第1163回・寺村家住宅と鳥居本の街並み

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滋賀県彦根市にある鳥居本町は、かつての中山道63番目の宿場(鳥居本宿)で、現在もかつての宿場町の面影を残す家並みが残されている。その一角に建つ寺村家はかつての本陣であり、現在の建物は、昭和12年(1937)に近江八幡を拠点に活動した米国人建築家ヴォーリズの設計により改築されたもので、和洋折衷の外観が特徴である。国登録有形文化財。

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かつての本陣跡とあって、周辺の家よりは広い敷地の奥まった位置に建つ寺村家。
慶長8年(1603)に、中山道の宿場が鳥居本に移って以来、この地に本陣を構え多くの大名が宿泊した。

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広大な本陣の建物は明治維新後、宿舎部分は敷地と共に売り払われ、昭和初期には老朽化の進んだ住居部分だけが残されていた。これを建て替えたのが現在の建物である。なお、敷地内にある倉庫の扉には本陣の門扉が再利用されている。

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和風のこじんまりとした二階家であるが玄関脇にはどっしりとした煙突が立ち、暖炉のある洋室が存在することが窺える。

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改築設計の依頼を受けたヴォーリズは改築前の本陣の建物を見に来たという。古い本陣の雰囲気を継承させようとしたのか、周囲の家並みと調和させようとしたのか、二階は天井を低くして虫籠窓風の窓を配するなどの和洋折衷の試みが見受けられる。

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数寄屋風の玄関ポーチの横は応接間であり、暖炉用の煙突を挟んで洋式の縦長窓を並べる。
室内も和室が中心であるが、応接間と階段室は洋風に造られているという。

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ヴォーリズは洋風をベースにしつつも和風を積極的に取り入れた住宅を多く設計しているが、古民家風の意匠を取り入れた寺村家の建物はヴォーリズの住宅としては少し異色の存在ではないだろうか。

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鳥居本の街並みは往年の宿場町の風情を残しており、街道沿いには古い町家が今も残されている。これらの中には国もしくは市の指定文化財、寺村家と同様登録文化財となっている建物もある。

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寺村家の向かい側にある岩根家は彦根市の指定文化財。宿場町として賑わっていた頃、当時の旅人には必須の品であったであろう、合羽(カッパ)を造る家であった。現在も軒下には合羽を象った大きな木製看板が吊り下げられている。

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街道が大きくうねる位置に建つ有川家(赤玉神教丸本舗)は、当地に現在残る旧い家の中では最も広壮で重厚な構えを見せている。写真の主屋と隣接する書院、付属の蔵などが国の重要文化財に指定されている。

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有川家は薬の製造販売業を営んでおり、現在も有川製薬(株)としてこの地で盛業中である。

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複雑な形状の屋根を連ねた書院棟とその前に設けられた薬医門。
書院は明治天皇が全国を巡幸された際の休憩所となった由緒も持つ建物である。

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鳥居本では地元の人々によって古い街並みを残すための活動が行われており、寺村家を始めとするいくつかの古い建物が登録文化財になっているのもその成果と思われる。これらの建物と街並みが今後より実効性のある制度で保全されていくことを願うばかりである。

第1162回・旧第三銀行倉吉支店(協同組合倉吉大店会)

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前回に引き続き、鳥取県倉吉市の打吹玉川伝統的建造物群保存地区にある銀行建築である。魚町にある協同組合倉吉大店会の建物は、明治41年(1908)に第三銀行倉吉支店として建てられた。明治中~後期に各地で建てられた土蔵造の銀行建築の特色を備えており、内部は吹き抜けの営業室など洋風に造られている。鳥取県における国の登録有形文化財第一号である。

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全景。奈良時代からの歴史を有する旧街道、倉吉往来に面して建っており、角地に玄関ポーチを張り出す。明治38年(1905)に火災により魚町一帯が火災で焼失したことを機に、明治41年(1908)に土蔵造で再建された。

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旧第三銀行の「三」の文字をあしらった瓦が現在も残されている。第三銀行は明治9年(1876)に設立された国立第三銀行を前身とする銀行(明治29年に「第三銀行」に改称)で、のちに安田財閥の中核であった安田銀行の前身となった。(三重県にある第三銀行とは無関係である)

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土蔵造の銀行建築は、伝統的な土蔵造の外観と洋風の内装が特徴である。耐火性や安全性において江戸時代から実績があり、また社会的地位の象徴として認知されていた土蔵造は、信頼性が重視される銀行建築の恰好の様式として明治中~後期にかけて各地に建てられた。

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土蔵造の銀行建築は富山県砺波市の旧中越銀行本店や明治村に保存されている旧安田銀行会津支店など外壁を黒漆喰仕上げとするものが多く、白漆喰仕上げのものは珍しい。

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内部は一転して吹き抜けのある洋風の造りとなっている。
金融機関として使われた後は協同組合倉吉大店会の事務所として使われ、現在はレストラン・カフェ「白壁倶楽部」として営業している。

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平成28年10月の鳥取県中部地震で被災し一時閉鎖されていたが修復され、営業を再開している。

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旧営業室天井の漆喰飾り。

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現在は地元産の食材を使ったフランス料理を提供しているほか、結婚式場として利用されるなど、倉吉でも指折りの人気のある場所となっている。

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かつてのカウンターに立てかけられている、金融機関として使われていた当時の古い看板の数々。

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2階へ続く階段。

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階段親柱と手摺。木目を見せるためにニスを薄く塗るのは日本的。
洋風の造りであるが、この階段の他にも随所に伝統的な大工棟梁の感覚で造られたことが窺える箇所がある。

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二階から吹き抜けを見下ろす。吹き抜けの周囲には回廊(ギャラリー)を廻す。

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二階にある個室。
営業室の吹き抜けに面しており、かつては重役室か会議室として使われていたと思われる立派な造りの洋室。

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天井の照明台座に施された漆喰装飾。
装飾の葡萄は平坦なレリーフ状のものと下に垂れ下がる立体的に造られたものがあり、左官細工も凝っている。

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窓や扉の額縁は太い一本ものの材木にモールディング(繰形)加工を施しており、腰壁にも幅広の板を用いるなど、材木に贅を凝らしている。

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派手さはないが、細部まで入念に造り込まれた質の高い銀行建築である。
なお、鳥取県に隣接する島根県の松江市にも、旧第三銀行松江支店の建物が現存する。倉吉と同じく白漆喰仕上げの土蔵造の銀行建築である。

第1161回・旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店

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鳥取県倉吉市東仲町にある旧日本産業貯蓄銀行倉吉支店の建物は、昭和6年(1931)に建てられた鉄筋コンクリート造の銀行建築。国の伝統的建造物群保存地区である打吹玉川の一角にあり、町家や土蔵が建ち並ぶ同地区では珍しい洋風建築である。

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現在は草木染や雑貨を扱う店舗として活用されている。
小規模ではあるが、当時の地方都市ではまだ珍しかった鉄筋コンクリート造で、意匠もセセッション風の凝ったものとなっている。外観は創建時の佇まいをよく残しており、内部もかつての吹き抜けの痕跡が残されているなど、往時の面影をよく残している。

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2階正面の中央には日本産業貯蓄銀行の行章と思われる星形の装飾が施されており、両脇の付柱の上部にはメダリオン飾りが施されている。カブなどの野菜を思わせるユニークな形をしたこのメダリオンは、側面の壁面にもひとつだけ施されている。

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(一社)全国銀行協会の「銀行変遷史データベース」によると、日本産業貯蓄銀行は大正5年(1916)に設立された銀行で、大阪に本店を置いていたが、設立からわずか17年後の昭和8年(1933)には破産している。

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破産した当時の騒然とした様子を伝える興味深い新聞記事を、神戸大学附属図書館の新聞記事文庫で見ることができる。

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「本支店とも一斉に今朝期して差押え 日本産貯 預金者俄然躍動」(昭和8年9月7日付大阪毎日新聞)
記事の一部を下記に紹介したい。なお、記事見出しの「日本産貯」とは日本産業貯蓄銀行のことである。

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「・・・山陰地方は六日夜出発の小野村弁護士が松江支店、中尾弁護士が倉吉支店、近藤弁護士が預金者委員と共同で米子、境、安来の三出張所、吉田弁護士が鳥取支店、磯野弁護士が三朝出張所をそれぞれ執達吏をして備附の金庫はいうまでもなく銀行の資産ならびにこれを明かにする諸帳簿の一切を一瀉千里に差押えることとなった・・・」

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日本産業貯蓄銀行は大阪に本店を置いていたが、上記記事によると倉吉のほか鳥取、米子、松江など、山陰地方に多くの支店を展開していた銀行だったようである。

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銀行店舗としては短命であったが、建物は内外装共に創建時の佇まいを残し、90年近い歳月を刻んで今日に至っている。

第1160回・旧吾妻第三小学校校舎

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群馬県吾妻郡中之条町中之条にある「中之条歴史と民俗の博物館 ミュゼ」の建物は、明治18年(1885)に旧吾妻第三小学校校舎として建てられ、大正中期から昭和50年代までは中之条町役場として使用されていた。地元の大工棟梁によって建てられた明治初期の擬洋風学校建築である。群馬県指定重要文化財。

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昭和53年(1978)に新庁舎竣工によって中之条町役場としての役目を終えた後は、文化財として保存修復工事が行われ、竣工当時の姿に復元された。

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白漆喰塗りの壁に縦長の硝子窓が並び、隅を西洋建築の石積み(コーナーストーン)のように仕上げるなど擬洋風建築としての特徴が見られるが、正面中央に配された玄関まわりには寺院を思わせるような装飾が施されている。

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中之条町の棟梁である樋田栄太郎によって明治15年(1882)に着工、5,200円の工費をかけ3年後の明治18年(1885)に竣工した。

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外観は擬洋風、内部構造は和風の典型的な明治初期の擬洋風建築である。

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正面中央部分は上層と下層で和洋が入り混じったような外観を見せる。

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玄関上部の彫刻飾り。

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昭和57年(1982)より中之条町の歴史や民俗関係資料を展示する資料館として開館し、現在に至っている。

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博物館の常設展示の内容は各時代毎に非常に充実しており、企画展や講演会なども盛んに行われている。

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(参考)中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」 ホームページ

第1159回・俳聖殿

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前回紹介した伊賀文化産業城(伊賀上野城)のすぐ近くに建つ俳聖殿は、俳聖・松尾芭蕉(1644~1694)を記念する堂として昭和17年(1942)に建てられた。郷土の文化の顕彰に努めた政治家・川崎克が伊賀文化産業城と共に残した記念的建造物であり、建築家の伊東忠太が設計指導を行ったことでも知られる。国指定重要文化財。

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伊賀文化産業城天守の三層(展望室)から望む俳聖殿。

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特異な形の屋根が遠望できる。

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藁葺き屋根を載せた門。

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二層式八角形の円堂で、松尾芭蕉の旅姿を建築物として表現するという川崎の構想に基づいて建てられた。上層を笠を被った頭部、下層は蓑をまとった身体、下層に並ぶ円柱は杖もしくは脚にそれぞれ見立てている。

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扁額が掲げられた正面が顔に相当する。

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皇紀2600年に当たる昭和15年(1940)に紀元二千六百年奉祝事業として計画され、松尾芭蕉の生誕300年に先立つ昭和17年(1942)に完成した。

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設計は川崎の構想に基づき、伊賀文化産業城の設計にも従事した島田仙之助が担当、これに伊東忠太が指導を加えた。施工は地元の棟梁である森本源吉による。

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上層の屋根は川崎克が所蔵していた芭蕉の笠に見立てたという。当初の構想では屋根は伊賀焼の瓦を用いる予定だったが、設計指導を行った伊東忠太が檜皮葺にすることを勧め、川崎がこれを受け容れたことにより、現在見られる姿となった。

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法隆寺夢殿など著名な古建築を参考として、伝統的な日本建築の技法を基礎にしながらも、遠景の屋根や軒や柱に数寄屋風の丸太を多用するなど、伝統にとらわれない自由な造形が施されている。

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芭蕉の命日に当たる10月12日には毎年、俳聖殿を会場に「芭蕉祭」が営まれている。

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「芭蕉祭」では内部の八角形厨子に安置された芭蕉翁坐像が公開されるが、通常でも正面の格子戸越しに内部を見ることができる。

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伊賀焼で造られた芭蕉翁坐像。彫刻家の長谷川栄作が原型を作成、伊賀焼の研究だけではなく自ら作陶も行っていた川崎克が焼成したものである。

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内部には芭蕉祭で入選したものと思われる献詠俳句の額が飾られている。

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建築で特定の人物を表現したきわめて特異な建造物である俳聖殿は、三重県の指定文化財を経て平成22年(2010)に、国指定重要文化財となっている。
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