年末の御挨拶

本年も残すところあと1日となりましたが、年末の御挨拶とさせて頂きます。

本年に入ってから更新頻度が落ちているにも関わらず、昨年と同様に多くの方々に御訪問頂き、アクセス数もおかげ様で総計15万を突破致しました。ご訪問頂いている皆様には心より御礼申し上げます。

どうぞ来年も弊ブログを宜しくお願い申し上げます。来年は5日以降に更新を再開させて頂く予定です。
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第860回・旧エリスマン邸

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旧エリスマン邸は、横浜の山手界隈に現存する戦前の洋館のひとつ。元々は同じ山手界隈でも別の場所に建っていたが昭和末期に解体、現在は元町公園の一角に移築復元されている。

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大正14~15年(1925~26)にスイス人実業家エリスマンの自邸として、山手町127番地に建てられた。平屋建の日本館(写真左側、現存しない)が附属する和洋併置式の住宅であったが、この日本館は使用人のための空間と思われる。

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設計は、日光のイタリア大使館別荘なども手掛けたチェコ人建築家のアントニン・レーモンド(1888~1976)による。

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木造二階建てで屋根は天然スレート葺、外壁は一階が竪羽目張り、二階は下見板張りで変化をつけている。

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旧帝国ホテルなどで知られる米国人建築家で、レーモンドが師事したフランク・ロイド・ライトの作風を思わせる意匠が建物の随所に見られる。

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昭和57年(1982)に解体されるが、このとき部材が横浜市に寄贈された。8年後の平成2年(1990)に現在地に再建され、一般公開されている。

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暖炉を備えた居間兼食堂。

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一階ホール。一階は居間兼食堂、応接室、サンルーム等で構成される。

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階段の意匠はライト風。

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階段踊り場。

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二階ホール。二階は寝室3室、浴室、洗面所が配されている。

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浴室。

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横浜市が所有・公開している山手界隈の洋館群のひとつである。

第859回・旧川崎貯蓄銀行大阪支店(堺筋倶楽部)

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大阪市中央区南船場にある旧川崎貯蓄銀行大阪支店は昭和6年(1931)に建てられた大阪市内でも現存する数少ない戦前の銀行建築である。現在はレストラン・結婚式場として利用されている。

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大阪のメーンストリートのひとつである堺筋に面して建つ旧川崎貯蓄銀行大阪支店。堺筋沿いには高麗橋野村ビル大阪証券取引所旧報徳銀行生駒時計店旧小西儀助商店など、当ブログでも紹介した多くの近代建築が残されている。

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川崎貯蓄銀行は戦前の金融財閥のひとつである川崎財閥系列の銀行である。大阪支店竣工から5年後の昭和11年(1936)に川崎第百銀行に合併、現在の東京三菱UFJ銀行の前身のひとつでもある。

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大阪市内には同じ川崎貯蓄銀行の旧福島出張所の店舗が現存する。(当ブログ過去記事参照)

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設計は、川崎財閥系列の建物を多く手掛けた矢部又吉(1888~1941)とされている。

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側面からの眺め。

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矢部又吉の設計による旧川崎財閥系列の建物で現存するもの(部分保存も含む)には、旧川崎銀行佐倉支店旧川崎銀行横浜支店旧川崎銀行千葉支店、先述の旧川崎貯蓄銀行福島出張所などがある。

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矢部又吉の設計による古典様式の建造物は、いずれも精緻で彫りの深い装飾が施されているものが多い。

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現在はレストラン及び結婚式場「堺筋倶楽部」として使われている。

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内部も戦前の銀行建築の造りを極めて良好に残しているのが特徴である。

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未だ登録文化財等の行政による保全対象とはなっていないが、現存する大阪市内における質の高い戦前の銀行建築として、極めて貴重な建物である。

第858回・横浜山手聖公会

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横浜市中区山手町にある横浜山手聖公会は、日本聖公会に所属し、英国国教会の流れを汲むプロテスタント教会。現在の聖堂は昭和6年(1931)に竣工した3代目で、戦災と不慮の火災による二度の内部焼失も乗り越えて現在に至っている。横浜市認定歴史的建造物。

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文久3年(1863)に横浜居留地105番(現・中区山下町105番地)に初代の聖堂が竣工、明治34年(1901)に現在地に移転、旧三菱一号館や旧岩崎久彌邸などで知られる英国人建築家コンドルの設計による2代目が竣工するも、大正12年の関東大震災で周辺一帯は壊滅、聖堂も崩壊した。

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7年間の仮聖堂使用を経て、米国人建築家モーガンの設計による3代目聖堂が昭和6年(1931)に竣工、復興を果たす。

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設計者のモーガンは、東京の丸の内ビルディング(大正12年竣工の旧丸ビル)施工のため来日したのを機に日本に定住、東京や横浜を中心に設計活動を行っていた建築家である。

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当ブログでは以前紹介した神戸の旧チャータード銀行神戸支店や、横浜山手聖公会と同じく山手に建つ旧ベリック邸などが現存する。

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構造は鉄筋コンクリート造であるが、外壁は大谷石を積み上げた石造風の外観とする。

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現在の聖堂は2度火災に遭遇している。1度目は戦災で、昭和20年(1945)5月の横浜大空襲で外壁を残して内部と屋根を焼失、2年後の昭和22年(1947)に修復工事が完了している。

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2度目は不慮の事故で、平成17年(2005)1月に放火のため再び外壁を残して焼失してしまう。

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再度修復が行われ、現在はもとの佇まいを取り戻している。

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横浜山手聖公会の周辺には、1件おいて隣には、先日紹介した洋館のえの木ていがある他、戦前の洋館が多数集積する。

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城郭のような外観の教会は、山手一帯でもとりわけ重厚な姿を見せている。

(参考)横浜山手聖公会ホームページ 聖堂の変遷

第857回・旧松村家住宅(足立音衛門本店)

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京都府福知山市内記にある旧松村家住宅は、同市を発祥とする中堅ゼネコン・松村組の創業者である松村雄吉の住居として明治末期から大正中期にかけて建てられた。邸宅は写真の洋館のほか、和風の主屋と御殿、茶室などで構成されている。京都府指定文化財。

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福知山市内を流れる由良川の堤防沿いに建てられた旧松村家住宅の全景。左手前が町屋風の主屋、その横には堤防の斜面に沿って造られた庭園があり、庭園内には茶室が2棟、また堤防上部には洋館と撞球場、御殿と附属棟、土蔵2棟が配されている。

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松村組が所有していた平成14年(2002)当時、福知山市によって一般公開が行われた際に撮影した旧松村家住宅全景。庭園を囲む塀が現在は取り払われているのが分かる。

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洋館。大正8年(1919)に上棟。(写真は平成14年撮影)

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撞球室。大正期の竣工とされる。(平成14年撮影)

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御殿。大正6年(1917)上棟。(平成14年撮影)

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洋館脇にあった創業者の銅像台座。(平成14年撮影、現存しない。)

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平成26年現在の旧松村家住宅。堤防の上に建てられた洋館は由良川に正面を向けており、専用の門を設ける。門の両脇には土蔵2棟と撞球場をそれぞれ配している。

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由良川の沿岸域は古くより水害が多く、松村家住宅が建つ堤防も明治40年(1907)の大水害を受けて築かれたものである。築堤には松村組も携わっており、創業者・松村雄吉は堤防の安全性を誇示するため、敢えてこの地に邸宅を建設したとされている。

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洋館に続く門の脇に設けられた撞球場。和洋折衷の造りになっているが、和風の部分は門衛所かも知れない。独立した形式の撞球場(ビリヤード室)で現存するものは、先日当ブログで紹介した旧住友家本邸や、旧岩崎久彌邸西諸戸邸などがある。

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松村組は明治27年(1894)、松村雄吉が福知山にて創業、陸軍関係を中心とする公共事業を受注しながら中堅ゼネコンとしての地歩を築き現代に至ったが、平成17年(2005)に経営破綻、民事再生手続による再建を経て現在に至る。

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旧松村家住宅は、平成17年に経営破綻するまでは松村組が所有、長い間創業者の自邸として大切に保存されていた。当時から既に京都府の指定文化財にも指定されており、不定期の一般公開も行われていた。

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経営破綻により松村組の手を離れた後、旧松村家住宅は文化財としての価値を理解しない悪質な開発業者の手に渡り存続の危機に陥った。建物や庭園は庭石などが持ち去られるなど荒廃が進み、一時は更地にされかけた事もあったという。

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その後幸いにして、現所有者である和菓子製造販売業の(株)足立音衛門が取得、同店の本店として改修工事が施され甦った。

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洋館と御殿を繋ぐ附属棟。洋館は大正8年の建設当初は独立した離れのような形で建っていたと推測されるが、その後御殿と接続されたようである。

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煉瓦積になっている洋館基壇部の換気口の金物。
なお現在、敷地内への立ち入りは自由であるが、店舗として使われている主屋以外の建物は外観見学のみで、建物内部への立ち入りはできない。

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平成14年の一般公開時に撮影した洋館2階の暖炉。洋館は迎賓館として建てられたものと思われるが、同じ建設業者の迎賓館的施設として建てられた大阪市此花区の旧鴻池組本店と比較すると、写真の暖炉や天井の照明台座などを除くとごく簡素な内装の洋館であったように記憶している。

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御殿正面。訪問時は修復工事の最中のようであった。現在はどうなっているか不明であるが、襖絵などで飾られた華やかな造りの書院座敷があった。

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御殿脇に移設されていた中門。かつては撞球場の脇にあり、御殿の前に存在した庭園の庭門として機能していたものと思われる。中門の扉には松村組の社章なのか、洋館基壇の換気口金物と同じデザインの印があしらわれている。

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平成14年公開時の写真を御覧頂くと、御殿と洋館、撞球室の間には庭石や石燈籠を多数配した庭園が広がっていたのがお分かり頂けると思うが、現在は跡形も無い。荒廃している時期に持ち去られ失われたのか、現用途への転用上、駐車場確保のため庭園をつぶさざるを得なかったのかどうかは不明である。また洋館脇の銅像台座も撤去されたのか、現存しない。

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御殿まわりとは対照的に、斜面に配された茶室周辺の庭園は旧状をよく残しているようである。

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堤防上部に設けられ眺望を重視したのか、大きく縁側を広げた開放的な造りの茶室である。

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斜面の下、主屋の脇に設けられた茶室。背後にはかつて既述のとおり高塀が建っており、街路と庭園を仕切っていたが撤去されているため、庭園の趣がいささか異なるものになっている。

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茶室の後ろに洋館が見える。

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一連の邸宅の建物の中では最も古い主屋。明治45年(1912)の竣工。水害対策のため石垣の基壇を設け、その上に建っている。既述の旧鴻池組本店と同じく、伝統的な町家の造りとなっている。

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松村組所有当時は同社の営業所として使われていたという。

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現在は足立音衛門の本店店舗として、邸宅の建物としては唯一中にも入れる。
存続の危機にあった旧松村家住宅の建物を残してくれた同社には深く敬意を表したい。

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京都府下の地方都市に現存する和洋併置式の近代の邸宅遺構としては、旧松村家住宅は亀岡市の旧田中源太郎邸(楽々荘)と並ぶ存在と言える。(旧田中源太郎邸や記事本文で言及した旧鴻池組本店等についてはリンクを張っているので、当ブログ過去記事を参照頂きたい)

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旧松村家住宅と同じく由良川の堤防沿い、すぐ近くの下柳町にある旧片岡家住宅
大正15年(1926)に地元の実業家の別荘として建てられた数寄屋風の和風住宅で、国登録有形文化財。

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木造三階建てであるが、堤防の斜面に建っているため由良川に面した正面からは二階建てに見える。
老朽化が進んでいるように見えるのが気がかりである。

第856回・祝橋

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山梨県甲州市勝沼町にある祝橋は、昭和5年(1930)に架けられたコンクリートアーチ橋。ブドウの町・勝沼を象徴する橋である。国登録有形文化財。

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現在の橋は3代目で、大正3年(1914)に架けられた吊り橋であった2代目祝橋の老朽化に伴い架け代えられた。

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祝橋は大正2年(1913)に開業した中央本線勝沼駅(現・勝沼ぶどう郷駅)と祝村を結び、当地の特産品であるブドウを農園から駅まで自動車で運搬することが可能になった。

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昭和5年11月に竣工、翌昭和6年に開通した。

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昭和60年(1985)に自動車が通行する道路橋としての役目は隣接する新祝橋に譲り、現在は歩行者用及び水道管が通る橋として使われている。

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メガネ橋の愛称で親しまれ、架橋当初からブドウの町・勝沼を象徴する存在でもあり、今もその点は変わらない。

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橋本体はコンクリート打ち放し仕上げになっているが、欄干部分は石造り風に仕上げられているのがわかる。

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コンクリート橋への架け替えに際しては、橋脚を設置できない峡谷地形であったことから、アーチ橋が採用されたという。

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平成9年(1997)に国登録有形文化財となっている。

第855回・京都大学人文科学研究所(旧東方文化学院京都研究所)

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昭和5年(1930)に京都市左京区北白川東小倉町に東方文化学院京都研究所として建てられた。現在は京都大学人文科学研究所の分館として使われている。国登録有形文化財。

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北白川の閑静な住宅街の一角に佇む。

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東方文化学院は、義和団事件の賠償金を基に、外務省管轄の事業として日本と中華民国(当時)の共同運営で進められた文化事業(東方文化事業、対支文化事業)の一環として設置された研究機関である。

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戦後の昭和24年(1949)に京都大学人文科学研究所(昭和14年発足)と対等合併、現在は同研究所に付属する東アジア人文情報学研究センターの所屋として使用されている。

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現在は京都大学の付属研究機関となっているが、当初設立の際は外務省管轄の研究機関であったことから、京都大学のキャンパスからはやや離れた場所に位置する。

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京都における中国学研究の象徴として知られる建物である。

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設計は、京都帝国大学建築学科で主任教授であった武田五一に師事していた東畑兼三が行った。スペインの僧院を意識した造りは研究所評議員で後に京都帝国大学総長も務めた考古学者・濱田耕作(1881~1938)の発案に基づくという。

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スパニッシュ風建築は大正末期から昭和初期にかけて、当時関西を拠点に設計活動を行っていた武田五一やヴォーリズらの建築家によって盛んに建てられた。

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また建設業者の中でもとりわけ大林組が、社長が自邸をスパニッシュ風で建てるなど関西における同様式の普及に最も貢献している。旧東方文化学院京都研究所もその大林組の施工により、昭和5年(1930)に竣工している。

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正面玄関。

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玄関のある前面に閲覧室と書庫、背面には中庭を囲む形で平屋建の研究棟が連なっている。

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書庫棟の壁面に設けられた日時計。

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スパニッシュ風意匠の洋風建築であるが、屋根はスペイン瓦葺きにしながらも伝統的な日本瓦と同じ色調・質感にするなど、周囲の風致との調和が図られているのも特徴である。

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京都市内の近代洋風建築の中でも最高傑作のひとつとされている。

第854回・えの木てい

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横浜市中区山手町にある洋館、えの木ていは昭和初期に建てられた外国人用賃貸住宅。現在は洋菓子店の本店として使われている。

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安政6年(1859)の開港以来、外国人居住地区として発展を遂げた山手地区は大正12年(1923)の関東大震災で壊滅するが、震災後直ちに復興が進められ、大正末期から昭和初めにかけて外国人向け住宅も多数再建された。

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えの木ていの建物もそのひとつで、震災から4年後の昭和2年(1927)の竣工である。かつては写真右手前側にかけて同じ造りの洋館が3棟並んでいたが、今はえの木ていの建物のみが現存する。

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現在の店名の由来となった、洋館手前に立つエノキ。

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洋瓦葺の屋根、スタッコ仕上げの外壁やベイウインドウなど、現存する山手界隈の洋館では以前当ブログで紹介したブラフ18番館などと同様の造りがみられるが、規模は小さい。

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外国人住宅としてはかなり小ぶりなものである。

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玄関ポーチ。

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煙突。内部には暖炉を備えている。

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カフェテラス席も備えた洋菓子店として、山手界隈の観光スポットのひとつになっている。

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周辺は先述のブラフ18番館や旧ベリック邸など、戦前建築の洋館や教会などが多く現存する。当ブログでは未紹介のものも多いので、今後取り上げていきたいと思う。

第853回・旧住友家本邸撞球場

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大阪市中央区島之内1丁目の旧住友家本邸跡に残る撞球場(ビリヤード場)の建物。明治初期の擬洋風建築であるとともに、日本国内で現存する最古の撞球場とされている。

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この地には江戸時代初頭から明治9年(1876)まで、住友家(泉屋)が操業する住友銅吹所が置かれていた。住友銅吹所では愛媛県にある別子銅山から産出される銅の精錬が行われ、のちの住友財閥の基礎が築かれた。

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明治に入り住友銅吹所は閉鎖、店舗は他所に移転する。銅吹所の跡地は住友家本邸の一部となり、洋館や庭園が新たに整備された。住友家本邸はこの界隈の地名に因んで鰻谷(うなぎだに)本邸とも呼ばれていた。

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住友家本邸はその後大正から昭和にかけて、茶臼山(現在の天王寺公園内、大阪市立美術館の敷地)、兵庫県武庫郡住吉村(現在の神戸市東灘区)を経て京都鹿ケ谷に移る。旧鰻谷本邸は第二次大戦の戦災で失われるまで迎賓館として使われていたという。

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旧撞球場は旧鰻谷本邸で戦災を免れて現存する、唯一の建物である。

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近代の富豪の邸宅で撞球場(玉突場、ビリヤード室)を備えた邸宅は多く存在するが、独立した形式の撞球場としては、明治12年から25年以前に建てられたとされる住友家の撞球場が最古とされている。

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住友家以外で現存する独立した形式の撞球場では、東京湯島の旧岩崎家の撞球場や、三重県桑名の諸戸宗家(西諸戸家)の撞球場が現存、いずれも国指定重要文化財となっている。

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かつて邸宅の内側、庭園に面していたと思われる側は洋風に造られているのに対し、街路に面した側は純和風の外観で、土蔵のような造りになっている。

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庭園側の洋風の上げ下げ窓に対し、街路側は小さな円形窓が並ぶ。

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大阪市内では極めて数少ない、現存する明治初期の擬洋風建築である。

更新停滞のお詫びと再開のお知らせ

弊ブログのご訪問ありがとうございます。
12月に入ってから更新が滞っており、大変恐縮でございますが、近日中に記事投稿を再開させて頂く予定です。
以下、紹介予定の建物の一部を載せておきます。引き続き弊ブログをご訪問頂けると幸いです。

ところで、本日(12月14日)は衆議院議員選挙投票日です。選挙権のある人は必ず投票に行きましょう。

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syoukou

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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