第1079回・旧木下家別邸(大磯迎賓館)

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神奈川県中郡大磯町大磯にある旧木下家別邸は、大正元年(1912)に建てられた洋風住宅。ツーバイフォー(2×4)工法の住宅としては現存する日本最古のものとされている。国登録有形文化財。

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JR大磯駅から海岸側に向かってすぐの位置にある旧木下家別邸。敷地が三角形であることから、地元では「三角屋敷」の名で親しまれていたという。

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正面、門越しに望む旧木下家別邸。大正元年(1912)に貿易商であった木下健平氏が、米国帰りの建築家である小笹三郎氏に設計し建てられたと推察されている。

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その後、大正7年(1918)に、木下家とは親戚関係にあり自動車業等を営む二代目山口勝蔵氏に所有が移るが、引き続き別荘として使用されていた。

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主屋の脇にある小屋。使用人の居室等附属棟として主屋と同時に建てられたものかも知れない。

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現在は建物及び敷地は大磯町が所有しており、民間事業者に貸与する形で利活用されている。

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現在は「大磯迎賓館」の名前でイタリアンレストランとして利用されている。旧木下家別邸の洋館のほか、背後に新築された別館で営業を行っている。

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玄関ポーチの両脇に張り出したベイウインドウ。

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六角形の格子が特徴的な上げ下げ窓。

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附属家の窓に嵌め込まれたステンドグラス。主屋にも同様の意匠のステンドグラスがある。(創建当初からのものかどうかは不明)

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柱や梁ではなく壁で建物を支えるツーバイフォー工法(木造枠組壁工法)は、明治末期に米国から輸入され、大正期には簡便な洋風住宅として流行した。

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旧木下家別邸は国内に現存するものでは最古のツーバイフォー工法住宅とされている。

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規格化された木材を用いて建てられることから、内外装共に簡素な造りとなっている。

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大正期にアメリカ式洋風住宅を多く建てた「あめりか屋」が軽井沢に建てた旧水戸徳川家別荘(旧田中角栄別荘)旧近衛文麿別荘(旧市村家別荘)と類似性が見られる。

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明治以降、日本初の海水浴場が設けられ多くの貴顕や富裕層が別邸を構えた大磯でも、洋館建の別邸で現存するものは少ない。とりわけ関東大震災にも耐えた旧木下家別邸は極めて貴重な存在と言える。

第1078回・旧山﨑家別邸〔再訪〕

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平成22年(2010)1月25日付弊ブログ記事にて紹介した埼玉県川越市の旧山﨑家別邸は修復工事を終え、平成28年3月より、室内も含めて全面公開されるようになった。本記事では旧山﨑家別邸の内部を、通常非公開の2階も含め紹介したい。

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正面から見る旧山﨑家別邸。周囲の樹木が剪定され、建物の全体がよく見えるようになった。外観については以前の紹介記事に修復後撮影した写真を追加したので、そちらを御覧頂けると幸いである。

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庭園から望む旧山﨑家別邸。別邸は竣工に際し「東仙庵」と名付けられた。

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旧山﨑家別邸には3種類の玄関が設けられている。写真は日本館側に設けられた家人用の内玄関。現在、見学者はここから屋内に入るようになっている。

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裏手に設けられた児童室にも子供のための出入り口が設けられている。

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洋館に設けられた玄関が別邸の正面玄関である。ポーチの石段が側面に設けられているのは、来客が横付けされた人力車から乗り降りする際の利便を考慮したもの。

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洋館の玄関内側。

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洋館階段室。二階及び土蔵の地階に繋がっている。
階段室に隣接して土蔵の入口がある。

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階段室の地階側窓に嵌め込まれたステンドグラス。
こちらについては現在、作者は不詳とされている。

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2階への踊り場に嵌め込まれた小川三知作のステンドグラス。

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家具や壁紙などに創建当初のものが残されている応接間。

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応接間に隣接する食堂。ステンドグラスの引き戸がある小窓は配膳口となっており、その下には食器棚が設けられている。

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応接間と食堂からはそれぞれ、屋外に設けられたテラスに出られるようになっている。

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応接間と食堂のステンドグラスは別府七郎の作とされており、ひとつの建物に複数のステンドグラス作家の作品が用いられるのは珍しいとされる。玄関ドアの窓はステンドグラスではないが、アールヌーボー風の飾り格子が嵌め込まれている。

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食堂の先は日本間となっており、客間の縁側に繋がっている。

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客間の床の間。

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設計者の保岡勝也は数寄屋建築に造詣が深く、茶席や茶庭についての著作も残している。客間を始めとする旧山﨑家別邸の日本間は、材料、意匠共に非常に質の高いものである。

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客間から縁側を望む。

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縁側から望む庭園と茶室。
茶室は国宝・如庵(愛知県犬山市)を模した仁和寺遼廓亭(我前庵)の写し。

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客間に隣接する、神棚を備えた居間。

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居間の裏にある二畳の空間は、玄関と児童室とを結ぶ通路であるが、襖を閉めると茶室風の落ち着いた小室となる。

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居間に隣接して設けられたサンルーム兼ベランダ。この奥には児童室がある。

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内玄関前の畳廊下。

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天井に数寄屋風の造りを取り入れたトイレは、自家用の浄化槽を備えた水洗式便所であった。別邸は隠居所や家族のための別邸であると同時に皇族の宿泊に供するための迎賓館でもあったので、設備は当時の最新式のものが導入されている。

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通常は非公開の2階であるが、平成29年3月25日に公開一周年を記念して特別公開が行われた。

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2階寝室。ベッドなどの家具類も建設当時のものが残されている。皇族が別邸に滞在するときの寝所に充てられた。山﨑家別邸が皇族の宿所に充てられたのは6度に及び、梨本宮守正王、朝香宮鳩彦王などがこの建物を利用された。

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寝室の一角を区切った書斎。左の扉はバルコニーに続いている。

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寝室兼書斎の隣は数寄屋風の小座敷が一室配されている。

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二階階段室のそばにある写真室。写真を趣味としていた子息(六代目山﨑嘉七)のために設けられたものと思われる。

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大正から昭和期にかけて中規模の住宅を数多く手掛けた保岡勝也であるが、現存する作品は多くない。とりわけ山﨑家別邸は和洋併置の主屋に茶室、庭園まで全て保岡の設計になり、それらがほぼ完全な形で残されているのは極めて貴重な存在であると言える。

第1077回・旧安田銀行担保倉庫

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群馬県前橋市住吉町2丁目にある旧安田銀行担保倉庫は、大正2年(1913)に群馬商業銀行附属前橋倉庫として建設された赤煉瓦の倉庫。生糸等を担保品として保管するための倉庫であり、かつて製糸業が盛んであった当地の歴史を伝える歴史的遺産である。国登録有形文化財。

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前橋市の中心街の一角に建っている旧安田銀行担保倉庫。

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前橋市内にはかつては同じような用途で建てられた赤煉瓦倉庫が多く存在していたというが、現在も残るものは少ない。

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壁面には昭和20年の前橋空襲によって生じた焼け焦げの跡が現在も残されている。

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群馬県など生糸の生産が盛んであった地方の銀行では、融資を行う際の担保品として生糸や繭を預かる事も多かったという。そのためにこのような大規模な倉庫が建設された。

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現存する同様の事例としては、埼玉県本庄市の旧本庄商業銀行煉瓦倉庫があり、こちらも国の登録有形文化財となっている。

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入口の上部には右書きで「火氣厳禁」の文字がある。

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煉瓦の積み方は、日本国内の煉瓦建築に多くみられるイギリス積み。

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壁面の両端には、黒っぽい色調の焼き過ぎ煉瓦を用いて模様を描くなど意匠的な遊びが見られる。

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白っぽい色調の煉瓦も見られ、この種の煉瓦建築としては珍しく複雑な色合いの壁面を見せている。

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群馬県における製糸業の歴史を伝える建造物として、保存活用が図られている。

記事更新のお知らせ

いつも弊ブログを御訪問頂き、ありがとうございます。
初期の記事のうち、下記2件について写真の大幅追加・差替を行うなど、全面的に更新致しました。
もしよろしければご覧頂けると幸いです。

第79回・川奈ホテル

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第61回・旧志賀高原ホテル(志賀高原歴史記念館)

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第1076回・川奈ホテル田舎家

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以前弊ブログにて紹介した静岡県伊東市川奈の川奈ホテルは、スパニッシュ風外観に英国風のインテリアを備えた純洋風のリゾートホテルであるが、昭和11年(1936)の開業に際して同時に設けられた和風の離れ家がある。江戸時代の古民家を移築改装したもので、本館と共に国の登録有形文化財である。

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昭和11年(1936)竣工の川奈ホテル本館。写真左側がサンパーラー、右側が大食堂(地階にはグリル)のある棟。設計は国指定重要文化財の日本橋高島屋旧前田侯爵邸の設計で知られる高橋貞太郎による。川奈ホテル本館についての詳細は弊ブログ記事を御参照頂きたい。(本記事投稿に合わせて内容を全面的に更新した)

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田舎家は大食堂から少し離れた木立の中に建っている。御殿場にあった江戸時代中期の建築と伝わる木造平屋建て、茅葺屋根の古民家を、数寄屋建築を得意とした建築家で茶人でもあった仰木魯堂(1863~1941)の手によって移築改造したものである。

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同じ御殿場の古民家を昭和初期に移築改修したものとして、これも以前弊ブログにて紹介した旧秩父宮御殿場御別邸(旧井上準之助別荘)がある。同じ地域の建物であるためか、屋根の形状等に類似性が見られる。

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開業当初はここで外国人客にすき焼きのサービスを行ったりしていたようだが、現在でも予約制の食事処としてすき焼きや天ぷら等の和食を供している。

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屋内は土間と座敷で構成されている。
間取りは移築に際し改造されているが、天井の梁や柱の配置などは古い形を残しているとされる。

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土間の天井。

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片隅に設けられたかまど。

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床には木煉瓦を敷き詰めている。

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土間は椅子式の客席となっており、カウンターと囲炉裏の2種類の席が用意されている。

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畳敷きの座敷席。奥には床の間付きの座敷もある。

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当時、富裕層の間では古民家を移築改造して離れや茶室、別荘として用いるのがちょっとした流行となっており、川奈ホテル田舎家もその延長にあるものと考えられる。

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弊ブログで以前紹介した古民家を利用した近代の別荘や茶室の例として、上述の秩父宮御別邸や強羅の白雲洞茶苑、軽井沢の三五荘などがある。

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また、ホテル開業に際しては外国人観光客を主たる利用者として想定したであろうことを考えると、日本情緒を醸し出すこの手の施設は必須でもあったと考えられる。

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本館の重厚な英国風の大広間や談話室、モダンなサンパーラーなどとはまた異なる趣を有する田舎家は、川奈ホテルの建築的魅力に一層の厚みと深みを加える存在となっている。
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