第624回・旧小出収邸

IMG_8065_convert_20130728171636.jpg

現在は東京都小金井市の江戸東京たてもの園に移築、公開されている旧小出邸は、実業家小出収(1865~1945)夫妻の住居として、大正14年(1925)に現在の東京都文京区西片に建てられた。建築家の堀口捨巳(1895~1984)の最初期作品としても知られる。

IMG_8081_convert_20130728170412.jpg

ピラミッド状の瓦屋根が特徴。門や柵、西片町にあった頃の写真と比べると、植え込みまで移築前の佇まいを再現しているようである。

IMG_8080_convert_20130728171517.jpg

玄関ポーチ。

IMG_8079_convert_20130728171438.jpg

玄関の壁板は手斧仕上げ。

IMG_8068_convert_20130728170513.jpg

書斎。
数寄屋建築とモダンデザインの融合を得意とした堀口捨巳の作風がよく現れたこの部屋は一番の見どころ。

IMG_80702_convert_20130728171320.jpg

書斎入口脇に設けられた釣り棚。

IMG_80712_convert_20130728171400.jpg

通常の洋間であれば暖炉を置くところをタイルで畳んだストーブ置き場を設ける。
建築探偵の藤森照信氏に言わせれば「枕屏風」のイメージ。

IMG_8067_convert_20130728170544.jpg

シンプルながらも板壁や色調に重厚さがみられるデザインの食堂。

IMG_8066_convert_20130728170115.jpg

藤森照信氏曰く、「和室の造りはすごく下手クソ」

IMG_8076_convert_20130728170328.jpg

確かに素人目に見ても、名古屋の老舗料亭である八勝館の「御幸の間」(昭和25年)など、多くの和風建築の名作を生み出した建築家の手掛けた座敷とは思えない。

IMG_8075_convert_20130728170633.jpg

二階、屋根の勾配部分を利用した納戸。

IMG_8083_convert_20130728170252.jpg

(参考資料)
「歴史遺産日本の洋館 第四巻 大正編Ⅱ」藤森照信・増田彰久 平成15年 講談社刊
スポンサーサイト

第623回・旧秩父宮御殿場御別邸(秩父宮記念公園)

P10004402_convert_20130727232624.jpg

静岡県御殿場市にある秩父宮記念公園は、かつての秩父宮御殿場御別邸を整備・公開しているものである。
邸内には江戸時代の庄屋の館を昭和の初めに移築改装した母屋などが残されている。

P1000431_convert_20130727232810.jpg

主屋の建物は、元々御殿場市深沢の庄屋小宮山家の住宅として享保8年(1723)に建てられたものであるが、昭和2年(1927)に日銀総裁や蔵相を務めた政治家の井上準之助(1869~1932)が購入、現在地に移築改装し洋室などを備え別邸として使っていたが、昭和7年の血盟団事件で井上は暗殺される。

P10004322_convert_20130728102911.jpg

その後昭和16年、肺結核を患い闘病生活を送られていた秩父宮雍仁親王(1902~1953)の転地先として井上家別邸が選ばれ、療養室の別棟などが増築され秩父宮家別邸として使われる。雍仁親王は昭和27年1月に藤沢市の鵠沼に移られるまで勢津子妃(1909~1995)と共に御殿場で約10年に亘り過ごされている。

P1000438_convert_20130727233013.jpg

雍仁親王は昭和20年8月15日の玉音放送を、弟である高松宮宣仁親王と共にこの別邸で聴かれた。
戦後は皇室と国民との懸け橋となるべく、積極的な言論活動に取り組まれると共に、地元の成人式や高校の卒業式で祝辞を述べられるなど地元との関わりも深められた。

P10004392_convert_20130727233526.jpg

昭和19年に東京赤坂の秩父宮家本邸から移設された、朝倉文夫制作による雍仁親王の登山姿の銅像。
登山のほかスキーなどスポーツを好まれたことから、「スポーツの宮様」として親しまれた雍仁親王は、病状が快癒されないまま昭和28年、50歳で薨去。御殿場の別邸はその後、勢津子妃が夏季を中心に利用されていた。

P1000435_convert_20130727233653.jpg

勢津子妃が平成7年に薨去されると、遺言により別邸は御殿場市に寄贈、公園として開放されることになり現在に至る。邸内にある写真の四阿(あづまや)は、勢津子妃によって来客をバーベキューでもてなす際に使われていたという。

P1000433_convert_20130727233823.jpg

母屋は、玄関を入った土間の部分は煉瓦造りの暖炉を備え、窓にはステンドグラスを嵌めた重厚な洋室に改装されているが、座敷や囲炉裏のある部分は移築前の姿を残していると思われる。大正から昭和初年には富裕層の間で古民家を移築改装した別荘を建てることがしばしば行われたが(軽井沢の三五荘など)、この建物もそのような事例の一つと言える。

P1000436_convert_20130727232853.jpg

母屋の洋室は井上準之助の別邸として移築されたときに造られたものと考えられるが、家具調度類は雍仁親王の愛用品が机上の小物に至るまでよく残されている。

P10004372_convert_20130727233604.jpg

なお内部は撮影禁止の為、残念ながら写真は無いがこちらのサイトで見ることができる。煉瓦造の暖炉を備えた洋間が素敵。
しずおか近代和風建築さんぽ 秩父宮記念公園母屋
http://kindaiwafu.eshizuoka.jp/e1020555.html

P1000440_convert_20130727233137.jpg

平成12年に「旧秩父宮御殿場御別邸」として御殿場市指定文化財に指定されている。

(参考資料)
JTBキャンブックス「皇室の邸宅」平成18年 鈴木博之監修
秩父宮記念公園ホームページ
http://chichibunomiya.jp/history/index.html

第622回・カトリック松が峰教会

IMG_9923_convert_20130727183400.jpg

宇都宮市役所の近くに建っているカトリック松が峰教会は、大谷石の外観が特徴の教会。
現在の聖堂は昭和7年(1932)竣工。国登録有形文化財。

IMG_9920_convert_20130727222400.jpg

松が峰教会は、明治21年(1888)にパリ外国宣教会のカジャック神父によって宇都宮市川向町に「宇都宮天主公教会」として創立された。

IMG_9929_convert_20130727183635.jpg

明治28年に現在地に移転し、昭和7年に現在の聖堂が竣工した。

IMG_9926_convert_20130727183719.jpg

設計はスイス人建築家のマックス・ヒンデルによるもので、日本における代表作のひとつである。

IMG_9925_convert_20130727183506.jpg

内外壁に用いられている大谷石は古くから栃木県内で採掘されてきた石で、旧帝国ホテルの建材として用いられたことで知られる。松が峰教会は、現存する大谷石を用いた建造物としては最も大規模なもののひとつである。

IMG_9906_convert_20130727185500.jpg

昭和20年7月の宇都宮空襲では外壁を残して内部を焼失するが、昭和22年には復旧工事が完了している。

IMG_9907_convert_20130727183923.jpg

その後も設備の更新や改修を重ねながらも、創建時の姿を残しつつ現在に至る。

IMG_9908_convert_20130727184303.jpg

平成10年には国の登録有形文化財に選定されている。

IMG_99072_convert_20130727221712.jpg

創建年次を示す「1932」の文字が見える。

IMG_99192_convert_20130727184805.jpg

戦災で古い街並みを失った宇都宮市では、松が峰教会は旧栃木県庁舎などと並び、市内に現存する数少ない近代建築である。

IMG_9912_convert_20130727184346.jpg

(参考)カトリック松が峰教会ホームページ「松が峰教会の紹介」
http://www2.ucatv.ne.jp/~matumine.sea/intro.html

第621回・坂田医院旧診療所

IMG_0255_convert_20130725003256.jpg

坂田医院旧診療所は、埼玉県熊谷市妻沼(めぬま)にある昭和初期の病院建築。
現在は熊谷市が所有・保存している。国登録有形文化財。

IMG_0207_convert_20130725232404.jpg

産科医院として昭和6年(1931)に建てられた。

IMG_02042_convert_20130726000121.jpg

鉄筋コンクリート造平屋建で、外壁には当時の建築物に多く見られる茶褐色のスクラッチタイルを貼る。

IMG_0210_convert_20130725233227.jpg

現在は診療棟しか残されていないが、右手に病棟、背面に居住用の主屋等があり、それぞれ渡廊下で結合されていたという。

IMG_0197_convert_20130725232002.jpg

かつて主屋に面していたと思われる背面はコンクリートむき出しの外壁。

IMG_0205_convert_20130725232133.jpg

昭和50年代前半まで医院として使用されていた。

IMG_0254_convert_20130725233511.jpg

玄関。床のタイルも昭和6年当時のままと思われる。

IMG_0213_convert_20130725232513.jpg

受付の小窓。

IMG_0246_convert_20130725232751.jpg

高い天井の玄関広間。
館内は、受付・調剤室、応接室、待合室、診察室、分娩室、手術室、給湯室、レントゲン室、暗室、便所から成る。

IMG_0248_convert_20130725234535.jpg

畳敷きの待合室。円筒形の物体は陶器のストーブ。小窓は診察室に繋がっている。

IMG_0236_convert_20130725234303.jpg

待合室天井の照明台座。

IMG_0233_convert_20130725234048.jpg

診察室。

IMG_0238_convert_20130725234205.jpg

壁が黒く煤けているのは、暖房用のストーブや揮発した消毒液の影響によるものではないか、との事。

IMG_0231_convert_20130725234804.jpg

ここで使われていた医療器具などがそのまま残されている。

IMG_0227_convert_20130725234006.jpg

手術室。
床には玄関と同じようなタイルが敷き詰められている。

IMG_0215_convert_20130725232308.jpg

応接室にはアールデコ風のモダンな照明器具が残る。

IMG_0242_convert_20130725233326.jpg

レントゲン室の照明器具。

IMG_0219_convert_20130725233035.jpg

現在この建物は、ドラマや映画のロケによく使われている。

IMG_0253_convert_20130725232914.jpg

通常は非公開であるが、8月4日までの土・日曜に内部が公開されている。
熊谷市ホームページ
http://www.city.kumagaya.lg.jp/kanko/eventinfo/sakatakoukai.html

IMG_0262_convert_20130725233655.jpg

こちらの建物は、坂田医院旧診療所のすぐ裏手にある井田記念館。
旧妻沼町名誉町民で、ポマードの製造で成功し衆議院議員も務めた井田友平(1889~1965)の旧邸。
内部は公開されていないようである。

第620回・旧秋元別邸

IMG_0192_convert_20130724221931.jpg

前回紹介した旧上毛モスリン事務所の斜め向かいにある旧秋元別邸。
旧館林藩主秋元家の別邸として明治時代に建てられたもの。

IMG_0159_convert_20130724221654.jpg

旧館林城八幡郭の位置にある旧秋元別邸。

IMG_0162_convert_20130724222119.jpg

秋元家は幕末に近い弘化2年(1845)、館林藩最後の藩主として山形藩から入封。二代目藩主の秋元礼朝の代で明治維新を迎えた。

IMG_0165_convert_20130724222510.jpg

現在残る別邸の建物は、明治時代に上毛モスリンによって建てられたと現地の解説版にはある。

IMG_0191_convert_20130724222355.jpg

初代藩主の秋元志朝は民政に力を注ぎ藩政改革に成功を収めたというから、地元の有力企業が旧藩主のために建てたと思われるこの別邸は、かつての殿様と領民との関係が明治以降も良好なものであった証なのかも知れない。

IMG_0188_convert_20130724222712.jpg

屋根が曲線を描いて盛り上がる起り(むくり)屋根が特徴。

IMG_0177_convert_20130724221832.jpg

建物内部は通常公開されていないが、敷地は館林花菖蒲園の一郭として入れるので窓硝子越しに内部を覗く。

IMG_0180_convert_20130724222026.jpg

座敷床の間。

IMG_0182_convert_20130724222434.jpg

現地解説版によると、昭和初期には秋元氏によって東京神田駿河台の本邸から庭石と秋元社が移設、洋館が増築されたという。写真奥に写っているのが秋元社と思われる。屋敷神であろうか。

IMG_0169_convert_20130724222232.jpg

昭和初年に増築されたという洋館。

IMG_0174_convert_20130724222633.jpg

洋館といっても正面外壁を洋風の下見板張りにしただけで、内部は和室と思われる。

IMG_0187_convert_20130724221556.jpg

洋館の裏にある土蔵。

IMG_0195_convert_20130724221735.jpg

館林花菖蒲園から望む旧秋元別邸。

IMG_0168_convert_20130724223504.jpg

菖蒲の時期に来たらよかった。

第619回・旧上毛モスリン事務所

IMG_0097_convert_20130721152922.jpg

群馬県館林市の旧館林城二の丸跡に、明治41~43年にかけて上毛モスリン(株)の新工場が建設された際事務所として建てられた洋館。群馬県指定重要文化財。

IMG_0156_convert_20130721162112.jpg

伝統的な尺貫法で設計された入母屋造りで和風の要素も強いが、外壁や上げ下げ窓の建具などは純然たる洋風建築である。

IMG_0134_convert_20130721163902.jpg

館内に展示されている旧工場の古写真。
中央に旧事務所の建物が写っている。煉瓦造の工場建物は、工場が移転・閉鎖された後平成5年に全て解体されている。

IMG_0103_convert_20130721153245.jpg

工場の取り壊しに際し僅かに残された遺構。
旧受電室の破風と窓枠の一部。

IMG_0115_convert_20130721153037.jpg

上毛モスリン(株)は、館林の伝統的産業である機織業を活かして、明治29年に毛布織合資会社として設立された。明治35年に上毛モスリンと改称後、明治末年には旧館林城跡に近代的な大工場を設置し大正中期には最盛期を迎える。

IMG_0100_convert_20130721162652.jpg

しかし大正末年に上毛モスリンは倒産、工場はその後様々な会社に使われるが、平成4年に神戸生絲(株)の工場移転に伴い80有余年の歴史に幕を下ろした。

IMG_0105_convert_20130721153324.jpg

旧事務所は昭和53年に館林市が取得、建物は約600メートル曳家移転して現在地に保存された。
和風と洋風が混在したユニークな建物であるが、背面にも珍しい造りが見られる。

IMG_0108_convert_20130721153435.jpg

木造の建物に煉瓦造の建物が一部飛び出したような造り。この煉瓦造の部分には、金庫室と文書庫が入っている。

IMG_0109_convert_20130721162210.jpg

別棟で煉瓦造の金庫や文書庫を設ける例は多いが、木造の建物と一体化しているのは珍しい。

IMG_0112_convert_20130721153614.jpg

背面側から見た旧事務所の側面。

IMG_0099_convert_20130721162418.jpg

玄関ポーチの切妻部分は曲線を多用し、アールヌーボー風。

IMG_0121_convert_20130721162251.jpg

玄関内部には受付用の小窓がある。

IMG_0135_convert_20130721154135.jpg

装飾を施した角柱が並ぶ一階事務所。

IMG_0124_convert_20130721153654.jpg

煉瓦造の張り出し部分は事務所内部から見るとこのような感じになっている。
右が金庫、左が文書庫。

IMG_0138_convert_20130721154546.jpg

階段親柱や手摺も立派な洋風建築の造りである。

IMG_0145_convert_20130721154424.jpg

二階の応接用と思われる部屋。

IMG_0142_convert_20130721154341.jpg

二階は上記の部屋と写真の大広間がある。

IMG_0143_convert_20130721152753.jpg

大広間の照明台座。

IMG_0095_convert_20130721153815.jpg

現在旧上毛モスリン事務所の建物は、館林市第二資料館の施設のひとつとして公開されている。

第618回・埼玉県立深谷商業高校記念館

IMG_0277_convert_20130720234119.jpg

以前、第535回記事(旧大谷藤豊邸)でも少し触れた埼玉県深谷市の県立深谷商業高校記念館(大正11年(1922)竣工、国登録有形文化財)の改修工事が終わったので見に行ってきた。

IMG_6197_convert_20130220011018.jpg

IMG_6198_convert_20130220010937.jpg

工事中の写真と完成予想図(第535回記事の写真を再掲)

IMG_0284_convert_20130720234408.jpg

完成後の姿。

IMG_0275_convert_20130720235925.jpg

「二層楼」の別名もある。
改修直前は赤とピンク色に塗られていた外壁は、改修に伴う調査で判明した創建当初の色調に戻された。

IMG_0277_convert_20130721000417.jpg

深谷商業高校の創立は、大正10年に町立深谷商業学校として設立(2年後に県立に移行)された事に遡る。

IMG_0281_convert_20130720235155.jpg

校舎は創立の翌年大正11年に、同校の設立に深く関わった地元の名望家当主・大谷藤豊(のち深谷町長、埼玉県議)が自ら所有する土地に私財を投じて建設したものである。

IMG_0282_convert_20130720234541.jpg

新校舎の完成後は記念館として保存され、平成12年には国登録有形文化財となったが、近年は老朽化が進んでいたため平成23年から改修工事が進められていた。

IMG_0270_convert_20130720235020.jpg

玄関ポーチや両翼の半円形の破風飾りなどに、大正期特有のデザインが施されている。

IMG_0276_convert_20130720235336.jpg

改修前は中央の破風飾り内に放射線状の飾りがあった(上記写真の完成予想図にも描かれている)が、無くなっている。後年の改造だったのか?

IMG_0273_convert_20130720235552.jpg

埼玉県下には同時期の学校建築として旧松山中学校校舎(現松山高校記念館)があるが、こちらは中央部分のみの保存となっているのに対し、旧深谷商業学校は建物全体が残されている。

IMG_0288_convert_20130720235101.jpg

現存する大正期の学校建築として、全国的にみても優れたもののひとつだと思う。

第617回・旧古河鉱業会社足尾銅山掛水重役役宅

IMG_0038_convert_20130718233022.jpg

栃木県の旧足尾銅山には、古河鉱業会社(現・古河機械金属)足尾鉱業所の幹部社員用に明治末年に整備された社宅群が現存している。平成22年に旧所長役宅など6棟が栃木県指定有形文化財に指定、現在そのうち3棟が公開されている。

IMG_0064_convert_20130718185941.jpg

わたらせ渓谷鉄道(旧足尾鐵道)の足尾駅前、掛水地区と呼ばれている一郭に旧役宅群はある。
その隣には以前紹介した掛水倶楽部がある。(掛水倶楽部については弊ブログ第16回記事を参照頂きたい)

IMG_0063_convert_20130718190035.jpg

掛水倶楽部の正面右手に旧役宅群が現れる。

IMG_9997_convert_20130718185806.jpg

現地に設置されている解説版の古写真。左手の洋館は明治44年に建てられた辰野金吾設計による足尾鉱業所事務所である。この建物は現存しないが、写真に写る建物のうち矢印を付けた二つの建物、左手の煉瓦造の事務所倉庫、右手の所長役宅が現存する。

IMG_0003_convert_20130718190324.jpg

旧足尾鉱業所事務所倉庫。
事務所は明治40年の足尾暴動まで本山地区にあったが、暴動で焼き討ちに遭ったため、明治44年に掛水地区に新築移転したものである。

IMG_0002_convert_20130718233357.jpg

なお事務所の建物は大正10年に足利市庁舎として売却・移築され、その後昭和40年代に取り壊された。
事務所跡地はその後役宅用のテニスコートや運動場となり、現在も広場のままで残されている。

IMG_9999_convert_20130718190650.jpg

旧事務所跡の一郭に残る塀は、鉱滓(銅の精錬に際して生じた滓)を固めて造ったブロックを積んだものと思われる。

IMG_0008_convert_20130718231716.jpg

写真左側が幹部職員用の役宅、右側は一般社員用の社宅と思われる。
木の電柱や砂利道、板塀など昭和中期で時間が止まった様な佇まいの家並みが広がる。

IMG_0004_convert_20130718234801.jpg

旧所長役宅。接客用の洋室を備える。
上記古写真に写っている建物と思われる。

IMG_0034_convert_20130718233250.jpg

旧所長役宅に隣接する旧副所長役宅も洋室を備えている。但し所長役宅よりは小規模である。
旧副所長役宅から先の3棟は非公開であるが、今後整備されていくものと思われる。

IMG_0037_convert_20130718233436.jpg

旧所長役宅の正面。明治40年(1907)12月に竣工した。接客用空間と居住空間を並置した構成で敷地・建物規模共に最も大きい。

IMG_0032_convert_20130718234503.jpg

門を入って正面の洋室に近い玄関は接客用玄関。

IMG_0011_convert_20130718234417.jpg

門から右手へ入った先にあるのが日常使用するための内玄関。

IMG_0009_convert_20130718233902.jpg

三角破風や鎧戸を備え本格的な洋風意匠を施した洋室部分の外観。

IMG_0006_convert_20130718233751.jpg

内部は写真撮影禁止につき御紹介できないが、接客棟は洋室・和室共に充実した造りである。

IMG_0042_convert_20130718231625.jpg

洋室を備えるのは所長・副所長役宅のみで、他の4棟は純和風で課長役宅として建てられた。少し遅れて建てられた1棟を除き所長・副所長役宅と同じ明治40年の竣工。

IMG_0046_convert_20130718231540.jpg

一見何の変哲もない和風の住宅であるが、大正期から都市を中心に普及するようになった中廊下式の間取りが特徴。当時としては都心でもなかなか見られない最新式の住宅建築だった訳である。

IMG_0050_convert_20130718231358.jpg

もう1棟公開されている課長役宅。現在は鉱石資料館となっており各種の鉱石が展示されている。

IMG_0052_convert_20130718235735.jpg

戦時中は経営者である古河男爵家の疎開先に使われていたという。

IMG_0057_convert_20130718190548.jpg

そのため、防空壕が特別に造られている。この防空壕は公開されており立ち入りも可能。

IMG_0056_convert_20130718190416.jpg

防空壕は出入り口が二か所あり、空気を通すためと思われる細い土管も上部に設けられている。(写真左手に写っている)

IMG_0055_convert_20130718190449.jpg

防空壕の内部。

IMG_0039_convert_20130718234542.jpg

旧足尾銅山の産業遺産の一部として保存・整備が進められている。

(参考)
とちぎの文化財
http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/
旧古河鉱業会社足尾銅山掛水重役役宅の解説
http://www.tochigi-edu.ed.jp/center/bunkazai/2318069.htm

第616回・旧大名ホテル(日光市役所日光総合支所)

IMG_0089_convert_20130716235855.jpg

日光東照宮に近い場所に建つこの建物は、大正年間にホテルとして建設されたものの、未完成のまま結局開業に至らなかった幻のホテルである。現在は日光市役所日光総合支所として使われている。国登録有形文化財。

IMG_0085_convert_20130716234950.jpg

日光が皇族を始め貴顕富豪や外国人のリゾート地として賑わっていた明治末期、地元の名士であった小林庄一郎氏が外国人向けホテルとして建設を計画、大正年間に建物外部までが完成したという。

IMG_0078_convert_20130716234818.jpg

ホテルは「大名ホテル」と名付けられたが資金等の事情で計画は頓挫、建物内部の工事も進まず、実際にホテルとして営業されることはなかったそうである。

IMG_0077_convert_20130716233756.jpg

大東亜戦争中の昭和18年に古河電工(株)日光精銅所が買収、工員宿舎として利用されるが敗戦後は占領軍に接収され社交場として使われる。

IMG_0068_convert_20130716234528.jpg

接収解除後の昭和24年に古河電工から日光町(当時)に寄付され、改修の上昭和27年から日光町役場として使用される。

IMG_0074_convert_20130716234332.jpg

昭和29年にの市制施行後は日光市庁舎として長らく使われた。平成18年に今市市他周辺市町村と合併後は、本庁を旧今市市庁舎に移したため、現在は日光総合支所として使われている。

IMG_0073_convert_20130716233548.jpg

合併、本庁移転と同じ平成18年に、建物は国登録有形文化財となっている。

IMG_0076_convert_20130716235045.jpg

正面の外壁はモルタル塗仕上げだが、側面及び背面は下見板張りになっている。
竣工当初は正面も下見板張りであった可能性もある。

IMG_0070_convert_20130716233857.jpg

玄関周りは和風建築に見られる、柱を露出する真壁になっており、奈良ホテルを連想させる造りになっている。

IMG_0087_convert_20130716234053.jpg

幻のホテルは、今も行政庁舎として現役で使われている。

旧西尾家住宅「真珠亭」修復

以前取り上げた神戸市須磨区の旧西尾家住宅(西尾類蔵邸)内の離れ「真珠亭」(大正9年頃竣工)の修復が行われたとの報道がありましたので紹介します。

旧西尾家住宅の建物(主屋・真珠亭・松風閣・石炭庫・車庫)は弊ブログで紹介後間もなく兵庫県指定有形文化財となりましたが、真珠亭は以下の写真のとおり、敷地内の建物の中でも最も荒廃が進んでいた建物だけに、非常に喜ばしいニュースです。

IMG_1689_convert_20130716221553.jpg

(旧西尾家住宅 過去の紹介記事)
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-32.html
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-31.html

IMG_9937_convert_20130716222155.jpg

IMG_9916_convert_20130716221706.jpg

(平成25年7月10日「神戸新聞」)
http://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/alacarte/201307/0006148003.shtml

「「真珠亭」を改修 結婚式の撮影などに利用 神戸

 神戸市須磨区の神戸迎賓館(旧西尾家住宅)内にある県指定重要有形文化財の茶室「真珠亭」が改修・復元され、10日、報道陣に公開された。所有者の意向を受け、運営するコンサルティング会社が昨年6月に着工。天井部分に天然のヨシを編み込み、伝統建築が再現された。結婚式の記念撮影場所などとして利用される。
 神戸迎賓館は、神戸の貿易商が大正8年(1919年)に邸宅として建築した。日本庭園にある真珠亭は同じく大正年間の建築とされ、約70年前まで茶室などとして使われてきたが、近年は老朽化が進んでいた。
 所有者の西尾一三さん(83)=須磨区=の「後世に残したい」という意向を受け、神戸迎賓館を運営するバリューマネジメント(大阪市北区)が改修・復元を手掛けた。
 完成した真珠亭は木造平屋約13平方メートルで、赤茶色の土壁が特徴的。西尾さんは「私が中学生のころまでは、町内の寄り合いや茶会に使われていた」と懐かしむ。「宮大工がくぎを使わずにヨシを手編みし、設計通りにやってくれた」と満足そうに語った。
 一般公開は予定されておらず、今後、神戸迎賓館での結婚式利用者向けに活用される。(上田勇紀)」

(以上、記事引用終了)

機会があれば再訪し修復後の写真をアップしたいと思いますが、見違えるようになった修復後の姿はリンク先の神戸新聞記事か、修復工事を請け負った(有)播磨社寺工務店のホームページ(施工実績)に載っているので、こちらをどうぞ。播磨社寺工務店のホームページでは室内や工事中の写真も見られます。

http://www.harimashaji.jp/db.html
(№148 県指定文化財 西尾家住宅真珠亭・車庫保存修理工事)

IMG_1695_convert_20130716221958.jpg

神戸新聞の記事には一般公開はしないとありますが、結婚式利用者以外でも「神戸迎賓館」併設のレストランを利用すれば庭園の散策はできると思うので、外観は見られるのではないでしょうか。(記事写真も食事利用した時の撮影です)

IMG_9919_convert_20130716222121.jpg

もうひとつの離れ「松風閣」は真珠亭ほど傷んでいないので、こちらも近い将来使われるようになるのでは?
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。なお、リンクを張らせて頂いている他の方のページは一部を除き相互リンクとなっております。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード