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第1168回・石谷家住宅

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鳥取県八頭郡智頭町にある石谷家住宅は、山林経営を主業としていた石谷家によって大正中期から昭和初期にかけて造営された大規模な近代和風建築。当地の特産である杉などの良材を用いており、豪壮な土間空間や意匠を凝らした座敷飾り、階段などが見どころである。国指定重要文化財。

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正面から望む石谷家住宅。江戸時代には参勤交代の宿場町としても栄えていた智頭宿でも、最も広壮な構えを誇る。石谷家は近世以来続く旧家で、明治以降は山林地主として林業経営を主業としていた。

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大正8年(1919)、当時の当主で衆議院議員、貴族院議員も務めた石谷伝四郎(1866~1923)によって改築工事が開始された。江戸時代より建っていた主屋を始め、土蔵など附属建物も含めた大規模な工事であった。

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工事の途中であった大正12年に、当主の石谷伝四郎は滞在先の帝国ホテルで客死するが、実弟で第一高等学校教授であった石谷伝市郎によって改築事業は引き継がれ、約10年の歳月をかけて昭和4年(1929)には完成した。

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土間の木組が豪壮な主屋は昭和3年(1928)に完成、翌年には式台を備えた玄関棟などが整備された。なお、完成後も茶室や座敷の増築が行われ、現在の姿ができあがったのは戦時中の昭和18年(1943)頃とされている。

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石谷家住宅には多くの座敷や部屋が存在するが、住居や迎賓施設としての役割だけではなく、山林経営の事務所としての役割も担っていた。

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松の巨木が交差している土間及び囲炉裏の間の天井は圧巻であり、当邸の大きな特徴となっている。

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式台のある本玄関を入ってすぐの位置に設けられている和式応接室。
床柱を立てない珍しい造りの座敷である。

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和式応接室の書院飾り。欄間は石谷家の全景を鳥瞰した図柄となっている。

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和式応接室の濡れ縁から中庭を望む。

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応接室の先には畳廊下が延びている。

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畳廊下の窓から望む中庭と和式応接室。

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畳廊下沿いには庭園に面した新建座敷、江戸座敷、茶室などの接客空間が広がっている。  

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昭和16~18年(1941~43)頃に増改築されたとされる新建座敷。天井板などに屋久杉などの良材を用いた、戦時中の工事とは思えない良質の座敷である。

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改築に際しては古い家屋を全て撤去せず、一部の座敷や土蔵、庭園など、手を加えつつも江戸時代以来の歴史を有する空間は保全している。写真の仏間も仏壇のほか、天井板、長押などの内装材には改築前の古材を再利用している。

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改築に際しても撤去されず、古い建物自体が残る江戸座敷は次の間と主室から構成されている。写真は次の間。

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江戸座敷の主室。天井の棹が床の間に向かって伸びているのは「床挿し」と称され、江戸中期以降に見られるという珍しい造りである。平書院のハート状の意匠も珍しい。

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江戸時代以来の由緒を残す空間を残しつつ、大規模な改築が施された旧家としては、同時期に改築工事が行われた千葉県野田市の高梨本家(上花輪歴史館)を思い出させる。

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江戸座敷は新建座敷と共に、庭園を望む格好の場所である。大きな池のある庭園は江戸時代以来の形を残しており、県の名勝に指定されている。

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接客用空間のなかでは最も奥まった位置にあり、池に臨む形で建っている茶室。昭和4年の改築工事完成から新建座敷が建てられるまでの間に建てられたと思われる。

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石谷家の居住空間となっていた居間や食堂は、昭和11年(1936)頃に医師で鳥取県における民芸運動の指導者でもあった吉田璋也の指導によって改装されており、床を寄木張りとし洋式家具を配した和風モダンとでも称すべき造りになっている。写真は前室で、居間・食堂は現在は喫茶室として活用されている。

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近代和風建築にふさわしい造りは階段室にも見ることができる。2つある階段のひとつは螺旋階段となっており、曲線を持つ手摺りなど、どことなくアールヌーボー風である。

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設計・工事監督を務めた田中力蔵は英国に留学した経歴があり、階段のデザインに何らかの影響が表れていると考えられないだろうか。

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この螺旋階段は上へ上ると吹き抜けを跨ぐ太鼓橋になっている。和風建築は伝統的に階段を見せ場とする考え方は無く、近代の和風建築でも階段にデザインを凝らしたものは多くない。その点でも石谷家住宅の階段は非常に珍しい。

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二階には神棚を祀った神殿室があり、正月には祭祀が行われていた。

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二階の座敷の一室。山で働く人達の宴会部屋にも使われていたそうだ。

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細部にも見所が多いのが石谷家住宅の魅力である。
屋根は黒い石州瓦で葺かれており、この家のための特注品である。石谷伝四郎の恩顧を受けた彫刻家の國米元俊が鬼瓦の意匠と邸内欄間の製作を手掛けている。写真は鬼瓦の一部。

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照明器具も大正末期から昭和初期のものと思われるものが多く残されている。

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本玄関、内玄関、主屋入口の照明や濡れ縁の釣燈籠も創建当時のものと思われる。

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石谷家住宅は国登録有形文化財を経て平成21年(2009)には国指定重要文化財となった。現在は智頭町によって管理され、邸宅の主要部が一般公開されている。本記事で紹介したのは邸宅のごく一部分に過ぎず、是非現地へ訪れて見て頂きたいすばらしい建物である。
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お見舞い(大阪府北部地震について)

本日の大阪北部の地震で亡くなられた方の御冥福をお祈り申し上げます。
また、被災された全ての方に心よりお見舞い申し上げます。

リンクを張らせて頂いている方にも大阪在住の方が居られますが、ブログ主にとっては大阪府は自身の出身地であり、近親者や多くの友人知己の居る土地だけに居たたまれない思いでおります。
これまで弊ブログで紹介したものを含め、多くの貴重な歴史的建築の被害と今後の存否についても非常に案じられます。

一日も早い災害の収束と、早期の復旧・復興が実現されることををお祈り申し上げます。

第1167回・旧山中正吉邸

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滋賀県蒲生郡日野町西大路に、静岡の富士宮で酒造業を営んでいた日野商人・山中正吉家の本宅がある。幕末から昭和期にかけて建てられた和と洋の建物で構成される邸宅は現在、「近江日野商人ふるさと館 旧山中正吉邸」として一般公開されている。 日野町指定有形文化財。

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当地の氏神であり、日野商人の崇敬を集めていた馬見岡綿向神社の参道沿いに建つ旧山中正吉邸。紅い緋毛氈が掛けられた窓は日野の旧家ではよく見られる桟敷窓で、春の例祭である日野祭の曳山を見るためのものである。通常は格子が閉じられているが、訪問時は祭があるときの設えになっていた。

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側面から見る旧山中正吉邸。間口も広いが奥行きはさらにあり、広大な敷地からは往年の隆盛が偲ばれる。
山中正吉家は、幕末に当たる文政~天保年間に富士宮で酒造業を始め、財を成した。戦後は酒造業から手を引いたが、酒蔵は現在も富士高砂酒造(株)として盛業中である。

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大正8年(1919)に敷地北側の大幅な拡張が行われたことにより、三代目山中正吉によって大正末期から昭和初期にかけて、洋室棟、新座敷、庭園等の整備が行われた。写真右側手前の建物が洋室棟で、その奥に屋根を見せているのが新座敷。

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門をくぐるとすぐ現れる主屋の玄関。
左側には自然石を立てた門があり、洋室棟の玄関に通じている。

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主屋玄関の土間。主屋は江戸時代末期の建物で、邸内では最も古い部分。この主屋に明治以降様々な建物が増築され、昭和13年(1938)頃には、邸宅の主要部が現在見られる姿に整ったとされる。

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神棚のある座敷。黒光りする太い柱や板戸など、田舎の古い農家でよく見られる佇まい。

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田の字型に四つの部屋を配して台所土間には竈(くど)を置いており、当地の伝統的な農家の造りとなっている。

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台所に面した「おちま」の一角に設けられた電話室には、山中家で使用していた古い電話機が現在も残されている。明治45年/大正元年(1912)の製造銘版がある沖電気(株)製の国産品で、レシーバーなどの附属品も一式揃っているという珍しい代物。

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主屋仏間の床の間。
床の間の向かいに仏壇が置かれていた。

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明治期に増築された座敷の一室。写真の座敷は四代目夫人が床の間に達磨を飾り、従業員への訓戒を行っていたことから「だるま部屋」と称されている。奥には女性の身支度部屋であった髪結場と称する二畳敷の部屋もあり、当時の暮らしが窺える。

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桟敷部屋。静岡の店の売上金を納める金庫や書類棚などが置かれ、この家の中心部であったと思われる。日野商人の多くは山中正吉家と同様、東日本に商業上の拠点を置き、本宅を日野に置いていた者が多かったという。

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旧山中正吉邸を特徴づけているのは、三代目当主によって大正から昭和初期に造営された洋室、新座敷などの質の高い接客空間である。五個荘の藤井彦四郎邸ほどの豪壮さはないが、造りの充実ぶりは相当なものである。

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大正15年(1926)以前には建てられていたと考えられる洋室棟。
暖炉を備えた重厚な洋室は、商談の場としても使われていたという。

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洋室棟は主屋と通路でつながっているが、別に洋風の専用玄関も備えている。洋室棟玄関の扉やホールの窓にはステンドグラスが飾られている。写真の左奥が洋室棟の玄関。

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家具調度を含め、大正時代で時が停まったような空間である。

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洋室の奥には昭和に入ってから完成した新座敷と庭園、来客専用の浴室棟がある。

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昭和2年(1927)頃には竣工したと考えられている新座敷の主室床の間。

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新座敷の六畳間から望む主室及び次の間。新座敷は主室、次の間、六畳間の三室が鉤の手形に配された接客用の座敷で、材料、意匠共に技巧を凝らす。

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専用の庭園と浴室を備えた贅沢な座敷である。現在はこの部屋で日野の郷土料理を賞味することもできる。(但し、一定人数以上での事前予約が必要)

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新座敷の向かいに建っている来客用の浴室棟。脱衣室と浴室で構成されており、屋根には現存する当時の建設書類に「レジスター」と記載されている金属製の湯気抜きが立っている。

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網代天井など数寄屋風の意匠が施された脱衣室。
浴室棟の建設時期は、昭和8年(1933)の設計図及び見積書が残されていることから、それ以降の竣工と考えられている。

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浴室内部。大理石の浴槽、シャワー、洗面台、窓のステンドグラスなど、ほぼ竣工当時のまま残されている。

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浴室のステンドグラスは新座敷から外側がよく見られるような配置になっている。
宿泊した客人が夜、浴室の明かりに輝くステンドグラスを見られるための演出であろうか。

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浴室と洋室玄関のステンドグラス。

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新座敷の便所と洗面所には、「山」と「中」の文字をデザインしたような意匠の建具を嵌め込んだ小窓がいくつも設けられており、それぞれ異なる種類の型押し硝子が入っている。

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洋室棟、新座敷の照明器具のいろいろ。

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近年まで山中家によって大切に扱われてきたこともあり、造りの良さもさながら保存状態は極めてよい。
旧山中正吉邸は平成27年(2015)、日野商人の代表的な本宅建築として有形文化財の指定を受け、同年4月より一般に公開されるようになった。

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滋賀県内に現存し公開されている近代の邸宅では、旧山中正吉邸はこれまでに紹介した旧伊庭貞剛邸旧山本春挙邸旧藤井彦四郎邸旧ヴォーリズ邸旧伊庭慎吉邸などと並ぶ優れた文化遺産であると思う。

第1166回・旧藤井彦四郎邸(五個荘近江商人屋敷藤井彦四郎邸)

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滋賀県東近江市宮荘町にある「五個荘近江商人屋敷 藤井彦四郎邸」は、「スキー毛糸」の製造販売などで成功を収めた当地出身の実業家・藤井彦四郎が故郷に建てた邸宅。江戸時代からの旧い家屋をそのまま移築した主屋と、和洋併置の迎賓館で構成されている。迎賓館は山小屋風の洋館や総檜造りの客殿など、見どころが多い。

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石畳の奥に洋風の門を構える。この邸宅は迎賓館を兼ねた故郷の本邸で、生活の本拠は京都市左京区鹿ケ谷にあった京都本邸「和中庵」であった。現在、この邸宅はノートルダム女学院が所有しており、洋館と主屋の客殿部分、茶室、土蔵が現存する。(この邸宅は当ブログで以前紹介しているので御参照頂きたい)

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門を入ると正面に和風の客殿、向かって左側には迎賓用の洋館が建っており、右側には京都に移るまで藤井彦四郎の生活の本拠であった江戸時代創建の主屋が建っている。近江商人の家に生まれた藤井彦四郎(1876~1956)は、明治末年より人工絹糸(人造絹糸、レーヨン)の輸入販売を行い、日本の化学繊維市場の礎を築いた1人とされる実業家である。

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洋館は山小屋(シャレー)風の外観となっている。藤井彦四郎が産業視察のため欧州を訪れた際、スイスの山小屋に魅せられ建てたとされる。丸太を重ねたシャレー風の洋館は日本では比較的珍しく、東京の岩崎邸撞球室や越前海岸の右近家離れ、京都の大山崎山荘の茶室などがあるが、類例は比較的少ないと思われる。

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客殿と洋館の間に建っている小さな茶室風の建物は賓客用の便所である。

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洋館のテラスには以前は展示品の古い消防ポンプなどが置かれていたが、現在は他所に移されている。建物自体を展示対象として見せるためのこのような取り組みはすばらしい。

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(左)洋館の隅に1基だけ設けられている吹きさらしの小便所。迎賓用の建物になぜこのような外便所があるのか謎である。
(右)洋館玄関から便所棟を望む。この便所は内側からだけで、外からは出入りできない。

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洋館の内部は暖炉を備えた広間1室のみで、賓客の接待や社員の研修、地元住民との親睦など多目的に使われていた。テラスには洋館専用の玄関があり、客殿を通らずに外から直接出入りできるように造られている。

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邸宅の正面中央、正門の突き当りに設けられた客殿玄関。

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客殿と洋館は昭和7年(1932)より建設に着手、2年後の昭和9年(1934)に完成したとされる。但し宅地の造成や敷地内にあった主屋の移築など一連の工事は大正年間より着手しており、かなり長い期間をかけて造られた邸宅である。

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客殿は3室が続き間になった総檜造の平屋建書院造で、庭園に面して広い縁側を廻している。

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皇族など貴賓を迎えた書院座敷。椅子や火鉢は当時使用された特別製のものである。

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間取りは京都本邸「和中庵」に現存する客殿と非常によく似ている。

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書院座敷の床の間の天井は、精緻な造りの折り上げ格天井となっている。

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客殿から洋館へと続く渡り廊下。竹や丸太を用いた船底天井など数寄屋風に造られており、その途中には先述の賓客用便所がある。

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賓客用便所の内部。
手前には小便器と手洗用の手水鉢を配している。

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よく見ないと分からないが、蓮の葉を象ったと思われる手水鉢には蛙が一匹取りついている。

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重厚な雰囲気の洋館内部。太い格天井の天井板には杉皮が張られており、スイスの山小屋風の外観に対し、内部は和洋折衷の色合いが強い。

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暖炉は煉瓦積みで、山小屋風の外観にふさわしい素朴なものとなっている。

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創建当初からの家具調度類が残されているが、特徴的なのは欧州訪問の際に現地で買い付けたという古い廃船の備品(書棚、ポーカーテーブル)や暖炉上の操舵輪がある。なお、このとき同行した子息の藤井繁次郎は、昭和11年に京都に自邸を新築した際、前年に尾道で解体された英国の豪華客船のインテリアを移設している。(現存。国の登録有形文化財である。)

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客殿の前には藤井彦四郎の構想に基づいて造られたという、琵琶湖を象ったという庭園が広がっている。

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庭園側から見た洋館。

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庭園側から見る客殿。

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客殿の角に設けられた、月見台のような外縁側。

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外縁側を支える基壇の石には鳥、兎、亀などの動物がいた。

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客殿から主屋へと続く渡り廊下の手前には、賓客用の湯殿と洗面所も設けられている。

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客殿と主屋を結ぶ渡り廊下も数寄屋風の造りになっているが、途中の一部分のみ防火構造になっている。(写真右側手前の少し張り出した部分)台所など火を使う部分は主屋にあるので、万一の際に客殿に難が及ぶのを防ぐための工夫だろうか。

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寛政年間の築と伝わる主屋は、明治32年(1899)に藤井彦四郎の父である三代目藤井善助が買い与えたもので、昭和7年(1932)に敷地内で移築、改修が行われた。

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住居棟のほか土蔵や物置などの付属建物も含め、一式が原型通り移築されている。
客殿や洋館が建った後も、藤井家の人々の生活の場はこの主屋であったという。

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贅を尽くした客殿や洋館と異なり、ごく質素な造りの商家の建物であるが、藤井彦四郎にとっては成功を収めるまでの三十数年間本拠としていた、思い入れの深い建物であったようだ。

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旧藤井彦四郎邸は、現在は東近江市の施設「五個荘近江商人屋敷 藤井彦四郎邸」として一般公開されている。また、主屋は国の登録有形文化財となっており、客殿と洋館が滋賀県の指定文化財、庭園が名勝にそれぞれ指定されている。

第1165回・ベルギー王国大使館別荘

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かつて国際的な避暑地として繁栄した日光の中禅寺湖には湖畔に面して、明治から昭和初期にかけて建てられた欧州4ヶ国(イギリス、フランス、イタリア、ベルギー)の大使館別荘が建ち並ぶ。今も現役で使用されているのはフランスとベルギーのみであるが、昭和3年(1928)に建てられたベルギー王国大使館別荘が、平成30年6月のうち日を限って特別公開されている。

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大使館別荘群は中禅寺湖の東岸にあり、イギリスとイタリア、フランスとベルギーがそれぞれ隣り合って建っている。写真の建物は大正11年(1922)に建てられたとされるフランス大使館別荘。和風を基調とした簡素な建物である。

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フランス大使館別荘に隣接して建っているのが今回紹介するベルギー大使館別荘。湖岸を走る道路とは高いブロック塀で隔てられており、通常は道路側からは屋根しか見ることができない。

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イギリスイタリア両国の大使館別荘は既に現役を退き、共に文化財として一般に公開されているが、フランスとベルギーは現役で通常非公開である。湖畔に面した姿も普段は湖上からしかその姿を見ることは出来ない。

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ベルギー王国大使館別荘は、昭和3年(1928)、大倉財閥の二代目総帥である大倉喜七郎(1882~1963)男爵が建設、ベルギー王国大使館の夏季別荘として当時のベルギー国王、アルベール1世(1875~1943)に献上したとされる洋館である。

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イギリス、フランス、イタリアの3ヶ国の大使館別荘がいずれも和風を取り入れているのに対し、ベルギー王国大使館別荘は内外装ともに純洋風で仕上げられているのが特徴である。

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4棟の大使館別荘の中では同じ昭和3年に建設された旧イタリア大使館別荘と並び、最も新しい時期の建物であるが、今年で建設から90年を迎える。

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ペンキ塗り下見板張りの外壁にハーフチンバー風の意匠を施し、湖畔に面した側にはベランダやサンルームを配した、変化に富んでいる外観が特徴である。

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二階窓の下はハーフチンバー風の洋館に多く見られる、木材を交差させた意匠とするが、通常より柱が1本多く湖畔側の二階ベランダ手摺と対応したものとなっているなど、意匠も凝ったものとなっている。

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二階の鎧戸には、星と三日月の形にくりぬいた装飾が施されている。

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別荘建設90周年を記念し、ベルギー王国大使館の協力による栃木県の事業として初の一般公開が行われた。

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玄関欄間の飾り窓。

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玄関まわりの内装は、細い格子の天井も壁の柱や長押も茶色く塗られ、重厚に仕上げられている。

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後年の改装かも知れないが、玄関より先は階段ホールも各部屋も明るい色調で仕上げられている。

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階段。2階は非公開。
今回の一般公開では、来客を迎えるための公的スペースである1階サロンとテラス、サンルームが公開されていた。

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階段の手摺子は算盤の玉を並べたような意匠となっている。

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1階にはサロンとして使われている2つの洋室があり、うち1室は石積みの暖炉を備えている。また、湖岸に面したテラスに出ることもできるように造られていた。

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暖炉のそばには配膳用と思われる小さな窓があった。

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湖岸の石を積み上げたものと思われる、素朴な石積みの暖炉。

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淡い黄色の色硝子を嵌め込んだ硝子戸。

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2室あるサロンは硝子戸で仕切られており、続き間として使えるようになっている。

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湖畔に面したテラス。
入口脇には石で出来た造り付けのプランターボックスがある。

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テラスから望む、雨に霞む中禅寺湖。

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比較的小さな規模の方のサロンは、家具の配置からして食堂として使われているようだ。

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湖岸に面した西側には、吹きさらしのテラスと大きな窓を配したサンルームが設けられている。

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外観、内装共に非常に質の高い洋館であるが、設計者は不明のようである。

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高橋貞太郎(川奈ホテルの設計者として建て主の大倉喜七郎男爵とは関係が深い)
木子七郎(別荘竣工とほぼ同時期に、ベルギーから贈られた小便小僧像を大阪の自邸に置いている)
J・M・ガーディナー(オランダなど各国大公使館の施設を多く手掛け、日光の教会に遺骨を埋めるなど当地との縁が深い)

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(全くの個人的見解であるが)関連のありそうな建築家として上記に記すような人物を考えてみたが、この洋館と結びつけられるようなものを見出すことはできなかった。

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今後予定されている特別公開日は、6月16~18日、23~25日の6日間である。

第1164回・近江鉄道鳥居本駅

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前回紹介した滋賀県彦根市の鳥居本には、旧本陣の寺村家と同様に国の登録有形文化財となっている近江鉄道鳥居本駅舎がある。赤い屋根が特徴的な洋館駅舎は昭和6年(1931)の駅開業に際して建てられた。

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旧中山道から望む鳥居本駅舎。
寺村家などがある宿場町からは徒歩数分程度の距離にある。

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正面全景。赤い洋瓦を葺いた腰折れ(マンサード)屋根が特徴で、玄関ポーチと煙突が外観にアクセントを添えている。屋根が印象的な駅舎としては島根県出雲市の一畑電鉄出雲大社前駅と並ぶ存在である。

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駅のすぐ前を近畿と北陸を結ぶ幹線道路である国道8号線が通っており、車の往来が激しい。
写真を撮るには車の切れ目を狙う必要がある。

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なお、東海道新幹線もすぐ近くを走っており、新幹線の車窓からこの駅舎を見ることができる。

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近江鉄道は滋賀県下では最古の私鉄で、明治29年(1896)に設立され、最初の路線である彦根~愛知川間が明治31年(1898)に開業した歴史を有する。

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両側の側面にはアーチ型の高窓を設ける。

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駅正面の玄関ポーチ。

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玄関ポーチのある正面向かって左側が待合室で、右側が駅務室となっているが、現在は無人駅である。

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待合室内部。

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屋根の形がそのまま天井の形状に反映されている。

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プラットホームから線路越しに望む駅舎。

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平成25年(2013)に国の登録有形文化財となっている。

第1163回・寺村家住宅と鳥居本の街並み

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滋賀県彦根市にある鳥居本町は、かつての中山道63番目の宿場(鳥居本宿)で、現在もかつての宿場町の面影を残す家並みが残されている。その一角に建つ寺村家はかつての本陣であり、現在の建物は、昭和12年(1937)に近江八幡を拠点に活動した米国人建築家ヴォーリズの設計により改築されたもので、和洋折衷の外観が特徴である。国登録有形文化財。

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かつての本陣跡とあって、周辺の家よりは広い敷地の奥まった位置に建つ寺村家。
慶長8年(1603)に、中山道の宿場が鳥居本に移って以来、この地に本陣を構え多くの大名が宿泊した。

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広大な本陣の建物は明治維新後、宿舎部分は敷地と共に売り払われ、昭和初期には老朽化の進んだ住居部分だけが残されていた。これを建て替えたのが現在の建物である。なお、敷地内にある倉庫の扉には本陣の門扉が再利用されている。

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和風のこじんまりとした二階家であるが玄関脇にはどっしりとした煙突が立ち、暖炉のある洋室が存在することが窺える。

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改築設計の依頼を受けたヴォーリズは改築前の本陣の建物を見に来たという。古い本陣の雰囲気を継承させようとしたのか、周囲の家並みと調和させようとしたのか、二階は天井を低くして虫籠窓風の窓を配するなどの和洋折衷の試みが見受けられる。

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数寄屋風の玄関ポーチの横は応接間であり、暖炉用の煙突を挟んで洋式の縦長窓を並べる。
室内も和室が中心であるが、応接間と階段室は洋風に造られているという。

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ヴォーリズは洋風をベースにしつつも和風を積極的に取り入れた住宅を多く設計しているが、古民家風の意匠を取り入れた寺村家の建物はヴォーリズの住宅としては少し異色の存在ではないだろうか。

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鳥居本の街並みは往年の宿場町の風情を残しており、街道沿いには古い町家が今も残されている。これらの中には国もしくは市の指定文化財、寺村家と同様登録文化財となっている建物もある。

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寺村家の向かい側にある岩根家は彦根市の指定文化財。宿場町として賑わっていた頃、当時の旅人には必須の品であったであろう、合羽(カッパ)を造る家であった。現在も軒下には合羽を象った大きな木製看板が吊り下げられている。

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街道が大きくうねる位置に建つ有川家(赤玉神教丸本舗)は、当地に現在残る旧い家の中では最も広壮で重厚な構えを見せている。写真の主屋と隣接する書院、付属の蔵などが国の重要文化財に指定されている。

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有川家は薬の製造販売業を営んでおり、現在も有川製薬(株)としてこの地で盛業中である。

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複雑な形状の屋根を連ねた書院棟とその前に設けられた薬医門。
書院は明治天皇が全国を巡幸された際の休憩所となった由緒も持つ建物である。

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鳥居本では地元の人々によって古い街並みを残すための活動が行われており、寺村家を始めとするいくつかの古い建物が登録文化財になっているのもその成果と思われる。これらの建物と街並みが今後より実効性のある制度で保全されていくことを願うばかりである。

第1162回・旧第三銀行倉吉支店(協同組合倉吉大店会)

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前回に引き続き、鳥取県倉吉市の打吹玉川伝統的建造物群保存地区にある銀行建築である。魚町にある協同組合倉吉大店会の建物は、明治41年(1908)に第三銀行倉吉支店として建てられた。明治中~後期に各地で建てられた土蔵造の銀行建築の特色を備えており、内部は吹き抜けの営業室など洋風に造られている。鳥取県における国の登録有形文化財第一号である。

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全景。奈良時代からの歴史を有する旧街道、倉吉往来に面して建っており、角地に玄関ポーチを張り出す。明治38年(1905)に火災により魚町一帯が火災で焼失したことを機に、明治41年(1908)に土蔵造で再建された。

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旧第三銀行の「三」の文字をあしらった瓦が現在も残されている。第三銀行は明治9年(1876)に設立された国立第三銀行を前身とする銀行(明治29年に「第三銀行」に改称)で、のちに安田財閥の中核であった安田銀行の前身となった。(三重県にある第三銀行とは無関係である)

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土蔵造の銀行建築は、伝統的な土蔵造の外観と洋風の内装が特徴である。耐火性や安全性において江戸時代から実績があり、また社会的地位の象徴として認知されていた土蔵造は、信頼性が重視される銀行建築の恰好の様式として明治中~後期にかけて各地に建てられた。

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土蔵造の銀行建築は富山県砺波市の旧中越銀行本店や明治村に保存されている旧安田銀行会津支店など外壁を黒漆喰仕上げとするものが多く、白漆喰仕上げのものは珍しい。

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内部は一転して吹き抜けのある洋風の造りとなっている。
金融機関として使われた後は協同組合倉吉大店会の事務所として使われ、現在はレストラン・カフェ「白壁倶楽部」として営業している。

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平成28年10月の鳥取県中部地震で被災し一時閉鎖されていたが修復され、営業を再開している。

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旧営業室天井の漆喰飾り。

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現在は地元産の食材を使ったフランス料理を提供しているほか、結婚式場として利用されるなど、倉吉でも指折りの人気のある場所となっている。

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かつてのカウンターに立てかけられている、金融機関として使われていた当時の古い看板の数々。

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2階へ続く階段。

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階段親柱と手摺。木目を見せるためにニスを薄く塗るのは日本的。
洋風の造りであるが、この階段の他にも随所に伝統的な大工棟梁の感覚で造られたことが窺える箇所がある。

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二階から吹き抜けを見下ろす。吹き抜けの周囲には回廊(ギャラリー)を廻す。

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二階にある個室。
営業室の吹き抜けに面しており、かつては重役室か会議室として使われていたと思われる立派な造りの洋室。

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天井の照明台座に施された漆喰装飾。
装飾の葡萄は平坦なレリーフ状のものと下に垂れ下がる立体的に造られたものがあり、左官細工も凝っている。

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窓や扉の額縁は太い一本ものの材木にモールディング(繰形)加工を施しており、腰壁にも幅広の板を用いるなど、材木に贅を凝らしている。

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派手さはないが、細部まで入念に造り込まれた質の高い銀行建築である。
なお、鳥取県に隣接する島根県の松江市にも、旧第三銀行松江支店の建物が現存する。倉吉と同じく白漆喰仕上げの土蔵造の銀行建築である。
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