FC2ブログ

第1215回・旧佐々木医院

s_P3100244.jpg

旧佐々木医院は、埼玉県川越市連雀町に残る昭和初期の医院建築で、創建当初の姿をよく残している。主屋のほかに門や塀、人力車の待機小屋といった附属建物まで残されており、一式が川越市の都市景観重要建築物に指定されている。

s_P3100254.jpg

昭和10年(1935)に建てられたという佐々木医院。現在は隣接して新しい診療所が建っており、現在はこの洋館は使われていない様子である。

s_P3100250.jpg

敷地の隅に建つのが人力車用の車小屋である。昭和10年当時は日産自動車が小型車の量産を始めるなど自動車の普及しつつある時期で、都心部では往診用に自動車を持つ開業医も存在したが、人力車や自転車を用いる方が多かった。

s_P3100252.jpg

外壁は黄土色のモルタル塗り仕上げで、研ぎ出しの人造石と黄褐色のスクラッチタイルで仕上げられた玄関ポーチが張り出している。黒瓦葺きの寄棟屋根には特注品と思われる形状の棟瓦が載っている。

s_P3100245.jpg

門柱にもスクラッチタイルが張られており、「佐々木醫院」と正字体で記された陶製の表札が残されている。

s_P3100247.jpg

車小屋を正面から見る。右側が車庫で、硝子戸が立て込まれた左側が車夫の控室と思われる。同じ川越の旧山崎家別邸や和歌山の温山荘など、車夫の控え所が現存する邸宅はあるが、車庫兼用で現存するものは珍しいと思われる。

s_P3100255.jpg

玄関扉や窓の木製サッシなどの建具類や照明燈も古いものがほぼ完全に残されている。扉や窓の桟は当時流行したライト風意匠で、スクラッチタイルと共に、昭和初期の洋風建築の特徴をよく現している。

s_P31002462.jpg

玄関ポーチの天井や柱、玄関の開口部の縁取りなどを見ると、実に丹念な左官仕事が施されていることが窺える。

s_P3100251.jpg

昭和初期の特徴をよく残すモダンな医院建築である。

s_P22300452.jpg

大正期の洋風医院で弊ブログでも以前紹介した中成堂歯科医院。こちらは外観は昔の儘にしながら内部を改修、現役の歯科医院として使われている。旧佐々木医院も何らかの形で活用できればよいのだが。
スポンサーサイト



第1214回・鈴木家住宅(丹徳庭園)

s_P3100226.jpg

東武東上線川越市駅の近くに、重厚な出桁造の商家と軽快な意匠の洋館が向かい合って建つ一角がある。いずれも材木商を営んでいた鈴木家が昭和の初めに建てたものであるが、明治期の離れや庭園、土蔵も残されており、川越市の中心街にあって広大な屋敷構えが現在もよく残されている。平成30年より離れと庭園が「丹徳庭園」として公開されている。

s_P3100188.jpg

弊ブログ第967回記事で紹介したカワモク本部事務所棟。向かいに創業家である鈴木家の店舗兼住居がある。川越を拠点に建設業などを営むカワモクグループは、明治2年(1869)に初代鈴木徳次郎が材木店「丹波屋」を創業したことに始まり、その後屋号を「丹徳」に改めた。二代目徳次郎の代には材木業の傍ら市議や商工会議所会頭などを務めるなど地元政財界でも活躍した。

s_P3100182.jpg

第二次大戦中の統制令により材木を扱えなくなったため一時閉業するが、戦後間もなく川越木材工業として再出発、現在のカワモクグループに続いている。平成30年より同社の創業150年を記念事業として、庭園を一般公開すると共に離れが食事処や宿泊施設として活用されることになった。 

s_P3100186.jpg

鈴木家の住まいは明治から昭和初期にかけ二代にわたって造営されている。初代徳次郎によって離れが明治34年(1901)に建てられ、庭園も同時期に造営された。昭和4年(1929)には二代目徳次郎によって小さな応接用の洋館も備えた出桁造の重厚な主屋が新築された。また、主屋と離れの間には重厚な黒漆喰仕上げの土蔵も建っている。

s_P3100231.jpg

正面の戸袋には節穴かひび割れを塞ぐための埋木細工が見られるが、木目を水の流れに見立てたのか、木の葉の形になっていた。

s_P3100229.jpg

街路に面した帳場は主屋脇の通用口からも入れるようになっている。帳場は伝統的な商家の造りとなっているが、昭和初期の建物なので応接用の洋館も備えられているのが特徴である。専用の玄関を備えている洋館は、帳場からも出入りできるよう造られているようだ。

s_P3100230.jpg

主屋から離れに続く道は私道なのでこれまでは洋館や離れを間近に見ることはできなかったが、庭園の一般公開に伴い見学できるようになっている。

s_P3100199.jpg

外壁をモルタルで石造風に仕上げた洋館。一室だけの小規模なものだが、玄関まわりや腰壁などに凝った造りが見られる。

s_P3100190.jpg

ステンドグラスやモザイクタイルで飾られた洋館の玄関。
扉や照明器具など創建時の形をそのまま残しているものと思われる。

s_P3100193.jpg

玄関扉の飾り格子も創建当初のものと思われる。脇に設けられたステンドグラスはガラス面の両側が屋外に面したものとなっている。ステンドグラスはどちらかが屋内に面している場合が多いが、鈴木家の洋館や神戸の旧日下部久太郎別邸などのように玄関ポーチの装飾として用いられる例もある。

s_P31001972.jpg

欄間のステンドグラスは昭和初期の洋風建築によく見られるアールデコ調の意匠。

s_P3100194.jpg

玄関床のモザイクタイル。

s_P3100202.jpg

鈴木家の2つの洋館を望む。
ほぼ同時期の竣工であるが、応接間は重厚な石造風、事務所は軽快な意匠の木造洋館で、対照的な趣を見せている。

s_P3100200.jpg

主屋の奥に土蔵と離れ、庭園がある。離れの内部と庭園は有料で見学できる。

s_P3100203.jpg

離れには専用の門と玄関が別に設けられており、見学に際してはここから入る。

s_P3100216.jpg

庭園は玄関脇に設けられた枝折戸から入り、飛び石沿いに散策できるようになっている。水琴窟も設けられている。(写真右手に写っている)

s_P3100220.jpg

庭園より離れを望む。
二階建で、公開までは居住していたという。

s_P3100224.jpg

庭園の一角に鎮座する寿徳明神。
明治31年(1898)に初代鈴木徳次郎が京都の伏見稲荷に参拝、正一位稲荷大明神霊をこの地に勧請したという。

s_P3100212.jpg

離れの一階座敷。十畳の床の間付き主座敷に六畳の次の間を備え、周囲には縁側を巡らせる。訪問時には土蔵に収蔵されていたという明治時代の雛人形が飾られていた。

s_P3100210.jpg

川越と同じく蔵の街として知られる栃木県栃木市にあり、鈴木家と同様に材木商であった塚田家(塚田歴史伝説館、弊ブログ過去記事参照)の離れと同様に、材料には特に吟味された良材が用いられており、床柱や欄間にも銘木や珍材が用いられている。

s_P3100208.jpg

主座敷から庭園を望む。庭園は初代鈴木徳次郎の代に造営されたもので、井戸から豊富に水があふれ、財宝を積んだ宝船が岸に着くという様を枯山水で表現したというものである。縁起の良さを現した商家にふさわしい庭園である。

s_P3100211.jpg

縁側の欄間には当家の屋号に因み、「丹」の文字を崩した意匠の組子細工が施されている。

s_P3100214.jpg

別料金で抹茶を点てる体験もできる。

s_P3100209.jpg

丹徳庭園では、見学や抹茶体験のほか、離れ一棟を貸切とする形での宿泊や昼食もできるという。

s_P3100184.jpg

見学可能な庭園のある邸宅としては、川越中心街では旧山崎家別邸に続くものと思われる。鈴木家住宅と丹徳庭園が川越の新たな名所として定着することを祈念したい。

s_P3100232.jpg

梁または腕木を突出して側柱面より外に桁を出した構造の出桁造(だしげたづくり)は、重厚な外観が特徴で関東地方の古い商家に多く見られる。土蔵造が目立つ川越では比較的珍しいが、鈴木家のすぐ近くにある宮沢家住宅(市指定文化財)では土蔵造と出桁造の中間のような造りを見ることができる。

s_P32500502.jpg

旧山崎家別邸の前に建っており、川越市の都市景観重要建築物に指定されている榎本家は大正期の商家で、1階の窓にはステンドグラスが嵌め込まれている。川越以外の埼玉県内では、以前紹介した幸手市の石井酒造も昭和初期の出桁造の商家で、主屋に洋館と接客用の座敷棟を備えるなど鈴木家と共通する特色を備えている。

第1213回・銀河館(愛光商会吉浜寮)

s_P310017422.jpg

神奈川県足柄下郡湯河原町大字吉浜にある「銀河館」は、大正15年/昭和元年(1926)に大正天皇の侍医も務めた医学博士・土田卯三郎が建てた洋館。階段や扉などの内装材には、J・コンドルの設計で知られる旧東京帝室博物館の部材が用いられている。国登録有形文化財。

s_P3100173.jpg

銀河館は真鶴道路沿いの相模湾を一望できる場所に建っている。平成17年(2005)にレストラン兼イベント会場として改修されたが、現在はイベント会場としてのみ使用されているようだ。

s_P3100177.jpg

鹿鳴館や三菱一号館旧岩崎邸など本格的な西洋建築を日本にもたらした英国人建築家・コンドルの設計で、明治14年(1881)に東京・上野に竣工した東京帝室博物館は大正12年の関東大震災により大破、解体されることになった。(跡地に昭和12年(1937)に建てられたのが現在の東京国立博物館本館である)

s_P3100169.jpg

解体に伴い、払い下げられることになった旧本館の内装材や建具等を購入した土田卯三郎は、これらの部材を自ら設計した病院や療養所の建物に再利用した。大半の部材は療養所として設計された吉浜の洋館に用いられ、竣工後は土田家や病院関係者の別荘、保養所として利用されていた。

s_P3100171.jpg

第二次大戦後は、映画用・写真用フィルム等を扱う商社である(株)愛光商会を経営する今田冨雄が購入、同社の寮及び今田家の住居として使用されていた。

s_P3100166.jpg

現在は洋菓子研究家で実業家の今田美奈子氏が所有、「銀河館」として改修、再生され現在に至る。なお、改修後の平成18年には「愛光商会吉浜寮」の名称で国の登録有形文化財となっている。

s_P3100172.jpg

木造三階建で鉄板葺の切妻屋根を掛ける。外壁はクリーム色のモルタル塗り仕上げで、正面及び側面の一部は白い柱と大きな上げ下げ窓を強調した外観となっている。

s_P3100167.jpg

室内が明治建築の部材が用いられ重厚に仕上げられているのとは対照的に、外観は持ち送り部分や切妻の小さな2連アーチ窓などを除けば外壁に装飾は殆ど無く、この時期の洋館としてはモダンなものとなっている。

s_P3100181.jpg

(株)藤木隆雄建築研究所による改修に際し、階段の親柱の意匠等が現存する旧東京帝室博物館の設計図面と一致したことからコンドル設計の洋館の一部であることが判明した。そのため改造は最低限に止められ、もとの意匠を尊重する形での改修が施されている。

s_P310016422.jpg

機会があれば内部を見学したい建物のひとつである。

(参考)
再生名住宅 平成21年 鹿島出版会
(株)藤木隆雄建築研究所ホームページ 「銀河館」湯河原吉浜洋館
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード