第803回・旧神戸商業大学(神戸大学)校舎群 その2(附属図書館・兼松記念館)

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前回に続き、旧神戸商業大学の学舎群の紹介。今回は附属図書館、兼松記念館の2棟。六甲山麓の傾斜地を造成して設けられた旧神戸商大キャンパス内において、今回紹介の2棟は前回の本館・講堂より一段高い位置に並んで建っている。

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旧神戸商業大学附属図書館(現・神戸大学社会科学系図書館)。昭和8年(1933)の竣工で、本館に次いで古い建物である。設計は文部省営繕課、施工は大林組。

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現在の神戸大学附属図書館は分野別に分散しており、旧神戸商大附属図書館は社会科学系分野に特化した図書館となっているが、現在も同大学付属図書館の中心的な機能を担っている。

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正面玄関。

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正面玄関脇の、アールデコ調の装飾が施された飾り格子の入った窓と玄関燈。
窓の左側には、登録文化財であることを示す文化庁のプレートがある。

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玄関燈を拡大。

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本館・講堂・兼松記念館と同じく、意匠はロマネスク調で統一されている。

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附属図書館・兼松記念館の1階外壁は正方形のタイルを芋目地に貼っている。1階と2階で外壁のタイルを変えることで、本館・講堂とは少し壁面の仕上げを異なったものとしている。

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側面上部の外壁は緩やかな切妻になっている。

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創建当初の閲覧室内部。登録文化財になっている建物の前には、いずれも建物の来歴等が記載された解説版が設けられており、写真は解説版に掲げられていたもの。

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上の古写真にも写っている、閲覧室の3連アーチ窓。閲覧室の内部は現在も創建当初と変わらない形で残されている。

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閲覧室の背後に建つ、5階建ての書庫棟。

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附属図書館も東隣に建つ兼松記念館と共に近年大規模な改修工事が行われ、外装・内装共に美しく修復されている。

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兼松記念館(現・経済経営研究所)は、経済経営研究所の前身に当たる商業研究所(大正8年設立)の施設として、昭和9年(1934)に建てられた。

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今回紹介している4つの建物の中では、最もシンプルな外観の建物である。

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神戸の貿易商社・兼松商店(現・兼松)は、同社の創業30周年及び創業者である兼松房治郎(1845~1913)の七回忌に当たっての記念事業として、大正10年(1921)に研究施設の建物及び研究基金30万円を神戸高商に寄贈した。

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初代の兼松記念館に当たるこの建物は今日現存しないが、旧神戸商大の六甲山移転後、旧制神戸市立中学校本館として使われ、戦災で大破するも修復され、戦後も神戸市立葺合高校本館として長らく使われていた。

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2代目に当たる現在の兼松記念館の正面玄関車寄せにある扁額は、旧神戸高等商業学校の創立者で初代校長の水島銕也(1864~1928)の筆によるもので、初代兼松記念館から移設したものである。

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兼松商店にゆかりのある建物としては兼松記念館のほか、前回記事でも触れた東京商科大学(現一橋大学)の兼松講堂がある。また兼松商店の旧本社屋(現・海岸ビルヂング)も現存し、いずれも国の登録有形文化財である。

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玄関扉越しに望む玄関ホール及び階段室。2階にある記念室は折り上げ格天井のある、重厚な造りになっている。
(参考)神戸大学ホームページ(兼松記念館ほか登録文化財となっている建物の写真が見られる)

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なお、旧神戸商業大学の施設では今回紹介した4棟のほか、道場(昭和10年竣工、現・神戸大学武道場)も改修工事を施された上で平成24年、国の登録有形文化財となっている。
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第802回・旧神戸商業大学(神戸大学)校舎群 その1(本館・講堂)

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神戸市灘区六甲台町にある、神戸大学六甲台第1キャンパスの主要施設は、同大学の前身のひとつである旧神戸商業大学の学舎群を引き継いでいる。現在も本館をはじめとする主要な建物が現存、いずれも国の登録有形文化財となっている。これらの校舎群を2回に分けて取り上げたい。

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旧神戸商業大学時代からある石造の正門を入り、石段を登った先に最初に現れるのが、写真の本館(現六甲台本館)。旧神戸商大学舎群の中では最も早い昭和7年(1932)の竣工。

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旧神戸商業大学よりも少し早く建設された、東京・国立の旧東京商科大学(一橋大学)学舎群とはロマネスク調の意匠を採用している点で共通するが、旧神戸商大のほうが意匠はシンプルで、色調も明るい。

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なお旧東京商科大学(一橋大学)学舎群については、当ブログで以前2回に分けて紹介している。
その1 その2

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六甲台第1キャンパスは現在、法学部・経済学部・経営学部が使用している。

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同じく白系統の色のタイルを貼ったロマネスク調の建物で、以前取り上げた京都府警察部庁舎(現・京都府警本部)を連想させる外観である。

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旧東京商科大学校舎群と同じく、昭和初期の建造物では非常に多く見られるスクラッチタイルが壁面に貼られている。但し色調はスクラッチタイルでは最も一般的な茶色ではなく、先述のとおり黄色がかった白色である。

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照明器具も創建当初のものがよく残されている。

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神戸商業大学は、明治35年(1902)設立の神戸高等商業学校が昭和4年(1929)に大学に昇格したものである。東京商科大学(大正9年に大学へ昇格)に続く、第2の官立商科大学であった。

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校地は明治35年の神戸高商設立当初、現在の神戸市中央区野崎通にあったが、大学昇格にあたり現在地へ移転、今日現存する一連の施設群が整備された。

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本館をはじめとする一連の施設の設計は文部省営繕課による。

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裏側から見た本館。本館内部には大小の教室のほか、旧学長室、貴賓室などがある。

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本館背面、北東部にある大教室部分の外観。本館では最も大規模な部屋で、天井はステンドグラスを嵌め込んだ硝子天井になっている。

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戦時下には白亜の優美な外観が空襲時の恰好の目標になるとされ、防空対策として外壁をアスファルトで黒く塗りたくられた過去も持っている。

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本館西隣に建つ講堂(現・出光佐三記念六甲台講堂)。昭和10年(1935)竣工。

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正面の大きな5連アーチが印象的な外観。

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現在の名称は、平成21年に竣工した大規模な改修工事に際し、多額の費用を寄贈した出光興産の要望で、旧神戸高商OBでもある同社創業者の名を冠したことによる。

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正面上部の円形窓の飾り格子(グリル)は、長年に亘り失われたままであったが、改修に際し復元された。

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港湾都市の大学にふさわしく、船の総舵輪を連想させるデザインが施された玄関扉。

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改修に際しては、創建当初の姿へ修復・復元すると同時に、空調設備や音響・照明・映写設備等は大幅に更新、最新設備を備えたホールとして再生されているという。

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側面からみた講堂。

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背面からみた講堂。舞台の背面と思われる部分には窓がない。

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2階側面に穿たれた、2つの小さな円形窓がいい雰囲気。

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旧神戸商業大学の学舎群は平成15年(2003)、旧本館、講堂、附属図書館、兼松記念館の4棟が国の登録有形文化財となった。文化庁のホームページでは一連の建物紹介及び講堂修復の詳細が紹介されている。

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次回は旧附属図書館、兼松記念館を紹介予定。

第801回・滋野医院

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滋野医院は、和歌山県庁にも近い和歌山市真砂町に建つ大正時代の医院建築。建具なども含め非常によい状態で残されており、かつ今も現役の病院として使われている建物である。

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正面全景。鉄筋コンクリート造二階建の洋風建築である。

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写真奥、医院に隣接して建つ、モダンな外観の院長の住宅も戦前の建物。

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大正10年(1921)の竣工で、地方都市の鉄筋コンクリート建築としては極めて古い部類に属する。

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東京の「島藤」という建設業者の設計施工によるとされているが、昭和62年に戸田建設と合併した旧島藤建設工業のことであると思われる。

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正面の外壁、柱と窓枠以外の壁面には褐色のタイルを貼る。(現在はその上から化粧直しの塗装が施されている)全体的に装飾は少ないが、柱頭部分にはメダリオン飾りが見える。

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背面及び側面はコンクリートに塗装を施しただけのようである。なお、窓のサッシは、新しいサッシの下に古いスチールサッシを撤去せずにそのまま保存しているのか、それとも特注品なのか、細かく桟が割り付けられた珍しい建具である。

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大正建築らしいシンプルな装飾が、持ち送りなどに施された玄関庇。

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正面玄関の扉と欄間のステンドグラスは、創建当初から変わらないものと思われる。

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滋野医院は関西でも高名な皮膚科の医院であり、大正の洋館建築は今も現役で使われている。

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医院に隣接して建つ滋野邸。医院と同じく鉄筋コンクリート造と思われるモダンスタイルの邸宅で、昭和初期の建物と思われる。

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大正10年に自らの医院を鉄筋コンクリートで建てるところから、当時の院長は相当な新しいもの好きであったことが窺えるが、それを裏付けるような超モダンな外観の邸宅である。

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昭和初期の建築に多く見られる円形の窓が随所に見られる。

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外観のアクセントになっている円筒形に張り出した部分は、階段室と思われる。

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横長の大きな開口部を開けているところから見て、内部は日本座敷も備えているのかもしれない。

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医院と医師の自邸が共に近代建築で現存する例は、他に奈良県大和郡山市の杉山小児科(住宅と共に登録文化財)がある。

第800回・旧篠原家住宅

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旧篠原家住宅は、栃木県宇都宮市の中心街に現存する土蔵造の商家。明治28年(1895)の竣工で、主屋と隣接して建つ新蔵が国指定重要文化財、その裏に建つ文庫蔵・石蔵が宇都宮市指定文化財となっている。

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JR宇都宮駅のすぐ近く、市街地の真ん中に建つ旧篠原家住宅。

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昭和20年7月の宇都宮空襲では、京都の旧二条駅舎のモデルになったと考えられている宇都宮駅舎をはじめ、周辺一帯が焼き払われた中で、篠原家の主屋や蔵は奇蹟的に焼失を免れた。

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主屋に隣接する新蔵。石塀も国指定重要文化財である。

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空襲の直後には、焼け残ったこの家の前で罹災者への炊き出しが行われたという。

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明治28年に上棟した現在の主屋は、良質の材木を用いて当時の金で3万円を投じ建てられたという。昭和39年に前面の道路拡幅のため、後方に約7メートル曳家されている。

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篠原家は江戸時代から奥州街道口に当たる現在地にて、醤油醸造や肥料商を営む商家であると共に、周辺に広大な土地を有する大地主でもあった。

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展示されている、昭和20年の戦災前の篠原家の建物配置を再現した模型。現存する主屋と蔵3棟(写真左下)のほか、醤油醸造蔵や米蔵、納屋などが背後に建ち並んでいたが、これらは全て戦災で失われた。

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かつて醤油の量り売りをしていた帳場。豪壮な大黒柱と梁がみどころ。

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非常に堅牢な造りで、東日本大震災に際しても被害は軽微であったという。

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裏庭から望む主屋。

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主屋側面。

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主屋側面外壁の下半分は当地特産の大谷石貼り仕上げとなっており、地方色をよく現している。

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帳場の奥にある茶の間から裏庭を望む。

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茶の間の箱階段。

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二階の客間。二階には床の間を備えた座敷は大小2つあり、小さい方が客間として使われていた。

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20畳分の広さがある二階大広間。婚礼や儀式の場に使われていた。

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大広間の床柱は極太の欅の角材で、一階帳場と茶の間の境にある大黒柱がそのまま床柱となっている。

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篠原家では昭和5年(1930)頃に初めて電気が通り、そのとき取り付けられた照明器具が現存している。

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硝子戸が入れられた二階縁側。

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二階縁側から文庫蔵・石蔵を望む。両方とも江戸時代末期に建てられた。屋根の一部は大谷石の瓦で葺かれている。

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旧篠原家住宅は現在宇都宮市の所有で、一般公開されている。

第799回・旧忍貯金銀行本店(武蔵野銀行行田支店)

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埼玉県行田市にある武蔵野銀行行田支店の建物は、元々は忍貯金銀行の店舗として昭和9年(1934)に建てられた。行田市では数少ない近代洋風建築である。国登録有形文化財。

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南東から見た外観。東側に増築されたATMコーナーの外壁も、色調を合わせたタイルで仕上げられている。

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行田は冬場になると北西から強い風が吹き付けるため、窓や開口部は正面玄関のある南側及び写真の東側に集約し、西側は極端に窓が少ない造りになっている。

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行田では江戸時代以降、足袋製造が地場産業として栄えたことから、足袋を収納するための土蔵が今も数多く現存するが、近代洋風建築は非常に珍しい存在である。

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忍(おし)貯金銀行は明治30年(1897)創立の金融機関で、昭和19年(1944)に埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)に合併された。(参考:銀行変遷史データベース

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建物は忍貯金銀行が埼玉銀行に合併された昭和19年に、行田足袋元売販売(株)へ売却される。

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戦後は足袋会館としての使用を経て昭和44年より現在の武蔵野銀行の所有となり、再び金融機関の店舗として使われ現在に至る。

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壁面には黄土色のスクラッチタイルを貼り、開口部廻りやコーニス(軒蛇腹)などに緻密な装飾を施している。

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腰壁上部の装飾。

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円形のレリーフ飾り。

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正面中央、コーニスの装飾。

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なお当ブログでは、埼玉県下で登録文化財となっている戦前の銀行建築としてこの旧忍貯金銀行のほか、川越の旧八十五銀行旧武州銀行、さいたま市の旧中井銀行、秩父の旧武毛銀行の各店舗を紹介している。

第798回・旧荒川大橋

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埼玉県熊谷市、荒川に架かる荒川大橋の旧橋の一部が保存されている。
旧橋は大正14年(1925)竣工、昭和56年(1981)撤去。

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かつては壮大な九連トラス橋であったが、保存されているのはその片方のごく一部である。

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現在の荒川大橋の南東、橋の袂に移設・保存されている。

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近くに置かれていた解説版の古写真。

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照明灯は架橋当初から残されていたものではなく、移設に際し復元されたもののようである。

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明治村に一部が移設されている旧隅田川新大橋(明治45年)と同様、橋銘板の周辺などに装飾を施している。

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木製で架けられていた旧橋が大正3年、洪水により一部流失したのを受け、翌大正4年に起工、10年の歳月をかけて架橋された。

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昭和55年に現在の橋が完成、翌年に旧橋は撤去、現在は残された一部分だけが往年の面影を辛うじて残している。

第797回・新佐賀橋

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埼玉県鴻巣市(旧吹上町)の元荒川に架かる新佐賀橋は、昭和8年(1933)に架けられたコンクリート製の橋。欄干には大阪の心斎橋を思わせる装飾が施されている。土木学会選奨土木遺産。

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JR吹上駅に近い、閑静な住宅街の中を流れる元荒川。両岸には桜の木が植えられ、花時は見ものと思われる。
奥に写るのが新佐賀橋。

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下から見上げた新佐賀橋全景。アーチと路面の間に材料が隙間なく敷き詰められていない、開腹式アーチ構造の橋である。(反対に材料が隙間なく敷き詰められているものを充腹式アーチ構造という)

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欄干のみならず、アーチ部分にも装飾が施されている。ここから近い行田市にあった、陸軍の演習場の視察に訪れる皇族方に利用されるため、装飾的な造りになったと言われている。

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路面からみた新佐賀橋全景。

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親柱のブロンズ製銘版には、「新佐賀橋 昭和八年六月竣功」(原文は右書き)とある。

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欄干には、クローバーの葉のような十字型の透かし彫りが施されている。

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以前当ブログで紹介した大阪の旧心斎橋(明治42年架橋の石橋。現在は親柱と照明、欄干の一部のみ現存)の欄干に似ているが、関連の有無は不明である。

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水道管だろうか、両側とも真横を走る太いパイプがアーチを隠しているのが惜しい。

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平成25年(2012)、(公財)土木学会より選奨土木遺産に認定される。
現在では地元のランドマークとして親しまれているようだ。

第796回・和歌山県庁舎

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前回取り上げた富山県庁舎と酷似した外観をもつ和歌山県庁舎は、昭和13年(1938)の竣工。国登録有形文化財。

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現在の庁舎は3代目に当たる。明治22年(1889)竣工、木造2階建て洋風建築の2代目庁舎が、築後半世紀近くを経て老朽化が進んだため、現在地に県会議事堂と共に移転・新築されたものである。

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なお、2代目庁舎より少し遅れて明治31年(1898)に建てられた旧和歌山県会議事堂は、県会議事堂も併設された現庁舎の竣工後、他所に移築され現存する。和歌山県指定文化財となっているが、現在は移築のため解体保存中。

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富山県庁舎に比べると、正面がより長大なのが特徴。富山県庁舎が日の字型平面であるのに対し、和歌山県庁舎は山の字型平面となっている。(現在は背面が増築され日の字型平面となっている)

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意匠設計を手掛けた和歌山県技師の増田八郎は、富山県庁舎の実施設計に従事していた人物で、和歌山県庁舎建設のため和歌山県に招かれた。富山県庁舎と意匠が酷似している所以である。

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最上階の窓をアーチ型にし、装飾的なテラコッタ製の軒を廻す点や、建物のコーナー部分を丸くしないところは富山と異なる。

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正面の玄関車寄せ。大階段は一部が玄関内部に取り込まれているため、富山に比べると奥行が浅い。

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中央正面の窓下に配されたテラコッタ製の装飾パネル。

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車寄せ入口から玄関を望む。上の中央部分の装飾などと共に、前回記事の富山県庁舎と比較して、微妙な意匠上の差異を探してみられるのも面白いと思う。

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昭和20年の和歌山大空襲に際し、和歌山市内では焼失を免れた数少ない建物となった。

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近年になり、和歌山県庁舎本館は数少ない近代建築物として保存されることとなって耐震補強工事が施され、昨年(平成25年)登録有形文化財となった。

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現役の県庁舎としては神奈川、愛知、静岡に続き4番目の文化財登録である。なお退役の庁舎では兵庫(兵庫県公館)、群馬(群馬県庁昭和庁舎)、鹿児島(鹿児島県政記念館)の3庁舎が登録されている。

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今回の記事を以て、現存する戦前の道府県庁舎のうち、弊ブログにて紹介していないのは残すところ2県(宮崎・鹿児島)となった。ここまでくると、両県とも制覇したいものである。

(平成29年1月8日追記)
旧和歌山県会議事堂は移築復元工事が完了、平成28年4月より一般公開されています。(弊ブログ紹介記事)また、記事本文における旧和歌山県会議事堂の竣工年は明治29年(1896)ではなく、明治31年(1898)の誤りでしたので、お詫び申し上げますと共に茲に訂正させて頂きます。

第795回・富山県庁舎

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昭和10年(1935)竣工の富山県庁舎は、戦前に建てられ、今も現役で使われている9府県庁舎の中のひとつである。

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昭和5年(1930)、火災によって焼失した旧富山県庁舎(明治33年竣工)・旧県会議事堂(同42年竣工)に代わる新たな県庁舎及び県会議事堂として建てられた。

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旧庁舎が焼失した昭和5年当時は、全国的に深刻な不況下にあったため再建は遅れ、同9年にようやく着工、翌年に竣工したものである。

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設計は、以前当ブログでも取り上げた帝国議会議事堂(国会議事堂)文部省庁舎大蔵省庁舎をはじめ多くの官公庁舎の設計を行った大蔵省営繕管財局による。

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当時大蔵省営繕管財局を率いていた工務部長の大熊喜邦(1877~1952)は上記の官公庁舎の他、神戸市垂水区の旧武藤山治邸洋館、明治村の旧内閣文庫本庁舎なども手掛けている。

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外壁は一階を花崗岩、二階より上階はクリーム色のタイル貼り仕上げとしている。

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中央部の窓下の飾りパネルや軒、玄関ポーチの庇部分などにテラコッタを用いている。

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庁舎の四隅は丸くしているのが富山県庁舎の特徴。全体的には非常に威圧的な造りである建物だが、丸い角の部分が少し印象を柔らかくしている。

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富山県庁舎は日の字型平面で、中庭が二つある。写真のアーチ型の門は正面車寄せの両脇にあり、中庭への通用口となっている。

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正面前庭の池越しに玄関車寄せを望む。

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同時期の他の府県庁舎と比べても、特に威圧的な印象を与える長い大階段を配した正面玄関。

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現在も現役で使われている戦前建築の府県庁舎は富山の他、大阪神奈川愛媛、宮崎、静岡、和歌山、愛知滋賀の各府県庁舎がある。

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次回は富山県庁舎の3年後に竣工、よく似ている外観の和歌山県庁舎を紹介予定。

第794回・よろづや松籟荘

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長野県下高井郡山ノ内町湯田中温泉にある、老舗旅館「よろづや」の別館「松籟荘」は、材料と意匠に粋を凝らした数寄屋風建築で、昭和14年(1939)に建てられた。戦後の昭和28年(1953)に建てられた浴場棟「桃山風呂」と共に、国の登録有形文化財となっている。

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湯田中の温泉街から望む松籟荘外観。以前当ブログにて紹介した渋温泉の老舗旅館「金具屋」は湯田中温泉と同じ山ノ内町にある。

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旅館内に展示されている、「桃山風呂」竣工から間もない頃の写真。手前の唐破風を備えた建物が桃山風呂で、背後に写っているのが松籟荘。なお手前の池は露天風呂で、豪壮な和風建築の唐破風を見ながら入る温泉は、建築好きには格別である。

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「よろづや」の別館「松籟荘」には、現代建築の本館を通り、建物内部に設けられた専用玄関から入る。

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「松籟荘」玄関内部。

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数寄屋風の凝った造作が、天井や建具など随所に見られる。

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玄関の一角には、囲炉裏を切った畳敷きの休憩場所が設けられている。

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火灯窓(花頭窓)の形をした開口部の上には円形窓がある。

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玄関から階段へ行く途中に設けられた床の間。天井は船底天井。

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円形やアーチ型の窓が目立つ二階の廊下。

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客室と廊下の間に設けられた窓のひとつ。
ハート型にも見えるが、「猪目(いのめ)」と呼ばれる日本の伝統的な模様である。

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「よろづや」は江戸時代、寛政年間の創業で約200年の歴史を有する老舗旅館である。昭和14年に本館に加え新館「松籟荘」を建てるが、時代は既に支那事変から大東亜戦争に続く戦時体制に入っていた。

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「よろづや」は東京からの学童疎開の受け入れ先となり、その後海軍病院の疎開先にもなった。新築間もない「松籟荘」には歌舞伎役者の十五代目市村羽左衛門(1874~1945)などの著名人が疎開、滞在した。写真は三階大広間入口。

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十五代目羽左衛門が芝居の稽古に励んだという三階大広間。写真の床の間の反対側が舞台になっている。羽左衛門は疎開中の昭和20年5月6日、「よろづや」で急逝する。

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現在も、十五代目羽左衛門終焉の地として「よろづや」を訪れる歌舞伎愛好家もいるという。なお、羽左衛門の逝去から程なく、歌舞伎座は5月25日の東京大空襲で灰燼に帰した。

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「松籟荘」の客室は、オーソドックスな造りの書院座敷である一般室と、床の間や建具などに意匠を凝らし、規模も大きい特別室が複数ある。

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写真は一般室の床の間。再訪の機会があれば次回はぜひ、羽左衛門が最期の日々を過ごしたという特別室に泊まりたい。

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客室から望む湯田中の温泉街。手前の屋根は桃山風呂。
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