第906回・旧柳原銀行(柳原銀行記念資料館)

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京都市下京区下之町にある柳原銀行記念資料館は、明治32年(1899)年に建てられた柳原銀行の建物を整備公開した施設。京都市内に現存する希少な明治後期の木造洋風建築として、京都市の登録有形文化財となっている。

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柳原銀行記念資料館は、京都駅の東側に位置する崇仁地域の一角に建っている。

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同地域はかつては柳原町と称される皮革産業地帯であり、所謂被差別部落であった。

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柳原銀行は明治32年に、柳原町長であった明石民蔵ら地元有志によって設立され、同年に木造洋風二階建の店舗も建てられた。

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被差別部落の住民によって設立された我が国で唯一の銀行とされ、地域内の皮革事業者に対する融資が行われるなど、同地域の発展に貢献したという。

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その後山城銀行と改称し事業を拡大するも、昭和2年(1927)の金融恐慌で倒産する。

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銀行店舗としての役目を終えた後の建物は商店や借家として使用されるが、昭和61年(1986)に道路拡幅により取り壊しが検討されたことを契機に保存活用の機運が盛り上がった。

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平成6年(1994)に京都市登録有形文化財となり、平成9年(1997)に旧所在地から少し離れた現在地に移築・復元された。

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京都市内に現存する希少な明治後期の木造洋風建築であると共に、数少ない現存する明治期の銀行建築でもある。

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移築後は柳原銀行記念資料館として公開され、崇仁地域の歴史、文化、生活等に関する展示が行われている。
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第905回・旧城端織物組合事務棟

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富山県の旧城端(じょうはな)町(現・南砺市)は、かつて絹織物の製造が盛んな土地であった。昭和3年(1928)に城端織物組合の事務所として建てられた洋館が現在、「じょうはな織館」という名称で織物産業の歴史を伝える施設として活用されている。国登録有形文化財。

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正面全面と側面の一部外壁が当時流行の茶褐色のスクラッチタイルで仕上げられた外観を見ると、一見鉄筋コンクリート造のようにも見える。

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側面から背面に回ると、実は木造であることが分かる。

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正面と背面だけを見ると、同じ建物とは思えない。

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戦国~安土桃山時代に当たる天正年間に始まる歴史を有する城端の織物産業は、江戸時代に入ると加賀藩の政策もあって盛況を迎えた。城端織物組合は明治42年(1909)に組織され、約20年後の昭和3年にモダンな洋風の事務所が竣工する。

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二階にあった大ホールは町民に開放され、屋上には時報用のサイレンが設置されるなど町のシンボル的建物であったという。

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平成14年(2002)に城端町(当時)に寄贈され、改修の上、翌年に現在の「じょうはな織館」として生まれ変わった。

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越中の小京都と称される旧城端町には落ち着いた古い家並みが残されている。
写真は旧城端織物組合のすぐ裏手にある城端醤油の店舗。

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店舗に隣接する赤煉瓦の醸造施設。

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入口のキーストーンには「培菌室」の文字がある。

第904回・來田家住宅

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來田家住宅は、法隆寺に近い奈良県生駒郡斑鳩町五百井にある近代和風建築。大正初期、紙問屋として一代で財を築いた実業家が故郷に別邸として建てた。和洋折衷の独特の意匠が内外装に施されている離れが国の登録有形文化財となっている。

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邸宅は大正3年(1914)に完成したとされる。国の登録有形文化財となっているのは離れのみであるが、それ以外にも母屋や土蔵、茶室など、造営された当時のものと思われる建物がよく残されている。

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庭園や門、周囲を囲う土塀も残されている。

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御影石の門柱を立てた門構え。
施主の來田氏は軍事郵便用の封筒を扱い成功を収め、最盛期には中国や朝鮮半島などに支店を設ける程の勢いであったという。

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一階が和風、二階を洋風とする木造二階建ての離れは、母屋と土蔵の間にそれぞれ渡り廊下で結ばれる形で建っている。離れ座敷の階上に洋室を設ける例は旧家などに散見され、京都府与謝郡与謝野町の旧尾藤家住宅(京都府指定文化財)などの事例が現存する。

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特徴的な離れの洋館部分は街路からも見ることができる。

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洋館部分はドイツ壁や付柱、窓枠飾りなどに凝った細工が見られる。

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特に目を引くのは付柱の柱頭飾りにある天使像。
室内も暖炉やその周囲には、石膏細工によるユニークな図柄のレリーフなど、創建当初からの装飾がよく残されている。

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頭部に羽根が生えた姿は少し不気味。

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現在は瓦葺であるが、創建当初は陸屋根であったという。
洋風建築が元々あまり建てられることが無かった奈良県下では非常に珍しい和洋折衷の建物である。

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(参考)
奈良新聞 グラフ「やまと建築詩」紹介記事
文化遺産オンライン 來田家住宅離れ

第903回・旧敦賀倉庫

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旧敦賀倉庫は福井県敦賀市蓬萊町、敦賀港の中央に建つ昭和初期の倉庫群。
そのうち、昭和8年(1933)竣工の鉄筋コンクリート造平屋建の新港第一号~第三号倉庫が国の登録有形文化財となっている。

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旧敦賀倉庫は、昭和初期から第二次大戦直後に建てられた建物で構成されている。手前の土蔵風の建物は戦後間もない時期に建てられた木造の新港第四号~第八号倉庫。その奥が昭和8年竣工の新港第一号~第三号倉庫。

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隣の土蔵風の倉庫群に比べるとモダンな外観であるが、こちらの方が古い。
現在は敦賀倉庫を吸収合併した若狭物流(株)の倉庫として、いずれも今も現役で使われている。

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敦賀は他の諸都市と同様、大東亜戦争末期には空襲で市街地の大半を焼かれ、敦賀港も大きな被害を受けた。第四号~第八号倉庫は戦後間もなく木造で再建されたものである。物資が不足している時期でもあり、屋根の形や大きさなど不揃いなのが特徴。

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敗戦直後の木造倉庫群とは対照的な外観の第一号~第三号倉庫。
竣工当時は「モダン倉庫」と呼ばれたという。

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第一号~第三号倉庫は平成26年(2014)に国の登録文化財となった。
なお木造の第四号~第八号倉庫は登録文化財にはなっていない。両者共に併せて保全して頂きたいものである。

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スペイン瓦を葺いた入口庇や、各小窓に配された丸みのある窓台と庇が特徴。

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角には一部をモザイクタイル貼りとした塔屋を設ける。

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一見シンプルな外観であるが、細部に凝った造形が見られる。

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敦賀港側から見た全景。
旧敦賀倉庫の敷地は、昭和7年(1932)に竣工した敦賀港第二期修築工事により拡張された埋め立て地である。

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港側の塔屋外壁上部には円形の痕跡があるが、時計でも付いていたのだろうか。

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敦賀港には、明治38年(1905)竣工の旧紐育スタンダード石油会社倉庫が登録文化財として保存されており、今年(平成27年)10月には敦賀市の鉄道歴史文化施設「敦賀赤レンガ倉庫」として開館予定である。

第902回・寿ビルディング(旧商工ビルディング)

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寿ビルディングは、昭和2年(1927)に商工無尽会社の本社屋として建てられた建物。京都の事務所ビルで高層化が図られた最初期の事例。その後所有者が代わり、現在は全館が貸事務所に充てられている。

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京都随一の繁華街である四條河原町の交差点を少し南に下がったところに、河原町通に面して建っている。

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同時期の事務所ビルで現存するものでは、同じ昭和2年竣工の島津製作所旧本社ビルがある。

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設計・施工は、当時存在した京都の建設業者で、京都市庁舎京都帝国大学本館などの施工も請け負っていた山虎組による。

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最上階外壁に配されたレリーフ。

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石張りの重厚な玄関。

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玄関の風除室の床には、モザイクタイルと大理石が敷き詰められている。

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階段ホール。

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階段親柱。

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平成27年7月の文化審議会答申により、国登録有形文化財に認定される予定である。

第901回・旧六十八銀行八木支店

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奈良県橿原市にある昭和初期の銀行建築。昭和3年(1928)に六十八銀行(現・南都銀行)八木支店として建てられ、現在は結婚式場兼レストランとして使われている。国登録有形文化財。

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近鉄大和八木駅の近く、国道165号線沿いに面して建っている。

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六十八銀行は大和郡山に本拠を置いていた地方銀行で、明治11年(1878)に旧郡山藩主柳沢保申によって設立された第六十八国立銀行を前身とする。昭和9年(1934)に合併により南都銀行となり、現在に至る。

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なお奈良市にある南都銀行の本店ビルは大正15年に六十八銀行奈良支店として建てられた建物で、旧八木支店の建物と同様国の登録有形文化財となっている。(当ブログ過去記事参照)

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正面屋上のパラペット(手摺)装飾。

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屋上のパラペット両脇に配されたメダリオン。

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建物の外観を特徴付けている玄関上部の半円窓。
なお、半円窓の内側は二層吹き抜けになっている旧営業室がある。

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設計は元奈良県技師・舟橋俊一による。
奈良県南部で現存する最古の鉄筋コンクリート造建造物とされる。

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戦後一時期映画館として使われた後、昭和38年(1963)以降、和歌山相互銀行(のち和歌山銀行に改組)橿原支店として使われていた。

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その後統廃合により銀行店舗としての役目を終え、現在は新たな用途を得て使われ続けている。

第900回・木村産業(株)事務所

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富山県砺波市庄川町金屋にある木村産業(株)の本社屋は、昭和7~8年(1932~33)頃に建てられた鉄筋コンクリート造の事務所ビル。以前当ブログでも取り上げた県内出身の左官職人で、多くの洋風建築の装飾を手掛けた竹内源蔵の手になる装飾が建物の随所を飾っている。

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富山県内では最初期に建てられた鉄筋コンクリート造建築である。

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木村産業(株)は、鍛冶業に端を発する地元の老舗企業で、現在は住宅リフォームや一般土木・建築資材販売等を主な事業として行っている会社である。

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最上階の正面軒下には右書きで、「鉄砲火薬 木村組 度量衡器」の文字が並ぶ。
なお同社は現在も火薬を取り扱っており、販売のほか花火打ち上げイベントの請負も行っているようだ。

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右手前のショーウインドウは増改築されているようだが、全体的に創建当初から変わらない佇まいを残しているようである。

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腰壁のタイル。

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玄関欄間のステンドグラス。
両側に設けられたショーウインドウ上部にも、同様の意匠をもつステンドグラスが嵌め込まれている。

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外壁の随所を飾る人造石や漆喰の装飾は、旧帝国ホテル(明治23年竣工の初代)や中国大連の旧朝鮮銀行ビル、砺波市に現存する旧中越銀行本店など多くの洋風建築の装飾を手掛けた竹内源蔵の手になる。

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富山県内には今も多くの作品が現存する竹内源蔵については、当ブログ過去記事(第805回・旧小杉町役場(竹内源蔵記念館))も参照頂きたい。

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外壁の装飾の多くは、老朽化が進んでいるためか落下防止のための金網が掛けられている。

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2階の獅子面。1階内部の柱の上部には昇り竜と稲妻をあしらった漆喰装飾もある。

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事務所ビルの背面には木造三階建ての住居棟が建っている。その奥には土蔵があり、土蔵のナマコ壁も竹内源蔵の作という。

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屋上の塔屋には東西南北の文字がついた金属製の飾りがみられる。

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平成23年(2011)には砺波市の「ふるさと文化財」として登録されている。
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