第897回・旧東北帝国大学理学部生物学教室

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東北大学片平キャンパスにある旧東北帝国大学理学部生物学教室は、大正12年(1923)に建てられた、仙台では最初の鉄筋コンクリート造建造物とされている。

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円形のコーナー部分が外観の特徴となっている。

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現在は放送大学宮城学習センターとして使用されている。

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赤煉瓦に見える部分は煉瓦を積んでいるのではなく、煉瓦タイルを貼っているものと思われる。

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重厚で彫りの深い外観が多い明治期の建築とは異なり、壁面の平坦さを強調した外観が大正期らしい。
同時期の帝国大学の施設として旧京都帝国大学建築学教室(大正11年)がある。

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セセッション様式の装飾が施された玄関まわり。

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玄関内部。
現在、ここは玄関としては使われていない。

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玄関のすぐ脇に、唐突に建物の断面が現れる。
本来はもっと大規模な建物として設計されていたものと思われるが、未完のまま現在に至ってしまったものと思われる。

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本来であれば中庭になっていたと思われる部分。

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煉瓦タイルもなく、モルタル仕上げを施しただけの簡素な壁面となっている。

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現在は暫定的な用途で余生を送っているような感がある。
いずれは旧工学部金属工学教室旧理学部化学教室のように改修の上、本格的な再利用がなされるとよいのだが。
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第896回・神戸教会

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神戸市中央区花隈町にある神戸教会は、日本基督教団所属のプロテスタント教会。現在の会堂は昭和7年(1932)の竣工。神戸に現存する数少ない戦前建築の教会堂である。

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旧兵庫県庁舎(現・兵庫県公館)から西に徒歩数分の距離に建っている神戸教会。

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神戸教会は、明治7年(1874)に現在の神戸市中央区元町5丁目にて設立された「摂津第一公会」が起源とされている。

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以前当ブログで取り上げた日本基督教団大阪教会などとともに最古級のプロテスタント教会とされている。

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現在の会堂は4代目に当たり、高い尖塔が特徴である。
設計者の原科準平は、同じ兵庫県内にあり近年保存改修された旧豊岡市庁舎(昭和2年竣工)の設計も手掛けている。

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第二次大戦末期には軍に接収され、外壁を黒く塗られていた時期もあったという。

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昭和13年(1938)の阪神大水害、昭和20年(1945)の神戸空襲、平成7年(1995)の阪神大震災をいずれも乗り越えてきた。

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会堂の重厚な木製の扉には、ゴシック調の装飾が施されている。

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神戸は慶應3年(1868)の開港以来多くの欧米人が入り込み、横浜や函館など他の開港地と同様にキリスト教会も数多く設置された。

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神戸教会のほか、兵庫県庁向かいの栄光教会や中山手カトリック教会など、明治から昭和戦前にかけて建てられた華麗な近代建築の会堂が平成7年の阪神大震災までは神戸の街の随所に聳えていた。

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震災で多くは失われ、栄光教会のようにほぼ同じ姿で再建されたものもあるが、戦前の佇まいをそのまま残す教会は、神戸教会などごくわずかになってしまった。

第895回・鶴舞公園普選記念壇

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名古屋市昭和区にある鶴舞公園にある普選記念壇は、大正14年(1925)の普通選挙法施行を記念して、昭和3年(1928)に名古屋新聞社(現・中日新聞社)が寄贈した野外演壇。名古屋市指定有形文化財。

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鶴舞公園は明治42年(1909)に開設された名古屋で最初の近代的な都市公園である。当ブログでも以前紹介している噴水塔及び奏楽堂(明治42年、但し奏楽堂は平成9年の復元)、名古屋市公会堂(昭和5年)は同公園内にある。

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明治23年(1890)の帝国議会開設以来、我が国の選挙制度は納税額による制限選挙であったが、大正時代に入ると大正デモクラシーの風潮を受け、普選運動が盛り上がりをみせた。その成果が大正14年施行の普通選挙法である。

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なお、このときの普通選挙法で選挙権が与えられたのは、日本国籍を持ち(当時日本領土であった台湾・朝鮮を含む)かつ内地に居住(台湾、朝鮮、樺太等の外地、及び国外居住は含まない)する満25歳以上の全ての成年男子であった。

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正面中央には、普通選挙の基本精神とする「五箇条の御誓文」(慶応4年(1868)に明治天皇が示した明治政府の基本方針)が掲げられている。

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正面向かって右側には名古屋新聞社による銘文が刻まれている。但しオリジナルは戦災で失われており、現在のものは昭和43年(1968)に明治改元百周年を記念して名古屋市によって復元されたものである旨の添え書きがある。

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正面向かって左側には「五箇条の御誓文」の英訳文が刻まれている。なお鶴舞公園には戦前、普通選挙法成立時の首相で、愛知県出身でもある加藤高明の銅像があったが戦時中に供出され、今は台座のみが残されている。

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壇上より客席を望む。現在は野外劇場として、各種の催しの会場に使用されている。

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背面からみた普選記念壇。
設計は、日比谷公会堂群馬栃木滋賀の各県庁舎などの設計で知られる佐藤功一(1878~1941)による。

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昭和61年(1986)に噴水塔とともに名古屋市の指定有形文化財に指定されている。

第894回・教育塔

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大阪市中央区の大阪城公園内にある教育塔は、教育に関する殉職者・殉難者の慰霊を目的として昭和11年(1936)に建てられた。

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大阪城公園の北西隅にひっそりと建っている教育塔。以前紹介した大阪府庁舎からも近い場所にある。

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昭和9年(1934)9月21日に近畿地方を中心に大被害をもたらした室戸台風では、猛烈な強風によって小学校など多くの学校施設が倒壊したことにより、児童、教職員に多数の犠牲者を出した。

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原因として台風が平日の朝の通学時間を不意に直撃する形になってしまった事、老朽化した木造校舎が多かったなどの悪条件が重なったためであるが、再びこのような惨事が起きないよう祈願するための記念施設として、帝国教育会の発案・決議により建設された。

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塔及び壁面を飾るレリーフのデザインは公募の結果、塔の設計は島川精、レリーフは彫刻家の長谷川義起の案がそれぞれ採用された。また建設費は寄付で賄われた。

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正面入口扉の両脇を飾るテラコッタ製のレリーフ。
右側は教育勅語奉読の情景。

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左側は暴風雨の中児童を連れて避難する教師。
塔建設のきっかけとなった室戸台風の惨事をイメージしたものと思われる。

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第二次大戦敗戦後、帝国教育会は日本教育会に改組するも昭和23年(1948)に解散、教育塔の管理は日本教職員組合(日教組)に移った。

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現在も毎年10月末に「教育祭」が行われ、教育に関する殉職者・殉難者が合葬されている。(開催日は教育塔建立以来、教育勅語が発布された日に当たる10月30日に実施されていたが、近年は10月の最終日曜日の実施となっている)

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(参考)日教組ホームページ 教育塔についての解説、案内等

第893回・神戸文学館(旧関西学院チャペル)

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神戸市灘区にある王子動物園の傍に建っている神戸市文学館の建物は、元々は明治37年(1904)に関西学院のチャペルとして建てられ、昭和4年(1929)に同学院が西宮市上ヶ原に移転するまで使われていた。その後度重なる用途変更や戦災、震災を経ながらも今も赤煉瓦の佇まいは健在である。国登録有形文化財。

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王子動物園敷地の南西隅に建っている神戸文学館。なお王子動物園内にはほぼ同時期の明治の洋風建築として、明治40年頃に北野町に建てられた旧ハンター住宅(当ブログ過去記事参照)が昭和38年に現在地に移築されている。

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旧ハンター住宅の見学(外観及び内部)は期間限定で、かつ王子動物園への入場が必要(有料)であるが、神戸文学館は動物園への入場は不要である。神戸ゆかりの近代文学についての展示が常時行われており、無料で公開されている。

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関西学院は、明治22年(1889)に当時は神戸の郊外であり、原田村と称していた当地において、米国南メソジスト監督教会から派遣された宣教師 W. R. ランバスによって開設された神学校併設の旧制中学校に始まる。

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その後原田の森キャンパスには、昭和4年の移転まで約40年に亘り、煉瓦造もしくは木造の洋風建築が多く建てられた。校舎、講堂、チャペル、宣教師館、学生寮などが整備されていた。チャペルは米国人銀行家ジョン・ブランチ氏の寄付金を基に建設されたことから、学内では「ブランチ・メモリアル・チャペル」と称されていた。

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移転後、旧原田の森キャンパスの敷地は阪急電鉄の所有になり、建物の多くはその後戦災で失われた。現在は敷地の大部分が王子動物園(昭和26年に諏訪山より移転開園)の敷地となっている。なお、現存する建物はチャペル以外にも宣教師館や正門など、新キャンパスへ移築された建物もあるが、もとの場所に建ち続けているのはチャペルのみである。

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戦災ではチャペルも大きな被害を受け、内部を焼失したほか尖塔が失われた。神戸市は一部を除き市域の大部分が戦災を受けたため、神戸市内に現存する近代洋風建築には旧兵庫県庁舎旧日本郵船神戸支店海岸ビルヂングなど、戦災で大破→戦後修復という経歴を有する建物が多い。

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現在の尖塔部分は復元されたものである。尖塔の開口部や石段などに用いられている御影石は青みを帯びており、後年の復元であることが分かる。煉瓦も他の部分と見比べると質感が異なる。

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戦災で大破したチャペルは、昭和25年(1950)に開催された日本貿易産業博覧会(神戸博覧会)の会場の一部として使うため修復され、その後、市民美術教室→アメリカ文化センター→神戸市立王子図書館→王子市民ギャラリーと目まぐるしい用途の変遷を経て、平成18年(2006)に現在の神戸文学館が開館、現在に至る。

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建物は平成5年(1993)に大規模な修復が行われ、このとき尖塔が約半世紀ぶりに復活した。平成12年(2000)に神戸市景観形成重要建築物、平成20年(2008)に国登録有形文化財となっている。

第892回・伊勢久

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名古屋市中区丸の内三丁目にある伊勢久株式会社の本社屋は、昭和5年(1930)竣工の近代洋風建築。名古屋市内でも現存する数少ない質の高い洋風意匠を有する昭和初期の事務所ビルである。

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昨年(平成26年)国指定重要文化財となった愛知県庁舎名古屋市庁舎に近い場所に建っている。隣接する愛知県庁大津橋分室(旧愛知県信用組合連合会会館)も昭和7年竣工の近代洋風建築で、現在改修工事中である。

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近年の改修で取り外されたが、正面屋上の軒にはスペイン瓦が葺かれていた。但し写真に一部写っている屋上の塔屋部分には、スペイン瓦が現在も残されている。

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屋上部分のスペイン瓦が取り払われ、のっぺりした印象になってしまったのは惜しまれるが、それ以外は創建当初からの外観をよく残している。

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設計者の島武頼三(1894~1947)は、名古屋建築界の近代化に貢献したことで知られる鈴木禎次(1870~1941)の片腕として活躍した建築家である。

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島武頼三は鈴木禎次の設計事務所の筆頭スタッフとして、松坂屋大阪店(現高島屋東別館)など多くの鈴木作品の設計や現場監理に参加しているが、伊勢久の本社屋は個人で設計を引き受けたものである。

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伊勢久は名古屋でも有数の老舗企業であり、江戸時代中期の宝暦8年(1758)に薬種商として創業した。

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現在は医療、環境関連分野の企業・研究所・大学・病院などを対象に、試薬・化成品・臨床検査薬・セラミックス原材料・分析機器及びプラント等設備の提供を主業務としている。(伊勢久(株)ホームページより)

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現在も同社の社屋として大切に使われている。
プロフィール

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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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