第690回・旧豊田佐助邸

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名古屋市東区主税町は周囲の撞木町、白壁界隈と共に元々は武家屋敷街で明治以降は新興実業家が多く住まいを構えた場所である。主税町3丁目に建つ旧豊田佐助邸は、大正期に建てられた洋館と日本家屋から構成される邸宅で、現在名古屋市が所有者から無償貸与を受けて一般公開している。

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旧豊田佐助邸は、既に取り上げた橦木館(旧井元為三郎邸)旧名古屋控訴院旧川上貞奴邸などの建物にも近い。豊田佐助(1882~1962)は、トヨタグループ開祖で発明王としても知られる豊田佐吉の実弟。豊田紡織の社長を務めるなど、兄佐吉の事業を終生に亘って支え続けた。

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周囲にはかつて豊田一族が邸宅を構えており、豊田佐吉、子息でトヨタ自動車創業者・喜一郎(以前紹介した八事の別邸とは異なり、こちらは本邸)、佐吉の娘婿で喜一郎の片腕的存在であった利三郎の邸宅がそれぞれ存在した。現在は利三郎邸の門と塀、そしてこの佐助邸のみ現存する。

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邸宅は木造白タイル貼りの洋館と、洋館と同規模の日本家屋から構成される。日本家屋は大正12年(1923)年に豊田佐助によって増築、洋館はそれに先立つ大正4~5年(1915~16)頃の創建と考えられている。なお洋館の建て主は佐助ではなく、入婿として豊田家に入ったばかりの利三郎によるとも考えられている。

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敷地の裏手には土蔵一棟が建っている。かつては洋館と土蔵の間に台所、浴室などを備えた平屋建付属棟と明治期の創建と考えられる洋風二階建の離れのほか、正門脇には門衛所があったが、これらの建物は平成7年に撤去され現存しない。

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敗戦後は周辺の邸宅と同様米軍に接収される。昭和37年にこの邸宅で佐助氏が没した後は、同45年に豊田家からトヨタ系列のアイシン精機(株)の所有となり以後同社の施設として使用される。平成7年より名古屋市が無償で借り受け歴史的建造物として管理・公開を行っている。

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洋館の外観は、邸宅というよりは事務所風。
外壁を白タイル仕上げとするのは、これまで取り上げた旧八十五銀行旧武毛銀行旧日本郵船神戸支店旧西尾類蔵邸など、大正期の洋風建築では幅広く見られる。

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洋館玄関。
ポーチの床には色タイルを敷き詰めている。

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天井は丁寧な造りの格天井。

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玄関ポーチと三和土の床タイル。

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洋館玄関内部。

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奥にある和風の内玄関。表玄関を洋風として内玄関は和風とするところは、目と鼻の先にある橦木館(旧井元為三郎邸)と同じ。

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洋館一階は大小の洋室が3室あり、それぞれ応接間として来客の数や階層に応じて使い分けられていたものと思われる。写真は一番広い洋室で造りも一番立派だが暖炉は設けず、代わりに地袋を備えた、床の間に相当する場所が設けられている。(大きな油絵が立てかけられている場所)

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同上、天井照明及び台座。凝った漆喰装飾が施されている。

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四隅の換気口には「とよ田」の文字をあしらった鶴の装飾がみられる。

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洋館玄関ホールの照明。桃を逆さにしたような形。

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廊下の換気口にも鶴の装飾。

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洋館の二階は和室が二室と、便所・洗面所、屋上への階段がある。
座敷欄間にはモダンな意匠の硝子障子が入る。

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和と洋をつなぐ、洋館二階外縁。
和風意匠のカーテンボックスと、一階と同じく鶴の換気口がある。

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洋館二階座敷。金を散らした襖が華やかな雰囲気を醸し出すが、床の間の造りは地味。

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座敷に続く次の間には、角に小さな床が設けられている。

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洋館と日本家屋の繋ぎ目に階段が設けられている。階段脇には無双窓を設けている。無双窓は名古屋を始め東海地方の和風建築では非常によく見られる。

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大正12年に豊田佐助によって増築された日本家屋の内部。二階座敷。

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書院の建具には、洋館二階座敷の硝子欄間を連想させる意匠が施されている。

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旧豊田佐助邸の座敷の襖はどれも、金を散らした襖絵が描かれた華やかなものになっているのが特徴である。

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階下座敷。

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縁側の欄間も無双窓になっている。名古屋の夏は暑いと言われるので、無双窓の多用は風通しをよくするための工夫かも知れない。

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一階便所の手洗い場。古いタイルが残る。

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廊下に残るガス燈。大正12年当時の名古屋市内では、電燈とガス燈が併用されていたという。ガス燈は旧豊田佐助邸に限られず、橦木館など近辺の同時期建設の邸宅でも見ることができる。

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昨年より補強・修復工事が行われていたが完了し、今年(平成25年)秋より公開が再開されている。
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第689回・旧丹治煉瓦製造所

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大阪府堺市永代町にある、明治期に煉瓦製造会社の事務所として建てられた建物。

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堺や岸和田など、大阪府南部では明治以降多くの煉瓦製造工場が置かれた。この地で煉瓦製造が盛んになったのは、現在でも続いている瓦(泉州瓦)の製造と深い関係があるものと思われる。

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この建物も丹治煉瓦製造の事務所として、明治33年(1900)頃建てられたようである。

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堺はおろか大阪府下でも、現存する明治の煉瓦見建築は非常に少ないだけに、貴重な存在である。

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事務所としての役割を終えた後は、長らく個人住宅として使われてきた。

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所有者が変わり、現在修復工事が行われているようであるが・・・

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目下、工事は捗っているようには見えず、中断されているようにも見え、気になるところである。

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アールデコ調のステンドグラスが嵌められている。住宅に転用されたのは昭和初期かも知れない。また現在はベニヤ板で塞がれているが、玄関欄間にも同様のステンドグラスが嵌め込まれているようだ。

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背面には円形の飾り窓。こちらは色ガラスを嵌め込んでいるようだ。円形窓の縁取りや付け柱、軒部分には白い煉瓦が用いられている。

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塀には焼き過ぎによって生じたと思われる茶褐色の煉瓦を、透かし模様を施して積み上げている。大正期以降はこのような色調の煉瓦も好んで使われるが、ここでは販売に回せない不良品の流用として用いられたものと思われる。

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旧事務所の斜め向かいに建つ倉庫。

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現在は昆布を取り扱う商店の店舗に利用されている。

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2色の煉瓦を積み上げている。

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事務所・倉庫共に小規模ながら見応えのある建物である。
今回見逃したが、周囲には煉瓦塀なども他に残されているという。

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旧事務所の現況が気になるが、無事改修工事が進められて欲しいものである。

第688回・築地

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京都には、戦前からの古い佇まいのままで続く喫茶店が今でも何件か存在する。
四條河原町にある「築地」もそのひとつで、昭和9年(1934)創業当初のままという建物で営業を続けている。

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四條河原町の大通りから少し外れた路地に面して建っている。

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二階中央には小さなバルコニー。

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腰壁と入口まわりの床には色鮮やかなタイルを張り詰めている。

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重厚な店内。

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椅子やテーブルも創業時のものらしい。

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「築地」の屋号の由来は、演劇好きであった創業者が、東京の築地小劇場に因んで付けたものであるという。

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写真はいずれも二階席。写真を撮ったのは平日だったため人気が少ないが、休日などはいつも混んでいる。

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以前紹介した京都大学横の「進々堂」や、この「築地」など昭和初期の建物で営業を続ける喫茶店は他にもいくつか存在する。特に四條河原町界隈は数件が点在する。また機会があれば紹介させて頂く予定。

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建物自体は長屋の一角を改装して造られたものと思われる。

第687回・石田歯科医院

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滋賀県大津市の中心街にある昭和初期建築の歯科医院。現在も現役の歯科医院兼住居として大切に使われている。国登録有形文化財。

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滋賀県庁にも近い大津市の中心街、中央1丁目に建っている。

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医院として使われている洋館の他、奥には中庭を挟んで和風の主屋がある。

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大津祭の曳山巡行を見渡すことができるというバルコニー。

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側面には帆船の図柄のステンドグラスがある。

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前面道路の拡幅に伴い、奥の主屋と共に昭和12年(1937)に建てられた。地元の大工棟梁・木村政吉の設計施工になるという。

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石に文字を刻んだ、古風な看板。

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平成22年に、隣接する桐畑家住宅と共に国の登録有形文化財になった。

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桐畑家住宅は、街路に面した主屋は石田歯科医院と同じく昭和初期の改築で奥には江戸時代からの土蔵や離れが残る。

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スパニッシュ風を加味した洋館に対し奥の主屋は数寄屋風意匠が施されており、和洋に通じた棟梁の腕前が窺える。
(参考)大津祭曳山連盟のホームページ

第686回・西條合資会社旧店舗

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大阪府河内長野市にある造り酒屋、西條合資会社の旧店舗。
幕末から明治初期の創建と考えられており、旧店舗と附属する土蔵が国の登録有形文化財に認定されている。

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近鉄・南海河内長野駅のすぐ近く、京都から高野山に通じる高野海道に面して建っている。

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旧店舗主屋は、間口が11間(1間は1.81818メートル)という大きな町家。

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手前が付属の土蔵。

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現在の西條合資会社事務所と酒蔵が旧店舗と向かい合って建っている。こちらも歴史を感じさせる佇まいである。

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西條合資会社は享保3年(1718)より河内長野で酒造業を営んでいる、歴史ある酒蔵。

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豊臣秀吉も好んで飲んだと伝わる「天野酒」を復活、醸造していることでも知られる。

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一階の出格子。

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二階の虫籠窓。(むしごまど)

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屋根の鬼瓦。

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現在酒まんじゅうの販売コーナーが設けられている場所は、後年ショーウインドウに改造された部分。
内部には銀行として使われていた時のカウンターも残り、近代ならではの改造が施された部分もある。

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古い町家が残る高野海道の景観を形成する、重要な建物である。

第685回・旧堺燈台

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大阪府堺市の堺旧港にある旧堺燈台は、明治10年(1877)に建てられた木造洋式燈台である。国指定史跡。

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現地に置かれている、国指定史跡であることを説明する解説版に掲げられた古写真。
燈台に面した浜辺は大浜と称されていた。現在、浜辺は埋め立てられ跡形も無く、燈台に隣接する大浜公園などにその名残を残すのみである。

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現在はすぐ横を阪神高速湾岸線が通り、周囲は臨海工業地帯となっている。

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大浜公園の敷地は、かつて明治時代には内国勧業博覧会の会場となり、博覧会終了後は水族館や海水を沸かした公衆浴場(以前本ブログで紹介した潮湯別館はその遺構)などがある、大阪府下有数のリゾート地として昭和戦前まで賑わった場所である。

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周囲の風景は全て変わったが、燈台だけが今も同じ場所でそのまま建ち続けている。

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土台の石積みは旧堺港の港湾整備と併せて備前国の石工・継国真吉が携わり、燈台の建築工事は堺の大工・大眉佐太郎によるという。

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建設資金は地元市民の寄付金と堺県(当時)の補助金で賄われた。当時の堺は江戸時代以来の豪商が多く存在し、市民には富裕層が多かったことが窺える。建築費は当時の金で2,125円、点燈機械購入費用は約360円という。

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点燈機械は横浜でフランス製器具を購入、英国人技師が据え付けを行った。

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昭和30年代から始まった堺泉北臨海工業地帯の造成により周囲が埋め立てられ、燈台としての機能を果たせなくなり昭和43年に廃止された。その後昭和47年に国指定史跡となる。

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木造六角形の洋式燈台は他に山形県酒田市などに現存するが、煉瓦造や石造のものに比べると数は極めて少ない。

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旧堺燈台は現存する数少ない木造洋式燈台であると同時に、場所を変えることなく保存されているという点でも希少な存在である。

第684回・旧桜井商店(田中家住宅)+川越の看板建築

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旧桜井商店(田中家住宅)は、川越の蔵造り商家の家並みの中で、土蔵造の構造で洋風意匠を施した異色の商家。川越市指定文化財。

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前回紹介した会津若松の商家群と同様、背後には和風の居住棟を持つ。
これも広い意味での看板建築と言えるかも知れない。

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桜井家は屋号を「槌屋」と称し、川越・旧鍛冶町の草分商人の一人であるという。

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現在残る建物は大正4年(1915)の上棟。

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明治以降は銃砲、洋物も扱ったほか、アメリカ製自転車の輸入販売も行い、このショウウインドウに自転車が飾られていたという。

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隣接して建つのは以前本ブログで紹介した旧山吉デパート

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平成6年に現在の「田中屋」として修復工事が行われた。

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川越にはモルタル洋風仕上げの商家が他にも点在する。

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近年修復整備が行われた大野屋洋品店。

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旧八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)の近くにある、近年改修されたばかりの商家。

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改修前は「きんかめ」という時計・宝石等を扱う店で、「ナイモノハナイ」(無いものは無い)という会津の塚原呉服店に負けず劣らずのユニークな看板が特徴であった。

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きれいに改修されたのは非常に有難いことだが、「ナイモノハナイ」の看板が消えたのは少し残念である。

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妻壁上部にはモルタルで装飾が施されている。

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軒下のセセッション風意匠の補強用金物。

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窓枠や出入り口の建具も木製のものが入れられている。

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上記建物の真向いにある看板建築の長屋。

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狭い路地に面しているので、モルタルの意匠を凝らした外壁は見るアングルが限られている。

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表通りに面した部分が改修中であったが、現在は既に工事が完成しているはずである。

第683回・手打ちそば百丈(旧湯宮釣具店)

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前回まで会津若松の看板建築を紹介してきたが、今回は埼玉県川越の看板建築。
現在、手打ちそば百丈の店舗として使われているこの建物は昭和初期に湯宮釣具店として建てられた。正面全面を銅版で覆い尽くした看板建築である。国登録有形文化財。

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川越市役所の斜め向かいに建っている。

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昭和9年(1934)より以前に建てられたと考えられている。

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3階の窓。

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2階の窓。階ごとに窓の形を変えている。2階外壁の付柱は、文化庁ホームページの解説によるとエジプト風らしい。

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3階の側面には銅板を打ち出して作った「つり具」の文字が残っている。

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川越にも看板建築はいくつか建っているがいずれもモルタル仕上げで、銅板仕上げはこの建物一棟のみ。

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夜景。

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青白い灯りが、外壁の緑青を吹いた銅板を美しく浮き上がらせている。

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看板建築は東日本を中心に各地で見られるが、なぜか銅板仕上げのものは東京以外ではあまり見かけない。

第682回・池田種苗店他 七日町通りの建物

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会津若松市の七日町通りには前回まで紹介した塚原呉服店や白木屋漆器店のほか、洋館や伝統的な構えの古い商家が多く残されている。看板建築も塚原呉服店第二営業所のような奇抜なものから、写真の池田種苗店のようなユーモラスな装飾を施したものも存在する。

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塚原呉服店第二営業所と同じく昭和初期の建物と思われる池田種苗店。

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背面には和風の居住棟と土蔵がある。

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側面には小さな円形窓が開けられている。

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正面窓上部の2連アーチにはモルタル細工で造ったカブのレリーフ。

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正面と側面窓の欄干にもカブの形にくりぬいた装飾を施している。

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「池田種苗店」と刻んだ古風な木製看板と、「たね」の文字が入ったカブを象った看板。
共にいい感じである。

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池田種苗店と同じくモルタル仕上げの洋風外観を持つ、尚伸株式會社。

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背面にはやはり和風の居住棟が見える。

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一階店舗部分はギャラリーに改修されていた。

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両脇を白・黒二色の土蔵に挟まれている。

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池田種苗店に隣接する古道具店「寧々や」の建物も古い商家を改装したものと思われる。

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古い商家を改装したレオ氏郷南蛮館。領主として会津発展の礎を築いた戦国大名・蒲生氏郷を紹介する資料館として使われている。

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会津の民芸品などを販売している笑美((有)荒井工芸所) の店舗は煉瓦造りの洋風商家。

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土蔵造りに赤瓦葺きという会津の伝統的商家のスタイルを見せる、花と陶器・永山。
大正5年(1916)の建物という。

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大正期建造の渋川問屋。現在は宿泊施設及び料理店として使われている。
以上紹介した七日町通り周辺の建物群は、会津若松の観光資源として整備が進められているようである。

第681回・塚原呉服店

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福島県の会津若松には、塚原呉服店という面白い戦前の商店建築が残っている。
本店とその第二営業所として建てられた店舗の両方が今も健在であるが、堂々たる洋館風の本店と面白い意匠の第二営業所が好対照を為している。

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まずは本店。洋風三階建で、外装は石造風に仕上げている。大正15年(1926)の竣工とされている。

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現在はスポーツ用品店となっている。

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正面中央の赤煉瓦仕上げの部分は、近年の改装による後補のようである。元々は全面モルタル塗りであったようだ。

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屋上パラペット(手摺り)には、右書きで「株式會社」「塚原呉服店」の文字と屋号が金文字で掲げられている。

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右側ショウウインドウの上部には色硝子の欄間がある。

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「TSUKAHARA GOFUKUTEN LTD」の看板は、当初からのものと思われる。

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背後には土蔵造り・瓦葺きの住居棟と思われる建物が接続されている。

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本店とは同じ通りに面しながらも、少し離れた場所に建つ第二営業所。本店より1年遅れの昭和2年(1927)竣工。古典的な西洋建築風の外観を持つ本店とは対照的に、モダンな外観の店舗として造られたようである。

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壁面にモルタル細工で店名やキャッチフレーズを浮き上がらせた、文字通りの「看板建築」である。

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「第二営業所」

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モルタルで描き出した「Department Store」の文字の下には金属製看板で「だいに つかはら」

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側面にもモルタルによる文字が。
「新柄なら塚原へ」

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「株式會社 第二チエンストアー 塚原呉服店」
チェーンストアーの事だと思われる。

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こちらは洋風に作られているのは側面一間分だけで、背後には和風の住居棟とナマコ壁の土蔵がある。

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本店・第二営業所共々是非残して欲しい建物である。
なお第二営業所の一軒おいて隣は、先日紹介した白木屋漆器店旧郡山橋本銀行会津支店である。
これらの建物が建ち並ぶ七日町通りには、他にも多くの古い商家や看板建築が残っている。
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