第1129回・明野航空記念館(旧明野陸軍飛行学校将校集会所)

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去る11月4日に三重県伊勢市小俣町明野にある陸上自衛隊明野駐屯地にて、駐屯地開放イベント「航空祭」が開催されたので行ってきた。駐屯地内にありイベント時には一般公開される明野航空記念館は、かつてこの地にあった明野陸軍飛行学校の将校集会所として、大正11年(1922)に建てられた瀟洒な洋館である。

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大正9年(1920)、陸軍航空学校射撃班がこの地に移転したことに伴い飛行場が設けられた。翌大正10年(1921)には陸軍航空学校明野分校に昇格、 大正13年(1920)には明野陸軍飛行学校として独立した。

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将校集会所は陸軍航空学校明野分校時代の大正11年(1922)に建てられた。創建当初はテラスを挟んで2つの切妻屋根が並ぶシンメトリーの洋館であったが、昭和3年(1928)に増築、現在見られるL字型の外観となった。

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右側の白黒写真が竣工当初の姿。施工は名古屋に本社を置く建設業者で、戦前は軍関係の施設も多く手掛けていた北川組が請け負っている。同社のホームページでも明野航空記念館について紹介されており、同じ写真を見ることができる。

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設計者は不詳であるが、陸軍航空学校はその設立に際しフランスから顧問団を迎え指導を受けていたことから、フランス人が設計を手掛けたという伝承もある。そのためかどうか、屋根にはフランス瓦と称される形式の洋瓦が用いられている。

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かつて屋根にあった煙突と半円形の屋根窓が撤去されている点を除けば、外観は将校集会所時代の姿をよく残している。

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クリーム色の粗いモルタル壁に屋根はオレンジ色の洋瓦葺きという明るい色調に加え、自然石を配した煉瓦積の基壇、パーゴラを備えたテラスなど、軍の建物とは思えない瀟洒な佇まいの洋館である。

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創建当初は正面のテラスを挟む形で建っていたと思われる片方の切妻屋根の部分は、増築に際しそのままL字型に張り出した部分の先に移築したものと思われる。

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昭和3年に増築された部分。
横長の大きなアーチ窓が目を引く。基壇は煉瓦積ではなくモルタルで石造風に仕上げられている。

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背面からの眺め。

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同じく背面側からの眺め。手前が昭和3年に増築された部分で、奥が大正11年の創建当初からある部分。

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現在は航空記念館として館内の一部を公開している他、明野駐屯地の広報関係の事務所が置かれるなど、現役の庁舎としても使われているようだ。

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壁面やパーゴラの柱など随所に装飾が施されている。
切妻にあしらわれた楕円形のメダリオンは大正期の洋館によく見られる装飾デザインである。

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明野陸軍飛行学校は大東亜戦争末期の昭和19年から20年にかけて明野教導飛行師団、第一教導飛行隊と改編を重ねるが敗戦によって解散する。その後、昭和30年(1955)に陸上自衛隊航空学校が浜松から明野に移転したことにより、明野駐屯地が開設され現在に至る。

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敗戦後は構内の施設の多くが戦後復興のための資材として解体、払い下げられた。旧将校集会所も例外ではなく、昭和26年(1951)には県内にある鳥羽中学校の建設用材として使うため解体される予定であった。

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解体を惜しんだ旧軍関係者の努力が実を結んで建物は残り、駐屯地開設後は改修が施され現在の航空記念館となった。現在2室が顕彰室として公開されており、明野陸軍飛行学校の歴史やゆかりの人物、旧陸軍の軍装品などが展示されている。

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顕彰室のうちの1室は、重厚な格天井や窓枠の額縁飾りなどに往年の面影を残している。

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格天井の換気口は桜花の形。

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展示資料の中にあった将校集会所の内部と思われる古写真。現存するかどうかは不明だが館内には暖炉もあったようだ。前に座る人物は大正15年12月から約3ヵ月間教官を務めたフランス陸軍の航空中尉。

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昭和3年11月に行われた昭和天皇即位の御大典に際し設けられた饗宴会場の様子。増築から間もない頃の写真である。奥に現在も残っている横長のアーチ窓が写っている。

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陸上自衛隊では、各地の駐屯地内に現存する旧軍関係の施設のうち、明野航空記念館は以前紹介した乃木館(旧陸軍第十一師団司令部庁舎)などと共に歴史的建造物に指定している。

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明野航空記念館は今後も歴史的建造物として保存が図られるものと思われるが、できれば後年の改変箇所についても復元するなど、文化財として今後も大切に扱って頂くことを切望する次第である。

第1128回・多度津の合田邸(その3)と周囲の町並み

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去る9月23~24日に第3回目の一般公開が行われた香川県仲多度郡多度津町の合田邸。弊ブログでは丁度1年前の平成28年11月3日に初めて公開された際に訪れ、2回に分けて紹介させて頂いたが、今回は新たに公開された場所を中心に、また周囲の町並みも併せて(その3)として紹介させて頂く次第である。

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多度津は古くより瀬戸内の港町として栄え、明治以降は四国で初の鉄道が走った地として知られる。合田邸は近代化の牽引役であった「多度津七福神」と称された富豪の中で、現在も唯一邸宅が残されている。詳細は過去の記事もご参照頂きたい。 → 多度津の合田邸(その1) (その2)

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邸宅は明治から昭和初年にかけて、四国経済界の要職を歴任し貴族院議員も務めた合田房太郎と合田健吉の親子2代にわたって造営が行われ、昭和9年(1934)には現在の邸宅の全容が整ったとされる。現在、敷地内には13棟の建物が残る。

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中庭から望む、明治期に建てられた主屋と大正末~昭和初年に建てられた迎賓用の洋館。9月23日の一般公開では主屋内にある洋風のダイニングルームが初めて公開された。

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主屋の奥には洋館と中庭を挟んで、二階建の離れがある。明治末期に建てられ、二代目である合田健吉の好みで二階座敷には書院まわりにエジプト風の装飾が施されていた建物である。合田邸内でも最も老朽が著しい洋館はまだ内部を公開できる状況ではなかったが、離れは2回目の一般公開より、室内が公開されるようになった。

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離れでは多度津高等学校写真部による作品展示が行われていた。写真は一階座敷。

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離れの座敷は一階が「銀の間」、二階が「金の間」と呼ばれていた。
その由来となったのがそれぞれの座敷の次の間の襖で、一階には銀箔が貼られている。

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意匠を凝らした一階次の間の飾り窓。離れの障子は紙がボロボロになっていたため、公開に際し全て洗い落されている。これらの公開に向けた様々な活動は合田家御当主及び合田邸ファンクラブ、多度津高等学校写真部などの方々の努力による。

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「えじぷとの間」とも呼ばれていた二階座敷は、その由来となった書院の欄間飾りと建具は共に残念ながら失われていたが、建物自体は現在もしっかり建っている感じであった。天井の意匠が珍しい。

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「金の間」とも呼ばれていた二階の次の間は、金箔ではなく金の緞子らしきものが貼られている。

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離れの二階縁側は広く取られサンルーム風に造られている。座敷と同様に天井は異なる種類の材木を組み合わせた格天井で、保護のため大部分がビニールシートで覆われているが、床は寄木張り仕上げになっている。ダイヤ模様の欄間や手摺の意匠も珍しい。

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一階の縁側は幅は通常の日本家屋と変わらないが、天井や欄間に意匠を凝らしている。天井の棹はすべて面取りが施されており芸が細かい。

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離れ二階縁側からは合田邸内の建物がひととおり見渡せる。
昭和9年(1934)の竣工で、邸内では最も新しい大広間「楽々荘」は、今回の一般公開では人形浄瑠璃やマンドリン演奏などのイベント会場として使われていた。

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主屋内にあり、洋館内の部屋とは続き間になっているダイニングルームが初めて公開された。主屋自体は明治期の建物であるが、大正末~昭和初年の洋館建設に合わせて改装されたものと思われるアールデコ調の装飾が施された部屋である。

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隣接する台所とはステンドグラスが嵌め込まれた間仕切りで仕切られており、配膳用の上げ下げ窓が設けられている。

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天井は船底天井になっており、照明器具からテーブル、椅子等の家具に至るまでよく保存されている。

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台所とダイニングルームを仕切るアールデコ調のステンドグラスは比較的シンプルな意匠。

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ステンドグラスには色硝子だけではなく、各種の型押し硝子が用いられている。

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ダイニングルームの先は洋館に続いており、木製の硝子戸で仕切られた隣室は談話室(非公開)で、かつてはバーカウンターや壁面に設えられた噴泉、ステンドグラスで飾られた天井があったとされるが、現在はそれらの装飾の殆どは取り外されたのか、覗き込んでも存在は確認できなかった。

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ダイニングルームと談話室との仕切りに嵌め込まれたステンドグラスは、よりカラフルで派手なアールデコ意匠となっている。

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洋館の談話室の先は半地階付の広間となっており、上階が暖炉を備えたホール、下階が宿泊用のベッドルームとなっている。談話室から下階へ通じる入口には、アールデコの意匠が施された格子戸が嵌め込まれていた。

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大広間「楽々荘」では、洋館の上階ホールを飾っていたステンドグラスを再現したパネルが展示されていた。

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ステンドグラスが嵌め込まれていたと思われる洋館ホールの窓は現在アクリル板で塞がれており、現物の存否は分からない。

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今回僅かに覗き見ることができた洋館の内部は、正直なところかなり痛々しいものであったが、往年の姿を取り戻せばさぞ見事なものとなるに違いない。

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洋館を含め、是非とも全ての建物の復活への思いを強くした今回の訪問であった。


(合田邸周囲の町並み)

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合田邸がある多度津町本通り商店街には古い町家が多く残されており、周囲の町並みも合田邸共々、後世に残して頂きたいものである。写真はそれらの一部の建物である。

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洋風のベランダを備えた二階建長屋。

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町家はいずれも京都や大阪でもみられる虫籠(むしご)窓を備えている。

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ナマコ壁の町家。

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元銭湯の建物。
多度津町には他にも洋館建の旧楽天堂病院や山本医院もある。合田邸とこれらの建物が多度津町の町興しに寄与することを祈る。

第1127回・上田聖ミカエル及聖天使教会

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前回に続き、長野県上田市にある昭和初期のキリスト教会堂。
昭和7年(1932)に建てられた上田聖ミカエル及聖天使教会は、奈良市の奈良基督教会を手本として建てられた和風意匠の教会堂。外観、室内意匠ともに奈良と酷似している。

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上田市中央三丁目に建つ上田聖ミカエル及聖天使教会の全景。

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入口の配置が異なる点を除けば、奈良とほぼ同一意匠である。

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上田聖ミカエル及諸天使教会は、明治34年(1901)にマギニス司祭によって上田での伝道が始められたことに始まる。現在の聖堂が竣工した昭和7年から現在の教会名となった。

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設計には長野市の長野聖救主教会を創立したカナダ人宣教師で、上田には明治41年から着任していたウォーラー司祭と、その子息であるウィルフレッド司祭が携わり、施工は地元の大工棟梁である滝沢賢一郎が手掛けた。

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なお、ウォーラー司祭が明治31年(1898)に建てた長野聖救主教会は、赤煉瓦の洋風建築で現在も「レンガの教会」として親しまれている。

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材料は奈良基督教会が地元である吉野の山林から伐りだされた材木が用いられたのと同様に、上田では木曽産のヒノキが用いられた。なお、聖堂の内部は奈良と瓜二つと言ってよいくらい酷似している。

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日本生まれで、神社仏閣が好きで研究していたというウィルフレッド司祭は、同じ日本聖公会所属の奈良基督教会を範に取り和風意匠の聖堂を作り上げた。

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教会に隣接して、昭和19年(1944)創設の聖ミカエル保育園が併設されている。

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子供達が使う遊具に囲まれ、落ち着いた佇まいを見せている。

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(参考文献) 「浪漫あふれる信州の洋館」 平成25年 信濃毎日新聞社刊

第1126回・上田新参町教会

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長野県上田市大手にある上田新参町教会は日本基督教団所属のキリスト教会。現在の礼拝堂は昭和10年(1935)に移転に伴い新築されたもの。赤い屋根の尖塔が特徴的なゴシック様式の木造教会である。

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上田市の中心街、上田城跡や上田市役所に近い位置に建っている上田新参町教会。

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上田新参町教会は元々はカナダのメゾジスト系教会として、明治30年(1897)に連歌町(現在の丸堀町の一部)でメソジスト上田教会として布教を始め、昭和10年(1935)に現在地に移転新築した。

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昭和中期には礼拝堂が入居する雑居ビルに改築する計画も立てられたがその後沙汰止みになり、現在も改修しながら使われ続けている。

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門柱もゴシック調の尖頭アーチを持つデザインで造られている。

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白い壁に赤い屋根が目を引くが、創建当初の外壁は黒ずんだ柿渋塗り仕上げで、現在とはかなり異なる印象であったようだ。

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当初柿渋塗り仕上げであった外壁はその後ペンキ塗りに改められたものと思われるが、現在はその上に吹き付け塗装が施されている。

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設計者は以前紹介した群馬県安中市の安中教会教会堂を設計した古橋柳太郎による。

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なお、上田新参町教会ゆかりの建物として、明治37年(1904)に建てられた旧宣教師館が上田市によって同市下之郷に移築、一般公開されている。

第1125回・旧高畠鉄道高畠駅舎

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山形県東置賜郡高畠町高畠にある旧高畠鉄道(のちの山形交通高畠線)高畠駅舎は、昭和9年(1934)に建てられた。地元特産の高畠石を用いた外観が特徴で、駅本屋のほか、同じく高畠石を用いた倉庫、変電所、自動車修繕庫が国の登録有形文化財となっている。

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高畠町では明治期から製糸業などの地場産業が起こり、明治33年(1900)には奥羽本線糠ノ目駅(現・JR高畠駅)が開業した。

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その後の更なる産業の発展に伴い、奥羽本線と高畠町を結ぶ私設鉄道として大正11年(1922)に高畠鉄道が開業した。

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昭和9年(1934)に竣工した旧高畠駅舎は、従前の木造駅舎を改築して建てられた2代目駅舎である。

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鉄筋コンクリート造の構造体に地元特産の高畠石を外装材として積み上げている。

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高畠石は江戸時代から採掘されてきた石材で、当地では建物の基礎や境界、塀、石碑や鳥居など至る所に用いられている石材である。

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戦時下の昭和18年(1943)、高畠鉄道は合併によって山形鉄道高畠線となった。

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戦後も貨物や人員の輸送に活躍するが、やがて貨物輸送の主力はトラック輸送に取って代わられたため、山形鉄道高畠線は昭和49年(1974)に廃線となった。

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廃線後の旧高畠駅舎は一時、山形交通のバス待合所や森林組合の事務所などに使用されていた。

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平成3年(1991)に山形新幹線が開通、糠ノ目駅は新幹線の停車駅として高畠駅に改称されると、旧高畠駅までの線路跡はサイクリングロード(まほろばの緑道)として整備された。

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旧高畠駅とその周辺は公園として整備され、駅舎のほか電気機関車、貨車、電車が各1輌ずつ静態保存されている。

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平成28年(2016)には駅本屋(駅舎)、倉庫、変電所、自動車修繕庫の4棟が国の登録有形文化財となった。

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駅舎内は通常非公開で、イベント時などに公開されるようだ。

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駅舎と同様、高畠石が用いられている附属建物。
旧変電所。

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現在は公衆トイレとして再利用されている旧倉庫。

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旧自動車修繕庫。

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旧高畠駅舎は高畠町の観光名所のひとつとなっている。

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周囲は花で飾られており、町のシンボルとして大切に保存されているようだ。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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