第1111回・出雲大社前駅(旧大社神門駅)

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島根県出雲市の出雲大社の参道沿いにある一畑電鉄出雲大社前駅は、昭和5年(1930)開業当初の駅舎が現在も使用されており、特異な外観から地元でも親しまれている。国登録有形文化財。

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神門通りに面して建つ出雲大社前駅は、出雲大社の最寄駅に当たる。開業当初の名称は「大社神門駅」で、昭和45年(1970)に現在の駅名になった。

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鉄筋コンクリート造平屋建てで、曲面を持つ屋根を青緑色の釉薬をかけた瓦で葺く。

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近年の改修で屋根瓦は大部分が葺き替えられたが、色調はもとの色合いに近いものとなっている。但し、切妻屋根の臨時改札口の瓦は創建当初からのものと思われる。

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現在、臨時改札口跡には窓ガラスを入れ増築部分と一体化させて、店舗となっている。

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その特徴的な姿から、駅の利用者のみならず出雲大社への参拝客も多く立ち寄る。

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待合室。屋根の形がそのまま天井の形状に反映されている。

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ヴォールト天井の梁はよく見ると幾何学的意匠の紋様が刻まれている。窓の色ガラスは、近年の改修に際して入れられたもののようだ。

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半円形に張り出した出札口。
仕切りの金属製格子は幾何学的意匠で仕上げられ、天井梁の装飾と対応したものとなっている。

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駅舎とは思えない不思議な印象の内部空間。

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外観、内装共に、戦前に建てられた駅舎の中ではとりわけ個性的な意匠の建物である。

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扉などの建具類も創建当初からのものと思われる。

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開口部上の長押にも幾何学状の装飾が施されている。

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改札口からホームを望む。

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ホームの一角には駅舎竣工とほぼ同時期に製造され、平成21年(2009)まで現役で使用されていた現存する日本最古級の車両であるデハ二50形電車が展示されている。

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ホームから駅舎を望む。ホーム上屋も駅舎と同様、開業当初の姿を概ね残しているようだ。

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島根県に残る近代建築では代表的なもののひとつであり、平成8年(1996)の国登録有形文化財制度の導入に際しては、島根県における認定第1号となった。また経済産業省の近代化産業遺産にも認定されている。

第1110回・翠川医院

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長野県岡谷市中央町1、JR岡谷駅前にある翠川医院は昭和6年(1931)の開院当初の建物で現在も診療を行っている。木造2階建て洋館の診療棟は門構えから附属等に至るまで創建当初の佇まいを残している。

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JR中央本線岡谷駅から徒歩3分程度の位置にある翠川医院。

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門柱には「翠川醫院」と正字体で記された陶器か大理石製と思われる表札が掛かる。
門柱に続くコンクリート塀も創建当初のものと思われる。

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岡谷市医師会のホームページにて、翠川医院の現院長が自ら描かれた油絵と共に医院の建物について紹介されている。昭和6年の開業に際し建てられたもののようであり、「絶対取りこわさない様に」と註文する患者もあるという。

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正面に建つ診療棟は木造2階建、外壁は大部分がペンキ塗り下見板張りで、2階の一部をモルタル塗り仕上げとする。レントゲン室等の付属棟と思われる平屋の建物が隣接する。

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診療棟側面。
背面には住居として建てられたと思われる和風の建物が続いている。

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赤い鉄板葺きの屋根には小さな屋根窓が2つ配されている。
屋根窓の形状は同じ岡谷にある洋館で、前回取り上げた旧片倉組事務所のものと似ている。

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軒裏には丸に十字形の換気口が開かれている。

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玄関ポーチの形状は同じく岡谷にある旧山一林組製糸事務所のものと似ている。旧片倉組事務所とともに、医院新築に際し、昭和6年当時既に岡谷に建っていたこれらの洋風建築を参考にした可能性も考えられる。

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戦前の建物で現在も診療を続けている医院は各地に存在し、弊ブログで紹介したものでも山形市の吉池医院、栃木市の栃木病院、和歌山市の滋野医院、香川県多度津町の山本医院、松江市の浅野医院、長野県では松本市の宮島医院などがあり、登録文化財になっているものもある。この医院もこれからも長く現役で使い続けて頂きたいものである。

第1109回・中央印刷社屋(旧片倉組事務所)

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長野県岡谷市川岸上1丁目にある中央印刷社屋は、かつて日本最大の製糸工場であった片倉組(現・片倉工業(株))の本部事務所として明治43年(1910)頃に建てられた。その後、片倉組の流れを汲む中央印刷(株)の本社屋として使われ、現在も同社岡谷工場の事務所として使われている。国登録有形文化財。

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片倉組は明治6年(1873)、片倉市助が長野県諏訪郡川岸村(現・岡谷市)で始めた座繰り製糸を嚆矢として、明治28年(1895)には片倉兼太郎(初代)によって片倉組が設立された。

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生糸の製造は戦前日本の主要輸出産業であり、日本最大とも世界最大とも言われる製糸企業となった片倉組は財閥(片倉財閥)を形成したが、敗戦に伴う財閥解体で解散、現在は片倉工業(株)として存続している。

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諏訪湖を挟んで岡谷市の対岸にある上諏訪の片倉館は、片倉兼太郎(二代)が従業員の福利厚生のために昭和3年(1928)に建設した洋風建築の温泉浴場で現在、国指定重要文化財となっている。また、世界遺産となっている群馬県の旧富岡製糸場は片倉組(昭和18年以降は片倉工業)が昭和14年から平成17年まで所有していた。

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旧片倉組事務所は明治43年(1910)に、片倉組発祥の地である地垣外製糸場内に本部事務所として建てられ、戦後の昭和22年(1947)には片倉工業の印刷部門が独立して設立された中央印刷(株)の本社事務所となった。

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本社が東京に移転した後は岡谷工場の事務所となり、現在も現役で使用されている。

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構造は木造2階建で、外壁には人造石の付柱が並び煉瓦タイルを貼る。明治後期から大正期の工場における事務所建築の特徴を残している。

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屋根は当初瓦葺であったが、現在は銅板葺きに改められている。

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平成8年(1996)には国による登録有形文化財制度の導入に伴い、長野県における登録有形文化財認定第1号となった。

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旧事務所のそばに建つ倉庫と思われる小規模な煉瓦建築。
岡谷は明治から昭和にかけて生糸の生産で繁栄していた街であり、現在でも国指定重要文化財の旧林家住宅など市内の随所にかつての生糸の都の面影をみることができる。

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岡谷市に現存する同様の製糸業者の事務所建築として、旧山一林組製糸事務所が現存しており、旧片倉組事務所と同様、国の登録有形文化財となっている。

第1108回・出雲ビル

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島根県松江市白瀉本町にある出雲ビルは、大正14年(1925)建てられた松江で最初の鉄筋コンクリート造ビルとされ、地方都市における鉄筋コンクリート造建造物としても初期の事例である。

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慶長12年(1607)の松江開府以来、松江の経済産業の中心地として栄えてきた白潟地区の中心部にある白潟本町商店街に面して建っている。4階部分は後年の増築であるが、概ね創建当初の姿をよく残している。

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出雲ビルの創建者である出雲益良氏は、白潟地区で商業を営んでおり、英国遊学の際にロンドンで見たデパートを松江にも建てたいとの思いから、鉄筋コンクリート3階建地階付の「出雲ストア」を大正14年(1925)に建てた。

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出雲ストアはキッコーマン醤油と取引があった関係から、店舗の設計者はキッコーマンとは縁の深い建築家である大森茂が手掛けた。

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大森茂は今は無い東京・駿河台の明治大学校舎の設計者としても知られ、現存するものではキッコーマン創業家のひとつである千葉県野田市の高梨本家のほか、同じ野田市にある興風会館、東京・目白の旧細川侯爵邸(現・和敬塾)などがある。

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正面3階上部の外壁には、右書きで「いづビル」と記された人造石の看板が創建当初のまま残されている。

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1階の看板もかつては3階と同様人造石仕上げで、「出雲ストア」と右書きで記されていた。

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ハイカラな商品を取り扱う「出雲ストア」には喫茶店やダンスホールもあり、戦前の松江における最新の西洋文化発信の拠点であったという。

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内部はかなり改装されているようであるが、タイル張りの階段など随所に戦前の雰囲気を残す造りを見ることができる。

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現在はテナントビルとして店舗や事務所等が入居している。
平成29年(2017)には、出雲ビルは松江市が導入した登録歴史的建造物認定制度の第1号として認定された。

第1107回・浅野小児科医院

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島根県松江市末次町にある浅野小児科医院は、大正元年(1912)に小児科医院として建てられた端正な意匠の洋風建築。現在も創建当初と変わらず小児科として診療を行っている。国登録有形文化財。

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第二次大戦の戦災を免れた島根県松江市には、国宝・松江城を始め、城下町の名残を残す歴史ある建物が随所に残されている。浅野小児科医院は現存する松江市の洋風建築の中でも、代表的な存在のひとつである。

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木造であるが、ドリス式双子柱で飾られた玄関ポーチや大オーダーで3分割された外壁など、石造の洋風建築を思わせる端正な意匠が施されている。

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竣工とほぼ同時期に明治天皇崩御、大正改元を迎えたため、竣工の祝宴を急遽取りやめたという挿話も残されている。(「中国地方の西洋館」 白石直典著 平成3年中国新聞社刊)

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外観を保存しながら引き続き医院として使用するために、平成元年(1989)に大規模な改修が行われた。(→参考

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玄関ポーチの上部はバルコニーとする。玄関扉は現代的に改造されているが、その上には「浅野小児科醫院」と正字体で記された白い陶器の表札が架かっており、小児科としての長い歴史を伝えている。

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ピンク色の塗装は創建当初の色調を再現したものである。平成元年の改修から30年近くを経て色が褪せていたため、近年外壁の塗り直しと老朽箇所の改修工事が施されている。(→参考その2

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基壇部分に使われている石材は地元で産出される石が用いられている。
また、袖壁にはシングル材がうろこ状に貼られており、目を引く。

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平成19年(2007)に国の登録有形文化財となっている。

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代々に亘って建物を大事に使い続けてきた所有者に、改修・修復を手掛ける建築士や業者にも恵まれ、そして住民にも親しまれている幸福な建物である。
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現存する近代日本の歴史的遺産(台湾など旧日本領土も含む)を建造物・土木構造物を中心に、思いつくままに取り上げております。

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