第590回・タイ王国大使公邸(旧濱口吉右衛門邸)

東京都品川区上大崎にあるタイ王国大使公邸は、元々は和歌山出身の実業家・十代目濱口吉右衛門(1883~1946)の邸宅として昭和9年(1934)に建てられたものである。昭和18年(1943)にタイ王国大使館となり、現在は大使公邸として使われている。

和歌山・有田の旧家である濱口一族は、千葉の銚子における醤油醸造等で財を成した家である。濱口吉右衛門は東濱口家の十代目当主である。

昭和6年に十代目吉右衛門は、電力王として知られる福澤桃介所有の土地を購入、横浜郵船ビルなどの設計で知られる和田顕順(1889~1977)の設計、清水組(現清水建設)の施工で、自邸の建設を開始する。

昭和7年に着工、2年後の昭和9年に竣工。
建設に際しては、建材や家具調度には美術に造詣の深かったという十代目吉右衛門によって選ばれた、上質の輸入品がふんだんに取り入れられている。

十代目吉右衛門の姪の一人には、のちに満州国皇帝溥儀の実弟・溥傑夫人となる嵯峨浩(愛新覚羅浩 1914~1987)がいる。

濱口家で養育を受けた嵯峨浩は、この邸で溥傑と見合いを行い、新婚生活も一時ここで送ったという。
そのため現在も、このとき使われていた中国式の家具調度類が残されている。

なお、溥傑・浩夫妻がこの邸で過ごしたのは、以前取り上げた千葉市稲毛海岸の家に住む前後のことと思われる。
(弊ブログ第542回記事・愛新覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ))

大東亜戦争下の昭和18年、タイ王国のディレーク・チャイヤナーム駐日大使が100万円で濱口吉右衛門より購入、タイ王国大使館となる。

このとき家具調度類も邸宅と共に引き継がれたようである。外国大使館に譲渡したのは戦局の悪化に伴い、当時既に予測されていた米軍の空襲から守るためであったとも考えられる。

戦災も免れ、昭和27年には隣接して別館を増築、大使館を別館に移して旧濱口邸は大使公邸として使用され、現在に至る。なお大使館は現在建て替え中である。

現代的なコンクリート打ち放しの新大使館の横で、大使公邸は変わらない佇まいを残している。

タイ王国大使館のホームページにて大使公邸は詳細に紹介されており、庭園側の外観や、重厚華麗な室内の写真を見ることができる。(本文記事も同ホームページの解説を参考にさせて頂いた)
タイ王国大使館 タイ王国大使公邸の紹介ページ
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