第852回・明治学院礼拝堂

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前回前々回に引き続き、明治学院白金台キャンパスの近代建築で、今回は同学院のシンボル的存在である礼拝堂。大正5年(1916)に米国人建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で建てられた。前々回の記念館と同じく港区指定有形文化財である。

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インブリー館・記念館と同じく明治学院の学園祭では内部も含めて一般公開される。今年(平成26年)は学生によるパイプオルガンの演奏が行われていた。

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現在の礼拝堂ができる前は、明治36年(1903)竣工の旧礼拝堂があったが、地震で破損、解体された。その古材を再利用して建てられたという。

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大正5年の創建当初は写真の部分は存在せず、現在よりも単調な長方形の外観であったようである。昭和6年(1931)に学生数の増加により両翼を増築、二つの切妻屋根を交差させたような現在の姿になった。

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創建当初からあると思われる部分の切妻と尖塔。

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尖塔と屋根窓。

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側面にはバットレス(控壁)が設けられている。創建当初からのものに加え、近年施された耐震改修で新たに追加されたものが見える。

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同じような切妻でも大正5年竣工部分(上)と昭和6年増築部分(下)では意匠が異なる。昭和期の方が重厚な印象を受ける。

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礼拝堂の入口。

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礼拝堂の内部。大正8年(1919)に設計者のヴォーリズは、ここで一柳子爵家の三女である満喜子夫人と結婚式を挙げている。

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なおヴォーリズのパトロン的存在で大阪の豪商・廣岡家の当主でもあり、当ブログで以前紹介した旧大同生命ビルを建てた同社社長・廣岡恵三は満喜子夫人の実兄である。

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祭壇側よりパイプオルガンを望む。パイプオルガンは平成21年(2009)に新たに設置されたもの。

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増築された両翼の内部。

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増築部分に設けられた、十字架のステンドグラス。

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明治学院白金台キャンパスにある近代建築の紹介は、今回で終了。
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第851回・明治学院インブリー館

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前回に引き続き、明治学院白金台キャンパスの近代建築。
今回紹介するインブリー館は、明治22年(1889)頃の創建とされる洋風住宅で、宣教師館として建てられた4棟のうちのひとつ。東京都内で現存する宣教師館としては最古の建物とされる。国指定重要文化財。

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館内に展示されている創建当初の古写真。
屋根は現在銅版葺となっているが、当初は瓦葺だった。

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インブリー館の名称は、この館で長年暮らしていた宣教師のインブリー博士に由来する。

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背後に見えるのが前回記事で紹介した記念館。

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記念館と同様、昭和39年(1964)に道路拡張のため現在地に曳家で移設されている。

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アメリカの木造住宅の様式に則った洋館。同様の様式の建物で当ブログで紹介済みのものとしては、同じ宣教師館では豊島区の雑司ヶ谷宣教師館、横浜の旧内田定槌邸、神戸の旧武藤山治邸などがある。

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外壁は形や大きさを随所で変えた下見板もしくはシングル(木片)葺きで、変化に富んだ壁面を見せる。

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平成10年(1998)に国指定重要文化財になっている。

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暖炉を備えた玄関ホール兼階段室。

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日本人大工の施工によるので、内部を中心に随所に和風意匠がみられる。暖炉の奥を仕切るスクリーンの上部には、欄間を思わせる斜め格子が嵌め込まれている。

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二階への階段。

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暖炉はどの部屋のものも、ごく簡素な意匠。

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屋根裏部屋へ続く階段。二階階段ホールは棹縁天井で、完全に和風の造り。
踊り場の小窓に嵌め込まれた建具の意匠もどことなく和風。

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明治学院の学園祭期間中は建物内部も含め一般公開されているが、それ以外の時期の見学は要事前申込。

第850回・明治学院記念館

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東京都港区白金台にある明治学院記念館は、明治23年(1890)に同学院の神学部校舎兼図書館として建てられた。現在は明治学院歴史資料館の展示室などに使用されている。港区指定有形文化財。

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国道1号線が真横を通っている。かつてはより南側(写真右側)に建っていたが、昭和39年(1964)に道路拡張のため現在地に曳家で移設された。

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創建当初は二階まで総煉瓦造りであったが、東京市内でも家屋倒壊などの被害が生じた明治27年(1894)の地震で破損、改修に際し二階部分を木造に変更して現在の姿になった。

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設計者は明治学院の教員で宣教師のヘンリー・モア・ランディスと推測されている。

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明治学院はヘボン式ローマ字で知られる医師で宣教師のジェームス・カーティス・ヘボン(1815~1911)が、幕末の文久3年(1863)に、横浜居留地で夫妻で始めた「ヘボン塾」を起源とするミッションスクールである。

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その後ヘボン塾は横浜から東京の築地に移転、明治19年(1886)に現在の名称である明治学院に改称、その翌年には現在の白金台にキャンパスを移した。

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明治学院記念館は現存するキャンパス移転当初の建造物のひとつである。

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通常は1階にある明治学院歴史資料館の展示室のみ公開されているが、明治学院の学園祭の折は全館が一般公開される。

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本記事の写真は全て平成26年11月に開催された明治学院の学園祭における一般公開時のもの。

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明治学院の卒業生で同学院の校歌を作詞した作家・島崎藤村の小説(「桜の実の熟する時」)にも登場する。

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明治学院歴史資料館では創立者のヘボン博士や卒業生の島崎藤村、賀川豊彦など同学院にゆかりの深い人物の資料のほか、聖書和訳の変遷などキリスト教関係の歴史資料が多数公開されている。

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内部階段室。

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内部は現在歴史資料館の展示室のほか、小チャペル、会議室などが置かれており、現在も現役の学校施設である。

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明治学院には明治から大正期の建造物が記念館以外にも残されている。
次回以降紹介したい。

第849回・旧田中銀行社屋(旧勝沼郵便電信局舎)

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山梨県甲州市勝沼町にある明治30年代創建と伝わる擬洋風建築。当初勝沼郵便電信局舎として建てられ、大正半ばから昭和初期までは銀行としても使われた歴史を持つ。現在は甲州市が所有、旧田中銀行博物館として無料公開されている。国登録有形文化財。

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旧田中銀行社屋がある甲州市勝沼町勝沼は、かつては甲州街道の宿場町として栄えた場所であり、現在もかつての宿場町としての繁栄を偲ばせる商家や土蔵が点在している。写真の土蔵はこの界隈でも珍しい三階建で、老朽が著しいが、保全に向けた取り組みが現在進められているという。

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宿場町の中心街に建っている旧田中銀行社屋。当初は勝沼郵便電信局舎として建てられたが、創建時期は明治31年(1898)頃と考えられている。郵便電信局舎を開設した田中家は、勝沼郵便取扱所(郵便局に相当)の所長も務める地元の名士であった。

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この地に郵便電信局舎が開設された背景として当時、中央本線を甲府まで延伸する工事が行われており、そこで生じる電信需要に対応するためであったとされる。甲府までの延伸工事が完了した明治36年(1903)頃には郵便電信局としての役目は終えた。

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上下に「田」「中」の文字があしらわれた鉄柵。戦時中の金属供出で失われていたため、修復に際し古写真をもとに復元されたもの。

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施工を手掛けたのは、田中家とは旧知の間柄であり、前回記事(旧室伏学校校舎)で紹介した藤村式建築の代表例として知られる旧睦沢学校校舎などを建てた棟梁、松木輝殷(まつきてるしげ)によると伝わる。

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藤村式建築は、命名の由来となった山梨県令であり初代山梨県知事でもある藤村紫朗の在任中(明治6~20)に建てられた擬洋風建築の官公庁舎や学校を指す。したがって明治30年代創建の旧田中銀行社屋は藤村式建築とは言えないが、その流れを汲む擬洋風建築であると言える。

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玄関ポーチ上部に設けられたバルコニーの金属製手摺も、鉄柵と同様戦時中の金属供出で失われていたが、修復に際し復元された。

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背面からみた旧田中銀行社屋。
旧田中銀行は大正9年(1920)に株式会社山梨田中銀行として設立された、田中家の同族経営による金融機関で、本社屋には田中家が所有していた旧勝沼郵便電信局舎が充てられた。

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銀行設立に際し社屋裏手には、重要書類の保管及び担保物件の保存のため、煉瓦造の土蔵1棟、繭蔵1棟、米蔵2棟が増設された。

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重要書類の保管用に使われたと思われる煉瓦造の土蔵。焦げ茶色の焼き過ぎ煉瓦が用いられている。

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煉瓦造の土蔵の扉には、株式會社山梨田中銀行の文字と社章が今も残されている。

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旧社屋内部は銀行時代に設けられたカウンターは撤去され現存しないが、洋風の螺旋階段や電話室などに面影が残る。

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頭取が使っていた椅子や机を始め、銀行時代の家具・道具類が多数展示されている。

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現在は甲州市の所有で無料公開されているが、地元の方々によるボランティアガイドの手で管理運営がなされており、展示品の家具に座ったり、道具類に触れることもできる。

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絵付けが施された陶器製の便器。

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洋風意匠の親柱と手摺を持つ螺旋階段。

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山梨田中銀行の営業期間は10年少々とごく短く、昭和初期の経済不況などにより昭和6年(1931)には実質的な営業を終え、5年後の昭和11年には解散、名実ともに幕を閉じている。

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扉には明治初期の擬洋風建築で時々見られる「ペンキ木目」と呼ばれる模擬木目仕上げを見ることができる。薄いペンキの上に濃い色を重ねて造られたもので、明治村に移築保存されている旧三重県庁舎などでも見ることができる。写真は2階内部の扉。

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2階は和室を中心に構成されている。第二次大戦中は旧田中銀行社屋の向かいにある田中本家に北白川宮家が疎開され、旧田中銀行社屋は従者の住居として使われた。

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現在残されている家具類は、疎開先として使われていた当時のものであるという。

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旧田中銀行社屋及び土蔵は、平成9年(1997)に国登録有形文化財となり翌年田中家から勝沼町(当時。現甲州市)に寄贈、その後建物の修復整備を経て平成15年(2003)より一般公開が行われ、現在に至っている。

第848回・旧室伏学校校舎(牧丘郷土文化館)

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山梨県山梨市牧丘町室伏にある旧室伏学校校舎は、明治8年(1875)に建てられた。洋風建築の建設を積極的に推進した当時の山梨県令(知事)・藤村紫朗の政策によって山梨県下に数多く建てられ、その形状から「インキ壺」と称された擬洋風の学校建築のひとつ。山梨市指定文化財。

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藤村紫朗によって設立された室伏学校は校舎竣工の翌年、明治9年(1876)に開校、その後室伏尋常小学校となり、昭和8年(1933)に廃校となった。

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校舎は昭和29年(1954)頃まで山梨高等学校諏訪分校の一部として使われたのを最後に、その後は保育所、養蚕場、公民館と用途を転々とした。

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藤村紫朗によって山梨県下に建てられた洋風建築は藤村式建築と称された。現存する藤村式建築の代表格とも言える甲府市の旧睦沢学校校舎(甲府市藤村記念館)と同様、旧室伏学校も正面に二層のベランダを張り出す。

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官公庁舎と学校建築が中心であった藤村式建築の中でも、学校建築は正面にベランダを配する他、正方形の寄せ棟屋根の上部には小さな望楼を載せ、その形状から住民からは「インキ壺」と称されたという。

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望楼越しに富士山が遠望できる。
旧室伏学校では望楼の内部に太鼓が置かれ、時間を知らせるのに使われていたという。

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平成15年(2003)に旧所在地より少し離れた現在地へ移築、現在は牧丘郷土文化館として公開している。

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内部は中央に玄関と階段を配し、両脇に教室等を配する構成になっている。

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明治期の教室の様子を再現した館内の一室。牧丘郷土文化館では郷土資料のほか、寄託を受けたルーベンスの版画などが展示されている。

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山梨県内に現存する藤村式建築としては、今回紹介した旧室伏学校のほかに旧睦沢学校校舎など、学校建築を中心に複数現存する。また県外に移築されたものであるが、官公庁舎の事例として明治村の旧東山梨郡役所もある。

第847回・法曹会館

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東京都千代田区霞が関にある法曹会館は、昭和11年(1936)竣工の建物。法律や司法事務等についての研究・出版事業を行っている、一般財団法人法曹会が運営している会館。

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霞が関の官庁街の一角にあり、旧司法省庁舎(現法務省赤れんが棟)の裏手に隣接する形で建っている。

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法曹会は明治24年(1891)に法律研究の任意団体として発足、現在は法曹専門誌や各種判例集、研究論文、執務資料等司法関係の印刷物の刊行と、法曹会館の運営を主な目的としている。

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設計者の藤村朗(1887~1953)は三菱に在籍した建築家で、旧三菱銀行本店や旧丸の内ビルヂングなどの設計に従事、後年三菱地所社長を務めた。

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三菱在籍時に手掛けた丸の内の建築群はほぼ全てが現存せず、法曹会館は数少ない藤村設計の現存作品と言える。

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なお余談ながら、明治36年に日光の華厳の滝で投身自殺、その際に残した遺書が当時の学生や知識人に波紋を広げたことで知られる藤村操(1886~1903)は、藤村朗の実兄である。

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全体的にシンプルな外観の建物であるが、尖塔や階段室のステンドグラスなど、昭和初期の建物ならではの造形もみられる。

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法曹会館、旧司法省、警視庁の3つの塔。

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法曹会館は結婚式場や宴会場としてもよく知られている。
なお、千代田区の景観まちづくり重要物件にも指定されている。

第846回・求道会館

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東京都文京区本郷六丁目にある求道(きゅうどう)会館は、大正4年(1915)に浄土真宗大谷派の僧侶であった近角常観(1870~1941)により、公衆に向けて信仰を説くための場として建てられた。東京都指定有形文化財。

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設計は武田五一(1872~1938)。京都帝国大学建築学科の主任教授を12年に亘って務めるなど、関西を主たる活動の場としていたため、関東では現存する数少ない設計作品である。

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また現存する武田設計の建築物の中では、名和昆虫記念館・昆虫博物館(明治40年・大正8年)、旧山口県庁舎県会議事堂(大正5年)などと並び、比較的初期の作品に当たる。

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施工は戸田建設(株)の創業者である初代戸田利兵衛による。

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構造は煉瓦造であるが、外装は煉瓦タイルを貼った正面に対し、側面は全体をモルタル塗りとして一部に赤煉瓦の帯を廻したような造りになっている。大阪の旧鴻池本店を連想させる。

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角を丸くした開口部の造形は山口県庁舎と共通する。

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玄関ポーチの床タイル。

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赤く塗られた玄関扉。

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正面に厨子(六角堂)を配した会堂内部。

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欧米のキリスト教会堂の空間構成を基本としながら、随所に日本の寺社建築のモチーフが組み込まれている。

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二階席から会堂正面を望む。

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木材を用いて鉄骨と同じ構造で組み立てられた、特異な造りの小屋組。

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卍模様の手摺。

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厨子の上に広がる、天平模様を施した石膏製のアーチ。

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正面に配された厨子。その前に演壇が置かれている。

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正面外壁に穿たれた5連アーチの窓の欄間には、菩提樹の図柄のステンドグラスが嵌め込まれている。

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演壇の背後の一階部分には暖炉を備えた部屋が2室設けられている。

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電話室と階段。

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二階の背面には畳敷きに床の間の和室ながら暖炉も備えた、和洋折衷の小礼拝堂が配されている。天井は洋式で一階の二室と同一意匠。

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小礼拝堂の暖炉。

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小礼拝堂の窓から見える求道学舎。大正15年(1926)に会館と同じく武田五一設計で建てられた鉄筋コンクリート造の建物。近角常観が学生と起居を共にしながら信仰を実践するための学舎である。近年大がかりな修復再生工事が施されている。

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毎月公開日が設けられており、その際は内部見学も可能である。
求道会館ホームページ

第845回・旧渡辺甚吉邸

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東京都港区白金台にある旧渡辺甚吉邸は、岐阜を本拠とする名望家・渡辺甚吉家の当主の住まいとして昭和9年(1934)に建てられたチューダー様式の木造洋館。現在は結婚式場兼レストラン「白金甚夢迎賓館」となっている。

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岐阜で織物業を営んでいた渡辺家は岐阜県下屈指の名望家であり、当主は代々甚吉の名を襲名していた。中でも12代甚吉(1856~1925)は、今日でも岐阜県下最大の地方銀行である十六銀行を設立、半世紀近く頭取を務めた実業家で、衆議院・貴族院議員も務めた政治家でもあった。

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この館を建てたのは14代甚吉(1906~1972)で、戦前戦後を通じて政財界の要職を歴任するなど実業家として活躍するほか、昭和7年に設立された岐阜薬学専門学校(現・岐阜薬科大学)の創立資金を全額寄付した功績から、岐阜市名誉市民にも選ばれている。

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14代甚吉は大学卒業から間もない昭和5年(1930)から約1年がかりで欧州を遊学する。東京に邸宅を建てる予定もあったため、旧知の建築家・遠藤健三を同行させての旅であったが、道中英国でチューダー様式の建築に魅せられる。帰朝後は遠藤の設計及監督で、チューダー様式による邸宅の建設が進められた。

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設計者の遠藤健三は一時期、当時富裕層を中心とする住宅の設計・施工を行っていた「あめりか屋」に勤務していた。その縁もあり、邸宅の全体計画には同社技師長の山本拙郎(1890~1944)が関与している。(なお当ブログでは「あめりか屋」住宅として過去に旧川上貞奴・福澤桃介邸旧徳川慶久別邸などを取り上げている)

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また照明燈などの装飾金物は、遠藤の早稲田大学建築学科の恩師である今和次郎(1888~1973)がデザインを手掛けている。今和次郎は早大建築学科で教鞭を執る傍ら、「考現学」を提唱した民俗学者としても知られる。

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14代甚吉はこの洋館で新婚生活を送るが、敗戦後は米軍に接収、その後ラオス、スリランカの駐日大使公邸を経て現在の「白金甚夢迎賓館」に至るが、邸宅は現在も渡辺家の所有である。なお東京都心では富豪の邸宅が戦中戦後にかけて各国大使館や大使公邸になった例は多く、当ブログでもタイ大使公邸(旧濱口邸)、インドネシア大使公邸(旧伊藤邸)を取り上げている。

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正門の脇に建つ小さな平屋建ては旧車庫である。14代甚吉は欧州遊学中に自動車の運転を覚え、帰朝後も多摩川にサーキット場を造るなど、本格的に打ち込んでいたという。

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邸宅の外観を特に印象付けているのが、車庫外壁及び門、外塀まわりに積み上げられた鉄平石。
同様に石材が強い印象を与える邸宅として、紀州の青石と称される緑泥片岩を積み上げた門と塀が印象的な、和歌山の郭家住宅を連想させる。

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内部も見事なチューダー様式の内装がそのまま残されている。
もし機会があれば、改めて内部も紹介させて頂きたいところである。

第844回・旧木内重四郎邸洋館(木内ギャラリー)

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千葉県市川市真間にある木内ギャラリーは、明治・大正期の官僚・政治家で、京都府知事、貴族院議員等を歴任した木内重四郎(1866~1925)が当地に建てた別邸のうち、洋館部分を平成16年(2004)に再建したもの。再建に際し大部分は新材に置き換えられているが、内装材や建具等の一部には、もとの旧部材が用いられている。

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江戸川を挟んで東京都に隣接する市川市は、永井荷風などの文人が多く住んでいたことでも知られるが、明治から昭和戦前にかけて富裕層の別邸も点在していた。旧木内別邸もそのひとつである。

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旧木内別邸は平成10年代初めまで、約1万坪に及ぶ広大な敷地と洋館・日本館から構成される邸宅が老朽化しながらも往時の佇まいをそのまま残していた。写真に写る洋館の左側、外壁がのっぺりしている部分は、もともと日本館がつながっていた部分である。

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その後宅地開発により邸宅は取り壊され、日本館は完全に消滅、洋館は敷地内で場所を移して再建されることになった。なお敷地は緑地部分の多くを保全する形で開発が行われたため、往年の面影が幾分かは残されている。

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開発業者によって再建された洋館は、構造は木造から鉄筋コンクリート造に改められ、内外装の部材も多くが新材に置き換えられたが、形は旧建物を概ね忠実に復元しているように見える。

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再建後、開発業者から市川市に寄贈された洋館は、現在は市民ギャラリーとして開放、音楽会や展覧会の会場として活用されている。

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屋根は天然スレートで葺かれている。
望楼を備えた塔屋部分は、旧建物では当時としては珍しい鉄骨造であったという。

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玄関ポーチ。神社仏閣にみられる斗栱(ときょう)の変形とされる柱上部の組物が特徴。

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格子状になった玄関ポーチの天井部分。

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玄関扉や欄間の金物装飾は旧建物の部材が再利用されている。

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玄関ホールへ続く扉も旧建物のオリジナル部材。

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玄関ホール正面のニッチ。立てかけてあるのは旧建物の棟札で、洋館の設計者として鹿島親房、そして今はない日本館の設計顧問として茶室研究家としても活躍していた保岡勝也(当ブログで以前紹介した埼玉県川越の旧八十五銀行旧山崎家別邸の設計者)の名が書かれている。

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塔屋に設けられていた望楼へ登るための階段。直線を基調とした階段手摺は旧建築のオリジナル部材かと思われる。なお現在は塔屋内部は非公開。

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旧応接室。暖炉の木製飾り及び両側の造りつけ戸棚は旧建物のオリジナル。

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暖炉の大理石、タイル、焚き口の金物は新規材による復元。

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洋館の内部では最も重厚な雰囲気の旧書斎。暖炉上部のアーチ部分の壁画、暖炉周りの造りつけ飾り棚や腰掛など凝った造形を見ることができる。

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暖炉周りとベイウインドウのある部分を仕切る形で、和風の高欄細工を備えた間仕切りを設けている。

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飾り戸棚や建具等に旧建物のオリジナル部材が用いられている。これに対し寄木張り風の床や暖炉のタイル、大理石などは新規材による復元である。

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重厚な旧書斎とは一転し明るい雰囲気のベランダ兼サンルーム。旧建物では書斎より床が15センチ程低かったが、現在はベランダ側の床を嵩上げする形で平坦化されている。

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大部分が新材に置き換えられてしまったのが惜しまれるが、千葉県内に現存する大正期の洋館の邸宅としては、千葉市稲毛の旧神谷傳兵衛別荘と並ぶ質の高い建物ではないかと思われる。また市民ギャラリーとしての利用も頻繁に行われているように見受けられ、喜ばしいことである。

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旧木内別邸と同様にマンション開発で取り壊され、現在は内装材や建具などが保存、将来の再建も視野に入れながら保存部材の再利用が進められている神戸市垂水区塩屋の旧ジョネス邸も、この木内ギャラリーのような形で将来甦るとよいのだが・・・

第843回・聖徳記念絵画館

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本日11月3日は現在、「文化の日」と称する休日となっているが、戦前までは「明治節」と称され、明治天皇の誕生日を記念する休日であった(昭和2年(1927)制定)。今回は明治天皇にゆかりの深い建物として、明治神宮外苑に大正15年(1926)に竣工した聖徳記念絵画館について取り上げたい。

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大正9年(1920)、明治天皇(1852~1912)と昭憲皇太后(1849~1914)を御祭神とする明治神宮の創建に併せて神宮外苑の造営も行われ、明治神宮野球場(神宮球場)、以前取り上げた明治神宮宝物殿(大正10年竣工)などの施設が苑内に造られた。

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聖徳記念絵画館も明治神宮外苑を構成する施設のひとつで、明治天皇・昭憲皇太后御在位中の事績を記念すべく、大壁画にして年代順に陳列・公開するものであった。

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設計に際しては公募による設計競技(コンペ)が行われ、1等となった大蔵省臨時建築部技手の小林正紹(1890~1980)の案をもとに、明治神宮造営局で実施設計が行われた。大正8年(1919)に着工、途中関東大震災による延期を挟んで7年後の大正15年(1926)に竣工した。

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設計原案を手掛けた小林正紹は、大蔵省、内務省、文部省と生涯の大半を官庁営繕に捧げた建築家で、国会議事堂の内装意匠も担当していたという。

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絵画の陳列という建物の性格上、外壁には窓がほとんど無く外光は天井のガラス窓から取り入れていた。このような造りはこの時代の博物館・美術館建築では一般的であり、現存するものとして上野公園の東京国立博物館本館表慶館京都市美術館でも同様の造りになっている。

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正面屋上にはコンクリートのドームを載せている。

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正面翼部壁面の装飾。外装の石材は岡山県産の万成花崗石が用いられている。

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側面出入り口。

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背面中央部分。なお、絵画館の敷地は明治天皇大喪の儀が執り行われた葬場殿の跡地であり、裏手には葬場殿趾であることを示す円壇が築かれている。

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平成23年(2011)に聖徳記念絵画館は明治神宮宝物殿と共に、国指定の重要文化財となった。

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内部は陳列室及びドーム真下にある中央大広間は写真撮影禁止である。陳列室は止むを得ないが、石膏装飾と大理石で飾られた吹き抜けの中央大広間は実に見事な造りで、撮影禁止なのは甚だ残念である。

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当記事では多少なりとも内部の造作が伺える、中央大広間手前の玄関ホールや風除室の内部写真をいくつか掲げておきたい。照明器具や扉などの建具、天井や壁面の石膏装飾などに密度の濃い大正建築の意匠がみられる。

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内部は玄関ホールの先にある中央大広間を挟んで両側に陳列室を配し、縦3m、横2.5mで統一された全80点の絵画が陳列されている。明治天皇の御降誕から崩御にかけての約半世紀の事績が、前半は日本画、後半が洋画で描かれている。

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大正15年の建物竣工時点では絵画は僅か日本画1点、洋画4点であったが翌昭和2年から仮公開が行われた。10年後の昭和11年(1936)に漸く全80面が揃い、翌年本公開が始まる。

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絵画は日本画の前田青邨、鏑木清方、洋画では藤島武二、和田三造など、いずれも当時の一流画家によるもので、「大政奉還」(邨田丹陵)、「憲法発布式」(和田英作)など、歴史の教科書に載っているようなものも多い。

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また絵画の奉納者は政府機関・地方公共団体・学会・企業・華族と広範囲に亘り、上述の「大政奉還」奉納者が徳川慶光公爵、「台湾鎮定」が台湾総督府など、画題と奉納者に関連がある場合が多い。(ウィキペディアで全絵画の画題・作者・奉納者の一覧表を見ることができる)

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戦時下から敗戦後の一時閉館されていた時期を除き、現在も引き続き開館当初とほとんど変わらない形で、公開が行われている。
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