第755回・旧山形師範学校本館・門衛所・講堂

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山形市緑町にある山形県立博物館教育資料館は、明治34年(1901)に建てられた旧山形師範学校本館の建物を利用した博物館である。正門・門衛所と共に国指定重要文化財。

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明治11年に設立された山形師範学校の校舎は当初、近隣の旅籠町にあったが手狭となったため、現在地に新築移転したものである。設計・施工は不詳。

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正門越しに見る旧山形師範学校本館。戦後の学制改革により山形大学教育学部となり、昭和38年には校舎等施設は山形県に移管、県立山形北高校の校舎として昭和46年まで使用される。

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昭和46年に山形北高校の校舎改築により、本館の正面部分、写真の門衛所、正門、講堂以外の建物は解体された。

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昭和48年に旧本館、正門、門衛所が国の重要文化財に指定される。

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その後旧本館は修復を経て、現在は山形県立博物館教育資料館として公開されている。

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旧本館はかつてはコの字型平面を持つ建物で、本館の背後に中庭を挟んで同じくコの字型の校舎が連なる構成になっていたが、本館の背後の張り出し部分と旧校舎は先述のとおり昭和46年に解体されている。

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旧本館を背面から見る。背面両翼の張り出した部分が僅かに残されていることが分かる。

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正面の塔屋。旅籠町時代の旧校舎が正面屋上に時計塔を有していたためイメージを引き継いだとも言われる。

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円形の屋根窓。

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切り紙細工のような軽快な装飾が軒下に施された、正面車寄せ。

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正面上部の巨大な櫛形の飾り破風。

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両翼の切妻部分にも装飾を施す。

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残された建物の中で、国重要文化財の指定対象に含まれなかった旧講堂。意匠から本館と同時期の建物と考えられる。平成10年に県指定文化財となっているが老朽が著しく、将来が案じられる。

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旧講堂は旧本館、正門、門衛所とは隣接して建っており、きれいに修復整備された旧本館との落差が激しい。

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近年まで山形北高校の部室等として使われていたようであるが、現在は使われていないようである。

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色硝子を嵌め込んでいると思われる、講堂入口の半円形欄間。

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旧講堂も本来は、旧本館と同様華麗な外観の洋風建築であったと思われる。素人目にも旧講堂の現状は老朽・荒廃がひどく、一刻も早い修復が望まれる。
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第754回・旧水海道小学校本館

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茨城県水戸市の茨城県立歴史館敷地内にて保存・公開されている旧水海道小学校本館は、明治14年(1881)に同県の水海道(現・常総市)に竣工した擬洋風の学校建築。茨城県指定文化財。

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この建物がかつて存在していた水海道は、江戸時代末期より明治にかけて水運で栄え、当ブログで紹介している五木宗レンガ蔵旧水海道町役場旧報徳銀行など、近代の洋風建築が今日も点在する街である。

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水海道小学校は明治8年開校、水海道は江戸時代から寺子屋教育にも力を入れるなど、教育熱心な土地であった。
現在も常総市立水海道小学校として続いている。

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明治10年に洋風建築の下妻警察署水海道分署が建てられると、これに刺激された水海道の人々は警察署に負けない洋風建築を建てようとして当時の金で5,000円余りの寄付金を集め、地元の宮大工棟梁・羽田甚蔵の設計施工で完成した。

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その後大正10年(1921)に校地移転に伴い移築される。その際一階まわりなどが改造される。昭和33年には茨城県の文化財に指定、竣工から90年目に当たる昭和46年(1971)に小学校校舎としての役割を終えた。

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建物は茨城県立歴史館に寄贈、昭和48年に水戸市の現在地に移築された。その際、大正10年の移築に際し撤去改造されていた一階の張り出した部分の復元など、残されていた資料に基づき、創建当初の外観に戻されている。

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創建以来90年にわたって子供達を見守ってきた特徴的な外観の塔屋。

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背面。

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2階から塔屋部分は、大正10年の移築改造でも殆ど姿を変えることは無かった。

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鏡餅のような形をした正面中央の1・2階ベランダの列柱の柱頭など、明治初期の擬洋風建築ならではの奇妙な造形を随所に見ることが出来る。

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正面玄関。半円アーチの欄間には色硝子が嵌め込まれている。

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背面玄関も同様、欄間には色硝子を嵌め込む。

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現在は茨城県立歴史館の展示施設として無料で公開されている。

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長野県松本市の旧開智学校や、山梨県甲府市の旧睦沢学校などと並ぶ、明治初期の擬洋風の小学校校舎である。

第753回・旧高砂銀行本店(高砂商工会議所)

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兵庫県高砂市にある昭和初期の地方銀行本店店舗。
この時期の最もオーソドックスな造形の銀行建築である。現在は高砂商工会議所会館として使われている。

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昭和7年(1932)、高砂銀行本店として建てられた。

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高砂銀行のその後の合併により、神戸銀行→太陽神戸銀行の店舗を経て、昭和55年に現在の高砂商工会議所会館となり現在に至る。なお太陽神戸銀行は現在の三井住友銀行である。

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平成17年に兵庫県の景観形成重要建造物に指定されている。

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高砂市観光協会も入居している。

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イオニア式柱頭とその上部に施された装飾。

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戦前の銀行建築は、大正中期まではデザインもまちまちであるが、大正末期から昭和戦前にかけて建てられたものは、その規模の大小や都市銀行・地方銀行を問わず、正面に列柱(オーダー)を強調して並べる外観が特徴の古典的意匠を施したものが非常に多い。

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兵庫県内に現存するものでも、旧高砂銀行の他にも神戸市の旧横浜正金銀行(昭和10)、旧紐育ナショナルシティ銀行(昭和4)などが正面に大オーダーを並べるが、明治に建てられた旧三菱銀行旧第一銀行などは明らかにデザインの趣が異なる。

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日本の銀行で正面に大オーダーを並べた外観の店舗を最初に建てたのは、三菱銀行(大正11年竣工の本店、現存しない)と思われる。なお大オーダーの列柱が特徴的な三井本館(三井銀行本店)は昭和4年の竣工で、三菱銀行より6年遅い。

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三菱銀行本店のような古典的意匠こそが当時の世界的な銀行建築デザインの主流であったのか、または中小銀行の多くが淘汰された昭和初期の金融恐慌など社会的背景が影響して、顧客の信用を得るにふさわしいものとして、全国的に普及したのか、興味深いところである。

第752回・五木宗レンガ蔵

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茨城県常総市(旧水海道市)にある、明治期創建の3階建の煉瓦蔵。すぐ前を流れる鬼怒川左岸に発展した河岸問屋のひとつである五木田宗右衛門家の蔵として建てられた。国登録有形文化財。

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水海道は江戸時代末期から明治時代にかけて鬼怒川を利用した水運が発展、河岸問屋を営む五木田宗右衛門家も財を成し、当時としては珍しい赤煉瓦三階建の蔵を目立つ角地に建てることでその財力を誇示しようとしたのかも知れない。

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水海道はその後大正2年に常総鉄道(現関東鉄道常総線)が開通、交通の主力は水運から鉄道に代わるも引き続き発展を遂げる。

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旧水海道市の中心街には現在も、以前紹介した旧水海道町役場(二水会館)旧報徳銀行のような洋風建築や重厚な造りの商家が点在しており、五木宗レンガ蔵もそのひとつである。

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主屋などは現存せず、古い建物としては煉瓦蔵と、その脇の納屋のような建物が現存する。

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建設時期は明治15年(1882)頃とされ、地方都市にあける煉瓦造建築としては相当古い部類に属する。そのような早い時期から煉瓦造で三階建の蔵を建てたところに、当時の五木田家の勢いが窺える。

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各階の間と窓周り、及び一階の腰壁には焦げ茶色の焼過煉瓦を用いて変化をつけ、装飾的に仕上げている。

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かつて続いていた主屋の屋根の跡が、側面外壁に残されている。

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すぐ前を鬼怒川が流れており、三階建の外観は鬼怒川を往来する船を始め、遠くからでも目立つ存在であったものと思われる。

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現在は補強・改修の上、「五木宗」と称された五木田家の資料展示やギャラリーとして活用されている。

第751回・旧西村写真館

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山形市の中心街に建つ、大正時代創建の洋風建築の写真館。
写真館は、明治以降の新しい時代を現す業種として医院などと同様、店舗をハイカラな洋風建築とする例が各地で見られたが、この建物もそのような洋館造りの写真館の一例と言える。

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市役所や旧県庁に近い山形市本町に建つ旧西村写真館。以前紹介した現役の洋館建築の医院・吉池医院のすぐ近くにある。

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大正10年(1921)に、館主とその父親による自家設計・施工で、また材料は古材、即ち建築廃材を入手して建てられたという。

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正面外観は洋風とするが、内部の一階に設けられた居宅部分は完全な和風になっており、二階には写場(撮影室)と待合室を設け、写真館としてのスペースに充てられていた。

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二階の写場や待合室は今もよく戦前の写真館の雰囲気をよく残しているという。

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玄関まわりの特徴的な軒飾り。

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玄関上部の小さな櫛形窓には色硝子を嵌め込む。

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写真館としての営業は平成7年に終了したが、現在も壁の大きな看板はそのまま残されている。

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現在この洋館は、山形県内の古い建物や周辺景観の保全活動を推進するための活動を行っている「山形歴史たてもの研究会」が借り受け、外壁ペンキの塗り替えなど維持管理に努められているようだ。

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山形市は東北でも屈指の近代建築遺産の宝庫である。既に紹介済みの旧山形県庁舎や吉池医院、今回の旧西村写真館以外にも多くの魅力ある建物が残されており、その中のいくつかを訪問してきたので追々紹介させて頂く予定である。

旧ジョネス邸 部材保存状況と今後の活動

昨年解体された神戸市垂水区塩屋の洋館・旧ジョネス邸について、先日「一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会」ホームページにて、将来の移築再建も視野に入れて行われた部材採取・保存状況及び保存活動の今後について掲載されておりましたので、その保存活動を随時紹介してきた弊ブログとしては、一区切り付ける意味でもここに紹介しておこうと思います。

将来の再建も可能性に入れた活動が今後も継続されるとのことなので、弊ブログでは引き続き微力ながらも応援させて頂く所存です。

以下、一般社団法人 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会のホームページ(平成26年3月19日記事)より引用。

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「現在までの活動についてご報告します

旧ジョネス邸の保存活動に際しましては、多大なご支援とご協力を賜り、誠にありがとうございました。

 地元林工務店の協力を得て部材・備品の回収作業を行い、オリジナル部材の内かなりの割合を確保しましたが、検討の結果、近日中の移築・再建等は困難であることから、「旧ジョネス邸移植プロジェクト」として、将来の再建も視野に入れながらこれらの保存活用を図っていくことになりました。

 合同会社塩屋百年舎へのご出資については、正式に全額ご辞退申し上げることになりました(既に入金のあった分については返還済み)。
 最終的なご出資のお申し込みは、171名の方々よりいただき、総計5,510万円となっています。

 一般社団法人旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会へのご寄付は2014年2月28日現在で3,629,027円となっており、この内2,446,411円を工務店への部材回収作業費支払い、476,474円をその他諸費用に充当させていただきました。
 残金は部材管理・運用費および塩屋近辺の歴史的建造物等保存のための積立金とさせていただきます。

 保存済みの主要部材・備品は、建具類37、階段手摺と板一部、屋上手摺一式、巾木100メートル弱、床板200平米弱、暖炉飾り枠、家具17点、玄関階段石材の一部、美術品類約150点、書籍・書類の大部分となっています。

 建物部材に関しては、反復利用可能な物は「旧ジョネス邸移植プロジェクト」として建築物の中で実際に活用しながら保存し、インターネット等で公開すると共に、将来旧ジョネス邸が再建可能となった場合には回収して復元できるよう、準備を進めています。
 部材には旧ジョネス邸の名を刻んだプレートを付した上で無償貸与し、原則として公衆の目に触れる場所へ組み込み設置します。
 移植に関する立案・施行・情報公開は、当会会員・前田真治率いるプロジェクトチーム、ジャーマン・スープレックス・エアラインズが担当します。

 また、当サイトでも移植プロジェクトの状況をご案内していく予定となっています。

 なお、先行モデルケースとして、京都・上京区の集合住宅「ことりアパートメント」に旧ジョネス邸建具の一部が移植され、ウェブサイトの物件情報の
ページからその様子をご覧になることができます。
http://kotori.hateblo.jp/

 美術品類・書籍・書類に関してはその内容が多岐にわたるため現在整理・調査中ですが、法律書の一部は大学の受け入れが決定しており、その他備品に関しても調査が完了し次第、可能な物は専門機関等に寄託し、神戸の財産として広く共有できるよう、準備を進めています。

 旧ジョネス邸を次代に引き継ぐ会では、今後も引き続き旧ジョネス邸の部材・備品の保存、管理、利活用を進めてまいりたいと思います。
活動継続のため、あらためて寄付によるご支援をいただけますと幸いです。

 最後になりましたが、皆様方へのご報告が大変遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
 また、この度の保存活動へのご関心・ご助力に対しまして、重ねてお礼申し上げます。」

(以上、引用終了)

以下の写真は、昨年6月に保存活動の一環として開催された見学会の折、撮影したものです。
当該見学会の記事

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在りし日の旧ジョネス邸。外に面した部分では窓や扉、屋上の手摺が採取された。

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玄関の石段はどのぐらいかは分からないが一部が採取・保存されたという。

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暖炉飾りやドアや窓など建具のほか、巾木、床板もある程度採取され、主要な内装材は保管されたようである。これならば兵庫県によって移築保存された旧武藤山治邸(構造材や外装材の殆どが新材だが、建具・内装材・家具調度はオリジナル)と同レベルの移築復元は可能と思うのだが。

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写真のものが保存されたものに含まれるかは不明だが、家具は17点が保存されたとのこと。

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なお「引き継ぐ会」の活動とは別に、神戸市によってステンドグラスと階段親柱が解体決定前に採取・保存されている。
(扉の両脇の窓、及び玄関との間仕切り部分にステンドグラスがあった)

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果たして実現されるかどうか分からないが、再建される日が来ることを期待したい。
同会では活動の継続のため、寄付も募っている。詳しくはこちら

暖炉のいろいろ その4

暖炉の写真も今回で終わります。


ユニークな和洋折衷、もしくは東洋風デザインの暖炉の数々。

奈良ホテル 明治42年
(第278回)
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日光金谷ホテル 明治26年
(第732回)
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鳥居を象った鏡飾りがある。

旧岩崎久彌邸洋館 明治29年
(第430回)
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コンドル設計の初期作品に散見される、イスラム風意匠が施されている。

旧根津嘉一郎別邸洋館 昭和7年
(第261回)
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暖炉の上にはガンダーラの石仏を嵌め込む。(現在のものは複製)

揚輝荘聴松閣 昭和12年
第380回第696回
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暖炉まわりの装飾はインド風。上部のレリーフはカンボジアのアンコールワットの彫刻を模したもの。

旧村井吉兵衛別邸 明治42年
(第301回)
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暖炉の大理石や壁などに、中国風の雷紋装飾が施された喫煙室。

旧中埜半六別邸 明治44年
(第110回)
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造り付けの神棚を上に戴るような暖炉はここだけでは?

奈良ホテル 明治42年
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客室の暖炉には天袋風の飾り棚が上に付いている。

揚輝荘伴華楼 昭和4年
(第378回)
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焚口のまわりから側面にかけて、古代瓦の破片を埋め込んでいる。旧中埜半六別邸と同じ鈴木禎次の設計。

揚輝荘聴松閣 昭和12年
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上記伴華楼の暖炉と同じ趣向で、古瓦を埋め込んでいる。

旧原富太郎(三渓)邸「鶴翔閣」 明治35年
(記事未掲載)
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横浜の三溪園内に建つ、原三渓の旧邸。揚輝荘とはまた違ったセンスで瓦を取り込んだ暖炉。

仁風閣 明治40年
(第15回)
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暖炉をはじめとする部屋の造りは純洋風であるが、床は畳敷き。

旧松本健次郎邸洋館 明治45年
(第72回)
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洋館の中の和室に設けられた暖炉。

旧伊庭貞剛邸新座敷 大正11年
(第109回)
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和室の押入れに設えられた暖炉。

旧矢中龍次郎邸 昭和13~28年
(第331回)
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平成24年5月につくば市を襲った竜巻では、写真奥の窓ガラスが一部破損してしまった。

軽井沢万平ホテル 昭和11年
(第562回)
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旧又野良助邸 昭和16~18年
(第54回)
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和風センスのモダンな暖炉。
写真は修復工事中の撮影で、現在は壁は白く塗られている。


明治末期のアールヌーボーに始まる、従前の歴史様式とは異なるモダンなデザインの暖炉のいろいろ。

旧日本生命九州支店 明治42年
(第217回)
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旧松本健次郎邸洋館 明治45年
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以上、辰野金吾によるアールヌーボー風意匠の暖炉。

旧芝川又右衛門別邸 明治44年
(第67回)
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旧山口県庁舎 大正5年
(第6回)
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旧西尾家住宅離れ 大正15年
(第727回)
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以上3件は辰野金吾の弟子で、アールヌーボーを早くから日本に紹介したことでも知られる武田五一の設計。

旧日下部久太郎別邸洋館(舞子ホテル)大正4~8年
(記事未掲載)
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この洋館の設計者について、武田五一設計の可能性があることを指摘する人もあるが、果たして実際は誰なのか。

天理大学若江の家 大正13年
(第146回)
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旧藤田謙一別邸 大正8年
(第77回)
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旧仁科家住宅 大正10年
(第325回)
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大正期のものには、直線を基調とするセセッション風のデザインの暖炉が散見できる。

旧土岐章邸 大正13年
(第59回)
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旧山邑太左衛門別邸 大正13年
(第341回)
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帝国ホテルで有名なフランク・ロイド・ライトの設計。

旧甲子園ホテル 昭和5年
(第367回)
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ライトの弟子である遠藤新の設計。

下呂温泉湯之島館 昭和6年
(第148回)
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ライト風デザインの暖炉。

旧朝香宮鳩彦邸 昭和8年
(第444回)
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アールデコの館。

氷川丸 昭和5年
(第271回)
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旧小出収邸 大正14年
(第624回)
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枕屏風を意識したという。

揚輝荘聴松閣 昭和12年
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旧羽室家住宅 昭和12年
(第55回)
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和風ベースのモダンな暖炉。

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縄暖簾のような鎖が下がる。

旧三井家札幌別邸 昭和11年
(第296回)
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現代の豪邸でもありそうなデザインの暖炉。


最後に、イングルヌックと呼ばれる腰掛を備えた暖炉まわりの小空間。

旧右近権左衛門邸離れ 昭和10年
(第483回)
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旧前田利為邸洋館 昭和4年
(第525回)
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旧藤田謙一別邸 大正8年
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旧小寺家山荘(六甲山荘) 昭和9年
(記事未掲載)
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以上で暖炉シリーズは終了です。冗長な記事となり恐縮です。
次回より通常記事に戻ります。

暖炉のいろいろ その3

暖炉 その3です。


各地の建物を見ていると、暖炉の焚き口のタイルや金物などに、時々同じものをみることができる。
以下、同じ金物が使われている例。

旧中埜半六別邸(明治44年 第110回 写真上)と旧武藤山治邸洋館(明治40年 第275回他 写真下)

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旧甲府商工会議所(大正15年 第324回 写真上)と旧長野県知事公舎(大正9年 第21回 写真下)

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タイルは移築に際して現代の安っぽい量産品に代えられてしまった。

天鏡閣(明治41年 第674回 写真上)と旧九十銀行本店(明治43年 第12回 写真下)

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本来、暖炉は薪や石炭を燃やす形式のものであったが、実用品というよりは形式的な装飾品であったため、ガスや電気によるストーブを嵌め込んだり、スチーム暖房の吹き出し口を飾る形のものが増えていく。

旧内田定槌邸洋館 明治43年
(第96回)
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薪を象ったガスストーブを嵌め込んでいる。

萬翠荘 大正11年
(第264回)
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これもガスストーブを嵌め込んだもの。

紫織庵 大正15年
(第224回)
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旧山梨県庁舎 昭和5年
(第207回)
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電気ストーブを嵌め込んだ暖炉。

夕張鹿鳴館 大正2年
(第294回)
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実質的にはストーブ置き場として使われていた暖炉。

啓明学園北泉寮(旧鍋島侯爵邸日本館)明治25年
(第598回)
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旧山本栄之助邸 大正15~昭和8年
(第75回)
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旧春田鉄次郎邸 大正13年
(第705回)
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旧石川組製糸西洋館 大正10年
(第97回)
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コイケヤスコーンや東京ガスなど、CMロケ地として大活躍の洋館。

倚松庵 昭和4年 
(第166回)
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谷崎潤一郎の旧宅。「細雪」の舞台。

旧津島家住宅離れ 大正11年
(第70回)
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厳密には暖炉ではないが、太宰治の作品中「マントルピイス」と描写されてる飾り棚。かつてはすぐ脇にスチーム暖房のラジエーターが置かれていた。太宰の疎開先としても知られる家。

旧新田利國邸 昭和3年
(第13回)
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スチーム暖房の吹き出し口として造られた暖炉。

愛媛県庁舎 昭和4年
(第71回)
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旧華頂博信邸 昭和4年
第429回
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旧蒲郡ホテル 昭和9年
(第35回)
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旧小林一三邸 昭和12年
(第183回)
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現存する日本の西洋館を飾る暖炉の数々。

旧島津忠重邸 大正6年
(第608回)
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旧諸戸清六邸洋館 大正2年
(第177回)
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日本近代建築の父・ジョサイア・コンドル設計の洋館。

旧山形県庁舎 大正5年
(第78回)
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旧村井吉兵衛別邸 明治42年
(第301回)
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旧鳩山一郎邸 大正13年
(第392回)
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明治生命館 昭和9年
(第669回)
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日本工業倶楽部 大正9年
(第22回)
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旧秋田銀行本店 明治45年
(第125回)
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清風亭 大正15年
(第544回)
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雲仙観光ホテル 昭和10年
(第22回)
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旧小林一三邸 昭和12年
(第183回)
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川奈ホテル 昭和11年
(第79回)
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旧自泉館 昭和7年
(第283回)
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綿業会館 昭和6年
(第282回)
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旧乾新兵衛邸 昭和11年
(第284回)
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つづく

暖炉の写真シリーズは、残りあと1回で終わります。

暖炉のいろいろ その2

前回に続き、暖炉の写真その2です。

泉布観 明治4年
(第202回)
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旧函館区公会堂 明治43年
(第503回)
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旧神谷傳兵衛稲毛別邸洋館 大正7年
(第530回)
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暖炉脇や床の火除けタイルも多種多彩で、見所のひとつである。

旧松風嘉定邸洋館 大正10年
(第112回)
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旧岩崎彦彌太別邸 昭和9年
(第452回)
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桐生倶楽部会館 大正8年
(第134回)
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無地のタイルでも、色彩はバラエティに富んでいる。

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桐生倶楽部会館の暖炉は、特にタイルに見どころがある。

旧甲子園ホテル 昭和5年
(第367回)
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旧甲子園ホテルのバーの床タイルは暖炉周りに限らず、一面カラフルなタイル張り。

旧伊庭慎吉邸 大正2年
(第579回)
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全体をタイル張り仕上げにした暖炉。

興風会館 昭和4年
(第409回)
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旧大田黒元雄邸 昭和8年
(第728回)
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旧高嶋平介邸洋館 昭和5年
(第515回)
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川奈ホテル 昭和11年
(第79回)
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旧西郷従道邸洋館 明治10年代
(第98回)
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このような絵付けの陶器で造られた変わり種もある。

旧森平蔵邸 昭和14年
(第200回)
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全体が陶器でできている特注品。

旧前田利為邸洋館 昭和4年
(第525回)
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一個の独立した工芸作品としても見られそうな暖炉。

古河掛水倶楽部 明治32・40年
(第16回)
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建物と一体化していない、陶器製の独立型ストーブ。

富士屋ホテル本館 明治24年
(記事未作成)
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富士屋ホテルロビーにあるタイル張りの大型ストーブ。
ここも一度泊まりたい。

旧内閣文庫本庁舎 明治44年
(第185回)
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石やタイルの他、彫刻や細工を凝らした木製の暖炉飾りもよく見られる。

旧田中源太郎邸洋館 明治31年
(第485回)
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奈良ホテル 明治42年
(第278回)
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旧平賀義美邸洋館 大正7年
(第371回)
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暖炉上部の象嵌細工が見どころ。

天理大学若江の家 大正13年
(第146回)
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旧ジョネス邸 大正8年
(平成25年解体)
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旧里見邸 昭和2年
(第129回)
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旧杉村楚人冠邸 大正13年
(第614回)
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建物自体は建築家・下田菊太郎の設計であるが、細い丸太を張り付けた暖炉は施主による自家設計。

旧尾藤家住宅洋館 昭和3年
(第76回)
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旧森平蔵邸
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旧福澤桃介別荘 大正8年
(第287回)
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戦前の洋館では数は多くないが、自然石を積み上げた暖炉もいくつかある。

旧伊庭慎吉邸
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旧朝吹家別荘 昭和6年
(第176回)
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旧イタリア大使館別荘 昭和3年
(第497回)
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旧ホーン邸 明治末~大正初期
(第27回)
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今でも薪をくべて火を焚いている様を見ることが出来る。

誠之堂 大正5年
(第543回)
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こちらは煉瓦積の暖炉。

旧デ・ラランデ邸 明治43年(?) 
(記事未掲載)
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昨年、江戸東京たてもの園に移築復元。デ・ラランデ設計説については疑念もある。

旧三笠ホテル 明治39年
(第564回)
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ダイセル異人館 明治41年
(第747回)
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旧山本有三邸 大正15年
(第209回)
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その3へつづく

暖炉のいろいろ その1

いつも弊ブログを御覧頂き、ありがとうございます。

昨年、これまで取り上げた建物やこれから取り上げる予定の建物を中心に、ステンドグラスやすりガラスの写真だけを集め、4回に分けて記事にしましたが、今回は洋館における床の間とも言うべき、暖炉の写真を集めてみました。
(ステンドグラスのときと同様、既に紹介済の建物については「第~回」をクリックすれば、当該建物の過去記事に飛びます)

旧グラバー邸 文久3年
(第604回)
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日本の洋風建築でも初期から暖炉を備えていたのは、外国人の住居として建てられた所謂「異人館」。

旧オルト邸 元治元年
(第187回)
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旧ウォーカー邸
(第604回)
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旧香港上海銀行長崎支店 明治37年
(第44回)
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銀行店舗であるが、上階は住居スペースになっている。

旧シャープ邸 明治36年
(第205回)
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旧トーマス邸 明治37~42年
(第470回)
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神戸・北野町の代表的な2つの異人館。

旧ハッサム邸 明治35年
(第52回)
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旧ハンター邸 明治40年
(第267回)
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北野町から移築された異人館。

旧グッゲンハイム邸 明治42年
(第120回)
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神戸・塩屋の異人館。

旧ジョネス邸 大正8年
(平成25年解体)
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昨年末に解体されてしまったが、他所での移築復元ができるだけの部材は保存されたのだろうか。

旧ブラフ18番館 大正12~3年
(第359回)
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関東大震災後間もなく再建された住宅。

旧ベリック邸 昭和5年
(第363回)
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旧マッケレーブ邸 明治40年
(第194回)
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旧松本カトリック教会司祭館 明治22年
(第25回)
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宣教師用住宅には簡素な洋館が多い。

旧南葵文庫 明治32年
(第255回)
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暖炉の周囲を飾る材料で、一番よく目にするのは大理石である。

旧日本郵船小樽支店 明治39年
(第216回)
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旧函館区公会堂 明治43年
(第503回)
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旧田中源太郎邸洋館 明治31年
(第485回)
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旧和田豊治別邸洋館 明治42~43年
(第130回)
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移情閣 大正4年
(第358回)
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この暖炉は修復に際して復元されたもの。

旧秋田銀行本店 明治45年
(第125回)
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超豪華な銀行店舗。

旧武藤山治邸洋館 明治40年
第275回ほか)
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焚口に立て掛けた金網は、火の粉が散るのを防ぐためのものと思われる。

旧青木周蔵別邸 明治21・42年
(第60回)
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大理石以外の石材を使った暖炉もある。

日光金谷ホテル 明治26・昭和11年
(第732回)
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栃木県産の大谷石。

旧松風嘉定邸洋館 大正10年
(第112回)
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旧森田銀行本店 大正9年
(第496回)
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旧山本春挙別邸(蘆花浅水荘) 大正4~12年
(第695回)
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数寄屋風別荘内の洋間。火掻き棒や石炭をくべる道具が残されている。

旧日下部久太郎別邸洋館(舞子ホテル) 大正4~8年
(記事未掲載)
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岐阜県出身の海運王・日下部久太郎に関係する建築遺産は多数あるので、シリーズ記事にしたいと考えている。

旧西尾類蔵邸 大正9年
(第2324回)
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旧岐阜県庁舎 大正13年
(第547回)
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岐阜県はかつては大理石の産地であった。

旧中島知久平邸 昭和6年
(第650回)
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飛行機王の館。和風御殿の中に設えられた洋間。

神奈川県庁舎 昭和3年
(第91373回)
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キングの塔。

旧帝国議会議事堂 昭和11年
(第500回・501回)
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旧貴族院(現参議院)議長応接室の暖炉。


次回につづく

第750回・旧網干銀行本店

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旧網干銀行本店は先日紹介した山本家住宅ダイセル異人館と同様、姫路市網干区に残る近代建造物で、大正10年(1921)頃に建てられたと伝わる煉瓦造の洋風建築。姫路市都市景観重要建築物。

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廃れてしまった観のある商店街の一角に建つ旧網干銀行本店。とりわけ前のアーケードは老朽が甚だしいので、いずれは撤去できるとよいのだが。

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西洋風ともインド風とも付かない不思議な形状の塔屋ドーム。京都の西本願寺伝道院(旧真宗信徒生命保険)のドームを扁平にしたような形である。

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網干銀行は明治27年設立の小規模な地方銀行で、昭和5年に三十八銀行に買収され消滅している。なお三十八銀行はその後神戸銀行→太陽神戸銀行→太陽神戸三井銀行→さくら銀行→現在の三井住友銀行に至る。
「銀行変遷史データベース」より)

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先述の山本家住宅の当主が頭取を務めていた銀行でもある。

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現在は洋品店の店舗となっているが、旧状をよく残している。

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外壁のモルタル仕上げの部分にはセセッション風の幾何学的な装飾が施されている。建具も創建当初からのものと思われる、白く塗られた木製サッシがよく残る。

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一階の腰壁は御影石積み。

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由緒ある寺社仏閣や古い商家など、歴史ある街並みがよく残されている網干では、これらの歴史的遺産を活かそうとする取り組みもあるようだ。

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山本家住宅や旧網干銀行は、網干の歴史的町並みのシンボルになりうる建物なので、将来有効な利活用がなされることを願うばかりである。

第749回・旧大阪教育生命保険(旧大中証券)

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大阪市中央区高麗橋にある、東京駅や日本銀行本店の設計で有名な建築家・辰野金吾(1854~1919)設計による赤煉瓦建築。明治45年(1912)に大阪教育生命保険の社屋として建てられた。現在は結婚式場として使われている。

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高麗橋は、大阪の古くからの中心街であり商業地域である船場の北側の一角に当たる。明治以降は金融街として銀行や保険会社の社屋が多く建てられた。なお、隣接する写真左側の和風建築は、高級料亭として知られる吉兆本店(不祥事で騒がれた船場吉兆とは違う)。建物は昭和12年竣工。

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戦災も免れた地域だが、その後悉く建て替えられたため、高麗橋の金融関係の近代建築物で現在も健在なのは、昭和11年竣工の旧三井銀行とこの旧大阪教育生命保険ぐらいである。ただし南側に隣接する写真右奥の浪花教会や、高麗橋野村ビルなど、金融関係以外の近代建築物もいくつか健在である。

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この建物を建てた大阪教育生命保険については、詳細は不明。昭和23年に大正生命(平成12年に破綻)に合併された日本教育生命保険という保険会社が存在するが、同社の系列会社だったのかも知れない。

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大阪教育生命保険の社屋を経て、昭和23年創業の地場証券である大中証券(その後ユニコム証券と改称後、平成14年に日本アジア証券(株)に経営統合)の本社屋となり、近年まで現役の事務所ビルとして使われていた。

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辰野金吾の設計と冒頭に記したが、厳密には、関西における辰野の片腕的存在であった片岡安(1876~1946)と共同で営んでいた辰野片岡建築事務所の設計である。片岡安は大阪を拠点に実業家としても活躍し、後には大阪商業会議所会頭も務めている。

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辰野金吾は岩手の旧盛岡銀行本店や、福岡の旧日本生命九州支店など、民間の商業建築では外観を尖塔やドームなどで派手に飾り立てることを好んだが、旧大阪教育生命保険も創建当初は、角地に尖塔を載せた円筒形の玄関が張り出した、派手な外観の建物であった。

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大正から昭和戦前にかけて、大阪市内では市区改正と称された道路拡幅が度々行われていた。このときに旧大阪教育生命保険でも張り出した玄関部分は尖塔と共に撤去、改装されている。改装後は壁面を丸く取った角に玄関を配しただけの比較的おとなしい外観となった。なお角の玄関や窓まわりの石材装飾は、撤去した塔屋のものを再利用している。

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戦前(昭和10年代)の段階で既に改装されていることが確認できるので、尖塔を備えていた期間はごく短期間であったようだ。モルタル仕上げの玄関上部パラペット(手摺)は、社章を象ったと思われる装飾が半分近く崩れ落ちている上、下地の煉瓦がむき出しになっている。玄関廻りの改装は概ね丹念に造られているが、上部だけは少々粗雑な印象を受ける。

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吉兆本店に接する側の角にも、小さな円筒形の尖塔が設けられている。このような形の尖塔は、同じ辰野片岡事務所の設計で現在塔屋と外壁の一部が保存されている、京都・三条通の旧日本生命京都支店でも、同じようなものが見られる。

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また、今は古写真でしか見ることのできない、正面玄関塔屋の上にあったスレート葺き円錐形の尖塔は、先述の旧日本生命京都支店や九州支店にある尖塔と酷似している。

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浪花教会に接する側の角の上部にも、花のような装飾を施した石の彫刻飾りが張り出している。明治末期の建物だけあって全体的にアクの強い装飾が随所に施されている。

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大中証券社屋としての役目を終えた後は、某フランス料理店が購入、改装して店舗として一時使われていた。大中証券時代は、筆者も度々内部の様子を外から窓越しに見たことがあり、古いインテリアも良く残されているように見えた。しかしフランス料理店になったときの改装で、古いインテリアは失われてしまったようだ。

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写真の玄関欄間のステンドグラスは、大中証券社屋の頃から残されている数少ない内部装飾である。創建当初からのものかどうかは不明。改装時に取り付けられたものかも知れない。

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現在は「オペラ・ドメーヌ高麗橋」という名の結婚式場として使われている。

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(参考)
本文で触れた創建当初、または改装後の姿については下記書籍による。いずれも図書館などで閲覧可能。

大阪府建築士会編 「近代大阪の建築」昭和59年刊(創建当初の古写真が収録)
近代建築画譜刊行会徧「近代建築画譜 近畿編」昭和11年刊(平成19年復刻)
(同書の写真より塔屋は戦前から撤去されていたことが分かる)

第748回・旧尼崎警察署

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阪神尼崎駅の南東側、旧尼崎城跡周辺の城内地区にはかつて官庁や学校が集中していた。今回取り上げる写真の建物は大正15年(1926)に、尼崎警察署庁舎として建てられたものである。

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同時期の警察庁舎で、完全な形で残されているものは数少ない。兵庫県内では芦屋警察署(昭和2年)が現存しているが、これは玄関周りなどの部分保存に止まっている。

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県外では、以前紹介した埼玉県さいたま市岩槻区の旧岩槻警察署(昭和5年)が現存する。また京都府庁警察部(現・京都府警察)が入っていた京都府庁別館(昭和3年、現・京都府警察本部)も、同時期の警察庁舎の一例と言える。

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外観は児童館時代に外壁全面が白く塗り込められ、厚化粧を施されてしまった観がある。壁面や開口部のアーチなど曲線を多用した旧芦屋署と異なり、同年に竣工した大阪府庁舎を連想させる装飾を控えた、堅牢な印象の建物である。

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設計は、兵庫県内を中心に多くの公共建築を残した置塩章(1881~1968)によるとされている。兵庫県技師として在職していた大正後期から、神戸で設計事務所を開いた昭和初期までの間に、多数の公共建築を兵庫県下に残している。

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現存するものでは旧尼崎署庁舎のほか、神戸市の旧神戸移民収容所旧国立生糸検査所や旧加古川市公会堂などがある。また旧芦屋署庁舎についても、置塩が設計に関与していた可能性が考えられている。

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昭和45年に尼崎警察署が移転した後は、市役所出張所や児童館など用途を変え、平成7年の阪神大震災まで使用されたが、震災後は閉鎖され、現在に至っている。但し年1回程度、催事に合わせて内部が公開されることもあるようだ。

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旧尼崎署庁舎の特筆すべき点は、地階の留置場など警察署時代の内装が一部そのまま残されているところである。留置人による落書きなども残されているとの事で、今後活用に際しても是非保存して頂きたいものである。 

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1階より上階は、後年の改装により警察署時代の内装はあまり残されていないようだが、階段の手摺や親柱などに、創建当初の装飾が残されているらしい。尼崎市では現在、旧尼崎署を貴重な近代建築として保存再利用し、周辺環境と共に保全していく予定のようである。(地階や階段などの建物内部については尼崎市ホームページ参照)

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旧尼崎署向かいにある、昭和13年竣工の旧尼崎高等女学校(現・尼崎市立尼崎高校)の校舎は、旧城内中学校校舎を経て現在は尼崎市立文化財収蔵庫となっている。重厚な石造の門柱が特徴である。

第747回・旧日本セルロイド人造絹糸技師宿舎(ダイセル異人館)

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前回紹介した近代和風建築の山本家住宅と同じ兵庫県姫路市網干区にある、瀟洒な明治末期の木造洋館・ダイセル異人館。山本家住宅と同様、姫路市指定都市景観重要建築物であると同時に、経済産業省の近代化遺産にも認定されている。

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ダイセル異人館は、現在のダイセル化学工業(株)の前身のひとつである、日本セルロイド人造絹糸が明治41年(1908)に設立され、現在の姫路市網干区新在家の埋め立て地に工場が建設された際、招聘した外国人技師のための宿舎として建てられた洋館群である。現在そのうち少なくとも3棟が現存、2棟が都市景観重要建築物の指定を受けている。

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設計は大阪の初代通天閣のなどの設計で知られ、神戸を拠点に設計活動を行っていた建築家・設楽貞雄(1864~1943)による。同氏の設計作品では兵庫県指定文化財の旧西尾家住宅(大正9年)や、大阪市西区の長瀬産業本社旧館(昭和3年)が現存する。

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また神戸市垂水区塩屋にある旧後藤家住宅も、設楽貞雄の事務所が設計を手掛けたとされている。上記3件は当ブログでいずれも既に紹介済みなので、本記事と併せてご参照頂きたい。

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複雑な形の屋根や張り出した一階のベランダなど、変化に富んだ外観。

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一階のベランダには天窓が開けられており、居室に太陽光がベランダで遮られることなく入るような工夫が施されているが、後年の改造によるものと思われる。

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現存する3棟のうち、写真の緑色の建物がダイセル異人館の名で公開されている。
資料館となっている内部はダイセル化学工業の受付で記帳手続のみ行えば、無料で見学できる。

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玄関を入ってすぐの位置にある、階段ホールを兼ねた居室。

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1階には3箇所に暖炉が設けられているが、煉瓦積みで最も立派な暖炉を備えているこの部屋は、応接や団欒などに用いる、この館の中心となる空間と思われる。

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戦時中は陸軍監督官室として使われていたという歴史もあるこの館では現在、ダイセル化学工業の歴史や、同社のかつての主力製品であったセルロイドの製品が展示されている。

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明治時代の洋館としては簡素な造りの2階階段ホール。

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2階にも、簡素な意匠の暖炉が2箇所に設けられている。暖炉の意匠は1階広間を除き、残りはすべて同一。

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セルロイドの材料となる、樟脳の原料であるクスノキのプランテーションを台湾に有していたことから、戦前は日本が生産量世界一を誇ったセルロイド製品。展示品のうち、写真背後に写っているセルロイド製の黒いキューピー人形は、全国的にも数体しか現存しない希少なもの。

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アールヌーボー風の曲線を取り入れた玄関扉の額縁。

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同じくアールヌーボー風デザインで、円形に焚口を切った1階広間の暖炉。

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直線を強調したモダンなデザインの階段親柱。
アールヌーボーやセセッションなど、明治末期の洋館としては当時最新のデザイン傾向が随所に取り入れられている。

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ダイセル異人館と全く同一意匠の洋館がもう1棟、隣接して建っている。こちらは衣掛クラブと名付けられ、会社の迎賓館の一部として今も現役で使われている。敷地内には創建当時植えられたというユーカリの木(写真左端)を始め、外国人技師の宿舎として整備された当初の雰囲気が周辺環境も含めて残されている。

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異人館群が当初の用途で使われた期間は短かった。日本セルロイド人造絹糸は操業当初不良品の連続であったが、招聘した外国人技師はいずれも技量不足から数年で解雇され帰国、結局日本人技師が自力で問題を解決したという。

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衣掛クラブは敷地内には立入出来ないので、生垣越しに撮った全景。創建当初は異人館群のある敷地が、未だ埋め立て地の縁に当たっていたことから、異人館のベランダからは瀬戸内海が一望できたという。

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切妻部分の上部にもアールヌーボー風の曲線をもった妻飾りが見られる。

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外国人技師の宿舎としての役目を終えた後、迎賓館として使われることとなったこの建物では、戦後間もない昭和24年にノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士が講演で同社を訪問した際、接待所として使われている。

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都市景観重要建築物の指定対象外であるが、上記2棟に隣接して平屋建ての洋館も1棟現存する。十数年前に筆者が初めて見学のため訪問した際はもう1棟あったが、こちらは現存していないように思われる。

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下見板を縦に貼った外壁など共通点が見られるところから、同じく設楽貞雄の設計と思われるが詳細は不詳である。

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明治期の産業施設において、外国人技師用の宿舎として建てられた洋館は全国各地に多くの事例が存在し、現存するものも多いが、意匠性の高さではダイセル異人館の洋館群は際立った存在と言える。

(3/11 追記)

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15年前の平成11年に、ダイセル異人館を初めて訪問したときの写真があったのでスキャナーで取り込んでみた。

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このときは非公開の衣掛クラブにも外観だけの見学という前提で敷地内に立入を許され、写真に収めていた。
緑色の棟と比較すると、屋根に明り取りの天窓が無い他、玄関扉の形も異なる。

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大きなベランダを軒深く差し出した外観は、同時期に建てられた神戸舞子浜の旧武藤山治邸(明治40年)に少し似ている。この館でもかつては旧武藤邸と同様、ベランダから瀬戸内海を一望できたのだろう。

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資料館となっている棟は、現在はきれいに補修されているが、15年前は少々老朽が目立っていた。

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現存しないと思っていた平屋建ての残り1棟。本記事では現存しないと書いたが、今回の再訪に際しては、この建物があった場所には立ち入っていないように思われる。ひょっとしたら今も健在なのかも知れない。

第746回・山本家住宅

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兵庫県姫路市網干区興浜にある、望楼を備えた外観が特徴の近代和風建築。
姫路市の都市景観重要建築物に指定されている。

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山陽電鉄網干駅の南側が旧網干町の中心街で、古くから漁業や商工業で繁栄した町である、現在も歴史ある寺社仏閣や古い家並みが残されており、山本家住宅はその一角に建っている。

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全景。手前が明治期の主屋、奥に見えるのが大正初期に建てられた和洋折衷の別館。

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主屋はこの界隈に残されている一般的な町家のようだが、別館は和洋折衷の個性的な近代和風建築である。

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正面に門を備えた高塀を巡らせ、その奥に黒漆喰塗、一部三階建ての重厚な姿を見せる。

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正門。この館を建てた当時の山本家の当主は、網干町長や網干銀行頭取を務める地元の名士であった。

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姫路市の都市景観重要建築物に指定されている事を示す解説版が正門脇に張り出されている。
そこにある正面立面図。玄関には唐破風を備え、その右には洋風の上げ下げ窓があることが分かる。

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正面向かって左手の二階窓には洋風の鎧戸が取り付けられており、内部は洋室になっている事が窺える。

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内部は質の高い書院座敷の他、暖炉やステンドグラスで飾られた華麗な洋室があるという。
(参考)兵庫県教育委員会徧「兵庫県の近代化遺産」

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現在も住居として使われているため、完全非公開である。

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兵庫県の播磨地域では山本家住宅は、以前紹介した旧多木久米次郎邸(あかがね御殿、多木浜洋館)に匹敵する、現存する近代の質の高い邸宅建築である。

(追記)
山本家住宅はその後姫路市に寄贈され、平成28年9月より一般公開されるようになりました。
平成28年9月23日付弊ブログ記事では内部見学の模様を公開しております。

第745回・旧西川家別邸

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東京都小金井市の江戸東京たてもの園に移築保存されている、近代和風建築の旧西川家別邸。
多摩地域でも有数の製糸業を営んでいた西川伊左衛門が、本邸とは別に接客用兼隠居所として建てた別邸。
間取りや充実した接客空間などに、近代和風建築の特色がよく現れているとされる。

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正面全景。
玄関を挟んで向かって左側(西側)が客間で接客空間、右側(東側)が茶の間などの居住空間となっている。

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関東甲信地方では、養蚕・製糸業が特に明治以降、輸出用として盛んになったが、現在の東京都多摩地域でも江戸時代から養蚕・製糸業が行われていた。

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西川伊左衛門が設立した西川製糸も昭和初期には最盛期を迎えるが、その後戦時体制下で軍需産業への転換のため、昭和15年に製糸業を止めている。

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内部、玄関の間。

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玄関の間のすぐ東側にある応接間。西側の客間よりも日常的な接客の場として使われた部屋。

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玄関の間の奥、神棚を備えた座敷。居間として使われていた。

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玄関西側の客間は、東側の応接間よりも改まった接客の場である。主座敷(一の間)に次の間(二の間)で構成され、洗練された造りの欄間や床の間を備える。

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江戸東京たてもの園では、旧西川家別邸の周囲にその他いくつかの近代和風建築を配し、景観の統一を図っているものと思われる。奥に写っている二階家は旧高橋是清邸

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旧西川家別邸に接続する形で保存されている大正期の茶席、会水庵。
宗徧流の茶人、山岸会水によって新潟県長岡市に建てられ、その後東京吉祥寺、西荻窪と移転を重ねたもの。

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元々は主屋に接続された形の茶席であったため、旧西川家別邸を移築前の主屋に見立てている。

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旧西川家別邸の前にある豪壮な門は、旧宇和島藩主伊達伯爵家が大正期に東京の白金三光町に建てた邸宅の門。
大名屋敷の面影を残し、門番の詰所(番所)を備える。

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旧西川家別邸周辺は江戸東京たてもの園の中でも、近代和風建築が集積された一角となっている。

(参考)江戸東京たてもの園解説本

第744回・千里寺本堂

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以前本ブログにて、昭和3年(1928)に京都御苑内で行われた昭和天皇即位の御大典のため建てられた饗宴場の一部を移築した大阪府河内長野市の観心寺恩賜講堂を紹介したが、同記事では吹田市に現存する千里寺本堂も同じく饗宴場を移築したものとして触れた。今回はその千里寺本堂を取り上げたい。

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千里寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、阪急千里山駅のすぐ近くにある。大阪の北郊に当たるこの界隈は大正末期に関西有数の私立大学である関西大学を誘致、文教地域であると共に大阪の郊外住宅地として開発が進んだ地域である。

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御大典終了後、解体された饗宴場は3分割され、大阪の観心寺と関西大学、奈良の橿原神宮にそれぞれ移築された。観心寺のものは恩賜講堂として現存、橿原神宮のものは平成10年の台風で大破、解体され現存しない。関西大学に移築されたものが今日千里寺本堂として使われている建物である。

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関西大学に移築された当初は武道場などに使われていたが、昭和28年(1953)に千里寺に譲渡され、現在地に再移築された。屋根は当初銅板葺であったが、千里寺の所有となった後瓦葺に改装された。

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構造材、内外装材共に旧饗宴場の部材が多く再利用されているが、屋根が瓦葺きに変えられているためか、一見みたところ外観は、よくある寺院の本堂と変わらない印象を受ける。

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しかし細部をよく見ると普通の寺院とは異なり、観心寺恩賜講堂と同様の特徴が発見できる。

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洋風の装飾が施された外付けの照明燈は、観心寺恩賜講堂と同じものが取り付けられている。

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寺の本堂の扉としては少々違和感を覚える洋風の扉も、観心寺恩賜講堂でも同じようなものが取り付けられている。なお千里寺のものは観心寺と異なり、一部が硝子戸となっている。

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千里寺本堂は、観心寺恩賜講堂と同じく国登録有形文化財となっている。登録文化財であることを示す解説版が正面入り口脇に置かれており、そこに内部写真が掲げられている。

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観心寺恩賜講堂と同じようなシャンデリアが残り、天井も観心寺恩賜講堂と同様、天井画が描かれた折上格天井となっている。但し千里寺本堂は観心寺恩賜講堂に比べ、天井はやや造りが簡素なようである。

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内部は通常非公開であるが、落語会など地域住民向けの催事の会場として使われることもあるようだ。

第743回・芦屋仏教会館

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芦屋仏教会館は、関西屈指の高級住宅街として知られる兵庫県芦屋市に建つ昭和初期の洋風建築。公益財団法人芦屋仏教会館が運営する文化施設として、現在も設立当初から変わらない用途で使われ続けている。

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芦屋川の土手西側に建つ芦屋仏教会館。芦屋市は平成7年の阪神大震災で被害の大きかった地域で、会館周辺でも多くの建物が破損倒壊したが、同会館の被害は軽微であった。なお震災復興に伴う区画整理事業のため、当初位置よりやや西側に曳家で移されている。

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会館は昭和2年(1927)の竣工で、設計は片岡安が所長を務める片岡建築事務所。同事務所はかつて辰野金吾との共同運営(辰野片岡建築事務所)で、片岡は辰野の片腕として、大阪府堺市の浜寺公園駅舎や北九州市の旧松本家住宅の設計にも携わった建築家である。

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また旧大阪市庁舎(大正10年、現存せず)や鹿児島市公会堂(昭和2年、現・鹿児島市中央公民館)の設計者としても知られる。

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芦屋仏教会館では側面窓のアーチ部分や正面上部の妻壁などに、先端を尖らせたイスラム風の造形が見られるが、旧鹿児島市公会堂でも似たようなデザインが見られる。

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芦屋仏教会館は、総合商社・丸紅の前身に当たる丸紅商店の初代社長を務めた実業家・七代目伊藤長兵衛の出資で設立された崇信会の会館として建設され、仏教講座や各種講演会などの会場に使われた。

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内部は、1~2階に聖徳太子像を正面に安置した二層吹き抜けのホールを配し、地階と3階を有する。地階には戦前、フランス料理店が入居していたという。敗戦直後は一時期、甲南高等女学校の仮校舎として使われた。

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また昭和24年から29年にかけて、芦屋市立図書館として使われたこともある。(その後図書館は打出小槌町にある旧松山邸内の石造洋館に移転。この建物も芦屋市立図書館打出分室として現存しており、国登録有形文化財となっている。)

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崇信会はその後財団法人(現在は公益財団法人)芦屋仏教会館に引き継がれて活動を継続しており、会館も当初からの用途で引き続き使用されている他、各種文化活動の場として利用されている。

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正面玄関上部には、ハスの花をモチーフとした図柄のステンドグラスの小窓を配する。

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先述の芦屋市立図書館や旧芦屋警察署玄関旧芦屋郵便局電話事務室旧山邑家住宅と共に、芦屋市内に現存する数少ない近代洋風建築である。

(参考)公益財団法人芦屋仏教会館ホームページ(建物内部の画像もある)

第742回・旧朝日町浄水場配水塔

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兵庫県高砂市にある、大正時代に建てられた鉄骨造の配水塔。
すぐ脇を流れる加古川の水を高砂町(当時)へ給水するため、大正12年(1923)に朝日町浄水場の施設の一部として建設されたもの。国登録有形文化財。

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山陽電車高砂駅の北側、徒歩数分程度の距離にある旧朝日町浄水場配水塔。

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赤黒く塗られた円筒形の異様な姿は、離れたところからでもよく見える。

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円筒形水槽を支える6本の鉄骨製の脚。

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「大正拾弐年 川崎造船所製造」の文字が読める。
八幡製鉄所(現・新日本製鉄)で製造された鋼材を川崎造船所(現・川崎重工)が加工組立を行った。

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水槽上部に載せた八角錐屋根の上部には、棟飾りを付けている。

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高砂は海岸に近いため井戸水の質が悪く、現地に工場を置く三菱製紙と高砂町が共同で加古川を水源とする工場用水道と上水道を整備することになった。大正12年に朝日町浄水場が竣工、翌13年より給水を開始した。

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当時兵庫県下でも上水道が整備されていたのは神戸市などに限られており、現存する配水塔は全国的に見ても古い部類に属すると言える。

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昭和30年代以降、工業排水などの影響で加古川の水質が悪化したことから、上水道の水源地としては適さなくなった。対策として新たな水源地が別に整備されることになり、昭和41年に朝日町浄水場は廃止、閉鎖された。

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現在、旧朝日町浄水場跡は高砂市文化会館の敷地となっているが、旧配水塔のみかつての水道施設の遺構として保存されている。

第741回・尼崎信用金庫記念館

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尼崎信用金庫記念館は、明治時代後半頃には建てられていたと伝わる小さな赤煉瓦の洋館。兵庫県尼崎市に本店を置く尼崎信用金庫の前身である有限責任尼崎信用組合が、大正10年(1921)に設立された当初、本店事務所として使っていた建物である。

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阪神尼崎駅の南側一帯には、城下町時代の面影を今も残し歴史駅建造物が点在する寺町地区などがあり、また尼崎信用金庫記念館のような明治以降の近代建築もいくつか残されている。

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もとは有限責任尼崎信用組合の初代組合長であった小森純一氏が所有していた洋館で、昭和5年に隣接地に新本店が竣工するまでは本店事務所として使用、第二次大戦後に尼崎信用金庫の所有となった。

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昭和47年に新たな本店事務所建設のため一旦解体、北側の隣接地に記念館として復元された。復元に際し、構造は煉瓦造から鉄筋コンクリート造に置き換えられたが、外装の煉瓦や石材、内装の建具等は旧建物の部材を用いている。

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煉瓦の壁面が粗く見えるのは、解体に際しては一個ずつ手作業で外すために、煉瓦に多少損傷が生じてしまったためと思われる。(同時期の赤煉瓦建築の移築例である明治村の聖ヨハネ教会堂も、壁面の煉瓦には同様の損傷が見られる。)

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このような比較的初期の歴史的建造物の保存例を見ると、最近の移築や部分保存工事では、埼玉県深谷市の誠之堂ダイビル本館の外壁復元など、旧建物の風合いを極力失うことなく移設や再現に成功している例もあり、歴史的建造物の移築や復元の技術も、この数十年で随分進歩していると思う。

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室内は現在非公開であるが、暖炉のある部屋などが保存されているようだ。

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平成22年には兵庫県の景観形成重要建造物に選定されている。

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記念館の南側には昭和47年に建てられた旧本店(現在は別館となっている)を挟み、昭和5年に竣工した旧尼崎信用組合本店も現存する。現在は「世界の貯金箱博物館」として使われている。

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赤煉瓦の初代本店と異なり、シンプルでモダンな外観。角や柱を丸く仕上げているのが特徴。

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窓には装飾的な飾り格子が嵌め込まれている。
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