神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸保存活動にご協力ください(記事更新)

先日紹介した神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸(大正8年築)の保存運動について改めて一人でも多くの方に知って頂きたく、記事更新の上再掲いたします。

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保存運動に携わっておられる方より以下のコメントを頂戴いたしました。

「藁にもすがる・・・・そんな気持ちで書かせていただいております。
兵庫県神戸市塩屋には、 かつては海沿いにいくつかの異人館がありました。しかし現在は、旧ジョネス邸を残すのみとなっております。
このジョネス邸が、 存亡の危機にあります。(業者はあと1ヶ月という)
マンション業者が、この歴史的にも価値のある屋敷を潰し、高層マンションへ立替えようと計画しております。
昨夜、 保存を訴える塩屋町と穴吹興産との話し合いがありました。
歴史的価値など何になる、”すべては金のため” と言われているように私には聞こえました。
募金活動や、ジョネス邸を維持しながら活用いただける企業等などを探そうとしている矢先、、
1週間後にはモデルルームを作るという穴吹興産は、 広く世間が知り、 保存の火が広がる前に、
ブルドーザーを入れてしまおうとしているのでしょう。 
海とジョネス邸の風景は、 塩屋の住民のみならず、 須磨から明石へと続く、西神戸を巡る旅人の、記憶に残る館であると思います。
全国の古い洋館を愛する方々に、 この事実を知っていただきたいのです。 
”潰してしまえば、 もう何も残りません。”」


旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会 ホームページ
http://jones-shioya.tumblr.com/about_us

同ホームページ内 ジョネス邸内部写真
http://jones-shioya.tumblr.com/photo

保存を求める署名
http://jones-shioya.tumblr.com/signature


時間はありませんが、まだ可能性はあります。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
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第592回・旧シェー邸(北野物語館)

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前回に引き続き、神戸市が所有する異人館。
阪神大震災で取り壊されるところを神戸市が取得、現在地に移築したもの。平成21年からはスターバックスコーヒーに貸与されている。国登録有形文文化財。

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明治40年(1907)に米国人M・J・シェー氏の住宅として建てられたという。

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平成7年の阪神大震災で被災するまでは、神戸の有名なパン屋である「フロインドリーブ」の経営者一家の住居になっていた。

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被災後、神戸市が移築を前提に建物の寄贈を受け、解体して部材を保管していたが平成13年にもとの場所から300メートルほど西の現在地に再建された。

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前回紹介した旧ドレウェル邸(ラインの館)の2階には、旧シェー邸の移築に関する資料が展示されている。
写真のような、外壁の色の変遷を示す資料もあった。創建から昭和35年(1960)まではパステル系の塗装で統一されていたことが分かる。

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旧シェー邸に限らず、北野町界隈の異人館は色々な色彩で塗り替えを重ねている。このように変遷が一目で分かる資料は興味深い。

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窓は創建当初は他の異人館と同様上げ下げ窓であったのが、後年の改造で上下2段に分けた引き戸に改変されている。移築に際しても窓は改造後のものとなっている。

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ベイウインドウは一階だけ張り出した形式。二階には二階部分だけが張りだした窓(オーリウェルウィンドウ)があるが、こちらは隣接の建物に面しており、街路からは見づらい。

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サンルーム兼用のベランダ。

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ベランダの真下は玄関ポーチになっている。

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側面。

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背面。

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旧ドレウェル邸でも見られるが、窓の上には細かいギザギザ状の飾りを施した小さな庇がある。

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手軽に喫茶店として利用できる異人館として、観光客を集めている。

第591回・旧ドレウェル邸(ラインの館)

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以前弊ブログにて取り上げた旧トーマス邸(風見鶏の館)旧シャープ邸(萌黄の館)と同じく、神戸市が所有・公開する異人館。大正4年(1915)にフランス人のドレウェル夫人の住居として建てられた。

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異人館を囲う塀として最も一般的であったとされる、ペンキ塗りの木の柵。

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建て主のドレウェル夫人は明治初年の来日当初は大阪に住んでおり、明治9年に大阪造幣寮の御雇外国人であったイタリア人マンチーニ氏と結婚している。

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しかしその後マンチーニ氏と死別したため、再婚してドレウェル夫人となった。
その後長らく神戸に住む。

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この館を建てた時には、来日から半世紀近く経っていたという。

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ドレウェル夫人の後は長らくドイツ人の住居として使われていたという。神戸市が昭和50年代に購入・修理して公開している。

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「ラインの館」の名称は一般公募によるもので、外壁の下見板のラインが鮮明であることから名づけられた。ドイツの地名とは無関係。

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下見板張りペンキ塗りの外壁、鎧戸付きのベイウインドウ、硝子戸を建てこんだベランダ、日本瓦葺きの屋根など、北野町界隈の一般的な異人館の特徴を一通り備えている。

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神戸市所有の異人館では唯一、無料公開されている。

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内部は観光客のための休憩所になっているほか、異人館や神戸関連の資料が展示されている。

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部屋毎に暖炉を備えている。

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階段の親柱と手摺。

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二階階段ホール。

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二階の一室の暖炉。

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硝子戸を入れてサンルームを兼ねた二階ベランダ。

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二階ベランダからは異人館越しに神戸市街が見える。

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明治期に建てられたものが多い神戸の異人館では、比較的新しい年代の建物である。

第590回・タイ王国大使公邸(旧濱口吉右衛門邸)

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東京都品川区上大崎にあるタイ王国大使公邸は、元々は和歌山出身の実業家・十代目濱口吉右衛門(1883~1946)の邸宅として昭和9年(1934)に建てられたものである。昭和18年(1943)にタイ王国大使館となり、現在は大使公邸として使われている。

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和歌山・有田の旧家である濱口一族は、千葉の銚子における醤油醸造等で財を成した家である。濱口吉右衛門は東濱口家の十代目当主である。

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昭和6年に十代目吉右衛門は、電力王として知られる福澤桃介所有の土地を購入、横浜郵船ビルなどの設計で知られる和田顕順(1889~1977)の設計、清水組(現清水建設)の施工で、自邸の建設を開始する。

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昭和7年に着工、2年後の昭和9年に竣工。
建設に際しては、建材や家具調度には美術に造詣の深かったという十代目吉右衛門によって選ばれた、上質の輸入品がふんだんに取り入れられている。

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十代目吉右衛門の姪の一人には、のちに満州国皇帝溥儀の実弟・溥傑夫人となる嵯峨浩(愛新覚羅浩 1914~1987)がいる。

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濱口家で養育を受けた嵯峨浩は、この邸で溥傑と見合いを行い、新婚生活も一時ここで送ったという。
そのため現在も、このとき使われていた中国式の家具調度類が残されている。

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なお、溥傑・浩夫妻がこの邸で過ごしたのは、以前取り上げた千葉市稲毛海岸の家に住む前後のことと思われる。
(弊ブログ第542回記事・愛新覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ)

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大東亜戦争下の昭和18年、タイ王国のディレーク・チャイヤナーム駐日大使が100万円で濱口吉右衛門より購入、タイ王国大使館となる。

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このとき家具調度類も邸宅と共に引き継がれたようである。外国大使館に譲渡したのは戦局の悪化に伴い、当時既に予測されていた米軍の空襲から守るためであったとも考えられる。

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戦災も免れ、昭和27年には隣接して別館を増築、大使館を別館に移して旧濱口邸は大使公邸として使用され、現在に至る。なお大使館は現在建て替え中である。

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現代的なコンクリート打ち放しの新大使館の横で、大使公邸は変わらない佇まいを残している。

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タイ王国大使館のホームページにて大使公邸は詳細に紹介されており、庭園側の外観や、重厚華麗な室内の写真を見ることができる。(本文記事も同ホームページの解説を参考にさせて頂いた)

在京タイ王国大使館 タイ王国大使公邸の紹介ページ

第589回・山縣有朋記念館(旧山縣有朋別邸洋館)

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現在栃木県の矢板市で保存されているこの洋館は、元老・山縣有朋(1838~1922)が神奈川県の小田原に設けた別邸「古希庵」内に建っていた。平安神宮や築地本願寺の設計で知られる伊東忠太の設計で明治42年(1909)竣工。大正12年の関東大震災で倒壊するが、翌年現在地に移転修築され現在に至る。

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庭造りを趣味とした山縣有朋は、京都の庭師・小川治兵衛と京都の無鄰菴など、数多くの名園を生み出したことでも知られる。小田原の別邸である「古希庵」は最後に造った別邸である。大正11年に山縣有朋はここで85歳で生涯を閉じた。

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右手のクリーム色の洋館は、昭和2年に増築された新館。左手が明治42年竣工の小田原から移築された洋館。

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洋館は上下4間のこじんまりした簡素なもの。庭園にはこだわった山縣だが、住居にはこだわらなかったという。

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平成2年から「山縣有朋記念館」として公開されている。
内部も外観同様、ごく簡素なものであるが、二階の応接間には当時使われていた家具調度類がカーテンや絨毯に至るまでよく残されている。

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残念ながら撮影禁止のため、内部は紹介できない。

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外観の見どころは玄関まわりに施されたアールヌーボーの装飾。
扉の下部及び欄間には山縣のイニシャル「A・Y」と漢字の「山」をアレンジした装飾が施されている。

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扉の円の中に施された花の装飾は山縣家の家紋に因むものらしい。

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記念館にはこのベランダから入る。

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新館は2階のみ記念館の展示室として公開されている。一階は現在も林業を営む山縣家の事務所として使用されており、非公開。

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新館も内外共にごく簡素な造りの洋館であるが、小鳥と花をあしらった上品な図柄の階段室ステンドグラスや、中国風の卍飾りを施した階段手摺が見どころ。

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平成2年に栃木県の有形文化財に指定されている。

第588回・京都市美術館

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京都市の岡崎公園にある京都市美術館は、東京府美術館(現東京都美術館)に次ぐ日本で二番目の大規模公立美術館として設立され、昭和8年(1933)に開館した。開館当初から変わらない佇まいで、今年開館80周年を迎えた。

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昭和3年に京都で行われた昭和天皇即位御大典の記念事業として美術館が設立されることとなった。
そのため、当初の名称は「大礼記念京都美術館」であった。

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戦時中まで帝展をはじめとして、常設展や特別展、市展が開催された。

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敗戦後は昭和27年まで米軍に接収される。接収解除後現在の名称に変更された。
戦後は外国美術の展覧会も頻繁に催され、現在に至る。

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昭和初期に多く建てられた、洋風の躯体に和風の屋根を持った帝冠様式建築のひとつである。

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美術館本館の設計者は前田健二郎。弊ブログにて取り上げた同一設計者による建築としては、個人邸の美術品収蔵庫であった三重県津市の千歳文庫がある

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前に建てられた掲示板も本館と同じ意匠で統一されている。

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和風意匠が施された玄関扉。

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内部はイタリア産大理石を多用した華麗な造りになっている。

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正面の大階段。

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玄関ホールのステンドグラス。

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外観と同様、基本的な造りは西洋建築であるが細部意匠は和風で統一されている。

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階段室は二層吹き抜けになっている。

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広々とした二階ホールはステンドグラスを嵌め込んだ格天井が美しい。

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二階ホール格天井のステンドグラス詳細。

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中庭に面した半円形の階段室。

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戦前に建てられた大規模公立美術館の建物では、先述の東京府美術館は現存しないが、この京都市美術館と少し遅れて建てられた大阪市立美術館(昭和11年)が健在である。

第587回・神戸回教寺院(神戸ムスリムモスク)

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神戸の異人館街の一角、神戸市中央区中山手通にある神戸回教寺院(神戸ムスリムモスク)は、日本で最初に建てられたモスクとされている。昭和10年(1935)竣工。

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大正末期から第二次大戦前まで日本で活動していたチェコ出身の建築家ヤン・ヨセフ・スワガー(1885~1969)の設計。

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大ドームが縞模様を描いているのは、銅板が部分的に葺き替えられたためである。

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第一次大戦後、神戸在住のイスラム教徒が増加したことからモスク建設の動きが起こり、昭和に入ると計画は具現化する。建設資金は在神インド人、トルコ人、タタール人、シリア人らが拠出した。

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昭和9年、行政による建設の認可が下りると、施工を請け負った竹中工務店によって工事に着手、翌昭和10年に竣工した。献堂式の後は、近くのトーア・ホテルで神戸市長や各国領事を来賓に招き祝賀会が開かれたという。

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大東亜戦争下には海軍に接収されている。そして戦争末期、神戸に対する最初の大規模爆撃となった昭和20年3月17日の空襲では、周囲の異人館など多くの家屋が焼失するが回教寺院は焼失を免れた。

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平成7年の阪神大震災では、同じ山手界隈に建ち、戦災にも生き残った神戸栄光教会や中山手カトリック教会などの宗教施設が大破、取り壊しを余儀なくされたが、回教寺院は震災でも生き残った。

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今では神戸市内に残る数少ない、戦前建築の宗教施設である。

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Wikipediaの解説にもあるが、建物の前を電線が入り組んで走り、周囲の景観は悪い。

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神戸回教寺院は、明治以来国際色豊かであった神戸の歴史の証人とも言える存在である。

第586回・島津創業記念資料館

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京都市中京区木屋町二条にある島津創業記念資料館は、京都に本社を置く島津製作所が創業100周年に当たる昭和50年(1975)に、旧本店であり創業者である島津源蔵の住居であった建物を改装して開館したものである。

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現在残る建物は明治21年(1888)及び明治27年(1894)の建設で、国の登録有形文化財である。
大正8年(1919)まで本店として使われていた。

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資料館内に展示されている本店として使われていた当時の写真。手前の二棟が現在残る建物。
一番奥の建物が創業当初の建物であるが、本店移転後の大正9年に取り壊されたとのことである。

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現在の姿。二階の外壁は後年に改装されたことが分かる。

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明治27年にに商品陳列室及び住居として建てられた部分。

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明治21年に店舗兼商品陳列室として建てられた部分。

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島津製作所創業の地である木屋町二条は、明治の初め新政府によって設置された舎密局など、欧米の最新技術を導入した実験所や工場などが置かれ、京都における近代科学発祥の地である。

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記念館の入口。
なお建物内部は、住居の一部以外は外観からは想像できないくらい現代的に改装されている。

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こちらも館内に展示されている古写真。商品陳列室棟の二階の外壁が現在と同じ形になっている他、上部にステンドグラスを入れたショーウインドウがあったことが分かる。

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同じ角度から見た現在の姿。ステンドグラスは現在もそのまま残されている。

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内部から見たステンドグラス。

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資料館の解説版によると、このステンドグラスが入れられたのは明治27年の創建当初か、大正4年(1915)の大正天皇即位の御大典のときと考えられているという。

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制作者は、日本におけるステンドグラス制作の祖である宇野澤辰雄(1894~1910)によるとの伝えがあるようだ。(但し大正の御大典の時に入れられていたのであれば、宇野澤辰雄は既に死去しているのでこの説はありえない)

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ステンドグラスの図柄には、桜の花と葉で「日本」の文字が隠されているとのことだが・・・・

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内部は全面的に改装されているが、一部昔の姿でそのまま残されているのが島津源蔵の居室。

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建物の紹介ばかりしたが、展示も大変充実している企業博物館である。
入館料も300円と安い。

島津創業記念資料館ホームページ
http://www.shimadzu.co.jp/visionary/memorial-hall/information/

第585回・旧松方正義別邸「萬歳閣」

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栃木県の那須野ヶ原は明治以降、新政府の要人達によって農地または牧場として開発が進められた。
そのひとつが、近代日本の財政基盤を築いた元老として知られる松方正義(1835~1924)によって拓かれた千本松農場である。その一角には松方の別邸として建てられた洋館が今も残されている。

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農場は昭和初年に松方家の手を離れ、現在は千本松牧場として那須の観光名所のひとつになっている。

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但し洋館は今も松方家の別邸として現役で使われている。

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建物の由来が記された解説版も置かれている。解説版の古写真を見ると奥に洋館が見える。
農場では羊の放牧を行っていたため、羊の群れが写っている。

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洋館は明治36年(1903)に建てられた。背後にはかつて日本館があったらしいが、現在は新しい建物に建て替えられている。

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一階の外壁を石積みとして重厚さを醸し出している反面、車寄せは細い鉄柱で支える軽快なデザインとしている。

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「萬歳閣(ばんざいかく)」の由来は、日露戦争中の明治37年9月、塩原の御用邸から松方別邸を訪問されていた東宮殿下(のちの大正天皇)と共に日本軍による遼陽陥落の報に接し、一同が万歳を唱え、祝杯を挙げたことによるという。

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南面は1・2階共に硝子戸を入れたベランダ兼サンルームとする。

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新緑との取り合わせもいいが、紅葉の時期もすばらしいようだ。

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那須周辺で現存する明治政府要人の別邸では、松方別邸の他に、以前紹介した旧青木周蔵別邸などがある。

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現役の別荘なので敷地内への立ち入りは出来ないが、前の道路から柵越しに外観は見学できる。

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第584回・旧長野地方裁判所松本支部庁舎

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旧長野地方裁判所松本支部庁舎は、現存する数少ない、明治期建設で和風意匠の裁判所庁舎である。
赤煉瓦の正門との取り合わせが美しいこの庁舎は、長野県の県宝に指定されている。

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現在は松本市の郊外に移築保存されている旧長野地方裁判所松本支部庁舎。

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長野地方裁判所松本支部庁舎は、明治41年(1908)に松本城二の丸御殿跡に建てられた。
昭和50年に役目を終え取り壊しが決定するが、市民による保存運動の結果、昭和57年に現在地への移築保存が実現した。

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移築費用の4割は保存を望む市民の寄付で賄われたという。

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昭和60年に庁舎が県宝に指定され、平成22年には庁舎と同時に移築されていた煉瓦造の門と塀、木造の掲示板も県宝に追加指定されている。

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戦前の裁判所庁舎は、東京に置かれた大審院(現在の最高裁)、また大阪や横浜、神戸など主要都市の控訴院(現在の高裁)・地方裁判所庁舎は洋風建築であったが、その他の控訴院・地方裁判所の庁舎はは和風木造が主であった。(弊ブログ第300回・旧名古屋控訴院庁舎の記事もご参照頂きたい)

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外観は和風意匠を採るが、赤煉瓦の門と塀を持ち、庁舎も左右対称の外観や伝統建築には存在しない洋館風の屋根窓を付けるなど、洋風の味付けが濃い和風建築と言える。

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平成13年まで財団法人日本司法博物館が司法博物館として運営していたが、同法人の解散により、松本市が取得して再整備、翌14年より松本市立博物館分館「松本市歴史の里」として再出発した。

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庁舎の中央、正面玄関には車寄せを張り出す。

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窓はすべて和風の引き戸になっているが、正面玄関の扉は洋風の開き戸になっている。

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玄関内部。受付の小窓が見える。

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小規模だが玄関の正面には階段を配して、威厳を強調する。

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玄関天井の照明台座と換気口。換気口のデザインは桜を象っている。

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地裁支部法廷。庁舎正面向かって左側に地裁支部法廷、右側に区裁判所(帝国憲法下の司法制度において軽微な事件の第一審を取り扱った裁判所)法廷を配していた。

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地裁支部法廷脇の通路。

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庁舎の中央を横切る廊下。

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旧応接室。隣接して会議室・判事室があった。
床はリノリウム(天然素材で作られた床材で、塩化ビニルに取って代わられるまでは床材の主流であった)貼りである。

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区裁判所法廷。
法廷などの主要室の天井は全て格天井になっている。

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地方の和風裁判所庁舎で今も現存するのは、この旧長野地方裁判所松本支部のほか、兵庫県の旧篠山地方裁判所庁舎など、ごくわずかである。

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松本市歴史の里にはこの建物の他、長野県下から移築された歴史的建造物が4棟保存・公開されている。

(参考)松本市歴史の里ホームページ
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