第670回・旅館花屋

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信州の鎌倉とも呼ばれる、長野県上田市の別所温泉にある大正時代創業の温泉旅館。創業当初から昭和中期までにかけて建てられた施設群は国の登録有形文化財となっている。

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花屋の創業は大正6年(1917)で、この手の温泉旅館としては比較的新しいが、温泉旅館が並ぶ別所温泉でも別格の規模を誇る。花屋旅館のホームページによると、地元有志の共同出資で建てられたという。なお正式な登録名称は「旅館」ではなく「株式会社 花屋ホテル」である。

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簡素で落ちついた印象の建物が並ぶ中で目を引く、城郭風の「お城棟」。中には客室と大広間が入る。

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大正初期から昭和中期にかけて作り上げられた木造の施設群は、今もほぼそのまま使われている。

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玄関。

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本館の先には広い中庭を囲む形で浴室棟や客室棟が点在し、それらを渡廊下で繋ぐ構成を取る。

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広い中庭を走る吹き放しの渡り廊下は、複雑に折れ曲がっているので様々な庭の眺めを楽しめる。

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庭園との調和を考えたのか、渡り廊下はいずれも柱が細く目立たないように造られている。

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訪れたときは早春で早かったが、中庭は季節によって桜や躑躅など、名前の通り様々な花で埋められるという。

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中庭の一角に設けられた水車棟。これも登録文化財。

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客室の造営に際しては、社寺が多い土地柄、地元の宮大工が腕を振るったという。また創業当初からの客室棟は他所からの移築もあり、写真の21番客室は新潟県高田市にあった遊郭の座敷を移築したものである。

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華やかな意匠の欄間や天井画などに遊郭時代の名残が窺える。

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書院窓の建具も見事な細工。

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この部屋は床柱や書院窓に遊び心が見られる。

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凝った意匠の建具を嵌めた書院窓。

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カタツムリが這う床柱。

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今回利用させて頂いた客室。

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建具がすばらしい。

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大正時代創業の宿にふさわしく、ハイカラな洋風の空間もある。
大理石とステンドグラスで飾り立てた浴室棟も登録文化財である。

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浴室間仕切り上部のステンドグラスはアールデコ風。

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脱衣場のステンドグラスは、草花をモチーフにしたアールヌーボー風のものもあった。

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希望すればそのとき可能な範囲内で、上記21番客室など建物の案内もしてもらえる。

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なお、別所温泉のすぐ近くには、以前紹介した建物が花屋旅館と同じく国登録文化財であるますや旅館のある田沢温泉もある。
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第669回・明治生命館

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東京丸の内にある明治生命館は、建築家・岡田信一郎の代表作にして我が国における様式建築の到達点とされる建物である。また意匠のみならず構造・設備面からも戦前におけるオフィスビルの最高峰に位置づけられる。昭和期の建造物としては初めて、国の重要文化財に指定されている。

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昭和9年(1934)に竣工。岡田信一郎設計、竹中工務店施工。
工事途中に岡田信一郎は死去したため、実弟で同じく建築家の岡田捷五郎が設計監督を引き継ぎ完成させている。なお岡田捷五郎は、大津の旧琵琶湖ホテルの実質的な設計者とされている。

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現在の明治生命館は二代目で、初代明治生命館は明治28年(1895)に竣工した旧三菱二号館(設計はJ・コンドルと曽禰達蔵)である。これを昭和5年に取り壊して、その跡地及び隣接地に建てられたのが現在の明治生命館である。写真の模型は、明治生命館のロビーに展示されている。

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当初旧二号館は残し、隣接地に新館を建設する予定であったとされる。明治生命の建築顧問であった曽禰達蔵(1853~1937)に設計を依頼されたが、曽禰は自ら推薦した8名の建築家による指名コンペ(設計競技)を提案、その結果、岡田の案が採用された。しかし実施設計に際し岡田は、新旧の敷地をひとつとした大建築こそ望ましいとして、結局曽禰の許しを得た上で旧二号館は取り壊されることになった。

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このとき先述の模型が作成されるとともに、外壁の装飾の一部が僅かな記念として残されることになった。取壊し工事中は、曽禰はその様子を涙を浮かべながら見つめていたという。このとき保存された部材のうち、玄関脇の石柱は現在明治村で見ることができる。

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建築界の大先輩というべき曽禰達蔵が設計した建物に代わる建物として、岡田は設計に心血を注ぐが着工後間もない昭和7年に50歳で病死、後を岡田捷五郎が引き継ぎ完成させた。なお曽禰達蔵は新しい明治生命館の竣工を見届けてから3年後の昭和12年に世を去っている。

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竣工から63年後の平成9年に、昭和期の建造物として初めて国指定重要文化財となった。
平成13年から本館の改修工事が行われると同時に、背後に超高層の明治安田生命ビルが建てられ、現在も明治安田生命の本社屋の一部として現役で使われている。

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華麗なブロンズ製の格子や照明などは戦時中の金属供出で失われたため、戦後復旧されたものである。

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軒の上部には獅子型のガーゴイルが見られる。

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明治生命館は、現在土日限定で無料一般公開されている。営業室他、1・2階の主要室が見学できる。

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1階日比谷通り側、玄関内壁のレリーフ。

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やや簡素な趣の1階、現在ラウンジとなっている部分。

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上記ラウンジとは反対側にある営業室。イタリア産大理石を用いた華麗な空間が広がる。

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営業室の天井装飾。

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馬場先通り側玄関を内側から望む。

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記帳台も大理石製で緻密な装飾が施されている。

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営業室から二階へ通じる階段。

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2階会議室。明治生命館は敗戦後、昭和31年まで11年間米軍に接収され米国極東空軍司令部として使用されていた。その間米・英・中華民国・ソ連の4ヶ国代表で構成される対日理事会が設置され、講和条約が発効する昭和27年まで、同理事会の会議が主にこの会議室にて行われていたという。

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明治生命館は第一生命館(旧GHQ本部)と共に、敗戦後の占領時代の生き証人でもある。

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その歴史のためか、重苦しささえ感じる重厚な会議室とは異なり、アーチ型の梁が軽快な印象を与える食堂。

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梁にはブドウの装飾が施されている。

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1階営業室の吹き抜けを囲むように、重役用の執務室や応接室が並ぶ。

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いずれの部屋も重厚な家具が置かれ、部屋の趣もそれぞれ異なる。

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明治生命館は創建当時作られた質の高い家具も多数残されているのが特徴である。
大正から昭和戦前に活躍した家具デザイナー・梶田恵(1890~1948)の作品である。岡田信一郎が教鞭を執っていた東京美術学校(現東京藝術大学)出身で、旧鳩山一郎邸など他の岡田作品の家具も手掛けている。

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各部屋の暖炉。

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日比谷の濠端では昭和13年竣工の第一生命館と共に、戦前の大建築として今も変わらない威容を見せる。

第668回・旧郡山橋本銀行会津支店

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先日紹介した会津若松市の白木屋漆器店に隣接して建つ昭和初期の銀行建築。
様式建築の鬼才と言われた岡田信一郎の設計で、正面に6本並ぶイオニア式列柱が特徴の建物である。

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昭和2年(1927)に建てられたとされるが、昭和4年の竣工とする情報もある。金融恐慌で郡山橋本銀行は他行と合併したことから同行の支店として使われることは無く、新潟に本店を置く第四銀行の支店として昭和10年から55年まで使われていた。現在は滝谷建設工業(株)の会津若松支店として使われている。

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「銀行変遷史データベース」によれば、郡山橋本銀行は大正7年に、長野にあった海瀬銀行が福島に本店を移転、改称した銀行であるという。金融恐慌後の昭和3年に郡山銀行と合併し郡山合同銀行となるが、同行は昭和11年に廃業・消滅している。

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白木屋漆器店と共に七日町通りの代表的な洋風建築であり、いずれも会津若松市の歴史的景観指定建造物に指定されている。

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側面は非常に簡素。デザインは建物正面に集約させた印象を受ける。

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これだけ柱を強調した建物も珍しいと思う。

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岡田信一郎(1883~1932)は東京の歌舞伎座や明治生命館、大阪の中之島公会堂などの設計で知られる建築家である。

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本ブログでは岡田が設計或いは改修に携わった建物として、旧鳩山一郎邸黒田記念館ニコライ堂を紹介している。

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次回は、岡田信一郎の代表作である東京の明治生命館を紹介予定。

第667回(記事削除)

本記事は内容に問題がありましたため、削除致します。
関係者の方々に対しましては、御迷惑をおかけした事を深くお詫び申し上げます。

第666回・山崎家住宅

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川越の蔵造り商家の中でも、とりわけ重厚さが際立つもののひとつ。
天明年間創業の和菓子の老舗「亀屋」の当主・五代目山崎嘉七によって、明治26年の川越大火後間もなく建てられた。川越市指定文化財。

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後述するが、以前紹介した山崎家別邸の本宅に当たる。

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街路に面して店蔵と袖蔵を構える。また屋敷地内にはこれらの建物以外に、かつて菓子工場として使われ現在は山崎美術館として使われている土蔵や、接客用の客座敷の建物がある。

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山崎家出入りの大工棟梁・関谷重蔵が建設したものである。

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山崎家は、初代嘉七が天明3年(1783)に、修業していた川越の亀屋清右衛門から亀屋の暖簾を許され、創業したと伝わる。後には川越藩の御用を勤め、明治維新後は四代目嘉七が国立第八十五銀行の創立に関わるなど、川越の有力商人として重きを為した家である。

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山崎美術館の入口となっている側面の門と土蔵。山崎美術館では山崎家が所蔵する川越出身の日本画家・橋本雅邦の作品を公開している。

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門の奥、美術館入口の反対側にある玄関。客座敷用の玄関だろうか。

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すぐ近くに建つ山崎家の分家。茶を商っていることから菓子を扱う本家が「もち亀屋」と呼ばれるのに対し分家は「お茶亀屋」と呼ばれている。建物は本家より後、明治38年に全ての建物が竣工している。本家と同じく川越市指定文化財。

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五代目嘉七が晩年に当たる大正14年(1925)に、隠居所として建てた別邸。
本宅のある表通りから少し離れた場所に建っている。これも近年川越市指定文化財となった。

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本宅とは対照的な、外観・内装ともに明るく軽快な造りの住宅。建築家・保岡勝也の設計。

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この山崎家別邸と、同じ建築家の設計による第八十五銀行本店については、いずれも本ブログにて紹介済であるが今回、写真の差替・追加など記事のリニューアルを行ったので、本記事と併せて御覧頂けると幸いである。

旧第八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)
旧山崎家別邸

第665回・白木屋漆器店

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福島県の会津若松市は、戦災を免れたこともあり街中にも古い建物が多く残されている。
中でも七日町通りに面して建っている白木屋漆器店は、堂々とした洋風の外観が特徴。

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白木屋漆器店は、当地の伝統産業である会津塗の漆器の製造・販売を行っている。白木屋の創業は慶安年間、漆器の取扱いは享保年間からという、会津若松でも指折りの老舗である。

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現在の店舗は大正3年(1914)に竣工したもの。当地の伝統的な土蔵造りの技法を活かした3階建で、内外に洋風の意匠を凝らしている。屋根は会津地方で多く見られる赤瓦葺き。

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釉薬や塩を使って赤く焼き上げられた瓦は、凍害に強いことから雪の多い寒冷地で普及した。若松城(鶴ヶ城、会津若松城)の屋根にも用いられている。

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重厚な店舗は、古い洋風・和風の建物が多く残されている七日町通り界隈でもとりわけ目立つものである。なお右奥の建物は、昭和初期に竣工した旧郡山橋本銀行若松支店である。また稿を改めて紹介予定。

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創建当初、洋風の本館の両脇に土蔵を構える構成であったが、土蔵は昭和40年代に撤去したため、今は片方のみ現存。写真の手前側にもかつては土蔵があった。

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本館部分を背面から見る。

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背面には土蔵など和風の建物が建っており、洋風部分は店蔵として建てられたことが分かる。

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ショーウインドウのある店舗入口。

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二階の陳列室へ続く玄関。

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二階の陳列室内部も、木枠のついた陳列棚など大正時代の雰囲気を良く残している。

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白木屋漆器店のホームページでも店舗建物について詳細に紹介されている。

白木屋漆器店ホームページ 建物の話

第664回・川越基督教会

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洋風建築も多く残る埼玉の川越には、赤煉瓦の教会もある。
川越基督教会は日本聖公会の教会堂で、大正10年(1921)の竣工。国登録有形文化財。

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以前取り上げた大阪の川口基督教会と同じ米国人の宣教師建築家・ウィリアム・ウィルソンの設計による。
施工は清水組(現清水建設)。

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川越基督教会の礼拝堂は、現在のものは二代目に当たる。

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川越への宣教は明治11年(1878)にさかのぼり、明治22年(1889)に最初の礼拝堂が建てられた。

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しかし4年後、明治26年の川越大火で焼失、その後再建されるのは、約四半世紀後のことになる。

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ゴシック様式の尖塔アーチを持つ窓。

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塔屋の尖塔アーチ窓。

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煉瓦の壁にツタはよく合う。

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礼拝堂入口。

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重厚な商家の目立つ川越において、素朴ながらも美しい赤煉瓦の姿を見せている。

第663回・旧杉山家住宅

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旧杉山家住宅は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている大阪府富田林市の旧寺内町の中でも最古とされている民家。狩野派の障壁画が残る座敷や、明治期に増築されたアールヌーボー調の手摺を持つ螺旋階段もある。国指定重要文化財。

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杉山家は富田林寺内町の創建にも関わったとされており、明治の半ばまで造り酒屋を営んでいたという旧家であり、与謝野晶子などと共に明治後半に活躍した女流歌人・石上露子(本名・杉山孝)(1882~1959)の生家でもある。

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屋根の上に見えるのは、台所の真上に設けられる煙出し。

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主屋は江戸時代中期の創建とされ、当初は土間とその周りだけであったのが、後年現在の規模にまで拡張されたものと考えられている。酒造業を営んでいた最盛期には周囲に酒蔵もあったというが、これは現存しない。

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寺院を思わせる重厚な本瓦葺きの屋根。

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昭和58年に国の重要文化財に指定。現在は富田林市が所有・管理しており、一般公開されている。

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太い梁が印象的な土間。南河内地域の伝統的な農家の間取りに、後年の増築による書院座敷や茶室が付加される構成をとる。

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梁の太さに注目。

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格子の間。街路に面した部屋である。
明治期に杉山家を訪れた山岡鉄舟の書が扁額に残されている。

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土間と土間に面した座敷が創建当初からの部分で、奥は後年増築された部分である。

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大床の間。
狩野派絵師、狩野杏山守明の筆になる障壁画 「老松図」がある。

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座敷にも狩野杏山守明が描いたという山水画が残る。壁に直接絵を描いた障壁画のある書院座敷は近代以前の大名屋敷や豪商、豪農の邸宅ではよく見られるが、近代以降の伝統建築ではあまり見られない。

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明治維新による旧幕府時代の身分秩序の崩壊と新興富裕層の台頭や、西洋技術の導入や国内における大工棟梁の移動交流の活発化などによって、伝統的和風建築は明治以降大きな発展を遂げ、優れた書院造の座敷を有する邸宅も多数建てられたが、襖絵や板戸など建具はあれども、壁面に障壁画を描いた建物はなぜか非常に少ない。

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近代以降の和風建築に障壁画が非常に少ないのは、明治維新後に日本画が一時非常に衰退したことと関連があるのかも知れない。

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本ブログの趣旨とは外れる建物の紹介であるが、江戸時代のすぐれた書院座敷を存分に鑑賞できる建物である。

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奥座敷。
左から違い棚、床の間、書院窓がひとつの壁面に一列に並ぶ、珍しい構成の座敷。

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奥座敷の欄間は、江戸時代中期の大坂を代表する狩野派の絵師・大岡春卜が原図を描いたといわれるもの。
菊の花と筧を組み合わせた、大胆で斬新な構図の欄間。

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奥座敷から縁側の先にある茶席を望む。

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庭からみた茶席。

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奥座敷の棟を外から見る。

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庭に向かって一室だけ角のように突き出していることから角屋(つのや)と呼ばれている部屋。

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明治期の改築で造られた洋風の螺旋階段。手摺がアールヌーボー調の曲線を描く。

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明治末期から大正初期の洋館で部分的にアールヌーボー風の装飾を施す例は多い(例:旧中埜半六邸の神棚の方杖、旧伊庭貞剛邸の暖炉飾り、旧武藤山治邸のステンドグラス等)が、このような旧家の建物では珍しい。

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二階部分も洋風の手摺を付ける。

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二階には居室はなく、物置用の屋根裏部屋(つし)になっている。
現在は建物の歴史などについての展示室に使われている。

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今回は近世の古民家を紹介させて頂いたが、このような建築も造られていた江戸時代までの建築文化の蓄積が、明治以降の多くの優れた洋風・和風建築が生み出されて行くことに繋がっていると筆者は考えている。

旧ジョネス邸 現地保存ならず

神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸は、現地保存は不可能となったようです。

以下、一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会より引用。

「旧ジョネス邸の現地保存は残念ながら絶望的となりました

これまで皆様方の多大なご支援を受け、旧ジョネス邸を現地保存するべく活動してまいりましたが、力及ばずご期待に応えることは叶わなくなりました。

9月末より買い取り交渉に入っていた再生可能エネルギー企業は、持続可能な社会を目指す社の理念と旧ジョネス邸の保存継承・塩屋の街としてのあり方に共通する価値観を高く評価し、最後まで共に保存への道を探ってくださいましたが、価格面や、研究調査のための許認可その他の条件を満たすことができず、購入を断念せざるを得ませんでした。
あなぶき興産に対しては、垂水区役所と共に3億6千万円の売却価格・わずか2週間という契約期限の見直しを打診しましたが、社としての決定だということで、残念ながら一切の譲歩は得られませんでした。
ただし、あなぶき興産からは、旧ジョネス邸の部材・備品については全て譲ってもよいとの約束をいただいていますので、限られた時間の中で可能な限り部材を保存し、将来何らかの形で移築再生等が可能になるよう、全力を尽くしたいと思います。

最後になりましたが、これまでご支援・ご協力いただいた皆様方には、心よりお礼を申し上げます。
また、現地保存は叶いませんでしたが、前述のように何らかの形で旧ジョネス邸を次の世代へ継承するための活動は続けてまいりますので、引き続きご支援・ご助力いただけましたら幸いです。

なお、現在いただいているご寄付につきましては、塩屋地区近辺の歴史的建築物保存のために大切に使わせていただきます。

また塩屋百年舎への出資お申し込みにつきましては、現地保存という本来の目的が果たせなかったため、一旦ご入金を辞退させていただき、今後の活動の具体的な方針が決定しましたら、改めて皆様方のご意向を伺いたいと思います。」

(以上、引用終了)

決して簡単に実現するような話ではないと思ってはいましたが、本当に残念です。

ただ建物の部材・備品については譲渡を認めるとのことなので、移築保存の可能性が残されている点ではまだ保存に向けた活動は決して終わった訳ではないと思います。
もし移築が実現するにしても、舞子の旧武藤山治邸のように、せめて塩屋の近隣(須磨・垂水・舞子界隈)で、海を望む場所への移築復元が実現されれば非常によいのですが。

保存に向けてご尽力されてきた関係者の皆様におかれましては、どうか引き続き頑張って頂きたいと思います。
弊ブログでは引き続き旧ジョネス邸の保存活動を応援させて頂くと共に、今後の動きもご紹介させて頂く所存です。


塩屋の海岸からは姿を消すことになった旧ジョネス邸。2度目の移築が実現される事を期待します。
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上記本文で触れた旧武藤山治邸。旧所在地の近隣に移築保存された。
(神戸市垂水区東舞子町 → 同町舞子公園内)一度全く異なる場所に移築されたが、2度目の移築により、旧所在地と似た条件の場所に保存されている。
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第662回・旧武州銀行川越支店(川越商工会議所)

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前回に引き続き、埼玉県の銀行建築。
蔵造りの商家が並び、小江戸とも称される川越には、これまで取り上げた旧八十五銀行旧山吉デパートなど質の高い洋風建築も多く残されている。今回取り上げる旧武州銀行川越支店もそのひとつ。国登録有形文化財。

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武州銀行は大正7年(1918)に、埼玉出身で日本の近代資本主義の生みの親でもある澁澤榮一も関与して設立、翌年より開業した銀行。浦和町(現在のさいたま市)に本店を置き、資本金500万円で当時県下最大の銀行であった。なお武州とは武蔵国(現在の東京都、埼玉県、神奈川県の一部)の別称。

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これまで取り上げてきた地方銀行の例に漏れず、武州銀行も戦時下の国策(一県一行)によって昭和18年に八十五銀行他県下2行と合併、埼玉銀行となる。(現在は埼玉りそな銀行)

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川越支店の店舗は大正15年に着工、翌昭和2年(1927)に竣工した。昭和45年に川越商工会議所が購入、現在も同所の事務所として使われている。

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玄関上部のメダリオンには武州銀行の社章が今も残されている。

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澁澤榮一の遠戚にもあたる作家・仏文学者の澁澤龍彦(1928~1987)の父親は、この建物で支店長として在勤していたことがあるという。

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大振りなドリス式列柱を強調したような外観は、京都の旧村井銀行七条支店(大正3年)と似ている。

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設計は前田健二郎(1892~1975)。東京銀座の資生堂本店や、現存する建物では京都の京都市美術館(昭和8年)や三重県津市の千歳文庫(昭和5年)などを設計した建築家である。

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この建物がある場所はかつて川越銀座と呼ばれた市内有数の商店街で、昭和30年頃には県内でも早い時期に当時としては新しい試みであったアーケードを取り付けていたが、平成7年に旧武州銀行などの古い建物の外観を活かすためにこれを撤去している。英断と言うべきである。

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川越の洋風建築の中でも重厚さでは随一で、蔵造りの商家と好対照を為している。
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