第887回・旧京都帝国大学本館(京都大学百周年時計台記念館)

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時計台のある外観で知られる旧京都帝国大学本館は、火災で焼失した先代建物に代わって、建築学科主任教授・武田五一の設計により大正14年(1925)に建てられた。現在は百周年時計台記念館として内部が公開されている。

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正門から望む旧本館。正門は明治26年(1893)に第三高等中学校(のちの第三高等学校、京大の前身のひとつ)の正門として建てられた。当初は御影石と赤煉瓦を組み合わせたものだったが、現本館竣工の際に煉瓦部分をモルタルで塗り込め、現在の姿になった。なお、この正門は国の登録有形文化財。

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正門と同時に第三高等中学校本館として建てられた赤煉瓦の建物が、初代京都帝国大学本館に当たるが大正元年(1912)に火災で焼失、その後10年以上京都帝大には本館が存在しなかった。なお赤煉瓦の旧本館は京都大学のホームページで写真をみることができる。

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同じ大正14年竣工で、前面に時計台を張り出した外観が特徴の東京帝国大学大講堂(安田講堂)と比較すると、京大の時計台は建物の背面側にあり、控えめな印象を受ける。

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旧本館の正面に立つクスノキは、旧本館の時計台と共に京都大学のシンボルとして、同大学のロゴマークにもなっている。写真両端、旧本館の背後に写る茶色の建物は前回記事で取り上げた法学部経済学部本館である。

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設計者の武田五一(1872~1938)は、大正9年(1920)に京都帝大に建築学科が創設されたことに伴い、初代主任教授として昭和7年(1932)の定年退官までその職にあった。

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武田五一は京大構内では旧本館のほか、以前当ブログで取り上げた建築学教室本館(大正11年竣工)の設計も行っている。

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赤褐色のタイルを芋目地に貼る外壁は、旧本館・建築学教室本館の両者に共通する仕上げである。

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建築学教室本館よりも凝った意匠が施されている、旧本館壁面のタイル装飾。

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平成15年(2002)に、旧本館は背面の一部を改築しながらも大部分については保存のための改修工事を行い、百周年時計台記念館として生まれ変わった。

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玄関ポーチ正面。

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玄関ポーチのテラコッタ装飾。

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玄関ポーチの照明燈。

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一階内部、通常一般公開されている部分。

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柱の上部に施された装飾には、武田が設計に関与している京都市庁舎などでも見られる、和風あるいは東洋風の意匠が見られる。

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側面から背面にかけての旧本館外観。
かつて背面には八角平面の大講堂が張り出していたが、百周年時計台記念館として改修の際に撤去、跡地には百周年記念ホールが建っている。写真左側に一部写っている現代建築が百周年記念ホールの外壁。

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裏側から見る時計台は結構な高さがあり、控えめな印象の正面とは異なり堂々とした印象を受ける。

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旧京都帝国大学本館は武田五一の代表作品のひとつであると同時に、京都市内に現存する大正建築の代表格である。
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第886回・京都大学法学部経済学部本館

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京都大学吉田キャンパスにある法学部経済学部本館は、昭和8年(1933)に京都帝国大学(当時)営繕課長であった大倉三郎の設計により建てられた。その後20年かけて数次にわたる増築を重ね、現在の姿がつくられた。

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両翼を前面に張り出したコの字型の建物で、前にある時計台を包み込むような配置を取る。
写真の正面向かって左側(西側)が、最も古い昭和8年の竣工部分。

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設計者の大倉三郎(1900~1983)は京都帝国大学建築学科の第1期生として卒業後、宗建築設計事務所を経て京都帝国大学営繕課に昭和15年まで在籍、法経学部本館などの設計に従事した。戦後は主に教職にあり、京都工芸繊維大学や西日本工業大学の学長も務めている。

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京都大学では法経学部本館をはじめいくつかの建物が現存する。また宗建築設計事務所在籍時に担当した建造物として、大阪の旧生駒時計店、京都の旧鴻池銀行七条支店も現存している。

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一階正面の前庭に面した側には回廊が設けられている。

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中央部分は昭和13年(1938)に増築された。

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真ん中のバルコニーが外観のアクセントになっている。

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東側の張り出し部分は戦後の増築で、昭和27・30年(1952・1955)の2期にわたる工事で完成した。約20年かけて全体が出来上がったことになる。

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玄関の石段や2・3階中央の窓など、西側とは若干異なる造りになっている。

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平成15年から17年(2003~2005)にかけて耐震補強と改修工事が施されている。

第885回・聖路加国際病院旧病院棟

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前回記事でも取り上げた、東京都中央区明石町にある聖路加国際病院の旧病院棟である。昭和8年(1933)竣工の旧病棟の一部とチャペルが保存されている。東京都選定歴史的建造物。

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旧病棟は塔屋とチャペルのある中央部分のみが保存されている。写真の中央部分が昭和8年に建てられた部分で、両翼は平成に入って行われた再開発によって建て替えられた部分である。

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聖路加国際病院の所在地で、現在の兵庫県明石が地名の由来とされる明石町は、以前当ブログでも紹介した築地本願寺にも近く、広い意味で築地の一部に含められることがある。明治に入ると外国人居留地が明石町に置かれ、主にキリスト教会やミッションスクールが入った。

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聖路加国際病院の設立は、明治35年(1902)に創立者のルドルフ・トイスラー博士(1876~1934)が明治初年に築地に設立されながらも当時荒廃していたキリスト教系の病院である「築地病院」を買い取り、「聖路加病院」を設立したことに始まる。

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大正12年(1923)の関東大震災での被災を経て、皇室からの下賜金を始め米国聖公会・米赤十字などの寄付金などにより新築されたのが、現在残る建物である。なお、このとき現在の「聖路加国際病院」に改称された。

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設計は、当初原案は当時日本で活動していた外国人建築家の一人であるアントニン・レーモンド(1888~1976)によるものであったが、無装飾のモダニズムデザインが病院側の不評を買い、ジョン・バン・ウィ・バーガミニー(1888~1975)に実施設計が委ねられたとされている。

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旧病院棟へのエントランス部分は創建時からのオリジナルではなく、改築に際し新たに設けられたものである。但しデザインは撤去された旧玄関のイメージを一部踏襲したものとなっているようだ。また上部ベイウインドウの両脇には、かつては各階毎に小窓があったが、現在は補強のためか塞がれている。

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旧玄関脇から移設された御影石の腰壁。徳川家達公爵(1863~1940)の揮毫による、「神の榮光と人類奉仕のため」の文字が同じ文言の英文と共に刻まれている。丸い穴が開いているのは大東亜戦争中、憲兵隊の命令により文字を隠蔽していた痕跡とされる。聖路加国際病院は昭和18年から20年までは「大東亜中央病院」と改称させられていた。

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背面に回るとチャペルの外観が見える。
十字架を戴く塔屋と共に、聖路加国際病院の中心と言える場所である。

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病棟部分とは異なり、チャペルの設計はバーガミニーが初めから設計を行い、また神戸の回教寺院(ムスリムモスク)の設計者としても知られるヤン・ヨセフ・スワガー(1885~1969)が構造設計に携わっている。

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モダニズムデザインを基調とした病棟と異なり、装飾的な外観のチャペル。

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チャペルは病棟竣工から3年後の昭和11年(1936)に竣工した。
なお創立者のトイスラー博士はチャペルの竣工を見ることなく病棟竣工の翌年、昭和9年に永眠している。

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壁面上部のランタン飾り。

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ステンドグラスの3連窓の間には人面像のレリーフ。

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窓台の装飾の細部をよくみると、ユーモラスな表情の動物(?)の顔が。

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写真右側のレリーフ上部には十字架が見える。
これらの装飾はいずれも聖書やキリスト教に由来するものと思われるのだが。

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チャペルの窓は、その殆どにステンドグラスが嵌め込まれている。

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壁面にも十字架のレリーフ。

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聖路加国際病院の名称は、新約聖書の福音書の著者のひとりである、聖人ルカの漢字表記「路加」に因む。
「ろか」と読まれることも多いが、正しくは「るか」と読む。

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聖路加国際病院旧病院棟は、旧居留地時代の名残を残す明石町のシンボルとして今も健在である。

第884回・聖路加国際病院トイスラー記念館

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東京都中央区明石町10番地の聖路加国際病院敷地内にあるトイスラー記念館は、同病院の宣教師館として昭和8年(1933)に建てられた。中央区民文化財。

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聖路加国際病院と隣接する聖路加看護大学の前に設けられた公開空地に建つトイスラー記念館。背後の建物が聖路加国際病院の新病院棟。

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当初は隅田川畔の同町19番地に建っていたが、聖路加病院の改築による再開発事業により平成元年(1989)に一旦解体、平成10年(1998)に現在地に移築復元された。なお、現在の名称は創立者のルドルフ・トイスラー博士(1876~1934)に因む。

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背後の尖塔をもつ建物はトイスラー記念館と同じ昭和8年竣工の聖路加国際病院の旧病院棟で、チャペル等の主要部分が保存されている。

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設計は聖路加国際病院の旧病院棟の実施設計を手掛けたバーガミニー、施工は清水組(現清水建設)による。
構造は鉄筋コンクリート2階建て一部木造による。

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外部に柱や梁などを表するハーフティンバー風の意匠であるが、柱や梁の部分は銅版貼りとなっているのは珍しい。

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室内も伝統的なチューダーゴシック風のデザインで、1階玄関ホールやリビングなどに木材による重厚な内装が施されているという。

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内外装ともに再利用可能な部材を用いて忠実に復元されているという。
なお残念ながら、内部については非公開である。

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玄関ポーチは木造になっている。

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勝手口まわり。

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パーゴラが設けられたテラス。

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聖路加国際病院の旧病院棟については回を改めて紹介したい。

第883回・新宿御苑旧洋館御休所

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新宿御苑で第二次大戦の戦災を免れて現存する数少ない主要施設のひとつが、皇族が御苑を利用される際の休憩所等として、明治29年(1896)に建てられた旧洋館御休所。東京都内でも数少ない明治の木造洋風建築である。国指定重要文化財。

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創建以降、度々にわたる増改築が行われ、文化財指定に先立って行われた修復に際しては、最も整備が進んだ大正13年(1924)当時の姿を残す形で復元されている。

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正面玄関及びその左側は比較的改変が少なく、明治29年(1896)竣工当初の姿を残している。設計は宮内省内匠寮で、その中には後に赤坂離宮奈良国立博物館表慶館などを手掛ける宮廷建築家となった片山東熊(1854~1917)も技師として在籍していた。

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背面には大正11~13年(1922~24)の増築で設けられた浴室棟がある。そのすぐ左側には、かつて存在した温室(明治25年竣工、現存しない。なお温室自体は新宿御苑に現在もある。)とを結ぶ渡り廊下の跡が残されている。

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温室鑑賞の際の休憩所として建てられた旧洋館御休所は、その後御苑がゴルフやテニスなど皇族の運動場としても利用されるようになると、クラブハウスなど様々な用途に使われた。用途の拡大に伴い、明治42年(1909)から大正13年(1924)にかけて度々の増改築が行われ、現在の規模になった。

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第二次大戦後、新宿御苑は皇室の手を離れ一般に開放された。旧洋館御休所は長らく管理事務所として使われていたが、平成12年(2000)に修復工事が行われた後、明治の洋風建築として一般公開され現在に至る。

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修復の翌年、平成13年(2001)には国指定重要文化財となった。
なお、内部は撮影禁止なので残念ながら室内の写真はない。

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正面玄関。旧洋館御休所の外観は、当時の米国の住宅建築で流行していたスティックスタイル(構造体である木造の軸組を化粧として、建物の壁面のデザインに採り入れたもの)を基調にまとめられている。

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軽快な印象の玄関ポーチの柱。現存するスティックスタイルの洋風建築では他に、軽井沢の旧三笠ホテルや、愛知県岡崎市にある旧額田郡物産陳列所が同じく国指定重要文化財となっている。

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軒下には切り紙細工のような装飾を施す。これも当時の米国の木造住宅で流行した意匠(カーペンターゴシック)に由来するものと思われる。

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正面玄関左脇にある、四半円形のテラス状の空間。特に機能はない部分と思われる。

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正面玄関の右側にある、硝子戸の嵌め込まれた外廊下部分は大正11年(1922)の改装によるもので、それまでは吹き放ちのベランダであった。

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新宿御苑には戦前まで、御殿、鴨場御休所(旧楽羽亭)、動物園御茶屋(旧翔天亭)と称するいずれも和風木造平屋建の施設があったが、これらはすべて戦災で失われた。

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新宿御苑内で今日も現存する宮内省所管時代の施設は、旧洋館御休所と当ブログで以前取り上げた台湾閣(旧御涼亭)旧新宿門など、ごく少数である。
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