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第1143回・白河ハリストス聖教会

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福島県白河市愛宕町にある白河ハリストス正教会は、大正4年(1915)に建てられ、近代に建てられたハリストス教会として現存するものでは全国で5番目に古い洋風建築である。福島県指定重要文化財。

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ハリストス正教会はギリシャ正教の教会で、白河には明治11年(1878)に教会が設けられ、同15年(1882)に最初の会堂を建立したと伝えられる。

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現在の聖堂は、大正3年(1914)に着工、翌年の大正4年(1915)に竣工した。

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明治15年に建てられた旧会堂は現在も敷地の一角に残っており、司祭の宿泊、集会所として使用されているという。(日本正教会のホームページより)写真奥に写っている和風の建物がそれと思われる。

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聖堂の設計者は、建築家であると同時に聖職者でもあり、当時白河ハリストス正教会の副輔祭であった河村伊蔵(1866~1940)による。施工は地元白河の大工棟梁であった中村新太郎で、費用は白河の信徒の積立や拠出によって賄われた。

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河村伊蔵は白河のほか、函館(大正5年竣工)と豊橋(大正2年竣工)のハリストス正教会聖堂の設計も手掛けており、ともに国の重要文化財に指定されている。

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明治から大正期に建てられたハリストス正教会の聖堂は白河、函館、豊橋のほか、東京(ニコライ堂)、京都、石巻にも現存する。宗教施設としての役割を終えた石巻を除き、いずれも現役の聖堂として使用されている。

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最も古いのが明治13年(1880)に建てられた宮城県石巻の旧聖堂で、東日本大震災による津波で大きな被害を受けたが流失は免れ、現在は移築復元に向けて準備が進められている。

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白河ハリストス正教会はこれらの聖堂の中では5番目に古い建物である。

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タマネギ状の尖塔を持つ屋根など、ギリシャ正教会系の教会に見られるビザンチン様式で建てられた教会である。

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換気口の金物飾り。

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平成5年(1993)に、聖堂と堂内の聖像(イコン)が福島県の重要文化財に指定されている。
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第1142回・照光寺蚕霊供養塔

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長野県岡谷市本町2丁目にある照光寺の境内にある蚕霊供養塔は、生糸の採取のためこれまで犠牲にしてきた蚕を供養するとともに、製糸業の発展を祈念して昭和9年(1934)に建てられた。生糸の一大産地であった岡谷の歴史を伝える歴史的建築物のひとつである。岡谷市指定有形文化財。

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照光寺は真言宗智山派の寺院で、平安時代頃には創建されていたものと考えられている。

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写真の本堂は寛政5年(1793)に再建されたもので、岡谷市指定有形文化財。

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養蚕が盛んな地方において、蚕を供養する供養塔、供養碑と呼ばれるものを建てる例は全国的に存在するが、木造の堂塔建築による供養塔は類例が少ないとされる。

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大工棟梁石田房茂による総檜造り、木造銅板葺の二重塔で、小規模ではあるが優美な堂塔建築である。

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昭和初期の製糸業界は世界的な不況のあおりを受けて不振に陥り、休業・倒産する工場が続出していた。製糸業が中心であった岡谷ではより深刻な状態にあった。

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そのような状況の中で製糸業関係者の呼びかけにより、製糸業の発展のため犠牲となってきた蚕を供養するとともに、製糸業の発展を祈念する供養塔の建設資金が集められた。寄付金は工場経営者だけではなく、そこで働く多くの工女など労働者からも寄せられた。

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供養塔は製糸家の多くが檀家でもあった照光寺の境内を建立地として昭和9年(1934)7月に着工、11月に竣工した。工費は当時の金額で約5,000円であった。

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中には蚕の守護神である秘仏馬鳴菩薩が本尊として納められた。竣工の翌昭和10年(1935)4月29日に第1回の本尊御開帳が行われ、以後、今日に至るまで毎年法要厳修の蚕糸祭が行われている。

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これまでに紹介した旧林家住宅旧山一林組製糸事務所旧片倉組事務所などと同様、製糸業で発展した岡谷の近代産業の歴史を伝える建物のひとつである。

第1141回・児玉町旧配水塔

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埼玉県本庄市児玉町児玉にある旧配水塔は、昭和6年(1931)に建てられた。埼玉県下では3番目に建てられた配水塔で、現存するものの中では最も古い。現在は時報塔として使用されている。国登録有形文化財。

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昭和3~9年(1928~34)に行われた旧児玉町(現・本庄市児玉町)水道施設工事の一環で建設された。

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設計は埼玉県技手の宮原雄次郎による。

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内部は上層が高架水槽、下層が揚水用ポンプ室となっている。

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隣接する地下の集水池から、下層階のポンプで上層階の水槽に汲み上げ、自然流下方式により児玉町域へ水道水を供給していた。

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その後、高圧ポンプによる配水が普及したため昭和30年(1955)に役目を終えた。

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現在は時報塔として使用されている。

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平成12年(2000)に国の登録有形文化財となった。

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平成26年(2014)には保存のための大掛かりな改修工事が行われると同時に、扉や窓枠が創建当初の色彩に戻された。

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その特徴的な外観から、地域のシンボルとして親しまれている。

第1140回・信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)

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長野県上田市常田にある信州大学繊維学部講堂は、前身である上田蚕糸専門学校の講堂として昭和4年(1929)に建てられた。三角に張り出した出窓や内部の蚕糸に因んだ彫刻などが特徴的な木造洋風建築である。国登録有形文化財。

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上田蚕糸専門学校は、養蚕業の盛んなこの地方で養蚕業・製糸業の近代化を目的として設立された旧制専門学校で、明治44年(1911)に開校した。

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第二次大戦後の学制改革で信州大学繊維学部となり、校地はそのまま同学部の常田キャンパスとして引き継がれている。

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講堂は現在も現役の施設として使用されており、訪問時も催事の会場として使われているところであった。また、映画のロケ地として使用されることも多いという。

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設計は文部省建築課、施工は地元の建設業者である柳屋組(現・柳屋建設(株))による。

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弊ブログで以前取り上げた群馬県の旧桐生高等染織学校講堂や滋賀県の旧彦根高等商業学校講堂など、明治から昭和初期に建てられた旧制専門学校の講堂には質の高い洋風建築が多いが、この建物もそのひとつである。

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講堂のほか、設立当初に建てられた門衛所煉瓦造の旧貯繭庫も現存しており、講堂と同様に国の登録有形文化財となっている。

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外観を特徴付けている三角の出窓。デザインは様式的には木造ゴシック系に属するが、細部には大正期に流行したセセッション風意匠を取り入れている。

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内部は天井の換気口や正面演壇アーチ の縁飾りなど、随所に蚕糸のシンボルである桑・繭・蛾を意匠として取り込んだ装飾が施されている。

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講堂は信州大学繊維学部を代表する建物として大切に使用されている。

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講堂のすぐそばにある旧千曲会館。上田蚕糸専門学校~信州大学繊維学部の同窓会である千曲会の会館として昭和10年(1935)に建てられた和洋折衷の木造建築。

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平成28年(2016)に上田市指定有形文化財に指定されている。

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老朽が目立つが、現在は改修に向けての準備が進められているようである。

第1139回・旧屋形医院(矢吹町大正ロマンの館)

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福島県西白河郡矢吹町本町にある旧屋形医院は、大正9年(1920)頃に建てられた木造洋風建築である。玄関ポーチから二階バルコニー周囲に施された精緻な漆喰装飾が特徴的であったが、東日本大震災で大きな被害を受けた。一時は解体も検討されたというが地元の熱意で平成28年(2016)に「大正ロマンの館」として甦った。

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旧奥州街道沿いに建つ「大正ロマンの館」。1階が食事も提供しているカフェ、2階は地元の子供たちのための学習スペースと貸会議室となっており、従業員にその旨を伝えれば建物の見学もできる。

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館内に飾られている創建当初の古写真。柱頭飾りの付いた円柱とアーチで飾られた重厚な玄関ポーチが特徴で、平成23年の東日本大震災までは、ほぼ創建当初の姿を残していた。(こちらのブログが震災前の姿を紹介されている)

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震災で玄関ポーチは崩壊、建物本体も大きく損傷したため解体も検討されたが、地元では長年親しまれてきたことから存続を望む声が上がり再生された。再建された玄関ポーチは簡素なものとなったが、2階正面の切妻まわりの漆喰装飾は旧いままで残されている。

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この洋館を建てた屋形貞医師は福島県浜通り(太平洋に面した東部)の相馬の出身で、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)で医学を学び、勤務医を経て矢吹町にて医院を開業した。

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屋形医師は現金で診療費の払えない患者からは代わりにかんぷら(ジャガイモを指す福島方言)を受け取っていたことから「かんぷら医師」と呼ばれ親しまれ、医院の建物も町の晴れの場として使用されることもあったという。

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大戦末期の昭和20年(1945)1月に屋形医師が61歳で死去した後、建物は2代の医師によって昭和40年代の終わり頃まで使われていたが、その後は「大正ロマンの館」として再生されるまで長らく空家となっていた。(参考 大正ロマンの館 Facebook

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内部は改装されているが、扉やかつての受付の窓など、古い建具類が再利用されている。

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部屋毎に意匠の異なる天井はもとの造りをそのまま残している。

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かつてこの館で使われていた古い戸棚などの家具類にも、再利用されているものがある。

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階段室。

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階段の手摺。

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二階の旧院長室は現在学習室として開放されている。室内のテーブルは町内の中高生による手作り。

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旧院長室の天井中央部には見事な漆喰細工の龍がいる。

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百年近く使われ続け、これからも使われてゆく扉。

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玄関ポーチ上部のバルコニーに出られる硝子戸。
左の扉は学習室で、この反対側に現在は貸会議室となっている部屋がある。

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バルコニーから2階正面切妻の漆喰装飾を見る。

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この建物の魅力のひとつは、内外に施された精緻な漆喰装飾。
玄関ポーチが失われたのが惜しい。

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現在は基壇の石だけが往年の面影を残している。

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長年に亘って多くの人に親しまれ、震災からも甦った幸せな建物である。

第1138回・南会津町田島の石蔵風洋館

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前回紹介した旧南会津郡役所の近くに、戦前のものと思われる石蔵風の洋館がある。この建物については情報が少なく詳細は不詳であるが、南会津町田島(旧田島町)における文化的価値が高いと思われる建物のひとつなので紹介させて頂く。

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この洋館は旧南会津郡役所から徒歩で数分程度の距離に建っている。旧田島町は江戸時代には日光街道(下野街道、会津西街道等の呼び名もある)の宿場町として繁栄していたことから、かつての街道である国道121号線沿いにはこの洋館を始め古い建物が点在している。

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道路に面して石蔵があり、後ろに石蔵風の洋館、そしてその背後には木造和風の二階家が建っている。

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左右対称で正面上部には半円形の妻壁を立ち上げ、玄関には堂々とした玄関ポーチを張り出した立派な造りの洋館である。

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街路に面して建つ石蔵。

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南会津町は栃木県に比較的近い位置にあるためか、洋館と石蔵は大谷石を積み上げて造られている。

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窓周りや玄関ポーチは御影石など異なる種類の石を用いている。玄関扉も創建当初からのものと思われる重厚な木製扉である。

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背後の和風建築が居住棟で、正面の洋館は迎賓用の空間、または事務所として建てられたものと思われる。玄関扉などの建具も凝ったものになっていることから、中の造りも気になる建物である。

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石蔵にも洋風の玄関ポーチが備わっている。

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栃木県内では宇都宮市西郊の大谷(おおや)町を中心によく見られる大谷石の石蔵であるが、福島県内ではこのような立派な大谷石の石蔵はあまり見られないのではないだろうか。

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個人的には旧南会津郡役所にも劣らない貴重な建物だと思う。
ぜひ町の文化財として今後も保存して欲しい。

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旧街道沿いには他にも魅力的な古い建物が残されている。
洋館とは目と鼻の先にある國権酒造。明治10年(1877)創業の老舗で福島県有数の蔵元である。

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街路に面して建つ3階建の蔵には、上部の窓を洋風のアーチ窓とする。

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國権酒造の前を過ぎたすぐ先には、唐破風の玄関が印象的な和泉屋旅館がある。現在も昭和9年(1934)創業当時の建物で旅館を営んでおり、建物は国の登録有形文化財となっている。

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内部は立派な造りの書院座敷の他、外観からは想像できないが敗戦後占領軍の指定旅館となった際に造られた洋室があり、現在も客室や会議室としてそのまま使用されている。ぜひ泊まって内部も見てみたい宿である。
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