第830回・柴田記念館(旧東京帝国大学理学部植物生理化学実験室)

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前回に引き続き、小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)内の建物。本館から少し離れた位置にある小さな木造平屋建の洋館は、大正8年(1919)に建てられた園内最古の建物で、現在は柴田記念館として公開されている。

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植物生理学者で東京帝国大学理学部教授も務めた柴田桂太博士が、大正7年(1918)に植物界におけるフラボン体の研究で帝国学士院恩賜賞を受賞した際、その賞金等をもとに建てて帝大に寄贈した建物である。(当時、東京帝国大学の植物学教室は小石川植物園内にあった)

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建物は理学部植物生理化学実験室として、室内には柴田博士の教授室と実験室、作業室が設けられ、本郷キャンパスに竣工した理学部2号館に植物学教室が移転する昭和9年(1934)までの15年間使われていた。

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昭和20年の空襲では、周囲の多くの建物が焼失した中でも焼け残り、現在では小石川植物園内で現存する最古の建物となっている。

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平成17年(2005)に外装を改修、併せて内部も展示・講演を目的とした部屋に改装され、柴田記念館として一般公開された。館内では柴田博士や植物園の歴史を紹介する資料や、植物学関連の研究紹介等の展示が行われている。

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改修に際しては屋根瓦が葺き替えられ、また地震対策なのか、煉瓦積の煙突が切り縮められている。屋根瓦も当初は日本瓦で葺かれていた。

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簡素ながらも基壇の石積みなどには趣向を凝らしている。

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玄関の階段は煉瓦と石の組み合わせ。

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化学者の研究室として建てられた建物といえば、柴田記念館と同じ大正8年に建てられ、以前当ブログでも取り上げた兵庫県川西市の旧平賀義美邸内の実験研究棟を連想する。

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柴田桂太(1877~1949)は日本の生化学の草分けの一人とされる植物生理学者・生化学者・微生物化学者。植物の受精・胚発生のメカニズムの研究などに取り組み、日本の植物生理学の水準を高めた人物。帝大退官後は徳川生物研究所(当ブログで以前取り上げた徳川義親侯爵が設立)などで研究を続けた。

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(参考)小石川植物園後援会ニュースレター
柴田記念館 改修前と改修後
柴田記念館改修完成に際して(柴田博士の子息・柴田承二東大名誉教授による解説文)
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第829回・東京大学大学院理学系研究科附属植物園(小石川植物園)本館

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前回取り上げた旧東京医学校本館が移築保存されている、東京都文京区の小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)内にも、大正から昭和戦前の建造物が残されている。今回紹介する植物園本館は昭和14年(1939)の竣工。

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本館正面。前面をガラス張りにした時計塔を中心に、両翼を扇形に広げる構成。なお、本館は植物園の施設として現役で使われており、建物内部は非公開である。

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小石川植物園の歴史は、徳川幕府が寛永15年(1638)に江戸に二ヶ所の薬園(薬草園)を開いたことに遡る。二ヶ所のうち麻布にあった薬園が、貞亨元年(1684)に小石川の現在地に移転してきた。八代将軍・徳川吉宗の施政として知られる小石川養生所も、小石川の薬園内に享保7年(1722)に設置されている。

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明治維新後は所轄が東京府、文部省、(旧)東京大学、東京帝国大学理科大学と変遷、大正8年(1919)に東京帝国大学理学部付属植物園となった。戦後の東京大学への改称を経て、平成10年(1998)に東京大学大学院理学系研究科附属植物園となり、現在に至る。

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大正12年(1923)の関東大震災では広大な植物園は被災者を一時収容、昭和20年(1945)には空襲で被災、温室など一部の建物が焼失した歴史もある。なお、小石川植物園は平成24年(2012)に国指定名勝及び史跡となっている。

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設計は、これまで取り上げてきた附属図書館医学部本館伝染病研究所など、大正末から昭和戦前の東大関係の施設設計を一手に担った内田祥三(1885~1972)による。内田は大戦末期から敗戦後にかけて東京帝国大学総長も務めている。(昭和18~20年在任)

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玄関周りは石張りの円柱を立てて重厚に仕上げ、外壁の随所に茶褐色のタイルで縁取りを施している。

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扇形の平面をもつ建物の外観は随所に曲線を多用している。本郷の附属図書館や白金台の伝染病研究所など、ゴシック色の濃い他の東大関係の建物に比べると、植物園本館はモダンスタイルの外観である。

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正面に配された時計塔の前面はガラス張りで、内部の階段を見せるように造られている。なおこの背面も同様にガラス張りとなっている。

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時計は塔屋の側面2面に配されている。

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小石川植物園内に戦前から残る建造物はもう1棟あり、次回記事にて紹介予定。

第828回・旧東京医学校本館(東京大学総合研究博物館小石川分館)

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東京都文京区の小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)に隣接して建つ東京大学総合研究博物館小石川分館の建物は、明治9年(1876)に東京医学校本館として、現在の東大本郷キャンパス内に建てられた。国指定重要文化財。

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小石川植物園内の日本庭園から望む旧東京医学校本館。明治9年に本郷に建てられた当初は、現在の東京大学附属病院のあたりに建っていたという。

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東京大学総合研究博物館小石川分館は昨年(平成25年)リニューアルを行い、建築学系資料等を展示する建築ミュージアムとして無料公開されている。なお小石川植物園内の一角にあるものの、出入口は別にあるので分館にのみ直接出入りも可能である。(小石川植物園への入園は有料)

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この建物は創建以来、2度の移築を経ている。創建当初は正面中央に大きな時計台が載っていたが、明治44年(1911)に本郷キャンパス内で最初の移築が行われ、赤門脇に移された。このとき建物全体を縮小すると共に時計台は撤去、現在みられる小さな塔に改造された。現在地への移築は昭和44年(1969)である。

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移築の翌年、昭和45年(1970)に国の重要文化財に指定された。

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安政5年(1858)に江戸幕府によって設置された神田お玉ヶ池種痘所をルーツとする東京医学校は、現在の東大医学部及び東大附属病院に続いている。(当ブログ第638回第822回もご参照頂きたい)

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本郷にあった当時は、当初は医学部本部や教室、病棟などに使われていた。明治44年に赤門脇に移築された後は、史料編纂掛、営繕部、施設部と用途を転々としながらも、昭和40年(1965)まで使われた。

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館内から玄関ポーチを望む。なお、館内は全面的に現代的な改装が施されているが、屋根裏の小屋組など古い部分を見せるような形の改装となっている。

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明治初期の擬洋風建築らしく、和風・洋風に加え、玄関ポーチ周りには唐風の造形もみられる。

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博物館の正面玄関は建物の背後に設けられており、玄関ポーチは現在、見学者が日本庭園を眺めながら寛ぐこともできる空間になっている。

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東京大学関係の施設として建てられた建物の中では、現存する最古の建物である。

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(参考)
東京大学総合研究博物館小石川分館ホームページ(旧東京医学校本館の解説)

第827回・綱町三井倶楽部

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東京都港区三田にある綱町三井倶楽部の建物は、大正2年(1913)に三井財閥の迎賓館として建てられた。英国人建築家コンドルの代表作のひとつでもある。現在は三井グループに所属する企業の迎賓館及び会員制倶楽部として使われている。

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名称の「綱町」は竣工当時の旧地名(東京市芝区三田綱町)に因む。現在の港区高輪、白金、麻布、三田などの界隈は江戸時代には大名屋敷が立ち並び、明治から昭和戦前にかけては東京市内でも屈指の邸宅街であった。

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綱町三井倶楽部に隣接するオーストラリア大使館は、かつての蜂須賀侯爵家の邸宅跡である。現在は門にのみ往年の姿を残す。

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現在も広大な敷地に、門構えから建物までそのまま残している綱町三井倶楽部は、往年の邸宅街の面影を伝える数少ない存在である。(ただし門扉や鉄柵は、戦時中の金属供出で改変されていたのを近年の改修で復元したものである)

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三井家総領家である三井北家の第10代当主・三井八郎右衛門高棟(1857~1948)は、三井合名会社の社長就任後の明治43年(1910)に「三井家綱町別邸」として建設に着手、3年後の大正2年(1913)に竣工する。

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三井八郎右衛門高棟が明治39年(1906)に麻布今井町(現・港区六本木)に建てた本邸(昭和20年戦災で門や土蔵など一部を残し焼失、当ブログ第721回参照)も迎賓館としての機能を備えつつも和風意匠であったのに対し、綱町別邸は純洋式の迎賓施設として造られた。

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実質は別邸というよりは当初から三井財閥の迎賓館としての用途が主目的であり、三井家別邸としては新年の互礼会や家長の婚礼など、一族が集まる特別な行事のときにのみ使われていた。

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敗戦後は米軍に接収、返還後の昭和28年(1953)に三井グループ企業関係者による会員制倶楽部兼迎賓施設「綱町三井倶楽部」となり、現在に至る。

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綱町三井倶楽部は、日本近代建築界の父である英国人建築家のジョサイア・コンドル(1852~1920)晩年の代表作である。当ブログでは以前に現存(または復元)する他のコンドル作品として、旧岩崎久彌邸旧諸戸精六邸旧古河虎之助邸旧島津忠重邸三菱一号館美術館ニコライ堂岩崎家玉川廟を取り上げているので、併せて御覧頂けると幸いである。

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会員制倶楽部のため非公開であるが、綱町三井倶楽部のホームページでは、街路から見ることのできない庭園側外観及び建物内部、また建物の歴史等詳しく紹介されている。(本記事作成の参考とさせて頂いたことを付記しておく)

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なお余談ながら、綱町三井倶楽部は三谷幸喜原作・田村正和主演のテレビドラマ「総理と呼ばないで」(平成9年放映)では首相官邸として登場、サザンオールスターズのアルバム「Young Love」ではジャケットの背景に登場、その他テレビCMのロケ地としても度々登場するなど、メディアへの露出も多い。

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平成25年(2013)の竣工100周年に先立って、平成17年から18年にかけ綱町三井倶楽部では本館建物の大規模な耐震補強と改修工事が行われている。今後も三井グループの迎賓館として末永く使われ続けるものと思われる。

第826回・朝倉彫塑館

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東京・谷中にある朝倉彫塑館は、彫刻家としては初めて文化勲章を受章した人物でもある朝倉文夫(1883~1964)の自邸兼アトリエとして昭和10年(1935)に竣工した。建物は国の登録有形文化財、また建物と庭園を含む敷地全体が国指定名勝に指定されている。

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重要文化財に指定されている代表作「墓守」や、早稲田大学構内の大隈重信像の作者である朝倉文夫は東京美術学校(現・東京藝術大学)教授、帝国芸術院会員も務めるなど日本美術界の重鎮として活躍、近代日本を代表する彫刻家の一人として知られる。当ブログで以前取り上げた旧鳩山一郎邸の庭園にある鳩山和夫夫妻像も朝倉の作である。

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朝倉文夫が谷中の地に居を構えたのは、東京美術学校を卒業後間もない明治40年(1907)で、当初は小さな木造のアトリエと住居であった。その後増改築を繰り返し、鉄筋コンクリート3階建と木造2階建から構成されている現在の建物は、昭和3年から7年の歳月をかけて建てられたものである。

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鉄筋コンクリート造の棟の黒い外壁は、型枠が見えるコンクリートの打ちっ放しにコールタールを塗ったものである。朝倉の言によるとタイル張りは安っぽい、との理由によるという。コンクリートの打ちっ放しに塗装を施しただけの外壁仕上げは熱海の野村塵外荘(昭和14年)でもみられる。

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自身が主宰する彫塑塾(朝倉彫塑塾)もこの建物にあり、晩年まで後進の彫刻家の育成に当たった。没後の昭和42年(1967)に遺志によって「朝倉彫塑館」として公開、昭和61年(1986)からは台東区に移管、台東区立朝倉彫塑館となって現在に至る。

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台東区に移管後の平成13年(2001)、建物は国の有形文化財に登録され、平成20年(2008)には敷地全体が「旧朝倉文夫氏庭園」として国の名勝に指定された。近年大がかりな保存修復及び耐震補強工事が行われている。

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背後に見える木造棟は朝倉文夫の居住空間であった。

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裏門からの眺め。正面とは一転して数寄屋風の和風邸宅となっている。裏玄関脇には木造ペンキ塗りの旧アトリエも現存する。

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正門を入ってすぐの位置にある亭(あづまや)。場所からして伴待ち(来客の付き人や人力車の車夫などが雨を避け休息しながら待つための場所)として作られたのかもしれない。

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細い丸太を放射状に配した亭の天井。

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亭から望む朝倉彫塑館の玄関。
なお内部は写真撮影禁止のため、興味のある方はぜひ現地へ足を運んで見学して頂きたい。アトリエや中庭、朝倉文夫の創意が凝らされた客座敷など見どころは多い。

第825回・三里塚記念公園貴賓館

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成田空港に近い千葉県成田市三里塚にある三里塚記念公園は、かつてこの地に存在していた宮内庁(省)下総御料牧場を記念し、後世に伝えるために成田市によって設けられた公園である。御料牧場時代から残る建物としては、白ペンキ塗りの洋館造りと茅葺屋根の組み合わせが珍しい貴賓館がある。

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公園の中にある三里塚御料牧場記念館。大正8年(1919)に新築された旧御料牧場事務所の外観を再現したものである。したがって大正時代当時の建物ではない。

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館内には御料牧場の歴史資料や皇室ゆかりの品、使われていた農機具などが展示されている。

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貴賓館。公園内で御料牧場時代からそのまま保存されている唯一の建物である。

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貴賓館は元々は、下総御料牧場の前身に当たる下総牧羊場が明治8年(1875)に開かれた時、明治政府に雇われた米国出身の牧羊家、D・W・アップ・ジョーンズの官舎として三里塚に近い十倉村両国(現・富里市)に建てられた。

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明治12年にジョーンズが退職し牧羊場を去った後は事務所として使われるが、下総牧羊場が香取種畜場との合併を経て宮内省下総御料牧場となった後の明治21年(1888)に、三里塚の現在地に移築された。

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大正8年(1919)に事務所が新築(先述の記念館のモデルとなった建物。現存しない。)されると、貴賓館として使うため内部を大改装、現在の形になった。

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その後貴賓館は、皇族が来られるときの宿舎として使われたほか、各国の大公使を招待する園遊会の会場として使われた。下総御料牧場には明治天皇、昭和天皇も訪問され、今上天皇も皇太子時代に訪問されている。

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内部への立ち入りはできないので、外から覗き込む形での見学となる。写真は床の間と床脇を備えた奥の間。

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背面に回ると、一部が洋館の造りになっていることがわかる。茅葺屋根の洋館というのは非常に珍しい。

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洋館部分の内部は、一室の広い洋間になっている。

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昭和41年(1966)、新東京国際空港(成田空港)を三里塚に設置する閣議決定が為され、下総御料牧場は終焉の時を迎える。

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昭和44年(1969)に下総御料牧場は閉場、栃木県塩谷郡高根沢町に新たに開かれた高根沢御料牧場へ移転した。現在旧御料牧場の敷地の大部分は、成田空港の敷地となっている。

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貴賓館の裏手には戦時中に造られた防空壕が残されている。近年に入り整備の上、一般公開されている。(見学に際しては記念館の職員に申し出て入口を開けてもらう必要がある)

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かつてこの界隈が農牧地であったことを伝える遺構としては三里塚記念公園のほか、隣接の富里市にある旧岩崎家末廣別邸がある。三菱財閥二代総帥・岩崎久彌(1865~1955)が開いた農場兼別邸で、財閥解体により東京・湯島の本邸を去った後最晩年を過ごした家は現在、富里市によって保存公開に向けた取り組みが進められており、公開された暁には当ブログでも御紹介出来ればと思う次第である。

第824回・旧東京帝国大学伝染病研究所(東京大学医科学研究所)

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前回取り上げた、東京都港区白金台の旧国立公衆衛生院のすぐ近くに建っているのが旧伝染病研究所本館。昭和初期に建てられた「ウチダゴシック」様式の外観を持つ旧東京帝国大学関係の建物のひとつである。

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現在は東京大学医科学研究所1号館となっている。現在、研究所や附属病院の主な機能は、背後に建てられた新しい建物に移っているようである。

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時計台がある正面の両翼に、斜め後ろに伸びる形で両翼を配する。前面に両翼を広げる旧国立公衆衛生院とは対照的な構成。

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両翼にもそれぞれ個別に玄関ポーチを設けている。写真は正面向かって左側。

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正面棟と翼部棟の継ぎ目の張り出し部分。

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上記張り出し部分に設けられた通用口。

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伝染病研究所は、医学者で細菌学者の北里柴三郎(1853~1931)が、福澤諭吉等の援助を受け明治25年(1892)に設立した私立の研究機関であったが、その後所轄官庁が内務省から文部省に移管、大正5年(1916)に東京帝国大学の付属機関となった。

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創設者の北里柴三郎は文部省への移管に強く反発、当時所員であった志賀潔ほか職員全員が一斉に辞表を提出、「伝研騒動」と呼ばれる騒ぎとなった。なお北里は伝研辞職後、直ちに私費で北里研究所(現・学校法人北里研究所)を設立して研究活動を続けた。

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北里研究所の建物は伝研と同じ白金台に大正4年(1915)に建てられた。現在は愛知県犬山市の明治村に移築され、現存している。(当ブログ第314回記事参照)

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東京帝国大学の付属機関となった後は、所長及び所員は東京帝国大学教授及び助教授が務めた。戦後の昭和42年(1967)に東京大学の改組により、伝染病研究所は医科学研究所と改称し現在に至る。

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研究所と共に附属病院も置かれており、中央の時計台のある棟は附属病院の玄関となっている。

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正面向かって右側の翼部棟。こちらは敷地の関係か、高い石段が設けられている。なお、前回の旧国立公衆衛生院記事において、同院の建物が昭和29年公開の映画「ゴジラ」ロケ地である旨記したが、ウィキペディアの同映画の解説では旧伝染病研究所がロケ地とされている。

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劇中登場する建物は、連なるアーチや高い石段など写真の部分とよく似ているが、旧伝染病研究所はアーチの形状が尖頭状になってるのに対し映画の建物は半円形なので、やはり旧国立公衆衛生院ではないかと思われる。

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右側の翼部棟の玄関ポーチが最も重厚でかつ装飾的に造られている。時計台のある正面棟は附属病院の玄関なので、こちらが研究所の正面玄関なのかも知れない。

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内側からみた玄関ポーチのアーチ。頂部が少し尖っているのはゴシック様式の特徴。

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玄関ポーチの小窓に嵌め込まれた飾り格子。

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天井にはステンドグラスを嵌め込んだ、円形の明り取り窓が3つ設けられている。

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中央にはイチョウと「大學」の文字。イチョウは東京大学のシンボル。

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ステンドグラスの設置時期は創建当初からか、後から取り付けたものかは不明。

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現在保存活用に向けた動きが進められている旧国立公衆衛生院に対し、旧伝染病研究所は登録文化財などの認定を受けていないので、建物の今後の処遇は今のところ分からない。

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既に背後には新しい施設が建っており、機能上は問題は左程無さそうに思われるので、保存されるのではないかと期待したいところである。

第823回・旧国立公衆衛生院

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東京都港区白金台にある東京大学医科学研究所構内の一角にある旧国立公衆衛生院の建物は、昭和戦前期の東京帝国大学キャンパスの主要な建物を手掛けた内田祥三の設計で、昭和13年(1938)に竣工した。現在は空家となっているが、保存・再利用に向けての取り組みが進められている。

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これまで当ブログで取り上げた内田祥三設計による建物、東京帝国大学附属図書館医学部本館附属病院旧第一高等学校本館など、「ウチダゴシック」と称される一連のゴシック調の建物の中でもとりわけ階高が高く、両翼を広げた外観は城塞のようである。

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公衆衛生院は昭和13年に厚生省(同年に内務省衛生局・社会局が分離する形で設置された)所管の調査研究機関として設置された。日本の公衆衛生の改善と向上のため、公衆衛生に関する調査研究と同時に、公衆衛生に携わる技術者の養成、訓練を行う場とされた。昭和24年(1949)に国立公衆衛生院と改称される。

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公衆衛生院の建物及び施設は、帝大附属図書館の復興にも大きな役割を果たした米国ロックフェラー財団が日本政府に寄贈したものである。ロックフェラー財団は関東大震災後、復興援助の一環として公衆衛生専門家の育成・訓練機関の設立について打診、日本政府がそれを受け公衆衛生院を設立したという経緯による。

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平成14年(2002)の組織改組で、国立公衆衛生院は国立感染症研究所の一部などと共に国立保健医療科学院となり、埼玉県和光市に移転、国立公衆衛生院は廃止され、白金台の本館は役目を終えた。

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建物は国から港区に所有が移り、現在は保健医療や子育て、文化施設等が一体で入居した区民のための複合施設として再生させるための準備が進められている。
(参考)港区ホームページ 旧国立保健医療科学院整備活用基本計画 概要版

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背面からみた旧国立公衆衛生院本館。白金台の高台に位置することから、かつては遠くからでも遠望できたという。

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内部は円筒形の吹き抜けが設けられた玄関ホールや講堂などに、戦前建築ならではの特徴的な重厚な内装がみられる。(上記港区ホームページ内資料に画像がある)

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現在最新作が公開されている映画「ゴジラ」シリーズの第1作(昭和29年(1954)公開)では、国立公衆衛生院本館がロケ地のひとつとなったと思われる。劇中では対策本部並びに臨時救護所として、主にアーチが連なる玄関ポーチを中心に国立公衆衛生院とおぼしき建物が度々登場する。

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現在は廃墟に近い姿となっているが、遠からず甦る予定である。

第822回・旧東京帝国大学附属医院(東京大学医学部附属病院)

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東京都文京区本郷の東大本郷キャンパスの一角にある、東京大学医学部附属病院の建物。以前当ブログで取り上げた旧医学部本館附属図書館と同様、関東大震災後の復興事業に基づく施設のひとつとして昭和13年(1938)竣工。

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竣工当時の名称は東京帝国大学附属医院。外来診療棟や事務室、薬局等が入る病院の中心的施設であった。

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現在は隣接して新しい外来診療棟等が建っており、写真の旧館は管理・研究棟として使われている。

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設計は東京帝国大学総長も務めた内田祥三(1885~1972)。震災後の復興計画を担い、現在の本郷キャンパスの原型を作った人物。先述の旧医学部本館や附属図書館なども同一設計者による。

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建物の中央には7連アーチが連なる玄関ポーチを配し、両脇には巨大なアーチを持つ、背後に通り抜け可能な通路が口を開き、その上部にはテラコッタ(建築用の装飾陶器)製のレリーフを据える。

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正面向かって左側は「医学の診断、予防、治療」を意味するもので彫刻家の新海竹蔵(1897~1968)の製作。附属図書館正面玄関ポーチのブロンズ製レリーフも同一人物の手による。

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右側は西洋医学の日本への伝来を現したという「長崎時代」。製作は日名子実三(1892~1945)の手による。宮崎市にある八紘一宇の塔(現・平和の塔)の設計でも知られる。また日本サッカー協会のシンボルマークをデザインした人物でもある。

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両脇に配された大アーチの天井には、東京美術学校(現・東京藝術大学)卒業後イタリアへ留学しフレスコ画を学んだ経歴を持つ版画家の寺崎武男(1883~1967)の手による天井画があった。

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現在は殆どはげ落ちており、見る影もない。

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東京大学医学部附属病院の歴史は、安政5年(1858)に江戸幕府によって設置された神田お玉ヶ池種痘所に遡る。

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その後西洋医学所、明治維新を経て東京医学校となり、明治10年の東京大学(帝国大学となる前の旧東京大学)開校に伴い東京大学医学部附属病院となった。

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そして東京帝国大学附属医院を経て、現在の東京大学医学部附属病院に至っている。

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東大本郷キャンパスの戦前建築は、当ブログでは先述の2棟及び今回記事のほか、安田講堂工学部2号館を紹介済みなので併せて御覧頂きたい。そしてまだ他にも、膨大な数の建物があるので今後追々紹介させて頂く予定である。

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(参考資料)東京大学本郷キャンパス案内 平成17年 木下直之・岸田省吾・大場秀章

公開済み記事の更新について

9月12日付記事に続き、公開済み記事の更新のお知らせです。

以下、更新した記事(5本)
※表題をクリックすると当該記事にリンクします。

第4回・気象庁地磁気観測所
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第12回・旧第九十銀行本店
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第21回・旧長野県知事公舎(小川村郷土歴史館)
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第25回・旧松本カトリック教会司祭館
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第40回・旧鴻池本店・本宅
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公開済み記事の更新について

9月3日付記事に続き、公開済み記事の更新のお知らせです。

以下、更新した記事(5本)
※表題をクリックすると当該記事にリンクします。

第3回・明治屋京橋ビル
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第29回・旧三井銀行下関支店(旧山口銀行本店)
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第38回・旧奈良県立戦捷記念図書館(大和郡山市民会館)
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第84回・旧第一合同銀行倉敷支店(中国銀行倉敷本町出張所)
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第86回・大原美術館本館
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公開済み記事の更新について

8月30日付記事に続き、公開済み記事の更新のお知らせです。

以下、更新した記事(6本)
※表題をクリックすると当該記事にリンクします。
第26回・雲仙観光ホテル
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第30回・郡山市公会堂
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第42回・旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
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第45回・源ヶ橋温泉
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第66回・神港ビルヂング
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第81回・道後温泉本館
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