第803回・旧神戸商業大学(神戸大学)校舎群 その2(附属図書館・兼松記念館)

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前回に続き、旧神戸商業大学の学舎群の紹介。今回は附属図書館、兼松記念館の2棟。六甲山麓の傾斜地を造成して設けられた旧神戸商大キャンパス内において、今回紹介の2棟は前回の本館・講堂より一段高い位置に並んで建っている。

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旧神戸商業大学附属図書館(現・神戸大学社会科学系図書館)。昭和8年(1933)の竣工で、本館に次いで古い建物である。設計は文部省営繕課、施工は大林組。

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現在の神戸大学附属図書館は分野別に分散しており、旧神戸商大附属図書館は社会科学系分野に特化した図書館となっているが、現在も同大学付属図書館の中心的な機能を担っている。

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正面玄関。

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正面玄関脇の、アールデコ調の装飾が施された飾り格子の入った窓と玄関燈。
窓の左側には、登録文化財であることを示す文化庁のプレートがある。

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玄関燈を拡大。

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本館・講堂・兼松記念館と同じく、意匠はロマネスク調で統一されている。

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附属図書館・兼松記念館の1階外壁は正方形のタイルを芋目地に貼っている。1階と2階で外壁のタイルを変えることで、本館・講堂とは少し壁面の仕上げを異なったものとしている。

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側面上部の外壁は緩やかな切妻になっている。

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創建当初の閲覧室内部。登録文化財になっている建物の前には、いずれも建物の来歴等が記載された解説版が設けられており、写真は解説版に掲げられていたもの。

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上の古写真にも写っている、閲覧室の3連アーチ窓。閲覧室の内部は現在も創建当初と変わらない形で残されている。

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閲覧室の背後に建つ、5階建ての書庫棟。

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附属図書館も東隣に建つ兼松記念館と共に近年大規模な改修工事が行われ、外装・内装共に美しく修復されている。

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兼松記念館(現・経済経営研究所)は、経済経営研究所の前身に当たる商業研究所(大正8年設立)の施設として、昭和9年(1934)に建てられた。

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今回紹介している4つの建物の中では、最もシンプルな外観の建物である。

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神戸の貿易商社・兼松商店(現・兼松)は、同社の創業30周年及び創業者である兼松房治郎(1845~1913)の七回忌に当たっての記念事業として、大正10年(1921)に研究施設の建物及び研究基金30万円を神戸高商に寄贈した。

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初代の兼松記念館に当たるこの建物は今日現存しないが、旧神戸商大の六甲山移転後、旧制神戸市立中学校本館として使われ、戦災で大破するも修復され、戦後も神戸市立葺合高校本館として長らく使われていた。

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2代目に当たる現在の兼松記念館の正面玄関車寄せにある扁額は、旧神戸高等商業学校の創立者で初代校長の水島銕也(1864~1928)の筆によるもので、初代兼松記念館から移設したものである。

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兼松商店にゆかりのある建物としては兼松記念館のほか、前回記事でも触れた東京商科大学(現一橋大学)の兼松講堂がある。また兼松商店の旧本社屋(現・海岸ビルヂング)も現存し、いずれも国の登録有形文化財である。

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玄関扉越しに望む玄関ホール及び階段室。2階にある記念室は折り上げ格天井のある、重厚な造りになっている。
(参考)神戸大学ホームページ(兼松記念館ほか登録文化財となっている建物の写真が見られる)

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なお、旧神戸商業大学の施設では今回紹介した4棟のほか、道場(昭和10年竣工、現・神戸大学武道場)も改修工事を施された上で平成24年、国の登録有形文化財となっている。
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第802回・旧神戸商業大学(神戸大学)校舎群 その1(本館・講堂)

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神戸市灘区六甲台町にある、神戸大学六甲台第1キャンパスの主要施設は、同大学の前身のひとつである旧神戸商業大学の学舎群を引き継いでいる。現在も本館をはじめとする主要な建物が現存、いずれも国の登録有形文化財となっている。これらの校舎群を2回に分けて取り上げたい。

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旧神戸商業大学時代からある石造の正門を入り、石段を登った先に最初に現れるのが、写真の本館(現六甲台本館)。旧神戸商大学舎群の中では最も早い昭和7年(1932)の竣工。

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旧神戸商業大学よりも少し早く建設された、東京・国立の旧東京商科大学(一橋大学)学舎群とはロマネスク調の意匠を採用している点で共通するが、旧神戸商大のほうが意匠はシンプルで、色調も明るい。

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なお旧東京商科大学(一橋大学)学舎群については、当ブログで以前2回に分けて紹介している。
その1 その2

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六甲台第1キャンパスは現在、法学部・経済学部・経営学部が使用している。

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同じく白系統の色のタイルを貼ったロマネスク調の建物で、以前取り上げた京都府警察部庁舎(現・京都府警本部)を連想させる外観である。

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旧東京商科大学校舎群と同じく、昭和初期の建造物では非常に多く見られるスクラッチタイルが壁面に貼られている。但し色調はスクラッチタイルでは最も一般的な茶色ではなく、先述のとおり黄色がかった白色である。

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照明器具も創建当初のものがよく残されている。

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神戸商業大学は、明治35年(1902)設立の神戸高等商業学校が昭和4年(1929)に大学に昇格したものである。東京商科大学(大正9年に大学へ昇格)に続く、第2の官立商科大学であった。

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校地は明治35年の神戸高商設立当初、現在の神戸市中央区野崎通にあったが、大学昇格にあたり現在地へ移転、今日現存する一連の施設群が整備された。

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本館をはじめとする一連の施設の設計は文部省営繕課による。

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裏側から見た本館。本館内部には大小の教室のほか、旧学長室、貴賓室などがある。

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本館背面、北東部にある大教室部分の外観。本館では最も大規模な部屋で、天井はステンドグラスを嵌め込んだ硝子天井になっている。

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戦時下には白亜の優美な外観が空襲時の恰好の目標になるとされ、防空対策として外壁をアスファルトで黒く塗りたくられた過去も持っている。

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本館西隣に建つ講堂(現・出光佐三記念六甲台講堂)。昭和10年(1935)竣工。

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正面の大きな5連アーチが印象的な外観。

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現在の名称は、平成21年に竣工した大規模な改修工事に際し、多額の費用を寄贈した出光興産の要望で、旧神戸高商OBでもある同社創業者の名を冠したことによる。

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正面上部の円形窓の飾り格子(グリル)は、長年に亘り失われたままであったが、改修に際し復元された。

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港湾都市の大学にふさわしく、船の総舵輪を連想させるデザインが施された玄関扉。

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改修に際しては、創建当初の姿へ修復・復元すると同時に、空調設備や音響・照明・映写設備等は大幅に更新、最新設備を備えたホールとして再生されているという。

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側面からみた講堂。

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背面からみた講堂。舞台の背面と思われる部分には窓がない。

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2階側面に穿たれた、2つの小さな円形窓がいい雰囲気。

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旧神戸商業大学の学舎群は平成15年(2003)、旧本館、講堂、附属図書館、兼松記念館の4棟が国の登録有形文化財となった。文化庁のホームページでは一連の建物紹介及び講堂修復の詳細が紹介されている。

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次回は旧附属図書館、兼松記念館を紹介予定。

第801回・滋野医院

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滋野医院は、和歌山県庁にも近い和歌山市真砂町に建つ大正時代の医院建築。建具なども含め非常によい状態で残されており、かつ今も現役の病院として使われている建物である。

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正面全景。鉄筋コンクリート造二階建の洋風建築である。

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写真奥、医院に隣接して建つ、モダンな外観の院長の住宅も戦前の建物。

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大正10年(1921)の竣工で、地方都市の鉄筋コンクリート建築としては極めて古い部類に属する。

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東京の「島藤」という建設業者の設計施工によるとされているが、昭和62年に戸田建設と合併した旧島藤建設工業のことであると思われる。

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正面の外壁、柱と窓枠以外の壁面には褐色のタイルを貼る。(現在はその上から化粧直しの塗装が施されている)全体的に装飾は少ないが、柱頭部分にはメダリオン飾りが見える。

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背面及び側面はコンクリートに塗装を施しただけのようである。なお、窓のサッシは、新しいサッシの下に古いスチールサッシを撤去せずにそのまま保存しているのか、それとも特注品なのか、細かく桟が割り付けられた珍しい建具である。

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大正建築らしいシンプルな装飾が、持ち送りなどに施された玄関庇。

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正面玄関の扉と欄間のステンドグラスは、創建当初から変わらないものと思われる。

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滋野医院は関西でも高名な皮膚科の医院であり、大正の洋館建築は今も現役で使われている。

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医院に隣接して建つ滋野邸。医院と同じく鉄筋コンクリート造と思われるモダンスタイルの邸宅で、昭和初期の建物と思われる。

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大正10年に自らの医院を鉄筋コンクリートで建てるところから、当時の院長は相当な新しいもの好きであったことが窺えるが、それを裏付けるような超モダンな外観の邸宅である。

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昭和初期の建築に多く見られる円形の窓が随所に見られる。

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外観のアクセントになっている円筒形に張り出した部分は、階段室と思われる。

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横長の大きな開口部を開けているところから見て、内部は日本座敷も備えているのかもしれない。

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医院と医師の自邸が共に近代建築で現存する例は、他に奈良県大和郡山市の杉山小児科(住宅と共に登録文化財)がある。

第800回・旧篠原家住宅

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旧篠原家住宅は、栃木県宇都宮市の中心街に現存する土蔵造の商家。明治28年(1895)の竣工で、主屋と隣接して建つ新蔵が国指定重要文化財、その裏に建つ文庫蔵・石蔵が宇都宮市指定文化財となっている。

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JR宇都宮駅のすぐ近く、市街地の真ん中に建つ旧篠原家住宅。

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昭和20年7月の宇都宮空襲では、京都の旧二条駅舎のモデルになったと考えられている宇都宮駅舎をはじめ、周辺一帯が焼き払われた中で、篠原家の主屋や蔵は奇蹟的に焼失を免れた。

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主屋に隣接する新蔵。石塀も国指定重要文化財である。

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空襲の直後には、焼け残ったこの家の前で罹災者への炊き出しが行われたという。

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明治28年に上棟した現在の主屋は、良質の材木を用いて当時の金で3万円を投じ建てられたという。昭和39年に前面の道路拡幅のため、後方に約7メートル曳家されている。

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篠原家は江戸時代から奥州街道口に当たる現在地にて、醤油醸造や肥料商を営む商家であると共に、周辺に広大な土地を有する大地主でもあった。

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展示されている、昭和20年の戦災前の篠原家の建物配置を再現した模型。現存する主屋と蔵3棟(写真左下)のほか、醤油醸造蔵や米蔵、納屋などが背後に建ち並んでいたが、これらは全て戦災で失われた。

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かつて醤油の量り売りをしていた帳場。豪壮な大黒柱と梁がみどころ。

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非常に堅牢な造りで、東日本大震災に際しても被害は軽微であったという。

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裏庭から望む主屋。

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主屋側面。

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主屋側面外壁の下半分は当地特産の大谷石貼り仕上げとなっており、地方色をよく現している。

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帳場の奥にある茶の間から裏庭を望む。

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茶の間の箱階段。

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二階の客間。二階には床の間を備えた座敷は大小2つあり、小さい方が客間として使われていた。

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20畳分の広さがある二階大広間。婚礼や儀式の場に使われていた。

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大広間の床柱は極太の欅の角材で、一階帳場と茶の間の境にある大黒柱がそのまま床柱となっている。

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篠原家では昭和5年(1930)頃に初めて電気が通り、そのとき取り付けられた照明器具が現存している。

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硝子戸が入れられた二階縁側。

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二階縁側から文庫蔵・石蔵を望む。両方とも江戸時代末期に建てられた。屋根の一部は大谷石の瓦で葺かれている。

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旧篠原家住宅は現在宇都宮市の所有で、一般公開されている。

第799回・旧忍貯金銀行本店(武蔵野銀行行田支店)

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埼玉県行田市にある武蔵野銀行行田支店の建物は、元々は忍貯金銀行の店舗として昭和9年(1934)に建てられた。行田市では数少ない近代洋風建築である。国登録有形文化財。

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南東から見た外観。東側に増築されたATMコーナーの外壁も、色調を合わせたタイルで仕上げられている。

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行田は冬場になると北西から強い風が吹き付けるため、窓や開口部は正面玄関のある南側及び写真の東側に集約し、西側は極端に窓が少ない造りになっている。

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行田では江戸時代以降、足袋製造が地場産業として栄えたことから、足袋を収納するための土蔵が今も数多く現存するが、近代洋風建築は非常に珍しい存在である。

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忍(おし)貯金銀行は明治30年(1897)創立の金融機関で、昭和19年(1944)に埼玉銀行(現埼玉りそな銀行)に合併された。(参考:銀行変遷史データベース

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建物は忍貯金銀行が埼玉銀行に合併された昭和19年に、行田足袋元売販売(株)へ売却される。

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戦後は足袋会館としての使用を経て昭和44年より現在の武蔵野銀行の所有となり、再び金融機関の店舗として使われ現在に至る。

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壁面には黄土色のスクラッチタイルを貼り、開口部廻りやコーニス(軒蛇腹)などに緻密な装飾を施している。

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腰壁上部の装飾。

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円形のレリーフ飾り。

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正面中央、コーニスの装飾。

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なお当ブログでは、埼玉県下で登録文化財となっている戦前の銀行建築としてこの旧忍貯金銀行のほか、川越の旧八十五銀行旧武州銀行、さいたま市の旧中井銀行、秩父の旧武毛銀行の各店舗を紹介している。

第798回・旧荒川大橋

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埼玉県熊谷市、荒川に架かる荒川大橋の旧橋の一部が保存されている。
旧橋は大正14年(1925)竣工、昭和56年(1981)撤去。

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かつては壮大な九連トラス橋であったが、保存されているのはその片方のごく一部である。

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現在の荒川大橋の南東、橋の袂に移設・保存されている。

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近くに置かれていた解説版の古写真。

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照明灯は架橋当初から残されていたものではなく、移設に際し復元されたもののようである。

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明治村に一部が移設されている旧隅田川新大橋(明治45年)と同様、橋銘板の周辺などに装飾を施している。

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木製で架けられていた旧橋が大正3年、洪水により一部流失したのを受け、翌大正4年に起工、10年の歳月をかけて架橋された。

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昭和55年に現在の橋が完成、翌年に旧橋は撤去、現在は残された一部分だけが往年の面影を辛うじて残している。

第797回・新佐賀橋

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埼玉県鴻巣市(旧吹上町)の元荒川に架かる新佐賀橋は、昭和8年(1933)に架けられたコンクリート製の橋。欄干には大阪の心斎橋を思わせる装飾が施されている。土木学会選奨土木遺産。

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JR吹上駅に近い、閑静な住宅街の中を流れる元荒川。両岸には桜の木が植えられ、花時は見ものと思われる。
奥に写るのが新佐賀橋。

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下から見上げた新佐賀橋全景。アーチと路面の間に材料が隙間なく敷き詰められていない、開腹式アーチ構造の橋である。(反対に材料が隙間なく敷き詰められているものを充腹式アーチ構造という)

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欄干のみならず、アーチ部分にも装飾が施されている。ここから近い行田市にあった、陸軍の演習場の視察に訪れる皇族方に利用されるため、装飾的な造りになったと言われている。

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路面からみた新佐賀橋全景。

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親柱のブロンズ製銘版には、「新佐賀橋 昭和八年六月竣功」(原文は右書き)とある。

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欄干には、クローバーの葉のような十字型の透かし彫りが施されている。

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以前当ブログで紹介した大阪の旧心斎橋(明治42年架橋の石橋。現在は親柱と照明、欄干の一部のみ現存)の欄干に似ているが、関連の有無は不明である。

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水道管だろうか、両側とも真横を走る太いパイプがアーチを隠しているのが惜しい。

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平成25年(2012)、(公財)土木学会より選奨土木遺産に認定される。
現在では地元のランドマークとして親しまれているようだ。

第796回・和歌山県庁舎

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前回取り上げた富山県庁舎と酷似した外観をもつ和歌山県庁舎は、昭和13年(1938)の竣工。国登録有形文化財。

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現在の庁舎は3代目に当たる。明治22年(1889)竣工、木造2階建て洋風建築の2代目庁舎が、築後半世紀近くを経て老朽化が進んだため、現在地に県会議事堂と共に移転・新築されたものである。

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なお、2代目庁舎より少し遅れて明治31年(1898)に建てられた旧和歌山県会議事堂は、県会議事堂も併設された現庁舎の竣工後、他所に移築され現存する。和歌山県指定文化財となっているが、現在は移築のため解体保存中。

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富山県庁舎に比べると、正面がより長大なのが特徴。富山県庁舎が日の字型平面であるのに対し、和歌山県庁舎は山の字型平面となっている。(現在は背面が増築され日の字型平面となっている)

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意匠設計を手掛けた和歌山県技師の増田八郎は、富山県庁舎の実施設計に従事していた人物で、和歌山県庁舎建設のため和歌山県に招かれた。富山県庁舎と意匠が酷似している所以である。

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最上階の窓をアーチ型にし、装飾的なテラコッタ製の軒を廻す点や、建物のコーナー部分を丸くしないところは富山と異なる。

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正面の玄関車寄せ。大階段は一部が玄関内部に取り込まれているため、富山に比べると奥行が浅い。

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中央正面の窓下に配されたテラコッタ製の装飾パネル。

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車寄せ入口から玄関を望む。上の中央部分の装飾などと共に、前回記事の富山県庁舎と比較して、微妙な意匠上の差異を探してみられるのも面白いと思う。

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昭和20年の和歌山大空襲に際し、和歌山市内では焼失を免れた数少ない建物となった。

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近年になり、和歌山県庁舎本館は数少ない近代建築物として保存されることとなって耐震補強工事が施され、昨年(平成25年)登録有形文化財となった。

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現役の県庁舎としては神奈川、愛知、静岡に続き4番目の文化財登録である。なお退役の庁舎では兵庫(兵庫県公館)、群馬(群馬県庁昭和庁舎)、鹿児島(鹿児島県政記念館)の3庁舎が登録されている。

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今回の記事を以て、現存する戦前の道府県庁舎のうち、弊ブログにて紹介していないのは残すところ2県(宮崎・鹿児島)となった。ここまでくると、両県とも制覇したいものである。

(平成29年1月8日追記)
旧和歌山県会議事堂は移築復元工事が完了、平成28年4月より一般公開されています。(弊ブログ紹介記事)また、記事本文における旧和歌山県会議事堂の竣工年は明治29年(1896)ではなく、明治31年(1898)の誤りでしたので、お詫び申し上げますと共に茲に訂正させて頂きます。

第795回・富山県庁舎

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昭和10年(1935)竣工の富山県庁舎は、戦前に建てられ、今も現役で使われている9府県庁舎の中のひとつである。

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昭和5年(1930)、火災によって焼失した旧富山県庁舎(明治33年竣工)・旧県会議事堂(同42年竣工)に代わる新たな県庁舎及び県会議事堂として建てられた。

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旧庁舎が焼失した昭和5年当時は、全国的に深刻な不況下にあったため再建は遅れ、同9年にようやく着工、翌年に竣工したものである。

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設計は、以前当ブログでも取り上げた帝国議会議事堂(国会議事堂)文部省庁舎大蔵省庁舎をはじめ多くの官公庁舎の設計を行った大蔵省営繕管財局による。

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当時大蔵省営繕管財局を率いていた工務部長の大熊喜邦(1877~1952)は上記の官公庁舎の他、神戸市垂水区の旧武藤山治邸洋館、明治村の旧内閣文庫本庁舎なども手掛けている。

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外壁は一階を花崗岩、二階より上階はクリーム色のタイル貼り仕上げとしている。

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中央部の窓下の飾りパネルや軒、玄関ポーチの庇部分などにテラコッタを用いている。

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庁舎の四隅は丸くしているのが富山県庁舎の特徴。全体的には非常に威圧的な造りである建物だが、丸い角の部分が少し印象を柔らかくしている。

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富山県庁舎は日の字型平面で、中庭が二つある。写真のアーチ型の門は正面車寄せの両脇にあり、中庭への通用口となっている。

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正面前庭の池越しに玄関車寄せを望む。

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同時期の他の府県庁舎と比べても、特に威圧的な印象を与える長い大階段を配した正面玄関。

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現在も現役で使われている戦前建築の府県庁舎は富山の他、大阪神奈川愛媛、宮崎、静岡、和歌山、愛知滋賀の各府県庁舎がある。

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次回は富山県庁舎の3年後に竣工、よく似ている外観の和歌山県庁舎を紹介予定。

第794回・よろづや松籟荘

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長野県下高井郡山ノ内町湯田中温泉にある、老舗旅館「よろづや」の別館「松籟荘」は、材料と意匠に粋を凝らした数寄屋風建築で、昭和14年(1939)に建てられた。戦後の昭和28年(1953)に建てられた浴場棟「桃山風呂」と共に、国の登録有形文化財となっている。

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湯田中の温泉街から望む松籟荘外観。以前当ブログにて紹介した渋温泉の老舗旅館「金具屋」は湯田中温泉と同じ山ノ内町にある。

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旅館内に展示されている、「桃山風呂」竣工から間もない頃の写真。手前の唐破風を備えた建物が桃山風呂で、背後に写っているのが松籟荘。なお手前の池は露天風呂で、豪壮な和風建築の唐破風を見ながら入る温泉は、建築好きには格別である。

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「よろづや」の別館「松籟荘」には、現代建築の本館を通り、建物内部に設けられた専用玄関から入る。

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「松籟荘」玄関内部。

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数寄屋風の凝った造作が、天井や建具など随所に見られる。

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玄関の一角には、囲炉裏を切った畳敷きの休憩場所が設けられている。

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火灯窓(花頭窓)の形をした開口部の上には円形窓がある。

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玄関から階段へ行く途中に設けられた床の間。天井は船底天井。

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円形やアーチ型の窓が目立つ二階の廊下。

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客室と廊下の間に設けられた窓のひとつ。
ハート型にも見えるが、「猪目(いのめ)」と呼ばれる日本の伝統的な模様である。

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「よろづや」は江戸時代、寛政年間の創業で約200年の歴史を有する老舗旅館である。昭和14年に本館に加え新館「松籟荘」を建てるが、時代は既に支那事変から大東亜戦争に続く戦時体制に入っていた。

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「よろづや」は東京からの学童疎開の受け入れ先となり、その後海軍病院の疎開先にもなった。新築間もない「松籟荘」には歌舞伎役者の十五代目市村羽左衛門(1874~1945)などの著名人が疎開、滞在した。写真は三階大広間入口。

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十五代目羽左衛門が芝居の稽古に励んだという三階大広間。写真の床の間の反対側が舞台になっている。羽左衛門は疎開中の昭和20年5月6日、「よろづや」で急逝する。

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現在も、十五代目羽左衛門終焉の地として「よろづや」を訪れる歌舞伎愛好家もいるという。なお、羽左衛門の逝去から程なく、歌舞伎座は5月25日の東京大空襲で灰燼に帰した。

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「松籟荘」の客室は、オーソドックスな造りの書院座敷である一般室と、床の間や建具などに意匠を凝らし、規模も大きい特別室が複数ある。

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写真は一般室の床の間。再訪の機会があれば次回はぜひ、羽左衛門が最期の日々を過ごしたという特別室に泊まりたい。

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客室から望む湯田中の温泉街。手前の屋根は桃山風呂。

第793回・旧喜連川興業銀行本店

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栃木県さくら市喜連川(旧喜連川町)にある洋風建築は、大正2年(1913)に設立された喜連川興業銀行の本店として建てられた。現在は旧喜連川町一帯の観光案内や休憩所、特産物販売などの場として活用が図られている。

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当ブログではいつも利用させて頂いている「銀行変遷史データベース」によると、(株)喜連川興業銀行は、明治33年(1900)に設立された(株)南摩興業銀行が、大正2年(1913)に改称し発足した地場の小規模な銀行であったようである。

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但し喜連川興業銀行は短命で、発足8年後の大正10年(1921)には他の栃木県下の銀行との合併により、(株)下野実業銀行に引き継がれるが、昭和10年(1935)には銀行業務廃止、業種替え後の後継会社も後年解散している。

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現存する建物は喜連川興業銀行の本店として建てられたというから、大正2~10年(1913~21)の間に建てられたものと考えられる。側面には大正期の建造物に多く見られる、淡いピンク色の化粧煉瓦が貼られている。

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正面上部にはかつて銀行名と思われる文字が刻まれていた痕跡が残るが、「株式会社 喜連川興業銀行 本店」では字数が合わない。但し合併後の名称であれば、「株式会社 下野実業銀行 喜連川支店」で、字数も合う。

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モルタルか人造石細工による柱頭飾りやレリーフなどで外壁を飾るが、他ではあまり見られない独特の意匠。

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現在は特異な外観も相まって、旧喜連川町の広報施設としては格好の役割を果たしている。

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側面にある、かつて通用口があったと思われる場所。現在は壁で塞がれているが、庇や門燈からかつては開口部であったことは間違いない。

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街路に面した旧店舗の奥には、大谷石造りの蔵もある。

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銀行の蔵としては規模が大きいが、担保物の保管用に建てられたのだろうか。

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群馬や埼玉など養蚕業が盛んであった地域の銀行では、担保に預かった生糸を保管するための蔵を持っていたが、ここではどのような用途でこの石蔵が建てられたのかは分からない。

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木造の庇部分も昔の電気配線が残されているなど、創建当初からのものなのか、相当古いものである。

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庇の柱には「政府専用倉庫」のホーロー看板がある。

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一目見ると強い印象を与える独特な外観の建物で、今後より詳しい来歴が明らかになることが期待される建物である。

第792回・旧済生館本館

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山形市の霞城公園内に保存されている旧済生館本館は、明治11年(1878)に山形県立病院(現・山形市立病院済生館)の本館棟として建てられた。昭和44年(1969)に現在地へ移築、復元され、現在は山形市郷土館として保存公開されている。国指定重要文化財。

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遠景。現在は霞城公園の木立の中に佇んでいるが、移築前は山形市役所や旧山形県庁(現・文翔館)にも近い、市街地中心部の七日町にあった。

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済生館は、山形の近代化を強力に推し進めた初代山形県令・三島通庸(1835~1888)の構想に基づき、明治6年に現在の天童市に設立された私立病院を公立病院として引き継ぐと同時に山形に移転、翌明治7年に開院した。

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済生館では診療を行うと同時に医学校も併設され、東北では最も早く西洋医学が取り入れられたという。

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建物は円形の平面に、正面中央には三層構造の楼閣を設ける独特の形態を取る。円形の平面は当時横浜にあった英国の海軍病院を参考にしたとされるが、特徴的な楼閣は同病院にはなく、済生館のオリジナルである。

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施工は、三島通庸の政策を土木・建築技術面から支える片腕的な存在であった原口祐之(1823~1896)が棟梁として工事に当たった。設計者としては筒井明俊という人物の名が残されているが、建築に多大な関心を持っていた三島通庸の意向も色濃く反映されているとされている。

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「済生館」の名称は、当時太政大臣であった三条実美(1837~1891)が、三島に病院に掲げる扁額の揮毫を請われて、命を救う、という意味で「済生館」と題したことによる。

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戦時中に三層目が防空対策として撤去された他、様々な増改築を施されながらも70年以上山形の医療の中心として使われ続けたが、老朽が目立ち始めた昭和30年代末から改築が検討されるようになる。

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昭和41年、移築を前提に重要文化財に指定、3年後に現在地への移築復元工事が竣工する。移築に際しては戦時中に撤去されていた最上階や建物後半部が復元され、青色に塗られていた外壁も創建当初の色彩に戻された。

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玄関ホールには、中空を横切る形で上階への階段が置かれている。

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正面玄関を始めとするアーチ形の欄間には、色硝子を嵌め込んでいる。

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内部には中庭があり、それに面して吹き放ちの回廊を廻す。

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ドーナツ状の形をした一階部分は、移築直前には三層楼側の一部を除いて既に失われていたため、移築に際し復元された。写真の部分は三層楼側なので、明治期から残されている部分である。

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中庭から三層楼を見上げる。三層楼の最上階部分は戦時下に空襲の目標にされることを恐れて一時撤去、部材は後日再建できるように保管されていたが、敗戦後の混乱で結局は散逸してしまい、三層楼が元の姿に戻ったのは移築後のことであった。

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中庭に面した3連アーチの開口部。手前の扉が上階への階段入口となっている。

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階段。親柱も手摺子と同じような形をしている。

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階段の途中から中庭側を望む。

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階段から正面玄関を見下ろす。

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建物の形状から、階段は何度も折れ曲がった複雑な形になっている。

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二層目から先は螺旋階段になっている。残念ながら螺旋階段は立ち入り禁止になっており、登ることはできない。

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螺旋階段はケヤキの木を使った見事なものである。

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二層目の窓。三層目へ行く途中にある中三階には星形の色硝子を嵌め込んだ小部屋があるが、螺旋階段の先にあるため非公開。

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旧済生館本館は、長野県松本市の旧開智学校や、奈良県生駒市の宝山寺獅子閣などと並ぶ、明治初期の擬洋風建築の傑作である。

第791回・郭家住宅(旧郭百甫医院)

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和歌山市今福にある、明治維新まで代々紀州藩の御典医であった郭家の住居。明治初期に建てられた擬洋風建築の洋館など、邸内の主要な建物が国の登録有形文化財となっている。

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和歌山市今福はこれまで紹介した旧松井伊助邸島村家住宅のある堀止にも近く、戦災で焼け残った街並みが散見できる区域である。

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街路に面した石塀の先には、正面に二層のベランダを張り出した洋館と白壁の土蔵が見える。またベランダの奥には半円アーチの欄間が見える。

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郭家は明治維新後開業医に転じ、洋館は明治6年(1873)頃に当時の当主・郭百甫(ひゃくすけ)氏によって建てられた。神戸や大阪の居留地、及びその周辺に建っていた西洋館を模して建てられたと考えられている。

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幕末から大正期までに建てられた7件(洋館、診察棟、主屋、離れ、土蔵、石塀、外便所)が国の登録有形文化財となっている。

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洋館と土蔵のみが門を備えた石塀越しに、街路から見ることができる。

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郭家の手本となったと思われる、神戸や大阪の明治初期の西洋館は現在、旧神戸居留地十五番館旧造幣寮泉布観など一部を除いてほぼ消滅しており、郭家の洋館は明治初期の西洋館の一類型として貴重な遺構となっている。

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郭家は洋館の他、御典医の屋敷構えを偲ばせる診察棟や主屋、土蔵も残されている点でも貴重な文化遺産と言える。

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また、和歌山特産の緑泥片岩を積み上げた石塀と門が風情ある景観を形作っている。

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青緑の色彩が特徴の緑泥片岩は、和歌山市やその周辺で塀や建物の腰壁に使われているほか、庭石にも使われている。以前紹介した旧中原嘉吉邸では土蔵の腰壁などに同じような石材が用いられているほか、旧松井伊助邸や紀州徳川家別邸である養翠園では庭石に用いられている。

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郭家の周辺でも、緑泥片岩を用いた古い家が点在している。

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これは緑泥片岩ではないが、平瓦を斜めに積み上げた風情ある土塀。上の写真の家と同じく郭家の近所にある。

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周辺環境と併せて後世に残したい建物群である。

(郭家の近くにある登録文化財の町家)
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郭家住宅と島村家住宅の中間点ぐらいの場所にある、和歌山市堀止西の三尾家住宅。天保期に建てられ、和歌山市内では極めて希少な江戸時代創建の町家である。主屋と土蔵が国登録有形文化財となっている。

第790回・旧亀岡家住宅

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旧亀岡家住宅は、明治30年(1897)頃に福島県の伊達崎村(現伊達郡桑折町)に建てられた、擬洋風建築の民家である。現在は主屋部分が伊達市保原町に移築され、同市の歴史文化資料館の施設として公開されている。

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館内に展示されている、桑折町にあった当時の写真。現存する主屋のほかにも、煉瓦造の塀や門、複数の土蔵や蚕屋などの付属施設もひととおり残されていた。

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歴史文化資料館と旧亀岡家住宅は、保原総合公園の一角にある。

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旧亀岡家住宅主屋の正面全景。
右側の土蔵風の外観の建物は歴史文化資料館。

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背面からみた旧亀岡家住宅主屋。主屋は二階建の座敷棟と平屋建の居住棟から構成されている。当初、主屋以外の建物も併せて保存が模索されたが、諸事情から結局主屋のみが現在地に移築されることになった。

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外壁は小さく切った銅版を張り、柱や建具はペンキ塗りで仕上げた擬洋風の外観が特徴。

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座敷棟の屋根中央には煉瓦積の煙突が見られるが、既存の洋風建築を見よう見真似で造ったせいなのか、煙突としての機能は持たない、見せかけだけのものである。

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正面玄関の上部には八角形平面・三層の展望塔が張り出している。

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正面玄関と内玄関。

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玄関内部。擬洋風の外観とは対照的に、内部は一部を除き伝統的な和風の造りになっている。

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館内で唯一の洋室である主人書斎。
天井は垂木を放射状に配して中央部分を一段折り上げた、湯殿のような造り。

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手すりが洋風に造られた廻り階段。

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二階の書院座敷。
亀岡邸の座敷棟は戦後、結婚式場などに使われていたこともあった。

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床脇や書院窓などに意匠を凝らした二階座敷。

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同上、書院窓。

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サンルームのような趣の展望塔二階部分。三階への廻り階段がある。
なお三階は非公開。

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廻り階段の側面には、木の自然の形状を活かした柿の彫り物がある。

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一階居住棟、主人居間。折り上げ格天井や欄間の彫刻など、凝った造りの部屋となっているが書院造の部屋で構成される座敷棟と異なり、民家らしく囲炉裏や神棚を備える。

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主人居間から隣室を見る。

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この館を建てた亀岡家の当主・亀岡正元は、豪農であると同時に郡会議員もしていた名士であるという。

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居住棟も建具や欄間に凝った造形が見られる。

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居住棟の書院窓の下には亀がいる。

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土間に面した囲炉裏の間。

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屋内に設けられていた井戸の跡。釣瓶などがそのまま移築されている。

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土間への通用口がある居住棟の外観。

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平成8年に、福島県の重要文化財に指定されている。

第789回・旧高岡市水道局配水塔(清水町配水塔資料館)

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富山県高岡市清水町にある清水町配水塔資料館は、昭和6年(1931)に竣工した旧配水塔を保存、公開している施設である。旧配水塔のほか旧配水池、旧第3源井上屋の3棟が国の登録有形文化財になっている。

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旧配水塔は、平成8年に発足した国による登録有形文化財制度の、富山県における認定第1号である。

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現在は清水町水道公園として整備されているこの場所は、高岡市における近代水道の発祥の地であり、旧配水塔は昭和33年まで使われていた。

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平成5年には旧配水塔の1階内部を改装、給水開始当時の工事写真や装置などを展示・公開している。

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旧配水塔より1年遅れて登録文化財になった旧配水池。大規模な半地下式の貯水槽で、現在も地震など災害時には応急給水ができるようになっている。扁額は元首相・犬養毅(1855~1932)の書。

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地下水をくみ上げていた源井の上に建っている、旧第3源井上屋。旧配水池と同じく平成9年に文化財に登録。

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旧配水塔の正面に飾られた「恵澤萬年」と刻まれた扁額。これも犬養毅の揮毫。
犬養毅は配水塔が竣工、給水を開始した昭和6年12月に首相に就任、翌年に五・一五事件で暗殺される。

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配水塔の表面はコンクリート打ち放しで、型枠の木目も見える。

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石で縁取られた入口のアーチ。

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公開されている旧配水塔1階内部。

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水道施設の中でも、特に配水塔には茨城県水戸市の旧配水塔など個性的な外観を有するものが多い。高岡市の旧配水塔もそのひとつであり、その特異な外観から市民に親しまれている。

第788回・菅野家住宅

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国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、富山県高岡市の山町筋に面して建つ菅野家住宅は、明治33年(1900)以降に建てられた土蔵造の商家。煉瓦造の防火塀など、洋風の要素も見られる近代和風建築である。国指定重要文化財。

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現役の住居であるが、菅野家の計らいにより主屋一階の客座敷などは常時公開されている。

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菅野家は明治以降、北海道との商取引などで財を築いた商家である。銀行や電燈会社を設立したほか政界にも進出、高岡でも屈指の有力者となった。

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市街地中心部を焼き払った明治33年の高岡大火で家屋を焼失するも、火災後直ちに再建されたのが現在残る建物である。当時の金で10万円が建設費用に充てられたという。

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屋根には雷紋を施した箱棟を載せ、上には雪割と称される瓦を置き、両端には鯱を据える。

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源氏香の図をあしらった高塀が主屋の脇に立てられている。

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内玄関と思われる主屋脇の入口。

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両脇には洋風の石柱と、釉薬をかけた煉瓦を積み上げた高い防火塀を立てる。

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深く張り出した一階庇を支える鋳鉄柱や、白漆喰の天井にも洋風の造りがみられる。

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かつてはランプを吊り下げていたと思われる台座と、その飾り。

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主屋玄関。内部見学はここから入る。

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一階座敷。また隣接する仏間には、見事な細工を施した仏壇が置かれ、公開されている。

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高岡は富山県に位置するが、文化的には西隣の石川県の影響が強いと思われ、座敷や縁側の土壁は加賀風の鮮やかな朱色で仕上げられている。

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裏庭。
土蔵の前にある握り拳のような形の庭石は、その形から運を摑む石として縁起物とされているそうだ。

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左手前の梅の古木は、明治33年の大火で唯一焼け残ったものだとか。

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菅野家では古い屋敷を保存・公開しつつ、一部内部を現代的に改装して住まわれているようである。
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