第1177回・旧林療院(郡上八幡楽藝館)
前回に続き、岐阜県郡上市に残る旧医院の建物。八幡町島谷にある旧林療院の建物は、明治37年(1904)に建てられた洋風建築で、旧足軽屋敷を移築した看護婦棟や、大正期に増築されたレントゲン室などの附属建物も残されている。現在は「郡上八幡楽藝館」の名で保存活用されている。国登録有形文化財。
旧林療院は八幡町の中心街にあり、先日取り上げた旧八幡町役場とは目と鼻の先に建っている。
写真右が明治37年(1904)の開業に建てられた本館、左が旧藩時代の足軽屋敷を移築改造して建てられた看護婦棟。
郡上八幡では、幕末に赤痢などの伝染病が蔓延したことから、当時八幡藩主であった青山幸哉によって、藩校に医学の講座を設けるなど西洋医学の導入が積極的に進められた。
そのため明治に入ると、郡上八幡は岐阜県内でも特に医師の数が多く郡上郡では無医村が殆ど存在しないなど、医療体制は他の地域に比べると非常に充実していたという。
明治37年に医師の林吉蔵氏が林病院(のち林療院に改称)を開業、擬洋風建築の本館と入院棟、城下町から移築した旧足軽長屋で構成される建物を八幡町の中心街に建てた。
大正中期には岐阜県下では最初のレントゲン設備が導入されている。このとき増築された別棟のレントゲン棟も残されている。
本館の玄関ポーチ及び外壁の四隅にある付柱には、擬洋風建築らしい意匠の柱頭飾りが設けられている。
明治から平成の初めまで郡上八幡の医療施設として使用された建物は、林療院が閉院した後の平成9年(1997)に林家から八幡町(当時)に寄付され、町の教育・文化施設として活用されることになった。
敷地内の建物4棟は補強、改修工事が行われ、平成12年(2000)に「郡上八幡楽藝館」として開館した。なお、改修に先立ち4棟のうち本館、看護婦棟、レントゲン棟は平成10年(1998)に国の登録有形文化財となっている。
病院時代の佇まいがそのまま残されている受付。
本館1階とレントゲン棟は林療院の歴史を伝えるべく、医院として使用されていた時の状態で保存、公開されている。
かつての林療院の看板。
診察室。
壁と天井は漆喰塗り仕上げで、床にはかつては洋室の一般的な床仕上げ材であったリノリウムが貼られている。
診察室の天井照明台座には菊のような花の装飾が施されている。
診察室に隣接する外科室。本館1階にはこのほか薬局等が設けられている。
吹き放しの渡り廊下で本館と結ばれたレントゲン棟。2階部分は硝子戸を入れたベランダになっており、どっしりした印象の本館とは対照的に住宅風の瀟洒な洋館となっている。
レントゲン棟は1階部分が公開されており、現像室や機械操作室などは使用されていた当時のままで保存されている。展示の解説ではX線の放出を防ぐため内壁は鉛で囲まれているとあるが、壁が赤いのはそのためかも知れない。
同時期の病院建築で、別棟としてレントゲン棟があったものに岡山県津山市の中島病院があるが、こちらのレントゲン棟は現存しない。中の設備まで残る大正時代のレントゲン棟は非常に珍しいのではないかと思われる。
本館2階にある旧病室。角の1室だけそのまま保存されている。昔の病院では和室の病室も珍しくなかった。同時期に隣県の木曽谷に建てられた清水医院(現在は明治村に保存)では診察室以外は全て和室になっている。
本館1階とレントゲン棟は昔の医院の姿がよく残されている。また、2階の大部分と看護婦棟、その裏手にある入院棟はそれぞれ内部を改装し、画廊や資料展示室として活用されている。
郡上八幡の街歩きにはぜひ立ち寄りたい建物のひとつである。
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