第642回・旧博物館動物園駅

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博物館動物園駅は、東京の上野公園にはかつて存在した京成電鉄本線の駅。
地下駅だった同駅の出入口は二か所あり、今回紹介するのはそのうちのひとつで、東京国立博物館(旧東京帝室博物館)の敷地内に建てられたもの。

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2つの出入り口は駅名のとおり、博物館側と動物園側にそれぞれ設けられていた。

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昭和8年(1933)の開業と同時に建てられた。

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利用客の減少から博物館動物園駅は平成16年に廃駅となり、出入り口も閉鎖されて現在に至る。

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国会議事堂の塔屋を思わせるピラミッド状の屋根を持つ。現在は見ることのできない内部の天井はローマのパンテオンのようなドームになっているという。

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西欧古典様式の装飾を施した石の彫刻は、同時代の銀行建築などでよく見られるが駅舎では珍しい。

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ピラミッド状の屋根は雑草が生え傷みが目立つ。

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地下にあるホームや改札も、開業当初からの佇まいが廃駅となった現在もよく残されているという。

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入口両脇にあった照明は戦時中の金属供出で失われていたが、旧博物館動物園駅の保存活用を訴えるNPO法人「上野の杜芸術フォーラム」による募金活動で、現在1基が復元されている。

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文化施設が多く集まる上野公園にふさわしい、有効な活用ができるとよいのだが。
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第641回・北野家住宅

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前回紹介した大阪瓦斯ビルのすぐ近くに残る、昭和初期の三階建て町家。
軒周りや外壁を銅板やタイルで覆った重厚な外観が特徴。国登録有形文化財。

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背後に見えるのは大阪瓦斯ビルヂング。昭和3年(1928)に青果商の店舗兼住居として建てられた。
かつては店舗だった一階部分は改装されているが、二・三階は外観・内装共に創建時の作りをよく残しているという。
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一階前面は店舗、一階奥と二階は店主家族の居住空間で床の間付きの座敷を備える。三階は住み込みの従業員と物置などに使う板の間がある。このような階層毎の使い分けは、他の同規模の大阪市内の町屋では同じようなものであったようだ。

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昭和20年3月の大阪大空襲では周囲は焼け野原になった中、隣接の大阪瓦斯ビルと共に焼け残った。
木部をタイルや銅版で覆った外装仕上げや、建物の左右から前に張り出した「うだつ」など防火を重視した造りも幸いしたと思われる。

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二階の押入れには現在も、屋根を突き破った不発の焼夷弾による損傷の痕跡が残されているという。

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(参考)
「大阪府の近代和風建築 大阪府近代和風建築総合調查報告書」大阪府教育委員会 平成12年刊
(同書では当建物は「熊谷家住宅」として収録)
大阪府登録文化財所有者の会ホームページ

(おまけ)
大阪市内に現存する江戸時代末期~昭和初期の町屋(いずれも過去紹介したもの)

旧緒方洪庵家住宅(江戸時代末期)
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旧鴻池本宅(明治42年)
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文目堂(昭和5年)
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北野家住宅(昭和3年)
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このように並べると、建てられた時期によって規模や造りも結構異なるのがお分かり頂けると思う。
特に昭和期に入ると三階建が増え、外観も重厚で装飾的なものが多い。

第640回・大阪瓦斯ビルヂング(大阪ガスビルディング)

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大阪を代表する近代建築物のひとつ、ガスビルこと大阪瓦斯ビルヂングは、今年で創建から80年となる。
昭和8年(1933)竣工。国登録有形文化財。

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大阪の中心街・船場を南北に縦断する御堂筋に面したガスビル。写真右奥の部分は昭和41年に増築された新館(北館)。旧館(南館)は両館の継ぎ目にあった時計塔が増築によって取り外された点を除くと、外観は昭和8年当時と全く変わっていない。

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御堂筋の拡幅(昭和12年完成)、その御堂筋の下を走る大阪市営地下鉄(昭和8年開業)など、時の大阪市長・関一による近代都市計画が進行している最中に完成したガスビルは、近代都市にふさわしい外観と機能を備えた建物であった。

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東西を走る平野町通に面した外観。

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設計は、以前紹介した大阪倶楽部高麗橋野村ビルの設計者である安井武雄による。

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大阪瓦斯の本社事務所であると同時に、建物内には竣工当初からガス用品陳列場、講演場、美容室、理髪場、ガス料理講習室、食堂などが設けられ一般に開放されていた。食堂は現在も「ガスビル食堂」として営業を続けている。

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ショウウインドウを備えたアーケードも当時からのもの。

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大阪瓦斯は野村財閥の中核企業であったことから、ガスビル一階には大阪野村銀行の支店が入居しており、現在もりそな銀行御堂筋支店として存続している。

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正面玄関は御堂筋側ではなく平野町通に面した側に置かれている。
今でこそ御堂筋がメインストリートだが、当時は平野町通が船場の伝統的な街路のひとつであったからではないかと思う。

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古さを感じさせないモダンな外観であるが、一階まわりに敷き詰められた御影石のすり減り具合に80年の歴史が感じられる。硝子ブロックは地階の明り取り用で、これも創建時からのものと思われる。

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正面玄関の向かって左上にある張り出しはかつて講演場があった名残で、映写機の機械を収納するための空間であった。講演場では映画の上映会なども行われていた。

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半円形に張り出した二階通路は外観のアクセントになっている。

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西側背面。手前が昭和8年の旧館、奥が41年増築の新館。旧館1階には地下駐車場の入口がある。
都心部では自動車が増加しつつあった昭和8年当時でも、地下駐車場を備えた建物は極めて珍しかったと思われる。

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敗戦後は米軍に接収され、昭和27年に接収が解除されるまで将校宿舎として使用されていた。

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平成15年に大規模な現役オフィスビルとしては珍しく、国の登録有形文化財となっている。

第639回・はん亭

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東京都文京区根津にある、木造三階建ての商家の建物。
現在は串揚げを供する料理店として活用されており、国の登録有形文化財にもなっている。

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「はん亭」のある文京区根津の周辺は、前回まで紹介した東京大学本郷キャンパスや同じく以前紹介した旧岩崎久彌邸など近代の歴史的建造物が多く残されている。

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根津界隈も戦災を免れた場所が多いのか、古い家並みも比較的よく残されている。
写真ははん亭のすぐ近所にある洋館付き住宅。洋館の奥には土蔵もある。

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はん亭の建物は明治時代後半に建てられ、大正時代に増築された商家の建物である。

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明治42年に下駄の爪皮を扱う商家の建物として二階建の部分が建てられ、その後大正6年に3階建の部分が増築されたという。

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平成10年には国登録有形文化財となっている。

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二階建ての部分は、近年になり道路拡幅の為前面が削り取られてしまったが、三階建て部分は創建当初の姿をよく残している。

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昭和50年代に現在の所有者によって串揚げ料理店「はん亭」となり、現在に至っている。

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二階建部分二階の客席。
外からは見えないが内部には土蔵もあり、貸切専用の個室として使われている。

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(参考文献)
「歴史ある建物の活かし方 全国各地119の活用事例ガイド」平成11年 学芸出版社刊 

第638回・東京大学医学部2号館本館

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前回に引き続き、東京大学本郷キャンパスの建物。
正門をくぐった先に見えるのは安田講堂(大講堂)であるが、東大の門として有名なもうひとつの門・赤門をくぐった先に見えるのがこの医学部2号館本館。

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縦の線を強調したような安田講堂に対し、横に長い外観が特徴。
工学部2号館ほか本郷キャンパスの建物と同じく内田祥三の設計で、昭和12年(1937)に竣工。

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但し当初計画どおりに完成しているのは正面だけで、背面は未完のままになっている。

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正面の両端は八角形に張り出した四階建とし、建物全体の外観を引き締めている。

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現在は医学部2号館となっているが、もとは医学部本館として建てられた。
なおこの建物の先代に当たる建物は、東大医学部の前身・東京医学校本館として明治9年に建てられた木造二階建の擬洋風建築であるが、現在も東京大学総合研究博物館小石川分館として現存する。

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連続する半円アーチが特徴の、東大本郷キャンパスの中でもとりわけ美しい建物のひとつ。

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未完とされる背面側。本来ならば中庭のような空間になる筈だったのだろうか。

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東大本郷キャンパス構内の建物を見る上で「東京大学本郷キャンパス案内」(東京大学出版会刊、平成17年)という書籍が大変参考になるが、筆者はこの本を読んで医学部2号館を訪れたら是非見ておきたいものがあった。
背面の出入り口のひとつにひっそりと置かれた、ある記念碑である。

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大正4年から昭和13年まで、病理学教室で使用されていた解剖台に、病理学教室の創設以降三代の教授、三浦守治(1857~1916)・山極勝三郎(1863~1930)・長與又郎(1878~1941)の三名を讃える碑文を刻んで昭和16年に設置されたものである。

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放射状に刻まれた溝は、血液を下に流すためのもの。
以下に碑文を写す。(漢字や表記は可能な限り原文のままとする)

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「この解剖台はわが病理學教室を創設し東京帝國大學の病理學の教授の椅子に初めて就かれつる三浦先生その後を継ぎて癌に関する世界的業績を挙げられつる山極先生教室を拡大し完備しわが國病理學の光輝を内外に發揚せられつる長與先生の三先生が多年傍に立ちて親しく後進の研究を指導振励せられし所のものなり」

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「且つ三浦山極両先生ハ身を斯學の為に捧ぐべくその最期をこの台上に横たへられき」

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「かくも尊き台なるをもて三先生の偉大なる功績を傳へまく不朽の記念として茲ニ之を保存す」

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「わが教室に入らむ者ハ朝に夕に恩徳を仰慕すべきなり   昭和十六年十二月 病理學教室」

第637回・東京大学工学部2号館

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東京大学の本郷キャンパス内には、以前紹介した安田講堂など多数の歴史的建造物が残るが、工学部2号館もそのひとつで大正13年(1924)の竣工。

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安田講堂の正面向かって左手に位置する。
関東大震災以前に工事に着手、震災時にはほぼ完成しており、本郷キャンパスは震災による大火で壊滅的な被害を受けたことから震災後の一時期は、この建物に大学本部が置かれていたことがあるという。

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近年の改築で建物の後半部を建て替えたことにより、上部に新しい建物が載るような形になっている。
改築工事に際し、保存された旧館部分は玄関の照明器具や正面外構の鉄柵などが創建当初の形に戻された。

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設計は震災後の復興計画を担い、現在の本郷キャンパスの原型を作った内田祥三。
東大構内で最初に設計を手掛けた建物とされる。

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建設当時は周囲には明治以来の赤煉瓦の校舎群があったことから、調和を考えて外壁には赤茶色のタイルを貼る。

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安田講堂のポーチと同じく、ゴシック調の重厚なデザインが施された玄関。

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震災後の復興に際しては、外壁に貼られるタイルの色調は茶褐色で統一され、工学部2号館や安田講堂で使われた赤褐色のタイルは使われなくなる。震災まで存在した赤煉瓦の建物がほぼ消滅したためかも知れない。

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大正末期から昭和初期にかけて東大本郷キャンパスは内田祥三の設計によるゴシック風の建築で統一され、現在の東大本郷キャンパスの原型ができあがる。

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近年復元された門燈。

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東大本郷キャンパス内の近代建築は他にも多数存在するが、これから少しずつ取り上げて行きたい。

第636回・旧辰馬喜十郎邸

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兵庫県西宮市にある旧辰馬喜十郎邸は、日本酒「白鹿」の製造元として知られる辰馬本家の分家である南辰馬家の初代当主、辰馬喜十郎によって明治21年(1888)に、神戸の英国領事館を模して建てられたと伝えられている洋館。兵庫県指定有形文化財。

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旧辰馬喜十郎邸の向かいには、かつて辰馬本家の煉瓦造の酒蔵があったが、写真に写っている焦茶色の煉瓦蔵一棟を除き平成7年の阪神大震災で失われてしまった。

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正面全景。日本人の居住用に建てられた洋風建築で現存するものとしては西郷従道邸(明治10年代)、岩崎久彌邸(明治29年)などと並び、全国的に見ても極めて古いものと思われる。

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街路に面した側だけを煉瓦造とした付属棟。

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付属棟は倉庫と思われる。

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洋館前の鉄柵と御影石の門柱。
門の向かいには震災で唯一つ残った先述の小さな煉瓦蔵がある。

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神戸の旧居留地の初期の商館山手の異人館と同様、ベランダを巡らせたコロニアルスタイルの洋館。

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洋館の玄関。

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一階のベランダ付近は御影石の円柱や石畳のテラスなど、大阪の泉布観(明治4年)にも似ている。
施工を請け負った大工は、神戸の英国領事館の他に泉布観も参考にしたのではないだろうかとも思う。

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煉瓦の煙突をもつ建物は浴室棟らしい。

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震災前は内部も公開されていたらしいが、現在は非公開になっている。

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内部も見てみたい。

第635回・高橋家住宅(旧有馬彦吉邸)

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大阪府箕面市にある大正中期の和洋並置式住宅。
現在もほぼ完全な形で現役の住居として使用されている希少な事例と思われる。国登録有形文化財。

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箕面公園の近く、箕面川沿いから姿を見ることができる高橋家洋館。洋館に隣接して日本館もある。
行楽地・景勝地として人気を集めていた箕面公園の周辺には当時、政財界人の別邸が多く建てられていたが今も残る邸宅は少ない。

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インドネシアのジャワ島を拠点とする貿易商社・有馬洋行を経営していた実業家・有馬彦吉の別邸として、大正8年(1919)頃の創建と考えられている。昭和14年に高橋家の所有となり、現在も同家によって大切に維持されている。

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高橋家洋館は国の景観法に基づく景観形成重要建築物にも指定されている。

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特徴的な色彩の洋館外壁は、元々は特殊な貝殻の粉末を塗って仕上げられていたが、現在は入手が困難であることから似たような色のペンキで仕上げているそうだ。屋根もやはり現在では維持が困難と思われる、天然スレートで葺かれており、建物の維持にかける所有者の熱意が窺える。

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同時期に建てられた、似たような規模の和洋並置住宅である大阪府泉南郡の旧谷口房蔵別邸の洋館(大正11年)と同様、随所にステンドグラスが嵌め込まれている。

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ベイウインドウや急勾配の屋根など、変化に富んだ洋館の外観には、箕面市に近い兵庫県川西市に残る旧平賀義美邸洋館(大正7年)などと共通するピクチャレスク趣味が見られる。

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旧有馬邸は洋館、日本館それぞれに門を備えている。写真は洋館の門。
石垣と生垣を組み合わせた塀も、創建当初からのものが残されている。

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日本館の門。日本館には土蔵や平屋建ての小さな洋館も付属しており、洋館と同様に国の登録有形文化財となっている。なお洋館と違って街路からは日本館は殆ど見えない。

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大阪府下はおろか、全国的に見ても現役の住宅で、これだけ元の佇まいを残す和洋並置住宅も珍しい。
どうかこれからも大切にして頂きたいものである。

第634回・明治屋ビル

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古くから輸入食料品の販売などを行っている明治屋の大阪支店として、大正13年(1924)に当時の大阪のメインストリートである堺筋に面して建てられた。現役で使われている数少ない大正期の高層建築物である。

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第3回記事で取り上げた東京の明治屋京橋ビル(昭和8年竣工、中央区指定文化財)と同じく曽禰中條建築事務所の設計で、施工は竹中工務店。明治屋ビルが建っている堺筋本町は江戸時代以来の大阪の中心街・船場の一角に当たる。

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二階から八階までの外壁は、現在は全面白タイル仕上げとなっているが、創建当初は付柱などで飾られていた。

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屋上にある二層の塔屋は、軒の飾り壺と共に創建当初から変わらない姿を残している。

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御影石で仕上げられた一階外壁も創建当初のまま。
現在コンビニエンスストアが入る部分は、近年まで明治屋ストアーの店舗が入っていた。左奥の入口が上階への出入口。

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上階への出入口は木製の扉など、重厚な大正建築の趣を色濃く残している。

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ビル側面から背面を見る。
全体的には大正末期のオフィスビルの形をよく残している。

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古めかしい鉄骨の非常階段。これも創建当初からのものと思われる。

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風格ある建物だけに、一階のコンビニ看板や上階の袖看板が、色や形において建物と極めて不調和なのは残念というべき。

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戦前において「舶来品」を扱う店としては、洋酒や輸入食料品を取り扱う明治屋は洋書の丸善と並ぶ存在であった。明治から大正にかけて、現在はごく一般的に流通しているリプトン紅茶やコカコーラを日本で最初に輸入販売したのも明治屋であるとされる。

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船場の一角である堺筋本町に店を構えたのも、当時はハイカラ趣味の船場の旦那衆が明治屋の顧客として、周辺に多く住んでいたためではないかと思われる。

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東京の京橋明治屋ビルと同様、今後も保存され使われ続けて欲しいものである。

第633回・カトリック夙川教会

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兵庫県西宮市にあるカトリック夙川教会は、阪神間では最初のカトリック教会として大正10年(1921)に発足した。現在の聖堂は昭和7年(1932)の竣工。夙川界隈に残る数少ない戦前建築である。

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聖堂正面。
夕暮れ時の撮影なので壁の色が暗く写っているが、本来は淡いピンク色とクリーム色で彩色された明るい色調が特徴である。

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鉄筋コンクリート造の聖堂は戦災・震災を免れ、現在も創建当初の姿を残す。

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設計は梅木省三とあるが、経歴など同氏についての詳細は不明。
カトリック夙川教会のホームページでは聖堂について、「ヨゼフ梅木省三氏の設計になる」とあるので、同教会の信徒であったようだ。

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阪神大震災では損傷を受けたが修復された。

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聖堂の外観を最も特徴づけている尖塔。

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夙川のシンボルとして親しまれている。

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作家の遠藤周作(1923~1996)は、ここで洗礼を受けたといわれる。

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聖堂内でのコンサートやクリスマス、教会バザーなどの催事も行われており市民にも広く親しまれている。

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修復の際にでも外された屋根飾りだろうか。

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聖堂の入口前の天井にある照明台座の装飾はどこかで見たことがあると思ったら、箱根の温泉旅館・環翆楼の浴室にあるものと酷似していた。

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西宮市の都市景観形成建築物、及び兵庫県の景観形成重要建造物に指定されている。

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神戸及び阪神間では、阪神大震災によって戦前の教会建築が多く倒壊、或いは損傷により解体を余儀なくされ現在も残るものは多くない。そのような現状でカトリック夙川教会は貴重な存在である。

第632回・橋本亭

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前回に続き、大阪府箕面市の建築。
箕面公園を入ってすぐの場所、箕面川に架かる一の橋の袂に建つ木造三階建ての旅館建築。長らく閉鎖されていたが近年改修され甦った建物である。

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箕面の滝。
箕面山は古くより山岳修行の道場であったが、滝の眺めと紅葉の美しさから明治以降は景勝地、行楽地として評判を呼び、阪急電車の乗り入れで大阪市内からもすぐに行けるようになったこともあって公園周辺には旅館や料理屋、別荘が建ち並ぶようになった。

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橋本亭もそのひとつで、滝に続く滝道と箕面川が交差する一の橋の袂に明治43年(1910)に建てられたとされる。

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箕面川に面した側は全面硝子戸を立て込み、川と緑の眺めを楽しめるようになっている。

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老朽化などで長年閉鎖されていたが、平成16年に改修され甦った。

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後年の改修で殺風景なモルタル塗りであった正面外壁も、黒漆喰風の重厚なものに変わった。

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アルミサッシに換えられていた玄関扉など一部の建具も、木製のものに戻されている。

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川に面した部分は、崖っぷちぎりぎりに建てられている。

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現在は箕面FMまちそだて株式会社の運営で飲食店が入るほか、イベント会場などの用途で使われているようである。

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橋本亭ホームページ
http://machi.minoh.net/hashimototei/about/about.html

第631回・瀧安寺鳳凰閣

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大阪府箕面(みのお)市にある、箕面山瀧安寺の境内に建つ楼閣。
大正6年(1917)に建築家・武田五一(1872~1938)の設計によって建てられた近代の寺社建築。国登録有形文化財。

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大阪府北部にある箕面山は現在行楽地、景勝地として知られているが、古くは修験道の道場であった。

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箕面山瀧安寺は修験道の開祖とされる役小角によって7世紀に開かれたと伝えられている。

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鳳凰閣は箕面川の渓流沿いに、高く築かれた石垣の上に土塀を巡らせる形で建っている。

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設計者の武田五一は、アールヌーボーなど欧州の最先端デザインを日本にいち早く導入する一方で、伝統建築に対する造詣の深さでは、当時の日本の建築家の中でも群を抜いていた。

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また法隆寺をはじめとする多くの寺社仏閣の改修や新築にも携わっている。瀧安寺鳳凰閣もそのひとつである。

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京都・宇治の平等院鳳凰堂。鳳凰閣と比較して頂きたい。

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瀧安寺鳳凰閣は平等院鳳凰堂の翼廊部分を意識した外観となっていることがお分かり頂けると思う。

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近代和風建築としての特色は、桟を細かく格子状に割り付けた硝子戸を入れ、外界を一望できるようになっている点が挙げられる。

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宝形造の楼閣は壁に花頭窓を開け、銅版葺きの軽快なものとする。

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瀧安寺鳳凰閣は、寺社建築の名作である平等院鳳凰堂を下敷きに、近代的要素も加味するなど独特のアレンジを施した、建築家によるユニークな近代和風建築であると言える。

第630回・江戸東京たてもの園の看板建築群

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以前茨城県石岡市の看板建築群を紹介したことがあったが、今回は看板建築発祥の地である東京の看板建築で、江戸東京たてもの園に移築保存されているものを紹介する。

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石岡市の看板建築は色モルタルや凝石仕上げのものが多いが、東京の看板建築では様々な細工を施した銅板仕上げを施したものが多く存在した。

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たてもの園でもそのような銅板貼りの看板建築が3棟移築されている。

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たてもの園の3棟を見ても、貼り方のパターンを変えたり装飾を打ち出したり、銅板仕上げにもさまざまなバリエーションがあることが分かる。

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これは大部分をタイル貼り仕上げとして、外壁の縁取りだけ銅板を用いている。

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これは石岡でも見られた色モルタル仕上げ。

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密集市街地に建てられた看板建築は、3階建てのものが多い。当時市街地では木造3階建ては禁止されていたがこのような看板建築は屋根裏部屋として黙認されていたようである。

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この建物は背面から見たら3階建そのものだが、正面から見れば2階建にも見える。
しかし園内に保存されている建物には何処から見ても3階建ての建物もあり、それらも「黙認」されていたのだろうか?

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背面には長屋が繋がっている建物もある。

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千代田区神田淡路町一丁目にあった花市生花店(はないちせいかてん)。昭和初期の竣工。

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一階はクリーム色のタイルで仕上げ、小さなショウ・ウインドウを設ける。

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内部は昭和30年代の店頭を再現している。

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奥には店主家族の生活空間がある。

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千代田区神田須田町一丁目から移築された武居三省堂(たけいさんしょうどう)。昭和2年竣工。
明治初期創業の文具店。

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当初は書道用品の卸をしていたが、後に小売店に変わったという店内。
様々な種類の筆を納める戸棚が壁一面に広がる。

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千代田区神田神保町三丁目にあった荒物屋、丸二商店。昭和初期の竣工。
裏手の長屋も移築されており、路地の様子が再現されている。

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中央区新富二丁目にあった植村邸。昭和2年竣工。
貴金属商の店舗兼住居として建てられたという。

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一階の壁面には、空襲の爆撃に際し飛んできた破片が食い込んだ跡が残されている。

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台東区池之端、不忍通りに面して建っていた村上精華堂。
小間物屋(化粧品屋)として建てられ、化粧用のクリーム・椿油や香水等を作って、卸売りや小売りを行っていたという。

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店主家族の生活の場である茶の間。花市生花店の茶の間に比べるとだいぶ広く感じる。

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港区白金台に昭和3年に建てられた、乾物屋の大和屋本店。
3階の軒下部分は関東地方の商家に見られる伝統的な出桁造りであるが、看板建築と同様縦に細長いプロポーションが特徴。

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店頭は戦前の乾物屋の様子を再現している。

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江戸東京たてもの園の東ゾーンには、以上紹介した看板建築を始め、商家・銭湯・居酒屋などの建物が移築復元されており下町の生活を偲ぶことができる区画である。正面突き当りは以前取り上げた旧子宝湯

第629回・旧上杉伯爵邸(米沢市上杉記念館)

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山形県米沢市にある、現在米沢市上杉記念館となっている旧上杉伯爵邸は、旧米沢藩主・上杉伯爵家の屋敷として建てられたもの。現在の建物は大正14年(1925)に竣工。国登録有形文化財。

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上杉伯爵邸は明治29年に元米沢城二の丸跡に上杉家14代・上杉茂憲(もちのり)伯爵によって上杉伯爵家の米沢本邸として建てられたが、大正8年の大火で焼失する。その後再建されたのが現在の建物である。

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銅版葺き総檜造で、設計は米沢出身で当時国内屈指の設計事務所であった曾禰中條建築事務所を率いていた中條精一郎。施工は名棟梁と名高かったという江部栄蔵による。かつての殿様の屋敷だけに設計、施工、材料すべてにおいて一流を追求していることが分かる。

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鶴鳴館(かくめいかん)と称され、皇族の宿所にも充てられたという。
なおこの時期の大邸宅に多く見られる和洋の並立は無く、純和風の邸宅である。

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曲線が美しい銅版葺きの屋根。

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大東亜戦争敗戦後の占領下には一時米軍に接収される。その後米沢市の所有となり昭和26年から50年までは中央公民館として市民の利用に共されていた。現在は食事処として活用されている。

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平成9年に敷地内に残る建物8棟(大広間・玄関棟、客間棟、仏間棟、子供室、警護棟、土蔵二棟、門)が国の登録有形文化財に登録された。

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旧上杉伯爵邸の近くにある登録有形文化財の近代建造物。
上杉神社稽照殿(けいしょうでん)上杉家の宝物が収蔵・公開されている施設で大正12年に開館。
米沢大火で焼失した上杉神社の再建を手掛けた伊東忠太の設計。

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上杉神社を囲む濠に架かる石橋、舞鶴橋。明治19年の架けられたアーチ型の石橋。

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山形県下には明治時代に架けられた石造のアーチ橋が多く残る。
明治以前から石造アーチ橋の伝統があった九州地方と異なり、山形に石造アーチ橋が多いのは土木県令として知られる三島通庸の影響によるようである。

第628回・旧松永安左エ門邸(松永記念館)

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「電力の鬼」と称された実業家で茶人としても知られる松永安左エ門(松永耳庵 1875~1971)が、敗戦後間もない昭和21年(1946)に神奈川県小田原市に建てた住居。昭和46年に95歳で没するまで過ごした終の棲家である。現在は小田原市が松永記念館として所有・公開。国登録有形文化財。

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松永記念館は当初、松永安左エ門が自ら蒐集した古美術コレクションを広く公開する目的で昭和34年に設立した財団法人松永記念館が前身である。写真は展示用に建てられた記念館の建物。

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松永安左エ門の没後財団は暫く運営が続けられたが、やがて行き詰まり昭和54年に財団は解散、コレクションは福岡市美術館に、記念館の土地建物は小田原市に引き継がれ小田原市郷土文化館分館として再公開。

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昭和61年には市内にあった、松永と同じく実業家・茶人としても知られる野崎廣太(野崎幻庵 1859~1941)の茶室「葉雨庵」を移築。

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その後記念館の裏に建つ旧宅「老欅荘」を平成5年に小田原市土地開発公社が購入、当初は解体を予定していたが保存運動を受けて計画を撤回、平成11年に旧松永邸の全面保存が決定。

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平成12年には「老欅荘」「葉雨庵」が国の登録有形文化財に登録。翌13年より「老欅荘」が一般公開され、現在に至る。

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旧松永邸「老欅荘」は山裾に建っており、麓に記念館と「葉雨庵」が建っている。鬱蒼とした緑の中に風情ある土塀を巡らせている。

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なお、土塀は現在大雨が原因で一部が崩壊し、復旧工事中。
写真は崩壊以前のもの。

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これは何なのか?

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「老欅荘」正面。
和室三室で構成される、大実業家の住まいとは思えない簡素な造りの家。
松永は戦時下の昭和17年頃から造営を始め、敗戦後間もない昭和21年に完成し移り住んでいる。

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客人用の玄関を別に設けている。
茶会には政治家や学者、文化人が多く招かれていたという。

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普請は、地元の大工棟梁古谷善造と孝太郎の父子によるものとされている。
小田原市ホームページ

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客人用玄関脇の窓は茶壺を象ったものだろうか?

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昭和28年には主屋の西南に四畳半台目の茶室を増築している。

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樹木の鬱蒼と繁る時季で、雨天の中の訪問だったので写真は最悪。

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機会があったら再訪したい。

揚輝荘聴松閣が修復工事完了、一般公開再開

以前取り上げた、名古屋市千種区の旧伊藤次郎左衛門祐民の別邸「揚輝荘」内にある迎賓館「聴松閣」(名古屋市指定有形文化財)の修復工事が完了、8月29日から一般公開が再開されます。

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修復前の一般工事の際に撮った聴松閣(昭和12年竣工)。今度の修復では壁の色がもとの赤い色に戻されたので雰囲気は大きく変わるはず。

(以下、新聞記事引用)

中日新聞(平成25年8月8日)
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20130808/CK2013080802000041.html
「揚輝荘の迎賓館「聴松閣」を復元 名古屋・千種区」

「松坂屋創業家の別荘として名古屋市千種区・覚王山の高台に建てられた「揚輝荘(ようきそう)」のうち、市の有形文化財に指定されている迎賓館「聴松閣(ちょうしょうかく)」の復元工事が終わり、二十九日から公開される。見学だけでなく部屋の一部を市民に有料で貸し出し、喫茶室もつくる。
 揚輝荘は、松坂屋初代社長の伊藤次郎左衛門祐民が大正から昭和初期にかけて、三万五千平方メートルの敷地に三十棟余の建物を移築・新築したもの。空襲などで多くが失われ、二〇〇七年三月に現存する建物と土地が不動産会社から市に寄贈された。
 このうち、一九三七(昭和十二)年建築の聴松閣は「ハーフティンバー」と呼ばれる西洋の建築様式を取り入れた山荘風の外観が特徴。地上三階、地下一階で、地下にはインド様式の舞踏室や壁画がある。
戦後は米軍の司令官用宿舎として接収されるなど、間取りの変更や老朽化が著しいため、市は二〇一一年九月に復元工事を始めた。
 着工前の壁はクリーム色だったが、本来は赤土色だったことが工事中に分かり、赤土色に復元した。
 公開は二十九日午後一時からで、木やり歌などの記念イベントもある。観覧料は大人三百円、中学生以下無料。開館時間は午前九時半~午後四時半。月曜日と年末年始は休館する。
貸室とする集会室、多目的室は午後八時まで利用できるようにし、先行して利用申し込みを受け付けている。問い合わせは、揚輝荘=電(759)4450=へ。(石川修巳)」

(記事引用終了)

(弊ブログにおける過去の紹介記事)
揚輝荘 その1
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-381.html
揚輝荘 その2
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-383.html
揚輝荘 その3(聴松閣を取り上げた回)
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-382.html

揚輝荘公式ホームページ
http://www.yokiso.jp/

上記の公式ホームページで食堂や地下の舞踏室など、内部の写真も見ることができます。

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庭園側から見た修復前の聴松閣。
今回の修復では右側にあった八角形のサンルームや、テラスと食堂を結ぶ硝子戸も復元されているはず。

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聴松閣の隣に建つ揚輝荘座敷(大正8年)
次はこの建物が修復対象?

現在の揚輝荘は、寄贈者の住友不動産によるマンション開発で南北に分断されており、聴松閣と揚輝荘座敷が南園に、それ以外の建物は北園に建っています。おそらく次は隣接する揚輝荘座敷の修復を行い、その後北園の修復整備に取り掛かるのではないかと思われます。

以下、北園の建造物群。

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伴華楼(昭和4年)

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白雲橋(大正7年)

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三賞亭(大正7年)

手間と費用が掛かるので、まだまだ時間のかかる話ですが今後の整備の進捗を楽しみにしたいと思います。
修復後の聴松閣についてはまた改めて訪問、ここで紹介したいと思います。

第627回・神戸山手西洋人住居(旧ブルム邸)

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現存する神戸の異人館の中には、以前紹介した旧ハンター邸旧ハッサム邸のように神戸市内において旧所在地から他所に移築保存されたものもあるが、他県に移築・保存されたものもある。愛知県犬山市の明治村に移築・保存されている旧ブルム邸もそのひとつ。国登録有形文化財。

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明治20年代の創建と推測されており、主屋と附属屋から構成される。
昭和41年に解体、同44年に明治村に移築された。

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異人館、即ち外国人住宅として建てられたが創建からほどなく日本人の所有となっている。その後再び外国人住宅となり、解体されるまでフランス人の住居として使われていた。

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下見板張りの外壁、日本瓦葺の屋根、周囲にベランダを巡らせるなど、神戸の異人館建築の特徴を一通り備えているが、主屋は上下で四部屋しかなく異人館の中ではかなり小規模な住宅である。

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付属屋(写真奥の建物)の二階には床の間付きの日本座敷が設えられている。神戸の異人館の多くは別棟の付属屋を設け日本人使用人の居住に充てられていたが、床の間まで備えているのは珍しい。日本人の所有であった頃に改装されたものと思われる。

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神戸の異人館の殆どは、旧シャアブ邸(萌黄の館)などのようにベランダに硝子戸を入れて冬場はサンルームとして使えるように改造を施されているが、この建物は創建から解体まで硝子戸は入れず、吹き放しのベランダとして使ってたようである。

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また小規模な建物であるためか旧ドレウェル邸(ラインの館)など、神戸の異人館の殆どで見られるベイウインドウはこの建物では見られない。

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小規模ながらもデザインは洗練されており、神戸の異人館建築が総じて質が高いものであったことが窺える。

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これら質の高い異人館群の存在は、神戸及びその周辺の日本人住宅にも影響を与え、本ブログでもこれまで紹介してきたような質の高い洋風住宅が多く建てられる要因のひとつとなったものと考えられる。

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平成15年に明治村内の他の建物と共に、国登録有形文化財の認定を受けている。

第626回・旧国立神戸生糸検査所

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前回に引き続き、神戸の旧生糸検査所の施設を紹介。
国立神戸生糸検査所となった昭和7年(1932)に竣工した新館。

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神戸市生糸検査所が神戸市から国に移管、国立神戸生糸検査所となったことに伴い、神戸市生糸検査所として建てられた旧館の背後に接続する形で増築された。

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新港地区の近代建造物の中では最も規模が大きい。

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創建当時の古写真。前回記事と同じく、館内に展示されているもの。
新館も旧館同様、当初の姿をほぼそのまま止めていることが分かる。

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設計は陸軍省・兵庫県庁を経て神戸に建築事務所を開業、神戸を中心に多くの建築の設計を行っている置塩章(1881~1968)施工は錢高組。

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既に本ブログにて紹介した同氏設計の建物としては、前回記事でも触れた旧国立神戸移民収容所旧大阪砲兵工廠化学分析所旧茨城県庁舎がある。他にも現在も現役で使われている宮崎県庁舎(昭和7年)も同氏の設計である。

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同年竣工の宮崎県庁舎とは、ゴシック調の外観や塔屋上部の円形窓、スクラッチタイルの使用など共通する点がいくつか見られる。

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スクラッチタイル仕上げの外壁のせいか、明るい色調の旧館に対して新館は重厚な印象がある。

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新館の玄関。

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こちらは生糸の搬入口だろうか。

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玄関内部。円形窓や細部のアールデコ調の装飾など、昭和初期の建物によく見られる造形が見られる。

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玄関床のタイル。

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一階の大空間は総荷取扱場として、生糸の荷受・解装・包装・封印作業を行っていた場所。

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横浜の旧生糸検査所(大正15年竣工)は建て替えられ、新しい建物に旧建物の外観を残すだけだが、神戸はこのとおり建物自体が完全な形で残されている。なお、横浜では隣接する旧倉庫も当初は一部保存が計画されていたが結局レプリカ程度の再現に止まるようである。

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新館内部から旧館の背面が見える。

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新港地区の近代建築群。
左手前が生糸検査所旧館、その奥が新館、右側の建物は以前取り上げた新港貿易会館
間にはかつて、神戸港へと繋がる港湾鉄道の線路があった。

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旧生糸検査所と新港貿易会館の向かいには神戸税関が建つ。
これらの建物の他、同時期建設の倉庫群も一部を除き現存しており、新港地区は近代の建造物が集積する数少ない場所である。

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旧生糸検査所・神戸税関は保存改修の処置が既に施されているほか、新港貿易会館も国登録有形文化財となっており保全が期待される。倉庫群と共に建物の特性を活かした利活用を行って頂きたいものである。

第625回・旧神戸市立生糸検査所

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旧神戸市立生糸検査所は、神戸港の新港突堤西地区にある近代建築群のひとつ。
輸出用生糸の検査を行う施設として神戸市により昭和2年(1927)に建設された。現在は「デザインクリエイティブセンター神戸(KIITO)」として再活用されている。

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神戸港の修築によって生まれた新港地区は明治末年より第一期修築工事が開始され、工事が完成した大正11年から昭和初年にかけて三井・三菱・住友・川西などの各社倉庫群や神戸税関などの関係施設の庁舎が建ち並んだ。

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同じ昭和2年竣工の神戸税関庁舎と向かい合って建っている。
なお両者の間を通る国道174号線は日本一短い国道(187メートル)として知られる。

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館内に展示されている、建設中の模様を写した古写真。神戸税関庁舎の方が先に竣工していたことが分かる。

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竣工当時の記念写真。枠内の人物は第七代神戸市長・黒瀬弘志(大正14年~昭和8年在職)

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現在の姿。建具が交換された以外は上記記念写真と変わらない佇まい。
ゴシック調の外観は一足早い大正14年に竣工した東大安田講堂に似ているように思うが、何かしらの関連があるのかどうかは分からない。

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近年まで正面玄関にはゴシック風意匠の玄関燈があったが改修に際し取り外されたようである。
上記竣工記念写真には玄関燈は存在しないので、後年の改修で追加されたものだったようである。

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設計は神戸市営繕課長であった清水栄二(1895~1964)。施工は竹中工務店。

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神戸市内には同氏の設計による建物として旧生糸検査所のほか、以前紹介した東灘区の御影公会堂旧高嶋平介邸などが現存する。

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玄関上部の装飾は蚕の頭部をモチーフとしてデザインされたものだとか。

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神戸市立生糸検査所は昭和7年に国に移管、このとき背後に大規模な新館が増築されている。平成7年の阪神大震災では、旧生糸検査所は旧館・新館共に神戸税関や新港貿易会館などの周囲の近代建築物と同様、大きな被害は無く済んでいる。

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生糸検査所としての役目を終えた後は、平成21年まで独立行政法人農林水産消費技術センターの施設として使用されていた。センター移転後は一時存続が危ぶまれたが神戸市が購入、改修の上新たな用途に使われることになった。

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玄関ホール。中央に階段室を配してその下に玄関を置く。

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玄関ホールに面した階段まわりは大理石を多用した贅沢な仕上げ。

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曲線が美しい階段室。
ところで不思議な意匠の階段親柱に載せられた物体は、鏡餅のような、それとも・・・?

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神戸市内に建てられた同時期の建物、旧国立移民収容所(昭和3年)の階段とはまた異なる趣がある。

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一昔前のコンクリート建築ではよく見られた、人造大理石研ぎ出し仕上げの手摺り。

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建物の大半はアートスペースとして貸出に充てられているが、かつての生糸検査所の歴史を伝える記念室があり、こちらは常時公開されているようである。

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生糸の検査機械。生糸は明治以降戦前まで、我が国を支えた主要輸出品であった。

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次回記事にて、旧館の背面に建つ昭和7年竣工の新館(旧国立生糸検査所)を紹介予定。

旧北海道庁立図書館(北海道立文書館分館) 外壁等保存

以前取り上げた札幌市の旧北海道庁立図書館(北海道立文書館分館)は、街路に面した外壁と内部の一部を保存・復元してあとは解体、改築するようです。

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(過去の紹介記事)
http://kenchiku228.blog85.fc2.com/blog-entry-327.html


どうしんWeb 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/483043.html

(以下、記事引用)

「大正建築様式後世に 札幌・道立文書館別館、売却先公募

道は、1926年(大正15年)に建設された札幌市中央区北1西5の道立文書(もんじょ)館別館の売却先を公募する。内部は解体するが、大正時代のデザインの外壁をそのまま利用し、玄関ホールを復元した上で改修することが条件。歴史的な価値を残しつつ現代的な魅力も加え、建物を有効利用する新たな試みだ。
 東京や大阪では、大正時代の建物の一部を残してレストランやマンションに改修する、同様の事例がある。道内では、札幌中央署の建物全体を解体、復元したケースがあるが、道立の建物で一部を残したまま改修するのは初めてという。
 文書館別館は大正時代に流行した「セセッション」と呼ばれる様式で建てられた。鉄筋コンクリート造り4階建て延べ約1200平方メートル。当時は北海道庁立図書館だったが、道立美術館などとして使用された後、現在は道の資料の保管倉庫となっている。
 外壁の保存と解体、復元にかかる費用は道の負担で、計4億円程度を見込む。マンションや店舗など利用法について条件はない。今後、購入希望者から利用法や売却価格などの企画書を提出してもらい、希望価格や、道民が多く利用できるかなどを基に売却先を12月に選定する。売却最低価格は5億3113万円。
 公募受け付けは9月9~13日。公募要項は道のホームページ(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/sum/fm/monjyokanbekkan.htm)で公開している。問い合わせは道総務部総務課(電)011・204・5055へ。<北海道新聞8月1日朝刊掲載> 」

(以上、記事引用終わり)

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街路に面した二面の外壁は保存、内部では角にある玄関ホールは一旦解体後、復元する模様。

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こちらの背面部分は解体されます。
解体される部分の跡地にどのような建物が建つかはまだ分かりませんが、旧図書館の雰囲気を損ねないものを建てて頂きたいものです。また玄関ホールの復元もそれなりに精度の高い工事でやって頂きたいところです。


最後に記事にある北海道庁ホームページの公募要項を紹介しておきます。

「北海道文書館別館売却に係る公募型プロポーザルの募集について」
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/sum/fm/monjyokanbekkan.htm

(上記ページより一部抜粋)
「公募の目的
北海道立文書館別館は、札幌市の中心部に位置する北海道が所有する歴史的建造物ですが、築後80年を経過し、老朽化が進んでいます。今回の公募は、民間事業者等が保つノウハウを最大限活かして北海道立文書館別館庁舎(以下「現庁舎」という。)の歴史的価値を継承し、また、その立地を有効に活用していくことを目的に、現庁舎の一部保存に係る建築条件等を付した上で現庁舎及びその敷地(以下「土地」という。)の買受者を募集します。」

上記ホームページ内の「募集要項」12~20頁に建物についての解説があります。
19~20頁には復元保存が予定されている玄関ホールの写真が載っています。

「募集要項」
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/sum/fm/monjyo-youkou1.pdf
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/sum/fm/monjyo-youkou2.pdf
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