第974回・旧新潟税関庁舎

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新潟市にある旧新潟税関庁舎は、幕末から明治初期にかけて海外に開かれた国内五つの開港場(函館・新潟・横浜・神戸・長崎)の中で、唯一現存する開港当時の運上所(税関)の建物である。明治2年(1869)に建てられ、昭和41年(1966)まで約100年間にわたり税関業務に使用されてきた。

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戦前の税関庁舎としては神戸(昭和2年竣工)、横浜(昭和9年竣工)が現存するが、運上所として建てられ今日も現存するのは新潟のみである。また、国内でも最初期の擬洋風建築である。

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安政5年(1858)、江戸幕府はアメリカ・オランダ・イギリス・ロシア・フランスの五か国と修好通商条約を結んだ結果、新潟・横浜・函館・長崎・神戸の5港を開港することとなった。

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新潟港は日本海側最大の港町であることや、幕府の直轄領であることなどを理由に選ばれたが、開港が実現しないまま幕府は倒れた。

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新潟港の開港は、明治新政府の手によって明治元年11月19日(1869年1月1日)に実現された。開港に際しては、輸出入貨物の監督や税金の徴収、外交事務を取り扱う「運上所」が設けられた。

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庁舎は横浜や江戸に建てられ始めた洋風建築を参考に、地元新潟の大工によって明治2年(1869)10月に建てられた。その後、明治6年(1873)に新潟運上所は「新潟税関」に改称された。

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明治35年(1902)には新潟税関は廃止、横浜税関の新潟税関支署となり、昭和41年(1966)の庁舎移転まで使用された。その間、庁舎は昭和29年(1954)に県の文化財に指定されている。

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昭和44年(1969)に敷地が国の史跡、建物が重要文化財にそれぞれ指定され、翌年から2年がかりでの大規模な解体修理が施された。

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修理後の昭和47年(1972)から、内部を改装して新潟市郷土資料館として利用されてきたが平成15年(2003)に閉館、翌平成16年の新潟市歴史博物館「みなとぴあ」開館に際しては、荷揚げ場の復元整備など、周辺を税関(運上所)として使用されていた当時の様子を再現するなど再整備の上、公開を再開した。

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庁舎の手前に見えるのが発掘調査に基づき復元された荷揚げ場の石段、向かって右側に写るのが昭和57年(1982)に復原された石庫。

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石庫は庁舎と共に昭和中期まで現存しており、県の文化財に指定された際には附(つけたり)指定を受けたが、老朽が甚だしく昭和38年(1963)に解体された。

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新材での再建ではあるが、解体時の調査に基づき忠実に復原されている。

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敷地内には、昭和初期の近代洋風建築である旧第四銀行住吉町支店が移築復元されている。また、隣接する新潟市歴史博物館の建物は、明治44年に建てられた旧新潟市庁舎(昭和8年火災で焼失)の外観を模したものになっている。

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平成28年5月より、平成30年度の完成を目指して、約半世紀ぶりの大規模な修復工事が行われる予定である。
そのため現在は休館中である。
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第973回・百十四銀行旧本店(百十四銀行高松支店)

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香川県高松市を本拠とする百十四銀行の旧本店ビルが、現在も同行の高松支店として現役で使用されている。戦災で中心市街地の大半を焼失した高松市では、大正15年(1926)竣工の旧本店ビルは現存する数少ない近代洋風建築である。

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丸亀町商店街に面して建つ百十四銀行旧本店。昭和20年7月の高松空襲では、周囲の建物が焼失した中で焼け残った。大正15年の竣工当初は2階建てであったが、昭和27年(1952)に3階が増築され、現在の姿になった。

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外装はテラコッタ(建築装飾用の大型陶板)で仕上げられているが、増築部分は青みを帯びた色になっているので、元々の外壁と区別することができる。

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香川県最大の銀行である百十四銀行は、国立銀行条例に基づき明治11年(1878)に設立された第百十四国立銀行を起点とする。新潟の第四銀行、岐阜の十六銀行、三重の百五銀行などと共に、現存する数少ないナンバー銀行の一つである。

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1階と2階の窓の間に施された装飾。

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正面列柱の柱頭飾りは昭和27年の増築に際し、新たに設けられたものと思われる。

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側面からの眺め。
写真右側に少し写っている背面の外壁には近年まで、戦時中に施された防空迷彩の塗装が僅かながらも残されていた。

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側面の一部は、大正15年の創建当初から3階建てであった。

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大黒天を抽象化したようなキーストーンの装飾。

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側面には重厚なブロンズ製の玄関ポーチも残されている。

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玄関ポーチの柱頭にも装飾が施されている。

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昭和41年(1966)に現本店ビルがすぐ近くの亀井町に竣工したことにより、以降は高松支店となり、現在に至る。平成25年(2013)には耐震補強が行われ、今後も引き続き使われることとなった。

第972回・旧関根家住宅

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栃木県栃木市倭町にある旧関根家住宅は、明治から昭和初期まで煙草卸売商を営んでいた関根家の店舗兼住居。通りに面した店舗棟は大正11年(1922)に建て替えられた煉瓦タイル貼りの洋風建築。背後に続く主屋、文庫蔵と共に国の登録有形文化財となっている。

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栃木は江戸時代より例幣使街道の宿場町として、また船運による問屋町としても繁栄していた。現在も中心街の大通りの両側には、重厚な造りの見世蔵(店舗棟)や土蔵が残されており、街の観光資源となっている。

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明治以降、店舗棟を洋風に改築する商家も現れた。旧関根家住宅もそのひとつで、背面に建つ明治中期竣工の主屋江戸時代の文庫蔵はいずれも伝統的な造りとなっている。

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正面外壁は、左右対称に縦長窓や装飾等が整然と配された端正な外観となっており、パラペット(軒)部分などには大正期の洋風建築に多いセセッション風意匠が見られる。

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玄関の両脇に配された窓もショーウインドウ風の大きな窓になっており、当時としては極めてハイカラな外観であったものと思われる。

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玄関部分の外壁は緩やかな曲面を有している。

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外壁に貼られた茶褐色のタイルは、明治以来の赤煉瓦に代わってより新しさを感じさせる外装材として、当時流行していた。

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玄関上部の照明も古いものが残されている。

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店舗棟の脇にひっそりと設けられた通用口の上部にある照明も、古いものが残されている。

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煙草商としての営業は昭和初期に終え、その後は貸店舗やギャラリーに使われていた。

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平成28年5月、関根家から店舗棟、主屋、文庫蔵及び敷地が栃木市に寄贈された。
栃木市では今後、旧関根家住宅を「蔵の街」の観光資源として活用していくものと思われる。

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旧関根家住宅の近くに建つ旧安達呉服店(好古壱番館)も、店舗棟を洋風に改築した商家のひとつで、大正12年(1923)の竣工。

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旧関根家住宅と同様、国の登録有形文化財となっている。

第971回・嵐渓荘緑風館

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新潟県三条市長野の越後長野温泉にある嵐渓荘緑風館は、もともとは昭和8年(1933)頃、弥彦線燕駅前に建築された小川屋旅館の建物を昭和30 (1955)年頃、現在地に移築したもの。洋館のドーム屋根を思わせる形状の望楼が特徴的な建物である。国登録有形文化財。

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館内に飾られている、小川屋旅館として使われていたころの古写真。

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現在の姿。玄関の位置が変わっているほかは、小川屋旅館として使われていた頃と殆ど変わらない。

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長野温泉に移築されて間もない頃と思われる写真。長野温泉でただ一軒の温泉宿である嵐渓荘は、昭和2年(1927)の創業。

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かつては繁華な地にあった駅前旅館も、今は山間の静かな一軒宿である。

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望楼。洋館のドーム屋根を思わせる形で、この建物の外観を特徴付けている。

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平成16年の中越地震や、度々の水害にもめげず盛業中である。平成24年(2012)、緑風館は国の登録有形文化財となった。

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欄間の繊細な建具が美しい玄関。

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床板や階段の親柱、手摺は歴史を感じさせる。

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二階廊下に設けられた、自然木を用いた門。

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二階の客室「嵐渓」は緑風館の中でも最も広く、床の間や欄間などに凝った造作がみられる客室である。主室から次の間を望む。

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縁側。

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床の間を望む。

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凝った建具が嵌め込まれた床脇の飾窓。

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書院窓にも凝った意匠の硝子障子を入れている。

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3階の客室「藤」は、2つの床の間付き座敷から構成されている。

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円形窓が特徴的な、「藤」のもうひとつの座敷。

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麻の葉模様が美しい円形窓。

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国の登録有形文化財となった温泉旅館の建物は他に、新潟県内では十日町市の松之山温泉凌雲閣がある。(当ブログでも紹介済である)

第970回・島薗家住宅

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東京都文京区千駄木3丁目にある島薗家住宅は、東京帝国大学医学部教授であった島薗順次郎(1877~1937)が、結婚した子息のために昭和7年(1932)に建てた住宅。現在も島薗家によって大切に維持され、内部の一般公開もされている。国登録有形文化財。

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旧川崎財閥系の銀行建築を多く手掛けた矢部又吉(1888~1941)の設計による、現存する希少な住宅建築である。創建当初は陸屋根の平屋建洋館と日本家屋から成る和洋併置式住宅であった。

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昭和16年(1941)に2階が増築されて現在の姿になった。(増築設計には矢部又吉は関与していないとされる)

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1階部分の軒飾り。

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玄関。内部の腰壁には布目模様のタイルを貼っている。

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玄関ホールから書斎兼応接間を望む。この館の主であった島薗順雄も医学者であり、この家を医院として使用していたこともあるという。

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診察室としても使われていた書斎兼応接間。現在も書棚には島薗家の蔵書が並んでいる。

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食堂。

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食堂の造りつけ食器棚。中段の窪みは廊下につながった配膳用のスペース。

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食器棚の窪み部分を廊下から望む。配膳口が設けられている。

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洋館の奥には日本館が現存しているが、戦災で焼け出された世帯への貸家となっていたこともあり、改装が甚だしい。当初は床の間、床脇を備えた本格的な日本座敷であった。

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昭和16年(1941)に増築された2階部分。和洋折衷の構成をとる。

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2階洋室部分の暖炉。上部にはステンドグラスの嵌まった小窓を配する。

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大東亜戦争開戦の年に建てられたためか、ステンドグラスの図柄は時代色の強いものとなっている。
軍艦と戦闘機。

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暖炉の隣には床の間風の空間を設けている。
洋室ではあるが、日本座敷の床の間の構成を取っている。

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毎月第1・第3土曜日に、内部が公開されている。

(参考)たてもの応援団ホームページ

第969回・旧古河町役場

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茨城県古河(こが)市中央にある古河テクノビジネス専門学校の建物は、昭和3年(1928)に建てられた旧古河町役場庁舎を増改築したもの。古河市に残る数少ない近代洋風建築である。

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旧建物の壁面のみを残して建て替えたようにも見えるが、ガラス張りの部分は増築であり、旧建物は構造体も含めて現存する。(但し内部は改装されている)

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古河は江戸時代には古河城の城下町及び日光街道の宿場町として繁栄していた。戦災も免れたため、今日も市街地の中心部には土蔵造の商家や武家屋敷が点在するが、近代洋風建築は珍しい。

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昭和25年(1950)の市制施行に伴い、初代古河市庁舎としても使われた。

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古河テクノビジネス専門学校のホームページによると、校舎の竣工は昭和62年(1987)とあるので、現在の姿になったのはこの時期と考えられる。

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外壁に貼られた明るい黄褐色のタイルは、昭和初期の建物によく見られる引っ掻き傷を付けたスクラッチタイルである。

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新旧のデザインの取り合わせの良し悪しは、ここでは触れない。旧い建物を残したことに対して敬意を表するに止めておきたい。

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側面の外壁。
背面にも旧建物の外壁が残されているが、背面はスクラッチタイル貼りではなくモルタル仕上げになっている。

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側面の窓の一部には、創建当初のものと思われるスチールサッシが残されている。

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茨城県内では同時期の町役場庁舎で現存するものとして、昭和11年竣工の旧太田町役場(現・常陸太田市郷土資料館)がある。

第968回・今井家住宅

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新潟県燕市吉田下町にある今井家住宅は、かつての大地主で戦後は家庭薬事業などを手がけた旧家の住宅である。江戸時代に建てられた主屋を2つの煉瓦造洋館が挟む建築群は地域のシンボルとなっている。国登録有形文化財。

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主屋と西洋館を望む。今井家は江戸時代から続く旧家で、屋号を「近江屋」と称し幕末には長岡藩の御用商人も務めた。明治維新後も越後屈指の大地主として、金融、醸造等の各種事業に進出したほか、病院の創設などの社会事業も行った。

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戦後は農地解放により大地主としての地位は失ったが、新たに興した家庭薬事業などにより、今も屋敷は往年の佇まいを維持している。平成26年(2014)、屋敷内の4つの建物(主屋・新座敷・西洋館・旧今井銀行)が国の登録有形文化財となった。

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新潟県内に現存する他の地主の館と比べると、非常につつましい印象の主屋玄関。

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主屋の脇にある、高貴な来客を通すためと思われる庭門。

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明治25年(1892)頃の建設と推定されている赤煉瓦の西洋館。背面には同時期に建てられた新座敷がある。いずれも接客や商談のための応接棟として建てられた。

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主屋を挟んで西洋館とは反対の位置にある、今井家が経営していた旧今井銀行。大正9年(1920)に建てられた。西洋館と同じく煉瓦造だが、外装は焦茶色の焼過煉瓦で覆われている。

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西洋館の外観は倉庫風で地味だが、煉瓦造の西洋館を明治中期の一地方で自宅の一部として建てること自体、当時としては驚異的なことであった。当時の今井家の隆盛と当主の進取性が窺える。

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外壁の「香林堂」の白文字は今井家が戦後興した家庭薬会社の名で、昭和26年に書かれたもの。
屋根に載っている塔屋状のものは自家用の火の見櫓で、中には半鐘を吊るしている。

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西洋館外壁の煉瓦は、日本の煉瓦造建築では珍しいフランス積。

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西洋館の基壇部分の換気口に嵌め込まれた飾り金物。

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外観からは想像できないが、内部はシャンデリアや飾り鏡、牡丹の花弁を象った天井の照明台座など、「越後の鹿鳴館」とも称される明治調の華麗な内装が施されている。

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旧今井銀行から主屋、西洋館を望む。

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今井銀行は昭和7年(1932)に第六十九銀行と合併したため、建物が銀行として使われたのは短期間であった。

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昭和26年に「香林堂」が設立されると、同社の工場として使用されたため、内部は改変されているが外観は旧状をよく残している。

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玄関アーチのキーストーン(要石)には、大黒天の顔がある。
けっこう不気味。

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1・2階のアーチ窓のキーストーンには、郵便マーク(〒)を思わせる彫刻が施されているが、これは「今井銀行」の「今」の文字を現したものであるという。

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旧今井銀行にも基壇部分の換気口に、飾り金物が嵌め込まれている。
ここにも「今」の文字がみられる。

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(参考)
藤森照信・増田彰久「歴史遺産 日本の洋館 第一巻・明治編Ⅰ」平成14年講談社刊
燕市ホームページ

第967回・カワモク本部事務所棟(旧六軒町郵便局)

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埼玉県川越市田町にあるカワモク本部事務所棟は、昭和2年(1927)に道路新設に伴い生じた三角形の敷地に建てられた木造洋館。当初は敷地を所有していた材木商の銘木類の展示場として使われていたが、その後長らく郵便局舎として使われていた。現在は飲食店として活用されている。国登録有形文化財。

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材木商を営む鈴木家(現(株)カワモク)の敷地内を新設道路が斜めに通り抜けた際に、敷地の隅にできた三角地を有効活用すべく、銘木などの展示場を角地部分に建設したのが始まりとされる。

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昭和12年(1937)頃に増築し、以後、六軒町郵便局として長らく使用された。

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現在はイタリアンレストランとタイ料理店として活用されている。

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角地部分の設計は志村岩太郎、施工は川越で多くの住宅を設計した森留造による。

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北米のステックスタイルを基本に、フレンチルネッサンス様式とライト風の装飾を折衷してまとめられた洋風建築とされる。

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川越は蔵造りの商家のほか、このような洋風建築も多く残されている。

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六軒町のシンボル的な建物となっている。

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旧六軒町郵便局斜め向かいに建っている、出桁造の重厚な商家。
写真には写っていないが、脇には洋館もある。

第966回・旧金井写真館

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新潟市中央区中大畑町にある明治時代創建の写真館。現在は個人住宅として保存されている。

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新潟市内でも高台に当たる一角に建っている旧金井写真館。

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明治21年(1888)創業の金井写真館の本店店舗として、キリスト教女学校校舎の跡であった現在地に明治30年(1897)に建てられた。

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屋根の下には、右書きで「金井寫眞館本店」の文字が残る。

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設計は、山形県米沢市にある旧米沢高等工業学校本館(明治43年竣工、国指定重要文化財)を手掛けた中島泉次郎とされる。

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角地に玄関を設けている。

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戦災こそ免れたものの、昭和30年の新潟大火で中心市街地の大半を焼失した新潟市内において、希少な明治の洋風建築である。

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個人住宅であるため、公開はしていない。

第965回・栃木高等学校講堂・記念図書館

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栃木県栃木市入舟町にある栃木県立栃木高等学校は、明治29年(1896)設立の「旧制栃木県尋常中学校栃木分校」を前身とする。構内には旧制中学校時代の建物が3件(旧本館、旧講堂、旧記念図書館)現存しており、いずれも国の登録有形文化財となっている。

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正門越しに旧記念図書館が見える。

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国の登録有形文化財となっている3件のうち、敷地内にある、明治29年(1896)に建てられた旧本館は見ることができないが、旧講堂と旧記念図書館は街路に面しており、敷地外からでも見ることができる。

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大正3年(1914)に建てられた旧記念図書館。3件の登録有形文化財の中では最も新しい。

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同窓会の記念事業として建てられ,1階が図書閲覧室、2階が和室の大広間となっている。

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現存する旧制中学校の専用図書館としても珍しい存在である。

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旧記念図書館の玄関。

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明治43年(1910)に建てられた旧講堂。

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上部を半円型とする窓を連続させた外観が特徴。

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隣接する茨城県の旧太田中学校講堂と同様、内部も白漆喰塗りの天井や、飾り柱を備えた演壇廻りなど華麗な意匠を有する。

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通常は非公開なのが残念である。

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半円窓の周りに施された装飾。

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栃木高等学校の敷地は旧栃木県庁の一部であり、周辺一帯には古い町並みが残されている。

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以前当ブログで取り上げた旧栃木町役場旧横山家住宅栃木病院も、近い位置に建っている。

第964回・龍谷大学本館

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京都市下京区七条通大宮東入大工町にある龍谷大学大宮キャンパスには、明治12年(1879)に竣工した本館を始め、正門、門衛所など龍谷大学草創期の建造物群が残されている。いずれも明治初期の擬洋風建築の代表例として、国の重要文化財に指定されている。

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正門。門扉は現在はアルミ製のレプリカに置き換えられているが、オリジナルの意匠を忠実に再現している。なお、鋳鉄製のオリジナルは別の場所に保存されているという。

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現在は売店として利用されている、煉瓦造の門衛所。

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本館。一見石造風であるが、構造は木造で石材を外装に貼りつけた木骨石張り。

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龍谷大学は、西本願寺が寛永16年(1639)に創設した「学林」を起源とする。

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明治維新後「大教校」と改められた際、講堂として建てられたのが現在の本館である。

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明治維新から間もない時期に洋風建築を建てるところに、当時の西本願寺の進取性が窺える。

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大正11年(1922)に、現在の「龍谷大学」に改称された。

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同時期の仏教寺院による擬洋風建築として、奈良県生駒市の宝山寺獅子閣(明治17年、国指定重要文化財)がある。

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西側を向いた本館背面には通用口とバルコニーの出入口を除いて窓が無い。

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西側に窓を設けないのは、浄土真宗の寺院と同じ考え方とされる。

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本館の左右には、元々は学生寮として建てられた北黌と南黌が向かい合っている。いずれも本館と同じく明治12年の竣工。

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丁度同じ年に竣工した旧三重県庁舎(現在は明治村に移築、国指定重要文化財)と同様、前面にベランダを巡らせている。

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北黌と南黌にも玄関ポーチが設けられているが、本館に比べると簡素な造り。

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西本願寺系列の近代の建造物では、同じく京都の西本願寺伝道院、東京の築地本願寺が現存する。
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