第942回・旧土居銀行本店(作州民芸館)

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岡山県津山市西今町にある作州民芸館の建物は、大正9年(1920)に土居銀行本店として建てられた。石造を思わせる重厚な外観の洋風建築で、現在は津山市が所有・公開しており、作州地方の民芸品等を展示している。国登録有形文化財。

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津山市街の城西地区(城下町の西側)、旧出雲街道に面して建っている旧土居銀行本店。
伝統的な造りの家並みが連なる中で、異彩を放っている。

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土居銀行は作州地方の素封家である土居家によって明治30年(1897)に設立、その後合同を重ね、昭和5年(1930)に中国銀行に合併、現在に至る。

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建物の所有は中国銀行から日本塩回送会社、吉井川漁業組合等へと移ったが、平成4年(1992)に津山市が取得、改修を行い現在の作州民芸館となった。

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建物の設計は、岡山県技師として旧遷喬尋常小学校(国指定重要文化財)など、県内に数多くの洋風建築を残した江川三郎八(1860~1939)による。

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建物の外観は、同一設計者によって明治42年に竣工した岡山県会議事堂(昭和20年6月の岡山空襲で焼失)の正面中央部分と類似している。

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石造りのような外観の建物であるが、木造である。
窓は一部を除き、大部分は和式の引き戸になっている。

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側面からの眺め。
背後には伝統的な土蔵の外観をもつ金庫室棟がある。

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1階側面に設けられた立派な玄関。
頭取や貴賓のための専用玄関かも知れない。

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背面から。
側面及び背面の基壇部分には赤煉瓦を積んでいる。(正面側の基壇には焦茶色の焼過煉瓦を積んでいる)

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背面には横長窓が並び、実は木造建築であることが分かる。

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なお、津山には現存する銀行建築として、同じ旧出雲街道に面して建っており、同じ大正9年竣工の旧妹尾銀行(旧中国銀行津山東支店)が城東地区にある。洋館風の旧土居銀行と仏殿風の旧妹尾銀行が城下町の東西で好対照を為している。

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旧土居銀行からすぐの位置に架かる翁橋(おきなばし)。大正15年(1926)に鉄筋コンクリート造で架け替えられた。

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津山市の中心西部を流れる藺田川(いだがわ)に架かる小規模な橋。
江戸時代、この地は城下町の西の入り口として、橋の東詰(写真右側)に大番所が設けられていたという。

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欄干親柱には、当時盛行のアールデコ調デザインが施されている。欄干の照明と高欄の金属製手摺は改変されているが、岡山特産の花崗岩である万成石で仕上げられた部分は当初の形をよく残している。

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こちらも旧土居銀行と同じく国登録有形文化財である。
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第941回・京都大学楽友会館

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京都大学の吉田南キャンパスにある楽友会館は、大正14年(1925)に京都帝国大学(当時)の創立25周年を記念して建てられた。設計は当時工学部建築科助教授であった建築家の森田慶一による。国登録有形文化財。

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創建当初は同窓会館として建てられたため、宿泊室やレストラン、ホール、撞球場などの娯楽施設も備えたクラブハウス的な施設であった。現在は会議室や喫茶食堂を備えた会館として、大学教職員の学術交流の場として使われている。

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鉄筋コンクリート2階建、白壁に赤いスペイン瓦葺の屋根を持つスパニッシュ・ミッション様式を基調とした外観。スパニッシュ様式は大正末期から昭和初期にかけて、邸宅リゾートホテルなどで好まれた。

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設計者の森田慶一(1895~1983)は、東京帝国大学建築学科卒業後、警視庁技師を経て、当時工学部建築科主任教授であった武田五一(1872~1938)の招聘で助教授として赴任、昭和33年(1958)に退官するまで京都大学にて教鞭を執った。

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京大構内では楽友会館のほか、農学部表門及び門衛所の設計も手掛けている。(現存、楽友会館と同じく国登録有形文化財)

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円弧を描く庇をもつ玄関ポーチや、それを支えるY字型の柱が外観を印象付けている。
玄関開口部の尖頭アーチは農学部表門でも用いられている。

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内壁を石張り仕上げとした玄関。

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「樂友會舘」の文字が右書きで刻まれている。

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玄関内壁の左右には洒落た意匠で「大正十四年」「京都帝國大學」の文字が刻まれている。京都大学ホームページの楽友会館についての紹介記事では後年の改装によって付加されたものとのことだが、戦前のものであることは間違いないと思われる。

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創建当初の意匠をよく残す玄関ホール及び階段室。

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手毬のような意匠の玄関ホール照明は創建当初からのもの。

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ステンドグラスに用いられる色硝子をちりばめている。

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雪洞のような意匠の照明。
これも創建当初からあるもの。

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階段室もタイル張りの壁面やステンドグラスを嵌め込んだ小窓など、創建当初の意匠を残す。

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階段室のステンドグラス。

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色硝子を嵌め込んだスチールサッシも創建当初からのものと思われる。

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室内装飾は東京高等工芸学校教授で、大正建築の傑作とされる誠之堂晩香廬(共に国指定重要文化財)の室内装飾を手掛けた森谷延雄(1893~1927)による。

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平成22年(2010)に改装が行われたが、内外装共に往時の姿をよく残している。

第940回・旧津山基督教図書館(森本慶三記念館)

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岡山県津山市山下にある旧津山基督教図書館は大正15年(1926)、内村鑑三の門下生で地元の旧家の当主でもある森本慶三が、キリスト教の伝道も目的とした公共図書館として私財を投じて建設した。現在は図書館としての役目は終え、歴史民俗館を併設した創設者の記念館となっている。国登録有形文化財。

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津山城址登城口の脇に建つ旧津山基督教図書館。
以前紹介した旧津山市庁舎(津山郷土博物館)は、同じ街路に面して近接している。

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森本家は、江戸時代には「錦屋」を屋号として呉服商等を営む津山藩の御用商人であったという。その当主であった森本慶三(1875~1964)は、内村鑑三(1861~1930)の門に入りのちにキリスト教に入信、中国銀行取締役を務めるなど実業に携わりつつ、生涯をキリスト教伝道に捧げた。

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森本慶三が津山に私設図書館を設けることを思い立ったのは大正の初めで、恩師・内村鑑三の共感と支持を得て大正13年から建設に着手、2年がかりで完成させる。キリスト教関連図書、歴史・哲学、理工学等8万冊の蔵書を有し、平成15年(2003)に図書館業務を休止するまで長らく研究者・学生・一般の利用に供された。

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設計・施工は、国指定重要文化財の弘前学院外人宣教師館(明治39年)など、青森県の弘前を中心に多くの宗教施設を手掛けたクリスチャン棟梁である桜庭駒五郎が当たった。また、桜庭の下で建設に従事するため弘前からやってきた5人の大工も皆クリスチャンであったという。

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木造建築であるが、外壁は人造石の左官仕上げで石造風に仕上げている。

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正面上部に掲げられた破風には、十字架を戴く王冠を挟んで左右に山羊と羊が向かい合うレリーフを飾る。新約聖書(マタイの福音書25章)に因む図柄で、羊は神の祝福を受ける存在の象徴として、それに対し山羊は呪われるべき存在の象徴とされている。

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屋上には時計塔を備え、尖塔の先には十字架を戴く。
津山基督教図書館は本館のほか、市内の勝部に分館があったが同様に尖塔のある時計塔があったようだ。( →参考

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大東亜戦争末期には反戦思想を広める場として、憲兵隊に接収、図書館は閉鎖されたという歴史もある。
戦後は図書館に併設して夜間高校も開かれ、地域の教育に大きく貢献した。

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平成15年に図書館業務を休止した後は、建物と蔵書の管理を行う傍ら、併設の歴史民俗館は現在も一般に公開されている。歴史民俗館では錦屋や森本慶三、内村鑑三の関連資料のほか、旧津山藩の歴史資料なども展示されている。

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内部階段室。
残念ながら訪問当日は展示室は閉じられており、館内を見ることはできなかった。

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建物自体は平成10年(1998)、国の登録有形文化財となっている。

第939回・安田屋旅館

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静岡県沼津市内浦三津にある安田屋旅館は、太宰治が代表作のひとつ「斜陽」を執筆するため滞在していたことで知られる。大正から昭和初年に建てられたという、太宰が滞在していた当時の建物で現在も営業を続けている。国登録有形文化財。

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全景。手前の平屋建が玄関棟、奥の二階家が客室棟。明治20年(1887)に漁村の旅籠として創業した安田屋は、大正7年(1918)現在の三津浜に移転、観光旅館として装いを新たにした。

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3つの瓦屋根が雁行型に連なる外観が特徴の客室棟全景。
大正7年(1918)から昭和6年(1931)にかけて建てられた客室棟が国登録有形文化財。

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3つの瓦屋根のうち、玄関側の2棟(写真左側)が大正7年に建てられた「松棟」、一番奥(写真右側)が昭和6年に建てられた「月棟」

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三津浜は駿河湾越しに富士山も見える穏やかな景勝の地であるが、移転当時は淋しい場所であったとされ、地元民からは狐が出ると恐れられていたという。

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松棟の廊下。

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太宰治は昭和22年(1947)、安田屋旅館に滞在して「斜陽」を執筆した。
松棟の二階(月見草の間)に滞在していたという。

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太宰治も昇り降りしたと思われる、松棟の螺旋階段。

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月棟の階段。

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松棟の一階、月見草の間の真下に当たる客室。

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凝った意匠の床の間。

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ヒョウタンを二つに割ったような形の飾り窓。

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広縁。
天気が良ければ、駿河湾の先に富士山が見える筈なのだが。

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外から見た松棟。
階上が月見草の間。

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静岡県内で太宰治ゆかりの旅館としては、安田屋のほか、熱海市の「起雲閣」(現在旅館は廃業、熱海市が所有・公開)がある。

第938回・京都府立医科大学旧附属図書館

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京都市上京区河原町通広小路上る梶井町の京都府立医科大学河原町キャンパス内にある旧附属図書館は、昭和4年(1929)に建てられた。一時は取り壊しが決定したが関係者の努力で一転、保存再生された。京都府指定文化財。

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明治13年(1880)以来の伝統を有する河原町キャンパス。旧附属図書館は新しい建物に囲まれる形で建っている。

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京都府立医科大学は、明治5年(1872)創立の京都療病院付設の医科予備学校、医学校を前身とし、同13年(1880)に現在地に移転、大正10年(1921)に大学となる。

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昭和4年(1929)、鉄筋コンクリート造地上3階・地階付、ネオゴシック様式の外観を有する附属図書館が竣工する。

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図書館機能に加え、1階と3階には教室、地階には柔剣道場も備えられている。現在もそれらの部屋は創建当初の内装をよく残しており、また、3階の教室は階段教室になっており、造りつけ椅子及び机は指定文化財の附(つけたり)指定を受けている。

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特徴的な尖頭アーチを有する1階の開口部。
設計は、当時京都府庁に在籍していた十河安雄という建築技師による。

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中央部分の外壁には、前回紹介した旧仙台高等工業学校建築学科棟と同じく、昭和初期の建物に多くみられる褐色のスクラッチタイルを張る。

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出入り口の重厚な木製扉や窓のスチールサッシなど、建具も創建当初からのものがよく残されている。

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玄関欄間のステンドグラスは当時流行のアール・デコ調。

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キャンパスの再整備に伴い一時は取り壊される予定であったが、大学及び京都市など行政関係者の努力が実り、保存再生された。補強改修工事に際しては、卒業生である篤志家による多額の寄付金が充てられたという。

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平成21年(2009)に京都府指定文化財となった。

第937回・旧仙台高等工業学校建築学科棟

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東北大学片平キャンパスの南端、東北学院大学と向かい合う位置に、昭和5年(1930)に建てられた、東北大学の前身のひとつである旧仙台高等工業学校建築学科の教室棟が残されている。

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仙台高等工業学校は官立高等工業学校の一つとして、明治39年(1906)に設立された。その後、東北帝国大学に一時包摂され、東北帝国大学附属工学専門部となるが、大正10年(1921)に再び独立する。第二次大戦後は学制改革により現在の東北大学に移行、工学部の一部として引き継がれた。

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建築学科の教室棟は文部省の設計、大林組の施工により、昭和5年に建てられた。

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東北学院大学側から見た外観。
道路を隔てて、以前紹介した東北学院大学本館デフォレスト館が建っている。

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東側階段室にはアーチ窓を連ねる。

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西側は横長の硝子窓が連なる、近代的な外観。

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正面の中央部分はアーチ型の門に小さな縦長窓を配した、古典的な外観とする。

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全く趣向の異なる3つの様式をひとつにまとめた珍しいデザインの建物。

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外壁は昭和初期の建物に多くみられる、褐色のスクラッチタイル張り。

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正面アーチのキーストーンには、仙台高等工業学校の校章をあしらっている。
萩の花と「仙台高等工業」の頭文字である「SKK」の文字の組み合わせ。

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かつては仙台高等工業学校の正門がすぐ前にあり、学校の顔とも言える存在の建物であった。

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現在は東北大学電気通信研究所附属21世紀情報通信研究開発センター(ITセンター)として使われている。

第936回・岡山禁酒會舘

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岡山市北区丸の内にある岡山禁酒會舘は、大正12年(1923)に建てられた木造洋風建築。明治期に日本に伝わった禁酒運動の拠点として建てられ、今日まで伝わる珍しい建物。国登録有形文化財。

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木造3階建で、寄棟造スレート葺(一部鉄板葺)の腰折れ屋根を載せる。

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外壁はモルタルを吹き付けたドイツ壁風。

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岡山市は昭和20年6月29日の岡山空襲で市街地の大半が焼失したが、岡山禁酒會舘は市街地の中心にありながらも奇跡的に焼失を免れた。

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隣接して、同じく焼け残った岡山城西の丸西手櫓(国指定重要文化財)が建っている。岡山城は西の丸西手櫓などごく僅かな建物を除き、天守など殆どの建物が戦災で失われている。(戦後、現在の建物が再建された)

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19世紀末から20世紀前半にかけての欧米諸国では、キリスト教の影響を受けた禁酒運動が盛り上がりをみせ、米国では1920年(大正9年)には禁酒法が成立するに至った。

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禁酒運動は明治期に日本にも導入され、岡山禁酒會舘もその活動拠点のひとつとして建てられた。禁酒運動はキリスト教との関係が深いためか、現在もキリスト教関係の書店が入居している。

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書店のほか、喫茶店などが入居している。
喫茶店では會舘が建てられた当時、禁酒運動の一環として提供されていたカレーを、当時のレシピで再現したものを供している。

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背面からの眺め。裏庭もある。

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平成14年(2002)に、国登録有形文化財となっている。

第935回・旧紺屋町消防番屋

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岩手県盛岡市紺屋町にある旧紺屋町消防番屋は、大正2年(1913)竣工の木造洋風建築。江戸時代以前からの破壊消防からポンプでの注水による近代消防への転換を示す近代化遺産である。現在は役目を終え、盛岡市が所有している。盛岡市保存建造物。

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紺屋町は旧盛岡銀行本店第九十銀行本店など近代の建造物が多く残る中ノ橋通に隣接、盛岡市の中心街の一部を構成している。

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木造二階建で、階下に消防車の車庫、消防器具置き場、消防団詰所、台所を配し、階上は消防団の寄合に用いるため、畳敷きの大広間となっている。また、屋根の上には火事を発見するための望楼を設けている。

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この地に消防番屋が置かれたのは明治24年(1891)で、当初の建物は伝統的な町屋の屋根に望楼を載せたものだった。
大正2年(1913)に、現在の建物に改築される。

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明治24年の設置当初は「盛岡消防よ組」、大正2年の改築時は「盛岡市消防組第四部」、その後、平成17年に役目を終えるまで「盛岡市消防団第五分団」と、名称は変遷を重ねている。

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屋根上の六角形の望楼。火の見櫓として使われていた。

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かつては消防団員が交代で常駐し、街を見張っていた。

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平成17年(2005)に役目を終えた後、建物を確実に後世に残すために昨年(平成27年)、盛岡市消防団第五分団から盛岡市に寄贈された。盛岡市では現在、建物の活用方法を検討中である。

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紺屋町には旧消防番屋のほか、古い町屋が点在するが、その代表格が写真の茣蓙九(現森九商店)
くの字状に曲がった街路に合わせる形で、幕末から明治末にかけて増改築を重ねた佇まいが残されている。

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旧消防番屋と中ノ橋通の旧盛岡貯蓄銀行本店との中間に建っている。現在も雑貨店として営業中である。

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紺屋町寄りの部分は、二階の階高が高く腰壁にはタイルを貼っており、近代の町家の特徴を備えているところから、明治末の増築部分と思われる。

第934回・旧津山市庁舎(津山郷土博物館)

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岡山県津山市の津山郷土博物館の建物は、昭和8年(1933)に津山市庁舎として建てられたものである。約半世紀にわたり市庁舎として使用された後、昭和63年(1988)以降は郷土博物館として活用されている。国登録有形文化財。

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旧津山城址の南麓に建つ旧津山市庁舎。
背後には津山城の石垣が聳えている。

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平成18年(2006)に国の登録有形文化財となっている。
この写真はその平成18年に、初めて津山を訪問した際のもの。

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鉄筋コンクリート造3階建で、正面中央に2層の塔屋を置く。

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津山城の石垣の上から建物裏側を見下ろす。中央の張り出し部分は2層吹き抜けになっており、市議会の議場があった。現在も吹き抜けはそのままで展示室として使われている。

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手前の縦長窓と奥の半円アーチ窓は、いずれも旧市議会議場の明り取り用の窓。

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石造風の重厚な正面玄関車寄せ。入口上部にはかつては、「津山市廰」と記された金属製の銘版が嵌め込まれていた。現在は間隙に3文字分追加して、「津山郷土博物館」に改められている。

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昭和57年(1982)に市役所が移転したことにより、市庁舎としての役目は終えた。

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玄関ホール。
床のタイルや大理石の階段、木製ドアなど、内部も昭和初期の造作がよく残されている。

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全面に大理石を張りつめた豪華な正面階段。

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階段前から正面玄関を望む。

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津山郷土博物館では、津山市並びに美作全域の郷土史についての展示・紹介が為されている。

第933回・旧小松宮彰仁親王御別邸(楽寿館)

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静岡県三島市にある市営公園「楽寿園」内に建っている楽寿館は、明治24年(1891)に小松宮彰仁親王(1846~1903)の御別邸として建てられた。京風の高床式数寄屋造りの建物で、内部は明治時代を代表する日本画家たちによる襖絵・杉板戸絵・天井画等で飾られており、一般公開されている。三島市指定文化財。

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楽寿園は三島市の中心街、JR三島駅から徒歩ですぐの距離にある。

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楽寿館の玄関。
内部見学は1日に6回、所定の時間に係員が案内する見学ツアーの形で行われている。 →(参考)

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残念ながら内部の写真撮影は禁止されているため、当記事にて紹介できるのは外観のみ。

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富士山麓の伏流水が湧き上がることでできている小浜(こはま)池。
かつては常に豊富に水が湛えられていたが、昭和30年代以降枯れることが多くなり、この写真の水位でも多い方である。

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小松宮彰仁親王が明治36年に薨去したのち、明治44年に李王家の李垠殿下(1897~1970)の別邸となる。写真の建物は李王家別邸となってから増築された部分。

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同じく、李王家による増築部分。外観は和風だが、内部は和洋折衷の部屋となっており、バーカウンターを備えた撞球室があった。現在も往時の造りを残しているものの、敗戦後の米軍接収時にペンキを塗りたくられた痕跡が痛々しい。

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現在は分割されているが、かつては楽寿館と渡り廊下で繋がれていた「梅御殿」

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「梅御殿」は現在、楽寿園の施設として使われている。

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池に臨む楽寿館と異なり、岩山の上に建つような趣の「梅御殿」

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昭和初期に李王家の手も離れ、個人所有を経て戦後の昭和27年(1952)に三島市の所有となり、現在の楽寿園が開園、現在に至る。
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