは、この旧長野地方裁判所松本支部のほか、兵庫県の旧篠山地方裁判所庁舎など、ごくわずかである。

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松本市歴史の里にはこの建物の他、長野県下から移築された歴史的建造物が4棟保存・公開されている。

(参考)松本市歴史の里ホームページ

第583回・旧黒磯銀行(高木会館)

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栃木県那須塩原市、JR東北本線黒磯駅の近くに建つ大正期の銀行建築。石造の重厚な外観が特徴的。
大正7年(1918)の創建とされる。(但し建物の前にある解説版では大正5年(1916)とある)
国登録有形文化財。

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黒磯銀行は大正7年に黒磯の事業家であった高木慶三郎氏によって設立されたが昭和10年に廃業、その後は高木興産(株)社屋、昭和25年からは高木会館となっている。

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正面中央の上部には黒磯銀行の社章を配している。

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粗い石積みが特徴的な正面の外壁には芦野石を積み上げている。

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芦野石は那須の芦野から福島県境までの一帯で採掘される安山岩である。

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黒磯駅周辺は明治以降度々大火に見舞われ、昭和6年の大火では周辺の建物の多くが焼失したが黒磯銀行は難を免れたという。

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芦野石が用いられているのは正面だけで、側面及び背面は大谷石が使われている。大谷石は栃木県など北関東を中心に蔵の建材として多く使用されている。

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洋風に造られているのは正面だけで、背後から見ると伝統的な石造の蔵と変わるところは殆どない。

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背面の切妻には「TAKAKI」の文字と屋号が刻まれているのが分かる。

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内部も天井などに当初の面影をよく残す。

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現在建物は、「カフェ ド グランボワ」という名のカフェになっており、食事もできる。

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現存する石造りの洋館としては、以前取り上げた北海道旭川市の旧宮北邸洋館や兵庫県芦屋市の旧逸見銀行などと共に個人的には好きな建物である。

第582回・旧池長孟邸(紅塵荘)

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前回紹介した旧池長美術館(南蛮美術館、現神戸市文書館)の創立者である池長孟の自邸。
美術館より少し東側にあたる神戸市中央区野崎通4丁目に建っている。現在は春日野会病院の施設として使用されている。昭和3年(1928)竣工。設計は美術館と同じく小川安一郎。

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全景。鉄筋コンクリート造地上3階、地下1階建。
大正末期から昭和戦前にかけ阪神間の邸宅で流行したスパニッシュ風の洋館。

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創建当時、邸宅からは海岸沿いにある神戸製鋼所を眼下に見下ろすことができた。「紅塵荘」の名は、その煙突から吹き上がる煙の色から池長孟が命名したという。

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随所にステンドグラスが用いられている。

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美術館は飾り格子に趣向を凝らしていたが、邸宅でも凝った飾り格子が見られる。

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邸宅の楼上ではダンスパーティーが開かれ、池長孟と交友のあった谷崎潤一郎や、水谷八重子など著名人も多く集まったという。

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病院に転用された邸宅というのも珍しい。敗戦直後の昭和21年、病院として使える建物を探していた外科医の劉四朗氏が購入、それ以来現在の春日野会病院に至るまで、一貫して医療施設として使われている。

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紅塵荘の建築を機に池長は邸内に飾るための古美術品収集を始めるようになった。それがのちに生涯をかけた南蛮美術の収集に発展してゆく。

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夫人と死別していた池長は当時、淀川富子という女性と同居していた。この邸宅は二人で過ごすために建てられたという。なお淀川富子は、池長と同じ神戸市兵庫区出身の映画評論家・淀川長治の姉である。

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ただし二人の同居生活は長続きしなかったようである。
春日野会病院ホームページ「紅塵荘について」に詳しい記事がある。

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なお、池長は兵庫区の旧宅から紅塵荘に転居したが、その後昭和13年に美術館が竣工すると、併せて建てられた付属の住宅に再び転居している。しかし紅塵荘はその後も引き続き所有しているので、迎賓館的に使っていたのかも知れない。 

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敗戦後の昭和21年、財産税納付のため紅塵荘を売却している。莫大な課税によりコレクションの維持に苦心したのは前回記事に記したとおりである。

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コレクションが納税のための切り売りによって散逸することを防ぐため、神戸市に美術館ごと譲渡したことにより再び転居を余儀なくされる。その後昭和30年、池長孟は東灘区本山町の侘び住まいにて生涯を閉じた。

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紅塵荘は旧池長美術館と共に、往年の栄華を今に伝えている。


(参考資料)
春日野会病院ホームページ「紅塵荘について」
池長孟については前回と同じく「特別展 南蛮堂コレクションと池長孟」より。

第581回・旧池長美術館(旧南蛮美術館、現神戸市文書館)

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前回に引き続き、戦前に建てられた私設美術館の建物を取り上げる。
新幹線の新神戸駅に近い神戸市中央区熊内(くもち)町にある、現在神戸市文書館として使われている建物は、地元の素封家にして南蛮美術の収集家であった池長孟(いけなが はじめ 1891~1955)が私財を投じ、自らのコレクションを展示公開する「池長美術館」として建てたものである。

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昭和13年(1938)に竣工した旧池長美術館の建物全景。アールデコ風のモダンな外観が特徴。
一見シンプルなようで、細部まで凝った装飾が施されている。

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建物の正面向かって左手にある、門柱のような工作物も当初からのものと思われる。

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細部装飾に至るまで創建当初からの形をよく残している。
建物の正面外壁、右上の3本線が引かれたところには創建当初「IQENAGA ART MUSIUM」の文字があった。

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この美術館を作った池長孟は、兵庫(現在の神戸市兵庫区)の旧家の当主であったが昭和に入って間もない頃より、歴史の教科書で御馴染みのザビエル像や、南蛮屏風など、南蛮美術の収集に情熱を傾けた。

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南蛮美術の収集の他、植物学者の牧野富太郎のパトロンとなって研究を支援したり、育英商業学校(現・育英高等学校)の校長を20年に亘って務めたりしている。

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美術館の建物は昭和13年に竣工するが、一般公開は2年後の昭和15年から始められている。戦時下も昭和19年まで公開を続けられた。

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神戸市の中心街が灰燼に帰した昭和20年6月5日朝の空襲では、周囲一帯が焼けた中で奇跡的に収蔵品と共に難を免れたという。

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戦後、財閥や地主など富裕層は財閥解体・農地解放に加え、財産税、富裕税など莫大な課税をかけられ戦前からの富裕層は多くが没落したが、素封家の当主である池長孟も例外ではなかった。

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自宅などの売却では足りず、コレクションも一部売却を余儀なくされる。
コレクションの散逸を何としても避けたいと思った池長は、倉敷の大原美術館との合併や、長崎市への譲渡など様々な案を巡らせる。

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最終的に池長コレクションは昭和26年、神戸市に美術館の建物と併せて全て譲渡する事となった。神戸市の所有となった美術館は同年に神戸美術館(のち南蛮美術館と改称)として再開、その後昭和57年に新たに設立された神戸市立博物館に引き継がれている。

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美術館としての役目を終えた建物は、平成元年から神戸市の歴史・文化資料等を収蔵展示する神戸市文書館となり、現在に至る。

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設計者の小川安一郎は、大正から昭和初期にかけて活躍した建築家である。京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)にて武田五一に師事し、卒業後は住友工作部にて住友本店ビルの内装設計に従事している。
施工は戦前より邸宅や銀行建築で実績を積んでいた大阪の藤木工務店が手掛けている。

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小川安一郎は美術的感覚に優れ、阪神間を拠点として主に中小の邸宅建築を手掛けているが、旧池長美術館でも飾り格子などの造作にその美的感覚は存分に表れている。

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なお建物は、神戸市景観形成重要建築物に指定されている。

(参考資料)
神戸市立博物館「特別展 南蛮堂コレクションと池長孟」図録 平成15年

第580回・藤井斉成会有鄰館

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京都市左京区岡崎円勝寺町にある藤井斉成会有鄰館は、我が国の私設美術館では東京の大倉集古館に次いで古く、また私設美術館の建築としては現存最古である。大正15年(1926)に武田五一の設計で建てられた、写真の第一館は京都市登録文化財となっている。

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滋賀県五個荘出身の実業家・藤井善助(1873~1943)が、収集した東洋美術のコレクションを保存公開するため大正15年に財団法人藤井斉成会を設立、同年その陳列館として第一館が建てられた。以後今日に至るまで同じ建物で収蔵品の公開が行われている。

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第一館の背後にある第二館は、旧加賀藩家老の横山男爵家所有の洋館の一部を石川県金沢市から昭和3年に移築したものである。同年の昭和天皇即位の御大典に際しては、藤井善助と親交があった犬養毅の宿所に使われたという。セセッションやアールヌーボーの装飾が施された濃厚なインテリアを持つ洋館である。第二館は同時に建てられた収蔵庫(写真手前の建物)と共に、国の登録有形文化財になっている。

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第一館の玄関は閉鎖されており、ここからの出入りすることはできなかった。

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裏手に回り、第二館の前にある写真の門から入館する。
(注:筆者が公開日に館内を見学したのは4年前なので、現在は変わっているかも知れない)

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軒の瓦は清朝時代の黄釉瓦。屋上の朱塗りの八角堂は収蔵品のひとつである。

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基本は洋風建築であるが、和風や中国風などの東洋風意匠を折衷させるのは武田五一の得意とする手法。

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スチールサッシの建具に至るまで、建設当初からのものが非常によく残されている。
内部の陳列室も古い形をほぼそのまま残している。

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バルコニーがある部分の内側は貴賓室である。

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以前訪れたときよりもきれいになっていたので、外壁等は近年改修されたようである。

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玄関の額縁廻りの龍の装飾パネルを始め、窓の間やバルコニーの装飾パネルはテラコッタが用いられている。

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内部も濃厚な装飾が施されており、陳列された東洋美術品の数々と相まって独特の空間を作り出している。

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近代建築と中国美術の両方共に好きな方は、必見の美術館である。

藤井斉成会有鄰館ホームページ
http://www.yurinkan-museum.jp/

第579回・旧伊庭家住宅(旧伊庭慎吉邸)

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弊ブログ第109回記事で旧邸(現・住友活機園)を紹介した伊庭貞剛(1847~1926)が、子息の伊庭慎吉のために滋賀県蒲生郡安土村(現・近江八幡市安土町)に建てた住宅。設計は近江八幡を拠点に設計活動を行っていた米国人建築家のヴォーリズ。近江八幡市指定文化財。

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住友総理事も務めた伊庭貞剛の四男として、現在の近江八幡市に生まれた伊庭慎吉(1885~1975)はフランスへ留学して絵画を学び、帰朝後は八幡商業学校(現・八幡商業高等学校)に勤務し絵画を教えていた。結婚後は佐佐木源氏の氏神である沙沙貴神社の宮司を務めた他、昭和6~8年、16年~20年の二期に亘って安土村長を務めた人物である。

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大正2年(1913)、慎吉が沙沙貴神社宮司を務めることになったことから、神社に近い現在地に息子夫婦の住まいとして父・貞剛が建てたという。慎吉夫妻はその後三十余年この邸宅で生活するが、第二次大戦後、諸事情によりこの邸宅を手放して京都に転居している。

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伊庭家の手を離れた後もしばらく住宅として使われるが、昭和54年に安土町(当時)が町立保育園用地の一部として旧伊庭邸を購入する。当初は取壊しが予定されていたが、篤志家による保存費用の寄付もあり、文化財としての価値が認められ、安土町の文化財に指定され修復・活用される事となった。

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現在は通常非公開で、年1~2回、特別公開が行われている。

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ヴォーリズが伊庭家から邸宅の設計を依頼された経緯についてはよく分からないが、ヴォーリズは明治38年の来日当初、伊庭慎吉が教鞭を執っていた八幡商業学校で英語を教えている(両者の勤務時期は一致しているかどうかは不明)こともあるので、両者は面識があった可能性もある。

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また、父の貞剛はこの当時既に公職を退き、石山の邸宅に隠棲の身であったが、当時珍しかった自動車を滋賀県下で最初に購入するなど好奇心旺盛な面もあったようなので、近江八幡を拠点に活動する若いアメリカ人建築家に貞剛が興味を持った、という想像もできる。(但しこれは個人的な、勝手な想像であるが)

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現在の玄関は昭和に入ってから増築されたもので、和風の外観。当初は庭園側に玄関があったようである。

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玄関棟は数寄屋風でまとめられているが天井やドア式の出入り口など、洋風の要素もある。

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縁側。天井は網代天井になっている。右奥の壁の張り出しは、食堂の暖炉の煙突。

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一階は食堂、階段室等を除き和室を中心に構成されている。
鴨居の上に掲げられているのが、伊庭慎吉夫妻の肖像画。

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一階座敷と広縁。今回の展示では伊庭貞剛邸と比較する写真があり、新座敷(伊庭貞剛の次男、簡一の設計で大正11年に増築)との類似が指摘されていた。確かに床脇の書院窓などはよく似ており、この家が新座敷増築の際に参考となったとも考えられる。

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広縁から望む庭園。かつては広大な庭園であったというが、現在はごく一部だけ残されている。

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庭園に面して設けられた、自然石を積んだ外壁が特徴的なサンルーム。その周囲にも今は痕跡がわずかに残るだけであるが、欄干を巡らせたテラスが設けられていたようである。

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階段室奥にある、洋風の壁面に数寄屋風の船底天井を持つ、不思議な雰囲気の小部屋。

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階段室は洋風であるが、その一角には和風の水屋のようなものもある。

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食堂。
長斧仕上げの梁や柱を巡らせ、素朴で野趣に富んだ雰囲気の洋室。暖炉周りのタイルなど、造りからして大正2年当初からのものではなく、玄関と同様に昭和に入ってから改装したものかも知れない。

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硝子戸の先はサンルーム。照明器具は伊庭家時代のものではない。

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食堂で一番の見どころは、タイル張りの暖炉。
暖炉の両脇には、袖壁が立てられ、かつて作り付けの椅子があったと思われる痕跡もあり、イングルヌック(暖炉を囲んで座るため、広間の一角を区切って作る小空間)を備えていたものと思われる。

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暖炉前の床面には、様々な色や模様のタイルを敷き詰めている。

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二階は洋室を中心に構成されている。画家でもあった伊庭慎吉のアトリエとして使われていた部屋。
暖炉前の屏風は、遺族から安土町に寄贈された伊庭慎吉宛の書簡を屏風に仕立てたもの。洋画家の鹿子木孟郎、歌人で住友家当主の十六代住友吉左衛門友成、同じく歌人で住友重役の川田順など、伊庭慎吉の交際関係が窺えるものである。

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この邸宅には暖炉が二基設けられており、一階は食堂、二階はアトリエに設けられている。
食堂の暖炉はタイル貼りであるのに対し、アトリエの暖炉は石積み。

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食堂とアトリエ以外の洋室は質素な造りである。

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近年には、アニメの舞台モデルに使われたこともあるそうだ。
築100年目に当たる今年は、6月2日まで毎週日曜日に特別公開されている。
詳細はこちら↓
http://www.azuchi-shiga.com/mizu-kyoudokan.htm

第578回・兵庫県立神戸高等学校

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神戸市灘区にある兵庫県立神戸高校は、旧制第一神戸中学校と旧制第一神戸高等女学校を前身とする兵庫県下でも有数の伝統校である。現在の校舎は、昭和13年(1938)に第一神戸中学校の校舎として移転新築されたものの一部である。設計は新旧共に兵庫県営繕課による。

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神戸高校の校舎は、神戸市の東部にある摩耶山の山麓、かつて上野観音山と称されていた(現在の住居表示は城の下通1丁目)場所に建っている。西に隣接する天理教兵庫教務支庁には、第一次大戦時の船成金として知られる実業家で貴族院議員、神戸市長も務めた勝田銀次郎(1873~1952)の旧邸が今も残されている。(写真左の生垣が旧勝田邸)

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旧第一神戸中学校の校舎は三宮に近い新生田川沿いにあったが、昭和に入ると神戸の繁華街の中心が現在の神戸駅界隈から三宮へ移り、周辺環境が教育上望ましくないとして現在地に移転したものである。
なお、もう一つの前身である旧第一神戸高等女学校の校舎は下山手通の兵庫県庁の傍にあり、庁舎(現在の兵庫県公館)が空襲で被災後は、兵庫県庁本庁舎として現在の庁舎に建て替えられるまで使われていた。

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新生田川沿いの旧校地より移設保存された旧正門。明治44年の校舎改築に際し完成したものであるという。
当初の門扉は戦時中の金属供出で失われたが昭和41年に復元されている。阪神大震災で破損、一時解体した状態での保存されていたが、その後元通りにされた。

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現在の正門と校舎。
平成14年の校舎改築に際しては、旧校舎は玄関など約4分の1を保存、新築部分は旧校舎のイメージを引き継ぎ保存部分との調和を重視したものとなっている。

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校舎の西端、角に玄関を置く構成。印象的なこの玄関部分は正門と共に校舎へ至る坂道の下からもよく見える。
坂道の先に正門があり、その先に建物の顔である玄関を見せるところは兵庫県庁舎とよく似ている。

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正面玄関の3連アーチ。
Wikipediaの解説記事によると、生徒は卒業式後、巣立ちの儀式としてこの玄関から外へ出る。それまではこの玄関を通るのは禁じられているそうである。

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戦時中は陸軍の司令部、戦後は昭和天皇の巡幸に際し御座所に充てられたという。
なお、昭和天皇の宿泊に充てられたという教室が保存部分に含まれているかどうかは不明。

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ロンドン塔と称されている塔屋。西洋の城郭風の外観は、英国のパブリックスクールに範を取った教育理念を校舎のデザインに表したと言われる。なお、外壁を南欧風の明るいクリーム色としたのは阪神間の気候風土を反映させたためではないだろうかと思う。

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改築部分も、保存部分と違和感のない仕上がりになっている。
昭和2年に建てられ、神戸高校とほぼ同時期に改築された蘆屋警察署庁舎も神戸高校と同じく新旧共に兵庫県営繕課によるが、神戸高校と同様に部分保存としてはよい出来栄えである。(弊ブログ第9回記事で取り上げている)

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改築で講堂などが失われたのは残念であるが、現在の校舎は部分保存の成功例と言えるのではないかと思う。

第577回・旧子宝湯

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東京都小金井市の江戸東京たてもの園に移築保存されている旧子宝湯の建物は、昭和4年(1929)に現在の東京都足立区内に建てられた。昭和63年に廃業後、平成5年に現在地に移築、公開されている。

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銭湯の建物として一般的にイメージされている、寺社風の外観を持つ。これは昭和初期から30年代に東京及び東京近郊で広まったスタイルである。関東大震災からの復興途上の東京で、ある宮大工が建てた寺社風の銭湯が評判となったことから流行し、東京における銭湯の定型的スタイルとして定着したものである。

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弊ブログでは戦前の銭湯建築として、洋館風の外観を持つ大阪市生野区の源ヶ橋温泉(第45回記事)を取り上げているが、大阪では銭湯の建物は和風あり洋風ありで、特に決まったスタイルは無い。

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写真では分かりにくいが、入口上部の唐破風には七福神の彫り物を飾るなど、細部まで技巧を凝らしている。

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玄関の天井は見事な折り上げ格天井。

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番台。

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脱衣場。高い天井は玄関と同様に折り上げ格天井になっている。

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浴室はペンキ塗り仕上げ、タイル張りで洋風に仕上げる。
典型的な昭和期の銭湯建築のスタイルである。

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これもまた銭湯の一般的なイメージ通りのペンキ絵。
現在のものは、移築時に新たに描きなおされたもの。

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流し場の床タイルは、多くの戦前の建物で随所に見られる、大きな八角形と小さな正方形のタイルを組み合わせたもの。

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昔話を描いた絵付けタイル。

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昭和期の東京における銭湯の要素をひととおり備えた建物であるが、今はここで入浴することはできない。
しかし現在も、旧子宝湯の旧所在地である足立区などではこのような銭湯がいくつも現役で営業している。生きた形で使われている銭湯の建物も、ひとつでも多く後世に残したいものである。

第576回・京都市庁舎

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全国の県庁所在地で、戦前に建てられた市庁舎が現存するのは静岡、名古屋、京都、鹿児島の4市のみである。その中で最も古いのが、昭和2年(1927)から6年(1931)にかけて建てられた京都市庁舎である。

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明治22年に京都市制が施行されるが、京都市は東京市・大阪市と共に特別市制が敷かれていたため、独自の市庁舎は持たず、明治31年に特別市制が廃止されるまでは、京都府庁舎で京都市の行政事務は執り行われていた。

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特別市制の廃止によって独自の庁舎を持つことになり、当時この場所に建っていた木造二階建和風建築の京都市会議事堂が初代市庁舎となった。約20年後の大正6年には、西隣に大正天皇即位御大典の饗宴場の建物が京都市に下賜されたことから、その材木を用いて2階建の洋風建築が建てられ、2代目市庁舎となる。

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その後、初代庁舎の跡地に現在の庁舎が、塔屋のある中央から東半分のみ昭和2年に竣工する。(写真右側の部分)その後2代目庁舎も撤去して、その跡地に残る西半分が昭和6年に竣工、3代目となる現庁舎が完成した。
なおそのような建設の経緯のためか、庁舎は完全な左右対称ではなく西側(写真左側)の方がやや長い。

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庁舎の設計は京都市営繕課が行い、そのうち意匠については市嘱託の中野進一が、師の京都帝大教授・武田五一の監修のもとで行っている。そのため細部意匠には、武田五一好みの東洋風、或いはインド、イスラム風の意匠が随所に施されている。

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現存する4つの戦前の市庁舎の中では、前に張り出した中央部と両翼や正面屋上の塔屋など、ネオバロック的な骨格を持ち、最も重厚で古典的な構成をとる。玄関まわりも石積みを強調した重厚な造りとなっている。

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正面玄関の「京都市役所」と記された銘版。

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京都市庁舎とよく似たネオバロック的な構成の重厚な市庁舎としては、京都より6年早い大正10年に竣工した旧大阪市庁舎(片岡安設計、昭和57年取壊し)などがあった。

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両翼の上部にも中央部と同様、バルコニーを張り出す。

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窓の上部には筆を象った装飾がある。

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河原町通に面した東側の外観。なお西側及び北側はその後分庁舎の増築が行われため、街路からは見えない。

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老朽化と狭隘化が進んだことにより、近年は改築の議論が行われ建物の今後が案じられたが、今年3月に京都市が策定した「市庁舎整備基本構想」では、建て替えられるのは西・北の分庁舎のみで、本庁舎は補強改修した上で引き続き使われるようである。

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庁舎前広場も現状のまま残した上で、利活用を図る方針のようである。
子供達の遊び場となっている現在の雰囲気が今後も引き継がれていくとよいのだが。

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今後進められる整備改修が期待される。

第575回・新港貿易会館(旧新港相互館)

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神戸市の新港地区にある新港貿易会館(旧新港相互館)は、昭和6年(1931)に、周辺に点在していた港湾関係業者の事務所を集約するため建てられた。国登録有形文化財。

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以前紹介した神戸税関庁舎の斜め向かいに建っている。この界隈には、昭和初期に建てられた港湾関係の官公庁舎や倉庫が、現在もまとまって残されている貴重な地区である。

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現在も港湾関係の事務所が入る現役の事務所ビルである。平成7年の阪神大震災にも耐えた。

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斜め向かいの神戸税関や、すぐ近くの海岸通に建つ旧大阪商船ビル(現商船三井ビル)と同様、角を丸く取った外観が特徴。壁面に穿たれた円形窓などと共に、船舶を意識したデザインと思われる。

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茶褐色のスクラッチタイル貼りの外壁や円形窓、アールデコ調の細部装飾など、昭和初期の小規模な事務所ビルに多く見られる特徴を一通り備えている。

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建物の角は全て丸く仕上げている。

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上部の円窓にはステンドグラスが嵌め込まれていることが分かる。
内部もステンドグラスやアールデコ風の装飾など見どころが多いようだが、機会があれば内部写真も追加したい。

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アールデコ風の飾り格子が嵌め込まれた円窓。

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正面コーナー部分を見上げる。

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近年の改修で、現在は僅かな痕跡を残すしているだけであるが、以前は正面外壁上部に「新港相互館」「SHINKO SOGOKWAN」と塗装で記していたようである。
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