年末の御挨拶

本年も残すところあと数時間となりましたが、年末の御挨拶とさせて頂きます。

本年も多くの方々に御訪問頂きましたことに、心より御礼申し上げます。
どうぞ来年も弊ブログを宜しくお願い申し上げます。

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今年も多くの建物を訪問・紹介させて頂いたが、その中でも特に印象に残った建物。
香川県仲多度郡多度津町の合田邸。(第1030回第1031回記事にて紹介)

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兵庫県神戸市東灘区の旧稲畑二郎邸(第1000回記事

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兵庫県姫路市網干区の旧山本家住宅(第1008回記事

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いずれの建物もそれぞれの地域の財産として、保存活用されることを願ってやまない。
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第1050回・旧長井邸(赤別荘)

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和歌山県田辺市下屋敷町にある旧長井邸は、神戸の貿易商の別宅として、大正8年(1919)に建てられた。地元では「赤別荘」の名で親しまれている洋館である。

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江戸時代は海上交通の要所として、また城下町として繁栄していた田辺には、現在も中心街に当たる中屋敷町、下屋敷町などに古い家並みを残している。

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そのような田辺の街において、洋館建の旧長井邸は異色の佇まいを見せている。

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赤い洋瓦葺きの外観から、今日に至るまで地元では「赤別荘」と称されてきた。

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戦後から昭和の末頃までは、愛称をそのまま屋号にして「赤別荘」という名の民宿として営業していた。

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現在は個人邸として大切に使われている。

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屋根裏部屋付きの二階建てで、外観は洋風だが室内は和洋折衷の造りになっているという。

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煙突を備えており、暖炉を備えた本格的な洋室があるものと思われる。

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京都の大山崎山荘に似ている屋根窓。

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煉瓦とモルタル塗を組み合わせた門や塀も、古い佇まいをよく残している。

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現在の所有者が建物の雰囲気を損なわないよう、細心の注意を払いながら維持改修に努められている様子が窺えた。地元からも親しまれている、幸福な建物である。

第1049回・安中教会教会堂(新島襄記念会堂)

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群馬県安中市の日本基督教団安中教会教会堂は、同志社大学の創設者として知られる新島襄の召天(逝去)30年を記念して、大正8年(1919)に建てられた大谷石造の会堂である。国登録有形文化財。

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前回紹介した旧碓氷郡役所に隣接して建っている安中教会教会堂。

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外観はゴシック様式とし、石造の壁体にバットレス(控壁)を設ける。正面玄関左には鐘塔を配置する。

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屋根はかつては天然スレート葺であったが、現在は銅板葺に改められている。

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内部は天井をロマネスク風の円筒ヴォールトとし、突き当りの祭壇には2本の茨城県産大理石の石柱を立て、小川三知の作というステンドグラスを飾る。写真は祭壇側の外観。

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大谷石はフランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルに用いられたことで有名になったが、元来は北関東で蔵の建材などに使われてきた石材である。

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同じく大谷石を用いたキリスト教会堂として、栃木市のカトリック松が峰教会(昭和7年)がある。

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宗教家であり、教育者でもある新島襄(1843~1890)は、安中藩士の長男として天保14年(1843)に江戸で生まれ、元治元年(1864)に密航、米国のボストンに渡り、現地でキリスト教の洗礼を受けた。

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明治維新後の明治7年(1874)に宣教師として帰朝後、最初に伝道を行ったのが安中の地であった。

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安中教会は明治11年(1878)、新島襄に洗礼を受けた海老名喜三郎(安中教会初代牧師、のち同志社大学総長)などによって設立された。

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新島襄記念会堂とも称される現在の教会堂は、5代目牧師の柏木義圓、教会設立時からの信徒で群馬県会議長も務めた湯浅治郎などの尽力によって建てられた。

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大正7年(1918)の8月に着工、翌大正8年8月に竣工した。
設計者は古橋柳太郎。

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2階建の鐘塔を見上げる。

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正面扉の上には、新島家の家紋「根笹」のレリーフを飾る。

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教会堂のほか、宣教師館(旧ベーケン邸)、義圓亭(旧柏木義圓書斎)、温故亭(旧牧師館)の3棟が、平成16年(2004)に国の登録文化財となっている。

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通常は敷地内への立ち入りは出来ないが、平日に限り、事前予約制で内部見学が可能である。(日曜日は外観のみ見学可能)

第1048回・旧碓氷郡役所

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群馬県安中市安中3丁目にある旧碓氷郡役所は群馬県内で現存する唯一の旧郡役所庁舎で、明治44年(1911)に建てられた。安中市指定重要文化財。

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明治11年(1878)、郡区町村編成法の公布により、群馬県では17の郡が設置され、そのうち碓氷郡役所は中山道の宿場町である安中宿の旧本陣に置かれた。

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明治21年(1888)、旧安中城内の町口門北側に位置する現在の場所に移転、洋風建築の庁舎が新築されたが、明治43年(1910)、原因不明の火災によって焼失してしまった。

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翌明治44年(1911)、跡地に和風意匠の庁舎が再建された。再建に際しては、江戸時代に中山道沿いに植えられ、安中宿の名物として知られていた安中の杉並木が、外壁の腰壁や内部の天井板として用いられた。

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大正15年(1926)に、各郡役所が廃止されたことに伴い役目を終えた後は、碓氷郡農会、碓氷地方事務所、安中農政事務所と変遷を重ねたが最後は空屋となり、昭和49年(1974)に群馬県から安中市に移管された。

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平成8年(1996)、安中市指定重要文化財に指定されて創建当時の姿に復元、平成10年(1998)より「旧碓氷郡役所」として一般公開されている。

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群馬県内に残る唯一の郡役所建築であるが、全国的に見ても旧群役所の庁舎は貴重な歴史的建造物である。

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敷地内にある蔵は、かつての文書庫だろうか。

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展示されている古写真を見ると、石の門柱は焼失した先代庁舎の頃から存在するもののようだ。

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群馬県以外に残る郡役所建築では、兵庫県の旧七美郡役所旧出石郡役所や、山梨県の旧東山梨郡役所(現在は明治村に移築)などがある。

第1047回・旧和泉家別邸(尾道ガウディハウス)

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広島県尾道市三軒家町、千光寺山の南西斜面に建っている旧和泉家別邸は、急斜面かつ三角形という悪条件の敷地を巧みに利用して建てられた小住宅。3年がかりの工事を経て昭和7年(1932)頃に完成したという。独特の存在感から「ガウディハウス」の愛称が付いている。国登録有形文化財。

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JR尾道駅より北西へ徒歩2分程度の場所に位置する旧和泉家別邸。もともとは尾道で箱物の製造販売を手掛けていた和泉氏の別宅として建てられた。

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昭和55年(1980)頃まで住居として使われていたが、その後長らく空家となっていた。

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現在は、尾道の空き家再生を進めている「NPO法人尾道空き家再生プロジェクト」によって修復・再生が図られている。

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狭い変則的な敷地に合わせた複雑な形状の外観。

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外壁は洋館などに見られる南京下見板張りとなっているが、日本家屋なのでペンキなどを塗らない白木仕上げとなっている。

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2階の背面には外壁をドイツ壁と呼ばれるモルタル塗り仕上げとした小さな洋館がある。洋館は建物の中でも最も老朽が激しかったとのことで、現在修復が進められている。

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商家の別宅として建てられたので、建物の造りは内外にわたって凝ったものとなっている。内部には上質な造りの座敷があるほか、変形の敷地に合わせた階段、創建時の形をほぼそのまま残す台所など、見どころが多いという。

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現在も引き続き修復中であり、催しのときなどを除き通常は非公開となっている。

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いつかは是非内部も見学したい建物である。

第1046回・山本館本店

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山本館本店は、群馬県吾妻郡草津町の草津温泉にある老舗旅館で建物は昭和初期の木造建築である。草津温泉のシンボルである湯畑に面して建っている。国登録有形文化財。

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湯畑越しに見る山本館本店。木造三階建てで、地階及び塔屋を備えている。

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地階に天井の高い浴室があり、1階部分に浴室の高窓がある。かつての草津温泉は外湯(共同浴場)が主流で、内湯を備えた宿は少なかったが、山本館では古くから内湯を備えていた。

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古い歴史を有する草津温泉の中でも、山本館は文化年間(1804~1817)の創業と伝わる老舗である。

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現在の建物は、正面右側(湯畑に面した側)が昭和3年(1928)の竣工である。

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正面左側は昭和10年(1935)の増築。

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明治から昭和戦前に建てられた温泉旅館によく見られる、唐破風付きの車寄せを備えている。

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フロント。旅館の屋号が書かれた玄関の硝子戸などに昭和情緒が感じられる。

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フロント脇にある談話室。

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建物の内外にわたって古い建物の趣を損なうことなく上手に改装されている。

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洋風の手摺りを備えた階段。

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二階階段室。

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三階に続く階段。

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三階階段室。
館内には大小2箇所の階段室があり、以上の写真は全て大階段である。

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もうひとつの小階段の3階には、屋上の塔屋に続く階段がある。(但し宿泊客の利用は不可)

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3階の廊下。

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2階大階段横の花頭窓。

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客室の床の間。写真は2階の客室。

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2階客室から玄関の車寄せを望む。

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塔屋を備えた4層の外観は、草津温泉街のランドマークとなっている。

第1045回・自由学園明日館

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東京都豊島区西池袋2丁目にある自由学園明日(みょうにち)館は、羽仁吉一・もと子夫妻が設立した自由学園の校舎として学園設立と同じ大正10年(1921)に建てられた。設計は帝国ホテル設計のため来日中であったフランク・ロイド・ライトによる。現在は自由学園の施設として使用されると同時に、一般にも広く利用・公開されている。国指定重要文化財。

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羽仁吉一(1880~1955)・もと子(1873~1957)夫妻は、キリスト教精神に基づく理想教育を実践するために東京府北豊島郡高田町(当時)に土地を求め、「自由学園」を開いた。当初は女子のみを対象とする学校であったが、その後共学となり、現在も「学校法人自由学園」として存続している。

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自由学園は生徒自身が自身の責任において毎日の生活を行うなど、独自の教育方法に基づく学校であり、現在もその理念は受け継がれている。名称の由来は、新約聖書の一節「真理はあなたがたを自由にします」(「ヨハネによる福音書」8章32節)による。

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羽仁夫妻と親交があり、フランク・ロイド・ライトの助手であった建築家・遠藤新の紹介により、羽仁夫妻との理念に賛同したライトは校舎の設計を引き受けた。

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現在でこそ都心の一角であるが、当時はまだ辺鄙な郊外であった敷地に、ライトは中央棟を中心に左右に広がるプレーリースタイルの校舎をデザインした。このデザインは、ライトの出身地である米国ウィスコンシンの草原から着想を得たとされている。

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大正デモクラシーの風潮から生まれた自由学園であるが、羽仁夫妻にライトを紹介した遠藤新は、犬養毅(1855~1932 のち首相、五・一五事件で暗殺)や吉野作造(1878~1933 政治学者)といった、大正デモクラシーの旗手である人物の邸宅を設計(吉野作造邸は書斎のみ)しているのは興味深い。

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なお、弁護士で犬養毅の秘書でもあった星島二郎(1887~1980 のち衆議院議長)は遠藤新と親友の間柄であり、この縁によって、ライトの日本における作品のひとつである芦屋の旧山邑家住宅が生み出されている。(山邑家は星島二郎夫人の実家)

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昭和9年(1934)に自由学園は校舎を北多摩郡久留米町(現・東久留米市)に移転、校舎としての役目を終えた明日館は以後、卒業生の事業活動の場として使用された。

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平成9年(1997)、国の重要文化財に指定された。

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重要文化財指定後、3年がかりの保存修復工事を経て現在は自由学園の施設として使われると同時に一般にも貸し出されており、結婚式やコンサート会場などにも利用されている。

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また、先述の旧山邑家住宅と並ぶライトの設計作品として、建物見学専用の日も設けられている。

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かつての教室。
開校時点ではまだ建物は完成しておらず、壁は荒壁がむき出しの状態であったという。

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現在はこれらの部屋は多目的の貸室として利用されている。

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大谷石を用いた廊下。帝国ホテル建設の残材を利用したとされる。

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限られた工費の中でどれだけ豊かな空間を造り出すか、ライトと遠藤による工夫の跡が随所に残されている。

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廊下の天窓。

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食堂。自由学園では、生徒達が自分たちで作った農作物を自分たちで調理して食べていた。

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全生徒が一堂に会し、手作りの温かい食事をとることが教育の基本と考えた羽仁夫妻の理念に沿って、当時の学校建築としては珍しく食堂を校舎の中央に配している。

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現在はコンサートホールとして使われることも多い食堂。

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食堂は竣工から間もなく手狭になったため、大正12年から翌年にかけて遠藤新の設計により、北・東・西の3面に小食堂が増築された。

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小食堂の家具も増築に際し、遠藤新の設計によって作られた。

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前庭に面して作られた二層吹き抜けのホール。明日館の内部では最もみどころ。
現在は喫茶スペースとしても利用できる。

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旧約聖書(出エジプト記)に材を取ったホールの壁画は、昭和6年(1931)の創立10周年記念に、当時自由学園の美術教師を務めていた石井鶴三(1887~1973)の指導に基づき生徒達が製作したもの。戦時中に塗りつぶされていたが、重要文化財指定後の修復に際し上塗りを剥がしたところきれいに残されており、見事に甦った。

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ホールのギャラリー部分の照明柱。

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ホールの暖炉は、現在でも特別に日を限って火を焚いている。

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日本国内に現存するライト設計の建築のうち、完全な形で残されているのは自由学園明日館と旧山邑家住宅のみである。

第1044回・旧沼田貯蓄銀行

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群馬県沼田市にある旧沼田貯蓄銀行は、明治40年(1907)頃に建てられた擬洋風の銀行建築である。現在は沼田市によって旧所在地の材木町から程近い上之町に移築復原され、平成28年(2016)7月より一般公開されている。群馬県指定重要文化財。

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旧沼田藩の城下町として繁栄した歴史を有する沼田市には、現在も沼田城址や、街中に点在する商家の土蔵などに城下町の名残を残している。旧沼田貯蓄銀行もそのひとつである。

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沼田貯蓄銀行は明治31年(1898)創業、現存する旧本店店舗は、材木町に本店を移転した後の明治40年頃に建てられた。銀行はその後合併を繰り返し、旧本店店舗は昭和9年(1934)まで銀行店舗として使われていた。

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銀行店舗としての役割を終えた後は、職業安定所、土地改良区組合事務所、酪農組合事務所と用途は変遷を重ねるが、昭和58年(1983)に使用を終え、翌年群馬県の文化財に指定された。

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それから30年近く経った平成24年(2012)から解体調査が行われ、現在地に移築保存されることとなる。平成26年から移築復元工事に着手、2年後の平成28年に竣工した。写真の棟飾りは移築に際し復原されたものである。

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一部が土蔵造となっている木造2階建で、外観を洋風、内部は和室も備えた和洋折衷とする。

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周囲の鉄柵や淡い緑色の柱や窓枠は、屋根の棟飾りと同様に、移築に際しての調査により旧状が判明したので、復原されたものである。

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正面の玄関ポーチは移築前から残されていたが、階上の手摺は失われており、移築に際して復原されたものである。

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玄関ポーチの内側と天井には漆喰による鏝絵細工が施されており、この建物の見どころのひとつである。

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玄関ポーチ天井の照明台座。かつてはここにランプなどの照明器具を吊るしていたものと思われる。

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1階旧営業室。

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同上、天井に取り付けられた木製の照明台座。

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旧営業室から入口側を望む。

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2階への階段。下にあるのはかつての電話室と思われる。

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階段の親柱。

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階段から二階を望む。二階は和風の色合いが強い。

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旧店長室の天井と照明台座。
明治から大正期の洋風建築で多く用いられた金唐革紙が貼られている。

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床の間を備えた二階広間。

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紙張りの天井やアーチ型の欄間を備えた玄関ポーチへの出入り口など、和洋折衷となっている。

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沼田市内における近代の金融史を伝えるただひとつの建物である。

第1043回・星薬科大学本館

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東京都品川区荏原2丁目にある星薬科大学は、実業家で政治家でもある星一が、自ら設立した星製薬の社内に教育部門を設けたことに始まる私立大学である。同大学のシンボル的建物である本館は、大正13年(1924)にアントニン・レーモンドの設計で建てられた。最も印象付けられるのが写真の大講堂で、天井の意匠は星一の名に因んで星型となっている。

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清水組(現・清水建設)の施工により大正11年(1922)に着工、翌年の関東大震災を挟んで2年後の大正13年(1924)に竣工した。平成14年(2002)には清水建設の設計施工により、耐震補強工事が施されている。

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現在は大講堂、事務室、会議室などとして使われているが、創建当時はこの本館に学校の全ての用途が集約されていた。かつては地下に室内プールも備えていたという。

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本館前にある創立者・星一(1873~1951)の胸像。明治44年(1911)に創業した星製薬は本邦初であるチェーンストアの導入や、外科手術用のモルヒネの国産化成功などによって大正年間に大発展を遂げ、星は「東洋の製薬王」と称されるまでになった。星薬科大学本館は星一の絶頂期に建てられたといってもよい。

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本館の設計者であるアントニン・レーモンド(1888~1976)は、帝国ホテル建設のため来日したフランク・ロイド・ライトの事務所スタッフのひとりであった。モダニズム建築家として知られるレーモンドであるが、星薬科大学本館はライトの弟子として影響を受けていた時期の建物なので、細部装飾など随所にライト風の幾何学模様が見られる。

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正面玄関。
玄関の庇に施された幾何学装飾など、ライトの帝国ホテルを連想させる意匠が見られる。

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1階玄関ホール。突きあたりが大講堂の入口。

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大講堂入口の照明。

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大講堂内部。現役の学校施設であり通常は見学はできないが、春と秋の年2回開催される薬草見学会ではキャンパスが開放されるので、大講堂をはじめとする本館の内部も見学ができる。

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星薬科大学は、明治44年の星製薬設立と同時に設置された社内の教育部門に始まり、大正11年(1922)に星製薬商業学校、昭和16年(1941)に星薬学専門学校となり、第二次大戦後の昭和25年(1950)に現在の星薬科大学が設立され、現在に至っている。

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大学に移行した昭和25年頃には、この大講堂でNHK「のど自慢」(当時はテレビはまだ無いのでラジオ番組)の会場に使われていたという。

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正面の演壇。
公会堂や大学の講堂など、戦前に建てられたホールで現存するものはいくつかあるが、星薬科大学は内部も細部に至るまで、往時の姿を非常によく残しているもののひとつである。

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星型の大講堂天井。

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なお、星一は作家の星新一(1926~1997)の父としても知られている。

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薬草をデザインした大講堂のステンドグラスは昭和58年(1983)に取り付けられた。元々は異なるデザインのステンドグラスがあったが、戦時中の防空対策により窓をコールタールで塗りつぶし、戦後も復元が不可能になってしまったという。

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館内の随所に見られるライト風の意匠。

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廊下の床はコンクリート打ちっ放しの中に、大理石の破片を斑に埋め込んでいる。

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扉の意匠もライト風。
大正末期から昭和初期の洋館の建具には、このようなライト風意匠を施したものがよく見られる。

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星型天井の大講堂と共にこの建物の特徴となっているのが、館内のスロープ。
階段は無く、全てスロープになっている。

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スロープを3階から見下ろす。

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黒と白のコントラストが利いているスロープの吹き抜け。

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スロープの壁面には、飛鳥時代の薬狩りをモチーフにした壁画が4面、大東亜戦争中の昭和18年(1943)に描かれている。

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本館前の並木道からは、大講堂を覆うドーム屋根が見える。

第1042回・城崎温泉橋梁群

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前回記事でも紹介した兵庫県豊岡市の城崎温泉は、大正14年(1925)の北但大震災で焼け野原と化したが、時の町長・西村佐兵衛によって立ちあげられた復興計画に基づき、現在も残る城崎温泉の街並みが築かれた。温泉街の真ん中を流れる大谿川にはこのとき架けられた5つの橋が残されており、国の登録有形文化財となっている。

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震災前の大谿川は大雨の度に洪水を起こしていたことから、復興に際しては治水対策も同時に行われた。川幅を広げると同時に両岸の嵩上げが行われ、その上に側壁が設けられた。そのため新たに架けられた橋は、いずれも弓形の太鼓橋となっている。

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鉄筋コンクリート造の5つの橋はいずれも、温泉街の風景との調和を意識した和風の意匠が施された。また、川の両岸には城崎で産出される玄武岩で護岸を築き、柳の木を植えるなど、風情ある温泉街を甦らせるため、景観も十分考慮した復興事業であることは特筆に値すると思われる。

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川の両岸に広がる旅館街は、前回記事で紹介したゆとうや旅館や、三木屋、西村屋(町長・西村佐兵衛は西村屋の4代目館主である)など、木造での再建であったが町の要所には防火対策も兼ねた鉄筋コンクリート造の共同浴場(外湯)や公共建築が建てられた。

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ゆとうや旅館の対岸にある、城崎温泉のシンボルである外湯のひとつ「一の湯」は、歌舞伎座を手掛けた岡田信一郎の設計により、鉄筋コンクリート造の和風建築として再建された。残念ながら現在の建物は当時からのものではなく、平成10年に旧建物の外観イメージを継承(忠実な再現ではない)する形で改築されたものである。

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ゆとうや旅館と一の湯の間に架かる王橋は、昭和2年(1927)の竣工。架橋当初の名称は「玉橋」であったが、昭和30年代に川は濁らないほうがよいとの理由から点が除かれ、「王橋」に改められた。

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御影石で造られた高欄や親柱にブロンズ製の装飾を施した、城崎温泉の橋梁群の中でもとりわけ重厚で豪華な橋である。

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王橋は後年に車両通行のため拡幅されており、当初はもっと幅の狭い橋であったようであるが、高欄や親柱は架橋当初から変わらない姿を残している。

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震災復興で架けられた5つの橋梁のうち、最も上流に架かる王橋を除く4橋は弓形の統一されたデザインの太鼓橋となっている。写真は王橋のすぐ下流に架かる愛宕橋。

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親柱には石燈籠風の照明燈を載せ、周囲に4つの擬宝珠を飾る。

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愛宕橋の次に架かる柳湯橋。橋の名前はたもとにある外湯「柳湯」に因む。
残る2橋(桃島橋・辨天橋)も含め、規模は多少異なるが同じデザインで統一されている。

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架橋当時は太鼓橋とすることについて、人力車が通れなくなると反対する町民も居たという。現在では、歩行者しか通れない4つの太鼓橋は温泉客の格好の休憩場所となっている。(王橋も拡幅前はこのような形状だったのかも知れない)

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愛宕橋の親柱には登録文化財であることを示すプレートが取り付けられている。
現在からしても画期的な震災復興計画の遺構である5つの橋梁は、平成27年(2015)に国の登録有形文化財に認定された。
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