第1080回・旧住友家俣野別邸

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国指定重要文化財であった横浜市戸塚区東俣野町の旧住友家俣野別邸は、平成21年(2009)3月に不審火によって全焼してしまったが、焼け残った部分や難を免れた建具・照明器具等を再利用して平成28年(2016)に再建された。国指定文化財としての価値は失われたが、広大な敷地と共に昭和初期の財閥当主の邸宅の様子を伝えており、横浜市の認定歴史的建造物となっている。

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旧住友家俣野別邸は横浜市と藤沢市の境、国道1号線沿いにあり、住友財閥当主であった十六代住友吉左衛門友成(1909~1993)男爵の東京別邸として、昭和14年(1939)に建てられた。住友別邸時代の広大な敷地は現在も概ね残されており、横浜市によって「俣野別邸庭園」として維持、公開されている。写真は鎌倉石を用いた旧住友邸正門。

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正門をくぐってしばらく進むと、「俣野別邸」(横浜市による現在の名称)が現れる。再建された旧住友家俣野別邸で、外観及び内装の主要部は残されたオリジナルの部材も用いてほぼ忠実に再現されている。奥が主屋で左手前が事務棟。内部は貸室や喫茶スペースが設けられている。火災から8年を経て平成29年4月から公開されている。

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旧住友邸の建物として唯一焼失を免れた、事務棟脇にある附属棟。使用人の休憩室や物置として使われていたものと思われる。戸袋の斜め格子や下見板張りの外壁など簡素ながらも主屋と対応した意匠をもつ洋館である。写真奥の給水塔らしき櫓も旧住友邸時代からのものと思われる。

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玄関ポーチまで葺き下ろした大屋根が特徴的な主屋。玄関ポーチの石張りの柱や床の石畳、鉄筋コンクリート造の基礎や煙突などは焼け残ったものを再利用したものと思われる。なお、同時期の住友系列の建築物で、愛媛県新居浜市にある住友倶楽部(昭和11年)も同様の大屋根が見られる。

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設計者である佐藤秀三(1897~1978)は、住友総本店営繕課勤務を経て、昭和4年(1929)に設計施工を一貫で手掛ける佐藤秀三建築工務所(現・㈱佐藤秀)を創業、昭和初期から後期にかけて住宅建築を中心に多くの建物を手掛けた。弊ブログで以前紹介した長野県山之内町の旧澁澤信雄邸(昭和13年)も佐藤秀三の作品である。

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庭園側からの全景。二階建の部分が主屋で右側の平屋建が子供室棟、その背面には先述の事務棟があり、3棟をYの字型に配する構成を取る。住友友成男爵は昭和12年(1937)、栃木県那須塩原市に那須別邸を佐藤秀三の設計施工で建てており、俣野別邸は那須別邸に続けての注文であったことになる。

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半円形に張り出した展望室などに1930年代のモダニズムデザインが見られる。庭園側の開口部に設けられた青と白の日除けテントもこの時期の邸宅建築に時折見られるものであり、現存するものでは名古屋の豊田喜一郎邸(昭和8年)がある。

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住友友成男爵の2人の令嬢のために設けられた子供室棟。3室から構成される居間に、寝室、サンルーム、専用の浴室や便所も備えられていた。そのうち寝室部分だけは壁体を煉瓦積みとし、窓には頑丈な鉄扉やガラスブロックを用いるなど堅固な造りとなっている。火災時にはその構造により、子供室棟は壁体や浴室部分などが焼け残った。

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主屋の食堂及び子供室棟から続くタイル張りの屋外テラスは、火災前のオリジナルがそのまま残されている。現在は室内と共に喫茶スペースとして利用できるようになっている。

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仰々しさのない控えめな印象の玄関。玄関脇のレリーフと門燈は火災時には修復のため取り外されており、難を免れた。以前取り上げた旧岩崎久彌邸旧三井八郎右衛門邸など他の財閥当主の邸宅と比べると、接客や社交よりも家族の居住本位で造られた邸宅であることが分かる。

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この邸宅が竣工した昭和14年(1939)は支那事変から大東亜戦争の間に当たり、戦時体制の下で建築資材にも様々な統制が及んでいた。比較的簡素な造りである邸宅の構造や意匠にも、時局の影響は現れていたものと思われる。

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玄関内部。象嵌細工の施された扉と照明器具がオリジナル部材。扉や窓などの建具と照明器具は火災当時は取り外されていたため、改装等で既に失われていたものを除き昭和14年竣工当時のオリジナルを現在も見ることができる。

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玄関脇に設けられた控室(応接室)への入口。玄関及び控室の床に敷き詰められているのは栗の木のブロックで、那須別邸でも同様の仕上げが見られる。床や色ガラスの入った窓はいずれも再建による複製である。

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控室(現在は受付)内部。天井は栗の化粧梁を配した船底天井となっている。

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階段室。資料に基づき忠実に再現されているものの、手摺りや床、階段の踏み板は当然ながらいずれも真新しく、建物自体は複製品であることを感じさせられてしまう。

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一階の日光室(サンルーム)。意匠や間取りは再現されているが、用いられている石材まで同じものが使われているかどうかは不明。なお、このサンルームから屋外に続く自然石とタイルを組み合わせたテラスと、半円形に張り出す石積みの擁壁は創建時のものが残されている。

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接客と家族の団欒の場であったと思われる暖炉を備えた居間。暖炉脇の赤い円柱はカシュー(漆を模した人工塗料)塗り仕上げで、日本座敷の床柱を意識したものと思われ、先述の旧澁澤信雄邸でも似たような構成の暖炉を見ることができる。暖炉内の鉄製火置きは焼け残ったものを磨き直して再利用している。

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居間と続き間になっている食堂。現在は居間、屋外テラスと共に喫茶スペースとなっている。
花鳥をあしらった彩色彫刻を施した天井板と籐細工の照明が焼失を免れた。

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二階の展望室は条件が良ければ富士山が望める。曲面ガラスを用いたスチールサッシと、戦前からのものであれば極めて珍しい蛍光灯の照明がオリジナル部材。

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展望室に続く住友友成男爵の書斎には、イングルヌック風の小空間が設けられていた。造りつけソファの向かいにある小窓は展望室と同じ方向を向いており、ここからも富士山が望めるものと思われる。なお、住友友成氏は敗戦による財閥解体・華族制度廃止後は一切の公職から退き、「泉幸吉」の名で歌人として過ごした。(泉は江戸時代の住友家の屋号に因む)

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書斎の隣には夫人居室があり、その横に男爵夫妻の寝室と専用の浴室がある。桐板の船底天井や黒色のカシューで仕上げられた柱と上がり框など、焼失前の造りが再現されている。

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再現された夫妻専用浴室。窓ガラスや扉、洗面台上部の青い蛍光灯はオリジナル。

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子供室棟の内部。居間は畳敷きの座敷と寄木張りの洋室2室から構成されていた。現在は貸室として使えるように作られているが、意匠や仕上げは旧態を再現している。

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居間に続く寝室部分。先述のとおり煉瓦造であったことから構造体は焼け残ったが内装は焼失したため、照明や窓を除き新材による再現となっている。なお余談ながら、昭和21年(1946)にはこの家に住んでいた長女が誘拐(その後無事保護)される事件が発生(住友家令嬢誘拐事件)、財閥解体に揺れる敗戦後の住友家に更なる衝撃を与えた。
 
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内装も含めて焼失を免れたのが写真の子供室棟浴室。暖房のラジエーターなども残されている。このほか、事務棟の書庫部分が焼失を免れている。

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幸いにしてその殆どが焼失を免れた旧住友家俣野別邸の照明器具。硝子など部分的に補修、復元されたものはあるが、昭和14年当時のモダンデザインを複製ではなく本物で見ることができる。写真は玄関、控室、居間、階段室、日光室の照明器具。

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(上から)子供室寝室、居間、食堂、展望室の照明。展望室や男爵夫妻の浴室には蛍光灯が用いられているが、展望室にはマツダランプ(現在の東芝)の蛍光灯が用いられている。マツダランプの蛍光灯は昭和16年(1941)から販売されているが、戦前からのものであれば実用されていた最初期の蛍光灯であり、極めて珍しいものと言える。

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かつての財閥家の邸宅が敷地も含め往時のまま残されていただけに、不審火による焼失は憤懣やるかたないが可能な限りもとの部材も用いて再建されたことはせめてもの救いであり、今後は市民の憩いの場として有効に活用されることを期待したい。

なお、住友男爵家の旧邸宅は京都の本邸(住友有芳園)及び先述の那須別邸等が現存するが、いずれも非公開である。また、かつて神戸郊外にあった住吉本邸の一部として使われていた旧田辺貞吉邸が京都市左京区に移築されており、武田薬品の研修施設として再利用されている。
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第1079回・旧木下家別邸(大磯迎賓館)

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神奈川県中郡大磯町大磯にある旧木下家別邸は、大正元年(1912)に建てられた洋風住宅。ツーバイフォー(2×4)工法の住宅としては現存する日本最古のものとされている。国登録有形文化財。

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JR大磯駅から海岸側に向かってすぐの位置にある旧木下家別邸。敷地が三角形であることから、地元では「三角屋敷」の名で親しまれていたという。

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正面、門越しに望む旧木下家別邸。大正元年(1912)に貿易商であった木下健平氏が、米国帰りの建築家である小笹三郎氏に設計し建てられたと推察されている。

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その後、大正7年(1918)に、木下家とは親戚関係にあり自動車業等を営む二代目山口勝蔵氏に所有が移るが、引き続き別荘として使用されていた。

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主屋の脇にある小屋。使用人の居室等附属棟として主屋と同時に建てられたものかも知れない。

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現在は建物及び敷地は大磯町が所有しており、民間事業者に貸与する形で利活用されている。

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現在は「大磯迎賓館」の名前でイタリアンレストランとして利用されている。旧木下家別邸の洋館のほか、背後に新築された別館で営業を行っている。

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玄関ポーチの両脇に張り出したベイウインドウ。

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六角形の格子が特徴的な上げ下げ窓。

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附属家の窓に嵌め込まれたステンドグラス。主屋にも同様の意匠のステンドグラスがある。(創建当初からのものかどうかは不明)

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柱や梁ではなく壁で建物を支えるツーバイフォー工法(木造枠組壁工法)は、明治末期に米国から輸入され、大正期には簡便な洋風住宅として流行した。

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旧木下家別邸は国内に現存するものでは最古のツーバイフォー工法住宅とされている。

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規格化された木材を用いて建てられることから、内外装共に簡素な造りとなっている。

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大正期にアメリカ式洋風住宅を多く建てた「あめりか屋」が軽井沢に建てた旧水戸徳川家別荘(旧田中角栄別荘)旧近衛文麿別荘(旧市村家別荘)と類似性が見られる。

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明治以降、日本初の海水浴場が設けられ多くの貴顕や富裕層が別邸を構えた大磯でも、洋館建の別邸で現存するものは少ない。とりわけ関東大震災にも耐えた旧木下家別邸は極めて貴重な存在と言える。

第1078回・旧山﨑家別邸〔再訪〕

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平成22年(2010)1月25日付弊ブログ記事にて紹介した埼玉県川越市の旧山﨑家別邸は修復工事を終え、平成28年3月より、室内も含めて全面公開されるようになった。本記事では旧山﨑家別邸の内部を、通常非公開の2階も含め紹介したい。

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正面から見る旧山﨑家別邸。周囲の樹木が剪定され、建物の全体がよく見えるようになった。外観については以前の紹介記事に修復後撮影した写真を追加したので、そちらを御覧頂けると幸いである。

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庭園から望む旧山﨑家別邸。別邸は竣工に際し「東仙庵」と名付けられた。

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旧山﨑家別邸には3種類の玄関が設けられている。写真は日本館側に設けられた家人用の内玄関。現在、見学者はここから屋内に入るようになっている。

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裏手に設けられた児童室にも子供のための出入り口が設けられている。

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洋館に設けられた玄関が別邸の正面玄関である。ポーチの石段が側面に設けられているのは、来客が横付けされた人力車から乗り降りする際の利便を考慮したもの。

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洋館の玄関内側。

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洋館階段室。二階及び土蔵の地階に繋がっている。
階段室に隣接して土蔵の入口がある。

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階段室の地階側窓に嵌め込まれたステンドグラス。
こちらについては現在、作者は不詳とされている。

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2階への踊り場に嵌め込まれた小川三知作のステンドグラス。

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家具や壁紙などに創建当初のものが残されている応接間。

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応接間に隣接する食堂。ステンドグラスの引き戸がある小窓は配膳口となっており、その下には食器棚が設けられている。

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応接間と食堂からはそれぞれ、屋外に設けられたテラスに出られるようになっている。

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応接間と食堂のステンドグラスは別府七郎の作とされており、ひとつの建物に複数のステンドグラス作家の作品が用いられるのは珍しいとされる。玄関ドアの窓はステンドグラスではないが、アールヌーボー風の飾り格子が嵌め込まれている。

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食堂の先は日本間となっており、客間の縁側に繋がっている。

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客間の床の間。

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設計者の保岡勝也は数寄屋建築に造詣が深く、茶席や茶庭についての著作も残している。客間を始めとする旧山﨑家別邸の日本間は、材料、意匠共に非常に質の高いものである。

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客間から縁側を望む。

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縁側から望む庭園と茶室。
茶室は国宝・如庵(愛知県犬山市)を模した仁和寺遼廓亭(我前庵)の写し。

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客間に隣接する、神棚を備えた居間。

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居間の裏にある二畳の空間は、玄関と児童室とを結ぶ通路であるが、襖を閉めると茶室風の落ち着いた小室となる。

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居間に隣接して設けられたサンルーム兼ベランダ。この奥には児童室がある。

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内玄関前の畳廊下。

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天井に数寄屋風の造りを取り入れたトイレは、自家用の浄化槽を備えた水洗式便所であった。別邸は隠居所や家族のための別邸であると同時に皇族の宿泊に供するための迎賓館でもあったので、設備は当時の最新式のものが導入されている。

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通常は非公開の2階であるが、平成29年3月25日に公開一周年を記念して特別公開が行われた。

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2階寝室。ベッドなどの家具類も建設当時のものが残されている。皇族が別邸に滞在するときの寝所に充てられた。山﨑家別邸が皇族の宿所に充てられたのは6度に及び、梨本宮守正王、朝香宮鳩彦王などがこの建物を利用された。

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寝室の一角を区切った書斎。左の扉はバルコニーに続いている。

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寝室兼書斎の隣は数寄屋風の小座敷が一室配されている。

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二階階段室のそばにある写真室。写真を趣味としていた子息(六代目山﨑嘉七)のために設けられたものと思われる。

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大正から昭和期にかけて中規模の住宅を数多く手掛けた保岡勝也であるが、現存する作品は多くない。とりわけ山﨑家別邸は和洋併置の主屋に茶室、庭園まで全て保岡の設計になり、それらがほぼ完全な形で残されているのは極めて貴重な存在であると言える。

第1077回・旧安田銀行担保倉庫

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群馬県前橋市住吉町2丁目にある旧安田銀行担保倉庫は、大正2年(1913)に群馬商業銀行附属前橋倉庫として建設された赤煉瓦の倉庫。生糸等を担保品として保管するための倉庫であり、かつて製糸業が盛んであった当地の歴史を伝える歴史的遺産である。国登録有形文化財。

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前橋市の中心街の一角に建っている旧安田銀行担保倉庫。

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前橋市内にはかつては同じような用途で建てられた赤煉瓦倉庫が多く存在していたというが、現在も残るものは少ない。

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壁面には昭和20年の前橋空襲によって生じた焼け焦げの跡が現在も残されている。

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群馬県など生糸の生産が盛んであった地方の銀行では、融資を行う際の担保品として生糸や繭を預かる事も多かったという。そのためにこのような大規模な倉庫が建設された。

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現存する同様の事例としては、埼玉県本庄市の旧本庄商業銀行煉瓦倉庫があり、こちらも国の登録有形文化財となっている。

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入口の上部には右書きで「火氣厳禁」の文字がある。

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煉瓦の積み方は、日本国内の煉瓦建築に多くみられるイギリス積み。

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壁面の両端には、黒っぽい色調の焼き過ぎ煉瓦を用いて模様を描くなど意匠的な遊びが見られる。

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白っぽい色調の煉瓦も見られ、この種の煉瓦建築としては珍しく複雑な色合いの壁面を見せている。

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群馬県における製糸業の歴史を伝える建造物として、保存活用が図られている。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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