第608回・旧島津忠重邸(清泉女子大学本館)

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旧薩摩藩主であった島津公爵家の第30代当主・島津忠重(1886~1968)が、本邸として現在の東京都品川区東五反田に建てた邸宅。日本近代建築界の父である英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852~1920)晩年の作品。東京都指定有形文化財。

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現在は清泉女子大学のキャンパスとなっている旧島津侯爵邸。正門の脇の門衛所も戦前の建物と覆われるが、邸宅とはデザインが全く異質なので、コンドルの設計ではないと思われる。

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門をくぐって樹木が鬱蒼と繁る坂道を登り、視界が開けたところで邸宅の本館部分が姿を現す。
この本館は平成24年に東京都指定有形文化財に指定されている。

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華麗な本館に続いて、家族が通常使用する部分や使用人の部屋などのある平屋建がつながっている。

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本館とは少し離れた位置にある茶褐色の煉瓦積の建物は、かつて島津公爵家の家政を司る事務所として使われていたようである。現在は大学の事務棟の一部となっている。

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この邸宅が建っている地は古くは袖ヶ崎と称され、江戸時代は仙台藩伊達家の下屋敷があった地である。明治初年に島津家の所有となった。その後島津忠重によって洋館建の新邸建設が計画されるが度重なる設計変更や明治天皇崩御などで工事は延び、大正4年(1915)に煉瓦造白色タイル貼りの建物が完成する。

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建物の設計はコンドルに依頼されていたが、家具調度など内装の整備については薩摩藩の生まれである洋画家の黒田清輝(1866~1924)が別途担当しており、最終的に邸宅が完成したのは大正6年のことであった。邸宅の御披露目に際しては大正天皇・皇后の行啓を受けた他、政府高官・陸海軍の将星を始め朝野の名士が招待され盛大な園遊会が開かれた。

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昭和初期の金融恐慌では島津家は財政的に打撃を受け、昭和4年には邸宅の中心部を除く敷地の大半を売却するが、大東亜戦争下では邸宅自体も維持が困難になり、残る部分も日本銀行に売却された。敗戦後は昭和21年から8年間GHQに接収され、将校宿舎などに使用された。

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接収解除からしばらく経った昭和36年に清泉女子大学が日本銀行から土地建物を購入、翌年より校舎として使用を始め現在に至る。同大学では、旧島津公爵邸本館を現在も現役の教育施設として使用する傍ら、定期的に事前予約制の一般公開を行っている。
 清泉女子大学ホームページ 旧島津公爵邸について

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実際の見学経路は隣接して後年建てられた校舎から入るのだが、本記事では正面玄関から入って行きたい。
玄関扉と両側の壁にはステンドグラスが嵌め込まれている。

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玄関前側壁のステンドグラス。

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玄関扉のステンドグラス。欄間には丸に十字の島津家の家紋が入る。

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コンドルはステンドグラスのデザインも自ら行っているが、製作は宇野澤辰雄を始めとする日本人の手になる。コンドルは彼等の技量を高く評価していたという。

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学長室や聖堂など、大学のシンボル的な部屋は現在もこの建物に置かれている。

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教室や会議室もあり、学生や教員が盛んに出入りする現役の学校施設である。

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写真では分からないが、この暖炉は焚き口の上部に島津家の家紋が小さくあしらわれている。

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大階段のあるホール。島津公爵邸であった頃は、このホールで様々な催しが行われたという。

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玄関ホールと階段を区切るステンドグラスの扉。

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階段の踊り場にもステンドグラス。

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これらのステンドグラスは大正4年の創建以来、そのまま残されているという。

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2階にも暖炉を備えた広いホールがある。

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ホールの暖炉は1階・2階共同じデザインで、黒っぽい大理石で作られた重厚なもの。
写真は1階のもの。

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旧応接室の暖炉。部屋の色調と同じく白大理石製の繊細なデザイン。

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旧応接室の窓は曲線を描いて外に張り出している。

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ベランダからの眺め。

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旧応接室部分を外から見る。

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コンドルは邸宅を設計するとき、必ずと言っていいほどベランダを設けている。

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現存する他のコンドル設計の邸宅で、既に弊ブログでも紹介した旧岩崎久彌邸旧諸戸清六邸旧古河虎之助邸にもベランダがあるので、御覧の上比較して頂きたい。

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約1世紀前に建てられた美しい建物が、現在も現役で使われている。

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これからも現役で使われ続けて欲しいものである。
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第607回・旧第一銀行神戸支店(旧大林組神戸支店、現みなと元町駅)

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神戸の金融街である栄町通には、阪神大震災までは戦前の銀行建築が多数残っていたが、現在は以前取り上げた旧三菱銀行旧住友銀行を除き悉く姿を消した・・・が、今回取り上げる旧第一銀行も曲がりなりにも現存する建物ではある。

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旧第一銀行の建物は、正面及び西側側面の外壁だけが残されており、旧玄関と窓の一部が地下にある神戸市営地下鉄海岸線みなと元町駅の出入口となっている。

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現在は外壁の内側に構造物はないので、建物というよりは塀のようなものである。
両端の上部にある金属製の骨組みのような物体は、創建当初存在した屋根の一部をイメージしたもの。

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建物自体の来歴を記すと、明治41年(1908)に第一銀行(現みずほ銀行)神戸支店として辰野金吾の設計で建てられた。

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神戸市出身の探偵小説(推理小説)作家・横溝正史(1902~1981)は、旧制中学を卒業した大正9年から一時期第一銀行神戸支店に勤務していた。

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昭和20年に空襲で外壁を残して焼失、戦後は修復の上大林組神戸支店として、阪神大震災まで使われていた。

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なお修復に際しては、戦災前は全て円形窓であった二階の窓がアーチ窓に改められている。。
銀行時代は吹き抜けで実質飾り窓であったものが、二階にも部屋を作るとなると円形窓は使い勝手が悪かったものと思われる。

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阪神大震災後は取り壊しも検討されたが、街路に面した外壁二面のみが保存されることとなった。

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部分的とは言え神戸市内に現存する赤煉瓦建築としては、先日取り上げた神戸地方裁判所や、完全な形で今も現役で使われている旧東京倉庫兵庫出張所(現石川ビル)などと並ぶ貴重な存在である。

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ペディメント(三角破風)内側の星状のマークは旧第一銀行の行章である。

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私事で恐縮だが、阪神大震災で神戸の近代建築も多数被災したことを伝える報道記事では、壁に亀裂が走ったこの建物の写真がよく使われていた。記事に衝撃を受け、震災の1年後に神戸中心部の近代建築を自ら写真に収めるため神戸市内を歩き回った。

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それが自分の古い建築巡りの嚆矢であった訳だが、原点ともいうべきこの建物を見ると感慨が深い。

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西側側面の一部は三階建てで開口部も小さく鉄格子があるところを見ると、文書庫のようなものがあった場所と思われる。

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背面はこんな感じである。
敷地の大部分はコインパーキングとなっている。地下鉄の駅の出入り口とすることは結構だと思うが、敷地の使い方は頂けない。

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高層ビルの低層部に旧建築の外壁だけが残る海岸ビル(旧三井物産)のようなものを礼賛する気は更々無いが、これよりはいいと思う。また何も建てないのなら、観光客も多い土地なのだから公園でも整備した方が気が利いている。駐車場とは安直過ぎやしないか、と言いたくなる。

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残念ながらこれでは、都心の廃墟といった印象が拭えないのである。

第606回・旧吉田邸・旧ウォーターハウス邸・ダブルハウス

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滋賀県近江八幡市池田町の一角に、煉瓦塀で囲まれた洋館が3棟並んでいる。
近江八幡を拠点にキリスト教伝道活動や建築設計などを行っていたW・M・ヴォーリズの設計になる洋風住宅群。当初はヴォーリズ自邸を含む4棟で構成されていたが、現在はヴォーリズ邸以外の3棟が残る。

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池田町の洋館群は、不揃いな形の煉瓦をフランス積で積み上げた、味わいのある煉瓦塀で囲まれている。

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旧吉田邸。
ヴォーリズの来日当初からの協力者でヴォーリズ達と共に近江兄弟社を興した吉田悦蔵の住宅。

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大正2年(1913)の建築で、前面に張り出した部分は後年の増築。
敷地内には他所から移築された和風の離れもある。母屋・離れ共に国登録有形文化財。

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現在も現役の住宅である。

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旧吉田邸に隣接する旧ウォーターハウス邸。ヴォーリズの活動の協力者で早稲田大学で英語講師を務めていたウォーターハウス氏の住居。旧吉田邸と同じく大正2年竣工で国登録有形文化財。

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現在は近江兄弟社が所有、ゲストハウスとして使用されている。
近年改修工事が行われたので、外観は一見すると古さは感じられない。

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通常は非公開だが、時折特別公開されることもある。
但しそのようなときでも撮影はできないので残念ながら内部は紹介できない。

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玄関ポーチには硝子戸が嵌められ、外から見るとサンルームのようにも見える。
モルタルで粗く仕上げた外壁は、池田町洋館群のすべてに共通する仕上げ。

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なお、旧ウォーターハウス邸の隣りには、かつては大正3年築の平屋建て洋館であるヴォーリズ邸(以前紹介した昭和7年竣工の建物に移る前に住んでいた住宅)があったが、40年近く前に取り壊され現存しない。煉瓦塀も撤去されているため洋館群の眺めは一旦途切れる。

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旧ヴォーリズ邸跡に続いて現れるのが、大正10年(1921)に建てられたダブルハウス。
近江兄弟社(建てられた当時は近江ミッション)の社員用住宅として建てられた二世帯住宅。手前の和風の部分は居住者による増築。

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二世帯住宅なので細長い外観が特徴。

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玄関は本来庭園側にあったが、片方一世帯はサンルームに作り替えたため背面に玄関を移している。
(参考資料:藤森照信「日本の洋館 第三巻 大正編Ⅰ」)

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こちらも共に現役の住居である。

第605回・高輪消防署二本榎出張所(旧高輪消防署)

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東京都港区の旧高輪消防署は、昭和8年(1933)に竣工した現存する数少ない戦前の消防署庁舎。
現在は高輪消防署が移転したため、同署の二本榎出張所となっている。東京都選定歴史的建造物。

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東京消防庁のホームページによると、設計は警視庁総監会計営繕係、施工は間組(現(株)安藤ハザマ)。
なお現存する戦前の消防署庁舎としては、弊ブログで以前取り上げた旧大阪市中央消防署今橋出張所がある。

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高輪消防署の沿革は、明治41年現在地に、内務省警視局消防本署の第二消防署二本榎派出所が設置されたのが始まりであるという。その後昭和8年に新庁舎竣工に合わせて高輪消防署に昇格した。敗戦後一時出張所に格下げされるが間もなく再び消防署に昇格し現在に至る。

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庁舎は昭和59年に他所に新築移転、旧庁舎は二本榎出張所として再出発する。
平成22年には東京都選定歴史的建造物に選定された。

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なお、「二本榎」の由来は、旧東海道を通る旅人の一里塚となっていた二本の榎の木に由来するものらしい。

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木製の玄関ドアや窓のスチールサッシも、古いものが残されている。

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消防車を収納する車庫。

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外壁は御影石が使われている一階の一部を除いて、クリーム色のタイル張り。

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高輪の高台に建つこの建物は、創建当時は望楼から東京湾が一望できたという。

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望楼上部の金属製の塔は、昭和59年に東京藝術大学教授の前野まさる(1932~)氏の設計により、シンボルタワーとして新たに載せられたもの。

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内部も見学できるそうなので、機会があれば再訪して内部写真も追加したい。

第604回・グラバー園(旧グラバー邸 他)

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長﨑の代表的な観光名所のひとつであるグラバー園には、旧グラバー邸など幕末から明治初期の洋風建築が保存されている。中でも旧グラバー邸は文久3年(1863)に建てられた、今年で創建150年を迎える我が国現存最古の木造洋風建築である。今回は旧グラバー邸及び園内の建物を紹介したい。

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旧グラバー邸は幕末に来日したスコットランド出身の貿易商、トーマス・ブレーク・グラバー(1838~1911)の住居として建てられ、昭和14年に三菱重工が取得するまでグラバー家の所有であった。長﨑市が三菱重工から取得、一般公開を始めたのは昭和33年のことである。

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クローバー型の独特の平面構成を持つ建物と庭園はグラバーが設計し、天草の大工棟梁であった小山秀(秀之進)の施工になる。明治10年以降の度々にわたる増築の結果、現在の形になったと言われる。
旧グラバー邸は昭和36年に国指定重要文化財となっている。

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グラバー邸で最も特徴的なのが、軽やかな編み目状の天井を持つベランダ。

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室内の暖炉。グラバーが交際を持った坂本竜馬や木戸孝允など、倒幕の志士が多くこの屋敷に出入りした。
明治政府の成立に貢献したグラバーは、晩年の明治41年には政府より勲二等に叙され旭日重光章を授与された。明治44年に移住先の東京で死去する。

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グラバーに代わって後年この館に住んでいた子息の倉場富三郎(1870~1945)は実業家として活躍する一方、水産学者としても功績を残したが、三菱重工長崎造船所が見える位置にあることから、戦艦建造の機密保持を理由に邸宅は昭和14年、三菱重工への譲渡を余儀なくされた。

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二代目の主・倉場富三郎の晩年は不幸なものであった。
邸宅を追い立てられた上に夫人に先立たれ、大東亜戦争下では日英混血であったことからスパイの嫌疑を受け、米国の原爆投下による長崎の壊滅を目の当たりにしたせいもあって、終戦直後に自殺するという痛ましい最期を遂げている。

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グラバー親子二代の栄光と悲劇がこの屋敷には残されている。

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三菱重工取得後は社員用の倶楽部として使われ、敗戦後は米軍によって4年間接収される。

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長﨑市による取得・公開後、周囲の建物も順次取得・整備され、現在のグラバー園の原型となった。
昭和49年「グラバー園」に改称。

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旧グラバー邸は居住部分のある主屋の他、倉庫など付属建物も残されている。

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グラバー園は今では長﨑観光には欠かせない場所のひとつである。

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隣接する旧リンガー邸はグラバー商会に勤めていたこともあるフレデリック・リンガーの旧邸。
明治2年(1869)竣工で国指定重要文化財。
旧グラバー邸に続いて長﨑市が取得、公開した建物。

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旧グラバー邸と旧リンガー邸、及び以前取り上げた旧オルト邸がこの地に元々建っていた建物である。
それ以外の園内の建物は、長崎市内から移築されたものである。

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かつては大浦天主堂の傍にあったという旧ウォーカー邸。

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旧ウォーカー邸の部屋は4室で、旧グラバー邸・旧リンガー邸・旧オルト邸に比べると小規模な住宅。

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旧ウォーカー邸の暖炉。

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旧ウォーカー邸のベイウインドウ。

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明治29年創建の旧三菱第2ドックハウス。修理のために船が造船所に入っている間、乗組員たちが宿泊した施設である。

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明治16年頃に建てられた旧長崎地方裁判所長官舎。現在は園内の記念撮影用の写真館となっている。

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旧自由亭。自由亭は幕末に開業した本邦初の西洋料理店。廃業後は昭和48年まで検事正官舎として使用されていた。

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旧長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)表門衛所。

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東山手から移築された旧スチイル記念学校。明治20年の創建で移築前は海星学園の寄宿舎として使われていた。

第603回・神戸地方裁判所

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平成2年(1990)に竣工した神戸地方裁判所の現庁舎は、明治37年(1904)竣工の旧庁舎の外壁を正面及び両側面の3面を残す形で改築したもの。神戸地裁判事も務めた旧ジョネス邸の二代目所有者・山田作之助弁護士が生前、保存を主張していた建物でもある。

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旧庁舎の設計者は河合浩蔵(1856~1934)。
工部大学校(現在の東大工学部建築学科)でJ・コンドルに学ぶが、その後政府が進める官庁集中計画に関与、ドイツに留学しドイツ建築を学ぶ。帰朝後は司法省技師として、司法省庁舎などの設計に従事(実施設計及び工事監理)する。

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大阪控訴院(明治29年竣工、明治42年「北の大火」で焼失)を手掛けた後退官、その後神戸地裁庁舎の設計を機に神戸に住み、設計事務所を開き大正末年まで活躍、昭和9年に没するまで関西建築界の長老的存在であった。

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なお弊ブログでも彼の設計によるものとして、神戸の旧小寺家厩舎旧兼松商店本店(海岸ビルヂング)旧奥平野浄水場旧三井物産神戸支店(海岸ビル)、大阪の旧報徳銀行大阪支店(新井ビル)を取り上げている。

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ところで神戸地裁庁舎竣工から5年後の明治42年には、東隣りに神戸市庁舎が竣工、現在兵庫県公館となっている旧兵庫県庁舎の工事監督を務めた秋吉金徳の設計によるフランス風建築で、ドイツ風の裁判所とフランス風の市庁舎が並ぶ姿は昭和末期まで残されていた。

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神戸市役所は昭和20年に移転、旧市庁舎はその後も神戸市警察本部や検察庁庁舎として使われていたが、昭和60年に取り壊され、現在跡地には味気ない建物が建っている。(写真右奥の建物)
(旧神戸市庁舎の画像はWikipedia「神戸市警察」の項目で見ることができる。旧兵庫県庁舎とよく似た建物であった。)

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昭和20年に空襲で外壁を残して屋根と内部を焼失、戦後復旧工事が行われ改築まで使われた。
戦災前は、ドイツ風のマンサード屋根を持ち、正面中央には大きな菊の御紋があしらわれていた。
戦前の写真はこちら。(神戸建築データバンク「神戸美観地区写真集」より)

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昭和末年に旧兵庫県庁舎、旧神戸市庁舎と同時に取り壊しが検討されるようになり、保存運動も行われるが旧兵庫県庁は全面保存(内部は改装)、旧神戸市庁舎は解体消滅、そして旧神戸地裁は折衷的に新庁舎へ壁面を取り込む形での保存で決着した。

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なお昭和3年に施行された陪審法を受けて、敷地内に別棟の形で増築された陪審法廷が改築時まで残されていたが、現庁舎の玄関のシャンデリアと階段室のステンドグラスはこの陪審法廷にあったものを再利用したものである。
(参照)裁判所ホームページ 神戸地裁庁舎紹介

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神戸地裁旧庁舎の外壁は、明治30年代当時ではまだ珍しい白色タイルを、御影石の代わりに多く用いていることである。

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煉瓦と御影石の組み合わせは正面中央部分だけで、それ以外は付柱までタイル貼り仕上げとなっている。当時の官庁建築としてはこのようなタイルの多用は異色と言え、河合浩蔵流のモダンな建築表現であったと考えられる。

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なお、白色タイルはその後大正に入ると洋館の外装材として大流行しているが、河合浩蔵はその後設計を手掛けた兼松商店や奥平野浄水場、三井物産などでも、白色タイルを盛んに外装材として使用している。

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ガラス張りの建物に腰巻状に煉瓦の壁が貼りつくような現庁舎の姿は、異様さが先に感じられるのは否定できないが、ここは明治の名建築の外壁がオリジナルで残されている事実を重視したい。何もこの姿で恒久的に残されてゆくわけでもあるまい。

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また何十年かすれば改築が議論される筈である。そのときは長い歳月を刻んだ外壁が本来あるべき形で甦るチャンスが巡ってくる。跡形もなくなった隣の旧神戸市庁舎は最早レプリカしか作り得ないが、こちらは本物の壁が残されているのである。

もっとも、いずれにせよ管理人は自身の目で見ることは叶わないと思うが、すぐれた建築物は人一人の命よりも遥かに長い。次代に期待する。

住友ビルディング(住友本館) 保存決定 ※記事追記

5/27付で紹介した住友ビルディング保存については讀賣以外に、産経などでもニュースが出るようになりましたので追記再掲しておきます。


(以下5/27掲載分)

弊ブログ第34回記事で取り上げた住友ビルディング(住友本館)が保存されることになったようです。

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以下、記事紹介。

「北浜「住友ビル」保存へ…モダン建築の価値重視」(平成25年5月27日 讀賣新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/homeguide/news/20130527-OYT8T00581.htm?cx_thumbnail=07&from=yolsp

「三井住友銀行は、大正期に建設され、築90年近くになる大阪本店ビル(大阪市中央区)を建て替えず、保存することを決めた。
 大規模な改修工事にあたって、建て替え案も浮上していたが、歴史的な価値が高い建物を守るべきだと判断した。外観はそのままに内側に耐震板を設けるなどして耐震性向上を図る。
 大阪本店ビルは、関西の金融の中心地である北浜にある。地上6階、地下1階の建物は、延べ床面積約3万4000平方メートルで、重厚感にあふれる。住友財閥の本拠地として、当時の建築技術の粋を集め、1926年(大正15年)に完成。大阪市民には「住友ビルディング」として親しまれてきた。
 クリーム色の外壁は、美しく仕上げるため、古墳時代の石棺にも使われた兵庫県西部産の竜山石たつやまいしを粉砕してから張りつけている。現在では高価すぎて再現できない工法という。店内には、精巧な彫刻が施されたギリシャ建築様式の12メートルの柱が立つ。
 戦後の一時期は、建物の一部が、連合国軍総司令部(GHQ)の拠点になったことでも知られる。文化財には指定されていないが、建築家や研究者らが見学に訪れることもある。
 耐震性の向上やスペースの有効利用などを図るため、5年ほど前から、約50年ぶりとなる大規模な改修工事の検討が始まった。建て替える案や、東京・銀座の歌舞伎座のように後方に高層ビルを建てる案なども議論されたが、歴史的価値の高い建物をそのまま残すべきだという意見が多かった。
 95年の阪神大震災でも損傷せず、現在の建築基準に照らしても十分な強度があることがわかり、建て替えはしないという結論になった。同行の中田久義管理部長は「当時の危機管理意識の高さに驚かされた」と話している。
 今回の改修工事は、大災害があっても建物内で仕事が続けられるようにするためのものだ。内側から柱の間に板を渡し、耐震性をさらに高めるほか、川の氾濫に備えて高さ1・2メートルの防潮板を造ることにした。工事は今月から始め、2015年4月までに終える予定だ。近代建築に詳しい京都工芸繊維大の石田潤一郎教授は「モダンで洗練された大傑作で、次代に残すことは社会的意義がある」と評価している。

(以上、記事紹介終わり)

この報道は讀賣1社のみで、三井住友銀行による公式発表があったのかどうかは、今のところWebで調べる限り分かりません。しかしこの超一級の建物でさえ文化財指定はおろか、それどころか建て替えの選択肢がつい最近まで存在していたことには唖然とさせられますが、何はともあれ保存が確定したことは慶祝の至りです。

あとは、別の場所で再開発を行った場合の容積率緩和や建物の文化財指定など、所有企業が保存していくために行政(大阪府・大阪市)が出来得る限りの後押しをする必要がありますが・・・・


(以下、今回追記分)


「大正建築保存へ 三井住友銀大阪本店 歴史を尊重し建て替えより改修」(平成25年6月20日 産経新聞)

「 大正時代に建設された三井住友銀行の大阪本店ビル(大阪市中央区)が、保存されることになった。取り壊して建て替える案もあったが、歴史的な価値を尊重、外観を維持し内部を改修する。
 伝統建築をめぐっては、大阪・中之島のダイビル本館は、新ビルを建設する際、旧ビル外壁のれんがなどを再利用し、低層部の外観を復元した。三井住友銀行のように建物ごと保存する例は少ない。改修で地震や津波に強い建物にする。東京の本店が災害に見舞われたときに、代替機能を担うことも視野に入れる。
 工事は5月から始まり、平成27年4月に完了予定。
 大阪本店ビルは「住友ビルディング」として大正15年に1期工事が完了、昭和5年に増築された。延べ床面積は約3万4千平方メートル。」

「三井住銀、大阪本店ビル保存 歴史的な価値を尊重」(平成25年6月20日 共同通信)

大正時代に建設された三井住友銀行の大阪本店ビル(大阪市中央区)が、保存されることになった。取り壊して建て替える案もあったが、歴史的な価値を尊重、外観を維持し内部を改修する。
 伝統建築をめぐっては、東京・丸の内の東京中央郵便局が低層部の外壁などを残しJPタワーに建て替えられた。大阪・中之島のダイビル本館6 件は、新ビルを建設の際、旧ビル外壁のれんがなどを再利用し、低層部の外観を復元した。三井住友銀行のように建物ごと保存する例は少ない。
 工事は5月から始まり、2015年4月に完了予定。同行管理部の中田久義部長は「歴史ある建物を次の世代に引き継ぎたい」と話している。」

(以上、記事紹介終わり)

上記3つの報道において紹介されている歌舞伎座、ダイビル本館、東京中央郵便局はいずれも高層ビルに改築され、低層部に旧建物が何らかの形で残されたものですが、これらについても後日改めて弊ブログにて取り上げたいと思います。


ダイビル本館(外壁の大部分と内装の一部に解体した旧ビルの部材を用いて、新ビル低層部に復元)
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東京中央郵便局(旧ビルを構造体も含めた外壁を一部保存して高層化)
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歌舞伎座(旧建物を新しい材料で再現。一部の装飾部材は旧建物から再利用)
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第602回・岸本家別邸

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明治以降、別荘地として発展した神戸市垂水区の海岸沿いの地域のうち、旧グッゲンハイム邸旧ジェームス邸に代表されるように、塩屋では多くの欧米人が別荘を建てたが、垂水・舞子海岸沿いは旧武藤山治邸など日本人の別荘が多かった。垂水駅前にある岸本家別邸もそのひとつである。国登録有形文化財。

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国道2号線に面して建つ岸本家別邸。
垂水周辺も、かつては戦後長らく垂水警察署として使われ、異人館警察として親しまれた旧四本萬二邸(大正7年頃、昭和61年解体)などの別荘建築があったが、現在も残る大規模な別荘はこの岸本家別邸のみである。

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大阪・船場で江戸時代より鉄を取り扱っていた商家・岸本家の当主・四代目岸本吉左衛門(1858~1924)が明治42年(1909)に建てた。なお子息の五代目吉左衛門が、昭和6年(1931)に船場の店舗跡に建てた英国風洋館も現存しており、垂水の別邸に先立ち国登録有形文化財として保存されている。(弊ブログ過去記事参照)

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国道から見える、屋上にスペイン瓦葺きの屋根を架けた洋館風の建物は鉄筋コンクリート造のボイラー室である。背面では土蔵につながっており、上部のスペイン瓦葺きの部分は昭和以降の増築かも知れない。

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岸本家が営む岸本商店は八幡製鉄所(現・新日鉄)の指定商となったのを機に事業を拡大し、戦前の大阪では最大の鉄鋼問屋であったとされる。

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国道に面した正門の先に植え込みを設け、その奥に更に門を構えた、船場の豪商の別荘にふさわしい奥床しい佇まい。現在は岸本商店の流れを汲む会社が管理しており、迎賓館として使われている。

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浜側からの眺め。現在はコンクリートの防潮堤が建っているが、かつては浜辺に面していた。大阪湾から淡路島、瀬戸内海を一望できるように造られた庭園は今も往時のまま保存されており、舟で庭園に横付けするための舟屋跡も残されている。

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浜側に建っている離れ。主屋とは渡り廊下で接続されており、主屋竣工後、明治末期~大正初期の建設とされる。手前の平屋建てが離れ、奥に屋根が写っているのが主屋。

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西側に建つ洋風の新館。敷地の拡大に伴い昭和14年(1939)に建てられた。こちらも主屋とは渡り廊下で接続されている。

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正門に隣接して建つ、国道に面した二階家は使用人用の旧社宅で執事用の住居として建てられた。使用人用の住居はもう1棟あったがこちらは現存しない。洋風新館と同じく、昭和14年に建てられたとされる。なお、洋風新館と旧社宅は登録文化財になっていない。

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洋館と異なり外観は目立たないが、上質な内部空間を持った貴重な明治の和風別荘建築である。特に後年の増築や付属建物までほとんど残されているのは極めて珍しく、将来は一体となって保存して頂きたいものである。

(参考資料)
①平成24年登録有形文化財答申に伴う兵庫県及び神戸市の報道用資料
兵庫県発表資料
神戸市発表資料
画像
②兵庫県の近代和風建築 -兵庫県近代和風建築総合調査報告書- 平成26年 兵庫県教育委員会

(平成26年10月5日追記)
新たな参考資料、②に基づき本文の加筆修正を行いました。

第601回・槌橋家住宅

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前回の旧ジョネス邸内覧会報告でも紹介した、神戸市長田区の槌橋家住宅。
建物の一部は敷地内に建てられたマンションの共用スペースとして使われている珍しい建物保存の事例。
国登録有形文化財。

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槌橋家住宅は神戸市長田区の高台に建っている。
背後に写っているのが敷地内に建てられたマンション。

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大正12年(1923)に迎賓用に建てられたという木造二階建。
公道からは玄関側しか見えないが、かつての庭園側にはベイウインドウやテラスも設けられている。
マンション建設前の画像が文化庁のホームページで見られる。

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当初の間取りは、1階には食堂・台所・居間・和室・サンルーム、2階には居室4室を設けていたという。
現在一階をマンションの共用スペースとして使用、二階は槌橋氏の私的スペースとして使用している。

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阪神大震災で損傷し、取り壊してマンションにすることも考えられたが、建主の子孫の一人で映画監督・神戸芸術工科大学准教授の槌橋雅博氏は保存の途を模索、最終的には現在のような形で残ることとなった。

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既存の洋館を残しつつ集合住宅を建設するという、この珍しい保存について基本企画を行った会社のホームページに、本事業の経緯が詳細に紹介されている。

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当初に企画を行った会社が途中で設計から離れざるを得なくなった事情もあり、必ずしも当初の計画通りには行かなかったが、建物の保存だけは辛うじて実現されたという。そこには古い建物を保存しながら開発を図ることに対する様々な障害が存在していた。

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法規制の関係上、内外装共に大幅に手を加えざるを得なかったようで、一見したところあまり古さを感じさせない姿になっているが、よく見れば玄関の石段や腰壁のタイル、一階の軒の銅板張りなどに歴史が感じられる。

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旧ジョネス邸の保存方法の選択肢としてこのような形も無しではないとは思うが、技術面に経済面、そして法規制など、現実には様々な困難が存在するのだろうと思われる。

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とはいえ保存と開発を曲がりなりにも両立させたこの事例は、今後の同様の事例における課題解決のためにももっと注目されてよいのではないだろうか。

旧ジョネス邸内覧会 参加報告(その2)

旧ジョネス邸第2回内覧会 参加報告その2です。

同じ塩屋町に建つ明治の異人館・旧グッゲンハイム邸にて同時開催されたシンポジウムの模様や、同時に公開されていた旧後藤邸などの周辺建物についてまとめたいと思います。

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まずは旧ジョネス邸周辺の建物から。
旧ジョネス邸の3軒程東隣りには、以前より気になる建物があります。

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赤いスペイン瓦葺きの洋館で、煙突があるところを見ても暖炉も備えているのか、小規模ながらもなかなか本格的な邸宅にように思われます。

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玄関廻りは渋い色合いのタイル貼り。前面を通る国道2号線が後年嵩上げされたために、一階部分は現在は半地階のようになっています。

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弊ブログでも以前取り上げた旧後藤邸は、現在神戸市が所有・管理しており、通常は非公開となっている建物です。神戸市の協力により今回の内覧会に合わせて公開されたようです。
左端の赤い屋根の洋館が本日のシンポジウム会場で、やはり以前取り上げた旧グッゲンハイム邸、右の土蔵付の三角屋根の洋館が旧後藤邸です。

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旧後藤邸は残念ながら、内部写真の公開は禁止とのことなので公開は控えます。
神戸市がこの建物を今後どのように保存活用するつもりなのかは知りませんが、未定であるなら有効な活用案を探る絶好の機会でもあると思うのですが。

さて、写真を出せないので説明は難しいですが、玄関欄間のステンドグラス、二基ある大理石の暖炉、凝った意匠の階段親柱と手すり、洋館と日本館の間に設けられた茶室風の小座敷、次の間と立派な床の間を備えた座敷のある日本館など、小さいながらも隅々まで隙のない意匠が施されたすばらしい住宅建築でした。

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旧後藤邸の庭からは、旧ジョネス邸のある塩屋駅前方面が見えます。
周囲はマンションだらけになってしまっていますが、その後ろには瀬戸内海が一望できます。

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旧後藤邸の敷地から見る旧グッゲンハイム邸。
この建物を会場としてシンポジウムが開催されました。

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シンポジウムの模様は、「旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」ホームページに詳細に紹介されております。
ブログ管理人も会場に潜入、拝聴させて頂きました。
その中から個人的に気になった、関心を持った御意見をいくつか。

ホームページでも紹介されておりますが、敷地内で旧ジョネス邸は保存しつつマンションを建てる方法も考えられるという御意見もありました。これは下記の建物を念頭に置かれた御意見です。

(下の写真)大正12年に建てられた洋館を保存しつつ敷地内にマンションを建設、内部の一部は住民の共用スペースに利用している神戸市長田区の槌橋家住宅。(国登録有形文化財)

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「引き継ぐ会」代表でシンポジウム司会進行役の森本氏より、見学者のアンケートにおける意見の中には、建物の荒廃ぶりから保存には懐疑的な意見もあったような御報告もあったように思います。
実際そのような感想を抱く人も多いのでしょう。

下の写真を御覧下さい。
Before
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After
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弊ブログでも以前取り上げた同じ塩屋町にある洋館です。
旧ジョネス邸よりもひどい有様だったにも関わらず、見事に甦っております。

現在綺麗に修復され、保存活用されている建物でも、かつては凄まじく荒廃していた例は多々あります。シンポジウムでは構造的には現在も十分堅牢と思われる、という専門家の発言もありました。旧ジョネス邸の現在の姿を見て諦めたり、再生に疑念を抱くのは早計と言うべきでしょう。

またそれらの修復された建物は、文化財指定を受けたことによって行政による手厚い措置で修復が実現したものばかりではありません。近年は民間事業者によって一種の設備投資のような形で修復されたものも増えております。

(下の写真)民間事業者の手によって修復の上、現在レストランとして活用されている旧小笠原長幹伯爵邸(東京都新宿区)

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他には、学生の交流・合宿施設としての活用案もありましたが、現在は企業でも学校でも自前の宿泊施設を持つところが減っている現状を踏まえての御意見だったように思いますが、これは旧ジョネス邸でも無論良いのですが、旧後藤邸など恰好の活用案ではないかと個人的には思いました。

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旧ジョネス邸は、旧グッゲンハイム邸・旧後藤邸などと共に、長い時間をかけて作り上げられた風情ある住宅街が、海と山に挟まれた風光明媚な場所に今も残されている希少な地域というべき塩屋の街には欠かせない存在です。現所有者におかれては賢明なる御判断を心より熱望する次第です。

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おわり

駄文に御付き合い頂き有難うございました。
次回から通常の記事とする予定ですが、本記事で紹介した神戸地方裁判所や槌橋家住宅なども取り上げたいと思います。
プロフィール

syoukou

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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