第1072回・秩父菊水酒造

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埼玉県秩父市下吉田にある㈱タイセー秩父菊水酒造所は、「秩父小次郎」銘柄の酒を醸造・販売している酒蔵。明治から昭和期にかけて建てられたと思われる、歴史を感じさせる重厚な店構えが魅力的。

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秩父菊水酒造がある旧吉田町は、近年秩父市に編入されたが、かつてはこの界隈が秩父の経済・文化の中心であったという。昭和32年(1957)に発生した大火で街道沿いの主な建物が焼失したため、旧吉田町には古い街並みは殆ど残されていない。

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秩父菊水酒造と、向かい側に少し離れて建つ煉瓦造の旧武毛銀行本店(大正7年竣工)の2棟は、養蚕などによる往年の繁栄を現在に伝える数少ない建物である。

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正面を当時としてはモダンな白タイル貼り仕上げとした旧武毛銀行本店。この建物については既に紹介済みなので、当ブログ過去記事を御参照頂きたい。

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秩父菊水酒造の建物は、主屋は明治期、酒蔵は大正から昭和期の建造と思われる。

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秩父を含め埼玉はかつて「東灘(あずまなだ)」と称され、酒の醸造が盛んな土地であったという。
大消費地である江戸に近く、街道が発達していた地の利を活かして、多くの酒蔵がかつて存在していた。

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秩父菊水酒造も、この地で酒の醸造を始めたのは寛永2年(1625)まで遡るという由緒を持つ。

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主屋の脇には、賓客用と思われる堂々とした造りの門を構えている。

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大きな切妻屋根を載せた伝統的な造りの酒蔵と、洋風を加味したモダンな意匠の酒蔵が並ぶ。

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現在でも店舗として使われているとのことだが、残念ながら店を開いているのは平日のみとのこと。土日に秩父菊水酒造の商品を買う場合は、近くの道の駅へ行くことになる。

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これからも引き続き、この佇まいが健在であることを願いたい。
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第1071回・耕三寺聴聲閣

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前回記事にて紹介した広島県尾道市瀬戸田町の耕三寺には、寺を開いた金本耕三(耕三寺耕三)が母親の居宅として昭和2年(1927)から建設に着手した和洋併置式の書院「聴聲閣」がある。贅を尽くした造りの母親の居室や濃密な空間を持つ洋館など見どころの多い建物である。国登録有形文化財。

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耕三寺を開いた耕三寺耕三(旧名・金本福松 1891~1970)は、明治24年に神戸に生まれ、溶接工から発明家、実業家となり、昭和の初めには大阪で大口径特殊鋼管の製造会社を経営していた。昭和2年(1927)より母親の故郷である瀬戸田に母親のための別荘を建て始めた。

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昭和9年(1934)に母親が没すると、その菩提を弔うと共に報恩感謝の念を込めた寺院の建立を発願、翌昭和10年には得度し「耕三」の法名を受けた。(昭和31年には姓を金本から耕三寺に改め、耕三寺耕三となった)その後、昭和45年(1970)に78歳で没するまで、生涯をかけて伽藍の造営を行った。

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耕三寺の伽藍は既存の聴聲閣に隣接する形で造営が行われ、鉄筋コンクリート造2階建ての洋館と木造平屋建ての書院から構成される聴聲閣も、耕三寺の書院、客殿として一部増改築が加えられ、現在残る形になった。

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庭園越しに見る書院棟。

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正面玄関は洋館の隣にあり、唐破風付きの車寄せを備える。その内側の天井は、写真のように彫刻と天女像に飾られた豪壮な造りであるが、ここから入ることはできないので、内側から見学する形になる。

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正面玄関は写真の来客用玄関とその脇に設けられた内玄関で構成されている。台所側には勝手口があり、見学に際しては勝手口から入るようになっている。

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畳廊下のある縁側。

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主座敷。床の間の掛け軸に描かれている人物が耕三寺耕三。

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仏間は格天井となっており、天井画で華やかに飾られている。

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聴聲閣は母親の居室に最も贅を尽くしているのが特徴である。天井は折上格天井、銘木を据え床柱、色鮮やかな金襖や欄間彫刻など、絢爛豪華の一語に尽きる造りとなっている。

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母親のために建てた住まいと言えば、以前当ブログで取り上げた埼玉県川島町の旧遠山元一邸(遠山記念館)がある。いずれも母親への感謝の念を込めて建てた点では共通するが、その趣は対照的であるのは興味深い。(旧遠山邸の過去記事も御参照頂けると幸いである)

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欄間には梅と小鳥がいる。
桃山調の彩色された欄間彫刻は個人邸では珍しい。

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洋館と書院の間には石組を配した中庭を設ける。写真は洋館側から見た母親居室。

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洋館に隣接して浴室及び脱衣場・化粧室が設けられている。
ステンドグラスを嵌め込んだ円形窓は浴室の窓である。

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以前取り上げた小樽の和光荘(旧野口喜一郎邸)では、象が照明を吊り下げていたが、聴聲閣では小鳥が照明を咥えぶら下げている。

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洋風に造られた脱衣場・化粧室。写真の反対側には造りつけの鏡台が置かれている。

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石造りの湯船を備えた浴室。

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ステンドグラスと型押し硝子を組み合わせた浴室の窓。

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浴室側からみた円形窓。

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円形窓のステンドグラス。

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ステンドグラスを嵌め込んだ円形窓は、ほかに2箇所ある。
洋館応接間の入口前には貝の図柄。

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階段踊り場には船の図柄。
いずれも瀬戸内の島にある館にふさわしい図柄と言える。

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洋館の1階応接間には、庭に面してテラスを兼ねたポーチが設けられており、来客はここから直接中へ入ることも出来る。

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中華風の家具調度品で飾られた洋館1階応接間。

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部屋の角に設けられた暖炉。

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洋館の2階は来客用の寝室となっているが、非公開である。

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勝手口がある台所の土間。現在は見学者用の玄関及び受付として使われている。造りつけの戸棚など創建当時の設備が残されている。

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裏方である台所の建具や窓の欄干にも意匠を凝らす。

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広島県内に現存する戦前の和洋併置式の邸宅の中では、耕三寺聴聲閣の造りの充実ぶりは群を抜いている。

第1070回・耕三寺

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広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田にある耕三寺は、発明家で実業家の金本耕三(耕三寺耕三)によって、昭和10年(1935)から造営が開始された浄土真宗本願寺派の仏教寺院である。境内には日光東照宮など全国各地の著名な寺社仏閣を模した堂宇が建ち並び、「西の日光」の異名を持つ。平等院鳳凰堂を模した本堂など、戦前から戦中にかけて建てられた建物は国の登録有形文化財となっている。

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耕三寺がある尾道市瀬戸田町は、芸予諸島のひとつである生口島にあり、隣接する因島などと西瀬戸自動車道(しまなみ海道)でつながっている。港町として尾道と並び古い歴史を有し、港に近い瀬戸田の街中には古い屋並みが残されている。写真は製塩業で財を成したという三原屋(堀内家)の屋敷。明治初年の建物とのこと。

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珍しいのはつし二階の窓で、西日本では縦格子の虫籠窓にする場合が多いが、瀬戸田の町家は横向きの格子となっている。

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瀬戸田港から10分程度歩くと、耕三寺の山門が現れる。様式は京都御所紫宸殿の御門と同じであるが、鋼鉄製で極彩色を施している点で異なる。昭和15年(1940)の建造。

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山門の先にある中門。昭和14年(1939)の建造で、法隆寺の西院伽藍を原型とするが、山門と同様に装飾は本家とは似ても似つかないぐらい派手で自由奔放なものとなっている。これは他の建物にも同じことが言える。

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中門の先にある五重塔を挟む形で、同一意匠の法宝蔵・僧宝蔵が建つ。
大阪・四天王寺の金堂を原型とする。昭和16年建造。

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法宝蔵と僧宝蔵に挟まれて建ち、境内のほぼ中央に位置する五重塔。奈良・室生寺の五重塔が原型になっているが、本家とは全く異なる趣の絢爛な塔である。元々は溶接技術者であった金本耕三の発案により、心柱には鋼管が用いられている。昭和30年(1955)建造。

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五重塔の先に見えるのが、日光東照宮陽明門を模した孝養門。昭和28年(1953)から造営を始め、10年の歳月をかけて建てられた。

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造営に際しては、日光東照宮陽明門の図面コピーを文部省から入手したという。

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細部意匠は独自の改変を施しているが、規模、意匠とも最も本家に忠実に造られた建造物である。

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孝養門は「西の日光」と称されている耕三寺を代表する建物となっている。
なお、五重塔と孝養門は竣工時期が新しいため、現時点ではまだ国の登録有形文化財にはなっていない。

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孝養門の先には、大理石造りの石舞台を挟んで本堂が建っている。平等院鳳凰堂を模して昭和15年(1940)に建てられた。

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本堂は訪問時、外装の一部補修工事が行われていたため、全景を捉えることができなかった。写真は翼廊部分。

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外壁の色彩や細部装飾は他の建物と同様、耕三寺独自の絢爛豪華なものとなっている。

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側面から見た本堂。

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背面から望む。

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石山寺多宝塔を模した多宝塔。昭和17年(1942)建造。

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境内でも一段低くなった場所にひっそりと建っているのが、昭和18年(1943)建造の銀龍閣。京都の銀閣を模して造られた。

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目も眩みそうな派手な建物ばかり並ぶ中で、唯一と言ってもよい落ち着いた趣のある建物。

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茶室としても使えるようになっている。

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銀龍閣の玄関まわり。

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耕三寺境内にある建造物のうち、昭和戦前期に建てられた15棟が現在、国の登録有形文化財となっている。その中でも最初に建てられ、元々は金本耕三が母親の居宅として建てた和洋併置式の書院「潮聲閣」は、耕三寺の原点とも言える建物であり、また見どころに富んだ邸宅建築である。これは次回記事にて紹介したい。

第1069回・佐藤医院

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京都府宮津市字京街道にある佐藤医院は、大正15年(1926)に建てられた洋館建ての医院建築。以前紹介した宮津カトリック教会と並び、宮津市内に残る洋風建築の中でも随一の存在である。

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全景。京街道に面した正面に主屋を置き、その背後には病室棟が続く奥行きの深い造りとなっている。

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洋風の外観は、設立者である佐藤理兵衛氏がそれまで勤務していた東京の順天堂病院の建物をイメージして建てさせたと伝わる。また、背面の病室棟は、旧宮津中学校(現・宮津高等学校)寄宿舎の古材を転用しているという。

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近年行われた、前を通る京街道の拡幅によって、かつて主屋の前にあった正門と塀が撤去されているが、主屋とその背後の病室棟などはそのまま残されている。

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主屋の正面中央部分の外壁は人造石洗出し仕上げで、目地を切り石造風に仕上げる。

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中央部を除く外壁は粗く塗ったモルタル仕上げとする。

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人造石の円柱を立てた重厚な玄関ポーチ。

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玄関ポーチの上部はバルコニーになっている。主屋の内部は玄関ホールを中心に薬局、診察室、待合室、検査室などが配されているという。

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現在も産婦人科・産科の医院として現役である。

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文化財等にはなっていないが、今後も宮津の代表的な洋風建築として永くこの地にあって欲しいものである。

第1068回・旧中江種造別邸(豊岡カトリック教会)

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旧中江種造別邸は、兵庫県豊岡市妙楽寺にある大正期の洋風邸宅。豊岡出身の鉱業家である中江種造の別邸として、大正11年(1922)に建てられた。現在は豊岡カトリック教会として使われている。

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別邸として建てられたためか、豊岡市の市街地から少し離れた郊外に建っている。周囲を濠で囲い、その内側に石垣と土塀で囲まれた宅地がある。

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門を入ると、洋館がまず目に入る。
キリスト教会となった現在も、敷地全体が別邸当時の佇まいをよく残しているようだ。

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敷地内には洋館と土蔵、洋館に付属する日本家屋があるが、洋館と土蔵が特に創建当初の姿をよく残しているものと思われる。また、広大な日本庭園も残されている。

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但馬国豊岡藩(現兵庫県豊岡市)に生まれた中江種造(1846~1931)は、幕末には豊岡藩士として動乱の時期を過ごす傍ら火砲技術や理化学を学び、明治維新後は鉱山技術者として新政府に雇われたフランス人技師コワニェと共に生野銀山の再興に努める。

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その後上京、古河市兵衛の顧問技師として栃木県の足尾銅山などの経営に当たり、古河財閥を礎を築く。その後古河家を辞して鉱業家として独立、全国各地の鉱山の買収・経営に加えて山林経営にも手を出し「鉱山王」「山林王」と称された。

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中江種造は故郷・豊岡における産業振興や人材育成にも力を注ぎ、大正10年(1921)には豊岡町の上水道建設費を全額寄付している。現在も豊岡市の中心街には銅像が建っている。

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現在も残る別邸の建物は、上水道敷設とほぼ同時期に当たる大正11年(1922)に竣工し、中江種造が故郷に戻ったときに過ごすための場であった。昭和25年(1950)、建物・土地ともに中江家より豊岡市に譲渡され、翌年に豊岡カトリック教会が購入し、現在に至る。

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設計は不詳、施工は戦前の関西における大手建設請負業者のひとつであった大阪橋本組(今はない)による。洋館は木造二階建てで赤い瓦葺きの屋根を載せ、外壁は2種類のタイルを貼って仕上げられている。

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玄関ホールのアーチ窓上部に穿たれた小窓には、ステンドグラスが嵌め込まれている。

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内部は一階を洋室、二階を日本座敷とする和洋折衷の造りとなっているが、現在でも旧態がよく保存されているようだ。

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兵庫県には、明治から昭和戦前にかけて建てられた質の高い和洋の邸宅が数多く残されているが、いずれも南東部の神戸市や西宮市、芦屋市など、阪神間と称される地域に集中している。北部の但馬地方でこのような洋風の邸宅は、極めて珍しい存在と思われる。

第1067回・旧近藤酒造

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埼玉県秩父郡小鹿野町両神小森にある旧近藤酒造の建物は、地元の老舗蔵元である近藤酒造の店舗兼住居として大正12年(1923)に建てられた。現在は有限会社秩父ワインの所有となっている。

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埼玉県道37号線沿いに建っている旧近藤酒造の建物群。

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3層の塔屋を備えた洋館建の主屋に土蔵、背後に酒蔵が並んでいる。

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近藤酒造(近藤銘醸)は、宝暦2年(1752)創業の歴史を持つ老舗蔵元であったが、平成16年(2004)に廃業、約250年の歴史に幕を下ろした。

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大正12年に鉄筋コンクリート造3階建の塔屋を備えた洋館を新築した。

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廃業後、残された建物は、秩父でワイン醸造を営む(有)秩父ワインが買い取って改修、ワイン倉庫などに活用しているという。

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建物も近年改修され、外壁や建具のペンキ塗りもきれいに塗り直されている。

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両開きの玄関扉。

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正面2階の切妻部分は木材を放射状に配した意匠とする。

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現在ではこの地域のランドマークとなっている。

第1066回・旧エンバーソン住宅

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静岡市駿河区池田にある旧エンバーソン住宅は、明治37年(1904)に宣教師館として現在の静岡市葵区西草深に建てられた。静岡市内に現存する数少ない明治時代の西洋館である。静岡市指定有形文化財。

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現在は静岡市立日本平動物園に隣接した地に移築されており、動物園には入園せずに見学できる(駐車場はないため日本平動物園の有料駐車場を利用)が、案内等が少なく分かりにくいのが難点である。

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カナダからキリスト教伝道のため日本に派遣された宣教師であるロバート・エンバーソン師の自邸として建てられた。

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エンバーソン師の帰国後も、代々の宣教師や牧師の住まいとして80年以上にわたってその役目を果たしてきた。

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しかし老朽化が進み、所有者であった日本基督教団静岡教会によって新たな施設の建設のため、一時は解体されることになっていた。

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昭和61年(1986)、教会から建物の寄贈を受けた静岡市によって移築保存が図られることになった。翌昭和62年(1987)に現在地への移築工事が完了、同年より一般公開され、現在に至っている。

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国の登録有形文化財を経て、平成21年(2009)に静岡市指定有形文化財となっている。

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移築前の昭和33年(1958)に附属の厨房及び和室が撤去されている。写真中央は今はない厨房につながっていた配膳口。したがってこの部屋は元々は食堂として使われていたと思われる。

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上記、一部分の撤去と改修が行われた点を除くと、明治期の洋風住宅の造りをよく残している。

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アーチ型の欄間とその下に立てこまれた和風の引き戸という和洋の取り合わせが珍しい。

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木製の便座が置かれた便所は創建当初の形式を復元している。

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玄関ホールを兼ねた階段室。

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二階から望む階段。
付きあたりの扉は玄関ポーチ上部のバルコニーに出られるようになっている。

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静岡市の中心部は昭和15年(1940)の大火で大半が焼失し、その後間もなく戦災にも遭ったことで、昭和初期以前の古い建造物は県庁所在地にも関わらず、静岡市庁舎静岡県庁舎静岡銀行本店などを一部を除き、現存するものは多くない。

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旧エンバーソン住宅は、静岡市内に現存する数少ない明治時代の西洋館であると同時に、静岡県内に残る唯一の外国人宣教師住宅でもある。

第1065回・小机家住宅

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東京都あきる野市(旧西多摩郡五日市町)三内にある小机家住宅は、明治8(1875)頃に当時の銀座煉瓦街の洋風建築を模して建てられた擬洋風建築の住宅。明治初期の文明開化の様相を今日に伝える数少ない擬洋風建築である。東京都指定有形文化財。

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JR五日市線・武蔵五日市駅から徒歩10分程度の場所にある小机家住宅。秋川街道に面して門を開いた敷地の奥にひっそりと建っている。

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江戸時代より林業を営んできた小机家の7代目当主、小机三佐衛門によって建てられた。材木の取引のために出かけた深川木場からの帰り、当時造られて間もない銀座煉瓦街の洋風建築群を見て大いに刺激を受け、洋風の自宅を新築したという。

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伝統的な土蔵造りをベースにしつつ、正面には2層のベランダを張り出し、輸入物の鉄製防火扉やガラス窓、屋根材には同じく輸入品である亜鉛引トタン板を用いて建てられた。

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外側にベランダを張り出すのは、幕末から明治中期の擬洋風建築に多く見られ、長崎の旧グラバー邸や大阪の泉布観、和歌山の郭家住宅旧三重県庁舎、山梨の旧睦沢学校などがあり、官公庁、学校、住宅など建物の用途を問わず、現在でも各地に残されている。

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小机家のモデルとなったという銀座煉瓦街は、大阪の造幣寮(現・造幣局)やその迎賓施設である上述の泉布観などを建てた、お雇い外国人のウォートルスが明治5年(1872)から翌年にかけて設計を担当した。

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銀座煉瓦街はその後大正12年の関東大震災で壊滅し、現存する建物はない。小机家は銀座煉瓦街に直接影響されて建てられ、今に残されている希少な存在と言える。

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関東大震災では小机家自体も被災し、修復が行われている。1階ベランダの硝子戸などは震災後交換されたため、創建当初のものが残る2階と比較すると、窓の形やドアノブなど細部が微妙に異なるのが分かる。

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アーチ型に造られた玄関部分。角の隅石と同様、漆喰を塗って石造風に見せたものである。アーチの要石部分には、獏(ばく)の頭部をあしらった漆喰彫刻が取り付けられている。

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獏の漆喰彫刻は震災で破損し、長年そのままであったというが、現当主が先代当主と共に復元されたという。

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小机家住宅は現在、1階の一部を喫茶室「安居」として開放されているため、営業時間内であれば外観及び喫茶室部分への立ち入りは可能である。また例年11月に東京都が主催する「東京文化財ウィーク」期間中であれば室内も見学できる。以下の写真は平成28年11月の訪問時で、ちょうど屋根の補修工事をされているところであった。

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玄関土間。円形窓周囲の兎の漆喰装飾が見どころ。兎の装飾は他にも釘隠しや階段の彫刻飾りなど、随所に見ることができる。

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洋風を取り入れた外観と異なり、間取りは伝統的な民家の間取りに即したものとなっている。

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見学に際しては、御当主自ら丁寧に案内して頂けるが、それによると、当家で使用されている材木は、節付きだったりして商品としては使えないものを用いているという。

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関東大震災後に交換された1階の正面を除き、創建当時の硝子戸が今も残る。
ドアノブは白い陶器でできている。

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当家の大きな見どころと言えるのが見事な造りの螺旋階段。
奥の扉が喫茶室の入口となっている。

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装飾的な手摺や透かし彫りで飾られた工芸品のような階段。ここにも兎の装飾が見られる。

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階段を上から見下ろす。移動が可能な置き階段になっている。

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2階の一室。太い梁を漆喰で包んでおり、一見鉄筋コンクリート建築かと思わせる。関東大震災後の修復で塗られた箇所は塗りが荒く従前からの壁と見分けることができる。当時は復興需要が高まって職人は多忙を極めたため、丁寧に仕上げてもらえなかったのだとか。

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約150年の歳月を経た硝子窓。

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訪問の度に丁寧に御案内頂いた小机家御当主様に厚く御礼申し上げます。

第1064回・旧岸家住宅(厚木市古民家岸邸)

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神奈川県厚木市上荻野にある旧岸家住宅は、大規模養蚕農家の住居として明治24年(1891)に建てられた。色硝子を嵌めた二階座敷など異色の造りが特徴的な古民家である。厚木市指定文化財。

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平成10年(1998)に岸家より厚木市に建物が寄贈され、現在は「厚木市古民家岸邸」として一般公開されている。

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なお、敷地は厚木市が岸家から借り受けているという。

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主屋は明治24年(1891)の竣工で、その後何度かにわたる増改築を経て現在の形になったとされる。

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式台を備えた来客用玄関。見学に際してはこちらではなく、通常の出入り口として使われていた土間側の玄関から入る。

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土間。床の一部はタイルを市松紋様に配したモダンな仕上げとなっている。

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土間に隣接する広間は重厚な格天井となっている。

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来客用玄関に隣接する客間。
1階には客間が3間あるが、どの部屋も欄間や床の間、天井や建具などに意匠を凝らしている。

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材木も良材や珍奇な銘木の類がふんだんに用いられている。

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付け書院を備え、最も格式高い座敷と思われる1階奥の客間。座卓も岸家で使われていたもので、漆塗りである。

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上記客間の奥には客用便所があり、非常に凝った造りとなっている。
写真は便所横に設えられた手洗い場。

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男子用便所。窓の建具がすごい。
左側の照明は壁を貫く形になっており、隣の女子便所も照らすようになっている。

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便所周りの造作。左下は便所前廊下に嵌め込まれた魚型の埋木である。

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階段は一部曲面を持つ折り上げ天井になっている。

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2階座敷。赤い色硝子を市松紋様に嵌め込んだ建具が目を引く。

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2階座敷床の間。

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これらの建具類は創建当初からのものではなく、大正期の改造で入れられたもののようだ。

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岸家は養蚕業を営んでおり、岸家の建っている厚木は、蚕から造り出された生糸が輸出されていた横浜に近い位置にあることも、家の造りに影響しているものと考えられる。

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2階座敷の天井も変わった意匠となっている。

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2階の背面には増築された洋室がある。

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漆喰で仕上げられている洋室天井の換気口まわりの装飾。

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洋室部分は外壁もタイル張りで洋風に仕上げられている。

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洋間の硝子戸も、摺り硝子と透明硝子を市松紋様に配したものとなっている。

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2階は特に建具に意匠を凝らしているのが印象的である。

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岸家の窓硝子いろいろ。
色硝子、摺り硝子、結霜硝子、絵入り砂摺り硝子が見られる。

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これも多彩な岸家の照明器具の数々。

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見どころと発見に富んだ、大変興味深い造りの古民家である。
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