FC2ブログ

第1249回・旧門司税関

s_P50204362.jpg

北九州市門司区の門司港レトロ地区にある旧門司税関は、明治45年(1912)に門司税関の二代目庁舎として建てられた煉瓦造の洋風建築。税関庁舎としては短命で、昭和2年(1927)に三代目庁舎に役目を譲った後は民間に払い下げられ、倉庫などに使われていた。平成の始めには門司港レトロ地区の整備に伴い改修され、休憩・展望所やイベント会場として活用されている。

s_P50204412.jpg

創建当初の古写真(現地に置かれた案内板より)。門司税関は明治22年(1889)に長崎税関の出張所(その後税関支署に昇格)として設置され、明治42年(1909)に長崎税関から分離独立、国内で7番目の税関として発足した。その当時の門司港は横浜、神戸、大阪に次ぐ全国第4位の貿易港であった。

s_P5020428.jpg

庁舎はそれまで使用していた税関支署庁舎が明治41年(1908)に火災で焼失していたことから、明治43年(1910)8月に木造のの初代庁舎が新築されるが、竣工から5ヶ月足らずで再び火災で焼失、その跡地に二代目庁舎として建てられたのが今日現存する赤煉瓦の建物である。

s_P50204322.jpg

大正から昭和初期にかけて門司港が近代的な貿易港として整備が進むと、門司税関は昭和2年(1927)に西海岸に竣工した合同庁舎(三代目庁舎)に移転する。竣工から15年で役目を終えた二代目庁舎は民間に払い下げられ、倉庫などに使用されていた。

s_P5020446.jpg

平成3年(1991)より、北九州市の門司港レトロ事業の一環として4年がかりで改修が行われた。改修直前には窓はモルタルで塞がれるなど改変が甚だしい状態であったが、戦災で焼失した瓦葺の屋根や、後年の改造で一部失われていた赤煉瓦の外壁が復元された。

s_P50204302.jpg

海に面した側は特に後年の改造が多かったものと思われ、両側の張り出し部分は新しい煉瓦で復元されていることが分かる。なお、倉庫として使用されていたためか、内部は創建時の面影を残すものは見当たらない。

s_P50204372.jpg

正面玄関側からの眺め。堂々とした構えは旧門司駅舎とよい勝負である。

s_P5020440.jpg

正面側の外壁は創建当初の煉瓦がよく残されており、基壇部分には焼き過ぎ煉瓦が使用されているのが分かる。手前に貼られているのは経済産業省の近代化産業遺産認定を示すプレート。

s_P5020439.jpg

赤煉瓦と焦茶色の焼き過ぎ煉瓦に窓台などに配された白い花崗岩、白く塗られた窓枠の組み合わせがすばらしい。

s_P5020438.jpg

全体的に簡素な建物であるが、玄関まわりは花崗岩でできたイオニア式の柱頭飾りや窓飾りを施すなど、装飾的に造られている。

s_P5020435.jpg

正面の3つある出入り口のうち、写真右端だけ開口部まわりが白いモルタルで縁取られているが、これは後年の改造である。

s_P5020434.jpg

現在、1階には門司税関の常設展示コーナーのほか、休憩室や展示室が設けられ、2階はギャラリーと展望室となっている。

s_P50204292.jpg

旧門司駅や旧大阪商船旧門司三井倶楽部などと並ぶ門司港レトロ地区を代表する建物のひとつである。

(参考) 門司税関ホームページ
門司税関庁舎の歴史  (焼失した初代庁舎や今はない三代目庁舎の写真も載っている)
門司税関100周年記念誌
スポンサーサイト



第1248回・上田市旧宣教師館

s_P92916712.jpg

長野県上田市下之郷にある旧宣教師館は、同市大手にある新参町教会の婦人宣教師のための住宅として、明治37年(1904)に建てられた木造2階建の洋館。平成5年(1993)に上田市の所有となり、現在地に移築、一般公開されている。上田市の指定文化財。

s_P92916262.jpg

現地の案内解説版にあった古写真。元々は上田城跡に近い丸堀(現・上田市大手)に建っていた。隣接する梅花幼稚園の建物は現存しており、現在も同園の施設として使用されている。

s_P929166022.jpg

現在は上田市の郊外に移築されている旧宣教師館。カナダ・メソジスト派のプロテスタント教会である新参町教会の婦人宣教師用住宅として建てられた。なお、新参町教会の建物は、昭和10年(1935)に建てられた礼拝堂が現在も使用されている。

s_P9291629.jpg

宣教師は新参町教会での布教とともに、宣教師館に隣接する梅花幼稚園を運営し、保母の養成も行っていた。宣教師館は宣教師の生活の場であると同時に、保母教育の場としても使用されていた。

s_P9291672.jpg

国際関係の悪化に伴い昭和15年(1940)に宣教師が帰国した後、宣教師館は医師の三吉敬蔵氏の所有となり、その後は住宅兼医院として長い間使われていた。

s_P9291666.jpg

改築のため取り壊される予定であったが、平成5年(1993)に上田市が取得、市の文化財に指定され、翌年に現在地へ移築された。

s_P9291678.jpg

外観は立方体に近い形状に日本瓦葺の寄棟屋根が載っており、外壁はペンキ塗り下見板張り仕上げ、南面には四角いベイウインドウが2つ並んでいる。

s_P9291635.jpg

アーリー・アメリカン様式もしくはアメリカン・コロニアル様式と称される、開拓期のアメリカにおける簡素な造りの木造住宅の様式を取り入れているが、瓦屋根や二階ベランダ脇の戸袋など日本的な造りも見られる。

s_P9291665.jpg

正面右側の角は、2階はベランダ、その下が玄関ポーチになっている。

s_P9291641.jpg

玄関及び階段ホール。
玄関脇にはこの洋館で一ヶ所しかないアーチ窓が設けられている。

s_P9291633.jpg

引き戸で仕切られた1階の部屋。奥が食堂と思われる。

s_P9291639.jpg

宣教師館らしく、どの部屋も簡素な実用重視の造りの洋室である。

s_P92916402.jpg

作り付けの飾り棚。
食器棚として使われていたのだろうか。

s_P9291643.jpg

玄関ホールから階段を見る。
階段の親柱や手すりも直線を基調にしたごく簡素なものとなっている。

s_P9291647.jpg

2階階段室。
菱形の飾り窓が目を引く。

s_P9291654.jpg

2階の洋室。

s_P9291649.jpg

玄関ポーチの真上に位置するベランダ兼サンルーム。
天井や壁面は玄関ポーチと同じ造りになっており、半屋外的な空間である。

s_P9291655.jpg

使用人用の和室が設けられている。
写真は大小2室あるうち、大きい方の部屋。

s_P9291657.jpg

キリスト教宣教師の住居として明治以降建てられた洋館は、東京の旧マッケレーブ邸や静岡市の旧エンバーソン住宅など全国各地に現存する。長野県内では同種の施設として松本市の旧司祭館があり、上田市旧宣教師館と同様に市によって移築保存され、一般公開されている。

s_P929166222.jpg

上田市街を見渡せる位置にある旧宣教師館。訪問したのは9月の末だったが、約2週間後には台風19号のため上田市も大きな被害を受けた。心よりお見舞い申し上げると共に、一時も早い復旧を祈りたい。

第1247回・旧下関英国領事館

s_P50203632.jpg

山口県下関市唐戸町にある旧下関英国領事館は、明治39年(1906)に建てられた赤煉瓦2階建の西洋館である。英国領事館として建てられた建物で現存するものとしては国内最古であり、付属棟や塀まで施設一式がよく残されている。国指定重要文化財。

s_P5020344.jpg

英国が下関に領事館を設置したのは明治34年(1901)で、当時駐日英大使であったアーネスト・サトウが、当時外交・経済・交通の拠点であった下関への領事館設置を本国政府に具申したことによる。領事館設置から5年後の明治39年(1906)に現在残る建物が竣工した。

s_P50203772.jpg

設計は英国工務局上海事務所技師長であったウィリアム・コーワンと推定されている。なお、下関より少し遅れて明治41年(1908)に竣工した長崎の英国領事館の建物も同じ設計者によるものとされており、下関と同じく国指定重要文化財である。

s_P50203652.jpg

現在は埋め立てられ国道2号線が通っているが、かつては領事館の建物は関門海峡に面しており、3連アーチのあるベランダからは海岸が一望できたという。

s_P50203622.jpg

領事館の北隣には、帝国主義時代のアジア一帯に勢力を築いた英国の貿易商社であるジャーディン・マセソン商会の下関支社があった。赤煉瓦造の3階建でアーチが連なるベランダを備え、すぐ近所の田中町に現存する旧宮崎商館とよく似た外観の洋館であったが、戦災を受けて取り壊され、現存しない。

s_P50203432.jpg

昭和16年(1941)の大東亜戦争勃発により英国領事館は閉鎖され、戦後、領事館が再開された後もこの建物に領事館機能が復活することはなく、下関警察署唐戸派出所として昭和43年(1968)まで使用されていた。

s_P5020354.jpg

派出所としての役目を終えた後は下関市の施設(下関市考古館)として公開されていたが、昭和62年(1987)に下関市指定文化財、平成11年(1999)に国指定重要文化財となり、大規模な保存修理工事が行われた。

s_P5020361.jpg

平成26年(2014)より「旧下関英国領事館」として公開を再開、現在に至っている。

s_P5020358.jpg

館内は領事の執務室などを中心に、領事館として使われていた頃の姿を再現展示しているほか、2階には喫茶・パブなどの飲食店が設けられている。

s_P5020350.jpg

領事の執務室。
ベランダに面しており、かつては関門海峡を一望できた。

s_P5020351.jpg

館内には暖炉が複数設けられており、中でも領事執務室の暖炉は最も重厚な装飾が施されている。

s_P5020355.jpg

s_P5020348.jpg

その他の部屋の暖炉飾りは領事執務室よりは簡素だが、部屋ごとに異なる意匠が施されている。

s_P50203524.jpgs_P50203564.jpg

暖炉の火除けタイル。

s_P5020369.jpg

領事室や領事の居室などに使用されていた2階建の主屋に隣接して、使用人室や厨房、便所などを備えていた平屋建の附属屋も現存しており、これらの施設も重要文化財に指定されている。

s_P5020347.jpg

中庭から望む付属屋。付属屋はかつての使用人室や厨房があった部分はギャラリーとして貸し出されており、便所は設備は新しくなっているが、現在も同じ用途で使用されている。

s_P5010277.jpg

かつての英国領事館、大使館関係施設で現在、文化財建造物として保存、公開されているものとしては下関、長崎の旧領事館の他、栃木県の中禅寺湖畔に明治29年(1896)に建てられた旧英国大使館別荘がある。下関領事館設置を進言したアーネスト・サトウが建てた簡素な和洋折衷の山荘で、現在は栃木県の施設として保存、公開されている。

お見舞い(台風19号災害)

この度の台風19号による災害で亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
これまでに弊ブログでも取り上げた建物の中にも、浸水等の被害を受けたものがあるかと思われます。

被災された方々へお見舞い申し上げますと同時に、自衛隊、関係省庁、企業、自治体等、復旧に尽力されている方々へ感謝と敬意を払うものです。

一刻も早い災害の収束を願います。

第1246回・旧有島生馬邸(有島生馬記念館)

s_P92815852.jpg

長野市信州新町上条にある有島生馬記念館は、洋画家の有島生馬の旧宅であった洋館を鎌倉の七里ヶ浜から移築したもの。明治23年(1890)にイタリア人貿易商の住居として建てられたコロニアル様式の木造洋館で、同様式の洋館は長崎や神戸などでは多く残されているが、東京や横浜、及びその近郊にあったもので現存するものは珍しい。

s_P92815822.jpg

有島生馬(1882~1974)は横浜生まれの洋画家で、小説や随筆も著し、晩年には文化功労者に選ばれた人物である。前回記事でも紹介した作家・有島武郎は実兄、同じく作家である里見弴は実弟である。

s_P9281592.jpg

大正9年(1920)、肺を病んだ有島生馬は稲村ケ崎にあった新渡戸稲造の別荘で静養していたが、その近くに建っていたのがこの洋館であった。当時既に主はなく、留守番の老人が住み込みで管理するも廃屋同様であったという。

s_P9281587.jpg

この荒廃した洋館に有島生馬は魅せられ、大正10年(1921)に購入する。留守番の老人は使用人として雇い、荒廃した洋館は手を加え、自らの居住及び創作の場とした。周囲に松の木が生い茂ることから、「松の屋敷」と呼ばれていた。

s_P9281590.jpg

同じく鎌倉に邸宅を構えていた実弟の里見弴や、与謝野寛・晶子夫妻、遠藤周作等、有島生馬一家と親交のあった多くの文化人がこの洋館に出入りしていたが、有島生馬の没後は上智大学の所有となり、研修施設建設のため取り壊されることになった。

s_P92815962.jpg

有島生馬の一人娘である暁子(昭和天皇皇后の欧州歴訪に同行、通訳を務めた人物)の尽力により、建物は上智大学から信州新町に無償譲渡、移築されることになった。写真は移築するため解体直前の旧有島生馬邸(記念館の展示品)である。

s_P92816192.jpg

有島生馬と信州のつながりは戦時中に佐久へ疎開していたことが縁で、戦後は度々信州を訪れ、信州新町にも8回にわたって訪れていた。昭和57年(1982)に現在地に再建された旧宅は「有島生馬記念館」として公開され、現在に至っている。

s_P9281593.jpg

玄関を入るとすぐ右手に主室のある2階への階段が設けられている。全面的に赤く塗られた外壁が目を引くが、有島生馬が購入する前は、神戸の異人館にあるような、ベージュに茶色の縁取りが施された外観であったという。

s_P9281602.jpg

外観、室内共に至って簡素な造りで、暖炉や装飾的な階段などは見られないが、ベイウインドウや広く取られたベランダなど、明治期に長崎や神戸、横浜などの外国人居住地に多く建てられたコロニアル様式の洋館の特色を備えている。

s_P9281600.jpg

この洋館を特徴付けている八角形の小窓。
館内の随所に見られる。

s_P9281604.jpg

館内は有島生馬とその家族についての紹介や有島生馬の作品(絵画、書など)展示のほか、有島家で使われていた家具なども保存、展示されている。

s_P9281603.jpg

古風な飾り棚。

s_P92816072.jpg

古めかしい硝子製のシャンデリアも有島家時代からの品だろうか。

s_P9281609.jpg

一階と二階の玄関側は展示室として活用するため間取りも改装されているが、かつては七里ヶ浜に面していたベランダとそれに面した3つの洋室は移築前の面影を残している。

s_P9281611.jpg

広々としたベランダ。
八角形に張り出した両端と、中央の入口両脇の八角窓が空間に変化を与えている。

s_P92816102.jpg

かつては湘南の海を望むことができたベランダからは現在、有島生馬の命名によるダム湖「琅鶴湖」の眺めが広がっている。

s_P9281606.jpg

有島生馬は冬はサンルームとしても使えるこの空間を「サロン」と称して愛用し、ソファや書棚を置き、観葉植物を飾って使っていたという。ベランダで過ごす写真も残されており、実弟の里見弴と写っているものもある。

s_P9281618.jpg

ベランダの真下は吹き放ちの通路となっている。一階は二階に比べるとかなり天井が低く、玄関を置くほかは使用人部屋や厨房、物置などのサービス空間に充てられていたのではないかと思われる。

s_P9281588.jpg

横浜や鎌倉では明治期のコロニアル様式の洋館は関東大震災と戦災でほぼ失われており、他所に移築されたとは言え、現存するものは珍しい。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

(写真について)
写真は特記しない限り管理人の撮影です。また絵葉書等の古写真は管理人の所蔵品、もしくは訪問先の展示品を撮影したものです。利用・転載等希望される場合は管理人まで御連絡頂けると幸いです。

(リンクについて)
リンクはフリーです。

(コメントについて)
記事と関係の無いコメントは削除させて頂く場合もあります。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード