第690回・旧豊田佐助邸

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名古屋市東区主税町は周囲の撞木町、白壁界隈と共に元々は武家屋敷街で明治以降は新興実業家が多く住まいを構えた場所である。主税町3丁目に建つ旧豊田佐助邸は、大正期に建てられた洋館と日本家屋から構成される邸宅で、現在名古屋市が所有者から無償貸与を受けて一般公開している。

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旧豊田佐助邸は、既に取り上げた橦木館(旧井元為三郎邸)旧名古屋控訴院旧川上貞奴邸などの建物にも近い。豊田佐助(1882~1962)は、トヨタグループ開祖で発明王としても知られる豊田佐吉の実弟。豊田紡織の社長を務めるなど、兄佐吉の事業を終生に亘って支え続けた。

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周囲にはかつて豊田一族が邸宅を構えており、豊田佐吉、子息でトヨタ自動車創業者・喜一郎(以前紹介した八事の別邸とは異なり、こちらは本邸)、佐吉の娘婿で喜一郎の片腕的存在であった利三郎の邸宅がそれぞれ存在した。現在は利三郎邸の門と塀、そしてこの佐助邸のみ現存する。

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邸宅は木造白タイル貼りの洋館と、洋館と同規模の日本家屋から構成される。日本家屋は大正12年(1923)年に豊田佐助によって増築、洋館はそれに先立つ大正4~5年(1915~16)頃の創建と考えられている。なお洋館の建て主は佐助ではなく、入婿として豊田家に入ったばかりの利三郎によるとも考えられている。

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敷地の裏手には土蔵一棟が建っている。かつては洋館と土蔵の間に台所、浴室などを備えた平屋建付属棟と明治期の創建と考えられる洋風二階建の離れのほか、正門脇には門衛所があったが、これらの建物は平成7年に撤去され現存しない。

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敗戦後は周辺の邸宅と同様米軍に接収される。昭和37年にこの邸宅で佐助氏が没した後は、同45年に豊田家からトヨタ系列のアイシン精機(株)の所有となり以後同社の施設として使用される。平成7年より名古屋市が無償で借り受け歴史的建造物として管理・公開を行っている。

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洋館の外観は、邸宅というよりは事務所風。
外壁を白タイル仕上げとするのは、これまで取り上げた旧八十五銀行旧武毛銀行旧日本郵船神戸支店旧西尾類蔵邸など、大正期の洋風建築では幅広く見られる。

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洋館玄関。
ポーチの床には色タイルを敷き詰めている。

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天井は丁寧な造りの格天井。

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玄関ポーチと三和土の床タイル。

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洋館玄関内部。

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奥にある和風の内玄関。表玄関を洋風として内玄関は和風とするところは、目と鼻の先にある橦木館(旧井元為三郎邸)と同じ。

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洋館一階は大小の洋室が3室あり、それぞれ応接間として来客の数や階層に応じて使い分けられていたものと思われる。写真は一番広い洋室で造りも一番立派だが暖炉は設けず、代わりに地袋を備えた、床の間に相当する場所が設けられている。(大きな油絵が立てかけられている場所)

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同上、天井照明及び台座。凝った漆喰装飾が施されている。

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四隅の換気口には「とよ田」の文字をあしらった鶴の装飾がみられる。

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洋館玄関ホールの照明。桃を逆さにしたような形。

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廊下の換気口にも鶴の装飾。

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洋館の二階は和室が二室と、便所・洗面所、屋上への階段がある。
座敷欄間にはモダンな意匠の硝子障子が入る。

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和と洋をつなぐ、洋館二階外縁。
和風意匠のカーテンボックスと、一階と同じく鶴の換気口がある。

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洋館二階座敷。金を散らした襖が華やかな雰囲気を醸し出すが、床の間の造りは地味。

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座敷に続く次の間には、角に小さな床が設けられている。

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洋館と日本家屋の繋ぎ目に階段が設けられている。階段脇には無双窓を設けている。無双窓は名古屋を始め東海地方の和風建築では非常によく見られる。

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大正12年に豊田佐助によって増築された日本家屋の内部。二階座敷。

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書院の建具には、洋館二階座敷の硝子欄間を連想させる意匠が施されている。

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旧豊田佐助邸の座敷の襖はどれも、金を散らした襖絵が描かれた華やかなものになっているのが特徴である。

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階下座敷。

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縁側の欄間も無双窓になっている。名古屋の夏は暑いと言われるので、無双窓の多用は風通しをよくするための工夫かも知れない。

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一階便所の手洗い場。古いタイルが残る。

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廊下に残るガス燈。大正12年当時の名古屋市内では、電燈とガス燈が併用されていたという。ガス燈は旧豊田佐助邸に限られず、橦木館など近辺の同時期建設の邸宅でも見ることができる。

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昨年より補強・修復工事が行われていたが完了し、今年(平成25年)秋より公開が再開されている。
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第689回・旧丹治煉瓦製造所

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大阪府堺市永代町にある、明治期に煉瓦製造会社の事務所として建てられた建物。

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堺や岸和田など、大阪府南部では明治以降多くの煉瓦製造工場が置かれた。この地で煉瓦製造が盛んになったのは、現在でも続いている瓦(泉州瓦)の製造と深い関係があるものと思われる。

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この建物も丹治煉瓦製造の事務所として、明治33年(1900)頃建てられたようである。

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堺はおろか大阪府下でも、現存する明治の煉瓦見建築は非常に少ないだけに、貴重な存在である。

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事務所としての役割を終えた後は、長らく個人住宅として使われてきた。

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所有者が変わり、現在修復工事が行われているようであるが・・・

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目下、工事は捗っているようには見えず、中断されているようにも見え、気になるところである。

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アールデコ調のステンドグラスが嵌められている。住宅に転用されたのは昭和初期かも知れない。また現在はベニヤ板で塞がれているが、玄関欄間にも同様のステンドグラスが嵌め込まれているようだ。

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背面には円形の飾り窓。こちらは色ガラスを嵌め込んでいるようだ。円形窓の縁取りや付け柱、軒部分には白い煉瓦が用いられている。

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塀には焼き過ぎによって生じたと思われる茶褐色の煉瓦を、透かし模様を施して積み上げている。大正期以降はこのような色調の煉瓦も好んで使われるが、ここでは販売に回せない不良品の流用として用いられたものと思われる。

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旧事務所の斜め向かいに建つ倉庫。

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現在は昆布を取り扱う商店の店舗に利用されている。

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2色の煉瓦を積み上げている。

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事務所・倉庫共に小規模ながら見応えのある建物である。
今回見逃したが、周囲には煉瓦塀なども他に残されているという。

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旧事務所の現況が気になるが、無事改修工事が進められて欲しいものである。

第688回・築地

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京都には、戦前からの古い佇まいのままで続く喫茶店が今でも何件か存在する。
四條河原町にある「築地」もそのひとつで、昭和9年(1934)創業当初のままという建物で営業を続けている。

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四條河原町の大通りから少し外れた路地に面して建っている。

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二階中央には小さなバルコニー。

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腰壁と入口まわりの床には色鮮やかなタイルを張り詰めている。

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重厚な店内。

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椅子やテーブルも創業時のものらしい。

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「築地」の屋号の由来は、演劇好きであった創業者が、東京の築地小劇場に因んで付けたものであるという。

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写真はいずれも二階席。写真を撮ったのは平日だったため人気が少ないが、休日などはいつも混んでいる。

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以前紹介した京都大学横の「進々堂」や、この「築地」など昭和初期の建物で営業を続ける喫茶店は他にもいくつか存在する。特に四條河原町界隈は数件が点在する。また機会があれば紹介させて頂く予定。

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建物自体は長屋の一角を改装して造られたものと思われる。

第687回・石田歯科医院

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滋賀県大津市の中心街にある昭和初期建築の歯科医院。現在も現役の歯科医院兼住居として大切に使われている。国登録有形文化財。

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滋賀県庁にも近い大津市の中心街、中央1丁目に建っている。

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医院として使われている洋館の他、奥には中庭を挟んで和風の主屋がある。

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大津祭の曳山巡行を見渡すことができるというバルコニー。

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側面には帆船の図柄のステンドグラスがある。

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前面道路の拡幅に伴い、奥の主屋と共に昭和12年(1937)に建てられた。地元の大工棟梁・木村政吉の設計施工になるという。

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石に文字を刻んだ、古風な看板。

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平成22年に、隣接する桐畑家住宅と共に国の登録有形文化財になった。

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桐畑家住宅は、街路に面した主屋は石田歯科医院と同じく昭和初期の改築で奥には江戸時代からの土蔵や離れが残る。

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スパニッシュ風を加味した洋館に対し奥の主屋は数寄屋風意匠が施されており、和洋に通じた棟梁の腕前が窺える。
(参考)大津祭曳山連盟のホームページ

第686回・西條合資会社旧店舗

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大阪府河内長野市にある造り酒屋、西條合資会社の旧店舗。
幕末から明治初期の創建と考えられており、旧店舗と附属する土蔵が国の登録有形文化財に認定されている。

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近鉄・南海河内長野駅のすぐ近く、京都から高野山に通じる高野海道に面して建っている。

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旧店舗主屋は、間口が11間(1間は1.81818メートル)という大きな町家。

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手前が付属の土蔵。

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現在の西條合資会社事務所と酒蔵が旧店舗と向かい合って建っている。こちらも歴史を感じさせる佇まいである。

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西條合資会社は享保3年(1718)より河内長野で酒造業を営んでいる、歴史ある酒蔵。

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豊臣秀吉も好んで飲んだと伝わる「天野酒」を復活、醸造していることでも知られる。

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一階の出格子。

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二階の虫籠窓。(むしごまど)

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屋根の鬼瓦。

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現在酒まんじゅうの販売コーナーが設けられている場所は、後年ショーウインドウに改造された部分。
内部には銀行として使われていた時のカウンターも残り、近代ならではの改造が施された部分もある。

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古い町家が残る高野海道の景観を形成する、重要な建物である。

第685回・旧堺燈台

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大阪府堺市の堺旧港にある旧堺燈台は、明治10年(1877)に建てられた木造洋式燈台である。国指定史跡。

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現地に置かれている、国指定史跡であることを説明する解説版に掲げられた古写真。
燈台に面した浜辺は大浜と称されていた。現在、浜辺は埋め立てられ跡形も無く、燈台に隣接する大浜公園などにその名残を残すのみである。

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現在はすぐ横を阪神高速湾岸線が通り、周囲は臨海工業地帯となっている。

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大浜公園の敷地は、かつて明治時代には内国勧業博覧会の会場となり、博覧会終了後は水族館や海水を沸かした公衆浴場(以前本ブログで紹介した潮湯別館はその遺構)などがある、大阪府下有数のリゾート地として昭和戦前まで賑わった場所である。

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周囲の風景は全て変わったが、燈台だけが今も同じ場所でそのまま建ち続けている。

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土台の石積みは旧堺港の港湾整備と併せて備前国の石工・継国真吉が携わり、燈台の建築工事は堺の大工・大眉佐太郎によるという。

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建設資金は地元市民の寄付金と堺県(当時)の補助金で賄われた。当時の堺は江戸時代以来の豪商が多く存在し、市民には富裕層が多かったことが窺える。建築費は当時の金で2,125円、点燈機械購入費用は約360円という。

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点燈機械は横浜でフランス製器具を購入、英国人技師が据え付けを行った。

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昭和30年代から始まった堺泉北臨海工業地帯の造成により周囲が埋め立てられ、燈台としての機能を果たせなくなり昭和43年に廃止された。その後昭和47年に国指定史跡となる。

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木造六角形の洋式燈台は他に山形県酒田市などに現存するが、煉瓦造や石造のものに比べると数は極めて少ない。

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旧堺燈台は現存する数少ない木造洋式燈台であると同時に、場所を変えることなく保存されているという点でも希少な存在である。

第684回・旧桜井商店(田中家住宅)+川越の看板建築

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旧桜井商店(田中家住宅)は、川越の蔵造り商家の家並みの中で、土蔵造の構造で洋風意匠を施した異色の商家。川越市指定文化財。

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前回紹介した会津若松の商家群と同様、背後には和風の居住棟を持つ。
これも広い意味での看板建築と言えるかも知れない。

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桜井家は屋号を「槌屋」と称し、川越・旧鍛冶町の草分商人の一人であるという。

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現在残る建物は大正4年(1915)の上棟。

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明治以降は銃砲、洋物も扱ったほか、アメリカ製自転車の輸入販売も行い、このショウウインドウに自転車が飾られていたという。

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隣接して建つのは以前本ブログで紹介した旧山吉デパート

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平成6年に現在の「田中屋」として修復工事が行われた。

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川越にはモルタル洋風仕上げの商家が他にも点在する。

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近年修復整備が行われた大野屋洋品店。

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旧八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)の近くにある、近年改修されたばかりの商家。

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改修前は「きんかめ」という時計・宝石等を扱う店で、「ナイモノハナイ」(無いものは無い)という会津の塚原呉服店に負けず劣らずのユニークな看板が特徴であった。

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きれいに改修されたのは非常に有難いことだが、「ナイモノハナイ」の看板が消えたのは少し残念である。

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妻壁上部にはモルタルで装飾が施されている。

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軒下のセセッション風意匠の補強用金物。

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窓枠や出入り口の建具も木製のものが入れられている。

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上記建物の真向いにある看板建築の長屋。

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狭い路地に面しているので、モルタルの意匠を凝らした外壁は見るアングルが限られている。

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表通りに面した部分が改修中であったが、現在は既に工事が完成しているはずである。

第683回・手打ちそば百丈(旧湯宮釣具店)

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前回まで会津若松の看板建築を紹介してきたが、今回は埼玉県川越の看板建築。
現在、手打ちそば百丈の店舗として使われているこの建物は昭和初期に湯宮釣具店として建てられた。正面全面を銅版で覆い尽くした看板建築である。国登録有形文化財。

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川越市役所の斜め向かいに建っている。

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昭和9年(1934)より以前に建てられたと考えられている。

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3階の窓。

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2階の窓。階ごとに窓の形を変えている。2階外壁の付柱は、文化庁ホームページの解説によるとエジプト風らしい。

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3階の側面には銅板を打ち出して作った「つり具」の文字が残っている。

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川越にも看板建築はいくつか建っているがいずれもモルタル仕上げで、銅板仕上げはこの建物一棟のみ。

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夜景。

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青白い灯りが、外壁の緑青を吹いた銅板を美しく浮き上がらせている。

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看板建築は東日本を中心に各地で見られるが、なぜか銅板仕上げのものは東京以外ではあまり見かけない。

第682回・池田種苗店他 七日町通りの建物

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会津若松市の七日町通りには前回まで紹介した塚原呉服店や白木屋漆器店のほか、洋館や伝統的な構えの古い商家が多く残されている。看板建築も塚原呉服店第二営業所のような奇抜なものから、写真の池田種苗店のようなユーモラスな装飾を施したものも存在する。

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塚原呉服店第二営業所と同じく昭和初期の建物と思われる池田種苗店。

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背面には和風の居住棟と土蔵がある。

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側面には小さな円形窓が開けられている。

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正面窓上部の2連アーチにはモルタル細工で造ったカブのレリーフ。

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正面と側面窓の欄干にもカブの形にくりぬいた装飾を施している。

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「池田種苗店」と刻んだ古風な木製看板と、「たね」の文字が入ったカブを象った看板。
共にいい感じである。

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池田種苗店と同じくモルタル仕上げの洋風外観を持つ、尚伸株式會社。

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背面にはやはり和風の居住棟が見える。

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一階店舗部分はギャラリーに改修されていた。

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両脇を白・黒二色の土蔵に挟まれている。

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池田種苗店に隣接する古道具店「寧々や」の建物も古い商家を改装したものと思われる。

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古い商家を改装したレオ氏郷南蛮館。領主として会津発展の礎を築いた戦国大名・蒲生氏郷を紹介する資料館として使われている。

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会津の民芸品などを販売している笑美((有)荒井工芸所) の店舗は煉瓦造りの洋風商家。

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土蔵造りに赤瓦葺きという会津の伝統的商家のスタイルを見せる、花と陶器・永山。
大正5年(1916)の建物という。

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大正期建造の渋川問屋。現在は宿泊施設及び料理店として使われている。
以上紹介した七日町通り周辺の建物群は、会津若松の観光資源として整備が進められているようである。

第681回・塚原呉服店

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福島県の会津若松には、塚原呉服店という面白い戦前の商店建築が残っている。
本店とその第二営業所として建てられた店舗の両方が今も健在であるが、堂々たる洋館風の本店と面白い意匠の第二営業所が好対照を為している。

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まずは本店。洋風三階建で、外装は石造風に仕上げている。大正15年(1926)の竣工とされている。

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現在はスポーツ用品店となっている。

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正面中央の赤煉瓦仕上げの部分は、近年の改装による後補のようである。元々は全面モルタル塗りであったようだ。

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屋上パラペット(手摺り)には、右書きで「株式會社」「塚原呉服店」の文字と屋号が金文字で掲げられている。

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右側ショウウインドウの上部には色硝子の欄間がある。

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「TSUKAHARA GOFUKUTEN LTD」の看板は、当初からのものと思われる。

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背後には土蔵造り・瓦葺きの住居棟と思われる建物が接続されている。

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本店とは同じ通りに面しながらも、少し離れた場所に建つ第二営業所。本店より1年遅れの昭和2年(1927)竣工。古典的な西洋建築風の外観を持つ本店とは対照的に、モダンな外観の店舗として造られたようである。

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壁面にモルタル細工で店名やキャッチフレーズを浮き上がらせた、文字通りの「看板建築」である。

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「第二営業所」

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モルタルで描き出した「Department Store」の文字の下には金属製看板で「だいに つかはら」

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側面にもモルタルによる文字が。
「新柄なら塚原へ」

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「株式會社 第二チエンストアー 塚原呉服店」
チェーンストアーの事だと思われる。

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こちらは洋風に作られているのは側面一間分だけで、背後には和風の住居棟とナマコ壁の土蔵がある。

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本店・第二営業所共々是非残して欲しい建物である。
なお第二営業所の一軒おいて隣は、先日紹介した白木屋漆器店旧郡山橋本銀行会津支店である。
これらの建物が建ち並ぶ七日町通りには、他にも多くの古い商家や看板建築が残っている。

第680回・碓氷峠鉄道施設(碓氷第三橋梁)

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本日11月18日は「土木の日」である。(「十一 → 土」「十八 → 木」 詳細は土木学会ホームページ
それに因んで本日は土木遺産の紹介。最近は観光名所としても知られ始めている、群馬県安中市松井田町の碓氷峠鉄道施設である。

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碓氷峠鉄道施設の中でも最も有名なのが、「めがね橋」の別名を持つ碓氷第三橋梁。2年の工期をかけて明治26年(1893)に竣工した。なお竣工当初は、柱もアーチも現在より細かったが、竣工翌年から行われた補強工事で現在の姿になっている。

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アプト式鉄道が採用された信越本線横川~軽井沢間に架けられた橋梁の中でも最大規模である。現在、この第三橋梁を含め、第二橋梁から第六橋梁までの5基が現存する。

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また隧道(トンネル)は、第一隧道から第十隧道まであり、いずれも現存する。写真は第五隧道。

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昭和38年の新線開通と同時にアプト式鉄道は廃止、廃線となるが平成13年に「アプトの道」として整備される。写真の第六隧道から第十隧道までは当初まだ未整備であったが、平成24年に整備が完了、現在は全区間が遊歩道として利用できる。写真は未整備であった頃のもの。

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緑や紅葉に包まれた姿もすばらしいが、全景を見渡せるのは冬枯れ時。

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使用された煉瓦は約200万個とされ、日本国内に建てられた煉瓦造の構造物の中でも使用量は最多である。

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下からアーチを見上げる。川底からの高さは31メートル。

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平成5年に「碓氷峠鉄道施設」として他の橋梁、隧道と共に国指定重要文化財となった。現在ユネスコの世界遺産への登録を目指している。

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また観光名所としても、近年は知名度を上げている。

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しかし観光客が増えると、このような愚か者の痕跡が多数。

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現在の第六隧道。

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第三橋梁上から第五隧道を見る。

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現役時代の写真。
横に張り出した、鉄製の棒状のものにはかつて電線を張っていた事がわかる。

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季節によって異なる表情を見せる碓氷峠鉄道施設は、何度訪れてもいい。
なお、今回記事の写真は筆者が撮ったのは半分程度で、残りは一緒に行った妻や友人が撮ったものを使わせて頂いた。

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第三橋梁の次に規模の大きい、第六橋梁。

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こちらも一見橋梁のひとつかと思うが、これは第六隧道に穿たれた横穴。

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碓氷峠鉄道施設については、リンクを張らせて頂いている、たくあん様のブログに全ての施設について詳細な解説とすばらしい写真が掲載されている。(本文中のリンク先は第三橋梁の記事ですが、他の全ての橋梁・隧道についても記事にしておられます)

第679回・東京中央郵便局

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高層ビルの足元に正面部分を残す形で改築、昨年JPタワーとして竣工した東京中央郵便局。
旧局舎は日本における初期のモダニズム建築家として知られる吉田鉄郎(1894~1956)の設計で、昭和6年(1931)竣工。

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現在のJPタワー全景。

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吉田鉄郎は大正中期から第二次大戦中まで逓信省に在籍していたことから、以前取り上げた京都市の旧京都中央電話局上分局など、各地の郵便局・電信局庁舎を手掛けている。東京中央郵便局はモダニズム路線に本格的に作風を改めていった時期の建物である。

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改築中の旧東京中央郵便局。アールのある部分は一旦解体されていた。なぜかと思っていたが、これは保存する部分の基礎に免震装置を組み入れるため、建物は二つに分割し、そのうち東京駅に面した部分(写真左側)は角度を少しずらす必要があったためであるという。

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丸ビル側は窓二つ分しか旧局舎の外壁は残されていないので、こちら側から見ると、いわゆる「薄皮を貼った」状態になってしまっている。

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正面の大時計。

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正面及び東京駅側はほぼそのまま残されている。

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外壁の白色タイルは一部を残して全て新しく貼りかえられた。残された古いタイルは正面の一階、正面玄関から丸ビルに近い側の壁面に集約して貼られている。新しいタイルと比較すると、色にムラがあるのが分かる。
窓には復原工事の終わった東京駅丸の内駅舎が写っている。

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定礎石には「紀元二千五百九十一年」と皇紀で定礎年が刻まれている。

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東京中央郵便局に限らず、モダニズム建築ではその機能美が見せ場のひとつであった外階段。

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一旦解体、再現されたアール部分の一階には、タワーに入居する商業施設(KITTE)のエントランスが造られている。

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KITTEのエントランスホール。
左手の壁面は、旧局舎の切断面を新しい建物のデザインの一部に取り込んでいる。

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5階部分は屋上テラスになっていた名残が、今は窓の一部となっている出入り口の跡から窺える。

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東京中央郵便局の営業室は、柱の黒大理石など部材を保存・再利用して改築前とほぼ変わらない姿を残している。また天井の照明などは創建当初のものが再現されている。

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旧局長室。一旦解体されたアールの部分にあったので、解体に際し床板や柱、建具などを保存、その後再現された。ところでこの部屋の窓からは、赤煉瓦の東京駅がよく見えるのでいつ行っても人が多い。

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シンプルながらも壁面いっぱい板張りにして重厚な雰囲気に仕上げている。天井照明も営業室と同様、昭和6年当初のものが再現されている。

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なお、同じ設計者によって昭和14年に竣工した大阪中央郵便局も現在高層ビルに改築中であるが、旧局舎の扱いについては論ずる価値もないと思うので、これ以上は触れない。

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夜景。

第678回・三野村株式会社

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以前紹介した東京都江東区清澄の清洲寮清洲橋の中間、そして清澄庭園(旧岩崎家深川別邸跡)の近くに、戦前に建てられたと思しき小さな事務所ビルがある。 

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「三野村株式会社」の看板が掛かるこのビルは、三井財閥の基礎を築いた人物として知られる三野村利左衛門(1821~1877)が興した会社の事務所として、現在も使われている。近年までは合名会社(合資会社?)であったようであるが、現在は株式会社となっている。

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三野村利左衛門は幕末から明治維新の動乱期に活躍、江戸時代の豪商であった三井家が明治以降、三井財閥となる下地を築いた人物である。

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三野村はここ深川に邸宅を構え、事務所の敷地はかつての邸宅の敷地の一部に当たるという。

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ドラマのロケなどでもよく使われるようである。

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建物の縁と玄関まわりを装飾タイルで飾る他は、至って簡素なビルである。

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玄関に用いられた装飾タイルは非常に大型で、贅沢な特注品と思われる。

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玄関脇には、平成8年度に江東区よりまちなみ景観賞を受賞したことを示すプレートが飾られており、地域でも親しまれていることが窺える。

第677回・旧小山家住宅(川越市蔵造り資料館)

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埼玉県川越市の蔵造りの商家群は、殆どが現役の住宅や店舗であるため、内部を公開しているものは少ない。川越市が所有する旧小山家住宅は、「川越市蔵造り資料館」として内部を一般公開している数少ない存在である。川越市指定文化財。

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小山家は「万文」の屋号絵で煙草卸商を営む商家で、4代目小山文造が現在残る建物を建設したという。手前の建物が店蔵で、背後に住居や文庫蔵、煙草蔵などを置く。店蔵の奥の少し小ぶりな部分は貸店舗である「添屋」としてとして建てられたものと考えられている。

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川越の中心街の殆どが焼失した明治26年(1893)3月の川越大火の直後、4月に上棟が行われている。この大火後の復興によって、川越の市街地は蔵造りの商家が立ち並ぶようになるが、その中でも最も早く建てられた建物である。

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両側及び裏側の隣家との境には煉瓦塀を建てて、敷地を囲っている。

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店蔵の一階は店舗となっており、地下には煉瓦造の貯蔵庫を設ける。写真は店蔵二階の座敷。

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店蔵の背後には木造二階建(現存しないが一部平屋建の部分もあった)の住居があり、生活や接客の場として使われていた。写真は一階座敷。

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住居棟二階座敷。

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二階座敷の縁側突き当たりにある、現在は立ち入り禁止の階段。

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狭い。

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階段の幅は3~40センチあるかないかといったところ。狭すぎ。

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住居の奥に一番蔵(文庫蔵)、現存しない台所跡に続き二番蔵(煙草蔵)、三番蔵(文庫蔵)が並ぶ。突き当たりに見えるのが住居と店蔵。

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住居側から二番蔵、三番蔵を望む。二つの蔵は現在展示室として利用されている。
現在通路となっている部分は表通りに通じるトロッコのレールが引かれており、商品である煙草の運搬に使われていたという。

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二番蔵と三番蔵の間から見える煉瓦塀。

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敷地の一番奥にある屋敷神。

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屋敷神の反対側、三番蔵の裏手にも何か建っている。

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近づくと外便所であった。

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小山家が営む煙草卸商「万文」は日露戦争に際し煙草が専売制になったことにより廃業、以後建物は専売公社が使用する。

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戦後は荒廃が進んでいたが、川越市の所有となり整備、一般公開され、現在に至っている。

第676回・築地本願寺

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これまで昭和初期の鉄筋コンクリート造による仏教寺院として、大阪の心光寺本堂(昭和4)、静岡の光福寺本堂(昭和2)を紹介してきたが、昭和9年(1934)に竣工した築地本願寺を外すことはできない。

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伊東忠太(1867~1954)の設計による怪建築。

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鉄筋コンクリートで伝統的な形態を再現した函館の東本願寺別院(大正4年竣工、国指定重要文化財)のような例はあるが、寺院建築は近代以降も概ね木造による伝統的な形態を保持していた。

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そのような中で、築地本願寺は構造のみならず、意匠も伝統的形態とは全く異なる外観をもつ極めて異例の寺院建築である。しかも先述の心光寺や光福寺のような小規模な寺院と異なり、都心の高名な大寺院である。

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ミャンマーなどに多く見られるストゥーパ(仏塔、パゴダ)を思わせる造形の塔。

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築地本願寺は、京都西本願寺の別院として元和3年(1617)に浅草に建立されたのを始まりとするが、当初の本堂は明暦の大火で焼失。幕府はその後区画整理のため浅草での再建を認めず、延宝7年(1679)に現在の築地に移転する。

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なお「築地」の地名の由来は、幕府が用意した代替地は埋め立て前の海で、佃島の門徒が中心になって埋め立て工事を行い完成したことに因むと言われる。

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大正12年の関東大震災では伽藍を焼失したため、鉄筋コンクリート造で復興造営されたのが、現在の本堂である。

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細部までインド風の石造彫刻が施されている。
設計者の伊東忠太は、当時の浄土真宗本願寺派法主・大谷光瑞(1876~1948)とは明治以来深い親交を有する間柄で、京都にも大谷光瑞との縁で設計を行ったと思われる建物(西本願寺伝道院)を残している。

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東京都内でも特に著名な寺院のひとつで、著名人の葬儀も多く行われている。
昭和11年の二・二六事件で、東京赤坂の自邸で殺害された高橋是清の葬儀もここで行われている。

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正面の石の列柱。柱の下部にもインド風装飾が施されている。

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外観はインド風であるが、内部は伝統的な真宗寺院の造りになっている。

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ただし全く伝統的かといえばそうでもなく、蓮の花をあしらったステンドグラスや、伊東忠太作品につきものと言える各種動物の装飾が随所に施されている。

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動物の装飾については、築地本願寺のホームページでも写真つきで紹介されている

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近年保存改修工事も行われ、平成23年に国の登録有形文化財となった。

第675回・旧高松宮翁島別邸(福島県迎賓館)

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前回紹介した天鏡閣の近くに建っている旧高松宮翁島別邸は、大正11年(1922)に有栖川宮威仁親王(大正2年薨去)の妃・慰子妃の静養を目的として、有栖川宮家の祭祀継承者である高松宮宣仁親王(1905~1987)によって建てられた和風の御別邸。天鏡閣と同じく国指定重要文化財。

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天鏡閣から少し離れた林の中に建っている。

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林の中の道をしばらく歩くと現れる藁葺の長屋門。

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欅造りの堂々とした門である。

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長屋門は栃木県内の旧家にあったものを移築したもの。陶芸家の濱田庄司(1894~1978)が高松宮宣仁親王の依頼を受け、自ら歩き回って建物の選定を行ったという。

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旧高松宮翁島別邸の建物は玄関棟・居間棟・台所棟の3棟から構成されている。
写真は玄関棟。

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居間棟。

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台所棟。

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設計は天鏡閣の設計にも関与したと考えられている、宮内省内匠寮技師の木子幸三郎による。

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木目の目立つ玄関扉など、希少な財を用いているものと思われる。

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昭和27年に天鏡閣と同様、高松宮家より福島県に下賜され、以後現在に至るまで福島県迎賓館として使われている。平成11年には近代和風建築としての価値が評価され、天鏡閣(昭和54年指定)に遅れながらも国指定重要文化財となった。

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5月から10月末まで、庭園は無料開放されているが、建物の内部は特別公開のときを除き非公開。
写真は廊下の硝子戸越しに撮ったもの。

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既存の有栖川宮家別邸である天鏡閣は純洋風の建物であることから、高松宮宣仁親王は還暦近い慰子妃殿下のために、より寛ぎやすい和風の別邸を新たに苗代湖畔に建設された。

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居間棟は格調高い書院造の部屋が並ぶが、一室のみ数寄屋風で造られた竹の間。慰子妃殿下の私室である。

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慰子妃殿下は大正11年の夏はこの御別邸で過ごされ、翌12年に薨去。江戸時代より続く宮家のひとつであった有栖川宮家は断絶した。

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なお、有栖川宮家の祭祀を引き継がれた高松宮家も子女がなく一代限りとなったため、平成16年に喜久子妃殿下の薨去を以て絶家となっている。

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庭園の四阿からは猪苗代湖が見える。

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現在も県の迎賓館として、天鏡閣と同様に今上天皇ほか多くの皇族を迎え入れている。

第674回・天鏡閣

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有栖川宮威仁親王(1862~1913)の御別邸として明治41年(1908)、福島県の猪苗代湖を望む高台の上に建てられた西洋館。竣工後間もなくこの西洋館に滞在、利用された大正天皇(当時は皇太子)によって「天鏡閣」と命名された。国指定重要文化財。

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赤煉瓦の表門。
この門も重要文化財である。門燈は保護のため四角い透明カバーで覆われている。
現在、周囲は樹木が鬱蒼と茂っているが、かつては丘の上の西洋館は猪苗代湖からもよく見えたという。

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正面。
明治40年に東北地方を巡遊された有栖川宮威仁親王は猪苗代湖の風光に魅せられ、御別邸がここに建てられることになったと言われる。御別邸は有栖川宮のみならず大正天皇、昭和天皇も宿泊、滞在に利用された。

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有栖川宮威仁親王は建築に大変関心を持たれていたとされ、御別邸の設計にも威仁親王の御意向が反映されていると考えられている。失礼乍ら外観に少々素人臭い印象があるのはそのためだろうか。

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避暑など夏の使用を主に考えて造られた建物であるが、冬は雪深い猪苗代の土地柄を考慮したのか、広いベランダなどは設けない閉鎖的な外観である。外壁の色彩も北国らしい。

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有栖川宮家が絶家になった後は、その祭祀を引き継いだ高松宮家に御別邸も引き継がれた。昭和27年に高松宮家より福島県に下賜、会議や宿泊施設などに使われたが老朽化が進み、昭和46年使用中止、その後国指定重要文化財となり大がかりな修復が行われた。現在は一般公開され、猪苗代湖周辺でも屈指の観光名所でとなっている。

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本館のほか、付属建物もよく残されている。写真手前の平屋建は調理所(厨房)として建てられたもの。
現在は見学者用の玄関と受付に利用されている。

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旧調理所と向かい合う位置に建つ別館。
管理用事務所及び関係者の宿泊棟として建てられたもので、これも重要文化財に指定されている。

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簡素ながらも、本館に準じた造りの西洋館となっている。

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別館(右)は窓や基壇、換気口飾りなど、本館(左)と異なるデザイン、仕上げが施されていることが分かる。

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玄関ホール兼階段室。暖炉上の円形の鏡飾りやその奥に置かれた帽子掛けなど、アールヌーボー調の装飾が施されている。

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客間。家具調度類も資料に基づいて再現が図られている。

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食堂。期間限定で、ここの大テーブルで見学者が喫茶を楽しめるようである。

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撞球室。
撞球台は横浜の原三溪の邸宅にあったものらしい。

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廊下や階段室にも暖炉を設けている。

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二階階段室の天井には展望台への出入り口と思われるものがあるが、階段がないのでその都度梯子を掛けて出入りするようである。

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二階は居間や寝室など、私的な部屋が配されている。

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二階居間に面した小さなベランダから外を見る。かつてはここからも猪苗代湖が見えたものと思われる。

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御座所と呼ばれているが、実際は書斎のような空間として使われていた部屋。

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一階玄関の暖炉飾りと同様円形の鏡が配された洗面所。
ただし創建当初からのオリジナルではなく、関係者の記憶をもとに再現されたもの。

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館内にある暖炉上部の飾りの大半は、古写真や関係者の聞き取りなどをもとに復元されたもののようである。

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暖炉自体は創建当初からのオリジナルである。細部にアールヌーボー調意匠が施されており、これらの装飾は当時宮内省内匠寮技師で、アールヌーボーなど当時の最先端デザインにも詳しかったとされる木子幸三郎(1874~1941 木子七郎の実兄)による可能性が高いようである。

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館内各所の暖炉。暖炉の石材は食堂のみが緑がかった大理石で、それ以外は白い石が使われている。

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用いられている暖炉タイルの多彩さは、この館のみどころのひとつである。

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天井の照明台座飾りも部屋毎に異なり、見応えがある。

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少々地味な外観とは裏腹に、内部は華麗な空間が広がっている。

第673回・旧岩槻警察署(岩槻郷土資料館)

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現在さいたま市立岩槻郷土資料館として使われている建物は、昭和5年(1930)に竣工した旧岩槻警察署庁舎である。岩槻署が他所に移転した後、昭和57年より現在の用途で使われている。

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郷土資料館内に展示されている竣工当初の古写真。他、館内には創建当初の間取り図も展示されている。
設計は埼玉県土木課、施工は岩槻市内で建設業を営んでいた小川啓次郎とされる。

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近年行われた正面の道路拡幅により、玄関先の掲示板を兼ねたポーチの一部が削り取られた点を除けば、概ね創建当初の姿を残している。

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ポーチの撤去された部分は、裏側の駐車場内に移設保存されている。

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駐車場からみた庁舎裏側からの眺め。手前の平屋建ても庁舎の一部で、先述の館内展示の間取り図によれば旧演武場。また奥に写る鉄筋コンクリート二階建の本館左手1階、小窓が3つ並ぶ部分がかつての留置場。

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岩槻城城下町の大通りだった市宿町(現・本町)の中ほどの位置に建てられ、昭和51年まで岩槻署として使われていた。先日紹介した旧中井銀行岩槻支店は、同じ道路に面して少し離れた場所に建っている。

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2階バルコニー出入り口の周辺のみ、創建当初のスチールサッシが残されている。
屋上に見える小さな尖塔は望楼だろうか。

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玄関を入るとカウンターのある事務室がある。その脇に手前から奥に応接室、署長室、取調室、刑事室、宿直室などの小部屋が並び、またそれらの小部屋の反対側に留置場と巡査詰所が配されていた。現在も基本的な間取りはそのままで、展示室として再利用されている。

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関東大震災の記憶も新しい時期に建てられたせいか、柱や梁は非常に太く、堅牢な造りであることが一目でわかる。

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全体的に武骨な建物であるが、応接室の扉には洒落たバラの花の飾り格子が嵌め込まれている。

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階段室脇にある2つの扉。奥は電話室の入口で、手前の脇に小窓のある扉は暗室の入口。事件現場や被疑者の写真を現像するための部屋だったのだろうか。

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二階は貴賓室の小部屋と、訓示室とされる大部屋があった。講堂のような部屋と思われる。
アーチの先が旧訓示室。

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階段手摺に施された装飾。

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外部の通気口飾り。

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昭和初期の警察庁舎として他に現存するものは、他に兵庫県の芦屋警察署(但し現在残るのは旧庁舎の主要部を残して改築したもの)、旧尼崎警察署などがある。また埼玉県下では、以前紹介した明治初期の擬洋風建築である旧本庄警察署がある。

第672回・旧豊田喜一郎邸

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前回の東山荘に続き、名古屋の郊外に設けられた別荘建築。トヨタ自動車の創業者、豊田喜一郎(1894~1952)の別邸として昭和8年(1933)に名古屋市の八事に建てられた。温室を備えたモダンな和洋折衷の住宅である。

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設計は、名古屋における近代建築の普及に絶大な役割を果たした建築家、鈴木禎次(1870~1941)で、晩年の作品に当たる。鈴木は銀行や百貨店を多く手掛け、住宅設計は少ないが旧中埜半六別邸(明治44)、旧諸戸精太邸洋室(大正2)、揚輝荘伴華楼(昭和4)、そして旧豊田喜一郎邸の4棟が現存する。施工は清水組(現清水建設)。

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現在は名古屋市から豊田市に移築、鞍ヶ池公園の一角にあるトヨタ鞍ヶ池記念館の敷地内にてトヨタ自動車が保存・管理している。移築復元工事は清水建設の施工で平成8年に解体、同11年に竣工している。

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半円アーチの洞窟風意匠の玄関は、後年の改築で原型が失われていたため、移築に際して復元されたもの。

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玄関脇窓の木製飾り格子。

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傾斜地に建てられていたため、北面からみると二階建、南面からみると三階建に見える。傾斜地に建てて半地階を設ける造りは、同じ鈴木禎次設計の揚輝荘伴華楼でも見られる。

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一階をモルタルで塗り込めた大壁造として、二階は木組みを露出したハーフチンバーの外観は、旧中埜半六別邸と共通する。いずれも緑豊かな町外れに設けられた別邸であるため山荘風の外観を採用したようである。

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邸宅に温室を付属させるのは、産業革命期の英国の上流階級で流行したとされるが、我が国では類例は少ない。東京早稲田にあった大隈重信邸や、高輪の旧渡邊千秋伯爵邸(同じくトヨタ自動車によって洋館のみ昭和38年に東京から長野県の諏訪に移築、但し温室部分は現存しない)があるが、現存するものは極めて珍しいと思われる。

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一階応接間のテラスには、青と白の縞模様の日除けテント(折り畳み式)を設ける。当時の流行であったらしく、移築に際しては名古屋市内の古い商店に残っていたものを譲り受けて復元したそうである。なおテラスは以前は入れたと思うが、今回訪れたときは立入禁止になっていた。

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先述の玄関や半地階部分の外観は、19世紀末から20世紀初頭にかけて欧州で流行した洞窟風意匠を取り入れている。洞窟風意匠は特にスペインのガウディがよく用いたことで知られる。

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神戸須磨の旧西尾類蔵邸や徳島の旧三河義行邸などでも、洞窟風の造形を見ることが出来るが、範としたものは同じではないかと思われる。いずれにせよこれも類例は少なく貴重なものである。

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半地階から伸びる二本の煙突も同様の意匠とする。写真は煙突に付属した、食堂の硝子戸に面した小さな手洗い場。

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半地階及び煙突の壁面には、不規則な形の石や煉瓦の破片を埋め込んでいる。この仕上げは旧中埜半六別邸の外壁や揚輝荘伴華楼の暖炉でも見られ、鈴木禎次の好みであったようである。

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別邸が完成した昭和8年は、トヨタ自動車の母胎と言える豊田自動織機に自動車部が設置され、国産自動車生産の研究が本格化した年である。名古屋市白壁にあった本邸とは別に設けたこの別邸内には温室が多数建てられていた。緑豊かな別荘は、自動車技術者である豊田喜一郎氏の違った一面が窺える。

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一階は玄関、応接間と食堂、温室、台所があり、二階は浴室と次の間付きの数寄屋風座敷、半地階は使用人などのための和室二室がある。通常外観のみの公開で、内部は完全非公開。ただし毎年秋に事前予約制の見学会が開催されているが、内部写真撮影は禁止なので、残念ながら御紹介できない。

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特徴ある暖炉や太い天井の梁など、素朴ながらも重厚な一階応接間及び食堂や、斬新なデザインの網代天井を持つ二階座敷など、みどころの多い建物である。機会があれば(少ないが)是非内部の見学をお勧めしたい。

(おまけ)
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旧別邸の脇に建てられたガレージに展示されているトヨタ号AC型乗用車。軍用に昭和18年から生産されていたもので、展示車両は占領下の昭和22年に、外国貿易代表団の専用車として少数生産したものの1台。豊田喜一郎氏も同型車に乗っており、自らハンドルを駆って八事の別邸にも乗り付けていたものと思われる。

第671回・東山荘

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名古屋市瑞穂区の山崎川沿いにある、名古屋市所有の文化施設「東山荘」は、綿布問屋であった伊東信一氏の別荘として大正年間に建てられた別荘建築。伊東氏の山荘として営まれた別邸であることから「東山荘」と名付けられた。国登録有形文化財。

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大正初期より10数年をかけて造営された山荘は、昭和11年に伊東氏の逝去に際し、その遺志により名古屋市に寄贈された。同14年より公園として解放されたが4年で閉鎖され、その後市長公舎としてしばらく使用された。昭和43年より再び一般公開され、建物は主に茶道や華道の場とすることを目的に貸し出されている。

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東山荘は建物及び庭園、周囲の自然林も含め、敷地一帯がそのまま残されている。

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植え込みの奥に見える玄関。建物内部の見学は受け付けていないが、庭園は無料で見学可能。

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繊細な建具や欄間が美しい本玄関。左脇に内玄関があるので、庭園見学に際してはここから一声かける。

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庭門から庭園を望む。

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名古屋市内で一般公開されていて、かつ庭園等と併せて保存状態のよい戦前の数寄屋建築は、この東山荘と千種区の爲三郎記念館(旧古川爲三郎邸)ぐらいではないだろうかと思われる。

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枯山水に滝、自然林の散策路もあり、変化に富んだ充実した庭園。

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大正期に完成した書院座敷。

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爲三郎記念館と同様、起伏のある敷地に建てられている。座敷からの眺望はすばらしいものと思われる。

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東山荘は内部に洋室も複数設けられており、一部は外観からも分かるようになっている。

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少々違和感が強いが・・・

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洋館は窓の一部にステンドグラスを嵌め込み、内部もカーテンレールや漆喰塗の天井などに凝った造作がみられるという。また数寄屋風の洋室もあり、内部は和・洋室共に相当充実した空間が広がっているようである。

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名古屋は古くから茶道が盛んであるというが、確かにこれまで紹介した名古屋市内の商家や邸宅は、ほぼ全て茶室を備えていた。(先述の旧古川爲三郎邸ほか、旧東松家住宅旧井元為三郎邸旧伊藤次郎左衛門邸旧川上貞奴邸など)

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先代の尾張徳川家御当主で、徳川博物館前館長であった故・徳川義宣氏も自著で「名古屋では神社でもお寺でも料理屋でも(抹茶が)出される」というような意味の事を書かれていたように思う。

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東山荘のホームページによると、月1回程度実施される市民茶会に参加すれば内部の見学もできるようである。名古屋市民ではない人間の参加がそもそもできるのかどうかは不明だが、可能であれば是非機会を作って、抹茶を戴きながらこのすばらしい数寄屋建築と庭園を存分に鑑賞したいものである。
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