第963回・岡山市水道記念館

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岡山市水道記念館は、明治36~38(1903~05)に建てられた三野浄水場の旧動力室・送水ポンプ室の建物を改装、昭和60年(1985)に開館した。華やかな意匠が施された木造の玄関ポーチと赤煉瓦の外壁の組み合わせが美しい建物。国登録有形文化財。

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岡山市水道記念館は、岡山市北区三野の三野浄水場構内にあり、無料で公開されている。

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三野浄水場は岡山市で最初の近代上水道施設であり、明治38年(1905)より通水を開始した。

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岡山市に上水道が引かれたのは、横浜、函館、長崎、大阪、東京、広島、神戸に次いで、全国でも8番目であった。

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正面上部に立ち上がる壁面には、「坎徳無窮」(かんとくむきゅう、水の徳は永遠に続くという意)の文字が刻まれている。

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玄関の両側には、それぞれ大きさが異なるアーチ窓が配されている。

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この建物の外観を印象づけている、凝った意匠の玄関ポーチ。

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玄関ポーチの天井は、格式の高い書院座敷などで用いられる折り上げ格天井になっている。

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用途は浄水場を稼働させるボイラーと送水ポンプを収納、稼働させるための建物である。
玄関まわりだけを見る限り、そのような用途は想像できない。

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側面から背面を望む。

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変化に富んだ華やかな正面と異なり、背面は簡素で整然とした印象。

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水道記念館の隣にある旧動力室煙突。八角形煉瓦積みでかつては高さが30メートル程あったが、現在上部が撤去されている。現在も非常用ボイラーの煙突として現役である。

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水道記念館の背後にある、三野浄水場緩速ろ過池。明治38年の創設時の4基の緩速ろ過池のうち、現存する2基であり、現役で稼動している。水道記念館、旧動力室煙突と共にいずれも国登録有形文化財である。

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初期の近代上水道施設で、記念館として公開されているものは各地に存在する。当ブログでも岡山と同様、かつてのポンプ室を活用した大阪神戸の資料館を取り上げている。
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第962回・旧埼玉県師範学校本館「鳳翔閣」(さいたま市立浦和博物館)

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さいたま市緑区三室にある、さいたま市立浦和博物館の建物は、明治11年(1878)に建てられ、昭和34年(1959)に解体された旧埼玉県師範学校(現・埼玉大学教育学部)本館「鳳翔閣」の正面中央部分を、昭和47年(1972)に復元したもの。明治時代の洋風建築の遺構が殆ど現存しないさいたま市内において、部分復元ではあるが当時の佇まいを今日に伝える希少な建物である。

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かつては現在の浦和区高砂に建っており、左右に長大な両翼を広げた外観が特徴であった。その姿から、埼玉県師範学校本館が竣工後まもなく明治天皇の行在所に充てられた際、同行していた三条実美により「鳳翔閣」と名付られた。現在復元されているのは、中央前面部分のみである。

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埼玉県師範学校が明治32年(1899)に他所に移転後は、高等女学校、女子師範学校の校舎として使われ、大正14年(1925)まで埼玉県下における女子教育の中核となった。大正14年以降は県立図書館として昭和34年(1959)まで使われた。

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81年間にわたり使用されたが老朽化が進み、昭和34年に解体された。その際、正面の列柱や階段親柱など、装飾部材の一部が保存された。

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解体から13年後の昭和47年、浦和市立郷土博物館として部分的に復元され、保存されていた旧建物の部材が一部再利用された。また、再利用されなかったものは館内で展示されている。

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旧建物の一部が再利用されているものの、構造体は木造から鉄筋コンクリートに変更され、その他外装仕上げの材料も、旧建物とは異なるものになっているが、外観は忠実に再現されている。

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復元から40数年を経ており、外壁の汚れなど老朽が目立つ。

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明治初年の洋風建築黎明期の建物であるが、古典様式に即した本格的な洋風建築である。

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設計者は不詳。なお、県内に現存する明治洋風建築である旧本庄警察署(明治16年(1883)竣工、現・本庄市立歴史民俗資料館)は、正面中央の外観が似ており、鳳翔閣がモデルとなった可能性も考えられる。

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鳳翔閣は旧浦和市内の洋風建築として、移築された旧日本赤十字社埼玉県支部と共にその姿を見ることができる数少ない建物である。なお、旧埼玉県師範学校は埼玉県におけるサッカー発祥の地であることから、地元のサッカーチームである浦和レッズのエンブレムには、鳳翔閣がデザインされている。

(参考)さいたま市 鳳翔閣パンフレット

第961回・小岩井農場

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岩手県岩手郡雫石町にある小岩井農場は、明治24(1891)年に開設された日本最大の民間総合農場である。125年の歴史を有する同農場には明治から昭和戦前にかけて建てられた施設があり、その多くは今も現役で使われている。そのうち写真の本部事務所を始めとする9件が国の登録有形文化財となっている。

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小岩井農場の名称は、実業家の小野義眞(1839~1905)、三菱財閥二代目総帥として知られる岩崎彌之助(1851~1908)、鉄道庁長官であった井上勝(1843~1910)の三名の共同創始者の頭⽂字に由来する。現在は日本最大の民間総合農場であると同時に、岩手県でも有数の観光名所となっている。

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農場でも最古の建物である第一倉庫。農場開設の翌年に当たる明治25年(1892)に建てられた。

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第一倉庫に近接して建つ本部事務所は、小岩井農場をこよなく愛した作家で詩人の宮澤賢治(1896~1933)は、自作の中で「本部の気取った建物」と表現している木造平屋建の洋館。

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明治36年(1903)に建てられた。
国の登録有形文化財に認定されている9件のうちのひとつ。

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軒に円形の垂れ飾りがついた玄関ポーチが特徴。

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現在は鬱蒼と樹木が生い茂っているが、農場が開かれた当初は周辺の樹木はまだ小さく、二階の望楼部分から農場全体を見渡すことができたという。

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裏からみた本部事務所。

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本部事務所の裏手の木立ちの先に、邸宅風の建物が見える。

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内部に暖炉を備えているのか、煉瓦積の煙突を備えた建物には「倶楽部」の表札が掛っていた。農場関係者の社交・迎賓施設と思われる。

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農場の一部は観光客に開放されており、登録有形文化財となっている施設も間近で見ることができる。

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昭和9年(1934)に建てられた一号牛舎。国の登録有形文化財である。一階は搾乳牛用の牛舎、二階は乾牧草の倉庫となっている。

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一号牛舎の一階内部。当時の場主であった三菱財閥三代目総帥・岩崎久彌(1865~1955)の命により、「30年後でも恥ずかしくない牛舎を」と建てられたという。80年経った現在も現役である。

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明治41年(1908)に建てられた四号牛舎(登録有形文化財)のサイロ部分。

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明治40年(1907)、41年(1908)に建てられた一号サイロと二号サイロ。

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煉瓦造で、現存する日本最古のサイロとされる。いずれも国の登録有形文化財である。

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(参考) 小岩井農場ホームページ(登録有形文化財の紹介ページ)

第960回・旧太田銀行(塩町館)、旧太田協同銀行(常陸太田市郷土資料館分館)

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前回紹介した茨城県常陸太田市の旧太田町役場(梅津会館)の傍に、明治時代に建てられた土蔵造の銀行建築が2棟残されている。

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常陸太田市の中心部は「鯨ヶ丘」と呼ばれる 台地上にあり、棚倉街道沿いの商業の集積地として繁栄していた。現在もその名残として古い商家や土蔵が多く残されている。

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そのような家並みの中に、洋風意匠を加えた土蔵造の建物が建っている。
明治時代に建てられた旧太田銀行の建物で、現在は改修され、「塩町館」という蕎麦屋になっている。

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屋根瓦には「銀行」の文字がある。

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アーチ風の曲線を描く玄関ポーチ。おそらく創建当初からの形状と思われる。それまでの伝統的な商家には無い、明治期ならではの洋風を意識した造りである。

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内部。
店内の一部は吹き抜けになっているが、一階の天井梁はそのまま残されている。
菱形の硝子戸は改修に際し新たにデザインされたものと思われるが、建物の雰囲気によく調和している。

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吹き抜けの上部は二階の小屋裏まで見えるが、これも改修後のデザインと思われる。

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太田銀行は明治18年(1885)から大正2年(1913)まで存在していた銀行である。
建物の建設時期も、この間と思われる。

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大正2年に土浦五十銀行に買収された後は、五十銀行を経て現在の常陽銀行に続いている。

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旧太田銀行とは目と鼻の位置にある、旧太田協同銀行の建物。前回紹介した常陸太田市郷土資料館の分館として使われていたが東日本大震災で被災、現在も休館中である。

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旧太田銀行(右)と旧太田協同銀行(左)。
なお、旧太田町役場は写真撮影場所からすぐ後ろの位置に建っている。

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太田協同銀行は明治14年(1881)から大正10年(1921)まで存在していた銀行である。その後常磐銀行を経て、旧太田銀行と同じく現在の常陽銀行に続いている。(以上、「銀行変遷史データベース」を参考にさせて頂いた)

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東日本大震災では怪我人は無かったものの、屋根瓦は大きく崩れ、壁には大きな亀裂が生じ、内部では金庫が倒れるなど大きな被害を受け、未だ復旧していない状況である。(参考:常陸太田市郷土資料館ホームページ

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なお、旧太田協同銀行だけではなく、周辺には未だ屋根などに震災の傷跡を残している建物が点在している。

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常陸太田市郷土資料館の本館である旧太田町役場の修復は完了したので、次は分館の修復が待たれる。

第959回・常陸太田市郷土資料館梅津会館(旧太田町役場)

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茨城県常陸太田市にある常陸太田市郷土資料館の建物は、昭和11年(1936)に太田町(当時)役場として建てられた。当地出身の実業家である梅津福次郎氏の寄附によって建てられたことから、梅津会館とも称されている。国登録有形文化財。

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昭和初期における町役場の庁舎としては、鉄筋コンクリート造の本庁舎は極めて先進的なものであったと思われる。梅津福次郎氏は函館を本拠に活躍していた実業家で、役場庁舎の改築のほかにも故郷のために多額の寄付を行っていた。

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昭和29年(1954)に太田町が常陸太田市になったあとは、市庁舎として昭和53年(1978)まで使用されていた。翌年、常陸太田市郷土資料館となり、現在に至る。

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建物の前にある、創建と同時に建てられた梅津福次郎氏の胸像。像自体は戦時中の金属供出で失われ、戦後に再建されたが、石造の台座は創建当初のものが残されている。

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クリーム色のタイルを貼った外壁。

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側面、職員通用口を望む。

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玄関ポーチ。

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玄関ポーチのアーチの縁取りや要石にはテラコッタが使われている。

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1階執務室。入口を入ってすぐの位置に、創建当初のカウンターが一部残されている。

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上記のカウンターや階段室の親柱には、当地で採掘されていた寒水石(大理石)がふんだんに用いられている。

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2階はかつて、町会の議場を兼ねた会議室であった。改修に際し、創建当初の姿に復元が図られた。

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議壇も創建時のものがそのまま残されている。

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東日本大震災では一部損傷を受けたが、平成26年(2014)に耐震補強と竣工時の姿に復原する工事が行われた。
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