第1013回・うすくち龍野醤油資料館(旧菊一醤油本社)

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以前弊ブログでも紹介した、醤油の産地として知られる千葉県の野田には高梨本家などの醤油醸造に関係する歴史的建築物が残されているが、同様に古くから醤油(淡口醤油)の産地として知られる兵庫県の龍野(たつの市)にも、醤油醸造に関係する歴史的建築物が多く残されている。

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淡口醤油と素麺で知られる龍野は第二次大戦の戦災を免れ、今も旧龍野藩の城下町としての面影をよく残していることから、播磨の小京都とも称されている。旧市街に入ると随所に寺院と醤油蔵を見ることができる。

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その一角に、明るい色調の大ぶりの煉瓦タイルを貼った洋風建築が建っており、これがうすくち龍野醤油資料館である。淡口醤油の代名詞とも言えるヒガシマル醤油の旧本社屋を改装して昭和54年(1979)に開館した醤油の博物館である。

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ヒガシマル醤油の前身のひとつ、菊一醤油の本社屋として昭和7年(1932)に建てられた。建物は国の登録有形文化財に認定されており、また経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

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ヒガシマル醤油は、戦国時代末期の天正年間の創業とされる菊一醤油と、明治初期創業の淺井醤油が昭和17年(1942)に合併したことにより設立された。当初の社名は龍野醤油であったが、商標としていた丸に東のマークに因み、昭和39年(1964)に現在の社名になった。

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旧社屋の向かいには伝統的な町家風の外観の醸造蔵が建っている。

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旧菊一醤油の本社屋として事務所などに使われていた。一見煉瓦造風であるが、木造である。
なお、平屋建ての部分は一部を除き和風意匠となっている。また、洋館の周囲は伝統的な醸造蔵が建ち並んでおり、その一部は旧本社屋と共に資料館として公開されている。

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昭和53年(1978)にヒガシマル醤油本社が龍野市内の揖保川東岸に移転した後、旧社屋と仕込蔵2棟を改修して、翌年に始めての醤油博物館として開館した。

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入館料は開館以来、「御縁(5円)が重なるように」との考えから、現在に至るまで10円を維持している。

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特徴的な1階の大きな半円アーチ窓。

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内側からの眺め。本瓦葺きの醸造蔵と赤煉瓦の煙突が見える。

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かつての事務室と思われる洋館1階内部。天井は洋風の格天井になっている。

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2階(非公開)への階段。

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旧菊一醤油の本社屋であったことから、階段手摺には菊の飾りがあしらわれている。
壁面には「菊一醤油造合資會社」の金文字が入る当時の看板が飾られている。

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館内に展示されている、旧本社屋新築当時に描かれたと思われる菊一醤油の鳥瞰図。

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中央の旧本社屋部分を拡大。
玄関周りが現在と多少異なっているほか、二階バルコニーの手摺りが現在は無いところを除けば、外観は昭和初期から大きく変わっていないことが分かる。

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旧仕込蔵内部。うすくち龍野醤油資料館では、江戸時代から戦前までの醤油造りの道具類が展示されており、当時の醤油醸造の作業工程を知ることができる。

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醤油の原料となる麹を造る、煉瓦造の麹室(こうじむろ)。

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うすくち龍野醤油資料館からすぐの位置にある龍野町下川原の井戸麹店では、資料館で展示されているものと同様の煉瓦造の麹室が現役で使われており、見学もできるという。大正15年創業の同店は現在も伝統的な製法で麹や味噌を製造・販売している龍野でも唯一の店。

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また、同じくすぐ近くの龍野町上霞城には、大正末期に建てられた旧龍野醤油共同組合があり、近年まで資料館の別館として使われていたが現在は新たな用途に再活用するため閉鎖中である。この建物は次回紹介したい。
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第1012回・旧林國蔵邸(旧林家住宅)

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明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄した長野県岡谷市には、現在も当時の繁栄を偲ばせる建物がいくつか点在するが、その中でも最も見応えがあるのが、JR岡谷駅にほど近い御倉町2丁目にある、岡谷でも指折りの製糸家であり実業家でもあった林國蔵の旧邸である。明治40年(1907)に建てられた和洋併置式の邸宅は現在岡谷市が所有しており、「旧林家住宅」として一般公開されている。国指定重要文化財。

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林國蔵(1846~1916)は岡谷でも有数の製糸業者となり、後には炭鉱採掘や火薬・銃砲の製造販売などにも手を広げ成功を収めた実業家である。また中央本線の開通にも尽力するなど公益事業にも力を注いだ。

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和風の主屋全景。大屋根が特徴的な豪壮な建物。
林國蔵は明治40年に豪壮な和洋併置式の邸宅を築くが、明治末には事業の中心を製糸業から火薬・銃砲の製造販売などの他業種に移したこともあり、本拠地を岡谷から埼玉県の深谷に移した。

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まだ竣工からさほど年数を経ていない岡谷の邸宅は、深谷に移って以降は林家の別宅として扱われ、岡谷市に寄贈されるまで日常使われることはあまり無かったという。

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使われることが少なかったため、建物のみならず内部の各調度類や日常道具に至るまで、明治末期から大正初期の状態で非常によく保存されている。写真は主屋台所及び茶の間であるが、当時としては先進的なガス台が設置されており、この時期の古民家によく見られるカマドは無い。

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非常に精緻な彫刻が施された仏壇を据えた仏間。両脇は造りつけの茶箪笥になっており、夫人の居室としても使えるように造られている。

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主人書斎として造られた一階座敷。

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接客用の下座敷。反対側に上座敷がある。

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下座敷から上座敷を望む。欄間及び付け書院の彫刻は、仏壇の彫刻も手掛けた清水考古斎という人物の手になる。仏壇同様、極めて精緻な彫刻が施されている。

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上座敷の縁側からは中庭に面した渡り廊下を経て、土蔵造で一部が洋館の造りになった離れに続いている。

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離れの二階には、押し入れの内側に入口を設けた隠し部屋のような座敷があり、当時極めて高級な壁紙であった金唐革紙を壁から天井まで貼りめぐらせている。金唐革紙は明治から大正初期にかけ多くの洋風建築の内装を飾った国産の壁紙であるが、オリジナルがそのまま残り、かつ和風建築の内装に用いられた例は極めて少ない。

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電燈の笠も明治から大正期のものがよく残されており、それぞれバラエティに富んでいる。

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明治期の建物でよく見られる絵入り砂摺り硝子が、各室の襖、障子に用いられている。

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(上)上座敷書院窓の飾り。羊飼いの情景。
(下左)縁側の仏間・下座敷の境目に設けられた蜘蛛の巣をあしらった欄間(下右)仏壇の天女

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離れは二階建土蔵造の座敷と、建物の内部に取り込まれた形で設けられている内蔵、写真の平屋建て洋館で構成されている。また洋館の正面向かって右側は、中が茶室になっており、側面は外観も和風の造りになっている。

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極めて精緻な洋館玄関ポーチの装飾は、かなり脱落・欠損しているが、もはや再現は不可能ではないかと思われる。それどころか、現状維持すら難しいのではないかと不安になるぐらいの細かい装飾である。

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洋館の内部は、洋風の玄関ホールと応接間、日本座敷二室(茶室、広間)で構成されている。写真は玄関奥の応接間。

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洋館内部の装飾。
(上)玄関ホールと応接間の境目の漆喰飾り
(下左)応接間の天井照明台座(下右)玄関ホールの天井照明台座

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玄関ホールと応接間の天井にも離れ二階座敷と同様、金唐革紙が貼られている。今は色褪せているが当初は金色に輝いていた筈である。本来の金唐革紙がどのよう絢爛豪華なものであるかは、弊ブログ過去記事で取り上げている神戸市の移情閣(復元された金唐革紙が貼られている)の記事をご参照頂きたい。

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洋館玄関ホールの脇に設けられた茶室。
右側の扉が玄関ホールに繋がっている。

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茶室と続き間になっている広間。

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内蔵と離れ座敷の間の廊下は、天井まで漆喰で塗り込められている。

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離れから主屋に続く渡り廊下。

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主屋に戻る。主屋の二階には贅を尽くした客座敷のほか納戸と女中部屋があるが、こちらは非公開。

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主屋の脇には外蔵・穀蔵・味噌蔵が並ぶ。写真手前に写る外蔵は繭蔵として造られ、カツラの木を用いていることから桂倉とも呼ばれていた。付きあたりに入口が見えるのが味噌蔵、その奥には穀蔵がある。

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穀蔵は離れの内蔵とつながっており、全体で長屋門のような形になっている。

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ナマコ壁で覆われた二つの蔵の間をくぐると、洋館の脇に出る。

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穀蔵の妻壁には林家の屋号である「イチヤマカ」(一山カ)の文字が漆喰で描かれている。

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旧林國蔵邸は岡谷を代表する近代化遺産であり、長野県内に現存する和洋併置式住宅としても貴重なものである。

第1011回・篆刻美術館(旧平野家表蔵棟・裏蔵棟)

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茨城県古河市中央町二丁目にある篆刻美術館は、この地で酒類卸売業を営んできた平野家によって大正9年(1920)に建てられた2棟の石蔵を、古河市が全国的にも珍しい篆刻専門の美術館として活用したもの。城下町及び宿場町として繁栄していた古河の隆盛を伝えている。国登録有形文化財。

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現在は表蔵・裏蔵の2棟のみが現存する。主屋の跡地には、美術館の別館が建てられている。

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栃木県及び茨城県ではよく見られる大谷石を用いている。

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内部はかつて一階が洋間、二階が納戸、そして三階には数寄屋風書院の座敷があったという。

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現在は内部を改装し、二層の展示室になっている。
階下の展示室のみ、壁や天井にかつての洋間の面影を残している。

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3階建の石蔵は当地のランドマークであったが、平成3年(1991)に古河市の手によって、日本で初めての篆刻専門の美術館として生まれ変わった。

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裏蔵。こちらは2階建。
表蔵と裏蔵の間には鎮守社の跡も残されている。

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館内では古河出身の篆刻家・生井子華(1904~1989)の作品を中心に、篆刻にかかわる封泥や石印材を常設展示している。

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主に裏蔵を会場として、現在活躍している篆刻家たちの作品展示や、古河市内小中学校生や全国高校生の篆刻作品展示も行われているという。

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古河城の城下町及び日光街道の宿場町として、江戸時代から近代に至るまで繁栄していた古河の歴史を伝える建物のひとつである。

第1010回・京都大学農学部表門及び門衛所

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京都市左京区北白川追分町の京都大学農学部の表門及び門衛所は、大正13年(1924)に京都帝國大学農学部表門及び門衛所として建てられた。設計は同じ京都大学の構内にあり、以前当ブログでも取り上げた楽友会館の設計者である森田慶一による。楽友会館と同じく国登録有形文化財。

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京大農学部は本部のある吉田キャンパスの北東にあり、表門に至る通りには創建当時からの杉並木が伸びている。

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設計者の森田慶一(1895~1983)は、当時工学部建築科主任教授であった武田五一(1872~1938)の招聘で助教授として赴任、昭和33年(1958)に退官するまで京都大学にて教鞭を執った。

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農学部表門及び門衛所は森田慶一が京都帝國大学に赴任後、最初に手掛けた設計作品とされる。京大構内では楽友会館のほか、基礎物理学研究所湯川記念館(昭和27年)の設計を行っている。

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屋根は黒い日本瓦葺き。

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門衛所。入口扉の脇には登録文化財のプレートが掲げられている。

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通用口の尖頭アーチは、楽友会館の正面玄関と同じ形状。

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門柱の表面に切られた芋目地。楽友会館正面玄関の内壁と同様のディテールを見ることができる。

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門扉は全体の雰囲気に調和していない感がある。そもそもこれは後付けで、当初は無かったのではないかと思われる。その他、看板や車止めの遮断機など、周囲がゴタゴタした感じなのは些か残念である。

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将来は登録有形文化財にふさわしい整備がなされることを期待したい。

第1009回・旧山一林組製糸事務所(岡谷絹工房)

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長野県岡谷市は、明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄していた街である。現在でも市内の随所にかつての生糸の都の面影をみることができる。JR岡谷駅に近い中央町にある旧山一林組製糸事務所もそのひとつで、大正10年(1921)に建てられた。敷地内に現存する旧守衛所とともに国の登録有形文化財となっている。

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山一林組製糸は明治12年(1879)創業で、岡谷でも五本の指に入る大製糸工場であったとされる。戦後は現在の岡谷市の基幹産業となっている精密業に転換したが、昭和47年(1972)に閉業した。

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広大な工場の敷地は現在駐車場となっており、かつての製糸工場の面影を残しているのは旧事務所と旧守衛所だけである。

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正門越しから望む事務所全景。左手前の建物が旧守衛所。
正面玄関上部の切妻と両脇の屋根窓が外観を引き立てている。

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国の登録文化財であると同時に、全盛期の製糸業を伝える建物として経済産業省より近代化産業遺産にも認定されている。

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現在は岡谷市が所有しており、旧事務所の建物は絹織物についての研修や製作体験ができる「岡谷絹工房」として活用されている。

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一見煉瓦造に見えるが木造で、外壁は当時流行した焦げ茶色の煉瓦タイルと擬石で仕上げられている。なお、同時期に建てられた製糸家の邸宅である、埼玉県入間市の旧石川組製糸西洋館でも同様のタイルが用いられている。

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縦長窓が整然と並ぶ端正な外観。
昭和2年(1927)には山一林組製糸を舞台とする大規模な労働争議があり、事務所は労使交渉の場となった。

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珍しいのは玄関ポーチの柱で、上半分を擬木風に仕上げている。こういうデザインは他で見たことがない。

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正面の切妻破風と軒飾り。
軒には電燈が付く。

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玄関扉の右上には経済産業省認定の近代化産業遺産であることを示すプレートが掲げられている。また、表札の下には国登録有形文化財のプレートが見える。

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玄関を入ると土間があり、その先にある事務室とを仕切る、木製のカウンターと硝子窓の仕切りが現れる。

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土間の先には応接室への扉がある。
外観、内装ともに創建当初の造りを非常によく残している。

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階段室。

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二階階段の親柱。

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階段の親柱や手摺には、大正期の建物に多く見られる直線を基調とした簡素な装飾が施されている。

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二階中廊下。二階には大広間と貴賓室、書院座敷などが配されているという。
付きあたりの半円アーチの欄間がある扉が、大広間への入口。

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車輪のような意匠の大広間入口欄間。

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岡谷市には同様の製糸業者の事務所建築として、旧片倉組の本社事務所が現存しており、旧山一林組製糸と同様、国の登録有形文化財となっている。この建物は現在、旧片倉組の流れを汲む中央印刷の本社事務所として活用されている。

第1008回・旧山本家住宅 〔再訪〕

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平成26年3月9日付弊ブログ記事で紹介した兵庫県姫路市網干区興浜の旧山本家住宅は山本家から姫路市に寄贈され、平成28年9月より一般公開(毎月第1・3日曜)が始まったので訪れてみた。今回は凝った和洋折衷の趣向が随所に施された旧山本家住宅の内部を紹介したい。

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旧室津道に面して建つ旧山本家住宅。明治初期の主屋と、その隣に大正7年(1918)に建てられた和洋折衷の洋館、その背後に建つ離れ、主屋に付属する土蔵等から構成される大規模な邸宅である。洋館や離れを建てた当時の当主・山本真蔵は網干町長や網干銀行頭取を務めた人物。氏が建てた網干銀行の旧本店も網干町に現存する。(弊ブログ過去記事参照)

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高塀に穿たれた門をくぐると、右手の通用門側に主屋の玄関がある。主屋は近畿など西日本で伝統的な「つし二階建」であるが、玄関は洋館建設に際して側面に移したものと思われる。(通常は玄関も街路に面している)

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門の正面には、堂々とした唐破風を備えた洋館の玄関ポーチが現れる。現在は銅板葺だが創建当時は杮(こけら)葺きであったという。唐破風は寺社仏閣などに見られる日本の伝統的な建築様式であるが、玄関扉や扉枠などは洋風の造りとなっている。

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正面左手には洋風の張り出し窓を設け、縦長の窓には鎧戸を設ける。外壁は一階が栂(とが)の白木を下見板張りにし、二階は黒漆喰塗仕上げとする。

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正面右手は三階建てになっており、階段室と望楼がある。望楼は興浜地区のランドマークとなっている。
大理石を敷き詰めた玄関から洋館に入ると、玄関ホールの左手が応接間、右手は階段室となっている。

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洋館の中で最も重厚華麗な造りの応接間。照明器具から家具調度類まで、大正時代のまま時が止まったかのような空間。

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白大理石でできた応接間の暖炉飾り。暖炉棚の上にある置時計なども戦前からのものではないかと思う。木目が目立つ鏡の枠は柿の木だろうか。奥のドアはサンルームに繋がっている。

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家具もひととおり揃っているほか、カーテンや壁布なども古いものがよく残されている。

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応接間に隣接する書斎。応接間とは写真奥のサンルームを介してつながっている。
なお、一階は以上の各室のほか、書斎の向かいに廊下を挟んで床の間付きの金庫室がある。

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書斎の机の前にはステンドグラスを嵌め込んだベイウインドウがある。書斎も応接間と同様、照明器具、家具調度類に至るまで古いままよく残されている。

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書斎の暖炉飾り。焚口周りの花頭窓風の意匠やその上部の蟇股など、和風意匠が見られる。仰々しい印象の応接間に対して、書斎はステンドグラスや暖炉の意匠に自由な印象を受ける。

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玄関ホールと階段室を仕切る扁平アーチの開口部。

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階段室。写真の左側に主屋へつながる扉がある。

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二階は続き間付きの座敷が二た間あり、写真の南側(庭園側)十畳座敷は書院造のフォーマルな造り。雪洞のような形状の古い照明器具が残されている。もうひとつの座敷の照明器具は残念ながら、普通の蛍光灯になっている。

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北側(正面街路側)の八畳座敷は、窓は洋風の縦長窓、床柱には外国産と思われる珍奇な銘木を据えた、自由でくだけた造りの座敷。ちょうど一階応接間と書斎のような関係になっている。おそらく親しい客人は書斎やこの座敷に通していたのではないだろうか。

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洋館三階の望楼内部は、床は畳敷き、格天井を備えた和風の造り。
かつては窓から姫路城の大天守が見えたという。

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主屋の書院座敷。座敷に隣接して立派な仏壇が残る仏間、山本家がかつて呉服商を営んでいた当時店の間として使われていた部屋などが残されている。

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主屋の書院座敷から中庭を望む。奥には土蔵が建っている。

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洋館の背後にある離れへ続く廊下。珍しいのは、天井には天窓が二つ設けられており、それぞれ六角形のステンドグラスが嵌め込まれている。右手の格子窓は来客用の湯殿及び更衣室、そして廊下の奥に見えるのが、離れでもとりわけ特異な造りが見られる来客用の洗面室。

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洗面室の壁面一面に、貝合わせの貝殻が埋め込まれている。
そして天井は吹き寄せ格天井、洗面台は大理石と贅を尽くした部屋になっている。

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洗面室と廊下の境の窓に嵌め込まれたステンドグラス。

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離れは写真の次の間付きの八畳座敷のほか、六畳間が一間設けられている。
かつてはこの他に、十五畳の大広間が別棟で続いていた。

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離れの大広間は現在、旧山本家住宅の斜め向かいで営業している丸万料理鮮魚店の2階部分として現存する。

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旧山本家住宅には古い照明器具が多く残されている。
(左)洋館1階書斎(右)洋館2階南側十畳座敷

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(左)洋館階段ホール(右)主屋仏間

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技巧を凝らした造りの一部。
(左)離れ洗面室壁面に埋め込まれた夥しい数の貝殻。(右)洋館と離れの間を繋ぐ廊下の天井。

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建具の美。
(左)洋館2階、北側座敷次の間縁側の雪見障子と硝子障子(右)離れ廊下の窓

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ステンドグラス。
洋館1階書斎とサンルームの境の窓の欄間には、タンバリンを持って踊る裸婦。

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同じく書斎、ベイウインドウ。

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現在、姫路市は網干地区に旧山本家住宅のほか、同時期に建てられた大規模な町家である旧水井家住宅を所有している。これらの建物が周囲の古民家や旧網干銀行、ダイセル異人館などの近代建築とともに、この地域の活性化に寄与する事を願ってやまない。

第1007回・旧田辺貞吉邸

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京都市の北郊、左京区一乗寺竹ノ内町にある武田薬品工業㈱京都薬用植物園の展示棟として使われている建物は、住友財閥の大番頭であった田辺貞吉が、明治41年(1908)に兵庫県武庫郡住吉村に建てた邸宅の洋館部分。一時期は住友家本邸の一部として使われた歴史を有する。平成7年(1995)の阪神淡路大震災で被災後、現在地に移築再生された。

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左京区一乗寺界隈は京都市の北東に位置する。京都薬用植物園の隣には曼殊院があり、修学院離宮も近い。かつては六甲山麓を背に建っていた旧田辺邸が、震災を機に洛北の郊外にやってきたのは平成9年(1997)のことである。屋根は元々は赤瓦葺であったが、周囲の風致に配慮したのか、近年黒瓦葺に改変されたようである。

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京都薬用植物園は、薬用植物の基礎研究を行う施設として、昭和8年(1933)に当時の武田長兵衞商店㈱により、京都薬草園として創設された。現在は薬用植物の収集、保存、栽培を行うほか、薬用植物の保全と教育支援を行う研修施設としての役割も有しており、一般向けの見学会も定期的に行われている。

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旧田辺邸は植物園の展示棟として、生薬の標本などを展示、公開している。
移築された当初は、迎賓館として使われており完全非公開であったが、薬草園が研修施設として一般開放されることに伴い、旧田辺邸も用途を改めたため、植物園見学の一環として見学が可能になっている。

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この洋館を建てた田辺貞吉(1847~1926)は、明治期の住友財閥の主要幹部の一人で、住友銀行本店支配人を務めた。明治37年(1904)に同じく住友の幹部で総理事の伊庭貞剛が退任すると、自らも併せて身を引いた。その後隠居後の住まいとして、当時はまだ草深い郊外であった住吉村反高林(現・神戸市東灘区住吉)に洋館と日本家屋で構成される邸宅を構えた。

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田辺邸として使われた時期は短く、大正4年(1915)に主家である住友家が買い上げ、一時期は本邸の一部として使われた。昭和13年(1938)の阪神大水害では1階部分が土砂に埋もれる被害を受け、戦後は住友系企業の社宅や施設として使われるなど転変を重ねた旧田辺邸であるが、平成7年(1995)の阪神大震災では倒壊はしなかったものの、大きな被害を受けた。

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長らく空家になっていたこともあり、一時は取り壊される予定であったが、保存に向けた学識経験者や建築家の努力と、当時薬草園内に迎賓館を建設予定であった武田薬品工業の英断が重なり、旧田辺邸は幸運にも洛北の地で復活することになった。

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平成9年(1997)に迎賓館として移築再生された旧田辺邸であるが、研修施設として研修棟などが平成21年(2009)に新築されたことにより、敷地内で曳家による移設工事が行われた。併せて用途も迎賓館から展示棟に改められ、現在に至っている。

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設計は住友家のお抱え建築家で、住友家が建設して寄付した大阪図書館(現・大阪府立中之島図書館)や心斎橋などの設計者として知られる野口孫市による。

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野口の設計による住宅建築は旧田辺邸のほか、同じく住友の幹部で旧田辺邸と同様隠居後の住まいとして建てられた伊庭貞剛邸、神戸市須磨区一ノ谷の鶴崎平三郎邸、愛媛県新居浜市に移築保存予定の旧住友家四阪島別邸(日暮別邸)の3棟が現存する。(伊庭邸鶴崎邸は以前当ブログで取り上げているので、併せて御覧頂きたい)

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シングル葺きの外壁や、サンルームとベランダを重ねた外観は伊庭貞剛邸と共通している。先述のとおり、屋根瓦も赤瓦から黒瓦に替えられたため、より雰囲気が似たものになっている気がする。

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景観規制もあるので、屋根瓦の色は立地上致し方ないと思うが、曳家後は見せ場であるベランダ側の外観を一望できる場所がなくなったのが些か残念である。

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室内は日本の洋館では珍しい、アーツアンドクラフツのデザインが階段や暖炉などに施されている。今回は補修中のため残念ながら館内には入れなかったが、機会を改めて内部も見学したいものである。

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転変が激しかったため後年の改造も多かったが、移築に際し創建当初の形態に復された。そのため、外装材の大半は新材に置きかえられている。(震災の被害もあり、構造材は全て新材に替えられている)
但し、2階妻壁と1階ベランダに取り付けられた照明燈は明治41年創建当初からのものが残る。

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ハーフティンバーの外壁。

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シングル葺きの外壁。樋受けの金具もお洒落。

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すばらしい建物を保存、公開してくれている武田薬品工業に感謝したい。

(参考)
旧田辺邸移築再生保存調査報告書 平成9年 旧田辺邸移築再生委員会
再生名住宅 平成21年 鹿島出版会
武田薬品工業㈱京都薬用植物園ホームページ

第1006回・宮島耳鼻咽喉科医院

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長野県松本市城東2丁目にある宮島耳鼻咽喉科医院は、赤い屋根と石造風に仕上げた外壁が特徴の洋館。大正初期の建物とされ、一世紀を経た現在も現役の医院として使われている。

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松本城の外堀に面して建っている宮島医院の洋館。
周囲には各科の医院が多く立ち並び、医者町の様相を見せている。

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異なる形の尖塔と破風が並ぶ賑やかな屋根。

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神戸務という産婦人科医が地元の棟梁に建てさせた。

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洋館の隣と背後には、和風の母屋と土蔵があり、いずれも大正3年(1914)上棟の棟札が残されている。

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洋館はそれ以降の創建と考えられている。

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住み手は何度か変わったが、終戦時に現在の宮島医院となり、現在に至る。

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現在もこの洋館の中で診療が行われている。

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外観は石造風であるが、木造である。

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国指定重文の旧開智学校や旧制松本高校などと共に、松本の街に欠かせない洋館である。

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これからも濠端に美しい姿を見せ続けて欲しい建物である。

第1005回・北方文化博物館(旧伊藤本家)

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新潟市江南区沢海にある北方文化博物館は、かつては越後の大地主として知られた豪農・伊藤家の邸宅を公開するとともに、所蔵されていた美術工芸品等を展示している博物館である。邸宅は明治中期に建てられた主屋を始めとする一連の建物に加え、農地解放によって大地主の座を降りた伊藤家が、博物館として再出発を図るため整備した庭園や茶室等で構成されている。国登録有形文化財。

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豪壮な御影石の門柱を立てる正面の門。この先に土蔵門がある。

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土蔵門。二ヶ所ある入口のうち、右側が通常の入口で、左側は特別な来客や行事のときだけ使用される大広間に繋がる専用の入口。博物館となった現在も、入館は右側から入る。

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土蔵門右側の入口をくぐり、石畳の先に見えるのが明治15年(1882)建築の主屋。伊藤家は、江戸時代中期に当たる宝暦年間に分家して以来、当主は代々文吉を名乗った。分家された当初は小作人同様の農家であったという伊藤文吉家は、幕末期には名字帯刀を許可される豪商にまでなるが、越後屈指の大地主の座に上り詰めるのは明治維新以降である。

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旧幕府から新政府への移行による社会の変動は、土地の所有関係にも変動をもたらし、三代伊藤文吉はこの時期に多くの土地を買収、大地主としての伊藤家の土台を築きあげた。現在残る主な建物は、三代伊藤文吉の孫に当たる五代文吉によって、明治15年から22年にかけて建てられた。

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昭和初期には新潟県下で最大、全国的にみても屈指の大地主となった伊藤家であるが、敗戦後の農地解放により農地を失い、邸宅も手放す大地主が続出する中、米国留学の経歴を持つ七代伊藤文吉は、邸宅や所蔵する美術品、歴史資料を財団所有に移管、博物館として公開することを決める。

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敗戦を機に豪農・大地主から博物館経営への転身を果たした伊藤家では、今日も八代伊藤文吉氏が(一財)北方文化博物館の館長を務めている。

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雪国の豪農の館にふさわしく、主屋の中には囲炉裏がいくつも切られている。
使用人や伊藤家の家族が日常使っていた台所のほか、当主の接客に用いられた「茶の間」にも囲炉裏が切られている。「茶の間」は家族でも当主以外は入ることができない場所であったという。

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主屋に隣接して建っている大広間。主屋竣工の5年後、明治20年(1887)から、2年の歳月をかけて建てられた。 五代伊藤文吉が子息(のちの六代文吉)の婚礼の場として使うことを念頭に建てたと言われる。

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書院造の豪壮な建物で、専用の門と大玄関を備えている。

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大玄関は正月や冠婚葬祭、もしくは皇族の御来訪の際にのみ開かれた。

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現在は見学者に常時開放されているが、伊藤家の住まいであった頃は、通常は立ち入ることすら出来なかった場所である。

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百畳敷の大広間と言われている。

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大広間から望む庭園は、博物館となった後の昭和28年(1953)より5年の歳月をかけて作庭された。銀閣寺の庭園を発掘復元したことでも知られる庭師・田中泰阿弥(1898~1978)による。

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大広間の床の間裏側にある裏座敷。大広間に迎える客の休息の場として使われていた。

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裏座敷から渡り廊下でつながる茶室を備えた離れ「時庵」。七代伊藤文吉の雅号から名付けられたという。

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中庭から大広間の外観を望む。手前が裏座敷。

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正三角形の建物、三楽亭。本邸が完成した明治22年(1889)に着工、2年後の明治24年(1891)に竣工した。

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もともとは六代伊藤文吉の書斎として建てられたが、茶室としても使用できる。
このほか敷地内には、茶室として「積翠庵」「常盤荘」「佐度看亭」の3棟が建っている。

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敷地の西北にある土蔵、集古館。かつては飯米蔵として多い時で2,000俵の米俵が積まれていたという。

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現在は歴代当主達が収集した書・画・古美術品などの展示室に使われている。

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豪農の建物だけではなく、一般の農民の生活を偲ばせる古民家も2棟が新潟県内より移築、保存されている。
写真は刈羽地区から移築され、江戸初期の建立とされる古民家。

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以上紹介した建物を含む主要建造物計26件は、平成12年(2000)に国の登録有形文化財に登録されている。

第1004回・旧埼玉県繊維工業試験場秩父支場本館(ちちぶ銘仙館)

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ちちぶ銘仙館は、埼玉県秩父市熊木町にある、当地における伝統工芸である秩父織物・銘仙等の資料館であると同時に、伝統的な技術を伝承するための施設でもある。建物は昭和5年(1930)に建てられた、旧埼玉県繊維工業試験場秩父支場の施設を改修したもの。国登録有形文化財。

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古くより秩父地方では養蚕と機織が盛んであり、江戸時代には出荷できない繭から作る丈夫な絹織物「太織」が江戸で評判となり、明治から昭和初期にかけては女性のおしゃれ着として人気となり、「秩父銘仙」の名で全国に普及した。

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現在残る建物は、秩父絹織物同業組合(現・秩父織物商工組合)が、秩父地方の繊維産業の向上と振興を図るために昭和5年(1930)に建て、ここに埼玉県秩父工業試験場を誘致した。

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外観は、大谷石で飾られた基壇部分など、大正12年(1923)に竣工した帝国ホテルの設計者であるF・L・ライトの作風を取り入れた外装が特徴。

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ライト風意匠は当時の建築における流行で、大正末期から昭和初期の建物に広く見られる。

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埼玉県秩父工業試験場はその後、埼玉県繊維工業試験場秩父支場に改組、秩父地域の繊維産業発展のために大きな役割を果たしてきたが、平成10年(1998)に県内工業試験場の再編・統合で廃止される。

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試験場の廃止後、建物を保存・再利用して現在のちちぶ銘仙館が開館し、現在に至る。

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建物は平成13年(2001)に、敷地内の3棟(本館、工場棟、倉庫)が国の登録有形文化財に登録されている。

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旧本館はテラスやベランダを配した住宅風の外観。

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屋根はオレンジ色のスペイン瓦葺き。

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玄関ポーチの奥には、本館の奥にある工場棟まで続く廊下が一直線に伸びる。

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本館の廊下。

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旧応接室。

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窓の装飾。

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ノコギリ屋根の旧工場棟。

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旧工場棟の内部。

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秩父織物・銘仙等の歴史などを紹介する資料展示のほか、機織り、染色、型染めなどの体験教室や、販売コーナーも設けられている。

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(参考)ちちぶ銘仙館ホームページ
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