第813回・一誠堂書店

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古書の街として知られる東京・神田神保町の一誠堂書店は、創業百年を超える老舗で多くの著名作家にも利用されてきた古書店界の名門。店舗の建物も、昭和6年(1931)竣工の歴史ある佇まいである。

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関東大震災による大火では、神田神保町の古書店街は一誠堂書店も含め軒並み焼失した。その前にも一度火災で店舗を失ったことのある同店は、耐火性を重視した鉄筋コンクリート造で店舗を再建した。

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一誠堂書店の創業は明治36年(1903)で、創業3年後の明治39年には新潟の長岡から神田に移転、昭和11年には合名会社一誠堂書店となり、現在に至る。

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志賀直哉、川端康成、井上靖、三島由紀夫、松本清張など、著名作家にも多く利用された古書店としても知られる。

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神田神保町の古書店街でも店舗の造りの立派さは際立っており、戦前から高い格式と信用を有する古書店であったことが窺える。

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店頭の欄間にはステンドグラスが嵌め込まれている。

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壁面の石材を固定するボルトを装飾的に露出させるのは、初期の近代主義建築家であるウィーンのオットー・ワーグナーの建築作品の影響を受けているものと思われる。

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正面右手に取り付けられた旗立ての金具には「国旗掲揚器」の文字がある。旭日と五輪マークがあしらわれているところをみると、幻に終わった昭和15年(1940)の東京五輪誘致が決定した昭和11年以降に取り付けられたものと思われる。

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正面外壁上部の装飾。

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店舗自体が文化財級の建物という古書店は、神田神保町でも極めて珍しい存在である。

(参考)一誠堂書店ホームページ 沿革と概要
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第812回・日証館(旧東京株式取引所貸ビルディング)

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東京・兜町にある日証館は、日本の近代資本主義を造り上げた実業家・澁澤榮一(1840~1931)の邸宅跡に、東京証券取引所の前身である東京株式取引所の貸事務所棟として昭和3年(1928)に建てられた。ほぼ同時期に建てられた同取引所の市場館は今はなく、現在兜町界隈に残されている数少ない戦前の建物である。

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東京証券取引所(写真左手の建物)と日証館。彫像で飾り立てられた巨大な円筒形を正面に配した姿が印象的な旧東京株式取引所市場館は、すでに30年以上前の昭和57年(1982)に姿を消した。(ウィキペディア「東京証券取引所」の項に旧東京株式取引所の画像がある)

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日本橋で生まれ育った文豪・谷崎潤一郎(1886~1965)が、自らの回想で「上流の兜町の岸にある澁澤邸のお伽噺のやうな建物を、いつも不思議な心持で飽かず見入つたものであつた」(『幼少時代』)と記した旧澁澤邸は、現在の日証館の位置に辰野金吾の設計で、明治21年(1888)に建てられた。

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谷崎が「ヴエニス風の廊や柱のあるゴシツク式の殿堂」と表現した旧澁澤邸は大正12年の関東大震災で焼失、跡地に現在の日証館が建てられる。写真は上記澁澤邸と同じく日本橋川からの眺め。現在は川の上を首都高速の高架が横切っているため、写真のような構図はもはや得られない筈である。

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日証館の設計は旧市場館と共に、事業家や陶磁器収集家としても高名な横河民輔(1864~1945)が率いる横河工務所が担当した。横河工務所は以前当ブログで取り上げた三越本店日本工業倶楽部等の設計も行っている。なお施工は清水組(現清水建設)による。

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なお、上記で紹介した古写真2点(旧澁澤邸・創建時の日証館)は、すぐ近くにあるみずほ銀行兜町支店(旧第一国立銀行本店跡、銀行発祥の地とされている)外壁の展示パネルにあるものを撮ったものである。日証館を所有・管理する平和不動産(株)のホームページでも紹介されている。

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日本橋川に面した側は6階建だが、証券取引所に面した正面側は4階建てとし、少しセットバックした形で5・6階を配している。現在は更にその上に7階部分が増築されている。

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一階の外壁は石積みを強調したデザインとする。

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日証館の隣地には、明治11年(1878)の東京株式取引所設置に際し、取引所関係者の信仰の象徴及び鎮守として造営されたという兜神社がある。(写真手前に玉垣の一部が写っている)

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1階の開口部は中央に設けられた中央玄関を除き、各テナントへ直接出入りするように造られている。

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中央玄関から上を見上げる。
比較的簡素な外観に対し、玄関内部は梁や天井に漆喰装飾が施された華麗なものになっている。

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築85年を超える建物であるが、歴史ある外観や主要な内部の意匠は極力残しながら、耐震補強や諸々の設備更新が施されている。

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歴史的建築の継続的な利用という点のみならず、省エネや防災を重視した、時代に応じた改修工事は高く評価されているようである。
(参考)日本政策投資銀行ホームページ

第811回・旧金森洋物店(市立函館博物館郷土資料館)

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函館市末広町にある、市立函館博物館郷土資料館の建物は、明治13年(1880)に建てられた、和洋折衷の煉瓦造の商家。現在は改装の上資料館として公開されている。北海道指定有形文化財。

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電車通りに面した正面。
当初は、舶来(輸入品)の小間物、雑貨品を販売を行う商家であった。

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屋根上には米俵を3つ重ねたような形の瓦が置かれている。

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和風の漆喰壁に日本瓦で葺かれた屋根に対し、1・2階の正面にはアーチを3つ連ねた和洋折衷の外観が特徴。

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明治11年・12年(1878,1879)の大火を受け、開拓使は燃えにくい造りの家屋建設を奨励した。それを受け、金森洋物店主であった渡辺熊四郎が開拓使が製造した煉瓦を用いて、明治13年(1880)に新しい店舗を完成させた。

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洋風の装飾が施された、鋳鉄製と思われる方杖。

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外観は平成10年(1998)から行われた修復により、明治13年の創建当初の姿に最大限近づけられたものになっている。

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明治40年(1907)の大火では、末広町界隈では周辺の家屋が焼失した中、金森洋物店だけが焼け残ったという。

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昭和38年(1963)に北海道指定有形文化財に指定されている。

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函館に残る数少ない明治初期の商家建築である。

第810回・横浜銀行協会(旧横浜銀行集会所)

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横浜市中区本町に建つ横浜銀行協会の建物は、同会の前身である横浜銀行集会所として、昭和11年(1936)に建てられた。四代目に当たる現在の建物は、内外装の随所に1930年代の流行であるアール・デコの装飾が施されたモダンな建物である。

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本町通りは横浜の金融街で、戦前から金融関係の建物が多く建ち並んでいた。現在も横浜銀行協会のほか、旧第一銀行旧三井銀行旧安田銀行の3棟が本町通りに面して健在である。

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なお、先代(三代目)の建物は、日本最初の鉄筋コンクリート造の事務所ビルとされる旧三井物産横浜支店などの設計で知られる遠藤於菟(1865~1943)の設計で、明治38年(1905)に竣工した煉瓦造洋館であったが、大正12年(1923)の関東大震災で失われた。(参考)日本建築学会ホームページ

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再建された四代目の設計は、当時大蔵省営繕管財局工務部長で、同じ昭和11年に竣工した旧帝国議会議事堂(国会議事堂)建設事業を進めた大熊喜邦と、大熊の娘婿である林豪蔵による。施工は清水組(現・清水建設)。

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再建費用の大半は、当時横浜に本店を置き、世界三大為替銀行のひとつにも数えられたといわれる横浜正金銀行(現在は東京銀行を経て東京三菱UFJ銀行)が拠出したという。

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第二次大戦敗戦後は米軍に接収され、将校クラブとして使われる。その後接収解除、接収時に荒らされた箇所の改修工事をを経て昭和28年に再開、このとき現在の横浜銀行協会に名称を改めている。

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なお4階部分は戦後の増築であり、当初は3階建であった。

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三代目が19世紀末~20世紀初頭の最先端デザインであったアール・ヌーボーを取り入れていたのに対し、四代目は1930年代の最先端デザインであったアール・デコの装飾を建物の内外装に施している。

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アール・デコ意匠の建物としては東京の旧朝香宮邸(昭和8年(1933) 現・東京都庭園美術館)が著名であるが、横浜でも横浜銀行協会の他に、建造物ではないが横浜港に繋留されている氷川丸(昭和5年〔1930))の船内インテリアでも、質の高いアール・デコ意匠が見られる。

第809回・中成堂歯科医院(旧中野歯科医院)

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中成堂歯科医院は、埼玉県川越市の重要伝統的建造物群保存地区の一角に建つ、大正2年(1913)竣工の洋風建築。古い外観を残しつつも最新設備を備えた、現役の歯科医院である。

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中成堂歯科医院がある川越市幸町は、全域が国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

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蔵造りの商家が並ぶ一番街の裏側、閑静な通りに面して建っている。

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前を横切っている紅白の幕は、撮影が川越まつりの時期だったため。

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天然スレート葺の屋根と、ハーフチンバーと下見板を組み合わせた外壁。

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中成堂歯科医院の前身に当たる中野歯科医院は、建物竣工の翌年、大正3年(1914)に開院した。

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後継者の死去による30年近い休止期間を経て、現在の中成堂歯科医院として診療を再開した。

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再開に際し、平成14年(2002)に建物の大改修を行い、大正時代の洋館の佇まいはそのままに、最新の治療設備と衛生環境を整えた診療施設として甦った。

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川越の洋館のシンボルとも言える旧八十五銀行本店(埼玉りそな銀行川越支店)はすぐ裏手にある。(写真右奥にドームの一部が写っている)。市指定文化財の旧山崎家別邸にも近い。

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(参考)中成堂歯科医院ホームページ

第808回・難波橋

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江戸時代の大坂(大阪)では、町人が自費で架けた橋が幕府によって架けられた橋よりも圧倒的に多かったことから、「江戸の八百八町」「京の八百八寺」に対し「難波(浪華、浪花)の八百八橋」と称された。第808回目の今回は、そんな大阪の難波橋(なにわばし)。

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大阪市北区と中央区の境目、土佐堀川・中之島公園・堂島川をまたがって通る堺筋に架かる難波橋。江戸時代以前は隣接して架かる天神橋、天満橋と共に浪華三大橋と称された。

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現在の橋は大正4年(1915)の架橋。土佐堀川と堂島川を跨ぐアーチ部分は昭和50年(1975)に架け替えられているが、全体的な形は架橋当初の姿を止めている。

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「ライオン橋」の通称でも知られている。通称の由来となった一対のライオン像は、両側の橋詰に置かれており、合計4体存在する。

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像は左側が口を開く阿形像、右側が口を閉じる吽形像となっており、狛犬の形式を取っている。

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獅子像の下の基壇側面には「起工 大正二年十一月  竣工 大正四年四月」「工事請負 大林組  青銅部 今村鋳造所  鋳鐡部 久保田鐡工所」の文字が読める。

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ライオン像の先には證券街北浜のシンボル、大阪証券取引所が建っている。なおこのライオン像と同じ形のものが、北浜で相場師として成功を収めた松井伊助の和歌山にある別邸にも存在するが、両者の関連は不明とされている。

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欄干や照明灯、親柱などに華麗な装飾を施す。

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これらの意匠は、旧生駒時計店旧柴島浄水場など、関西を中心に多くの建物を手掛けた建築家の宗兵蔵(1864~1944)による。

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随所に大阪市の市章「みおつくし(澪標)」をあしらっている。

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澪標とは日本に古くから存在する、航路を示す水上標識で、「水の都」と称してきた大阪では市章に採用された。

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難波橋の上から中之島公園を望む。

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中之島に架かる部分は石造になっており、その上流側の中央部には中之島公園に降りる階段が設けられている。

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当時の大阪市による、中之島界隈を公園として整備する都市計画の一環として、このような華麗な橋になったという。

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難波橋は近代の大阪を代表する橋梁のひとつとされている。

第807回・旧三井銀行京都支店・旧三菱銀行京都支店

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京都のビジネス街の中心地である四條烏丸の交差点には、かつて大正時代創建の銀行建築が2棟、向かい合って威容を誇っていた。大正3年(1914)竣工の旧三井銀行京都支店と、同14年(1925)竣工の旧三菱銀行京都支店である。

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現在は共に、交差点に面した角の壁面が残されている。

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昭和59年(1984)竣工の京都三井ビル。旧三井銀行京都支店の外壁の一部(交差点に面した外壁、玄関周辺及び列柱の基壇部分)を取り込んでいる。

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平成19年(2007)竣工の京都ダイヤビル。旧三菱銀行京都支店の外壁の一部(交差点に面した正面玄関部分)を取り込んだというよりは、こちらはただ貼りつけた感がある。

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旧三井銀行京都支店の設計者は、名古屋の近代化に貢献した建築家として知られる鈴木禎次(1870~1941)。当ブログでは鈴木設計による建物として、鶴舞公園噴水塔・奏楽堂旧名古屋銀行本店旧高原ビルなどを取り上げている。

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鈴木は東京帝大卒業後三井銀行の建築掛に就職、横河民輔の下で旧三井本館(明治35年、現三井本館の先代に当たる)や旧大阪支店の設計に従事していた。三井を退職した後も大正初期にかけて名古屋、京都の両支店を設計している。

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京都支店は三井を退職後、欧州留学を経て名古屋高等工業学校の教授として教鞭を執る傍ら、設計事務所を開いていた時期の建物である。今日も現存する鈴木設計による旧三井銀行の店舗は、旧京都支店の一部分のみである。

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烏丸通り側に残されている、玄関周辺及び列柱の基壇部分。

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外壁の一部分のほか、三井家当主の上洛時などに使われたという旧貴賓室が京都三井ビルの内部に復元保存されているというが、公開はされていない。

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旧貴賓室は大小2室で構成され、鹿子木孟郎の手による壁画やステンドグラス、暖炉で飾られた華麗な部屋であるようだが、今日もそのまま保存されているかどうかは不明である。

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なお鈴木禎次設計による同時期の銀行建築として、愛知県岡崎市の旧岡崎銀行本店(大正6年竣工)が現存する。こちらは内部は戦災で失われているものの、外観は完全な形で残されている。

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旧三菱銀行京都支店は、東京丸の内の本店も手掛けた桜井小太郎(1870~1953)の設計。当ブログで既に取り上げた桜井設計の建物では、旧横浜正金銀行神戸支店旧海軍呉鎮守府長官官舎静嘉堂文庫などがある。

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角に正面玄関を設けた構成は、現存する旧横浜正金銀行門司支店(昭和9年)と似ている。

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桜井小太郎は三菱関係の建物を多く手掛けており、旧丸の内ビルディングの設計者としても知られる。

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旧三井銀行・旧三菱銀行は共に日本建築学会などから保存要望が出ていたが、共に交差点部分の外壁の保存に止まった。両者が建て替えられた時期には約四半世紀の開きがあるが、同じ部分的な保存でも、その取り組み方には大きな落差があるように思われる。

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旧三井銀行の保存方法が特に優れていたとは思わないが、特に旧建物の内装材の扱いを見ると、旧三菱銀行の保存は安直で形式的な印象を受ける。入口裏には内装材の一部が歴史の継承だか何だか書かれた解説版付きで置かれていたが、それがどうした、という気にしかなれない。

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旧三菱銀行は、歴史的建造物の部分保存の手法が歳月を経て形骸化した格好の例かもしれない。

第806回・浪花酒造

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大阪府の最南端に近い泉南市尾崎にある浪花酒造は、享保年間の創業とされる大阪府下でも屈指の歴史を有する酒造業者。大正年間に建てられた酒蔵と本宅が国の登録有形文化財となっている。

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泉南市尾崎周辺は浪速酒造の建物を始め、歴史的な街並がよく残されている。以前当ブログにて紹介した、大正期の洋館が残る旧谷口房蔵別邸(田尻歴史館)がある田尻町は、阪南市のすぐ北隣にある。

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浪速酒造は享保元年(1716)頃の創業とされ、同じく国登録有形文化財の建物を有する河内長野市の西條合資会社などと共に、大阪府南部における老舗の酒蔵である。

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手前が浪花酒造を営む成子家の本宅主屋、奥に写るのが酒蔵の一部。

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主屋は大正5年(1916)の創建であるが、その外観は江戸時代からの伝統的な町家と殆ど変わらないのが当家の特徴である。

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古風な虫籠窓(むしごまど)を設けた主屋の二階は、大正期の町家建築としては非常に天井が低く、屋根裏部屋に近い。(この時期の大阪の町家は大阪市内の旧小西家旧鴻池家などのように通常の高さを持つ二階家の方が多い)

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主屋に隣接した接客用の離れ座敷は、大正9年(1920)頃には完成したと考えられている。古風な主屋とは対照的に、書院造の座敷に一室のみの小規模な洋館と数寄屋風の小座敷を付加した、典型的な近代和風建築。

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離れ座敷の前に立てられた土塀には専用の門を設け、門を入ると植え込みの奥に平屋建の離れ座敷が建つ。

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離れ座敷の洋館部分の屋根は、以前はセメント瓦葺きであったが、近年葺き替えられたようである。窓にはステンドグラスを嵌め込んだ旧来の木製建具が残されていたが、現在はその上からアルミサッシの出窓で覆って保護しているようだ。

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浪花酒造は近年相次いで発覚した不祥事により、営業規模も大幅に縮小して現在もなお再建途上にあるように見える。十数年前に酒蔵及び本宅を見学させて頂き、内部までいろいろな箇所まで見せて頂いた身としては残念という他無い。

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これらの優れた建造物群を後世に引き継ぐためにも、これからはどうか長い伝統に恥じない酒造りをして頂きたい、筆者は只それだけ申し上げたい。

御発展を祈る!

第805回・旧小杉町役場(竹内源蔵記念館)

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富山県射水市(旧小杉町)にある竹内源蔵記念館は、昭和9年(1934)に小杉町役場の庁舎として建てられた。現在は射水市により、当地出身の左官職人で、初代の帝国ホテルなど多くの洋風建築の装飾を手掛けた竹内源蔵の記念館として公開されている。国登録有形文化財。

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脇を流れる下条川越しの眺め。竹内源蔵記念館はJR北陸本線小杉駅から徒歩圏内の場所にある。

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背面から。
屋上の塔屋は時報のサイレンを鳴らすために設けられたもの。

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正面全景。旧小杉町役場は昭和51年に役場庁舎としての役目を終え、その後図書館や公民館として使用された後、平成14年に現在の竹内源蔵記念館となった。

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平成24年から創建当初の姿に復元する改修工事が行われ、今年(平成26年)改修工事が終了、同時に国の登録有形文化財となった。

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東大安田講堂を模したと思われる玄関の車寄(ポーチ)は昭和30年代の改修工事で撤去されていたが、今回の改修で復元された。

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玄関を入ると、役場時代のカウンター間仕切りが残されている。

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館内では、かつて建物の内外装を飾っていた竹内源蔵の鏝絵作品が各所から移設され、保存・公開されている。

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写真は砺波市内の旧家の土蔵の壁面を飾っていた「双龍」と称される龍の鏝絵で、展示物の中でも最大級。

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竹内源蔵の最高傑作とされる。龍の目には硝子玉が嵌め込まれている。

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二階への階段。

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二階は大小2室あり、大きい方の部屋は町議会の議場として使われていた。
写真の小さい方の部屋は町長室かと思われる。

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旧議場。竹内源蔵の鏝絵作品のほか、使っていた左官道具や経歴、手掛けた建築作品等についての展示が見られる。

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旧議場正面に設けられた奉掲所は、御真影を掲げるための場所であろう。鳳凰をモチーフとした漆喰装飾は無論、竹内源蔵の手になる。

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天井の照明台座も漆喰装飾かと思うと、これは金属板を型押ししたものに塗装を施したもののようである。
当ブログで以前取り上げた、山梨県都留市の旧仁科家住宅(都留市商家資料館)にも似たようなものがあった。

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展示されている竹内源蔵の鏝絵作品。いずれも富山県内の旧家の土蔵や商店、事務所の外壁や天井など内装を飾っていたものである。竹内源蔵は左官技術が盛んであった小杉でも、芸術の域に達するとされる鏝絵を数多く残した。

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竹内源蔵は富山県内に限らず、東京や外地でも活躍の場を広げ、帝国ホテル(明治23年竣工の初代。大正11年失火焼失)や、旧朝鮮銀行大連支店(大正9年竣工、現存)の室内装飾も手掛けている。

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旧小杉町役場の建物本体にも、竹内源蔵が手掛けた漆喰装飾が、写真の2階正面の切妻部分と旧議場奉掲所の2箇所に見られる。

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他の展示作品については、元々取り付けられていた建物はいずれも(おそらく)取り壊されている筈なので、記念館で建物と装飾が一体で保存されている状態で見られるのは、旧小杉町役場の建物本体のみということになる。

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富山県内では他に、砺波市の旧中越銀行本店にも竹内源蔵が手掛けた漆喰装飾が現存するという。

第804回・熊谷聖パウロ教会

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熊谷聖パウロ教会は、埼玉県熊谷市宮町にある、日本聖公会に属する教会。赤煉瓦の礼拝堂は大正8年(1919)竣工。国登録有形文化財。

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熊谷市の中心街、JR熊谷駅からも近い場所に建つ熊谷聖パウロ教会。

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赤煉瓦の礼拝堂と門が、国の登録有形文化財である。

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設計は東京の立教大学の校舎・礼拝堂の設計でも知られる米国人の宣教師建築家、ウィリアム・ウィルソンによる。以前当ブログで紹介している、同じ埼玉県下にある川越基督教会や、大阪市西区の川口基督教会も、同じ設計者による。

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屋根は現在、黒い日本瓦で葺かれているが、かつては洋瓦葺であったという。

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屋根瓦を除けば、外観・内部共に創建当初から殆どそのままの形で残されているようだ。

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色調・形状共に不揃いな煉瓦を積み上げた壁面は、隣接する深谷市に移築・保存されている大正建築・誠之堂を連想させるが、こちらの方がより素朴な感じを出している。

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正面脇に配された鐘楼や尖塔アーチの3連窓など、川越基督教会とよく似た意匠。建物の規模も、川越・熊谷共に同じぐらいである。

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鐘楼の下には礼拝堂への入口がある。

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鐘楼の角の下部に据えられた定礎石には、「大正八年一月二十六日起工」「日本聖公會」「聖保羅教會」の文字が刻まれている。「保羅」は「パウロ」か?

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礼拝堂への入口には「どなたでも、自由に見学・お祈りください」と書かれた張り紙が掲げられている。

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見学させて頂く。

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熊谷聖パウロ教会は、明治21年(1888)に「熊谷教会」として設立され、126年の歴史を有する。

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大正8年(1919)に現在の礼拝堂が竣工したことに伴い「熊谷聖パウロ教会」に改める。

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礼拝堂は大正12年の関東大震災、終戦の前日である昭和20年8月14日の熊谷空襲もくぐり抜け、100年近い歴史を刻み続けている。

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なお、当ブログで以前取り上げたその他の日本聖公会の教会堂建築では、立教大学の学長も務めた宣教師建築家であるJ・M・ガーディナー設計による、栃木県日光市の日光真光教会がある。

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また現在は礼拝堂としては使われていないが、同じくガーディナーの設計でかつて京都市内にあり、現在は明治村に移築されている旧聖ヨハネ教会堂も当ブログで取り上げている。
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