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第1231回・旧宮崎商館

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山口県下関市田中町にある旧宮崎商館は、石炭商の事務所として明治40年(1907)頃に建てられたとされる煉瓦造2階建、英国風の端正な洋館である。国登録有形文化財。

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下関でも近代洋風建築が多く残る唐戸地区に建っており、周囲には写真の左奥に写っている旧下関電信局電話課局舎のほか、南部町郵便局旧秋田商会ビルなども建っている。

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明治時代、下関は船舶用燃料である石炭の貯蔵、補給を行うための港として、多くの石炭事業者が下関に店舗を構えるようになっており、旧宮崎商館もそのひとつであった。

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宮崎商館の経営者であった宮崎儀一は神戸で石炭輸出業を興し、下関には当初支店を置いていたが、その後神戸から下関に本拠を移した。

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英国の貿易商社であるジャーディン・マセソン商会は、宮崎商館から近い英国領事館の隣に下関支社の建物を構えており、赤煉瓦に白い石を配した外壁にアーチが連なるベランダを備えるなど、宮崎商館とよく似た外観の洋館であったという。

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ジャーディン・マセソン商会はその後下関から撤退、社屋は筑豊の炭鉱財閥である貝島商店の事務所となっていたが、昭和20年の空襲で大破、戦後に取り壊された。なお、同商会は宮崎商館が創業した神戸にも赤煉瓦の支店を構えており、建物は戦災を受けながらも昭和後期まで残っていた。

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宮崎商館がジャーディン・マセソン商会と何らかの関わりがあるかどうかは分からないが、宮崎商館の店舗は同時期の洋風建築としては日本離れした端正さを備えており、英国人の設計によるものとも考えられる。

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旧宮崎商館の建物は戦後、何度も改装を受け、外壁の煉瓦が塗装で塗りこめられたり2階のベランダは屋内に取り込まれるなど創建当初の面影は薄れていたが、近年になり復元改修が行われている。

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昭和後期から平成にかけて長年にわたり美容院として使われていたが、現在は医院として使われているようだ。

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(参考)日本遺産 構成文化財の紹介 旧宮崎商館
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第1230回・旧古河鉱業若松ビル

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北九州市若松区本町の若松港周辺に現存する近代洋風建築の中でも、最も華やかな外観が特徴の旧古河鉱業若松ビル。大正8年に大林組の設計施工で建てられたとされる煉瓦造2階建で、現在は北九州市の施設として保存・公開されている。国登録有形文化財。

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若松港側から望む外観。
両角に大小の円筒形の塔屋が設けられ、大きい方の塔屋の1階には玄関が設けられている。

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若松港に現存する近代洋風建築は、同時期に建てられ以前紹介した旧三菱合資會社若松支店(上野ビル)杤木ビル、唯一現存する明治建築である若松石炭会館、旧古河鉱業若松ビルの4件である。かつては旧古河鉱業に隣接して昭和初期に建てられた旧麻生鉱業ビルもあったが、現在は高層マンションとなった一角に旧建物のイメージを残すモニュメントが残るだけである。

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旧古河鉱業若松ビルも平成7年(1995)に一旦は解体が決定したが、地元住民たちによる保存運動が始められ、保存のための寄附金も集められた。これを受けて、北九州市が取得して保存活用されることになり、改修整備の上平成16年(2004)より一般公開された。平成20年(2008)には国の登録有形文化財になっている。

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鋭角状となっている敷地の角地に設けられた円筒形の塔屋が目を引く。

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赤煉瓦と白い石材、モルタルで仕上げられた壁面に、大小の円筒形の塔屋を備えた変化に富んだ姿で、若松港の近代洋風建築4件の中でも最も華やかな外観である。

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細部には大正期ならではの幾何学的意匠が施されている。

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港に面して建つこの建物の塔屋は海面からもよく見える位置にあり、当時は灯台の役割も果たしていたものと思われる。

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塔屋の下に設けられている玄関。

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海岸側に設けられている玄関。
3箇所にある玄関のうち、塔屋と海岸側の玄関は営業室として使われていたと思われる事務室への入り口となっている。

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当時のカウンターが残る旧事務室内部。
旧事務室は現在イベントスペースとして貸し出しも行っているようだ。

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この建物を建てた古河鉱業(現・古河機械金属)は足尾銅山の開発で知られる旧古河財閥の中核企業で、東京・丸の内に本社を置いていた。

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カウンターの柱や照明台座にも大正期の洋風建築に多くみられる幾何学的意匠の漆喰装飾が施されている。

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側面側にある玄関は階段室のあるホールにつながっており、こちらが社員用の内玄関として使われていたものと思われる。

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建築当時は1階には事務室のほかに金庫室があり、2階に支店長室、会議室などがあったという。

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階段の親柱や手すりにも大正期ならではの意匠が施されている。なお、塔屋内部には前回紹介した旧唐津銀行本店にもあったような鉄骨の螺旋階段も現存する。

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旧古河鉱業若松ビルは華やかな外観から若松港地区のランドマークとなっており、上野ビル(旧三菱合資會社)と並ぶ財閥系企業の事務所ビルとして往年の若松港の繁栄を伝えている。

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現在、若松にある4件の近代洋風建築のうち旧古河鉱業と上野ビルの2件が登録有形文化財となっているが、本格的な保存改修までなされているのは旧古河鉱業のみである。将来は単体ではなく建築群として保全されることを願うものである。

第1229回・旧唐津銀行本店(辰野金吾記念館)

※この度の新潟・山形地震で被災された方に心よりお見舞い申し上げますと共に、一刻も早い災害の収束をお祈り申し上げます。

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佐賀県唐津市本町にある旧唐津銀行本店は、明治45年に竣工した煉瓦造の銀行建築。唐津出身である辰野金吾の監督の下で辰野の弟子のひとりであり、のちに清水組技師長も務めた田中実が設計を担当した。現存する明治期の銀行建築の中でも質が高く、かつ保存状態のよい建物である。佐賀県指定重要文化財。

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唐津銀行は明治18年(1885)に設立された銀行で、現在の佐賀銀行の前身のひとつである。明治45年(1912)に竣工した旧唐津銀行本店の建物は、佐賀銀行唐津支店として平成9年(1997)まで現役の銀行店舗として使われていた。

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唐津銀行の頭取であり、創業者であった大島小太郎は、旧唐津藩校(耐恒寮)での同窓であった辰野金吾に本店の設計を依頼するが、辰野は自ら設計する東京駅建設工事の最中であったことから、東京帝大で指導していた清水組技師の田中実を設計に当たらせた。

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辰野金吾の監督のもと、田中実の設計で施工は清水組、室内装飾は髙島屋の担当で明治43年に着工、2年の工期をかけて建てられた。

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田中実(1885~1949)は東京帝国大学で辰野金吾の指導を受け、卒業後は清水組(現・清水建設)に入社、のちには同社の技師長を務めた人物で、明治末から大正にかけて銀行や保険会社などの事務所ビルを多く手掛けている。

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旧唐津銀行以外で現存する田中実設計の建築物は、同じ明治45年に博多に建てられ、現在は福岡県八女町に移築・保存されている旧大同生命福岡支社がある。

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赤い煉瓦タイルと白いモルタル、石材が混在する外壁、尖塔や煙突で飾られた軒まわりなど、派手で賑やかな意匠が特徴であるが、辰野金吾が英国のクイーンアン様式をベースとして、東京駅など多くの建物に好んで取り入れたことから「辰野式」と称されている。

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九州でも辰野設計による同様式の建物として、清水組の施工による旧日本生命九州支社が現存するが、田中実が辰野金吾が好んだ様式に即して設計を行ったのは、師である辰野の故郷に建てることを意識したのか、もしくは自分が辰野の代理として設計を行うという意識があったからなのかも知れない。

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同時期に田中実が手掛けた大同生命福岡支社は煉瓦タイル調のテラコッタ張りで、より先端的な建築様式を取り入れようとした形跡が窺われる外観であり、それに対し唐津銀行は重厚で古典的である。

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正面に2箇所設けられた玄関からは客溜及び2階への階段に通じている。平成の初めまで現役の銀行店舗であったにも関わらず、外観だけでなく室内も創建当初の造りが非常によく残されている。

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唐津はかつて石炭の採掘で繁栄していたためか、館内の随所に暖炉が設けられている。1階営業室のカウンターに向かい合う客溜の壁面にも2基の暖炉が設けられているが、暖炉は役員室や応接室などにのみ設ける場合が多いので珍しい。

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建物は現在、佐賀銀行より寄贈を受けた唐津市が所有、辰野金吾記念館として公開している。近年大掛かりな修復が行われたが、カウンター上の復元されたスクリーンなどを除き、内装の大部分は創建当初から残されているオリジナルである。

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カウンターの内側にある旧営業室内部。こちらにも暖炉が2基設けられ、奥には金庫室がある。現在は多目的ホールとしても使われている。

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1階の営業室及び客溜、役員室にそれぞれ設けられている暖炉。

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アールヌーボー調の意匠や明るい色調の火除けタイルなど、細部には当時としては先端的な建築意匠が用いられている。

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大理石の暖炉棚を支える持ち送りは真鍮と思われる金属の棒で、あまり見かけない珍しいものである。

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手すりなどの曲線が美しい階段。

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階段から客溜を望む。
客溜の上は2層吹き抜けになっている。

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吹き抜けに下がるシャンデリアは創建当初から残されているものである。訪問時は催事のため見学できなかったが、2階にも暖炉を備えた会議室や、華麗な装飾が施された天井や暖炉のある応接室などがある。

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2階の一室にある鉄骨製の螺旋階段。旧大同生命福岡支社にも同様の螺旋階段があったという。こちらは移築保存ということもあり元の姿を残すのは外観が主であるが、室内も部分的に保存、復元されているようだ。訪問する機会があれば同一設計者の建物としてぜひ紹介したい。

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明治から大正期にかけて、地方の有力者などによって建てられた地方銀行の本店には内外装共に趣向を凝らした重厚華麗な建物が多く、現在でも博物館や記念館として保存、公開されているものも少なくない。

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とりわけ特徴的なものでは青森県弘前市の旧五十九銀行、秋田市の旧秋田銀行、岩手県盛岡市の旧盛岡銀行、富山県砺波市の旧中越銀行、福井県敦賀市の旧大和田銀行などが挙げられ、いずれも国や自治体の指定文化財となっている。旧唐津銀行本店もこれらの建物と並ぶ存在と言える。

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明治から昭和にかけて石炭の採掘で繁栄していた唐津には、旧唐津銀行の他に炭鉱王の邸宅として保存・公開されている国指定重要文化財の旧高取伊好邸や、旧三菱合資會社唐津支店などの優れた歴史的建造物が残されている。

第1228回・旧柏原町役場(丹波市役所柏原支所)

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兵庫県丹波市柏原町柏原にある丹波市役所柏原支所の建物は、昭和10年(1935)に柏原町役場の庁舎として建てられた。以前取り上げた旧氷上高等小学校旧柏原尋常中学校と同様、木造下見板張り、ペンキ塗り仕上げの洋風建築であるが、玄関ポーチなどの細部意匠に明治期の洋館とは異なる趣を有する昭和初期の木造洋風建築である。

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柏原藩の陣屋が置かれていた陣屋町の面影を残す街の中心地に建っている丹波市役所柏原支所。現在も現役の行政庁舎として使われている。

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庁舎の脇にある欅の大木は、「木の根橋」と称される推定樹齢1000年の古木。根の一本が脇を流れる奥村川を跨いで橋状になっていることからこの名があり、兵庫県の天然記念物にも指定されている。

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設計は兵庫県内に設計事務所を開き、大正から昭和にかけて北播磨から丹波地方を中心に、学校や役場など多くの公共建築を設計した内藤克雄(1890~1973)による。昭和初期の木造洋風校舎で近年保存が決まった西脇小学校の設計者としても知られる。

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同じ木造下見板張りペンキ塗り仕上げの洋風建築でも、明治18年(1885)に建てられた旧氷上高等小学校や明治30年(1897)に建てられた旧柏原尋常中学校に比べると昭和10年(1935)に建てられた柏原町役場は、建てられた時期に4~50年の開きがある。

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コンクリートで固めたアーチ型の玄関ポーチや五角形の屋根窓など、細部意匠には明治期の洋館には見られないモダンな造形が施されている。

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アーチ型の玄関ポーチは同時期のコンクリート造の建物では多く見られるが、下見板張りの木造建築に取り付けられるのは珍しい。

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昭和初期の洋館らしいモダンな意匠の屋根窓。

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金属製の棟瓦には柏原町の「柏」の文字が打ち出されている。窓の下の腰壁には、塗装を施したトタン板と思われる金属板が張られている。

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内部も装飾が施された天井や階段などが今もよく残されているという。丹波市ではこの建物を観光施設として活用を模索しているようだが、まだ具体的な方針は決まっていないようである。

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兵庫県内には旧柏原町役場のほか、当ブログでも以前取り上げた旧出石郡役所旧七美郡役所旧豊岡町役場など、明治から昭和初期に建てられた郡役所もしくは役場の庁舎が播磨、丹波、但馬地方を中心に数多く残されている。

第1227回・旧上高井郡役所

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長野県須坂市大字須坂にある旧上高井郡役所は、大正6年(1917)に建てられた、群制に基づく郡役所の庁舎としては長野県内では唯一残る建物である。現在は住民の交流施設及び各種歴史資料の収集・展示施設として使われており、伝統的な町並みが残る須坂の中心街において大正の木造洋館は異彩を添えている。

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群制は、現在の住所表記などで用いられる「郡」とは異なり、明治期から大正期にかけて実施されていた府県と町村との間に位置する「郡」を地方自治体として定めた制度であり、また、その制度を規定した法律である。

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大正12年(1923)に群制が廃止され、大正15年(1926)には郡役所も廃止されたが、それまでの間に全国各地において郡役所や郡会の庁舎が建てられた。旧上高井郡役所は現存する旧群制の遺構のひとつである。

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群制が廃止された後、郡役所等の建物の多くは行政施設などとして使われ、旧上高井郡役所も県の事務所や保健所などとして平成17年(2005)まで使われていた。現在も石の門柱には当時の陶製表札が残されている。

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役目を終えた旧上高井郡役所庁舎は、県から須坂市に譲渡され改修工事が行われ、平成19年(2007)より住民のための文化交流施設として使われている。

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木造2階建、寄棟造の瓦葺屋根を載せた洋風建築で、外壁は板張り(ドイツ下見)、正面玄関上部には切妻破風(ペジメント)を備え、バロック様式の特徴も備えているとされる。

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現在でも旧郡制の遺構は各地に現存するが、近隣では群馬県に旧碓氷郡役所庁舎が現存、群馬県内では現存する唯一の旧郡役所である。

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各地に現存する郡役所など群制の遺構は明治期のものが多く、意匠も明治初期の擬洋風建築や和風建築が多いが、大正6年に建てられ、比較的新しい時期に属する旧上高井郡役所は意匠も洗練されている。

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特に当時の県令(県知事)が政策として洋風建築の普及を進めた山形、福島、山梨などの各県や、開港場や鉱山があり早くから欧米人が訪れる機会の多かった兵庫県などでは学校など擬洋風建築が多く建てられ、中には旧郡役所の遺構も現存する。

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弊ブログでも先述の旧碓氷郡役所のほか、福島県の桑折南会津西白河の各郡役所、山梨県の東山梨郡役所、兵庫県の出石七美の各郡役所庁舎を紹介しており、併せて御覧頂きたい。

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旧幕時代は陣屋町として、近代以降は製糸業で栄え、現在も蔵造りの町並みが残されている須坂において、大正期の木造洋風建築である旧上高井郡役所は町並みに異彩を添える存在となっている。

第1226回・旧鹿児島監獄正門

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鹿児島県鹿児島市永吉1丁目にある鹿児島アリーナの敷地の一角に、かつてこの地にあった鹿児島刑務所(旧鹿児島監獄)の正門が残されている。司法省技師として多くの監獄や裁判所を手掛けた山下啓次郎による「明治の五大監獄」のひとつであり、その中でも唯一の石造建築である。国登録有形文化財。

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この地に鹿児島監獄の施設が建てられたのは明治41年(1908)で、鹿児島市の中心街に近い小川町からの移転に伴うものであった。昭和60年(1985)に鹿児島刑務所(大正11年に改称)が始良郡吉松町へ移転するまで、約80年間使われた。

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山下啓次郎(1868~1931)は警視庁を経て司法省技師となり、監獄施設の近代化を目指していた政府の指令を受けて明治34年(1901)に欧米の監獄施設を視察、帰朝後は「明治の五大監獄」と称される千葉金沢奈良・長崎・鹿児島の各監獄を設計した。

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これらの監獄施設は大半が煉瓦造であったが、鹿児島だけは石造であった。山下啓次郎は薩摩藩の出身であり、薩摩藩では江戸時代以前より石造の橋や建築を築く技術が発達していたことから石造が採用されたのかも知れない。

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正門のほか塀や事務棟、房舎も石造の施設であったが、鹿児島刑務所の移転後、跡地は機能の一部を鹿児島拘置支所として残した部分を除いて鹿児島市の所有となり、旧施設は正門を除き全て撤去された。

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「明治の五大監獄」は現在、国の重要文化財に指定されホテルとして活用が予定されている奈良を除き、いずれも鹿児島と同様に一部の施設しか残されていないが、正門は5か所とも全て残されている。(ただし金沢は博物館明治村への移築)

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建設に際しては、石材は前を流れる甲突川の上流から切り出され、船で運ばれたという。

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鹿児島市内には、尚古集成館本館(国指定重要文化財)や甲突川の石橋(石橋記念公園に移設)など、石造の建造物や橋が現在も残されているが、その中でも旧鹿児島監獄正門は特に美しい建物である。

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平成10年(1998)に国の登録有形文化財となっている。

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中世の西洋の城門風意匠で、中央上部にはゴシック風のバラ窓を思わせる装飾が施されている。円形の鉄柵の意匠もすばらしいものである。

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内側から見ると、壁面が石積みを強調した外側とは対照的に平坦に造られているのが分かる。

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脱獄防止のため、足をかけられるような装飾や凹凸は設けないようにしたようである。千葉や奈良など他の刑務所の正門でも同様の造りが見られる。

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「明治の五大監獄」のほか、戦前に建てられた刑務所の正門が保存されている例としては北海道の旧網走監獄や三重の旧安濃津監獄の正門などが挙げられる。

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旧網走監獄では明治期の木造門と大正期の煉瓦造門が共に残されているが、石造の刑務所の門は鹿児島でしか見られない非常に珍しいものである。

第1225回・杤木ビル

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北九州市若松区本町にある杤木(とちき)ビルは、大正9年(1920)に杤木商事(株)の本社屋として新築された事務所ビル。小規模ながらも鉄筋コンクリート造の採用、水洗便所など当時としては最新の技術と設備を導入して建てられた。現在は雑居ビルとして使用されている。

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若松区と戸畑区を結ぶ渡し船の船上から望む杤木ビル。後方の橋は昭和37年(1962)に架けられた若戸大橋。

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明治34(1901)年に若松町(現・若松区)で創業した杤木順作商店は、海陸運送業、石炭販売業、鉄工造船業など手掛け事業を拡大、大正4年(1915)には杤木商事株式会社となり、その5年後には鉄筋コンクリート造3階建の新社屋を建設した。

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その後杤木商事は事業の発展に伴い、本社を神戸を経て東京に移した。現在は後身に当たる杤木汽船(株)と、名古屋と大阪の支社を分社化した杤木合同輸送(株)と杤木協鐵輸送(株)としてそれぞれ盛業中である。

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若松の旧本社屋は現在、雑居ビルとして使われているが、ビル名に杤木の屋号を残している。現在は道路側が正面玄関のようであるが、本来は写真の海岸に面した側が正面玄関であったと思われる。

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台形の敷地に建っているためか見る角度によって形が変わり、道路側と海岸側では異なる印象を受ける。後年の改装で現在は見られないが、最上部には小さな庇があり、ライオンの彫刻があったという。

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設計は直方市出身の建築家で、旧門司三井倶楽部の設計者としても知られる松田昌平による。鈴木禎次が主任教授を務めていた名古屋高等工業の建築科を卒業、満鉄等勤務を経て設計事務所を開いた人物である。

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2階より上部の外壁には茶褐色のタイルを全面に貼り、部分的に異なる色のタイルでアクセントをつけている。タイルは明治までの赤煉瓦とは異なるモダンな外装材として特に大正期より好まれ、松田昌平のような若手建築家のみならず河合浩蔵武田五一などのベテランも好んで用いた。

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1階から半地階にかけての外壁と玄関周りは石張りで重厚に仕上げられている。

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重厚な海岸側玄関に対し、道路側玄関は半円形のモダンな造形。

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近隣の上野ビルなどと共に、往年の若松港の繁栄を伝える建物のひとつである。
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