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第1126回・上田新参町教会

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長野県上田市大手にある上田新参町教会は日本基督教団所属のキリスト教会。現在の礼拝堂は昭和10年(1935)に移転に伴い新築されたもの。赤い屋根の尖塔が特徴的なゴシック様式の木造教会である。

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上田市の中心街、上田城跡や上田市役所に近い位置に建っている上田新参町教会。

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上田新参町教会は元々はカナダのメゾジスト系教会として、明治30年(1897)に連歌町(現在の丸堀町の一部)でメソジスト上田教会として布教を始め、昭和10年(1935)に現在地に移転新築した。

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昭和中期には礼拝堂が入居する雑居ビルに改築する計画も立てられたがその後沙汰止みになり、現在も改修しながら使われ続けている。

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門柱もゴシック調の尖頭アーチを持つデザインで造られている。

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白い壁に赤い屋根が目を引くが、創建当初の外壁は黒ずんだ柿渋塗り仕上げで、現在とはかなり異なる印象であったようだ。

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当初柿渋塗り仕上げであった外壁はその後ペンキ塗りに改められたものと思われるが、現在はその上に吹き付け塗装が施されている。

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設計者は以前紹介した群馬県安中市の安中教会教会堂を設計した古橋柳太郎による。

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なお、上田新参町教会ゆかりの建物として、明治37年(1904)に建てられた旧宣教師館が上田市によって同市下之郷に移築、一般公開されている。
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第1125回・旧高畠鉄道高畠駅舎

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山形県東置賜郡高畠町高畠にある旧高畠鉄道(のちの山形交通高畠線)高畠駅舎は、昭和9年(1934)に建てられた。地元特産の高畠石を用いた外観が特徴で、駅本屋のほか、同じく高畠石を用いた倉庫、変電所、自動車修繕庫が国の登録有形文化財となっている。

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高畠町では明治期から製糸業などの地場産業が起こり、明治33年(1900)には奥羽本線糠ノ目駅(現・JR高畠駅)が開業した。

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その後の更なる産業の発展に伴い、奥羽本線と高畠町を結ぶ私設鉄道として大正11年(1922)に高畠鉄道が開業した。

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昭和9年(1934)に竣工した旧高畠駅舎は、従前の木造駅舎を改築して建てられた2代目駅舎である。

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鉄筋コンクリート造の構造体に地元特産の高畠石を外装材として積み上げている。

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高畠石は江戸時代から採掘されてきた石材で、当地では建物の基礎や境界、塀、石碑や鳥居など至る所に用いられている石材である。

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戦時下の昭和18年(1943)、高畠鉄道は合併によって山形鉄道高畠線となった。

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戦後も貨物や人員の輸送に活躍するが、やがて貨物輸送の主力はトラック輸送に取って代わられたため、山形鉄道高畠線は昭和49年(1974)に廃線となった。

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廃線後の旧高畠駅舎は一時、山形交通のバス待合所や森林組合の事務所などに使用されていた。

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平成3年(1991)に山形新幹線が開通、糠ノ目駅は新幹線の停車駅として高畠駅に改称されると、旧高畠駅までの線路跡はサイクリングロード(まほろばの緑道)として整備された。

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旧高畠駅とその周辺は公園として整備され、駅舎のほか電気機関車、貨車、電車が各1輌ずつ静態保存されている。

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平成28年(2016)には駅本屋(駅舎)、倉庫、変電所、自動車修繕庫の4棟が国の登録有形文化財となった。

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駅舎内は通常非公開で、イベント時などに公開されるようだ。

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駅舎と同様、高畠石が用いられている附属建物。
旧変電所。

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現在は公衆トイレとして再利用されている旧倉庫。

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旧自動車修繕庫。

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旧高畠駅舎は高畠町の観光名所のひとつとなっている。

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周囲は花で飾られており、町のシンボルとして大切に保存されているようだ。

第1124回・旧上田市立図書館

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長野県上田市大手にある旧上田市図書館は、大正初期に建てられたドイツ風意匠の西洋館。長野県における大正期の洋風建築を代表するもののひとつとされる。上田市指定有形文化財。

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上田城跡公園入口のすぐ近くに建っている旧上田市図書館。
大正4年(1915)に「明治記念館」として建てられた。

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「明治記念館」とは、上田男子小学校同窓会が一般から集めた寄付金を基に建設した私設図書館であったが、経費面の問題から運営が行き詰まり、大正12年(1923)に上田市に移管された。

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その後、昭和45年(1970)に新図書館が完成するまで約半世紀にわたり上田市立図書館として使用された。図書館移転後は市役所分室、石井鶴三美術館として使用されるが、現在は閉鎖されている。

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平成5年(1993)、上田市指定有形文化財となった。

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平坦な壁面装飾や反りのあるマンサード屋根などドイツ系アール・ヌーボーの特徴を備えており、大正期の洋風建築に多く見られるドイツ風意匠の西洋館である。

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壁面の随所に施された装飾は、いずれも金属板に装飾を型押ししてペンキ塗装で仕上げたもの。

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玄関ポーチの照明台座と円形レリーフの装飾。これも金属板をプレス加工したもの。
ポーチの開口部周りは、焦茶色の煉瓦タイルで縁取りが施されている。

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木が茂り過ぎて建物の正面がよく見えないのが惜しまれる。

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今後の整備を期待したい建物である。

第1123回・興雲閣

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松江市殿町の松江城山公園内にある興雲閣は、明治36年(1903)に松江市工芸品陳列所として建てられた。当初の目的であった明治天皇の行在所として使うことは実現されなかったが、皇太子(のちの大正天皇)の山陰行啓に際し、宿舎として使用された歴史をもつ。近年大がかりな修復工事が行われ、平成27年(2015)より一般公開されている。島根県指定有形文化財。

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松江城天守。
興雲閣の修復工事完了、一般公開が開始されたのと同じ年(平成27年)に国宝指定を受け、重要文化財から昇格した。

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松江城内の一角に建つ興雲閣。
天守閣から少し離れた位置にあり、二の丸の上の壇、松江神社に隣接して建っている。

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明治新政府の成立後、明治天皇は北海道から九州まで全国各地を巡幸されたが、山陰地方の鳥取・島根両県だけは実現していなかった。そのため両県からは政府に対し、度々にわたる請願が行われていた。興雲閣は巡幸が実現した際の宿舎(行在所)として建設が計画され、明治36年(1903)に名目上「松江市工芸品陳列所」として竣工した。

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日露戦争勃発や山陰地方への交通の便などが壁となり、明治天皇の山陰巡幸は結局実現しなかったが、明治40年(1907)5月に皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)による山陰行啓は実現され、宿所としての役目を果たした。

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なお、隣接する鳥取県では、嘉仁親王の山陰行啓に際して宿舎として明治40年に建てられたのが現在は国指定重要文化財となっている仁風閣である。(弊ブログ過去記事参照)

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ベランダを三方に廻し和風の入母屋造の瓦屋根を載せた外観は、明治12年(1879)に竣工した当時の島根県庁舎(二代目)によく似ている。明治36年当時は日本人建築家による本格的な洋風建築が地方でも建ち始めており、その中で少々時代遅れな擬洋風建築となった背景には、日露戦争が迫る中で工事には費用を始め様々な制約があったためと思われる。

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但し、行在所として使うことを想定していたためか細部には随所に装飾が施されており、モデルになったと思われる県庁舎に比べるとかなり華やかな外観となっている。

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外壁や柱は長らく白く塗られていたが、平成25年から行われた修復で創建当初の淡い緑色が復元された。

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玄関。内部は和風色が強く洋風の造作はあまり見られない。洋風の造作は伝統的な和風に比べ工費が格段に高く、建設費は決して潤沢ではなかったことが窺える。

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松江市の施設として建てられたため、正面玄関扉の下部には松江市の市章が彫り込まれている。

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廊下。廊下のほか、各室の天井は和風の棹縁天井となっている。
突き当りのアーチ窓を除けば洋館らしさは感じられない。

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二階への大階段は明治45年(1912)の改装により、現在見られる形になった。

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階段まわりは明治の洋館らしい造りが見られる。

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2階広間。上記の階段及びこの広間の天井であるが、本来ならば漆喰塗仕上げとするべきところを、廊下等と同様に和風の棹縁天井となっている。

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2階広間の脇には貴顕室と称される3間続きの部屋があり、ここは明治40年5月の山陰行啓に際し、嘉仁親王が滞在された場所である。

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畳敷きの部屋は寝室として使われたものと思われる。今次修復に際し、往年の内装が復元された。

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ペンキ塗りで洋風に仕上げられているが、続き間の仕切りに設けられた欄間や引き戸など、和風の座敷を思わせる造りになっている。

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皇太子の宿所としての役目を終えた後は、松江の迎賓館として、また博物館・美術館として各種会合や展覧会などの会場に使われた。「興雲閣」の名は明治42年(1909)、旧松江藩主である松平家の当主・松平直亮伯爵により命名されたものである。

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戦時中から戦後にかけて興雲閣は、海軍人事部分室や県庁仮分室、教育委員会事務局が置かれ、昭和48年(1973)から平成23年(2011)までは松江郷土館として使用されていた。

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松江郷土館が移転した後、平成25年から2年がかりで大規模な修復が行われ、外壁の色彩や内装等、明治末期の姿に復元された。

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島根県における明治の洋風建築の代表格である。

第1122回・旧桑折郡役所

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福島県伊達郡桑折(こおり)町字陣屋にある旧桑折郡役所は、明治16年(1883)に建てられた擬洋風建築。洋風建築の導入を積極的に進めた当時の福島県令(知事)・三島通庸の方針が反映されていると推測されている。明治初期の擬洋風官公庁舎として国の重要文化財に指定されており、現在は一般に公開されている。

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桑折町の中心街に建つ旧桑折郡役所。真っ直ぐに伸びた道路の突き当りに洋風建築の庁舎を置く配置は、三島が最初に県令として赴任した山形市街でも見られ、ここでも同じ区割りの都市計画を進めたものと思われる。

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明治12年(1879)に設置された伊達郡役所は、当初は庁舎を保原村(現伊達市保原町)に置いたが、桑折村が誘致運動を行った結果現在地に移転された。明治16年(1883)10月に竣工した新庁舎の総工費2万5千円はすべて地元が負担、設計施工も地元の大工棟梁である山内長蔵ほか3名が請け負った。

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館内に展示されている明治16年竣工当時の古写真。大正15年(1926)の郡役所制廃止まで43年間郡役所として使用された。なお、屋根の上に載る塔は、振動が大きいとの理由で竣工から僅か4年後の明治20年(1887)に撤去されている。

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郡役所として使われていた時代の古写真。大部分の期間は塔の無い状態であった。
郡役所廃止後は、伊達郡各種団体や福島県の事務所として昭和44年(1969)まで使用されていた。

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昭和49年(1974)に福島県、同52年(1977)には国の重要文化財に指定され、大掛かりな半解体修理と復元工事が行われた。工事は昭和54年(1979)に完了した。

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平成23年(2011)の東日本大震災では内壁の崩落や基礎石にずれが生じるなどの被害を受けたが修復され、同時に耐震補強も施された。平成26年(2014)4月より一般公開が再開されている。

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昭和54年の修復工事に際し、92年ぶりに復活した塔。
塔の無かった期間を超えるには、あと半世紀必要である。

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福島県内には旧桑折郡役所のほかにも明治期の郡役所庁舎がいくつか現存しており、そのうち特に旧南会津郡役所(福島県指定重要文化財)は、規模や意匠に類似性が見られる。

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背面はペンキを塗らない白木の下見板張りとなっている。

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現在は桑折町が管理しており、無料で公開されている。

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玄関の半円アーチの欄間には色硝子が嵌め込まれている。

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1階階段ホール。正面向かって左側に旧事務室及び旧郡長室があり、右側に階段ホール、旧人民詰所、旧戸長詰所のほか、炊事場や小使室などのバックヤードスペースが設けられている。

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炊事場に続く湯沸場には囲炉裏が切られており、文明開化調の外観や主要室とは一転して古民家のような佇まい。

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湯沸場に続く和室は宿直室として使われていた。

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各室の天井に設けられたランプを吊り下げる照明台座には、それぞれ異なる図柄の鏝絵が施されている。

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階段の手摺。

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二階は旧郡会室及び控室、階段ホールで構成されている。
写真は旧郡会室。

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旧郡会室の一角にある塔屋への階段。
なお、旧郡会室の床板は他の部屋と異なり、溝が刻まれている。これは床板を敷き詰めると煉瓦敷の目地のように見えることを狙った工夫である。

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二階ベランダへの出入り口にも、色硝子を嵌め込んだ半円形の欄間が設けられている。

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ベランダ越しに桑折市街を望む。

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桑折町のシンボルとして大切に保存されている。

第1121回・水尾写真館

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香川県善通寺市上吉田町にある水尾写真館は、明治34年(1901)創業の歴史を有する老舗の写真館で、大正年間に建てられた木造二階建ての洋館で営業を続けている。国登録有形文化財。

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善通寺駅前通りに面して建つ水尾写真館。前回紹介した旧陸軍第十一師団のすぐ近くにある。

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水尾写真館の創業は第十一師団設置から間もない明治34年であるが、住居を兼ねた現在の建物が完成したのは大正末期とされる。

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二階中央の開口部は床の高さまで開いているが、かつてはバルコニーが設けられていたものと思われる。

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歴史を感じさせる看板と門燈。

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善通寺市のホームページによると、館内は洋風の階段やカメラの絞りをデザインした天井飾りなど、写真館ならではの装飾も施されているという。

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二階正面上部に立ち上がる妻壁は、「水尾」の文字を浮き彫りにした看板となっている。

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現在もこの建物で写真館として営業を続けている。

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なお、水尾写真館と道路を隔てて向かい合う位置にある四国学院大学は、旧兵舎など旧陸軍第十一師団の施設の一部を引き継いでおり、水尾写真館と同様、国の登録有形文化財となっている。

第1120回・乃木館(旧陸軍第十一師団司令部庁舎)

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香川県善通寺市の陸上自衛隊善通寺駐屯地の一角に、かつてこの地にあった旧帝国陸軍第十一師団の司令部庁舎が残されている。現在は陸上自衛隊善通寺駐屯地資料館として公開されており、その近くには現在も陸上自衛隊の施設として使用されている煉瓦倉庫もある。

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旧帝国陸軍第十一師団は、日清戦争後に新設された6個師団の一つで明治31年(1898)に設置され、四国4県を徴兵区としていた。

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正面全景。第十一師団と同時に設置された、石川県金沢市の旧第九師団司令部庁舎とほぼ同一意匠で建てられた。初代師団長は乃木希典(在任期間 明治31~34年)であったため「乃木館」の通称でも知られる。

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張り出した玄関ポーチは後年の増築であるが、それ以外は旧状を保っている。なお、金沢の旧第九師団司令部庁舎は現在は規模を縮小した状態で保存されているが、国立近代美術館工芸館として再利用されることに伴い、往年の規模に復元される予定である。

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旧陸軍関係のほか、陸上自衛隊の資料も展示されており、善通寺駐屯地の広報施設としての役割も担っている。また敷地内には使われなくなった戦車や戦闘機などの装備品も展示されている。

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外壁などに老朽が目立っており、早急な修復が望まれる。

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玄関ポーチは大正~昭和初期頃の増築と思われる。創建当初は金沢の旧第九師団司令部庁舎と同様、玄関ポーチは存在しなかった。

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玄関内部。

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玄関を入るとすぐ正面に階段が現れる。玄関ホールと階段室は装飾を施した柱で区切られており、簡素ながらも威厳を感じさせる。

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1階は陸上自衛隊音楽隊の練習室などに使われており非公開となっているので、資料館のある2階へ上がる。

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華麗な明治の洋風建築の趣を残す階段踊り場。

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階段室のアーチ窓。

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旧師団長室。机と椅子は歴代師団長が実際執務に用いていたもの。2つある椅子のうち、簡素な方の椅子は乃木希典が用いていた。

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旧師団長室の天井の四隅には漆喰装飾が施されている。

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戦後は郵政省簡易保険局に使用された後、昭和36年(1961)に陸上自衛隊の所管となった。平成18年(2006)より、2階部分を資料館として一般に公開している。

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既に国指定重要文化財として修復、活用されている旧善通寺偕行社と同様、将来は文化財として保存、修復されることを望む。

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乃木館から道路を隔てて、煉瓦倉庫が3棟建っている。

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兵器庫として明治42年(1909)から大正10年(1921)にかけて建てられた。

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現在も陸上自衛隊善通寺駐屯地倉庫として現役で使用されている。

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このような大規模な煉瓦倉庫は横浜や舞鶴を始め全国各地に現存するが、現役で使用中のものは非常に少ない。

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先述の金沢や、同じく陸軍の第十師団が置かれていた姫路にも同種の煉瓦倉庫があり、それぞれ博物館美術館に転用されている。

第1119回・ホテルおとわ(旧音羽屋旅館)

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ホテルおとわは、山形県米沢市のJR米沢駅前にあるビジネスホテル。
昭和初期に建てられた木造三階建の旧館は、今では極めて希少となった「駅前旅館」の佇まいを残している。国登録有形文化財。

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昭和中期ごろまでは全国各地の駅前には「駅前旅館」と呼ばれる商人宿があった。そのほとんどがビジネスホテルに取って代わられた現代において、当時の建物が今も現役で使われているのは極めて珍しい。

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かつての名称は「音羽屋旅館」で、奥羽線開通に伴い明治31年(1898)に開業したという老舗である。

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現在は隣接してレストランも併設した鉄筋コンクリート造の新館があり、経営形態は現代的なビジネスホテルとなっているが、旧館は客室として現役である。

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旧館の建物は大正末期に計画され、昭和2年(1927)に着工、10年後の昭和12年(1937)に竣工した。
当時は現在新館が建っている場所に元々の旧館があり、(当時の)新館として建てられたようだ。

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窓枠や建具に彩色を施し、洋風のアーチ窓や和風の花頭窓が並ぶ竜宮城のような派手な外観。

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客室も床の間周りに螺鈿細工を施すなど、趣向を凝らした座敷があり著名人の宿泊も多い。

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屋根には鯱を載せる。

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一度は泊まってみたい宿のひとつである。

第1118回・旧赤穂村役場庁舎(駒ヶ根市郷土館)

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長野県駒ヶ根市赤穂の大沼湖畔にある駒ヶ根市郷土館は、大正11年(1922)に、同市の前身のひとつである赤穂(あかほ)村役場庁舎として建てられた。設計は地元出身の建築家である伊藤文四郎による。昭和46年(1971)に現在地に正面部分が移築され、郷土館として保存・公開されている。駒ヶ根市指定有形文化財。

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郷土館内に展示されている竣工当時の写真。当時の村役場庁舎としては非常に先進的かつ豪華な建物である。当時の村の総予算が19万円余であったのに対し、工費は約5万4千円であったという。

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正面全景。かつてはロの字形平面を持つ広大な庁舎であったが、現在は正面部分のみが移築保存されている。正面中央に時計塔を載せた二階家を据え、その両脇から背面(現存しない)にかけて平屋建の棟が広がる構成は、米国で伝統的に用いられたパラディア二ズムを採りいれており、日本の官公庁舎では非常に珍しいとされる。

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地元の大工棟梁や役場の技術者ではなく、建築家に設計を依頼するというのは当時の村役場庁舎としては異例なものであった。これは当時赤穂村村長であった福沢泰江が全国町村会会長や内閣参与を務めており、中央との人脈があったことが背景として考えられる。

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設計者の伊藤文四郎は米国で建築を学び、大正12年に東京・丸の内に竣工した日本郵船ビルの建設工事に際しては、設計者である曾禰中條建築事務所、施工者である米国フラー社とは別に、施主側の利害を代弁する建築家として参画することで建築界の注目を浴びた。赤穂村役場庁舎は、丁度郵船ビル建設工事の最中である大正11年に竣工している。

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背面にある半円形の階段室張り出し部分。
かつては中庭になっていたが、先述のとおり背面部分は移築に際し除却されている。

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正面には3つの玄関が配されており、両翼に設けられた玄関は木製の円柱に半円アーチを載せる。

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正面玄関には御影石の石柱を立てた堂々としたポーチを張り出す。

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現在の郷土館の玄関は、正面向かって右側の玄関に設けられている。

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正面玄関は貴賓専用として使われていたものと思われる。
現在はくぐることは出来るが、ここから郷土館に入ることは出来ない。

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館内から望む正面玄関。

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正面玄関の突き当りには、半円形に張り出す広場を備えた階段室が配されており、二階の正庁(重要な式典などの時のみ使用された部屋)に続いている。

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廊下。突き当りの扉は旧事務室。

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カウンターを備えた旧事務室内部。かつては現在の倍以上の広さがあり、村役場としての機能の大半がここにあったものと思われる。

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カウンターの外側は役場を訪れる住民の待合場所で、当時は公衆溜と称されていた。

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円柱の柱頭にも洋風建築として装飾が施されている。

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旧事務室には重厚な木製の付柱と漆喰装飾が施された一角があるが、これは除却された背後の会議室より、正面の装飾のみ旧事務室へ移設したものである。

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郷土館内に展示されている旧会議室の古写真。村会(のち町議会、市議会)の議場として使われていたものと思われる。写真の左奥に現存する部分が写っている。おそらく演壇としてこの部分のみ重厚な装飾が施されたものと思われる。

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二階は正庁1室のみとなっている。
正庁は庁舎内で最も格式の高い部屋として戦前の道府県庁舎あるいは市庁舎では必ず設けられているが、町村役場でこのような正庁を備えているものは非常に珍しいと思われる。

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正庁正面に配されたパラディアン・ウインドウ。

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地方自治確立に力を注いだ村長・福沢泰江と米国帰りの設計者・伊藤文四郎の意気込みが伝わる建物である。

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竣工から約半世紀にわたり赤穂村役場、赤穂町役場、駒ヶ根市役所として使用された。昭和46年(1971)に新市庁舎が新築されることに伴い正面部分が現在地に移築され、現在に至るまで郷土資料館として活用されている。

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移築後の昭和51年(1976)、駒ヶ根市の有形文化財に指定された。

(参考)「長野県史美術建築資料編」抜粋資料 (来館者配布用資料)

しばらくお休みします

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結局9月の見学会に行ってきた多度津町の合田邸。(また記事にします)
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