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第1252回・旧山本家住宅(再訪その2)

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弊ブログにて過去2回紹介したことのある、兵庫県姫路市網干区興浜の旧山本家住宅を訪れた。姫路市の所有となり一般公開されている旧山本家住宅は明治期の主屋と土蔵2棟、大正7年(1918)に建てられた洋館と離れ座敷から構成される邸宅である。これまでの記事で紹介していない箇所も含めて改めて紹介したい。

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旧室津道に面して建つ旧山本家住宅。2件隣に先日紹介した旧水井家住宅がある。明治初期に建てられたという主屋の脇には和洋折衷の造りで望楼が目を引く洋館があり、街路とは高塀と専用の門で仕切られている。

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洋館は大正7年(1918)に、当時の当主で網干銀行頭取や網干町長も務めた山本真蔵氏によって建てられた。山本家は呉服商であったが、氏の代に当時神戸や姫路で盛んであった燐寸(マッチ)の製造などで財を成したという。先日レストラン・カフェとして再生された煉瓦造の洋館である旧網干銀行もほぼ同時期に建てられた。

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唐破風のある玄関ポーチを備えた和洋折衷の意匠が目を引く洋館。玄関ポーチの石段や正門に続く石畳には巨大な御影石が使われ、水はけをよくするためか石畳の表面は緩い円弧状に仕上げるなど材料、仕上げ共に贅を尽くしている。

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洋館の側面外壁。奥の硝子戸が嵌め込まれている場所はサンルームで、洋館の奥に庭園と離れ座敷がある。

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洋館の裏側のみモルタル仕上げになっており、ステンドグラスが嵌め込まれた書斎の出窓がある。

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庭園は創建当時の規模を残していると思われる。かつては庭園には様々な種類の石燈籠が建っていたが、戦後に売却されたという。

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庭園から望む洋館と離れ。
反りのある瓦屋根が特徴の離れも、洋館と同時期に建てられたものと思われる。

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特別な来客のために建てられた離れは次の間付きの座敷と大広間で構成されていたが、大広間は昭和25~6年頃に山本家の斜め向かいにある丸万鮮魚店に売却され、料理店も営んでいた同店の宴会場として移築された。

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大広間は移築されたが、付随していた外便所はもとの位置に残されている。吹きさらしになっているのが小便所で小窓があるのが大便所である。手前には手水鉢があり、旧水井家住宅の外便所と同じ形式である。

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小便所の腰壁にある色鮮やかな花模様のタイルは、同じ兵庫県内の淡路島を発祥とする老舗タイルメーカーである淡陶(ダントー)の製品。

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洋館脇にある主屋にはタイル貼りの竈が残されている。

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洋館玄関から室内を望む。玄関の床は大理石仕上げである。
内外共に個性的な造りが特徴的な旧山本家住宅の洋館は、播磨地方では加古川市の多木浜洋館(あかがね御殿)と並ぶ存在である。

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洋館の中では最も華やかな造りの応接室。隣接する書斎と共に照明器具から家具調度類まで大正時代の形が極めてよく残されている。暖炉脇の扉はサンルーム及び書斎に通じている。

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ステンドグラスの出窓が目を引く書斎。暖炉脇の窓にもステンドグラスが配されている。窓の奥にはサンルームがある。

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書斎と応接間に配されている暖炉。燃料としてコークスを燃やし、天井の四隅に開けられた通風口から暖気を送り込むように造られているという。書斎の暖炉飾りには花頭窓や蟇股など和風意匠が見られる。応接間の鏡枠は高級材として知られる黒柿で造られている。

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応接室の椅子やテーブルには大正期の洋館や家具によく見られる象嵌細工が施されている。洋館建設と同時に誂えられた特注品と思われる。床の寄木細工も美しい。

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書斎にも戦前からのものと思われる家具がよく残されているが、こちらは書棚や机などアールデコ調の装飾が施されており、昭和初期の製作と思われる。取っ手などに黒柿が用いられた高級な仕上げである。

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旧山本家住宅に残る古い照明器具。写真は応接間と離れの便所。

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旧山本家住宅は洋室である書斎だけではなく、和風の離れでも廊下の天井などにステンドグラスが使われている。

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離れに付属する洗面所にまでステンドグラスがある。離れに泊める来客用に造られたと思われる洗面所では、貝合わせの蛤を壁一面に埋め込むという装飾が施されており、他では見られない独特のものである。

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洗面所と浴室と共に趣向を凝らした贅沢な造りとなっている。
洗面台は白大理石で周囲は白いタイル貼りとなっており、その一部は松葉と花の模様が見られる。

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洗面所の隣にある客用浴室。
浴槽と床は大理石で造られており、壁にはタイルと高野槇が用いられている。

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欅財で仕上げられた洋館の階段室。望楼の真下に位置する。手摺りや欄干の意匠は装飾的な明治期の洋館とは異なり、シンプルながらも一本一本が曲線を持つ、非常に手の込んだものとなっている。

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望楼の中は姫路城の大天守も遠望できる展望室が設けられている。展望室は畳敷きの小部屋で、特別な来客を通すためなのか天井は精巧な造りの格天井である。

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展望室から斜め向かいの丸万鮮魚店を見下ろす。二階部分がかつての山本家離れ大広間。第二次大戦後は戦前からの富裕層の多くが没落し、家屋敷を手放したり一部を切り売りする例が多く存在したが、これもそのような事例の一つと思われる。

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山本家は床の間を備えた座敷が数多く設けられ、意匠や材料など座敷毎に異なっている。洋館の書斎の向かいにある金庫室にまで床の間が設けられている。

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当家では最も格式の高い部屋であったとされる離れ座敷。
先述のとおり、この離れには専用の浴室と洗面所があり、奥には接待の宴席用か大広間も設けられていた。

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洋館2階の街路に面した位置にある座敷。床柱は当家の敷地内にあった梅の木とされる。場所や大きさからして、格式張らない来客や家族のために使う部屋と思われる。洋館の2階にはこのほか、次の間と書院を備えた座敷が別に設けられている。

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地方の名士が建てた戦前の和洋折衷の邸宅としては、意匠や造りの凝りようなど指折りの存在と言ってもよい旧山本家住宅。まだあまり知られていないが再生された旧網干銀行共々、網干の名所となることを願うものである。
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第1251回・御花(旧立花寛治伯爵邸)

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福岡県柳川市新外町にある「御花」は、かつての柳川藩主・立花家の邸宅で、現在は立花家が経営する料理旅館として知られている。現在残る建物と庭園は、明治末期に14代当主である立花寛治伯爵によって造営されたもので、庭園を始め邸宅の敷地全体が国の名勝に指定されている。

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旧立花伯爵邸は正面に門衛所を備えた正門と白亜の西洋館を構え、その背後に広大な日本家屋と庭園が広がる構成になっている。小さなドーム屋根が載る門衛所は神戸の兵庫県公館のものとよく似ている。

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明治43年(1910)に建てられた洋館の設計は今はない旧福岡県庁舎や、国指定重要文化財の旧福岡県公会堂貴賓館などを手掛けた福岡県庁技師の三條栄三郎と、同じく技師として務めていたとされる亀田共次郎の両者が手掛けたと推測されている。

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側面から見た洋館。車寄せのある正面玄関は来客用で、伯爵家では通常は側面の玄関(写真の左奥)もしくは日本家屋から出入りしていたようである。手前に張り出した平屋建は便所棟。

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洋館の背後及び脇には広大な日本家屋が建つ。邸宅は一部が撤去、改築されたものの、洋館のほか接客用の大広間棟と伯爵家の日常生活の場である居住棟、伯爵家の事務を司る「家政局」など、主要な建物は残されている。かつては能舞台や茶室、撞球場などもあったという。

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戦国武将・立花宗茂(1567~1643)が豊臣秀吉の取り立てにより柳川城主となって以来、立花家は一時期を除いて現在まで四百年以上にわたり柳川に本拠を構え、明治維新で華族となった際も、特別の許可を得て東京から国許へ戻った極めて数少ない大名家である。

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庭園側から見た全景。庭園に面して大広間棟と平屋建の居住棟が並立する。正面に洋館を配し、奥の庭園に面して大小の和風建築を連ねる構成は舞子浜の旧日下部久太郎邸(舞子ホテル)を連想させる。

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大広間棟の脇に建つ平屋建ての居住棟。かつてはより大規模な和風建築であったが、現存するのは14代当主の立花寛治(1857~1929)夫妻や子息で15代当主の鑑徳(1884~1957)の居室などとして使われていた7室の座敷で、現在は料亭の個室として利用されている。

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国の名勝にも指定されている庭園「松濤園」から望む大広間と居住棟。松濤園は邸宅と同様に、立花寛治伯爵によって造営されたもので、黒松に囲まれた池の中には二つの島と多数の岩を配し、冬場には野鴨が飛来することで知られる。

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洋館の正面玄関の先には一本の材木から削り出された円柱のある3連アーチを備えたホールがある。邸宅は明治天皇が陸軍の演習に隣席するため訪問されたときの御座所となることも想定して建てられたというが、御座所として使われることはなかった。

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玄関ホールの奥には暖炉のある洋室がある。
食堂としても使われていたため、配膳用の小窓や食器棚が置かれている。

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重厚で力強い彫刻が施された階段親柱や手摺りなど、館内の随所に明治の西洋館らしい造形を見ることができる。

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階段室から2階の階段ホール天井を望む。
この洋館では明治43年の創建当初より電燈が用いられていた。

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2階の広間はこの洋館の中では最も格式の高い部屋である。かつての柳川藩主、殿様である立花伯爵に旧家臣などが謁見するための部屋としても使われていた。

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館内に飾られていた2階広間の古写真。

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白大理石と漆喰彫刻で飾られた、広間正面の暖炉飾り。

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扉の周りも重厚な彫刻で飾られている。

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洋館のシャンデリアは創建当初からのものと思われる。

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伯爵家で使われていたと思われる家具も随所に置かれていた。

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戦後、立花家は爵位と共に農地改革や財産税によって多くの財産も失うが、16代当主・立花和雄(1907~1994)と妻の立花文子(1910~2010)は、生活のために残った邸宅を用いて昭和25年に料亭「御花」を開業、その後間もなく旅館業も始めた。

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立花和雄・文子夫妻がそれぞれ残している書籍(売店で販売されている)では、明治以降の立花伯爵家の歴史、料亭開業の経緯や当初の厳しい経営状況なども詳しく記されており、興味深い内容である。

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当初は試行錯誤の殿様商売であった「御花」は、現在では柳川を代表する観光名所となっている。

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近年改修工事が行われた大広間棟の内部。

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庭園に面した障子には斜め格子模様が入った硝子が嵌め込まれ、外の風景を望むことができる。

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大広間に2つあった床の間のうち、ひとつは料亭旅館となった後に舞台に改造されていたが、改修工事に際し復原された。

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大名家の本邸にふさわしい格調高い大広間。結婚披露宴の会場などに使われている。

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大広間棟から居住棟へ続く吹きさらしの渡り廊下。先に触れた旧日下部邸の瀟洒な数寄屋造りと比較すれば、この館が武家の住まいらしい剛直なものであることがより分かる。

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居住棟座敷の夜の姿。
「御花」は食事や宿泊以外でも、庭園や西洋館、敷地内の史料館は有料で見学できる。

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西洋館と日本家屋、庭園まで一体で残る近代の大規模な邸宅は、同じ福岡県の旧松本家住宅(西日本工業倶楽部)など、全国的に見てもごく僅かしか残されていない(大概はいずれかが失われている)。その中でも「御花」は用途こそ変わったものの、現在も立花家の本拠として使われている数少ない邸宅である。

第1250回・旧水井家住宅

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兵庫県姫路市網干区にある旧水井家住宅は、大正11年(1922)に材木問屋の住居として建てられた。黒漆喰仕上げの重厚な造りが特徴の古民家で、近接する旧山本家住宅と共に現在は姫路市が所有、管理している。

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網干区の旧市街地は戦災を免れたため、現在でも古い町並みがよく残されており、以前紹介したダイセル異人館旧網干銀行などの近代洋風建築も点在する。その中でも旧網干銀行は修復、改装され、レストラン「旧網干銀行湊倶楽部」として甦るなど、これらの建物を活かした取り組みが行われている。

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旧水井家住宅と同じく姫路市が所有しており、平成28年より定期的に一般公開されている旧山本家住宅。網干銀行の頭取であった山本真蔵氏の邸宅で、大正7年(1918)に建てられた和洋折衷の洋館棟は播州でも屈指の邸宅建築である。弊ブログでも以前2回にわたり紹介しているが、回を改めて再訪記事を投稿させて頂く予定である。

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その旧山本家住宅とは目と鼻の先にあるのが旧水井家住宅。主屋は旧山本家洋館と同様に、黒漆喰仕上げの重厚な外観が特徴である。ナマコ壁が目を引く土蔵は大正3年(1914)に建てられたものである。

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旧水井家住宅は近年姫路市に寄贈され、現在は同市が管理している。

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通常は非公開であるが、催事等のときに公開されることがある。
今回訪問した際は1階の一部が公開されていたので紹介したい。

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玄関周りの柱や壁など木部は紅いベンガラが塗られている。
柱などにベンガラを塗って仕上げる例は近畿地方や中国地方の古民家で時折見ることができる。

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式台を備えた玄関。

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玄関の間の先には立派な仏間がある。

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床脇の仏壇は仏間の中でも独立した造りとなっており、僧侶が出入りするためと思われる出入口も設けられている。入口上部の欄間や格天井に精緻な造りが見られる。

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当家で最も格式の高い部屋と思われる、仏間に隣接する座敷。

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床脇には金箔貼りの壁に寺院風の花頭窓が穿たれ、太い床柱と共に重厚な意匠が目を引く。床の間との間に穿たれた菱形の狆潜りも珍しい。

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座敷から裏庭を望む。縁側に嵌められた硝子戸など古い建具類もよく残されている。

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縁側の角に残るランプシェード。

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座敷の裏には来客専用と思われる洗面所と浴室があり、色鮮やかなタイルなど創建当時の造りがよく残されている。

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タイル部分を拡大。

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かなりうすれているが、花模様が描かれた電燈の笠。

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玄関の奥には小屋組みの一部を見せる吹き抜けがある。

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主屋の裏手にも土蔵がある。

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裏の土蔵脇に設けられた外便所。
小便器は現在では珍しい絵入りの陶器が残されている。

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今は荒れているが、旧網干銀行と同様に甦る日が来ることが祈る。

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旧水井家住宅は和洋の技巧を凝らした旧山本家住宅に比べると少し地味な印象の建物であるが、内外共に重厚な造りがすばらしい建物である。貴重な歴史的建造物に恵まれた網干の街がこれらの資産を生かすかたちで活性化する事を祈りたい。
プロフィール

syoukou

Author:syoukou
(ブログについて)
現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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