第653回・旧桐生高等染織学校(群馬大学工学部)

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群馬県桐生市にある群馬大学工学部のキャンパス内には、同学の前身のひとつである大正4年(1915)設立の旧桐生高等染織学校の本館・講堂、門衛所、赤煉瓦の正門が残されている。いずれも国の登録有形文化財として保存されている。

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桐生高等染織学校の校舎は、設置の翌年に当たる大正5年(1916)に建てられた。
本館は創建当初は長い両翼を有し、中央背面に講堂が接続されていた。門の左奥には門衛所が写っている。

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現在は本館は中央部分と講堂、両翼のうち学部長室や来賓室のある片側の一部のみが保存されている。

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現在の門衛所。現在も守衛所として現役で使用されている。

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旧本館・講堂の前に移設された旧正門。

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旧本館・講堂は現在群馬大学同窓記念会館として保存されており、平日限定で内部も公開されている。

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ゴシックスタイルを基調とするデザインが特徴。

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先日紹介した旧中島知久平邸の見学後で土曜日の訪問であったが、当日は偶々群馬大学のオープンキャンパスが実施されていたため館内に入ることができた。

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講堂内部。

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内部もゴシックスタイルの意匠が施されている。

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明治から大正期に建てられた学校建築では、茨城の旧土浦中学校や奈良の旧奈良女子高等師範学校など、ゴシックスタイルのデザインが施されたものは多く存在する。

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本館玄関と講堂の間の階段室。

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階段も手摺の尖塔アーチや親柱の飾り金物など、ゴシックスタイルで統一されている。

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大正期の洋風木造校舎は以前紹介した埼玉の旧深谷商業学校など、いくつか残されているが、このような質の高い講堂も一緒に残されているものは多くないと思われる。
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第652回・静岡銀行本店(旧三十五銀行本店)

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静岡市呉服町にある昭和初期の銀行建築。昭和6年(1931)に同県出身の建築家・中村與資平の設計で三十五銀行本店として建てられた。現在も静岡銀行本店の本館として現役で使われている。国登録有形文化財。

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国外では朝鮮半島、国内では静岡県を中心に設計活動を行った中村與資平の設計による建物は、静岡県下では現在静岡銀行本店の他、静岡県庁舎静岡市庁舎旧浜松銀行協会旧遠州銀行本店(いずれもブログ記事にて紹介済)などが存在する。

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朝鮮銀行(現在の韓国銀行)の建築顧問を務めていたことから同行の本支店を多く設計していた経歴上、銀行建築は得意としていた。

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静岡銀行本店も規模は大きくないが、堅実でいてかつ細部まで入念にデザインされている。

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静岡銀行本店は、歴史的価値の高い本館を保全しつつも背面に新館を建てて現役の店舗として使用している。同行の浜松営業部も、同じ中村設計による旧遠州銀行本店の背後に新館を建てて保存しながら大事に使っている、見識ある金融機関である。

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三十五銀行は静岡銀行の前身のひとつで、明治10年に国立銀行条例に基づき設立された銀行である。
戦時下の一県一行政策で遠州銀行と合併し、現在の静岡銀行が発足した。現在では全国有数の地銀として知られている。

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堅実経営で有名な静岡銀行であるが、堅実さを体現したような重厚な佇まい。

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静岡市は徳川家ゆかりの歴史ある城下町であるが、今も残る古い街並みや建物は少ない。我国の主要都市の例に漏れず、大東亜戦争で空襲の被害を受けたこともあるが、その前に昭和15年の大火で市街地の大半を焼失してしまったことも大きい。そして復興もままならぬ矢先に、5年後には米軍の空襲で更に焼かれてしまった。

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戦災に際しては、呉服町界隈はとりわけ被害を受けたが静岡銀行本店は焼け残り、市内の各金融機関及び官庁・企業の事務所がこの建物に仮入居していたこともあるという。

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現代風の銀行看板も無ければ、玄関もシャッターに交換することなく重厚な鉄扉のまま。
古い建物で営業を続ける銀行店舗の中でも、ここまで徹底して古い形を残す所はなかなかお目にかかれない。

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旧遠州銀行の浜松営業部と同様、古風な渋い看板。しかもこちらは右書きで正字体。

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扉の取っ手を固定するための金物だろうか。

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扉の取っ手。

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静岡県庁、静岡市役所と並ぶ静岡市中心部の数少ない近代建築である。

第651回・戸定邸

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戸定邸(とじょうてい)は、明治17年(1884)に旧水戸藩主・徳川昭武(1853~1910)の別邸として現在の千葉県松戸市に建てられた。建物は国指定重要文化財、庭園は千葉県指定名勝。

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戸定邸は昭和26年に、徳川昭武の子息で海軍技術者の徳川武定(1888~1957)によって松戸市に寄贈された。

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その後、平成3年には松戸市によって周辺敷地一帯が戸定が丘歴史公園として整備・公開され現在に至る。

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徳川昭武は水戸藩最後の藩主であり、最後の将軍として知られる徳川慶喜の実弟に当たる。

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玄関脇にある「使者の間」。来客のお付きの人の控え室として使われていた。
戦後間もなく他所に移築されていたが、約半世紀を経て松戸市による整備に際してもとの場所に再移築された。

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玄関を入ってすぐの廊下に面して、土蔵の蔵前がある。

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来客を迎えるための表向きの空間として造られた座敷。

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客間は芝生を用いた広大な庭園に面している。芝生の広場を庭園に設けるのは、従前の日本庭園にはない西洋庭園の手法である。

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客間の床の間。

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客間縁側からの眺め。高台にあるため見晴らしは非常に良い。
条件が良ければ富士山も望めるという。

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「表向き」の客間の奥には、「奥向き」徳川昭武とその家族の生活のための空間がある。
写真は昭武の書斎として使われていた座敷。

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徳川昭武の生母で、徳川斉昭の側室であった睦子の居室として使われた部屋。

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当初徳川昭武の隠居用の別邸として建てられたが、明治25年に徳川武定が子爵に叙され松戸徳川家の初代当主となると、その本邸として使われた。

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大正期に増築された洗面台。

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タイル貼りの浴槽がある浴室。

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明治に建てられた近代和風建築であるが、江戸時代の大名の別邸を偲ばせる、簡素ながらも上品な佇まいの住宅である。

第650回・旧中島知久平邸

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飛行機王・中島知久平(1884~1949)が両親のため、故郷に建てた邸宅。
群馬県太田市(旧新田郡尾島町)押切にあるこの邸宅は、現在太田市が所有・管理しており、通常は非公開だが去る9月20~21日に特別公開が行われた。

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中島知久平は、戦前我が国最大の航空機製造企業・中島飛行機の創業者であると同時に、政治家として鉄道相や軍需相を務めた人物である。その中島知久平が生家の近くに建てた邸宅は、利根川の河川敷に隣接した、田畑が広がる集落の一郭に建っている。訪問したのは公開2日目であったが、土曜日ということもあって多くの見学者が訪れていた。

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昭和6年(1931)頃に完成した邸宅は、長大な土塀に囲まれ、重厚な門と門衛所を構えた豪壮な佇まい。
中島知久平は、中島飛行機が航空機メーカーとしての評価を確立し、経営が安定し始めた昭和5年に衆議院議員に当選、政界進出を果たす。豪壮な邸宅は両親の住まいであると同時に、会社の迎賓館であり政界活動のための邸宅でもあったと思われる。

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門をくぐると現れるのが、唐破風のある車寄を備えた玄関棟。
唐破風は江戸時代以前から寺社仏閣や城郭で見られたが、近代以降は和風の大邸宅において唐破風のある車寄を玄関に取り付ける例が多く見られる。

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外観から一見純和風建築に見えるが、玄関棟の内部には純洋風の応接間が2室設けられている。縦長の上げ下げ窓は洋風建築特有のもので、伝統的な和風建築には存在しないものである。

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庭から望む主屋全景。
左から主屋を構成する玄関棟・客室棟・二階建の居間棟が見える。また右端には居間棟に続く土蔵が写っている。

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玄関棟。
敗戦後中島邸は米軍に接収され、バー・ダンスホールが玄関棟に増築されていた。ベニヤ板で塞がれている部分はその出入り口の名残である。(増築部分は老朽が進み、主屋本体を傷める原因にもなっていたことから平成23年度に太田市によって撤去された)

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客室棟。
屋根は反りのある玄関棟と異なり、やや起り(むくり)を持つ。

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二階建の居間棟。
階下に仏間と両親の居間、二階に知久平の居間が設けられている。

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土蔵と居間棟。このほか主屋を構成する建物としては、厨房や女中部屋などサービス空間を含む食堂棟がある。
主屋は玄関棟・客室棟・居間棟・食堂棟の4棟が中庭をロの字形に囲む形で構成されている。

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この邸宅の建具を最初見たときは、防犯対策として鉄格子入りにしているのかと思ったが、網戸であった。
周囲が田園地帯であるためか、建具は通常の硝子戸のほかに虫よけの網戸もしっかりと造りこまれている。

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屋根瓦や車寄せの彫刻など、建物の内外随所に中島家の家紋があしらわれている。

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中に入る。
玄関ホールは寄木張りの床に吹き寄せ格天井、シャンデリアを吊るした和洋折衷の造りになっている。
主屋の設計監督を行ったのは、宮内省内匠寮出身の伊藤藤一であることが棟札から判明している。中島邸で見られる唐破風付の車寄や和洋折衷の洋間などは、宮内省内匠寮が手掛けた皇室の邸宅で多く見られるものである。

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玄関ホールから中庭に面した廊下も、床は寄木張りの洋式。

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玄関ホールに続く応接間。

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大理石の暖炉を備え、ステンドグラスで飾られた洋室が二室ある。

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二つの応接間の暖炉。
左の暖炉上部の鏡まわりに施された彫刻にも、中島家の家紋があった。

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応接間のステンドグラスは、当時東京にあったステンドグラス工房・玲光社東京店の制作によることが判明している。

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廊下側のステンドグラスは壁に嵌め込まれているため、光を通さない。

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玄関棟から客室棟へ続く廊下。天井は折り上げ天井。

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折り上げ格天井にシャンデリアが下がる、書院造の客室棟内部。
邸宅が建てられた当時はここから利根川の河川敷が見え、中島飛行機の飛行場から離発着する飛行機を眺めることができたという。

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襖や壁の下部に見られるシミは、関東地方が大被害を受けた昭和22年のカスリーン台風で利根川が氾濫したときの浸水の痕跡であるという。

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客間の床の間。
客間は次の間との襖を外すと、49畳敷の大広間にもなるという。

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中庭。現在は水が枯れているが、本来は池泉を配した庭であったと思われる。

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居間棟一階の両親居室。日常生活の場なので派手さはない、落ち着いた雰囲気の座敷。
ただ現在は欄間や書院窓が取り去られ、荒廃が目立つ印象。

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二階にある知久平の居室は、床の間や床脇の書院など凝った造りが見られる。

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群馬県下に現存する室の高い近代和風建築としても貴重な建物と言えるが、これまで取り上げた埼玉の遠山元一邸(昭和11年)や千葉の高梨兵左衛門邸(昭和6年)などと並び、関東地方に現存する近代の和風大邸宅としても非常に質の高い貴重な建物である。

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太田市の重要文化財に指定されている旧中島知久平邸は現在、市によって市民向け文化施設として活用するための修復整備が計画されており、今後は玄関棟を手始めに順次修復を進めていくようである。

第649回・旧大間々銀行本店(大間々博物館)

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群馬県みどり市(旧大間々町)にある大正期の銀行建築。前回取り上げた桐生市の絹撚記念館と同じ建築家が手掛けた建物で、構造形式も同じく木骨石造である。現在は大間々博物館として使用されており、市指定の重要文化財となっている。

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大間々銀行は明治16年に開業、群馬県下に本店を置く銀行としては三番目に設立されたが、先の二行が国立銀行条例に基づく国立銀行(第四銀行、十六銀行など数字が行名になっている銀行)であったのに対し最初の私立普通銀行であったという。

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大間々銀行は昭和16年に群馬大同銀行(現・群馬銀行)に買収され、旧本店の建物は昭和61年まで群馬銀行大間々支店として使用されていた。銀行移転後は大間々町(当時)が購入、民俗資料などを展示する博物館となって現在に至る。

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現在残る旧本店建物は、大正10年(1921)に建てられた。絹撚記念館と同様、木造の骨組に壁体は大谷石を積み、壁の表面には、当時流行した焦茶色の化粧煉瓦を貼って煉瓦造風に仕上げている。設計者の小林力雄(1874~1927)は、大正期に両毛地方(現在の群馬県と栃木県の一部)を中心に活躍した建築家で絹撚記念館の設計も手掛けている。

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当時、桐生など両毛地方における小林力雄の評判は高く、桐生の名士の社交場として設立された桐生倶楽部の会館建設に際しては、設計者として指名されたが工費で折り合いが付かず、結局小林が設計に携わることは無かった。なお桐生倶楽部会館は、清水組から独立したばかりの清水巌の設計で大正8年に完成、現在も桐生の近代建築の代表格として健在である。

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旧大間々銀行本店の施工者であり、小林力雄が当時勤務していた小川建設事務所は、現在も(株)小川建設として存続している。同社のホームページでは旧大間々銀行も紹介されている。

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同じく小林力雄の設計で、小川建設事務所の施工による旧第一勧業銀行桐生支店(旧第四十銀行本店)は、現存していれば桐生倶楽部会館と並ぶ近代建築であったと思われ、取り壊されたのは惜しみても余りある。(建物の写真は旧大間々銀行と同じく、小川建設のホームページで見ることができる)

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外観は焦茶色の化粧煉瓦で飾った外壁や、直線を基調としたセセッション風のデザインなど、当時としては最先端の建築デザインを施しているが、内部装飾も直線を基調とした天井の漆喰飾りや換気孔などがよく保存されている。

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背面には伝統的な造りの土蔵がある。これは担保として預かった繭と生糸を保管するためのものであり、群馬県や埼玉県など、養蚕業が盛んであった地域に建てられた銀行には、このような施設が設けられている

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他の現存例としては、以前紹介した埼玉県本庄市の旧本庄商業銀行倉庫などがある。

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本記事で紹介した古写真及び設計者・小林力雄の経歴については、大間々博物館の展示資料を引用、もしくは主要参考資料とさせて頂きました。

第648回・絹撚記念館(旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟)

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絹撚記念館(旧模範工場桐生撚糸合資会社事務所棟)は、明治から昭和にかけて、織物産業で繁栄した町として知られる群馬県桐生市にある産業遺産。群馬県下に現存する数少ない近代の石造建築物でもある。桐生市指定重要文化財。

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模範工場桐生撚糸合資会社は、明治35年に政府の殖産興業政策に基づいて全国で6カ所設立された模範工場のひとつである。明治41年には株式会社化、大正期には日本最大の撚糸工場に発展したという。

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工場事務所の古写真。事務所は最盛期の大正6年(1917)に竣工。
事務所の周囲には工場が建ち並んでいる。また事務所の正面向かって右側(写真手前)には、門を挟んで事務所を小型化したような門衛所の建物もあったことが分かる。

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桐生撚糸株式会社は戦時下の昭和19年に軍需工場となったが、敗戦後は会社が復活することは無かった。

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平成5年に建物の解体計画が持ち上がったことから、近代化遺産の保存活用に全国的にも早くから取り組んでいた桐生市は、建物敷地を市有地と等価交換、建物は所有者から寄贈を受ける形で保存することとなった。

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平成6年に市の重要文化財に指定、その後修復整備の計画が進められていた矢先に東日本大震災で被災、一部損傷したが計画を一部修正しながら修復工事に着手、今年(平成25年)に工事が完成、「絹撚記念館」として公開されることになった。

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現在も現存するのは、事務所と付属の土蔵一棟のみ。その他の工場建物等は今は跡形もない。

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改修工事では補強を行ったほか、写真資料の残る昭和9年頃の姿を復元している。
失われていた屋根窓や正面上部の社章、幾何学的な模様の装飾が今次の工事で再現されている。

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特徴的な薄紫色のモルタル壁と、窓台下の半円形の装飾も再現された。但し上部の白タイルの帯は改修前から残っていた。なお、構造は木造の骨組に、壁体には北関東で蔵などの建材として多く使われている大谷石を積み上げている。群馬県下では現存最古級の洋風木骨石造建築である。

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内部事務室にはカウンターや円柱、木造の階段など創建当時のものが残されている。少しふくらみを持たせた円柱が美しい。

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二箇所ある階段は、簡素ながらもそれぞれ手摺りのデザインを変えている。

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設計者は、同じ群馬は館林市の出身で、桐生やその周辺で銀行などを多く手掛けた小林力雄という人物の手になることが判明している。

第647回・光福寺本堂

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光福寺本堂は、静岡市清水区(旧清水市)にある昭和初期竣工の鉄筋コンクリート造の寺院。

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光福寺は、駿河湾に面した旧清水市でも、北西の山裾の集落である柏尾地区にある曹洞宗の寺院である。

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門だけ見ると、古い集落でよく見られる普通の寺院と思われるが、門をくぐって階段の先には異様な姿の本堂が目に入る。

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関東大震災の翌年に当たる大正13年(1924)から工事に着工、3年後の昭和2年(1927)に竣工した鉄筋コンクリート造二階建の本堂。

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他に例を見ない独特の造形。設計・施工は地元の建築業者・桜井康弘による。

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この時期に建てられた鉄筋コンクリート造の寺院としては、以前取り上げた大阪の心光寺本堂(昭和4年・国登録有形文化財)などが存在する。

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正面上部には漆喰細工による天女像がある。現在は保護の為、上から透明カバーがかぶせられている。

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人造石による装飾が施されているのは正面のみで、側面及び背面はコンクリート剥き出しの武骨な姿を見せている。

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正面左側には二階に直接つながる階段が設けられている。

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張り出した出窓部分の内側には、和室の書院窓がある。

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関東大震災をきっかけに鉄筋コンクリート造が地方に伝播した事例の先駆的なものとして、その特異な意匠と共に評価されている。

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平成5年に静岡県の指定有形文化財となっている。

番外編・サイゴン紀行その3(サイゴンのクラシックホテル)

サイゴン紀行 その3(最終回)です。

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ホーチミンには仏領時代から続くクラシックホテルがいくつか存在し、建物も往年の姿を残すものが多い。

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植民地化したサイゴンにおける、初期の商館建築の姿を残しているのが、市立劇場に隣接して建っているコンチネンタルホテル。写真はホテルロビーに掲げられている、創業当初と思われる時期の古写真である。

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現在のコンチネンタルホテル。現在もホーチミン屈指の高級ホテルである。

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夜景。「HOTEL CONTINENTAL SAIGON」の文字が見える。
現在でもホテルや商店などでは「ホーチミン」ではなく、旧名の「サイゴン」が現在も地名として生きている。

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ホーチミン市内有数の繁華街であるドンコイ通りは上記のコンチネンタルホテルがある劇場前広場からサイゴン川に向かって伸びている。ここには仏領時代からのクラシックホテルが2件存在する。そのひとつが通りの中ほどにあるグランドホテル。

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1930年(昭和5年)開業のグランドホテルは1990年代に大改装を施しているが、往年の姿を良く残している。

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大改装によって建てられた高層棟の低層部は、旧館の意匠を取り入れたものになっている。

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ドンコイ通りとサイゴン川の河岸が交差する場所に建つマジェスティックホテル。我国の皇族を始め、各国の王族、政府要人や各界著名人の利用も多い。

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開業当初のマジェスティックホテル。
華僑実業家の経営で、1925年(大正14年)に開業。現在は外観は1階まわりにのみ創建当初の面影を残す。

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1941年(昭和16年)から日本軍が仏領インドシナ南部に進駐(南部仏印進駐)すると、仏政府(当時のフランスは親ドイツ派、実質はナチス傀儡であるヴィシー政権の下にあった)日本政府に貸与、「日本ホテル」と改称され、日本政府及び軍関係者の宿舎として使用された。

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ホテル内に飾られている古写真の中には「日本ホテル」時代のものもある。

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南ベトナム共和国時代に大規模な改装を受けており、外観は開業当初の面影はあまり残されていないようである。なおベトナム戦争末期には、北ベトナム軍のロケット弾の直撃を受け、一部が破損したこともある。

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外観でも一階まわりについては、曲線が特徴的な庇やアーチ型の窓など、開業当初の形が残されている。

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ホテルロビー。

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日本のクラシックホテルでは、横浜のホテルニューグランド(1927年(昭和2年)開業)とほぼ同時期の建物である。

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玄関を入ってすぐ、ステンドグラスの天窓に吊り下げられたシャンデリアが来客を出迎える。

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白を基調とした華麗な雰囲気のロビー。

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螺旋階段
おそらく鉄筋コンクリート造。曲線の螺旋階段はこの時期の日本の建築でもいくつか事例がある。

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螺旋階段は見上げると楕円形になっていることが分かる。

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プール付の中庭。

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中庭に面して各階ともテラスを設ける。

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朝食用に使われる、最上階の屋外レストラン。後方にグランドホテルのドームが見える。

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サイゴン川が一望できる。

 * * *
 
以上でサイゴン紀行は終了です。
冒頭に紹介した書籍「建築のハノイ」ほか、ネット上の情報などを参考に本文を作成しましたが、通常の記事に比べると予備知識の乏しさもあり、事実誤認や検証不足も多々あると思われます。確認できたものは今後適宜直して行きたいと思います。

番外編・サイゴン紀行その2(旧サイゴン市庁舎・市立劇場他)

サイゴン紀行 その2です。

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前回取り上げたサイゴン大教会、中央郵便局と並んで知られるフランス時代の建造物がこの旧サイゴン市庁舎。
現在はホーチミン市人民委員会の庁舎として使われている。

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ホーチミン市内の目抜き通りであるグエンフエ通りの突き当りに建っている。
夜は写真の通りライトアップされ、美しい姿が浮かび上がる。

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フェルナン・ガデ設計で1907年(明治40年)竣工。

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1871年(明治4年)に建設が決定されるも、実際に建物が完成するのはそれから36年後の1907年のことであった。また当初は古写真のとおり中央部のみで、その後両翼が増築されて、現在の姿になっている。

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朝の旧サイゴン市庁舎。
現在の用途であるホーチミン人民委員会は市役所に相当する組織である。

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装飾は最初に完成した中央部分に集約された感があり、それに比べると両翼は比較的簡素な造りとなっている。

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この建物、施設の性格上か建物の手前にて写真を撮ると守衛に咎められる。少し離れて撮る分には問題ないが、このようなアングルの写真は撮ると面倒なことになりかねないのでご注意。(筆者は幸い注意されただけで済んだ)

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グエンフエ通りに面して建つ、旧市庁舎と同じような色調の西洋館。
かつてのインドシナ連邦財務局庁舎で、現在はホーチミン市の財務局として使われているようだ。
背後にはガラス張りの新館を建てている。

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建設年代も旧市庁舎と左程変わらないようであるが、こちらは装飾も控え目で全体的な平坦な外壁である。

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丁度当時の建築デザインは世界的に古典様式からモダニズムへの移行期であり、日本でも明治末期から大正期にかけて、装飾を控えた平坦なデザインが施された西洋館が多く建てられるが、これも当時のモダンな建築表現だろうかと思われる。

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これも旧サイゴン時代の代表的なフランス建築のひとつ、ホーチミン市市立劇場。
サイゴン市立劇場として1900年(明治33年)に建てられた。

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フランスからの独立後にベトナムが南北に分裂していた頃は、南ベトナム共和国政府の下院議会議事堂として使われていた。

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議事堂として使われていた頃は、細部を飾る彫刻はすべて撤去され、簡素な外観になっていたが、1998年にサイゴン300年記念事業として創建当初の姿に復元された。

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正面大アーチの奥にある華やかな色彩の壁画も、彫刻と同様復元されたもの。

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正面玄関で来場者を迎える女人像。これも撤去されていたものを復元した。

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夜は旧サイゴン市庁舎と同様ライトアップされる。

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夜の姿は昼間とは違った趣がある。

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旧仏領時代の主要な建物の大半が今も残るホーチミンで、現存しないのが旧総督官邸。フランスによる植民統治の拠点として1875年(明治8年)に建てられ、独立後南ベトナム共和国時代は大統領官邸として使われたが、ベトナム戦争中の1962年(昭和37年)に爆撃を受け大破したため取り壊された。

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旧総督官邸跡地に1966年に建てられた大統領官邸は、ベトナム戦争終結による南北統一後は統一会堂の名で一般公開されている。(上の古写真は統一会堂内に展示されていたものである)

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門扉や庭園は旧総督官邸のものが残されている。
1975年(昭和50年)のサイゴン陥落(ベトナム国内では「サイゴン解放」)に際しては、この門を破って北ベトナム軍戦車が突入する映像が世界中に流された。

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ホーチミン市博物館。
フランス官吏の邸宅として1890年(明治23年)に建てられたものらしい。
また大東亜戦争中、ベトナムには日本軍が進駐していたがそのときは日本軍用の宿舎に充てられたこともあるという。

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またこの建物は、南ベトナム共和国時代に独裁者として君臨するも最後はクーデターで殺害された大統領、ゴ・ディン・ジェム(1901~1963)が、クーデター時に身を隠した場所でもあるという。

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ゴ大統領暗殺後は南ベトナムの最高裁判所としても使われ、統一後は革命博物館を経て現在はホーチミン市博物館に改称されている。ホーチミン(サイゴン)の歴史や、ベトナム独立時の歴史資料などを展示する施設として一般公開されている。

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日本が台湾に建てた西洋建築もそうであったが、サイゴンのフランス建築も必ずといってよいほど半屋外のベランダを設けて、熱帯気候への適応を図っている。

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曲線が美しい中央階段。半円形に張り出している。

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ベトナム人の間では結婚写真の撮影場所として人気があるようだ。筆者が訪れたときも一組のカップルが撮影中であった。

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二階からみた階段室。


サイゴン紀行 あと1回続きます。

番外編・サイゴン紀行その1(サイゴン大教会・中央郵便局)

先日12日付記事の予告どおり、ベトナム・ホーチミン市に残る旧サイゴン時代の建築巡りです。
弊ブログの本来の趣旨に鑑み、記事においては随時、当時の我国の状況などにも触れたいと思いますので建設年代等の表記は、西暦(和暦)表記とすることをお断りしておきます。

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フランス人によってサイゴンに建てられた西洋建築の代表格とも言えるのがこのサイゴン大教会。
聖マリア大聖堂、ノートルダム大聖堂とも称されており、ホーチミン市の主要通りの1つであるドンコイ通りの起点に面して建っている。着工から17年の歳月をかけ、1880年(明治13年)に完成している。

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塔の上部にある尖塔は創建当初はなく、1894年に追加されたものである。

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日本では幕末の動乱期であった1862年(文久2年)、サイゴン条約に基づきサイゴンは阮朝からフランスに割譲され、インドシナでも最も早くフランス領とされた土地である。その後1887年に仏領インドシナ連邦が成立、ベトナムは全土がフランス植民地となる。

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大聖堂はサイゴンにおけるフランス統治の記念碑的建造物として、権力の中心である総督官邸と共に割譲後間もなく建設に着手された。

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香港から招聘した建築家ジョルジュ・レルミトによる当初の設計案は、非常に贅沢なものであったことから仏政府は難色を示し、工事はなかなか捗らなかったという。

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途中で設計競技(コンペ)をやり直し、パリ在住の建築家ジュール・ブラールの設計で工事を再開、1880年に献堂された。

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熱帯の地であるサイゴンにフランス本国と同じような教会堂を建設したものの、内部に熱気がこもり室内は蒸し風呂状態になってしまったことから壁面には通風孔が開けられた。一階窓の下部に装飾を兼ねた通風孔があるのが分かる。

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石材や煉瓦はすべてフランスから取り寄せたと言われる。

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煉瓦。日本の西洋建築に使われている煉瓦に比べると、軟らかそうな感じである。

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手前の樹木が南国情緒を醸し出す。

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聖堂は外観だけでなく、内部も拝観可能。内外の観光客が沢山訪れていた。

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聖堂内部。

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内部は煉瓦積みの壁や柱を漆喰で塗り込めている。

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床のタイル。
この模様、どこかで見たことがあると思ったら箱根の老舗温泉旅館・福住楼の脱衣場でみたものと同じであった。と言っても、別に関連性があるとかいう訳では全くない。

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ホーチミンの主要観光名所であると同時に、現在も現役のカトリックの教会として使われている。

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サイゴン大教会の正面向かって右手に建つホーチミン市中央郵便局。
5年の歳月をかけて1891年(明治24年)に竣工した。

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設計はアルフレッド・フォーローとオーギュスト・アンリ・ヴィルデュの共同設計、内部の鉄骨設計はエッフェル塔で知られるギュスターヴ・エッフェルが手掛けている。

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アーチの中央上部や付け柱の上部には人面の装飾がみられる。日本の西洋建築ではほとんど見ることのない装飾である。

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なお日本の明治期の西洋建築は、日本近代建築の父であるコンドルの祖国・イギリスや明治中期に政府主導で官庁集中計画の範としたドイツに負うところが大きく、フランスの影響が強い明治の西洋建築としては、フランス留学の経歴を持つ山口半六の設計による兵庫県庁舎旧第四高等学校などがあるぐらいである。

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中央郵便局もサイゴン大教会と並びホーチミンの代表的なフランス建築として、定番の観光スポットとなっている。現在も現役で郵便業務を行う傍ら、観光局用の土産物コーナーも設置されている。

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硝子張りの鉄骨製ヴォールト天井が特徴的な郵便局内部。
当時のフランスでは鉄骨構造が普及し、エッフェル塔(1889年完成)などの大規模な鉄骨構造物が多く建てられた。建築でも駅舎や郵便局など、近代文明を象徴する建造物には鉄骨構造は盛んに取り入れられていた。

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玄関まわりの交差ヴォールト天井もすばらしい。

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入口脇に設けられた電話室(現在は半分がATMコーナーとなっている)の上部壁面には1892年当時のサイゴンの地図が描かれている。

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サイゴン地図の反対側には、1936年(昭和11年)当時のサイゴン・プノンペン及びその周辺の電信網を描いた地図がある。(郵便局は電信業務も取り扱っていた)プノンペンは隣国カンボジアの首都であるが、当時はベトナムと同じく仏領インドシナの一部であった。

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床には色鮮やかな各種の模様入りタイルが敷き詰められている。

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このような模様入りタイルは当時の日本の西洋館でも、岩崎久彌邸村井吉兵衛邸などに使われており見ることができる。

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照明の吊り金具の装飾は美しい曲線が施されている。これは本場フランスのアールヌーボーだろうか。

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ここも多くの観光客で賑わっていた。

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サイゴン紀行その1 おわり
次回に続きます。


(参考書籍)
「建築のハノイ ベトナムに誕生したパリ」文・太田省一 写真・増田彰久
 平成18年 白揚社刊
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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