第740回・九段会館(旧軍人会館)

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今回は、昭和11年(1936)2月26日に起こった二・二六事件に関連のある建物を取り上げたい。東京・九段にある旧軍人会館(九段会館)は、江戸東京てもの園に移築保存されている旧高橋是清邸などと同様に二・二六事件との関わりが深く、現存する数少ない建物のひとつである。

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皇居の濠端、日本武道館と向かい合った位置に建つ旧軍人会館。以前取り上げた遊就館がある靖國神社はすぐ近くに建っている。

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軍人会館は軍の予備役・後備役の訓練、宿泊を目的に、帝国在郷軍人会の施設として昭和9年(1934)に竣工した。

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敗戦後は米軍接収を経て、国から日本遺族会に貸与され「九段会館」として宿泊施設及び会議・講演会等の会場として平成23年3月11日まで使われてきた。

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しかし東日本大震災で大ホールの天井装飾が一部崩落、死傷者を出したことから営業を休止した。(その後廃業)

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現在は日本遺族会から国に返還され、閉鎖された状態である。

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洋風の本体に和風の屋根を載せる、所謂「帝冠様式」の建築として知られる。帝冠様式の建築としては、旧軍人会館のほかに愛知県庁舎京都市美術館名古屋市庁舎などが帝冠様式の代表的事例とされている。

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和風の屋根を強調し、木に竹を継いだような違和感を強く感じさせるものが特に帝冠様式に分類されるようであるが、和風表現がさほど露骨でもない神奈川静岡の両県庁舎や、全体的に巧みな和風表現でまとめ上げられた東京国立博物館本館のような建物も、帝冠様式に分類されることもある。

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同時期の建物でも、和風の外観を有する旧蒲郡ホテルや、全体の骨格は洋風建築としながらも細部装飾は和風のモチーフで統一した高島屋東京店(旧日本生命館)のような事例もある。

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旧蒲郡ホテルや旧日本生命館と、旧軍人会館を始めとする帝冠様式の建築を並べて見たとき、それぞれのデザインの巧拙は有るだろうが、いずれも近代和風建築としての表現手法の差異に過ぎず、殊更に特異視すべきものでもないと思う。

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外壁の大部分が、昭和初期の建築に多く見られる茶褐色のスクラッチタイル貼り仕上げとなっているが、旧軍人会館のように凹凸を付けて貼ったものは珍しい。

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他の帝冠様式建築と同様、細部装飾も和風意匠が積極的に取り込まれている。

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鬼面部分を拡大。靖國神社遊就館の玄関脇にある鬼面と比較すると直線的なデザインになっており、1930年代的なアール・デコ調とも取れる。

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扉の装飾。

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昭和11年の二・二六事件に際しては、事件2日目の2月27日に戒厳令が施行されたことを受けて、軍人会館に戒厳司令部が置かれた。事件現場、或いは深い関係のある建物で、他に現存するものでは先述の旧高橋是清邸のほか、現在は首相公邸となっている旧首相官邸などがある。

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また都心以外で唯一、事件現場(牧野伸顕前内大臣襲撃)となった、神奈川県湯河原町の伊藤屋旅館別館「光風荘」は、建物自体は襲撃時の放火により焼失したが、事件後すぐほぼ同じ間取りで再建されたものが現在保存・公開されている。周囲も事件当時とさほど大きく変わっていないので、最も当時の様子を追体験できる場所である。

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事件現場ではないが関連する建物として、叛乱軍の一部には近衛師団の歩兵第3連隊が加わっていたが、当時の近衛師団の第一師団司令部庁舎は現在、東京国立近代美術館工芸館として現存する。

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また叛乱軍に投降を呼びかけるラジオ放送は、三階映写室にて行われたという。
これは東日本大震災で惨事の現場となってしまった大ホールに面してあった放送室と思われる。写真は大ホール後方の客席部分を撮ったものである。

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大ホールの天井には、アールデコ調のステンドグラスが嵌め込まれていた。
それが今は・・・

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これらの内部写真は、以前仕事で九段会館を訪れた時に撮ったもので、無論震災前の撮影である。

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二・二六事件の他、満洲国皇帝・溥儀の実弟である愛新覚羅溥傑と嵯峨浩の結婚式(昭和12年)、大政翼賛会結成式(昭和15年)など、数々の昭和史の舞台となった建物である。

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現在は建物自体の存続も含め、今後の利用の方向は全く定まっていないようである。
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第739回・影澤医院

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前回取り上げた佐野教会と同じ佐野市金物仲町にある、明治44年(1911)竣工の洋館。佐野市中心街に点在する近代洋風建築の中ではもっとも古いものに属すると思われる。

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街路との境に設けられた、白ペンキ塗りの木の柵がよく似合っている。屋根は当初瓦葺きだったと思われるが、現在は新建材で葺き替えられている。

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窓の建具も一部はアルミサッシに替えられているが、全体的には古い形をよく残している。現役の建物としては驚くべきことである。

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建物の規模に対し、やや大ぶりな印象の玄関ポーチ。ポーチの上部はバルコニーになっている。

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当初は外科医院だったようである。正面玄関上部の切妻部分には「影澤外科院」の文字と、KとSの文字を組み合わせたマークがあしらわれている。

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今も現役の医院として使われている。

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外観は茨城県常総市にある旧水海道町役場(現二水会館、大正2年)と少し似ている。

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手前の平屋建ての棟も、古くからある部分のようである。
※手術室として後年増築された部分との事でした。(2/26追記)

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1階の基壇部分には、地元特産の大谷石が積み上げられている。

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裏手から見た医院棟。医院棟の裏には、別棟として建てられた和風の住居棟や土蔵がある。

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現役の医院であると共に、映画やドラマのロケ地として使われることもあるという。

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栃木県下で影澤医院と同様、古い木造洋館を今も現役で使っている病院としては、栃木市の栃木医院(大正2年)がある。

第738回・佐野教会

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栃木県佐野市にある日本基督教団佐野教会は、昭和9年(1934)に建てられた木造の教会堂。設計は地元栃木県出身の建築家で、旧栃木県庁舎や国指定重要文化財の早稲田大学大隈講堂の設計でも知られる佐藤功一による。国登録有形文化財。

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佐野教会は明治21年(1888)に佐野基督教講義所として開かれた、120年以上の歴史を有する教会である。

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当地出身の政治家で、足尾銅山鉱毒事件の告発・追及で知られる田中正造(1841~1913)は、何度かこの教会に足を運んだといわれるという。

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門扉には十字架があしらわれている。

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佐藤功一の設計作品は、大隈講堂のほか栃木・群馬滋賀の各県庁舎や東京の日比谷公会堂など、タイルやテラコッタなど陶磁器を多用した外観の公共建築が多く、このような木造の教会堂は珍しい。

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素朴ながらも、窓や入口の尖頭アーチなど佐藤が得意としたゴシック風の造りが見られる。

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玄関ポーチの屋根は現在片流れの左右非対称になっているが、正面向かって左側は後年の改造で、創建当初は左右対称の形をしていた。

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平成15年に国の登録有形文化財に認定されている。

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佐野教会が建つ佐野市金屋仲町は、かつて鋳物師の作業場が多くあった場所である。佐野教会の真向かいには、鉄骨と煉瓦で建てられた鋳物工場跡が残されている。

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壁面は鉄骨で組まれた骨組みの間に、煉瓦を充填したものになっている。

第737回・栃木県佐野市の洋館付き住宅

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江戸時代は日光例幣使街道の宿場町として、また近代には佐野縮など織物産業でも栄え、今日では厄除け大師とラーメンで知られる栃木県佐野市に残る、昭和初期の洋館付き商家。

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正面を江戸街道に向けて建っている。現在は看板で外観が覆われているが、土蔵造の店舗があり、その背後から脇にかけて店舗を包み込む形で、洋館を備えた住宅棟が建っている。

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糸を扱う商家の店舗付き住宅として大正14年から新築工事を始め、2年後の昭和2年(1927)に完成した。

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洋館側から見た全景。洋館背後に二階建の和風住宅、土蔵が続く。

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土蔵の脇には茶室とおぼしき建物も見える。

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外観は洋館であるが、内部は階下のみ洋室の応接間で、階上は日本座敷になっているという。

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シュロの木がよく似合う洋館。

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改修の手も行き届いており、大切にされている様が窺える。

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側面の切妻部分。モルタル細工の装飾が凝っている。

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正面の腰折れ屋根の切妻部分。

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周辺にも古い商家が点在する。
佐野市中心街には他にも洋館建ての医院や教会などが現存するが、これらは稿を改めて紹介したい。

第736回・旧木村輸出織物工場

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栃木県足利市にある明治期の織物工場の遺構。洋風建築の旧事務所棟、伝統的な土蔵造に洋式技術を取り入れた造りの旧工場棟の2棟が、隣接して建つ経営者の旧宅と共に足利市助戸公民館の施設の一部として活用されている。

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旧木村輸出織物工場の全景。手前の建物が明治25年(1892)に建てられた旧工場棟。奥が明治44年(1911)に建てられた旧事務所棟。2棟は栃木県指定有形文化財に指定されているほか、経済産業省の近代化遺産にも認定されている。

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旧工場棟は一見伝統的な土蔵造の建物であるが、基礎には煉瓦が用いられ、内部の小屋組も洋式構造を取り入れたものになっており、随所に当時の最新技術が使われている。

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旧事務所棟は木骨石造2階建、外壁はモルタル塗り仕上げ、スレート葺きの寄棟屋根を持つ洋風建築である。

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現在は足利織物記念館として、木村織物工場を主とした足利の織物に関する資料を展示公開している。
但し公開は平日限定のようである。

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地方都市の事務所建築としては小規模ながらも、洗練された意匠を持つ本格的な洋風建築であり、当時の足利における織物産業の隆盛が窺える。

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足利は古くから絹の産地として織物業が発達、明治以降は近隣の桐生と共に東日本有数の織物の産地として繁栄した。

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現在でも足利市内には、石や煉瓦造の織物工場の遺構がいくつか残されており、旧木村織物と同様、近代化遺産として活用が図られている。

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工場に加え、質の高い意匠の事務所、また後述のとおり経営者の邸宅も一箇所に揃って現存している点でも、旧木村織物工場は貴重な存在である。

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木村織物は幕末に始まり、第二次大戦前まで盛業を続け特に明治後期から大正、昭和戦前にかけては輸出用織物の生産で隆盛を極めたという。

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華麗な洋館の事務所は、まさに木村織物の最盛期を象徴する建物である。

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旧工場棟に隣接する旧木村邸。木村織物の創業者である初代木村浅七によって建てられた木村家の住居。焦茶色の焼過ぎ煉瓦を積み上げた煉瓦塀で囲われた、重厚な佇まいの和風建築。

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現在は木村家から足利市に寄贈され、足利市助戸公民館の施設の一部として茶会などの会場として貸し出されているようだ。

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母屋や正門などは近年になって改装された部分も多いようであるが、煉瓦塀や土蔵は古い佇まいをよく残している。

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旧工場施設・住宅と併せてこれからも一体的に保存、活用して頂きたいものである。

第735回・旧心斎橋(緑地西橋)

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前回取り上げた石造の心斎橋(明治42年)は、現在欄干等の一部が残るのみだが、先代に当たる鉄橋の旧心斎橋は、大阪市鶴見区の鶴見緑地内に架かる緑地西橋の一部として今も健在である。明治6年に架けられたドイツ製鉄橋は度重なる移設を経ながらも、当初の規模のままでその姿を残している。

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旧心斎橋は、当時日本が鉄道用などの鉄橋を多く輸入していたドイツ・ハーコート製の鉄橋である。当時輸入されたハーコート製の鉄橋は旧心斎橋の他、栃木県の足尾銅山にある古河橋(国指定重要文化財)などいくつか現存する。

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明治6年(1873)3月に竣工した旧心斎橋は、日本では5番目、大阪では高麗橋(明治3年)に続き、2番目に架けられた鉄橋であった。橋梁本体はドイツ製であるが、架橋工事には日本人が従事している。

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架橋に際しては、日本における活版印刷の創始者であり、造船術や製鉄技術など多才を発揮、日本で最初に鉄橋を架けた人物でもある元江戸幕府通詞の本木昌造(1824~1975)が、高麗橋・心斎橋共に設計を行ったとの説がある。

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明治維新から間もない当時、大阪でも中心の繁華街に架けられた鉄製の橋は、大阪における文明開化を象徴する名所のひとつとして、大阪では最初期の西洋風建築であった大川沿いの造幣寮(現造幣局)や川口居留地そばの大阪府庁舎と並び、大阪人の評判となった。

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明治6年の架橋当初から現存する部分は、両側の弓形のトラス桁の部分。橋床や欄干は度重なる移設によって当初のものは現存せず、新しいものに変わっている。心斎橋として使われていた当時は、橋床は木製であったようだ。

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35年間使われた後、明治41年に石橋心斎橋建設のため撤去され、境川運河(港区と西区の境にあった運河。現在は埋め立てられ地名のみ残る)に移設、境川橋として再利用される。その後昭和3年に西淀川区の大和田川に再移設、新千舟橋の名で昭和46年に大和田川の埋め立てにより撤去されるまで、43年間使われる。

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昭和48年に現在の鶴見緑地公園内に3度目の移設が行われ、すずかけ橋(篠懸橋)と名付けられるが、平成2年に開催された「大阪・国際花と緑の博覧会」準備のための公園改装工事のため、平成元年に4度目の移設が行われ現在地に落ち着いた。その際に現在の名称「緑地西橋」に改められている。

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旧心斎橋は、日本に輸入された鉄橋の中では現存する最古のものとされている。なお現存する国産最古の鉄橋は、東京都江東区にある八幡橋(旧弾正橋)で、明治11年(1878)架橋。

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大阪における、現存する数少ない文明開化期の歴史的遺構として、旧心斎橋は現存する同時期の建造物である旧造幣寮玄関や泉布観と並ぶ貴重な存在である。

第734回・心斎橋

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大阪を代表する歴史ある高級商店街といえば、以前紹介した大丸心斎橋店三木楽器など大阪の老舗が軒を連ねている心斎橋筋であると思う。通りの名の由来となった心斎橋自体は、架かっていた長堀川の埋め立てによって今は無いが、かつての橋の一部は今も現地に残されている。但しその姿は、無残以外の何者でもないが。

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現在の心斎橋跡。車道の中間、地下街の天井部分と袂の部分に旧橋の欄干と親柱、照明の一部を配している。かつてここには長堀川があったが、昭和30年代に埋め立てられ長堀通となっている。平成に入り大阪市により地下街(クリスタ長堀)が建設されている。

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旧橋は明治42年(1909)に架けられた2連アーチの石橋であった。意匠設計は、中之島図書館などを手掛けた野口孫市による。

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御影石にクローバーの葉のような十字型の透かし彫りを施した欄干が特徴である。

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絵葉書にみるかつての姿。後の建物は大正4年竣工、セセッション様式の石原時計店。
右上の文言には「モトハ鉄ノ橋ダシタガ、六七年前ニ今ノ橋ニ架ケ換ヘ…」とあるが、これは明治6年に架けられた旧心斎橋の事を指している。

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長堀川の埋め立て後、2連アーチの本体は失われたが、欄干及び照明灯は場所を少し移しながらも旧橋の規模そのままに歩道橋として再生、平成4年に地下街建設により撤去されるまで、往年の名残を残していた。

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地下街建設後は、かつての橋が架かっていた位置に、親柱と欄干、照明のごく一部だけが置かれている。
正直言って余りにも貧相で、見るに耐えない。

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現在残されているのは、欄干部分で言えば5分の1程度である。歩道橋に使われていた残りの部分は廃棄されたのだろうか。考えるだけで腹立たしい。

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「心齋橋」の文字が刻まれた欄干。

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「志んさいはし」「明治四十二年十月架」の文字が読める。

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手掛けた石工棟梁の住所姓名と石材卸売商の名が刻まれている。「伊豫國」の文字が読めるので石材は現在の愛媛県から切り出されたことが分かる。

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歩道橋の頃はまだ規模が変わらないだけましだったが、これだけ切り縮められた姿は悲惨と言う他ない。こんなズタズタに切り刻むのなら本物は他所で復元保存して、現地にはコピーでも置いておく方がよっぽどいい。

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心斎橋から歩いてすぐ、これもやはり無残な姿に変わり果てた戎橋。
今は安っぽい橋の袂に旧橋の親柱だけが残る。

今回の記事本文中触れた、明治6年に架けられた鉄橋の旧心斎橋は大阪市内に現存している。次回はこれを取り上げる予定。

第733回・旧日光東照宮社務所(日光東照宮美術館)

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旧日光東照宮社務所「朝陽閣」は、日光東照宮の境内に建つ近代和風建築。昭和3年(1928)に社務所として建てられた。現在は日光東照宮美術館として建物自体の襖絵や板絵、所蔵の掛軸などを公開している。

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全景。

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材料は、大正12年の台風で倒れ大量に生じた杉並木の倒木から、質のよいものを厳選しているという。

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屋根は後年の改装により現在は銅板葺となっているが、元々は瓦葺であった。

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当時として、とりわけ伝統を尊重する神社の施設としてはきわめて異例と思われるが、メートル法を用いて設計されている。

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豪壮な唐破風を備えた車寄せは、近代和風建築では同じ日光に建つ旧田母沢御用邸など、邸宅を中心によく見られる。

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唐破風を備えた玄関は来客や宮司の出入りのために使われ、通常の社務所の玄関はこちらだったものと思われる。

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社務所が他所に移転した後は、日光東照宮美術館として有料で公開されている。

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内部は、近代を代表する日本画家である横山大観の他、大観の意を受けた中村岳陵、荒井寛方、堅山南風の3人の日本画家が2か月間滞在して描き上げた障壁画や襖絵、板絵で彩られている。

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これも同時に建てられたと思われる神札庫。
正面の入口を大きく取っているので、元は自動車用の車庫だろうか。

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旧田母沢御用邸と並ぶ、栃木県下では屈指の大規模な近代和風建築である。

第732回・日光金谷ホテル

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現在も営業を続けるリゾートホテルとしては、現存最古の日光金谷ホテル。
建物も明治26年(1893)創建の本館など、これも現存最古級の建物で営業が行われている。

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日光金谷ホテルの建物は上記本館(写真左手の建物)のほか、明治34年竣工の新館、大正10年にスケートリンクに面して建てられた「竜宮」、昭和10年竣工の別館(写真右手の建物)、以上4棟が国登録有形文化財となっている。

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ホテル内にある本館の古写真。昭和11年に改装されるまでは2階建であった。
現在別館がある位置から見た姿と思われる。

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昭和11年に竣工した改装工事は、建物の周辺を掘り下げ、元の一階部分を二階に、地下に新たな一階を造るという大掛かりなものであった。現在の二階部分、大きな硝子窓が連なる部分が、上の古写真のベランダ部分に相当する。

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元々は地中だった一階部分。
壁には日光金谷ホテルの笹のマークがある。

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駐車場に建つ土蔵の妻壁にも笹のマークがある。

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本館改装に先立ち、昭和10年に新築された別館。

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軽井沢万平ホテル(昭和11年)を手掛けた久米権九郎の設計。

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古い木製の回転ドアがある玄関。
明治6年(1873)創業の日光金谷ホテルは、昨年創業140年を迎えた。

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吹き抜けのロビー。

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随所に日光東照宮に因む社寺仏閣調の装飾が施されている。

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洋風の中に過剰なまでに日本情緒を感じさせる造形を詰め込むのは、戦前のリゾートホテルでは定番と言える演出。

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階段親柱の装飾燈の金具には葵の紋。

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3階客室への階段は純洋風。

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階段室の天井には円形の天窓。

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天井画で彩られた格天井が見どころの、ダイニングルーム入口。

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大谷石でできたダイニングルームの暖炉。ホテル内のバーにはライト風のデザインが施された大谷石の暖炉があり、実際同ホテルに滞在したこともあるライトがデザインしたという説もあるが、真偽は不明。

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2階客室廊下。

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鏡や暖炉まわりなど、随所に日光彫の装飾が見られる。

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上部の鏡飾りに鳥居をあしらっている暖炉。
全体を鳥居の形にした奈良ホテルロビーの暖炉の強烈さに比べると、上品な感じである。

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喫茶程度では何度か訪れているが、できれば泊まって客室やダイニングルーム、バーなど、内部空間を存分に堪能してみたいクラシックホテルである。

第731回・旧前川國男邸

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江戸東京たてもの園に移築、保存されている旧前川國男邸は、戦後を代表するモダニズム建築家の一人である前川國男(1901~1986)の自邸として、戦時下の昭和17年(1942)に東京市品川区上大崎に建てられた。戦時体制により諸々の制約を受けつつ建てられた住宅建築であるが、小規模ながらも充実した内部空間を持つ。

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正面全景。前川國男は東京帝国大学卒業後渡仏、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェに師事、帰朝後は自らの設計事務所を開いた。作品として上野駅前の東京文化会館(昭和36年)、上野公園内の東京都美術館(昭和50年)などの設計で知られる。

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信州や越後の古民家を思わせる切妻の大屋根。前川國男は新潟県出身なので、故郷の古民家を多少なりとも意識したのだろうかとも思う。

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玄関側からの眺め。この住宅は前川國男の生前、昭和48年に解体され軽井沢の別荘で解体材の状態で保管されていたが、その後前川家から江戸東京たてもの園に寄贈され、平成8年に再建された。

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目立たない造りの玄関の前には、大谷石の塀を立てる。
昭和14年に延面積100平米以上の住宅の新築は法律で禁じられたため、制約ぎりぎりの広さで建てられている。(その後昭和31年に台所などを増築しており、現状の延面積は100平米を超えている)

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玄関ブザーの上には、丸に犬のシール(前川國男は愛犬家だったようだ)や、水道の標識など、住宅として使われていた頃の生活感を感じさせるものが残されている。

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大屋根中央部分の真下に当たる天井の最も高い場所を二層吹き抜けの居間とし、両脇に書斎、女中部屋と寝室、台所、浴室などを配している。

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居間に配された高窓が、内部に光を十分取り込めるように造られている。

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居間の上部にロフト風の2階を設け、階段で結んでいる。

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2階部分。インテリアは建物の改修を行った昭和31年当時の雰囲気を再現しているという。

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高窓の下部に入れられた障子や壁に配された地袋など、モダニズムの造形の中にも和の要素が見られる。

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台所は昭和31年の改修時に拡張しているとのことなので、昭和17年の創建当初はもっと狭かったはずである。

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台所に隣接する浴室。

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浴室の隣には寝室を配する。

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寝室とは居間を挟んで反対側に配された書斎。銀座の設計事務所が東京大空襲で罹災消失後は、昭和29年に新しい事務所ができるまで設計事務所としても使われていた。居間に製図台を並べ、書斎を応接及び休憩室に使っていたという。

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この建物を訪れる見学者の中には、実測を希望する建築関係者や学生なども多いようである。

(参考)江戸東京たてもの園 解説本
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