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第1183回・琴ノ浦温山荘(旧新田長次郎別邸)〔再訪〕

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弊ブログ第427回記事で紹介した和歌山県海南市の琴ノ浦温山荘は、前回記事掲載時には内部非公開であったがその後、入園料に追加料金100円を払えば見学できるようになったというので再訪した。また、長らく使用されていなかった浜座敷が修復され、これも公開されるようになっていた。再訪記事と言う形でこれらの建物の内部を中心に紹介したい。

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以前は催事等での使用時を除き、主屋などの建物の雨戸は閉まっていたが、現在は開園時間内は開かれている。(尤も、雨戸の開閉は大変な作業なので、庭園の維持と併せて新たに1人雇用したそうである)なお、園内にある各建物の外観及び庭園については前回記事を御参照頂きたい。

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受付で内部見学希望の旨を告げ観覧料を払うと、園長自らが案内され、主屋内部を見学させて頂ける。
主屋は大正4年(1915)に竣工、その後大正後期に写真の客用玄関や応接用の座敷が増築された。一見伝統的な和風建築であるが、鉄筋コンクリートやベニヤ板など、当時最新の技術と建材を随所に用いた近代和風建築である。

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別荘の主である新田長次郎は、明治初期に皮革加工技術を自ら習得し、その後も絶えず新技術を追求してきた事業家である。建物の設計を手掛けたと考えられている木子七郎は長次郎の娘婿であり、鉄筋コンクリート構造に早くから着目していた建築家である。温山荘は建物・庭園共に、そのような二人の新しい試みを随所に見ることができる。

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客用玄関を上がると、寄付と称される十五畳の広間がある。洋館ならば玄関ホールと称するところと思われる。

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寄付の奥を左に入ると、庭園を一望できる十畳の座敷へ入る。日本座敷であるが、中には椅子とテーブルを配した洋式の応接間である。客用玄関、寄付と共に大正後期の増築で設けられた。家具は当時からのものである。

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温山荘は新田長次郎の出身地である松山の旧藩主・久松定謨伯爵が大阪へ来た際の滞在を目的として建てられたとされる。ほかにも長次郎と親交のあった秋山好古(陸軍大将)、清浦奎吾(伯爵、元首相)、東郷平八郎(侯爵、海軍元帥)などの著名人が温山荘を訪れ、長逗留する人もあったという。

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この座敷には、新田長次郎が国産化に成功したとされる合板(ベニヤ板)が天井板として用いられている。主事業であった皮革加工から生じたゼラチンと、革をなめすために必要なタンニンを採取するために用いた木材の有効活用を目的としてベニヤ板の製造に着目したようだ。別荘は自社製品の格好の宣伝の場にもなった訳である。

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また、この座敷の意匠的な特徴として、矩形を組み合わせた意匠の欄間や書院窓、方眼紙のような意匠の障子など、統一的に幾何学的な意匠を施している点も挙げられる。モダンデザインにも関心が強かったという木子七郎の試みと思われる。

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襖の取手は伝統的な意匠の七宝細工となっている。

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さらに奥へ進むと二四畳の主座敷があり、大正4年の竣工当初から建っていた部分である。
庭園と同様、開放的な明るい印象の座敷である。

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主座敷の欄間は相原雲楽の手による。相原雲楽は中之島図書館旧松本健次郎邸鴻池本店・本宅、旧日下部久太郎別邸(舞子ホテル)大広間など、明治から大正期の洋風・和風建築の室内装飾を手掛けた彫刻家である。木子七郎設計の建物では温山荘の他に、松山にある萬翠荘の室内装飾も手掛けている。

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主座敷の欄間は全て、因幡の白兎に因むという波乗り兎が彫られている。
欄間には雲楽の銘と共に「大正乙卯」と刻まれていることから、大正4年に製作されたことが分かる。この年の干支が兎年であることと何か関係があるのかどうかは分からない。

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主座敷は鉄筋コンクリート造の地階の上に載る形で建っており、縁側で地表からは高い位置にある箇所には高欄を設けている。

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地階も見学させて頂いた。かつては撞球室やダンスホールなどを備えた洋風の娯楽室と、厨房や使用人部屋などのサービス空間に充てられていたが、昭和21年(1946)の南海地震による津波で浸水したため、壁や天井の大部分は取り払われている。但し、現在も部分的に洋風意匠の照明台座などが残されている。

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漆喰仕上げの照明台座と照明器具。大正初期らしいセセッション風意匠である。

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地階でも比較的旧態を止めている洋風の広間。ダンスホールとして使われていたというのはここと思われる。蛍光ランプで隠されているが、上の写真と同様の意匠と思われる照明台座が見える。

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外から見た地階の明り取り窓。上に見えるのは寄付の花頭窓である。
地階部分も復元できないものだろうか。

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客用玄関の脇には人力車夫などの控え部屋として建てられた伴待と称する小さな建物があり、以前の記事でも取り上げたが、この中には実は隠し部屋が存在していた。

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主屋とつながっているかどうかは分からないが、多くの貴賓を迎える館だったので暴漢の襲撃に備えた仕掛けと思われる。

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作庭の指導を行った木津宗泉の設計で、大正9年(1920)に建てられたとされる池のほとりの茶室「鏡花庵」の内部。

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茶室も、以前は茶会等で使用される場合を除き雨戸が閉ざされていたが、現在は開かれている。
立ち入りはできないが、硝子戸越しに内部を見ることができる。

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大正2年(1913)に、園内で最初に建てられた浜座敷。南海地震の津波で座敷内まで浸水し、長らく閉鎖されていたが近年耐震補強と修復が行われ、往年の姿が甦った。(雨戸が閉じているのは閉館後の撮影のため)

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本瓦葺で反りのある屋根が特徴の浜座敷。主屋とは異なり重厚で古風な印象の建物だが、屋根の小屋組みには洋小屋を採用するなど近代的な技法が用いられている。

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浜座敷の玄関。
現在は自由に内部も見学可能となっている。

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主室から次の間を望む。

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浜座敷の主室。琵琶棚付の床の間を備えた十畳座敷である。
訪問したのが5月の連休だったので、違い棚の前には五月人形が飾られていた。

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浜座敷の襖取手。
主室側が蝙蝠、次の間側は竹の意匠。

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岩の中腹に建つ浜座敷は主屋と同様に、縁側には高欄を設けている。
埋め立てにより現在は見る影も無いが、かつてはここから海を一望できた。

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周囲からの勧めで造園を趣味とするようになった新田長次郎は温山荘の造営後も、息子や孫のために広大な庭園を各地に造り、建物は全て娘婿(木子七郎)に設計させた。その中で、孫の新田利國のために建てた邸宅が現存する。庭園・建物共に和洋が併存する造りが特徴で、温山荘とは異なる趣の新田長次郎と木子七郎による共同作品を見ることができる。
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過去記事の更新

いつも弊ブログをご訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事1件について写真の大半を再訪時のものに差し替えるともに、本文も全面的に書き直しました。
もしよろしければご覧頂けると幸いです。

また、今回更新した記事の建物は、大正から昭和戦前にかけて大阪を拠点に活動していた建築家・木子七郎の設計によるもので、その他の設計作品についてもこれまで複数取り上げておりますが、そのうち外観のみの紹介であった2件について、後日内部見学の機会があったことから再訪記事と言うかたちで明日以降アップする予定です。

第13回・旧新田利國邸(松山大学温山記念会館)
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