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第1175回・旧黒羽銀行(足利銀行大田原支店)  

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栃木県大田原市黒羽向町にある足利銀行大田原支店は、明治時代に建てられた土蔵造りの店舗で現在も営業を行っている。土蔵造の銀行建築は明治中~後期に各地で建てられたが、現在も金融機関として現役で使われているものは極めて珍しい。国登録有形文化財。

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元々は明治30年(1898)10月に設立された黒羽銀行の店舗で、明治末期の建設とされる。

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黒羽銀行は黒羽地区最古の銀行であったが、昭和に入ると金融恐慌の影響で経営が悪化する。昭和11年(1936)に足利銀行に合併されて同行の支店となり、現在に至っている。

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伝統的な土蔵造の外観に、内装を洋風とするなど和洋折衷の造りを特徴とする土蔵造の銀行建築は、明治中~後期にかけて各地に建てられた。

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耐火性や安全性において江戸時代から実績があり、また社会的地位の象徴として認知されていた土蔵造は、一時的ではあったが信頼性が重視される銀行建築の恰好の様式として受け入れられていた。

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大正時代以降、土蔵造の銀行建築は急速に廃れ、栃木県内では旧黒羽銀行が現存する唯一の事例とされるが、現在も金融機関として使用されているのは全国的に見てもここだけではないかと思われる。

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入口の防犯防火用の扉も、シャッターではなく重厚な観音開きの鉄扉である。訪問したのは休業日であったが、この内側には昔ながらの木製の硝子戸があり、自動ドアに改造されながらも玄関扉として現在も使用されているようである。

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外壁は富山県砺波市の旧中越銀行本店(現在はタイル貼りに改装されている)や金沢市の旧金沢貯蓄銀行(現・尾張町町民文化館)と同様、土蔵造の銀行建築に多く見られる黒漆喰で重厚に仕上げられている。

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内部は現役の金融機関であることからそれなりに改装されていると思われるが、どのぐらい改変されているかはわからない。

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屋根の上には洋風の装飾が施された避雷針が立っている。

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2階の屋根瓦には「黒羽銀行」の文字があり、同行の行章と思われるマークも見られる。

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他に現存する土蔵造の銀行建築としては、先述の2件のほか、鳥取県倉吉市の旧第三銀行倉吉支店や愛知県犬山市の明治村に移築されている旧安田銀行会津支店などがある。
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第1174回・旧八幡町役場(郡上八幡旧庁舎記念館)

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岐阜県郡上市八幡町島谷にある郡上八幡旧庁舎記念館は、昭和11年(1936)に建てられた旧八幡町役場庁舎で、平成6年(1994)まで庁舎として使用されていた端正な外観の木造洋風建築である。現在は内部を改修し、観光案内所等として活用されている。国登録有形文化財。

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郡上八幡は旧八幡町を中心に城下町の風情をよく残し、奥美濃の小京都とも称される。市街地の中心を流れる吉田川は先日の平成30年豪雨では氾濫寸前であったが、訪問時には穏やかな流れとなっていた。

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郡上八幡旧庁舎記念館は旧八幡町の中心街に建っている。

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建物のすぐ脇を吉田川が流れている。かつてこの地には川の水利を利用した製糸工場があり、大きな水車が有名であったという。大正11年(1922)に八幡町役場が移転、その後改築されたのが現在残る建物である。

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木造二階建ての洋風建築で、設計は野村建築事務所、施工は地元の大工棟梁水谷藤兵衛とされる。1階は町役場の執務室、2階が町議会として使用されていた。

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写真左側に写る伝統的な造りの土蔵は旧庁舎と同じ昭和11年に建てられたもので、文書等の保管庫として使用されていた。庁舎と同じく国の登録有形文化財である。

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外壁をペンキ塗りの下見板張り仕上げとする木造洋風建築は明治以降全国的に普及し、地方の学校や役場では昭和に入っても盛んに建てられていた。

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正面及び側面の2ヶ所に設けられた玄関ポーチのみ外壁を洗い出し仕上げとしており、石造風の重厚な造りとなっている。

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玄関ポーチの照明燈。

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「八幡町役場」と記された右書き表記の銘版。

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昭和初期の建物らしく、腰壁には茶褐色のスクラッチタイルが貼られている。

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館内は改装されており、観光案内書のほか土産物店や食事処、喫茶コーナーが設けられている。かつてのカウンターや天井、階段など随所にもとの造りが残されている。

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手摺りに竹を用いるなど和風を加味した2階への階段。

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吉田川に面した位置には観光客が休憩できるデッキも設けられている。

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平成10年(1998)に国の登録有形文化財となった。現在は郡上八幡における街並み観光の拠点として使用されており、街の顔と言える存在である。

第1173回・旧帝室林野局木曽支局庁舎(御料館)

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長野県木曽郡木曽町福島に、昭和2年(1927)に建てられたかつての宮内省帝室林野局木曽支局庁舎が残されている。宮内省内匠寮の設計によるモダンな洋風建築で、平成の半ばまで木曽谷における林野行政の拠点として長い間使用されていた。現在は木曽町の施設「御料館」として保存・活用が図られている。木曽町指定有形文化財。

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館内に展示されている竣工当初の全景写真。
帝室林野局は、明治以降皇室財産となった木曽谷の御料林などの管理経営を行うために設けられた宮内省の外局で、木曽に支局が設けられたのは明治36年(1903)であった。

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昭和2年5月に発生した木曽福島町の大火により庁舎が焼失するが、外材を用いるなど突貫工事の結果、僅か半年で再建され、同年末には新庁舎で業務が再開された。設計は朝香宮邸を始めとする多くの宮邸や宮内省庁舎など、皇室関係の施設設計を手掛けていた宮内省内匠寮による。

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塔屋を備えたモダンな庁舎は木曽谷でも最も大きな洋式建築で、中央本線を通る列車の車窓からも遠望することができた。裏手には鉄筋コンクリート造の倉庫やボイラー室など附属建物も残されている。

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戦後の昭和22年(1947)に帝室林野局は廃止され、木曽の御料林は農林省が所轄する国有林に編入される。庁舎はその後は営林局や営林局分室、森林技術センターなど組織改編を経ながらも、平成16年(2004)まで木曽谷の林野行政の拠点として使用されていた。

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使用されなくなった庁舎は、平成22年(2010)に木曽町が敷地と併せて国から購入するが、当初は旧庁舎の部材を再利用した施設の新築が検討されるなど、文化財として保存する予定は無かったようである。

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これに対し、町民の多くから保存を求める署名請願が寄せられたほか、当初は乏しいとされていた文化財的価値についての見直しが行われた。この結果、建物を復元改修した上で町の施設として再利用されることなった。

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平成24年(2012)に木曽町の文化財に指定された後、残されていた図面などをもとに創建当初の姿への復元と耐震改修工事が行われた。木曽谷の林野行政の歴史を伝える資料館及び町民のための施設として生まれ変わった旧庁舎は、平成26年(2014)より「御料館」の名で一般公開されている。

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再建を急いだこともあるのか、この当時の官公庁舎としては簡素な建物だが、玄関ポーチや屋根窓に半円アーチを多用し、角を丸く仕上げた白い漆喰壁など、全体的に清楚で柔かい印象を受ける。

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玄関を入ると両側に受付用の小窓があり、突き当りが階段室になっている。館内も外観と同様比較的簡素であるが、随所にアールデコ調の装飾が施されている。

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玄関扉。
窓や取っ手、下部に取り付けられた波形の金具など、昭和初期の建物らしいモダンな印象を受ける。

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両側にある受付用の小窓。戦前の建物では多く見られる結霜硝子が用いられている。
アーチの中央の装飾には、木曽谷に生えている樹種のひとつであるブナの実があしらわれている。

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高い腰壁が重厚な印象を与える一階応接室。
この建物は外材が用いられているとされるが、応接室の腰壁には北米原産のヒッコリーが用いられている。

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階段室。
階段の親柱や手摺にアールデコ調の装飾が見られる。

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現在は、1階を多目的実習室など主に町民が利用するための部屋となっており、2階が木曽谷の自然や帝室林野局の歴史などについての展示に充てられている。

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2階の旧支局長室。この部屋に隣接して秘書室、高等官食堂が並ぶ。
天井のシャンデリアや重厚な机、応接用家具などに戦前の高級官吏の威厳が窺われる。

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2階の大会議室。旧支局長室と共に最も立派に造られた部屋で、天井の持ち送りに施された装飾が見どころ。

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1基だけ残されている、創建当時から使用されていたとされるスチーム暖房用ラジエーター。当時、木曽谷で暖房設備完備の建物はここだけであったことから、敗戦後の昭和20年秋には占領軍に接収された歴史を持つ。

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1階トイレにある人造石研ぎ出しの洗面台は補強の上再利用されている。
真鍮製の蛇口も同様に再利用されている。

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館内の随所に見られる昭和初期のモダンな造形。

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平成29年(2017)には、旧庁舎は収蔵資料と共に一般社団法人日本森林学会より林業遺産に認定されている。

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木曽谷に現存する帝室林野局関係の建築物ではこのほかに、帝室林野局の前身である御料局時代に建てられた旧御料局名古屋支庁妻籠出張所(明治33年)が南木曽町に現存しており、「山の歴史館」として移築保存、公開されている。

第1172回・日本銀行本店別館(現存する昭和戦前期の日銀店舗 その3)

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弊ブログでは現存する昭和戦前期の日銀店舗を、平成24年(2012)の正月に投稿した本店本館に始まり、大阪京都小樽岡山広島松江の各支店をこれまで紹介してきた。今回は本シリーズの締めくくりとして、3期に亘る工事を経て昭和13年(1938)に竣工した本店別館を取り上げる。建築家人生の大半を日銀店舗の建設に関与してきた長野宇平治(1867~1937)最後の大作である。

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昭和2年(1927)、当時の日本銀行総裁・井上準之助は、関東大震災で被災し前年に修復工事が終わった本館に大規模な増築工事を施すことを決定する。

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震災時、竣工間近であった7階建の別館が震災に伴う大火で激しい損傷を受けるなど、本館以外の建物は震災による被害が深刻であったこと、震災不況に起因する度重なる金融恐慌などによって業務が増加、既存の建物だけでは対応できない状況になっていたことが大がかりな増築工事を決めた理由であった。

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増築設計は、明治以来日銀技師として大阪を始めとする各地の支店設計に従事し、本館の震災復旧工事も手掛けた長野宇平治に委ねられることとなった。既に日銀を辞して設計事務所を開いていた長野は技師長として日銀に復帰、昭和12年に死去するまで本店増築のほか、広島など各地の支店設計を手掛けた。

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工事は昭和4年(1929)に着工、3期に分けて行われ(第1期=昭和7年(1932)、第2期=昭和10年(1935)、第3期=昭和13年(1938)竣工)、それぞれ1号館、2号館、3号館と称された。写真の建物は最後に竣工した3号館。左奥に一部が写っているのは明治29年(1896)に竣工した辰野金吾設計の本館。

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昭和10年竣工の2号館部分を望む。写真の奥が3号館。

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日銀本店別館の向かいには昭和4年竣工の三井本館、斜め向かいには昭和2年改装の三越本店(共に国指定重要文化財)が建っている。

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かつてはもう1棟、長野宇平治の代表作とされた横浜正金銀行東京支店(昭和2年竣工)が3号館と向かい合う形で建っていた。昭和後期までこの界隈は、四つ辻全てが重厚な様式建築で占められた希少な一角であった。

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2号館の角の奥にはかつて1号館が建っていたが、新館(昭和48年(1973)竣工)建設のため解体され現存しない。別館は元々L字型平面で本館を囲い込むような形で建っていたが、1号館が撤去されたため現在は I 字型平面となっている。

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竣工から約40年で姿を消した1号館であるが、井上総裁から「絶対に壊れない建物」を設計するよう命じられた長野は極めて堅牢な設計を行っており、解体は困難を極めたという。

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三越本店前から望む別館(2号館・3号館)全景。
1号館撤去により建物自体の規模はかつての約半分程度に縮小されたが、このアングルからの眺めは竣工以来変わらない。

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本館と別館を比較すると、長野宇平治は師である辰野金吾の意匠を極めて忠実に踏襲しつつも、細部には巧みに独自の造形を加え、より大規模な建物を造り出していることが分かる。

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上の写真を見て、どちらが本館でどちらが別館かすぐに判別できる方はそう居られまいのではなかろうか。

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細部を見ると本館との相違を発見できる。
3階上部のパラペット(手すり壁、胸壁)は本館では銅板張りだが、別館では石造である。また、その上に設けられた飾り壺は別館だけに見られる装飾である。

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3階建の本館に対し新館は5階建となっているが、辰野の意匠を損なわないために4・5階の壁面はそれぞれ下層階よりもセットバックさせ、古典的な石張り仕上げとしつつも、意匠は平坦で控えめに仕上げられている。

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古典様式に精通していた長野宇平治だからこその造形であり、辰野金吾の本館とはまた異なる魅力がある。

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現在(平成30年)、日銀本店本館は免震工事が行われているが、日本銀行のホームページによると別館は先行して既に免震工事が完了しているので、別館も保存されるものと思われる。本館は既に国指定の重要文化財であるが、別館も将来は重要文化財に指定して、辰野・長野の師弟コンビによる作品として一体として保存されることを願う次第である。

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現存する昭和戦前期の日銀店舗シリーズ  おわり

(付記)
本記事及びこれまでの日銀本支店に関する記事の作成にあたっては、日本銀行の広報誌「にちぎん」に掲載された日本銀行の支店建物についての記事を主要参考資料とさせて頂いた。(PDF版で閲覧可能)

また、この建物については日本銀行のホームページを始め、各種書籍などによって「新館」「別館」「旧館」「増築部分」など様々な表記が見られるが、当記事では「別館」として統一させて頂いたことをお断りしておく。

第1171回・旧日本銀行松江支店(現存する昭和戦前期の日銀店舗 その2)

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前回に続き、昭和戦前期に建てられ、現存する日本銀行の店舗を取り上げる。
島根県松江市殿町にある旧日本銀行松江支店は昭和12年(1937)に建てられた。日銀の移転後は松江市が所有、現在は工芸をテーマとした観光施設「カラコロ工房」として保存活用されている。国の登録有形文化財。

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日銀松江支店が開設されたのは大正7年(1918)で、今年(平成30年・2018年)で丁度100周年を迎える。この建物は2代目の店舗で、母衣町に新築された3代目店舗へ移転する昭和56年(1981)まで使用されていた。殿町はかつて松江市の金融街で、日銀の他にも以前紹介した旧八束銀行などの建物が残されている。

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大正7年に竣工した初代店舗(カラコロ工房内の展示より)は、辰野金吾と長野宇平治の設計による洋風建築で、木造煉瓦タイル貼りの本館と付属棟、煉瓦造の金庫室で構成されていたが、地盤が軟弱であったことから金庫室の沈下が進み、業務の増加で手狭になったこともあり、竣工から20年を経ずして改築されることになった。

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松江支店の改築は、日銀の開業以来初めての移転を伴わない現地改築となった。昭和11年(1936)に着工、昭和12年(1937)には本館部分が、昭和13年(1938)3月に両脇に配された石塀や外構も含めた全体が竣工した。本館は平坦な広島支店に比べ、彫りの深い印象を受ける正面ファサードが特徴である。

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設計は広島支店と同じく長野宇平治による。福島支店(現存しない)が竣工した大正2年(1913)、長野は日銀を辞めて設計事務所を開くが、昭和2年(1927)に技師長として日銀に復帰する。復帰後は関東大震災で被災した本館の修築及び別館の増築、神戸・松山(共に現存しない)、広島・松江の各支店の改築もしくは新築の設計を行った。

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松江支店の本館部分が竣工した昭和12年12月に長野宇平治は70歳で死去、最後に図面を引いた日銀松江支店が遺作となった。

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この年、昭和12年は支那事変(日華事変)が勃発、日本は戦時体制に入り、以後大規模な建築工事は事実上不可能になる。第二次大戦後はモダニズム建築が主流となり、古典様式に則った様式建築は殆ど建てられることは無くなった。

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同時期に長野宇平治と同世代の建築家によって建てられた、横浜正金銀行神戸支店(昭和10年 桜井小太郎)や三井銀行大阪支店(昭和11年 曾禰中條建築事務所)等と並び、日銀松江支店は日本人建築家による本格的な古典様式建築の最後を飾る作品と言える。

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昭和56年(1981)に日銀支店が移転した後、建物は島根県に所有が移り、一時は解体撤去も計画されたが保存運動の結果計画は撤回、松江市に譲渡され、観光商業施設として整備改修されることになった。平成12年(2000)に、「カラコロ工房」として開館する。

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外観、内装とも銀行時代と殆ど変わらない形で活用されている。
多くの観光客を迎え入れる施設の性格上か、本館の両脇にあった重厚な石塀は片方が撤去されているが、中庭に移設して再利用されている。

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内部は広島支店と同様、営業室は二層吹き抜けになっており、硝子張りの天窓が設けられている。

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戦前の金融機関の建物には必ず付いている、カウンター上部のスクリーン。他の古い銀行建築では、文化財として整備された際に復元されたものが多いが、ここは創建当初からのオリジナルのようだ。

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照明器具も竣工当初からのものと思われる華麗なシャンデリアが残されている。

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現在ではカラコロ工房は、松江市中心街における観光名所となっている。

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前を流れる京橋川から望む姿も風情があり、松江を代表する景観のひとつとして定着しつつあるように思える。


次回は本シリーズ最終回で、東京の本店別館を紹介予定。

第1170回・旧日本銀行広島支店(現存する昭和戦前期の日銀店舗 その1)

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これまで弊ブログでは、現存する戦前築の日本銀行の本支店店舗のうち、明治~大正期の5件(本店大阪京都小樽岡山の各支店)について紹介したが、今回より3回に分けて昭和期に建てられた建物を紹介したい。昭和11年(1936)に竣工した旧広島支店は、昭和20年の原爆投下により被災しており、現存する数少ない被爆建物としても知られる。

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広島市中区袋町、鯉城通りに面して建つ旧日銀広島支店。大正年間の路面電車開通によりこの界隈は昭和初期から金融街として発展、戦前は電車通りと称されていた。原爆投下時には日銀支店のほか藝備銀行(現・広島銀行)、「人影の石」で知られる住友銀行など、多くの金融機関のビルが建ち並んでいた。現在も戦前の建物が残るのは旧日銀1棟だけである。

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被爆から間もない頃の日本銀行広島支店。(建物前の展示パネルより)
爆心から約380米と非常に近い位置にあったが、堅牢な構造から大破は免れた。しかし火災で3階部分が全焼、また爆風による被害は大きく、日銀及び当時3階に入居していた中国財務局の行員・職員からは多くの死傷者を出した。

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広島市の中心街が壊滅した中で、爆心近くにあって一部を除き焼失を免れた日銀広島支店は被爆2日後から業務を再開している。その後修復を経て平成4年(1992)の店舗移転まで使用されていた。現在は日銀から広島市に無償貸与されており、平成12年(2000)には広島市の重要有形文化財に指定された。

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現在は広島市が管理、催事会場などとして利活用が図られており、建物の一般公開も行われている。

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日銀が広島に支店(当初は出張所)を設置したのは明治38年(1905)で、店舗は当時県庁などがあった水主町(現・加古町)に設けられた。このとき建てられた木造二階建の初代店舗の老朽、狭溢化に伴い二代目店舗として移転新築したのが現存する建物である。

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設計は長野宇平治(1867~1937)による。長野は明治30年から大正元年(1897~1912)、昭和2年から同12年の死去(1927~37)に至るまで通算25年間にわたって日銀技師、技師長を務め、明治・大正・昭和の三代の日銀の本支店設計に従事した。広島支店は最晩年の設計作品のひとつである。

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長野宇平治は初代店舗の設計も辰野金吾の下で手掛けている。またこのほか、大正14年(1925)竣工の三井銀行広島支店の設計も手掛けている。この建物は原爆で大破したが、現在も広島アンデルセンの店舗として壁面の一部が残されている。(同店は現在改築工事が進められているが、被爆した部材を一部再利用して現在の姿は踏襲されるようである)

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旧広島支店の建物は、長野宇平治が設計に従事した一連の店舗の中では、装飾も比較的簡素で平坦なものとなっている。装飾を控えるのはこの当時の時代的傾向でもあるが、翌年に竣工した松江支店と比較してみると広島支店は平坦さが際立っているように思える。

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2層吹き抜けになった旧営業室内部。かつては柱頭に装飾が施されていたが被爆時に損傷を受け、その後の改修工事で撤去されている。被爆2日後の業務再開に際しては、店舗が倒壊・焼失した広島市内の金融機関の仮営業所がこの部屋に集められ営業事務が行われた。

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壁面などに戦前からの内装がほぼそのまま残されている旧支店長室。腰壁の板には、爆風により飛散した窓の硝子片の痕跡が現在も残されている。

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旧支店長室の暖炉。
電気ストーブを置くための形だけのものである。

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美しい色合いを見せる暖炉ストーブ置き場のタイル。

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金庫室のある地階。タイル張りの床や鉄格子、金庫など戦前のものが残されている。
入口の鉄格子は爆風で歪み開閉不能になったため、叩き直して復旧したという。原爆の爆風の威力が凄まじいものであったことが分かる。

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構造体も含めて建物全体が残る被爆建物は、旧日銀支店のほか福屋百貨店、現在改修工事中の広島市レストハウス(旧大正屋呉服店)など、その数は極めて少ない。

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次回は、広島支店の翌年の昭和12年(1937)に竣工した松江支店を紹介予定。

お見舞い(平成30年7月豪雨災害)

この度の豪雨災害で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
被災された全ての方に心よりお見舞い申し上げますと同時に、救助、復旧に尽力されている全ての方に最大限の感謝と敬意を払いたいと思います。今は一刻も早い災害の収束を願います。

第1169回・塚田歴史伝説館

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栃木県栃木市倭町にある塚田歴史伝説館は、江戸時代後期から木材回漕問屋を営んできた豪商・塚田家の土蔵群を中心に改装、公開している博物館である。材木商らしく木材に贅を尽くした別荘(隠居所)など建築的にも見どころが多い。邸内にある8棟(旧主屋、板塀、事務室・売店及び休憩所、展示館、文庫蔵、米蔵、銘木蔵、荷蔵)の建物が国の登録有形文化財である。

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蔵の街・栃木を代表する景観である、巴波川に沿って並ぶ塚田家の建物群。かつてはこの川面に筏を組んで、三日三晩かけて深川の木場まで材木を輸送していた。

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写真手前から文庫蔵、旧主屋、展示館、旧荷蔵が並び、手前の板塀と共に登録有形文化財となっている。このうち展示館は、邸内でも最も古いとされる土蔵を改装したもの。

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文庫蔵の入口。
塚田家では昭和54年(1979)より邸内を博物館として公開しており、当家に伝わる家宝等の展示を始め、巴波川にまつわる昔話を主題とした人形(ロボット)芝居を上演している。

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旧主屋の手前に受付があり、見学者は最初に旧主屋の一階に居る、三味線ばあさんロボットの解説を聴く。ばあさんだけでなく猫も観光客風の老人も、全て人形もしくはロボットである。妙にリアルに造られたこれらの人形もしくはロボットも、ある意味当館の見どころである。

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旧荷蔵を改装した展示施設で、当地の秋祭りの人形山車と塚田家所蔵の銘木を陳列する人形山車・銘木展示館。ここにもロボットが3体居る。

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床柱などに用いられる銘木の数々。

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旧荷蔵の奥にある別荘。明治末期に隠居所として建てられたとされる、洋館付きの離れ座敷。

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玄関わきに設けられた凝石仕上げの外壁を持つ洋館は、少々頭でっかちな印象の建物。

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水琴窟も設けられている庭園に囲まれた、別荘の座敷部分。左に洋館が見える。

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庭園から別荘を望む。
後ろに旧荷蔵(人形山車・銘木展示館)が見える。

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別荘庭園の奥にある屋敷神。

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重厚な屋根が特徴の御社。

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なぜかこの別荘は登録有形文化財には含まれてない。建築的には一番見どころの多い建物なのであるが。

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凝石仕上げの洋館外壁は丁寧な左官仕事が施されている。

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玄関。但し現在この玄関は閉鎖されており、室内の見学は庭園に面した縁側から入るようになっている。

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隠居所なので内部はこじんまりとした造りで、洋室に続き間となった座敷二室、あとは洗面所などの水回りだけが配されているものと思われる。写真は座敷の次の間。

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主座敷。
老夫婦の人形はこの別荘を愛用していた塚田家の三代目当主夫妻をモデルに作ったようだ。

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長押を二重に廻すのは珍しい。

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欄間には高級材として知られる黒柿の一枚板を用いるなど、ふんだんに銘木を使用している。

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縁側。突き当りが洋室であるが非公開。

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縁側の欄間には家紋をあしらった擦り硝子を嵌め込んでいる。

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同じく当地を代表する豪商・旧家で、塚田家と同様に一般公開されている横山家(横山郷土館)岡田家(翁島別邸)の建物と比較してその趣向の違いを見るのも興味深い。
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