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第1225回・杤木ビル

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北九州市若松区本町にある杤木(とちき)ビルは、大正9年(1920)に杤木商事(株)の本社屋として新築された事務所ビル。小規模ながらも鉄筋コンクリート造の採用、水洗便所など当時としては最新の技術と設備を導入して建てられた。現在は雑居ビルとして使用されている。

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若松区と戸畑区を結ぶ渡し船の船上から望む杤木ビル。後方の橋は昭和37年(1962)に架けられた若戸大橋。

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明治34(1901)年に若松町(現・若松区)で創業した杤木順作商店は、海陸運送業、石炭販売業、鉄工造船業など手掛け事業を拡大、大正4年(1915)には杤木商事株式会社となり、その5年後には鉄筋コンクリート造3階建の新社屋を建設した。

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その後杤木商事は事業の発展に伴い、本社を神戸を経て東京に移した。現在は後身に当たる杤木汽船(株)と、名古屋と大阪の支社を分社化した杤木合同輸送(株)と杤木協鐵輸送(株)としてそれぞれ盛業中である。

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若松の旧本社屋は現在、雑居ビルとして使われているが、ビル名に杤木の屋号を残している。現在は道路側が正面玄関のようであるが、本来は写真の海岸に面した側が正面玄関であったと思われる。

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台形の敷地に建っているためか見る角度によって形が変わり、道路側と海岸側では異なる印象を受ける。後年の改装で現在は見られないが、最上部には小さな庇があり、ライオンの彫刻があったという。

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設計は直方市出身の建築家で、旧門司三井倶楽部の設計者としても知られる松田昌平による。鈴木禎次が主任教授を務めていた名古屋高等工業の建築科を卒業、満鉄等勤務を経て設計事務所を開いた人物である。

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2階より上部の外壁には茶褐色のタイルを全面に貼り、部分的に異なる色のタイルでアクセントをつけている。タイルは明治までの赤煉瓦とは異なるモダンな外装材として特に大正期より好まれ、松田昌平のような若手建築家のみならず河合浩蔵武田五一などのベテランも好んで用いた。

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1階から半地階にかけての外壁と玄関周りは石張りで重厚に仕上げられている。

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重厚な海岸側玄関に対し、道路側玄関は半円形のモダンな造形。

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近隣の上野ビルなどと共に、往年の若松港の繁栄を伝える建物のひとつである。

第1224回・旧大阪商船門司支店(北九州市旧大阪商船)

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北九州市門司区にある北九州市旧大阪商船は、戦前の日本を代表する船会社のひとつであった大阪商船(株)の門司支店として大正6年(1917)に建てられた。オレンジ色の煉瓦タイルにセセッション風意匠の塔屋が特徴的な門司を代表する大正期の洋風建築である。現在は北九州市が所有しており、国の登録有形文化財となっている。

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門司港レトロ地区の中心街にある北九州市大阪商船。隣接して旧門司三井倶楽部が山手より移築されており、JR門司港駅も歩いてすぐの位置にある。現在はギャラリーやカフェが設けられており、門司港でも指折りの観光名所となっている。

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木造二階建で部分的に煉瓦とコンクリートも用いた混構造の建物で、オレンジ色の化粧タイルと幾何学的な細部装飾が特徴であるセセッション風意匠の塔屋が目を引く。建てられた当時は海岸に面しており、尖塔部分は燈台の役割も果たしていたという。

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正面全景。角の塔屋の下に正面玄関が設けられている。かつては1階が待合室と税関派出所、2階が大阪商船(株)の事務所として使われており、待合室からは専用の桟橋を経て直接乗船できるようになっていた。

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大阪商船(現・商船三井(株))は明治17年(1884)に大阪で設立された船会社で、同時期に設立された東京の日本郵船と共に戦前の日本を代表する船会社であった。

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戦後は三井船舶と合併して大阪商船三井船舶→商船三井となり、現在も日本郵船、川崎汽船と共に日本の三大船会社と称されている。旧門司支店の建物は平成3年(1991)まで商船三井の事務所として使われていた。

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旧大阪商船の本支店で現存する建物は旧門司支店のほか、大正11年(1922)に神戸支店として建てられた神戸・海岸通の商船三井ビル、大阪港の施設として昭和8年(1933)に大阪・天保山に建てられた商船三井築港ビルがある。

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建物自体は近年の改築であるが、大阪・中之島のダイビル本館には、低層部に大阪商船本社が入っていた旧大阪ビルディング(大正14年竣工)の外観とエレベーターホールが旧ビルの部材を用いて復元されている。また、東京支店があった東京・内幸町の旧大阪ビルディング東京分館1・2号館跡には、旧ビルを飾っていた豚の頭部や鬼面などの奇怪な装飾が残されている。

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旧門司支店の設計者である河合幾次(1864~1942)は、東京帝大卒業後、逓信省を経て大阪で設計事務所を開業、後年は事業家として活動した人物であるが、詳しい経歴は不明な点が多い。

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大阪商船門司支店のほか、神戸市にある旧村山龍平邸の洋館(国指定重要文化財)が現存する設計作品として確認されている。なお、文化庁による旧村山邸重文指定時の解説によると、同じく重要文化財である岐阜県の旧八百津発電所(明治44年)の設計も手掛けたとされる。

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外壁を覆うオレンジ色の煉瓦タイル。当時の建物には潮風に強いとして外装にタイル(テラコッタ)を用いた例もあるので、海岸べりに立地することから外装材に採用されたのかも知れない。

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くびれのある通用口のアーチは、河合幾次と同級である伊東忠太が設計した西本願寺伝道院(明治45年・国指定重要文化財)の通用門と似ている。

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正面玄関。脇には登録有形文化財のプレートが嵌め込まれている。写真には写っていないが、商船三井時代の看板も北九州市の所有となった現在もそのまま残されている。

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玄関ホールは階段室を兼ねている。

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賑やかな外観とは対照的に館内は簡素で、階段の親柱や手摺もごくシンプルなものとなっている。

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船客の待合室があった1階と街路との間にはアーケード状の空間が設けられている。

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館内には戦前の大阪商船(左)と日本郵船のポスターが飾られていた。大阪商船の主力航路であった南米航路には戦前、村野藤吾や中村順平などの著名建築家が室内意匠を手掛けた「ぶら志゛る丸」「あるぜんちな丸」などの豪華船が就航していたが、大東亜戦争により悉く海の藻屑と消えた。

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随所に残る木製の古びたベンチは、大阪商船~商船三井時代から使っていたものかも知れない。

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旧大阪商船門司支店はJR門司港駅旧門司三井倶楽部などと共に、門司港レトロ地区を代表する歴史的建造物として観光客を集めている。なお、本文で触れた大阪商船の本支店の建物については、いずれも弊ブログにて以前取り上げているので、併せて御覧頂けると幸いである。

第1222回・JR門司港駅(旧門司駅)

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北九州市門司区にあるJR門司港駅(旧門司駅)は、大正3年(1914)に建てられた洋風建築の駅舎で、かつては九州の鉄道の起点駅であり、関門連絡船との連絡中継駅としての機能も有する九州の玄関口であった。昭和63年(1988)に鉄道駅舎としては初めて国の重要文化財に指定され、平成31年(2019)には修復工事が終わり創建当初の姿に復元されている。

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門司駅は明治24年(1891)の開業で、現在の駅舎は二代目として新築移転したものである。駅名にふさわしい「門」の字を思わせる駅舎は木造二階建で、外壁には色モルタルを塗って石造風に仕上げられている。

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弊ブログの過去記事でも紹介した、平成18年(2006)に訪れた時の写真。正面の庇は昭和4年(1929)に増設されたものだが、今回の修復工事では一部を残して撤去されている。

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駅舎内には駅舎の変遷を語る古写真がいくつか展示されているが、上の写真はそのひとつで、大正3年の創建から間もない頃のもので、正面上部の時計はまだ存在しない。

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修復に際しては大正7年(1918)に設置された正面の時計は残され、文字盤は設置当初の形に復元されている。

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旧門司駅舎は明治42年(1909)に煉瓦造で竣工した旧博多駅舎を模したともされる。九州の玄関口であり博多と並ぶ重要な駅であった門司駅が木造で建てられたのは、当時既に関門トンネルの建設構想が進んでいたことから、一時的な仮駅舎として建てられたとも言われる。

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一時的な仮駅舎として建てられたという旧門司駅は国の重要文化財として保存され、現在では門司港を代表する建物となっているが、本格的な駅舎として建てられた旧博多駅舎は、昭和30年代に改築のため取り壊され今はない。

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昭和17年(1942)に関門トンネルが開通すると、関門トンネルの接続駅となる大里駅が門司駅に改称された。本州と九州を結ぶ鉄道路線からは外れることになった旧門司駅は名称を「門司港(もじこう)駅」に改め、九州の玄関口としての役割を終えた。

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戦後、門司港周辺は高度成長から取り残されていたが、昭和の末に門司港レトロ地区として整備され、観光地として甦った。数多く残る近代の建造物の中でも門司港駅舎はすぐ近くに移築された旧門司三井倶楽部と共に、同地区のシンボル的な存在となった。

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平成24年(2012)より耐震補強を兼ねた大規模な修復工事が行われ、7年後の平成31年(2019)に竣工、創建当初の姿に復元された。

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2階にあった食堂及び旧貴賓室への専用階段。

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同じ年に竣工した洋風建築の駅舎で、同じく国指定重要文化財の東京駅丸の内駅舎は創建当初の内装は戦災で失われ、ドーム天井など一部が新しい材料で復元されたが、旧門司駅舎の内装は大部分が創建当初からのオリジナルである。

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みどりの窓口及び観光案内所として整備された旧一等・二等客用の待合室。

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暖炉脇の窓は実際は壁の一部で、内側を黒漆喰で仕上げた飾り窓である。後年の改装で覆い隠されていた部分や失われていた部分も今回の修復によって再び姿を現し、または復元がなされた。

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改札口前のコンコース。左側が切符売り場でその手前に旧一等・二等待合室がある。その反対側に当たる写真右側がかつての三等待合室と小荷物取扱室である。

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復元されたコンコースのシャンデリア。

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修復前より部分的に残っていた切符売場も復元されている。

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ホームから駅舎を望む。このあたりは修復前と殆ど変っていない。

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ホームの一角には、関門連絡船の連絡通路跡が残る。

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門司港駅は駅舎だけでなく手洗所や水飲み場などの付属施設もよく残されており、ホームも古い佇まいをよく残している。

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国の重要文化財に指定されている駅舎は先述の東京駅のほか、現役を退いたものでは島根県出雲市の旧大社駅がある。

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また、門司港駅と同時期に建てられ、現在も美しい佇まいの洋風建築が残る駅としては、栃木県のJR日光駅や大阪府堺市の南海電鉄浜寺公園駅(共に国登録有形文化財)などがある。

第1221回・上野ビル(旧三菱合資會社若松支店)

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北九州市若松区(旧若松市)の若松港にある上野ビルは、大正2年に三菱合資會社若松支店として建てられた事務所ビル。設計は三菱合資會社技師長として丸の内のオフィス街建設に従事し、その後は住宅建築を多く手掛けた保岡勝也による。テナントビルとして使われている現在も、外観・内装共に大正初期の事務所ビルの姿を非常によく残している。国登録有形文化財。

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若松は明治以降、筑豊炭田で産出された石炭を輸送するための中継基地として栄え、積み出し港であった若松港には炭鉱主や海運業者、商社の事務所が軒を連ねていた。現在も上野ビルなどいくつかの建物が残されており、往年の繁栄を伝えている。

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大正2年(1913)、三菱合資會社の若松支店として技師長の保岡勝也が設計、清水組の施工で建てられた。昭和40年代に現在の所有者である上野海運(株)が購入、今日まで同社の事務所兼テナントビルとして使われている。

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敷地内には煉瓦造三階建の本館と、同じく煉瓦造の二階建で現在も三菱のマークが残る倉庫、商品である石炭の検査を行うための分析室として建てられた木造平屋建の付属棟などが配され、これらの建物を煉瓦塀が取り囲んでいる。

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平成25年(2013)には本館と倉庫、付属棟のうち旧分析室、門柱及び塀が国の登録有形文化財に認定されている。写真の建物は木造の附属棟のひとつで、登録文化財の旧分析室とは別の建物である。

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背面からの眺め。
正面玄関に一部増築が施され、屋上に巡らされていた手摺部分はコンクリートで覆われているが、これらの部分的な改造を除けば概ね創建当初の姿をよく残している。

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建材の煉瓦はドイツからの輸入品とも伝えられているが、外壁に用いられている灰色の煉瓦は、製鉄時に生じる不純物(高炉スラグ、鉱滓)から作った「鉱滓煉瓦」と称されるもので、倉庫や塀にも同様の煉瓦が使われている。

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鉱滓煉瓦は明治34年(1901)に操業を開始した八幡製鐵所において多量に発生する高炉スラグを有効利用するために開発されたもので、現在でも北九州市には鉱滓煉瓦を用いた建造物や塀、門柱などの工作物が残されており、上野ビルの煉瓦も国産品の可能性が考えられる。

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正面玄関は上野海運の事務所専用であるため、側面玄関がテナント用玄関となっている。

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共用部分については見学は自由であり、商業目的及び集団での撮影を除けば写真撮影も自由とされているようだ。

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館内は大正2年創建当初の姿をほぼそのまま残しているものと思われる。

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セセッション風の簡素な意匠が施された、木製の階段手摺と親柱。

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時が停まったような佇まいを見せる館内。

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階段室壁面の梁に施された装飾。

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館内の共用部分で圧巻なのは2階から3階で、2層にわたる吹き抜けの周囲には鋳鉄を多用した回廊が巡り、廊下の天井には装飾を打ち出した鉄板が張られている。

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3階を見上げるとステンドグラスを嵌め込んだ天窓から外光が注ぎ込む。

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手摺は一部木製で、透かし彫りの装飾が施されている。

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シンプルな意匠のステンドグラスは竣工当初からのもの。

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3階から吹き抜けを見下ろす。吹き抜け部分の床は1階の天窓となっており、1階にも外光が注ぎ込むようになっている。

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保岡勝也(1877~1942)は、明治45年に三菱を退社して独立した後に手掛けた埼玉県川越市の旧八十五銀行本店旧山崎家別邸などの設計で知られるが、三菱時代の建物で現存するものは少ない。

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石炭の流通拠点であった若松にふさわしく、大半の部屋には石炭を燃料とする暖炉がある。(上野ビルの公式ホームページでは各室の内装を見ることができる)

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充実した内部空間が残る戦前の事務所ビルとして、上野ビルは全国でも指折りの存在ではないだろうか。

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歳月を経た建物ならではの味わいを堪能できる上野ビル。可能な限りこの状態で長く使われることを願って止まない。

第1199回・三井港倶楽部

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福岡県大牟田市西港町にある三井港倶楽部は、三井三池炭鉱の迎賓館として明治41年(1908)に建てられた木造洋館。広大な芝庭のある敷地を始め、建物内の家具調度類に至るまで三井財閥の社交クラブ及び迎賓施設として使われていた頃の佇まいがよく残されている。現在はレストランや結婚式場として利用されている。大牟田市指定有形文化財。

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三池炭鉱は江戸時代から採掘が行われていたが、明治に入ると官営を経て明治22年(1889)に三井財閥の所有となり、事務長に任命された團琢磨の指揮の下、急速に近代化・合理化が進められた。その一環として明治41年(1908)には大型船が着岸可能な三池港が開港する。三井港倶楽部は入港する貨物船の高級船員のための接待所として建てられた。

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設計施工は清水組(現・清水建設)による。東京に本拠を置く清水組は旧博多駅や旧日本生命九州支店(福岡市文学館として現存)の受注を機に明治末に九州へ進出、三井港倶楽部もそのような時期に建てられた。

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変化に富んだハーフチンバー(半木造)様式の外観が特徴である。

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庭園側から望む全景。なお、福岡県内には三井港倶楽部と同様に三井財閥の迎賓館として建てられた木造洋館で、大正11年に門司港の近くに建てられた旧門司三井倶楽部も現存する。

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庭園に張り出すように建っている平屋建ての食堂兼広間棟。現在のものは大幅に改造(あるいは改築)されていると思われるが、この裏には付属屋として建てられた木造平屋建の和風建物がある。

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庭園に面して設けられた吹き放しのベランダ。

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急勾配の屋根は日本瓦で葺かれており、鬼瓦には井に三をあしらった三井のマークを見ることができる。

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現在はフランス料理を提供するレストラン及び結婚式場などに使われているが、現在でも「三井港倶楽部」の名称が使用されている。

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玄関ポーチの奥にある正面玄関の硝子戸。

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玄関へ入ると右手に受付、左手には階段室があり、玄関ホールとは一体となった広い談話室に通じている。訪問は12月の中旬であったため、クリスマスツリーが飾り付けられた直後であった。

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ゆったりとした広さの談話室には白大理石で造られた一対の暖炉が設けられており、その片側には事務長(鉱山の最高責任者)として三井三池炭鉱の近代化に絶大な貢献を果たした團琢磨の肖像写真が飾られている。また、玄関のそばには胸像も置かれている。

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鉱山技師として三井財閥入りした團琢磨は、後には三井合名会社理事長として三井財閥の総帥となり、男爵にも列せられている。大正から昭和初年にかけては日本工業倶楽部の初代理事長に就任するなど、財界指導者としても活動するが、昭和7年の血盟団事件により東京日本橋の三井本館前で暗殺された。

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玄関脇には応接間として造られたと思われる洋室がある。家具や壁に掲げられた扁額などの調度品類は三井財閥時代のものが現在も残されており、家具は生地の張り替えなどの修復が施されている。

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かつてはこの暖炉で採掘された石炭が燃やされていたものと思われる。

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庭園に面した部屋のうち、談話室と2つある食堂はいずれもベランダに出られるように造られており、広い芝生のある庭園を散策できるように造られている。

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談話室に隣接する食堂は2つある中でやや小さめの部屋で、斜めに組んだ格子の窓が特徴。

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大きい方の食堂は先述の平屋建の部分に当たる。
館内では最も広い部屋で、園遊会など多目的に使われていたものと思われる。

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談話室及び2つの食堂はいずれも一対の暖炉が設けられている。写真は大食堂にある暖炉のひとつで、近くには重厚な食器棚も残されていた。

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2階への階段は2ヶ所あり、写真の玄関脇にある階段が利用者用で、もうひとつはサービス用と思われる。吹き抜けの上部に設けられた円形の窓が目を引く。

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2階には宿泊用の客室3室と居間1室が設けられており、階段ホールは談話ロビーとなっている。

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宿泊室は3室ともそれぞれ暖炉と洗面台が設けられている。その中でも控室を備えた最も広い部屋は、戦後間もなく三井三池炭鉱を巡幸された昭和天皇が休憩された部屋であり、当時使われた家具や記念写真などが展示されている。

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宿泊室の暖炉。

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宿泊室の洗面台。

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明治期のものと思われる重厚な装飾が施された洗面台や飾り棚も残されている。

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昭和天皇が三井港倶楽部で休息された際に使用された椅子。

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門司の三井倶楽部が敗戦後は財閥解体で国鉄(現・JR)の施設となり、そして国鉄民営化によって移築されるなど時代に翻弄されたために家具調度類も散逸し、建物自体も元の場所を離れてしまったのとは対照的に、三井港倶楽部は家具調度類も含めて元の佇まいをよく残している。

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そのような三井港倶楽部も一時は存続の危機に晒されており、平成16年(2004)に三井鉱山の経営難により閉鎖された際は解体の危機に瀕したという。しかし建物の存続を願う地元の要望が実を結び、翌年には(株)港倶楽部保存会が発足し、営業が再開された。

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平成29年(2017)には現在の所有者である三井松島ホールディングス(株)によって改修工事が施されている。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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