第985回・機那サフラン酒本舗土蔵

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新潟県長岡市摂田屋にある機那サフラン酒本舗は、サフラン酒の醸造で財をなした吉澤仁太郎によって大正時代に建てられた。極彩色の鏝絵で彩られた帳場蔵は国の登録有形文化財。老朽が進んでいるが、主屋や離れ等も贅を尽くした見事な建物である。

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街路からの眺め。
主屋と帳場蔵が見える。

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帳場蔵は大正年間の創建になる切妻造桟瓦葺の土蔵で、基礎は石積み、腰を海鼠壁とする。軒廻、開口部のまぐさ部と塗戸に極彩色鏝絵を施している。

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帳場蔵と同じく大正年間の創建とされる主屋。裏には昭和初期に建てられた離れも現存し、いずれも材料・意匠共に技巧を凝らした豪壮な造りの建物である。

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「機那サフラン酒製造本舗」と大書された古びた看板が残されている。
サフラン酒は現在も薬味酒(リキュール)として販売されているが、戦前は現在の養命酒のような薬用酒として一世を風靡していたとされる。

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主屋の鬼瓦には、主である吉澤仁太郎に因む丸に吉の紋章が見える。吉澤仁太郎は事業家としてサフラン種の販路を海外まで広める一方、大地主としても活動した。

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主屋を挟んで帳場蔵の反対側には衣装蔵が建つ。帳場蔵には及ばないものの、衣装蔵にも極彩色鏝絵が施されているそうだ。

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なお、通常は帳場蔵周辺を除き、敷地内への立ち入りは不可である。但し、定期的に内部や帳場蔵以外の建物の公開も行われているようである。

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鏝絵の図柄は、鳳凰、麒麟、恵比須、大黒や十二支などの図が施されている。

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左官は地元の河上伊吉と伝えられている。正面軒廻の片隅に河上伊吉のものとされる「左伊」の銘が入っている。

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また機会を得て内部や衣装蔵、主屋や離れも紹介できるとよいのだが。
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第984回・旧江戸川乱歩邸

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本日7月28日は、作家・江戸川乱歩(1894~1965)の命日に当たる。東京都豊島区西池袋にある旧邸と、書庫として使われていた土蔵は現在立教大学の所有となっており、一般に公開されている。

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門柱には、江戸川乱歩の本名(平井太郎)と、子息で心理学者・立教大学名誉教授であった平井隆太郎(1921~2015)の名が入った表札が今も掛かっている。

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母屋は大正10年(1921)の創建であるが、昭和32年(1957)に乱歩自らの設計で洋館を増築するなどの改造が施されている。

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玄関。元々は和風の造りであったが、昭和32年の改築で洋風に改められた。

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乱歩設計、平井家出入りの大工によって建てられた木造タイル貼り2階建の洋館。1階は玄関と洋室1室、2階は数寄屋風の和室1室で構成されている。

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1階洋室(応接間)には、名古屋の橦木館とよく似た雰囲気のパーゴラを備えたテラスが設けられている。

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乱歩が三越家具部などにオーダーメイドで誂えさせた家具が置かれている応接間。
戦後の建物なので、天井なども平坦で装飾などは皆無であるが、暖炉の存在が戦前まで多く存在した和洋併置式住宅の名残を残している。

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タイル貼りの暖炉。
その上には乱歩の還暦祝いの肖像画が掲げられている。

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乱歩ファンからは「幻影城」と称され、乱歩邸のシンボルとも言える土蔵。乱歩の書庫として使われていた。(住み始めた頃は一時期書斎としても使っていた)

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江戸川乱歩は引っ越し魔として知られ、50回近く転居を繰り返していたが、昭和9年(1934)に当時貸家となっていた(その後買い取った)この家に転居後は、昭和40年に死去するまで約30年間居住していた。平屋建の部分は大正10年創建当初から残る部分であるが、改造が激しく当初の姿は殆ど残されていない。

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土蔵は母屋より少し後の大正13年(1924)に増築された。関東では珍しい鼠漆喰の外壁が特徴。関東大震災後間もなく建てられたため耐震耐火にも工夫した造りとなっている。豊島区の有形文化財に指定されている。

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土蔵の内部には、夥しい蔵書が整理魔でもあった乱歩によって几帳面に整理された状態のまま、保存されている。

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土蔵内部。中央に2階への階段が伸びている。

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1階の書棚。自著、内外の探偵小説(推理小説)、犯罪学、心理学等の文献が詰まっている。2階には主に江戸時代の和書などが収蔵されていた。

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当ブログでは以前、乱歩にも多大な影響を与えた谷崎潤一郎の旧居も紹介しているので、併せて御覧頂ければ幸いである。なお、谷崎潤一郎は乱歩とは2日違いの昭和40年7月30日に世を去っている。

第983回・旧楽天堂病院・山本医院

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香川県仲多度郡多度津町には、明治22年(1889)に四国で2番目に開業した鉄道会社である讃岐鉄道の車両修繕工場として発足した歴史を有するJR四国多度津工場がある。その近所に、2棟の洋風医院建築が向かい合って建っている。

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アーチ窓が連なる華麗な外観の旧楽天堂病院と、直線を強調した意匠が特徴的な山本医院で、共に大正時代の建築とされている。そのうち山本医院は現在も現役の医院であり、建物は国の登録有形文化財である。

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善通寺と丸亀の間に位置する多度津は、古くから瀬戸内の港町として栄え、現在も歴史ある佇まいの建造物が多く残る。2棟の医院建築は多度津を代表する洋風建築といってもよい。

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旧楽天堂病院は大正元年(1912)の建築とされる。昭和50年代までは医院として使われていたが、現在は会社の事務所として使われているようだ。

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玄関ポーチの正面上部には「Rakutendo - Hospital」の文字が残る。

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随所に凝ったモルタル製の装飾が施されているが老朽が進んでおり、欠損が見られる箇所も多い。

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小規模ながらも濃密な意匠の洋館であるという点では、岡山県津山市の旧中島病院を連想させる。なお、つい近年までは通りに面して透かし模様が凝ったモルタル塗りの塀が建っていたが、改修により撤去されてしまったようだ。

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背面に廻ると伝統的な木造家屋に洋館風の壁面を立てまわした、一種の「看板建築」であることが分かる。

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現在も改修を施しながら、現役の医院として大切に使われている山本医院。

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洋風の診療棟の背面には和風の居住棟や蔵が続いている。

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旧楽天堂病院ほど派手ではないが、山本医院も玄関や軒まわりなど、随所に凝ったモルタル製の装飾が施されている。

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華やかな旧楽天堂病院と比べると堅い印象の外観である。

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玄関部の頂部は山本医院の「山」の文字を表しているのだろうか?

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斜めに向き合う2棟の医院。
旧楽天堂病院の老朽化が進んでいるのが不安であるが、2棟共に多度津を代表する洋風建築としてこれからも健在であることを願う。

第982回・丸亀高校記念館

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丸亀高校記念館は、旧香川県立高松尋常中学校丸亀分校の本館として明治26年(1893)に建てられた。その後丸亀中学校本館、丸亀高等学校本館として昭和34年(1959)まで使用された。現在は記念館として保存されている。国登録有形文化財。

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丸亀高等学校に隣接する丸亀城。江戸時代創建の天守が現存する。丸亀高等学校は明治26年(1893)創立の香川県尋常中学校丸亀分校(のち丸亀中学校)と、明治32年(1899)創立の香川県丸亀高等女学校を前身とする香川県下でも最古の歴史を誇る伝統校である。校舎は丸亀城の南に位置する旧丸亀中学校の校地を引き継いでいる。

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丸亀城の石垣上から望む丸亀高等学校の全景。
平成25年(2013)年に竣工した新本館の背後に、現在は記念館となっている明治26年(1893)竣工の旧本館が建っている。

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旧本館(記念館)を拡大。
屋根は日本瓦葺で、和風の入母屋造となっている。

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旧本館と共に建てられた旧正門も、場所を移して保存されている。

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丸亀高校の所管となっている県立丸亀武道館の前から記念館の外観が見える。昭和35年に新校舎建設のため、現在地に曳家で移動された。なお、そのときの新校舎は平成に入り新たな建物に取って代わられたようだ。

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記念館正面。同時期に竣工した旧香川県庁舎(明治27年竣工、昭和20年戦災で焼失)などと並ぶ、香川県内でも最初期の本格的洋風建築であり、今日も現存するものとしては随一といってもよい。竣工当時は県内各地から弁当持参で見学者が集まったといわれる。

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正面破風に設けられた円形の換気窓。

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端正な意匠の玄関ポーチ。

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当ブログでも以前紹介した岡山の津山高校(明治33年)、富山の福野高校(明治36年)、茨城の土浦第一高校(明治37年)など、明治期の洋風意匠の学校建築は全国各地に現存するが、いずれも明治30年代以降の竣工であり、明治26年竣工の丸亀高校記念館は全国的に見ても古い部類に属する。

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卒業生には著名人も多い。津島壽一(元大蔵大臣、谷崎潤一郎の親友としても知られる)、金子正則(元香川県知事、戦災で焼失した県庁舎の再建に丹下健三を起用)、猪熊弦一郎(洋画家、丹下設計の県庁舎の壁画を制作)などがいる。

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側面外壁。

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内部は2階に講堂、1階には職員室と教室を配する構成になっている。かつては本館の周囲に平屋建ての教室棟が並んでいた。

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現在は記念館として卒業生である先述の津島壽一、猪熊弦一郎などに関する資料などを保存・展示しているが、通常は公開していないようである。

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平成8年(1996)の国による文化財登録制度の導入に際しては、香川県内の登録文化財第1号となっている。

第981回・聖心女子大学パレス・クニハウス(旧久邇宮家邸)

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東京都渋谷区広尾の聖心女子大学キャンパスはかつての旧久邇宮家邸であり、現在も旧宮家の邸宅の一部が残されている。かつての表御殿の玄関部分である「クニハウス」、宮家の日常生活の場として建てられた御常御殿が現在もそのまま残されている「パレス」の2棟である。いずれも同大学の施設として現役で活用されている。

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現在は聖心女子大学の正門となっている旧久邇宮邸正門。
久邇宮家は明治時代前期に伏見宮邦家親王の第4王子・朝彦親王によって創立、大東亜戦争敗戦後の占領政策により臣籍降下(皇籍離脱)するまで存在していた宮家。香淳皇后の御実家に当たる。

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クニハウス車寄せ。
大正8年(1919)、京都から移られた久邇宮家二代当主・邦彦王の新邸として、洋館と日本館から構成される表御殿が竣工するも洋館は同年暮れに失火で焼失、日本館も昭和20年に空襲によって車寄せと正面玄関の一部を残し焼失した。

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現在は聖心女子大学の歴史などを紹介・展示する「クニギャラリー」として活用されている。
なお、香淳皇后は大正13年(1924)、昭和天皇との御成婚に際し、この車寄せから宮中に向かわれた。

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聖心女子大学は大正5年(1916)開校の私立聖心女子学院高等専門学校を前身とする。(昭和23年に新制大学に移行)フランスに設立された女子修道会「聖心会」を母体とし、世界42カ国に170校の姉妹校を持つ。写真はかつての御常御殿(パレス)跡に建つ聖心女子大学1号館に隣接して建っているマリアンホール。(昭和29年竣工)設計は住友本館などで知られる竹腰健造。

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旧御常御殿(パレス)。
久邇宮邦彦王夫妻の日常生活の場として、大正13年(1924)に建てられた。昭和24年(1949)に聖心女子大学1号館建設のため、クニハウスに隣接した現在地に移築された。

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設計は旧台湾総督府庁舎や国指定重要文化財の片倉館の設計者として知られる森山松之助による。

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外観は純然たる和風建築であるが、内部には暖炉を備えた「謁見の間」や造り付けの書棚がある書斎など、和洋折衷の意匠が施された洋室を備える近代和風建築である。

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大学設立当初は教室や聖堂が置かれていた。
現在も学生による茶道や筝曲、日本舞踊などの場として活用されている。

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内玄関。
表玄関はクニハウス(表御殿)にあるので、正式な玄関はこの建物には存在しない。

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平成12年(2000)に「聖心女子大学パレス」として国の登録有形文化財に認定された。平成28年には耐震改修などの補強工事が完了している。

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年1回程度開催される見学会を除き、通常は非公開である。

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旧朝香宮邸旧竹田宮邸などと並ぶ、東京都心に現存する旧宮家の邸宅である。

第980回・旧齋藤家別邸

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新潟市中央区西大畑町にある旧齋藤家別邸は、豪商・齋藤家の四代目齋藤喜十郎(1864~1941)によって大正7年(1918)に造られた別邸。砂丘地形を利用した回遊式の庭園と、質の高い近代和風建築から構成されており、「旧齋藤氏別邸庭園」として国指定名勝となっている。

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市街地から少し離れた砂丘の高台にある旧齋藤家別邸。以前紹介した旧金井写真館はすぐ近くにある。

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齋藤喜十郎家は、土地経営、海運、銀行等も営み、新潟の三大財閥のひとつに数えられていた屈指の豪商であった。かつて東堀通7番町にあった本邸は現存しないが、接客棟部分が白山公園に移築再建され、「燕喜館(えんきかん)」として保存・公開されている。(燕喜館については当ブログで過去に紹介している)

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敗戦後は一時期占領軍に接収され、司令官公邸として使用されていた。その後、別邸は戦後の農地改革や富裕層に課せられた多額の課税によって別邸を維持できなくなった齋藤喜十郎家の手を離れ、建設業を営む加賀田家の所有となった。

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旧齋藤家別邸の新しい主となった二代目加賀田勘一郎は実業家、政治家であると同時に茶道や囲碁を嗜み、郷土の文化財保護にも努める人物であった。邸宅は加賀田家の住まいとして平成17年まで使用され、茶会等で一般に開放される機会も多かった。

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旧齋藤家別邸が加賀田家の手を離れると、その前途を危惧した市民有志によって保存運動が展開された。結果、保存運動は実を結び、平成21年(2009)に新潟市が取得、完全な形で保存・公開されることになった。

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庭園と建物を一体として考え、室内からの庭園の眺望を楽しむ造りとなっている。なお、夏の別荘として造営されたため、縁側は全て広大な庭園のある北側に配され、日光が差し込まないように造られている。

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一階縁側から望む庭園。平成27年(2015)に、「大正期における港町・商都新潟の風土色豊かな庭園の事例」としての価値が評価され、国の名勝に指定された。

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数寄屋風の一階座敷。竹の付け鴨居が珍しい。

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同じく数寄屋風意匠の二階座敷。

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二階大広間。

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二階大広間には、残月床(表千家の書院「残月亭」にある床の間の形式。二畳敷きの上段形式で、かつて千利休の屋敷に設けられていたとされる)を配している。

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欄干の意匠が特徴的な縁側。

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池泉越しに主屋を望む。

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高低差のある敷地に造られた庭園には池泉も滝もあり、変化に富んだ景色を展開する。

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北側の高台に配された、「田舎屋」と称される東屋。

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同じく北側に配された茶庭と茶室。

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茶室の内部。

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竹を敷き詰めた茶室縁側。

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新潟市の中心街近くとは思えない別天地である。

第979回・武蔵屋店舗

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茨城県古河市横山町にある鰻料理店・武蔵屋の店舗は、明治中期に建てられた重厚な外観が特徴。元々は茶屋の建物として建てられ、明治末期に武蔵屋が譲り受けて今日に至っている。国登録有形文化財。

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武蔵屋店舗は旧日光街道の古河宿に西面して建っている。明治中期に、茶屋(遊郭であったとも言われる)「漆屋」の店舗として建てられた。明治44年(1911)に武蔵屋が取得、それ以降は鰻料理店として使われている。

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背面。
平成22年から翌年にかけて、背面にあった後年の増築部分を撤去するなど大規模な改装を行っている。

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重厚な土蔵造ながらも、茶屋として建てられたためか、二階前面には開放的な縁側を設け、街道を見下ろす造りになっている。

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外観でもとりわけ重厚さが現れている屋根瓦。

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一階の腰壁部分は石貼とする。北関東でよく見られる大谷石にも見える。

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銘木が真ん中に立っている店舗内部。

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当初からの造りか後年の改装であるかはわからないが、内部は吹き抜けになっている。

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江戸時代以来の宿場町の面影を伝える料理屋建築である。

第978回・旧新潟県会議事堂(新潟県政記念館)

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新潟市中央区一番堀通町にある新潟県政記念館の建物は、明治16年(1883)に新潟県会議事堂として建てられ、昭和7年(1932)までの約半世紀にわたり、県政審議の場として使用された。明治の府県会開設期における現存唯一の議事堂の遺構として、国の重要文化財に指定されている。

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旧新潟県会議事堂は、明治6年(1873)に布告された太政官布告により、日本で最初に開設された25箇所の都市公園のうちのひとつである白山公園に隣接して建っている。

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明治13年(1880年)夏の新潟大火によって県会議事堂が焼失したため、当時新潟県令(知事)であった永山盛輝(1826~1902 在任1885~1895)は新議事堂の建設を主唱、県会の賛同を得て明治15年(1882)5月に建設に着手、翌年3月に新議事堂が竣工した。

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設計・監督は新潟県西蒲原郡出身の大工棟梁・星野総四郎(1847~1915)が行った。星野総四郎は初代大阪駅(明治5年)など鉄道関係の建築工事に従事した後は建築請負業を営み、地元新潟では県会議事堂や第四銀行本店の建設を請け負った。

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大正期までは議事堂のすぐ裏側を信濃川が流れており、ゴシック調の塔屋を備えた姿を川面に写していた。

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軒下にある波型の破風飾りは、初代大阪駅の意匠を取り入れたものと考えられている。

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棟端飾りは擬宝珠(ぎぼし)形になっており、明治初期の擬洋風建築の特徴を備えている。

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49年間にわたり県政審議がこの建物で行われたが、昭和7年(1932)に県会議事堂も備えた新県庁舎(設計・木子七郎)の竣工に伴い議場は移転、その役目を終えた。なお、この新県庁舎は53年後の昭和60年(1985)に役目を終えて解体され、跡地には新潟市庁舎が建っている。

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信濃川にその姿を川面に写していた頃は、ロンドンの国会議事堂の塔にも見立てられたという塔屋。

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木造建築であるが、窓周りは石材で縁取りをして石造風に見せている。

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基壇部分は焦茶色の焼過煉瓦を積み、円形の換気口を備える。

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昭和8年(1933)から郷土博物館として使用されるが、戦時中は海軍に接収される。戦後は県庁分館などに使われた後、大規模な解体復元工事を経て昭和50年(1975)から新潟県政記念館として公開され、現在に至る。その間、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定されている。

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内部には議場を始め、知事室、議長室、委員室などの部屋を備える。

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館内の一室にある暖炉飾り。屋根には煉瓦積の煙突があるのでかつては暖炉を備えていたことは確かだが、修復時にはいずれも現存していなかったのか、どの部屋には暖炉は存在しない。写真の暖炉飾りも建物に取り付けられておらず、単に立てかけてあるだけなので、本建物のものかどうかは不明。

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梅花をあしらった天井照明台座。このような漆喰細工による和風モチーフの照明台座は、埼玉県の旧本庄警察署や、明治村に保存されている旧東山梨郡役所など、この時期の擬洋風建築では多く見られる。

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二層吹き抜けの議場。

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半世紀にわたり県政審議の場として使われた空間。

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議長席から議場を望む。

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展示品のひとつである英国製の水濾器(浄水器)。かつてこの議場に備え付けられていた。

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議場の片隅(写真右奥)を始め館内には、昭和7年竣工の旧県庁舎・県会議事堂にあった衝立や演壇など調度品の一部が置かれている。旧新潟県庁舎は今も現役で使われている愛媛県庁舎(昭和4年)を手掛けた木子七郎の設計によるもので、現存しないのが惜しまれる。

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明治期の府県会議事堂は和歌山(明治31年)や京都(明治37年、府庁舎に付属)にも現存するが、新潟が最古である。旧新潟県会議事堂は現存する最古の県会議事堂であると同時に、明治初~中期の擬洋風建築の傑作でもある。

第977回・JR琴平駅舎

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JR琴平駅は、香川県仲多度郡琴平町榎井にあるJR四国土讃線の駅。駅舎は大正11年の(1922)竣工で、国の登録有形文化財。近接する琴電琴平駅とともに、金刀比羅宮参拝への玄関口として知られている。

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遠景。
前の道は金刀比羅宮への参道に続いている。

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琴平駅は明治22年(1889)に讃岐鉄道の駅として開業、その後国有化され、大正11年(1922)に阿波池田方面への延伸のため、現在地に移転した。現在の駅施設はこのときのものが使われている。

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正面中央に切妻を見せた大きな三角屋根を配し、切妻部分には半円窓を設ける。
同じような外観を持つ大正期の駅舎では、旧JR国立駅舎(現在解体中、再建予定)、JR小田原駅舎(現存しない)がある。

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伝統ある神社の玄関口としてはハイカラな洋館駅舎。かつては近接する琴電琴平駅舎も、同時期に建てられた洋風の外観であった。(現在は平成初めに建てられた和風意匠の駅舎が建っている)

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外壁に木骨を見せるハーフチンバー(半木造)様式。木部は現在は白系統の塗装が施されているが、創建当初は濃い色だった。半円窓は白タイルで縁取りを施している。

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車寄せの軒には、丸に金の金刀比羅宮のマークが見える。
方杖は現在は木製だが、創建当初は曲線を描く装飾が施された金属製であった。

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金刀比羅宮参拝への玄関口として多くの乗降客を捌くためか、内部はゆったりとした造りになっている。

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ホーム。
駅舎本屋を始め、4件の施設(陳列所一号・旅客上屋一号・旅客上屋二号・乗換跨線橋)が登録有形文化財となっている。

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琴平駅舎は平成28年7月より改修工事が行われ、耐震補強等が施されると同時に、外観は創建当初の意匠や色彩に戻されるとのこと。

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改修後の姿も、機会があれば紹介したい。

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隣の善通寺駅舎も、国の登録有形文化財。

第976回・旧善通寺偕行社

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香川県善通寺市にある旧善通寺偕行社は、帝国陸軍第十一師団の将校のための社交場として、明治36年(1903)に竣工した。現在は善通寺市が所有・管理しており、文化財として公開されると同時に、市民のための施設として開放されている。国指定重要文化財。

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陸軍第11師団は、日清戦争後の陸軍拡張期に増設された6師団のうちの一つで、明治29年(1896)に善通寺町(当時)に開設された。現在は陸上自衛隊第14旅団が置かれており、引き継がれて今も使われている旧師団の施設も多い。

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偕行社は、帝国陸軍の将校准士官の親睦・互助・学術研究組織として設立された。明治10年(1877)に東京・九段に設置されたのを始まりとして、以降、善通寺を含む各地の師団司令部所在地に偕行社が設立された。現在も「公益財団法人偕行社」として活動を続けている。

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戦後は占領軍の接収を経て、善通寺市役所や公民館、郷土資料館など用途は変遷を重ねたが、平成13年(2001)に国の重要文化財となり、同19年(2007)には保存修理工事が完了、創建当時の状態を基本に復元された。現在は文化財として公開すると同時に、各種催事などの会場として貸し出されている。

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赤煉瓦の基壇の換気孔には、旧帝国陸軍の星マークがあしらわれた金物が嵌め込まれている。

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玄関ポーチ上部の星マークは保存修理工事に際し復元された。

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玄関ホールの天井。

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廊下。

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大広間。

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社交場の建物としては全体的に質素な建物であるが、大広間の照明台座に施された漆喰飾りは華麗なものとなっている。

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皇族などの利用に供された貴賓室。
大正11年(1922)には、のちの昭和天皇が善通寺偕行社に宿泊されている。

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背面からみた外観。

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背面は広い芝庭になっており、庭に面した部分は吹き放しの廊下になっている。

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旧偕行社の会館は、善通寺のほかにも各地にいくつか現存しており、文化財として保全されている。

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北海道旭川市の旧旭川偕行社(第7師団)と青森県弘前市の旧弘前偕行社(第8師団)は善通寺と同じく国の重要文化財となっている。また、国の登録文化財となっているものでは、石川県金沢市の旧金沢偕行社(第9師団)、旧岡山偕行社(第17師団)がある。
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