第1115回・出雲日御碕燈台

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前回の美保関燈台に続き、島根県内にある明治時代の燈台。
出雲市大社町日御碕にある出雲日御碕燈台は、明治36年の(1903)竣工・初点燈で美保関燈台と同じく国の登録有形文化財である。

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石積みの正門と塀。
かつては美保関燈台と同様、旧吏員退息所等があったが無人化に伴い撤去され、灯台本体以外で現存する創建時からの遺構は正門と塀だけである。

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灯台本体は外壁が石積みで、内壁を煉瓦積とする。

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総高は約44メートルあり、石造の灯台としては高さ日本一を誇る。

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フランス人が設計を行った美保関燈台に対し、出雲日御碕燈台は設計・施工共に日本人の手による。

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日御碕から日本海を望む。
出雲日御碕燈台が立っている日御碕周辺は、大山隠岐国立公園の一部となっている景勝地である。

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美保関燈台は内部は原則非公開であるが、出雲日御碕燈台は有料で内部が一般公開されており、上まで登ることができる。

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出雲日御碕燈台も美保関燈台と同様に海上保安庁によって歴史的・文化財的価値が高い「保存灯台」として耐震補強等の保存措置が講じられている。

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平成25年(2013)には灯台本体及び正門・石塀が国の登録有形文化財となった。

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出雲日御碕燈台も国際航路標識協会 (IALA) による「世界灯台100選」及び海上保安庁による「日本の灯台50選」に選ばれており、美保関燈台と共に日本を代表する灯台の一つである。
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第1114回・美保関燈台

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島根県松江市美保関町にある美保関燈台(灯台)は、明治31年(1898)にフランス人の指導により建てられた山陰地方で最初かつ最古の石造灯台。旧吏員退息所等の附属建物と共に、灯台としては初めて国の登録有形文化財となった。

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島根半島の最東端である地蔵崎にある美保関燈台。明治31年に山陰地方初の燈台として建設された当初の名称は「地蔵崎燈台」であったが、昭和10年(1935)に現在の名称に改められた。

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燈台本体及び燈台石塀、附属の旧吏員退息所主屋・倉庫・便所・石塀と創建当初からの建物が一式現存しており、いずれも国の登録有形文化財となっている。(平成19年登録)また、経済産業省の近代化産業遺産にも選定されている。

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構内には建設当時からのものと思われる石の日時計が設けられている。
美保関燈台は海上保安庁によって、歴史的・文化財的価値が高い「保存灯台」として保存措置が講じられている。

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装飾的な玄関ポーチが特徴的な旧吏員退息所。燈台が無人化される昭和37年(1962)まで燈台守の官舎として使われていた。現在は内部を改装して飲食店(美保関灯台ビュッフェ)として利用されている。

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燈台と旧吏員退息所は共に白く塗られているが、門や石塀と同じ種類の砂岩を積み上げて建てられている。設計はフランス人技師が行い、施工は片江の石工であった寺本常太郎によるという。

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初点燈を示す「初點 明治三十一年十一月」と記された金属板が入口の上部に掲げられている。

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燈台周辺からは日本海を一望できる。天候によっては隠岐島や大山も見ることができる。

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旧吏員退息所は燈台と同じく砂岩を積んで建てられた石造の建物で、海側に展望室が増築されている他は旧態をよく残している。

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三角破風(ペディメント)に柱頭飾りを備えた円柱、アーチ型の開口部など、現存する燈台守の宿舎は美保関燈台のほか各地に存在するが、このような装飾的な玄関ポーチを有するものは珍しいと思われる。

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三角破風の中央には「〒」マークがあしらわれている。現在、灯台の所轄官庁は国土交通省(海上保安庁)であるが、建設当時は逓信省の所轄であったことから、元々は逓信省の記号であった郵便マークが付けられているものと思われる。

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玄関ポーチの柱頭飾り。
建物本体は石造であるが、玄関ポーチ部分のみ木造でペンキ塗装を施しているようだ。

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燈台守の宿舎は無人化に伴い撤去あるいは他所に移築保存されたものも多いので、当初の位置に現在も残されている貴重な存在である。

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旧吏員退息所内部。飲食店及び売店として活用するため内部は全面的に改装されており、燈台守の住居であったころの面影はない。写真は展示されている明治31年初点燈時のレンズ。

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美保関燈台は平成10年(1998)に、国際航路標識協会 (IALA) による「世界灯台100選」及び海上保安庁による「日本の灯台50選」に選ばれており、日本を代表する灯台の一つである。

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駐車場やトイレ、展望台も完備されており、格好の観光スポットとなっている。

第1113回・奈良基督教会

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奈良市登大路町にある日本聖公会奈良基督教会は、隣接する奈良公園の風致に合わせ和風を基調とした内外装が特徴である。和風のキリスト教会としても珍しいが、質の高い近代和風建築として国の重要文化財に指定されている。

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近鉄奈良駅前にある東向商店街に面して門を開いている奈良基督教会。

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明治18年(1885)に奈良在住の信徒とアメリカ人のジョン・マキム牧師によって伝道が始められ、 明治20年には現在地の近くに教会が開かれた。

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興福寺境内の西側に隣接する現在の敷地は明治42年(1909)に教会が建設用地として購入していたが、その後資金準備が進められ、建設に着手したのは昭和に入ってからであった。

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その立地から、周囲の風致景観を考慮することを条件として県から建設許可を受けていたため、教会堂と幼稚園舎は和風を基調とした意匠で建てられた。

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礼拝堂と幼稚園舎(当初は信徒開館として計画されていたが竣工間際に用途変更)から構成される建物は、昭和3年(1928)に定礎式を行い、4年に幼稚園舎、5年に礼拝堂が竣工、直ちに新教会堂の聖別式が挙行され、同時に幼稚園も開園した。 

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十字架の下の瓦も鳩やオリーブ、十字架などキリスト教に由来する図柄となっている。

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明治27年に建てられた洋風建築の帝国奈良博物館が不評を買って以降、奈良公園では県庁、物産陳列所図書館ホテルなどの公共建築は和風意匠で建設された。奈良基督教会も景観を考慮して建てられた近代和風建築群のひとつである。

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設計・施工を手掛けた大木吉太郎(1887~1971)は、古社寺の修理にも携わった宮大工で、奈良基督教会の信徒でもあったという。

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礼拝堂内部。平面計画は教会建築の形式を遵守しながら、意匠構成を和風とする。

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材料は主に吉野の山林から伐りだされた杉や檜材が用いられた。

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内陣と外陣を区切る欄間。

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格間に施された精緻な組子細工がすばらしい組入格天井。

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外陣は三廊式で、身廊の両側に側廊を設ける。

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奈良基督教会は平成9年(1997)に登録有形文化財に認定され、平成27年(2015)に奈良県指定有形文化財を経て国指定重要文化財となった。

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宮大工の高い技量が窺える美しい空間であり、奈良県を代表する近代和風建築のひとつである。

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祭壇の十字架の装飾には正倉院宝物の鏡の意匠を取り入れるなど、地域の歴史や文化に根付いたキリスト教会として建てられている。

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身廊の長椅子や聖書台など、会堂内の家具45点も重要文化財の附(つけたり)として指定を受けている。

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身廊の後方に据えられたパイプオルガンは、明治20年(1887)の礼拝堂設立から百周年を迎える昭和62年(1987)に記念として設置された。建物と合うように西洋松材が使われているという。

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白大理石でできた洗礼盤。

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幼稚園舎が併設されているため通常は閉ざされているが、土曜と日曜の午後は門が開かれており、内部の拝観も可能である。

香川県多度津町の合田邸 一般公開(9月23~24日)

以前弊ブログで紹介した香川県多度津町の合田邸が9月23~24日に一般公開されるそうです。
ブログ主が訪問した平成28年11月の初公開時には未公開だった部分も新たに一部公開されるとのことで、是非再訪したいところですが今回は都合がつかず。

見どころに富んだすばらしいお屋敷なので、興味のある方は是非どうぞ。

→(参照)「多度津町 合田邸」様のFacebook

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弊ブログでの合田邸紹介記事

第1030回・多度津の合田邸(その1)
第1031回・多度津の合田邸(その2)

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昨年11月の初公開時には未公開だった離れ「えじぷとの間」も内部が公開されるとの事。
合田邸の公開は昨年11月、今年の4月に続き3回目のようです。

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洋館はまだ公開できるまでは時間がかかりそうであるが、Facebookの記事では整理清掃が続けられている様子。

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昭和9年に建てられた写真の大広間などを使って催しが行われるそうです。

第1112回・旧大社駅

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前回紹介した一畑電鉄出雲大社前駅から少し離れた場所には、廃線となった旧JR大社線の跡がある。現在は大正13年(1924)に建てられた駅舎とホームが残されており、保存・公開されている。優れた意匠の木造和風駅舎として国の重要文化財に指定されている。

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旧大社駅全景。6年後に建てられた洋風建築の出雲大社前駅とは好対照を為している。また、現存する戦前の和風木造駅舎としては京都の旧二条駅舎(明治37年、京都市指定有形文化財)と並ぶ傑作である。

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旧大社線は鉄道院(のち鉄道省を経て国鉄、現在のJR)によって明治45年(1912)に開業、大社駅は出雲大社参詣の表玄関として設置された。

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現在の駅舎は大正13年に改築された2代目で、平成2年(1990)のJR大社線廃線に伴い廃止されるまで使用されていた。

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設計は鉄道省神戸鉄道管理局の技手であった丹羽三雄による。出雲大社の表玄関を意識した和風意匠が施されており、先述の二条駅や、当時鉄道省が経営していた奈良ホテルも参考にしたのではないかと思わせる和風駅舎である。

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廃止後は出雲市の所有となり、島根県の指定文化財を経て平成16年(2004)に国の重要文化財に指定された。また出雲大社前駅と同様、経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

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正面の軒下には旧二条駅と同様に利用客用の待合スペースが設けられており、ベンチが置かれている。

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正面玄関。

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内部は旧二条駅とは異なって平屋建てとなっており、中央部分は豪壮な吹き抜けを持つ待合室兼改札ホールとなっている。

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和風意匠の天井シャンデリア。

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和風装飾が施された出札口。

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旧特別待合室の天井。

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旧ホームから望む駅舎。

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駅表示板など、平成2年の廃止当時のまま時が止まったような印象を受ける。

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重要文化財である旧駅本屋はよく維持管理されているが、附属のホームや線路跡は至るところに草が生え、風化が進んでいる印象を受ける。

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ホームの一角に静態保存されている国鉄D51形蒸気機関車。

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利用者だけでなく出雲大社参拝の観光客など多くの人が出入りしていた出雲大社前駅に対し、旧大社駅は出雲大社からはより遠い位置にあるためか周辺にも観光客の姿は少なく、中も外もガランとしていたのが印象的であった。

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全国屈指の戦前の名駅舎と言ってもよいだけに、往年の賑わいを取り戻せるような利活用はできないものだろうかと考えさせられる。

第1111回・出雲大社前駅(旧大社神門駅)

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島根県出雲市の出雲大社の参道沿いにある一畑電鉄出雲大社前駅は、昭和5年(1930)開業当初の駅舎が現在も使用されており、特異な外観から地元でも親しまれている。国登録有形文化財。

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神門通りに面して建つ出雲大社前駅は、出雲大社の最寄駅に当たる。開業当初の名称は「大社神門駅」で、昭和45年(1970)に現在の駅名になった。

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鉄筋コンクリート造平屋建てで、曲面を持つ屋根を青緑色の釉薬をかけた瓦で葺く。

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近年の改修で屋根瓦は大部分が葺き替えられたが、色調はもとの色合いに近いものとなっている。但し、切妻屋根の臨時改札口の瓦は創建当初からのものと思われる。

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現在、臨時改札口跡には窓ガラスを入れ増築部分と一体化させて、店舗となっている。

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その特徴的な姿から、駅の利用者のみならず出雲大社への参拝客も多く立ち寄る。

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待合室。屋根の形がそのまま天井の形状に反映されている。

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ヴォールト天井の梁はよく見ると幾何学的意匠の紋様が刻まれている。窓の色ガラスは、近年の改修に際して入れられたもののようだ。

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半円形に張り出した出札口。
仕切りの金属製格子は幾何学的意匠で仕上げられ、天井梁の装飾と対応したものとなっている。

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駅舎とは思えない不思議な印象の内部空間。

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外観、内装共に、戦前に建てられた駅舎の中ではとりわけ個性的な意匠の建物である。

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扉などの建具類も創建当初からのものと思われる。

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開口部上の長押にも幾何学状の装飾が施されている。

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改札口からホームを望む。

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ホームの一角には駅舎竣工とほぼ同時期に製造され、平成21年(2009)まで現役で使用されていた現存する日本最古級の車両であるデハ二50形電車が展示されている。

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ホームから駅舎を望む。ホーム上屋も駅舎と同様、開業当初の姿を概ね残しているようだ。

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島根県に残る近代建築では代表的なもののひとつであり、平成8年(1996)の国登録有形文化財制度の導入に際しては、島根県における認定第1号となった。また経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

第1110回・翠川医院

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長野県岡谷市中央町1、JR岡谷駅前にある翠川医院は昭和6年(1931)の開院当初の建物で現在も診療を行っている。木造2階建て洋館の診療棟は門構えから附属等に至るまで創建当初の佇まいを残している。

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JR中央本線岡谷駅から徒歩3分程度の位置にある翠川医院。

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門柱には「翠川醫院」と正字体で記された陶器か大理石製と思われる表札が掛かる。
門柱に続くコンクリート塀も創建当初のものと思われる。

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岡谷市医師会のホームページにて、翠川医院の現院長が自ら描かれた油絵と共に医院の建物について紹介されている。昭和6年の開業に際し建てられたもののようであり、「絶対取りこわさない様に」と註文する患者もあるという。

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正面に建つ診療棟は木造2階建、外壁は大部分がペンキ塗り下見板張りで、2階の一部をモルタル塗り仕上げとする。レントゲン室等の付属棟と思われる平屋の建物が隣接する。

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診療棟側面。
背面には住居として建てられたと思われる和風の建物が続いている。

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赤い鉄板葺きの屋根には小さな屋根窓が2つ配されている。
屋根窓の形状は同じ岡谷にある洋館で、前回取り上げた旧片倉組事務所のものと似ている。

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軒裏には丸に十字形の換気口が開かれている。

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玄関ポーチの形状は同じく岡谷にある旧山一林組製糸事務所のものと似ている。旧片倉組事務所とともに、医院新築に際し、昭和6年当時既に岡谷に建っていたこれらの洋風建築を参考にした可能性も考えられる。

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戦前の建物で現在も診療を続けている医院は各地に存在し、弊ブログで紹介したものでも山形市の吉池医院、栃木市の栃木病院、和歌山市の滋野医院、香川県多度津町の山本医院、松江市の浅野医院、長野県では松本市の宮島医院などがあり、登録文化財になっているものもある。この医院もこれからも長く現役で使い続けて頂きたいものである。

第1109回・中央印刷社屋(旧片倉組事務所)

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長野県岡谷市川岸上1丁目にある中央印刷社屋は、かつて日本最大の製糸工場であった片倉組(現・片倉工業(株))の本部事務所として明治43年(1910)頃に建てられた。その後、片倉組の流れを汲む中央印刷(株)の本社屋として使われ、現在も同社岡谷工場の事務所として使われている。国登録有形文化財。

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片倉組は明治6年(1873)、片倉市助が長野県諏訪郡川岸村(現・岡谷市)で始めた座繰り製糸を嚆矢として、明治28年(1895)には片倉兼太郎(初代)によって片倉組が設立された。

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生糸の製造は戦前日本の主要輸出産業であり、日本最大とも世界最大とも言われる製糸企業となった片倉組は財閥(片倉財閥)を形成したが、敗戦に伴う財閥解体で解散、現在は片倉工業(株)として存続している。

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諏訪湖を挟んで岡谷市の対岸にある上諏訪の片倉館は、片倉兼太郎(二代)が従業員の福利厚生のために昭和3年(1928)に建設した洋風建築の温泉浴場で現在、国指定重要文化財となっている。また、世界遺産となっている群馬県の旧富岡製糸場は片倉組(昭和18年以降は片倉工業)が昭和14年から平成17年まで所有していた。

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旧片倉組事務所は明治43年(1910)に、片倉組発祥の地である地垣外製糸場内に本部事務所として建てられ、戦後の昭和22年(1947)には片倉工業の印刷部門が独立して設立された中央印刷(株)の本社事務所となった。

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本社が東京に移転した後は岡谷工場の事務所となり、現在も現役で使用されている。

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構造は木造2階建で、外壁には人造石の付柱が並び煉瓦タイルを貼る。明治後期から大正期の工場における事務所建築の特徴を残している。

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屋根は当初瓦葺であったが、現在は銅板葺きに改められている。

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平成8年(1996)には国による登録有形文化財制度の導入に伴い、長野県における登録有形文化財認定第1号となった。

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旧事務所のそばに建つ倉庫と思われる小規模な煉瓦建築。
岡谷は明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄していた街であり、現在でも国指定重要文化財の旧林家住宅など市内の随所にかつての生糸の都の面影をみることができる。

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岡谷市に現存する同様の製糸業者の事務所建築として、旧山一林組製糸事務所が現存しており、旧片倉組事務所と同様、国の登録有形文化財となっている。
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